【完結】銃と私、あるいは触手と暗殺   作:クリス

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書いていて思うこと、渚カエ好きの人ごめんなさい。


六十八時間目 終戦の時間

 視界が真っ暗で何も見えない。私は今何処にいて何をしていたんだ。頭が酷く痛い。耳鳴りがハンマーのように脳を殴り続ける。

 

「──!!」

 

 誰かが何か言っている。けれど、くぐもって何を言っているのかまったくわからない。でも、とても聞き覚えのある声ということだけはわかる。

 

「────!!」

 

 また違う声だ。これもやっぱり何を言っているのかわからない。そもそも私は何をしていたんだ?

 

 身体中が酷く痛い、意識があるはずなのに前が見えない。耳鳴りが酷くて頭がおかしくなりそうだ。

 

「……子!!」

 

 この声は聞き覚えがある。私のとても大事な人……私の家族のような人……命に代えてでも守りたいと思った人。

 

 身体中が痛くて泣きそうになる。けれど、泣くわけにはいかない。私よりもっと泣きたい人がいる。だから私は絶対に泣かない。

 

 あの人は、いつになったら泣くことができるのだろうか。苦しいはずなのに、辛いはずなのに、誰にも言わずに笑顔で隠し通してしまう。

 

「祥子!!」

 

 誰かが私を呼んでいる。悲鳴交じりの酷く泣きそうな声で必死に私の名を呼んでいる。その声に意識が徐々に覚醒していくのを実感する。

 

 五感が周囲の状況を教えてくれる。目が見えないのは暗いからではない、うつ伏せに倒れているからだ。口の中に土が入って酷く不味い、それに血の味もする。身体中が痛くてしかたがない。まるで昔IEDで吹き飛ばされた時みたいだ。

 

 そうだ、思い出した。私はあの時地雷を踏んで吹き飛ばされたのだ。自分で仕掛けさせて、自分で引っかかるなんて、間抜けにもほどがある。あんな場所に仕掛けさせるように頼んだ記憶はないんだがなあ……

 

「臼井さん!!」

 

 この声は殺せんせーか。あかりは何をやっているんだ。まだ復讐の途中だろ。私の心配なんてする必要なんてないだろうに。

 

「祥子!!」

 

 いい加減、起きよう。休んでいる暇なんてない、まだ私にはやらなければならないことが残っている。こんな所で眠っている時間はない。身体に力を入れる。

 

「うぅ、糞……」

 

 唸り声を上げながら悲鳴を上げる身体を起こした。だが、それでも立ちあがることはできず四つ這いになるのが精一杯だった。

 

「ッ!祥子!!」

 

 口の中の血を吐きながら土を眺めていると、横目にあかりが走ってくるのが見えた。戦いの際中だってのに、何をやっているんだ……

 

「うぅ、すまない……しくじった……」

「そんなことどうでもいいでしょ!!」

 

 私の顔を覗きこんで背中を必死に撫でてくる。よくないだろ、なんでそんな泣きそうな顔しているんだ……自分のほうがもっと痛いはずなのに。どうしてこっちの心配ばかりするんだ。

 

 本当に、本当に腹が立つ……

 

「臼井さん!!大丈夫ですか!!」

 

 殺せんせーが血相を変えてこちらに走ってくる。途中で地雷が爆発するが、そんなことお構いなしに突っ込んでくる。そうだ、私はこの人を殺さなければならないのだ。

 

「来るなぁ!!」

 

 上半身を起こし胸元のM&Pを引き抜き40口径の敵意を殺せんせーに向ける。

 

 銃声──

 

 予想通り40口径の弾丸は殺せんせーの顔に吸い込まれるだけだった。やはりただの弾は効かないのか。だが、殺せんせーの動きを止めるのには十分だったようだ。

 

「祥、子……?」

 

 隣のあかりが信じられないと言いたげにこちらを見た。どうしてそこまで驚く必要がある。戦いはこれからだろうに。

 

 M&Pをホルスターに戻し震える両足に力を入れて立ち上がる。身体を見回して自身の状態を確認する。

 

 案の定、左手と左脚が血塗れだ。左足は捻挫か骨折でもしたのだろう、感覚が殆どない。しかもよく見れば腿に地雷の破片らしき鉄片が突き刺さっている。

 

 左の袖は爆発で引火でもしたのか煙が燻り額からも血が滴り左目を開くことができない。本当に酷い有様だ。間抜けにもほどがある。

 

「まぁ、自業自得か……」

 

 左手で鉄片を引き抜き放り投げる。激痛と共に傷口から血が噴き出し思わず涙が零れそうになるが、上を向いて必死にそれを堪える。

 

「だって私なんかよりもっと痛い思いをしている人がいるもんな……」

 

 煙草の箱を取り出し一本口に咥える。うつ伏せに地面に叩きつけられたせいか、煙草はくしゃくしゃになっていた。

 

「ちょうど、火が欲しかったんだ」

 

 まだ燻っている左袖に煙草を押し付け火を点ける。きつい紫煙が喉を焼いて意識をはっきりとさせてくれた。準備はOKだ。これでもう戦える。

 

「う、臼井さん……?」

 

 少し離れた場所に落ちていたベネリM2を手に取る。ボルトハンドルを引いて詰まっていた空薬莢を引き抜き新しいシェルを補充する。

 

「何呆けてるんだよ。()()()地雷一つ踏んだだけだろうが」

 

 口から血を垂れ流し、恐らく鼻血も出ている。身体中が軋み休息を求めて悲鳴を上げる。それがどうした。こんなもの傷の内にも入らない。

 

「グダグダ抜かさずさっさと構えろ。早く!さぁ早く!」

 

 口から紫煙を吐き出し継戦の意思を示す。最後まで味方でいると誓ったのだ。だから私は絶対に折れるわけにはいかない。

 

「君は……どうしてそこまで……」

 

 意地なのか、それとも、意固地になっているだけなのか、最早本当の理由などわかりはしない。だけど、一つだけはっきりしていることがある。

 

「……本当は貴方が敵じゃないことくらい私だってわかってるんだよ……素直に先生に任せるべきだってのも、私が意固地になっているだけだってのもな……でもなあ!」

 

 焼け焦げた大地の上に私の叫びが響き渡る。痛みで興奮した私の心が隠していた本音をさらけ出す。

 

「ここで折れたら!今誰があかりの味方になってあげられるんだよ!!」

 

 茅野カエデの周りにはたくさんの友達がいる。けれど、雪村あかりの隣には誰もいないのだ。例え本質は同じだったとしても、今この瞬間あかりの名前を呼んであげられるのは私しかない。

 

「……信じていいのと、縋るような声であの人は言った。誰一人心を許せない状況で、痛くて苦しいのに泣くことすらできない中で、それでも私にそう言ってくれた!」

 

 ここで裏切ったら、例え幸せになれたとしても私の魂は腐りきってしまう。私は私でなくなってしまう。正真正銘の化物になってしまう。

 

「悪いがこの約束だけは絶対に、死んでも破るわけにはいかない。いや、死んだって破るものか」

 

 例え世界を敵に回しても、私だけは味方でいると決めた。例え演技だったとしても、全部嘘だったとしても、あの人は私の魂を救ってくれた。だから、今度は私の番だ。

 

「私はな先生、自分のためにしか泣けないんだ……」

 

 私は誰かのために涙を流すことはできない。私はいつだって苦しいとか悲しいとか、そんな酷く自分勝手な理由でしか泣けない。

 

「私はどこまで行っても自分勝手でわがままな女だ。でもあの人は違う。いつも私のために泣いてくれた。けれど、そんなあの人は自分のために泣いてくれない……」

 

 家族が死んだのだ。もう二度と会うことも、話すことも、抱きしめてくれることもない。それがどれだけ悲しくて、どれだけ虚しいことか私ですらわかっている。

 

「悲しくて仕方ないのに、寂しくて仕方がないのに、絶対にあの人は自分のために泣こうとしない、その癖人が無茶しようとすると泣いて止めやがる」

 

 それなのに、あかりはいつもいつも誰かのためにしか泣いてくれない。誰よりも泣きたいはずなのに、鼻水垂らしてみっともなく泣いたって誰も責めないのに、あの人は絶対に泣かない。

 

「それが私は嫌で嫌でたまらない!!」

 

 人には泣いていいと言う癖に、自分のためには泣こうとしない、そんなあかりが大嫌いで、大好きだ。

 

「もし先生を倒してあの人が泣けるのなら、私はなんだってやってやるさ!」

 

 煙草を根元まで吸って地面に叩きつけ、靴で踏みつぶす。覚悟は決まった。あとは戦うだけだ。

 

「だって、私のお姉ちゃんだもんな!!」

 

 いつものように、兵士としてではなく、殺し屋としてではなく、臼井祥子として笑う。身体に活力が湧いてくる。目の前に相手を倒せと心が叫ぶ。

 

「行くぞ超生物!化物が相手だ!!」

 

 右脚のブーツから予備のナイフを引き抜き口に咥え、ベネリM2を構え照準を殺せんせーに定める。弾薬は残り僅か、しかも身体は傷だらけ、勝てる見込みは殆どない。

 

 問題ない、楽勝だ。

 

「ぶっ殺してやる!!」

 

 そして、私は殺せんせーに向かって駆け出そうとして────

 

 

 

 

 

「……もういい」

 

 あかりの掻き消えそうなほど小さな声によって立ち止まった。横を見る。先ほどとは違う、けれど、同じくらい泣きそうな顔であかりが私を見ていた。

 

「もう、いいよ……」

 

 聞き間違いじゃない、間違いなくあかりはもういいと言った。戦いを止めると言ったのだ。この日のために全てを犠牲にしたはずなのに。姉が死んで悲しくて仕方がないはずなのに。

 

「どうして!あと少しなんだぞ!」

 

 口に咥えたナイフを吐き捨て叫ぶ。殺せんせーを殺せるのは弱っている今だけだ。心臓に一発当てさえすればそれだけであかりの復讐は果たせる。あと少し、あと少しで全部終わるのに。

 

「もう十分だから……お願いだからもう止めて……これ以上は本当に祥子が死んじゃう……」

 

 この程度で死にはしない。あかりの今まで耐えてきた痛みに比べれば私の今感じている痛みなんて可愛い物だ。私なんかよりもずっと傷ついているんだ。私が泣きごとを言うわけにはいかない。

 

「大丈夫だ私はまだ──」

「また、私を独りにするの?」

 

 絶句、それは失った者にしかわからない悲痛な叫びだった。失ったことがあるからこそわかるこの言葉の重み。独りぼっちになることの怖さは私だって痛いほど理解している。

 

「祥子のそんな顔見たくない……私、こんな思いするために復讐したかったわけじゃない……」

 

 触手が力なく地面に垂れ、あかりの目から殺意が消えていく。かつてのイトナと同じ光景に私はただ唖然とするだけであった。だってそうじゃないか、全てを捨ててこの日のためだけに痛いのも苦しいのも耐えてきたはずなのに……

 

「だけど──」

「私から二回も大事な人を奪わないでよ!!」

 

 決定的な言葉。

 

 最早何も言うことができなかった。これ以上戦えば私はあかりをもう一度地獄に叩き落とすことになる。それは私が望むことではない。

 

 私の望みはこの人がまた心から笑ってくれること。決して目の前の先生を殺すことが目的ではない。

 

 M2の銃口が力なく地面に垂れる。

 

「本当に、本当にいいのか?」

 

 念押しするように訊ねる。多分、これを逃せば復讐の機会はもう二度とこないからだ。

 

「…………うん」

 

 あかりはゆっくりと立ち上がると殺せんせーの許へ歩いていく。その後ろ姿は諦めたような弱々しいものではなく、どこか吹っ切れたような力強ささえ感じた。

 

「殺せんせー、触手抜いていいよ……」

「……いいのですか?」

 

 殺せんせーの問にあかりは頷いた。私はそんな彼女の後ろ姿を黙って見ることしかできなかった。

 

「うん、いいよ。でも終わったら本当のこと全部話してね……」

「…………わかりました。全て、話しましょう。しかしそれは全員が揃ってからです」

 

 その言葉に満足したのか、あかりはどこか満足そうな顔で頷くと殺せんせーに背を向けて膝をついた。もうその顔には先ほどまでの殺気も険しさも見られない。

 

「そっか、そうだよね……渚達もいないと駄目だもんね……」

 

 殺せんせーが道具を構える。ふとあかりと目が合った。

 

「祥子、こっち来て」

「ああ」

 

 私は銃を投げ捨ててあかりの側に駆け寄り同じように膝をついた。近くで見ると顔色がとても悪い。本当に凄い人だ。私なんかじゃ逆立ちしたって勝てやしない。

 

「酷い怪我……後でちゃんと手当てしてもらうんだよ?」

「わかっている……」

 

 頷く私を見ながらあかりはいつものように私の頭を優しく撫でた。それがとても心地よくて私は思わず目を瞑った。

 

「ありがとう、私のために戦ってくれて……」

 

 その言葉に罪悪感が沸き起こる。私はあかりが思うような人間なんかじゃない、私はいつだって自分のためにしか戦えない。あかりのように誰かのために命を賭けることはできない。

 

「違う、私は傭兵だ。傭兵は己のためにしか戦わない」

 

 鼻水を垂らし辛かった悲しかったと喚き散らしてほしい。泣き疲れるまで泣いて泣いて、それからまた笑ってほしい。

 

 人のためじゃなくて、自分のために笑ってほしい。あかりの覚悟も努力も無視した、そんな自分勝手な欲望だ。決して人のためなんかじゃない。

 

「……嘘つき」

 

 でもそんな私の捻くれた感情も、この人にはお見通しなのだろうな。頭を撫でる手が震える。

 

「ねぇ祥子、お姉ちゃんはもういないんだよね……」

 

 目を開ける。今までに見たことないくらい悲しそうな顔をしたあかりが震える手で私の頭を撫でていた。こんな時まで年上ぶらないでいいだろうに……

 

「もう、会えないんだよね……」

 

 そんな健気な姿に私は居ても立っても居られなくなり、あかりのことを抱き締めた。壊れないように優しく。けれど絶対に離さないようにしっかりと。

 

「ああ、そうだ。君の姉は、もう死んだんだ……もう、どこにもいないんだよ……」

 

 細い体だ。こんな体でずっと孤独に耐え続けていたのか……。ずっと、一人で耐え続けて辛かっただろうな……

 

「そっか……」

 

 かつて私のようにあかりは私を強く抱きしめ返した。私にできることはあかりが壊れてしまわないように、必死に抱き締めることだけだった。

 

「祥子ぉ……寂しいよぉ……」

 

 姉を求める声は次第に嗚咽混じりのものに変わっていった。そうだ、それでいい、そのまま泣いてしまえ。

 

 当たり前だ。家族が死んだのだ。たった一人の大好きな、とても大好きな姉がいなくなってしまったのだ。

 

 雑談も相談も喧嘩もできない、慰めてくれることも、抱きしめてくれることもない。だってもう死んでしまったのだから。死んで、いなくなってしまった。

 

 だからもう雪村あかりは雪村あぐりに会えないのだ。

 

「お姉ちゃんに会いたいよぉ……」

 

 こんな時にどう言えばいいのかわからず、更に強く抱きしめる。相変わらず不器用な自分が嫌になる。でも、それでよかったのかもしれない。

 

「お姉ちゃん……お姉ちゃん!」

 

 嗚咽がどんどん大きくなり、やがてそれは泣き声となってあかりの喉を引き裂いた。まるで子供のように、あかりはひたすら泣き続ける。だが、それでいい。泣きたいときは泣いていいのだ。

 

「ッ!お姉ちゃん!お姉ちゃん!!」

 

 何度もえづきながら、みっともなく鼻水を垂らしながら、あかりは私を抱き締め今までの悲しみを吐き出すかのように泣き続ける。

 

「茅野……」

 

 いつの間にか私達の横に渚達が立っていたが、そんな有り得ない光景すら目の前で起きていることの前ではどうでもいいことだった。

 

「あぁ、やっと、やっと泣いてくれた……」

 

 皆を裏切ったのも、血塗れになって戦ったのも、全部このため。故に現時刻をもって任務は完了、私の役目もこれで終わりだ。

 

「よかった……よかった……」

 

 12月、焼け焦げたすすき野原、三日月が見下ろす満点の星空の下、こうして一人の少女の復讐は涙と共に幕を閉じた。

 

 視界が滲むのはきっと傷が痛むからだ。

 

 

 

 

 

「ふぅ、これでもう一安心です」

 

 泣き疲れ憑き物が落ちたような顔で眠るあかりから触手を抜いた殺せんせーは、皆に向かってそう言った。その言葉に皆が安堵の溜息を吐く。

 

「じゃ、じゃあ茅野はもう大丈夫なの?」

 

 そんなあかりを膝の上に乗せた渚が期待に満ちた眼差しでそう訊ねた。余程心配だったのだろう。やっぱりあかりは独りぼっちなんかじゃない。私がいなくてもきっと大丈夫だろう。

 

「えぇ、予想していたよりもずっと触手の浸食が少なかった。しばらく安静にしていればすぐに回復するでしょう」

 

 私は殺せんせーの言葉を聞いた瞬間、膝に力が入らなくなり座り込んでしまった。皆が驚いて私を見るが、そんなことがどうでもよくなるくらい私の心はあかりの無事に埋め尽くされていた。

 

「よかった……よかったよぉ……」

 

 まるで壊れたラジカセのように同じ言葉を連呼する。もう、あかりは痛い思いをしなくていいのだ。死の危険に怯える必要はないのだ。それだけで、痛みも皆の視線もどうでもよくなるくらい嬉しい。

 

「それにしても皆さん、どうしてここに……」

「律に頼んで二人が歩いたルートをナビしてもらったんだ。そこなら地雷が埋まってないと思って。それに僕達も我慢の限界だったし」

 

 そんな狂喜にも似た安堵を噛みしめていると渚が何故私達の目の前に立っているのかを説明してくれた。けれど私にはそんなことどうでもよかった。

 

「臼井さん、君はどうしますか?」

 

 殺せんせーが覚束ない足取りで私に近づいてきた。言いたいことはわかる。まだ続けるのか、そう言いたいのだろう。

 

「正直に言いましょう、私は今とても弱っています。今戦えばきっと殺すことができるはずです……」

 

 顔は穴あきチーズのように崩れ触手の本数もいつもより随分と少ない。武器はまだある。殺せんせーの言う通り戦えばきっと殺すことができるだろう。

 

「そう、だな……」

 

 ふらつく足に力を入れて立ち上がる。皆が私の動きに身構えた。皆の視線が刺さる中、私は胸元のM&Pを引き抜く。

 

「私の仕事は、あかりが前に進めるようにすることだ。殺しは手段の一つでしかない」

 

 弾倉を抜き取りスライドを引いて未使用の弾薬を排出、引金を引いて撃針をデコックしM&Pをホルスターに戻す。皆がほっとしたように溜息を吐いた。

 

「そして……」

 

 渚の膝の上で眠りこけるあかりを一瞥する。その寝顔はとても安らかなものだった。きっとこれからは本当の意味で自分のために生きることができるだろう。茅野カエデでも磨瀬榛名でもない、雪村あかりとしての人生が始まるのだ。

 

「もう殺す必要もない」

 

 深く、深く息を吐く。その瞬間身体中に疲労感が押し寄せてくる。ふらつきそうになる身体を無理やり立たせ皆に背を向ける。

 

「もしかして、全部このためだったの?」

 

 渚がなんとも的外れなことを訊ねてくる。全部このためか、前提からして間違っているな。殺すことなんてどうだっていいんだ。

 

「勘違いするな、兵士の目的は任務を全うすることだ。復讐なんて端からどうでもいい」

 

 元だとしても私は生粋の兵士だ。例えどんな手段を使っても与えられた任務を全うする、そこに感情の入る余地はない。それが私にとっての理想の兵士像。敵対も殺害も目的達成のための一手段でしかない。

 

「そして私は私の任務を全うした。もうここにいる意味はない」

 

 ネクタイを解き左脚の刺傷に巻き付け止血。痛む左脚を引きずり歩き出す。ほぼ服としての機能をなくしたシャツの隙間から風が容赦なく入り込み身体を冷やす。

 

「ちょ、臼井さんどこ行くの!?」

「疲れた。帰って寝る」

 

 視界に入ってきた不破の肩を押して強引に突っ切る。帰ったらすぐに傷の手当てをしなくてはならない。酒なんてない、今夜は痛みで眠れないだろう。

 

 地雷の破片にやられたせいか左半身が火傷と裂傷だらけだ。医者には掛かれない、久しぶりに自分で縫う必要がある。

 

 それに息切れと目眩もする。恐らく失血性の貧血だ。左脚も痺れるように痛い。骨折か捻挫でもしているのだろう。しばらくは杖生活だな。

 

「じゃあな、あかりのことを頼む」

 

 もうここには居られない。銃を向けていいのは敵と殺す相手だけ、私は銃を向けてしまった。そして撃ってしまった。

 

 最早私は皆の仲間ではなく敵だ。それこそが銃を持つ者(ガンスリンガー)の掟。私の信じる唯一にして絶対の理、例外はない。

 

「待ちなさい、君の手当てがまだ終わっていません」

「こんなもの自分で治せる」

 

 いつもそうしてきたし、これからもそうしていくつもりだ。もとより誰かに手当てされること自体が私にとっては異常なことだったのだ。

 

「お、おい!無茶すん──」

「うるさい、私は一人で歩ける」

 

 肩を掴もうとする杉野の手を振り払い、ざわつく皆を無視し歩きながら落ちていたベネリM2を拾って杖の代わりにする。冷たい冬の風が私を殴りつけた。

 

「……もっと温かい服持ってくればよかったなぁ」

「じゃあ、俺のコート貸すよ」

 

 不意に温かくなる肩。後ろを振り返ってみればカルマが自分のコートを私の肩に掛けていた。

 

「なんのつもりだ」

「つもりも何も言葉通りの意味しかないんだけど」

 

 激昂しそうになったのは決して悪くないと思う。敵に優しくする道理なんてあってはならない。敵は敵でしかない。例えかつて仲間だったとしても銃を向けてしまえば後戻りはできない。

 

「ふざけてるのか?」

 

 殺気を籠め暗い瞳で睨みつける。しかし更に強い目で睨み返される。糞、少しは怖がれよ……

 

「ふざけてるのはそっちでしょ。いいから拗ねてないで茅野ちゃん起きるの待とうよ」

「私が拗ねているだと……」

 

 そんな子供みたいな、いや子供ではあるがそんな間抜けな理由で私が去るわけがないだろうに。取り返しのつかないことをしてしまった。しかも私の意思で、だから出て行く、それだけのことだ。

 

「私は、君達に銃を向けたんだぞ……」

「……で?」

「いや、でじゃなくて……言っている意味がわからないのか!?」

 

 さもどうでもいいことのように、とても大事なことを流されて私の頭は沸点に達した。杖にしていたM2を投げ捨て身体ごと皆に振り返る。

 

「私は君達──」

「ねぇ臼井さん、悪人のふりして楽しい?」

「……はぁ?」

 

 激昂する私の言葉を遮るようにカルマが怒りの籠った目で私を睨みつける。悪人のふりだと……この私が?

 

 唖然としているとチェストリグとシャツの間に挟みこんだ煙草の箱を奪い取られた。

 

「へぇ、結構キツイやつじゃん」

 

 しばらく眺めた後、カルマは煙草の箱を思い切り握り潰し遠くに投げ捨てた。

 

「似合わない煙草なんて吸っちゃってさあ、今時不良でも吸わないよ。どうせ自分に敵意を集めて茅野ちゃんに敵意が向かないようにしてたんでしょ?」

 

 言い返せない。決してそんなつもりで撃ったわけではないが、カルマの言うような結果になることも予想はしていた。

 

「別に、そういうわけじゃ……」

「やっぱりね、言っとくけど俺ら臼井さんが思っているほどお人好しでも純粋でもないんだよ。だからあんたの望みどおりになんて絶対にしてやらない」

 

 信じられない。あれだけのことをやったのに、まだ私を仲間だと言いたいのか。頭がおかしいのか。それとも底抜けの馬鹿なのか。私は何をしたのか見てないわけじゃないだろうに……

 

「銃を……銃を撃ったんだぞ!エアガンなんかじゃない!本物の銃だ!前に私が言ったことを忘れたのか!?撃っていいのは殺す相手だけだ!!」

 

 手を振り回し溢れ出る激情を喉から吐き出す。

 

 ずっとこの言葉を信じ続けてきた。それ以外に信じるものなんてなかった。

 

 誰一人信じられない戦場で、唯一信じられたのは銃口だけだった。

 

 銃口を向けてこない奴は私を傷つけない。銃口だけが私を裏切らない。

 

 例え次の瞬間敵になったとしても、その瞬間だけは敵ではないのだから。

 

 だから銃口を向けた私は何があっても皆の敵なのだ。

 

「いいか、私は銃を向けた!銃を撃った!もう敵なんだよ!これがこの世界の掟だ!どんな理由があろうと、誰が相手だろうと、銃を撃ってくる奴は──」

「いい加減にしてくださいッ!!」

 

 唐突に右の頬に激痛が走り、私は尻もちをついた。自分の言葉に没頭していた私は突如横合いから襲ってきた暴力に呆然と首を向けることしかできない。

 

「え、え?」

 

 痛みの方向に顔を向ける。その先にいたのは左手を振り抜いた奥田だった。真っ赤な顔で肩で息をしながら涙目で私を睨んでいるではないか。

 

「変なこと言ってないで少しは自分のこと心配してください!ふらふらじゃないですか!」

 

 まさか、奥田が私を打ったのか?少し抜けてるけど優しくて虫すら殺せなさそうなあの奥田が?

 

「掟ってなんですか!敵って誰ですか!私そんな決まり知りません!!教科書にも辞書にもそんな決まり一言も書いてません!!祥子さんは敵なんかじゃない!!」

 

 予想だにしてなかった人物からのビンタと純粋な怒り。頬を押さえながら目を白黒させて奥田を見ることしかできなかった。

 

「祥子さんは私が失敗しても許してくれるのに、なんで祥子さんは祥子さんのことを許してあげないんですか!?今まで一緒に何勉強してきたんですか!」

 

 目の前の人間は本当のあの奥田なのだろうか?現在進行形で起きている事実と今までの経験が食い違い齟齬が生じる。

 

「お、奥田?」

「奥田じゃなくて愛美です!!」

 

 凄まじい剣幕で押し切られただ頷くことしかできない。痛みと興奮で高揚していた頭と身体が猛烈な勢いで冷めていく。

 

 思考に奥田の……いや愛美の言葉が反響を繰り返しどんどん私の覚悟を塗り替えていく。

 

「……ッ!?ご、ごごめんなさい祥子さん!!ごめんなさい!ごめんなさい!」

 

 愛美も我に返ったのか、顔を真っ青にして何度も何度も三つ編みが土につく勢いで頭を下げてくる。

 

「いや……いいんだ……私も悪かった……」

「本当にごめんなさい!い、痛かったですよね?い、今すぐ手当てを!せ、先生ー!!」

 

 顔を真っ青にしてあわあわしながら殺せんせーの許に走っていく愛美。そんな彼女をぼんやりと眺めていると見慣れた人の顔が視界に入り込んできた。

 

「さっちゃん……」

 

 陽菜乃だ。尻もちをついたままの私に合わせるようにしゃがみ込み視線を合わせてくる。

 

 昼にやってしまったことを思いだし思わず目を逸らそうとするが横に視線を向けると桃花が少し離れた場所から私を見ていて目を逸らす先がない。

 

「ねぇ、さっちゃん。カエデちゃんは泣いたよ」

 

 そんな状況にどうしようかと悩んでいると、陽菜乃が唐突にそう言った。あかりは確かに泣いた。私の目の前で泣いてくれた。

 

「それが、どうしたんだ……」

「ずっと、カエデちゃんのために頑張ってたんだよね?」

 

 ずっとというほどではない。私があかりの名前を知ったのはたったの四ヶ月前だ。しかもここ最近になるまでずっと見ないふりをしてきた。頑張ったなどとは口が裂けても言えない。

 

「カエデちゃんはまだ眠ってる。だから今は無理して強がらなくてもいいんだよ?」

 

 ポケットからハンカチを取り出し血と泥で汚れた私の顔を拭っていく。そしてあっと言う間に顔を綺麗にすると私を優しく抱きしめた。

 

「別に……無理して、なんか……」

「よく頑張ったねさっちゃん、えらいえらい」

 

 私の言葉を無視して陽菜乃は私の頭を優しく撫でる。あかりとは違った温かさにだんだんと視界が滲んでいく。きっと、硝煙のせいだ。そうに、決まっている……

 

「むり、して……なん、か……むり……し……て……」

 

 段々と声がつっかえていく。多分薄着をしたせいで風邪を引いたのだ。決して涙などではない。私に泣く資格なんてないのだから。だからこれは絶対に涙なんかじゃない。

 

「よしよし、さっちゃんはいい子だ」

 

 駄目だった。まるでドラマで見た母親のような慰め方に今まで我慢していたものが嗚咽となって徐々に吐き出されていく。淀みが溜まっていく。

 

「あ、あぁ……ああ……あぁ!」

 

 そして、崩壊した。耐えきれず声を上げてみっともなく泣きだす。そんな私を慰めるように陽菜乃が更に強く抱きしめる。慰めてくれているはずなのに、それが誘因となって更に涙が溢れてくる。

 

「銃撃ってごめんなさい!酷いこと言ってごめんなさい!大嫌いなんて言ってごめんなさい!」

「大丈夫だよー、全然怒ってないから。煙草吸ったのは……すこーし怒ってるけど」

 

 ただ、謝りながら泣き続ける。本当に、どいつもこいつもお人好しばっかりだ。私はそんな皆が大嫌いで、大好きだ。

 

 泣き続ける。こうして、私のもう一つの戦争はこの日を以って終わりを告げたのであった。

 

 

 

 

「その……本当にごめん」

 

 泣き終わり包帯とガーゼ塗れになった私は改めて渚に謝罪し、そして受け入れられた。そもそも渚曰く泣いている際に計三十回程謝っていたそうだ。

 

「もう勝手にいなくなったりしない?」

 

 力なく頷く。もう意地を張るつもりもない。決してあれ以上だだをこねると律に頼んで全ての発言を嘘発見器にかけると渚に脅されたからではない。

 

「ヌルフフフ、一件落着ですね。地雷も撤去しましたし後は茅野さんが起きるのを待つだけです。それにしてもあれだけの兵器をどうやって──」

「茶番もそこまでにしておけよ、モンスター」

 

 温かい空気を切り裂くような冷たい声。慌てて声のする方向に首を向ければ林の影からぬるりと二人の影が姿を現した。

 

「……やはりガキはガキだ。信用なんてするものじゃない」

 

 一人はシロ、私に対する侮蔑を隠そうともせず紫に光る怪しい瞳でこちらを睨みつけてくる。そしてその隣に立つのは奴と対照的に全身黒づくめのこれまた怪しい人間だった。

 

 拘束着のような恰好で顔までフードのファスナーを閉じているせいで顔や表情はおろか性別すらわからない。けれど、どこかで会った気がする。そんな気がしてならない。

 

「これでも少しは期待していたんだがな……なんだその様は、俺はこんなお涙頂戴の茶番を見るためにお前達に手を貸したつもりはないぞ」

 

 さっきから聞いていれば好き放題言ってくれるな……皆もいきなり現れて辛辣な言葉を浴びせるシロに怒りを隠そうとせず睨みつけている。

 

 そもそもこうなったのは想定外の場所に地雷が埋まっていたからで……いや、待てよ。こいつ、まさか……

 

「おい、シロ……」

「なんだ?」

「……頼んでいない場所に地雷が埋まっていた。お陰で死にかけたぞ」

 

 私はこいつのことを殆ど知らないが、一つだけ確信していることがある。それは、こいつがどうしようもない小物だということ。自分で言うのもあれだが、私は奴に対して相当に恨みを買っているはずだ。

 

「あぁ、あれはちょっとした悪戯さ。まさか本当に引っかかるなんて思っていなかったがな」

「なっ……」

 

 絶句する。そもそも信じていないしいつか裏切るとは思っていたが、まさか端から殺すつもりだったなんて思いもしなかった。予想外にもほどがある。最早理解不能だ。

 

「勘違いするなよクソガキ、奴を殺していいのはお前じゃない」

 

 白ずくめの頭巾を脱ぎ去り、口にはめていた変声器を取り去り、紫に光る左目の義眼を露わにし、奴は殺せんせーを指さす。

 

「お前を殺すのは俺達だ。誰にも邪魔はさせない……誰にもだ……」

 

 遠目からでもはっきりとわかる恐ろしいまでの憎悪。こいつと殺せんせーの間に何があったというのだろうか。何があればここまで成り果ててしまうのだろうか……

 

「必ずお前を殺し、俺から全てを奪ったように、お前からも全てを奪ってやる……だからその日が来るまで精々教師ごっこでも楽しんでいろ」

 

 そう言って奴は隣の謎の人物を引き連れて影の中に消えていく。その背中を見て私は確信した。

 

「……上等だよ」

 

 私は誰に言うわけでもなく、小さく呟いた。あいつが何者だとか、殺せんせーとなんの関係があるのかなんてどうだっていい。

 

 あいつは、私の敵だ。

 

 

 

 

 

「みんな!茅野が起きたみたい!」

 

 シロが去ってから十分ほど経ってから、あかりが遂に眠りから覚めた。泣き疲れて眠ってから実に三十分は経過している。決して十分とは言えないが、それでも眠ったおかげか随分と顔色が良くなっていた。

 

「……そっか、もう触手ないんだ……」

 

 渚の膝の上で不思議そうな顔をする。一年間背負い続けていた痛みが唐突に消え去ったのだ。違和感が生じても不思議ではない。

 

「茅野、大丈夫?」

 

 とても心配そうな目であかりの顔を覗き込む渚。本当に心配していたのだろう。最悪の結果にならなくて本当によかった。

 

「あ、渚…………って、渚!?」

 

 あかりはここでようやく自分が彼の膝の上で眠っていたことに気が付いたようだ。顔を赤くして飛び起きようとするが、渚に肩を押さえられて阻止される。

 

「茅野、本当に大丈夫なの?」

「…………う、うん」

 

 何度か起きようとするがその度にやんわりと止められる。やがて観念したのかあかりは肩の力を抜いて彼の膝の上に頭を乗せた。

 

「よかった……本当に、本当によかった……」

「心配、してくれるの?」

 

 あかりが呟いた何気ない一言、恐らくそれが彼の琴線に触れてしまったのだろう。渚の目の色がみるみるうちに変わっていく。

 

「……ッ!当たり前だろ!!僕たちがどれだけ二人のこと心配したと思ってるんだ!ちょっとは残された人の気持ち考えろよ!茅野の馬鹿!」

 

 普段の彼からは想像もできない鬼気迫る声であかりに捲し立てる。彼がここまで感情的になる姿は初めて見た。多分、ずっと隠していた本心なのだろう。

 

「カルマ君も杉野も神崎さんも奥田さんも殺せんせーもみんなみんな茅野のこと心配してたんだぞ!」

 

 その言葉に皆が何度も頷く。つまりこれは渚だけではなく、E組の総意でもあるのだ。やっぱり、あかりは独りぼっちなどではない。

 

「で、でもずっとみんなのこと復讐のために騙してたんだよ?」

「騙すとか復讐とかそんなこと僕が知るか!!茅野は僕の友達だろ!!何も言わずにいなくなるなよ!いきなりいなくなるのはさっちゃんさんだけでお腹一杯だよ!」

 

 いきなりいなくなるの部分で皆の白い目が私に突き刺さる。とばっちりにもほどがある。私が何を……いや思い当たる節が多すぎるな。

 

「渚……泣いてるの?」

「死んだら……死んだら全部終わりなんだよ……」

 

 多分、彼がここまで命に固執するのは私のせいだと思う。何度も何度も皆の心配を無視して無茶してきた。この一年で何度死にかけただろうか。

 

 人の命はその人だけのものではない。死んでしまえばその人の家族、友達、関わってきた人全てが傷つく。彼の涙はきっとそういうことだ。

 

「えっと……ごめん」

「謝るくらいなら初めからやるな!!この馬鹿!!」

「……ッ!さっきから馬鹿馬鹿言いすぎでしょ!渚だって人のこと言えないじゃない!」

 

 ……あれ?

 

 なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。あかりは身体を起こすと渚に向き直りそしてまた捲し立て始めた。

 

「南の島の時も死神の時も、そもそも四月の自爆だって!映画じゃないんだから一人で無茶したって全然かっこよくないのよ!」

「ずっと触手隠してた茅野が言う資格ないだろ!痛いなら少しくらい顔に出せよ!」

「できるわけないでしょ!!」

 

 何故か喧嘩が始まった。誰も止めないのか。そう思って辺りを見回すが、殺せんせーはニヤニヤしながらメモを取っているだけだ。

 

 ならば皆ならと思い振り返るが、皆はニヤニヤするか苦笑いするだけで誰も止めようとしない。カルマと中村にいたっては携帯電話で動画を撮っている始末。

 

「だいたい茅野は──」

「渚だって──」

 

 あかりの目も覚めたしそろそろ殺せんせーの秘密を話してもらいたいんだが……これいつ終わるんだ。視界の先で未だに喧嘩を続ける二人を見て、私は身体の力が抜けていくのを感じた。

 

「なんだこれ……」

 

 まあ、でもこれでいいのか?喧嘩するってことはお互いが同じ土俵に立つということだし。ここは本当の意味で対等な関係になれたってことで納得するべきなのだろうか。

 

「ヌルフフフ、青春ですねぇ……」

 

 でも、殺せんせーは早く止めろ。

 

 

 

 

 

 それからしばらくあかりと渚の言い合いは続いた。仲は良くても、いや仲がよかったからこそお互いに不満に思っていることが多々あったようだ。

 

 けれどその喧嘩の内容が相手への心配からくる不満ばかりなのだから呆れる。シロがさっき茶番と言ったがこれのほうが余程茶番じゃないか?

 

「ねぇ、茅野……」

「……何?」

 

 お互いに肩で息をしながら顔を赤くし見つめ合う二人。とてもじゃないがさっきまで死線を潜り抜けた後だとは思えない。

 

「僕、茅野のこと好きだよ」

「ふーん…………えっ!?」

 

 唐突な告白に赤かったあかりの顔がもっと赤くなった。これは、どういう意味のなのだろうか。

 

「誰かのために自分を殺して頑張れるところとか、好きな事のために一直線なところとか、さっちゃんのために本気で怒るところとか、茅野のいいところ沢山知ってる」

 

 これはきっと言葉通りの意味だろうな。異性とかそういうの関係なしに渚は雪村あかりという人間のことが好きなのだ。

 

「茅野がこの髪型を教えてくれた。殺せんせーっていう名前だって茅野が付けてくれた。偽物だったのかもしれないけれど、僕達はその偽物のお陰で笑うことができた」

 

 偽物だったとしても、例え利用していたとしても、その行為によって救われたのなら、それはきっと本物だ。

 

「復讐とか茅野に何があったのかとか僕にはわからない。でも、僕はそんな優しい茅野……ううん、あかりが好きだから」

 

 嘘偽りのない本心。虚構を打ち破るのはいつだって真実だ。兵士という仮面を剥がしたのはあかりの本当の優しさだった。

 

「だから、だからE組に戻ってきてよ……二人が揃ってないと僕寂しいよ……」

 

 あかりの目に涙が溜まっていく。人のためではない、自分のための涙。私が望み続けた光景。茅野カエデではなく雪村あかりとしての涙。

 

「もう、演技しなくていいの?」

「違うよ、演技なんかじゃない、演技なんて言わせない……全部本物だよ」

 

 名前など人を認識するための記号でしかない。例え偽りの仮面だったとしても、目の前で立っている人間は紛れもない本物なのだ。

 

「そう、なのかな……」

「絶対にそうだよ。茅野もあかりもどっちも僕達の大切な仲間だ。偽物なんていう奴がいたら僕が許さない」

 

 涙が零れる。あかりの止まった時計の針が動き出す。

 

「そっか……どっちも私なんだ……」

 

 もう孤独に震える少女はどこにもいない。あかりは一人などではないのだから。

 

「う、うぅ……うぅ……」

 

 あかりの小さな泣き声が夜空に吸い込まれていく。三日月が見守る夜空の下、E組に新しいクラスメイトが一人増えた。

 

 その名は雪村あかり、殺し屋でも復讐者でもない、ただのどこにでもいる女の子だ。

 

 

 

 

 

「さて、約束でしたね……」

 

 あかりの復讐に一応の決着がつき、私達はいよいよ真実と対面することになった。三日月に砕け散った月をバックに私たちは殺せんせーを囲む。

 

「どこから話しましょうか……」

 

 私達は受け入れなければならない。この人の過去を。どうしてここにいるのか、何故こんな姿になったのか。どんな残酷な真実だったとしても、それを受け入れて答えを出さなければならない。

 

「あれは二年前のことです。私がまだ死神という名の殺し屋だった時のこと……」

 

 そして殺せんせーは語り始めた。三日月と触手、殺し屋と暗殺の真実を。

 




用語解説

デコック
またの名をデコッキング。銃を撃発するための撃鉄や撃針にかかっているバネの力を解除すること。現行の殆どの自動拳銃には安全装置にデコッキング機能が搭載されている。

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