【完結】銃と私、あるいは触手と暗殺   作:クリス

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書いていて思うこと、もうここのネタも尽きてきた。


六十九時間目 対立の時間

「はい、お土産」

 

 差し入れのプリンが入った紙袋をベッド脇のテーブルの上に置きながら、私はベッドの上で横になる人物にそう言った。

 

「祥子、それ何?」

「プリンだ」

「プリンッ!?」

 

 三文字の言葉を発した瞬間、茅野カエデこと雪村あかりは途端に目を輝かせてベッドから飛び起きた。そのあまりにも活きのいい起きっぷりに耐えきれず、思わず吹き出してしまう。

 

「あ、笑った祥子!」

「ふ、ふふ、ご、ごめん。あまりにも反応が面白くてさ。ちなみに私の手作りだ」

 

 からからと笑いながらそれとなく自分で作ったことをアピールする。二学期の初めに散々作らされたせいで身体が覚えていた。多分かなり上手く作れたはずだ。

 

 入院している人間にプリンなんてどうかと思うが、病院の食事が味気ないのは戦場も日本も同じだ。少しくらいなら問題ないだろう。

 

「日持ちしないからもう食べてくれ」

「うわぁ、ありがとう!ずっとプリン食べたかったんだー!」

 

 ファーのついたミリタリーコートを脱ぎ脇に抱え、来客用の椅子に座りながらスプーンと一緒にプリンのカップをあかりに手渡す。

 

 ついでに自分の分も取り出し早速スプーンでプリンを掬い口に運んだ。うん、舌触りも甘さも完璧だ。美味く作れている。

 

「先に食べちゃうんだ……」

 

 どこか微妙なものを見るような目で見てくる。確かにお見舞いの品なのに贈った相手よりも早く食べ始めているのだから当然と言えば当然だ。

 

「今更遠慮するような間柄でもないだろうに。あかりも早く食べたらどうだ?美味しいよ」

「じゃあ、遠慮せずに……」

 

 プリンを食べるあかりをそれとなく見ながら反応を伺う。黄色に輝くプリンにスプーンが差し込まれ口に運ばれる。程なくしてあかりの顔は笑顔に包まれた。

 

「祥子、これ美味しい!」

「ふふ、どういたしまして」

 

 あっと言う間に空になるプリンのカップ。私もその食べっぷりに釣られ自分の分を食べ尽す。私も随分と料理が上手くなったものだ。

 

「あ、もうなくなっちゃった……」

「言っておくがもうないからな。昼前に食べ過ぎるのもよくないだろうし」

 

 そう言って袖を捲り、随分と傷の増えた腕時計を見る。時刻はまだ午前十一時。これ以上何か腹に入れるのはあまりバランスが良いとは言えない。

 

「そっか、今年もあと十時間ちょっとで終わりなんだ」

 

 あの事件から六日が経過し、今日は12月の31日。街は新年を迎えるための準備で大忙し、あんなことがあっても街はいつも通り平常運転だ。私達のやっていることなんて延々と続く日常の前ではちっぽけなことなのだろう。

 

「それで、あとどれくらいで退院できるんだ?」

「先生は1月に入ったらすぐにでも退院できるだろうって言ってた。遅くても三日には退院できるんじゃないかな」

 

 一週間と少しと言ったところか。触手に生命力を吸い取られていた割にはかなり軽症だ。やはりあの戦いで触手をセーブさせていたのは正解だったようだ。もし全開で戦っていたらどうなっていたことやら。

 

「ま、君が無事ならなんでもいいさ」

「もう!少しは自分の心配もしてよね。そんな包帯塗れで言われても全然嬉しくないんだから」

 

 あかりの言葉に私は下を向いて自分の姿を眺めた。スカートから覗く左の腿には痛々しい包帯とガーゼが巻かれている。左腕も似たようなものだ。

 

 それに額は三針縫っているし足首にいたっては固定具が巻かれテーブルには松葉杖が立てかけてある。誰が見ても怪我人と答えるだろう。

 

「……ごめんね、私の復讐に巻き込んじゃって」

「いいのさ、好きでやったことだからな」

 

 行動は間違っていたし、皆にはとても酷いことをしてしまった。けれど、どれだけ考えて直してもあの時の思いは間違っていなかったと確信している。

 

「殺せんせー、何も悪くなかったね……」

 

 途端に重くるしくなる病室。壁にかけられた時計の針だけだがチクタクと音を刻み続ける。

 

 伝説の殺し屋、死神。それこそが殺せんせーの正体だった。人生の全てを殺しに捧げた半生、弟子に裏切られモルモットとしてシロ……柳沢誇太郎に弄ばれ続けた二年間。雪村あぐりとの出会い、そして別れ。

 

 簡潔に語られた過去はあまりにも悲惨で救いようのないものだった。世界はちっとも優しくない、その事実を改めて突き付けられた。

 

「馬鹿だよね私、勝手に早とちりして」

 

 姉も殺せんせーもあかりも、誰一人として悪人は居なかった。誰もが被害者だったのだ。運命というこの世の不条理に弄ばれただけの哀れな被害者。復讐する相手など何処にもいなかったのだ。

 

「そんなこと……」

 

 その事実を知ったあかりの心境は一体どれほど空虚なものだっただろうか。私には想像することすらできない。

 

「でも、祥子と渚達に会えたから全然無駄じゃなかったよ」

「あかり……」

 

 まったく、この人は本当に強いなあ。全然追いつける気がしないや。私は笑顔で私にそう言うあかりを見て、改めて自身の姉の強さを思い知った。

 

 でも、だからこそ思うことがある。

 

「なぁ、あかり」

「ん?どうしたの祥子」

 

 両手を膝の上に置いて手を顔の前で組み足元を見つめる。そして息を吐き己の今までやってきたことを顧みた。

 

 一人で戦争を仕掛け、一人で傷つき、一人で戦争を終わらせた。それもこれも全ては一つの目的のため。たった一つの願い。

 

「私はお姉ちゃんを守れたかな……」

 

 触手を手放したのはあかり自身の意思だった。あかりの姉のことに決着がついたのもどちらかと言えば殺せんせーのお陰だ。

 

 自分の行いが決して無駄だったとは思わないが、仮に私がいなかったとしても結果はそう変わらなかっただろうと思う。いや、むしろもっと良い結末を迎えていかもしれない。

 

 そう思うと何故だか酷く虚しく感じた。結果は同じだというのに。

 

「うん、祥子は私のことを守ってくれたよ」

 

 思わず顔を上げる。即答だった。薄茶色の大きな瞳に私の間抜け面が映りこむ。怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない、ただただ真剣な目だった。

 

「触手ってね、意思があるんだ。初めの頃は私の殺意のほうが強かったんだけど、時間が経つうちにどんどん触手の殺意に侵食されて、何度も乗っ取られそうになった」

 

 初めて明かされる触手の真実。己の意識を乗っ取られるとは、どれほど恐ろしいことなのだろうか。脳を直接侵されるののだ。拷問されるよりも余程辛かったのだろう。でもなった、なのか……

 

「でもね、その度に祥子が私のことを名前で呼んでくれて、私は最後まで私でいることができた」

 

 何気ない言葉が人の人生を大きく変える。私が普久間島で考えなしに聞いた本当の名前は、あかりにとってそれはそれは大きな意味を持っていたのだろう。

 

「多分、祥子がいなかったら私は完全に触手に乗っ取られてたよ。それでお姉ちゃんのことも渚達のことも忘れて、殺せんせーを殺すだけのモンスターになってたと思う……」

 

 殺すだけのモンスターと化したあかりを想像し顔を歪めた。

 

 姉を失い独りぼっちになり、誰も本当の己を知らぬまま最後には触手に生命力を奪われ襤褸切れのように死んでいく。そしてあかりはモンスターとして皆の記憶に刻まれるのだ。

 

 あまりにも報われない悲惨な光景。例え想像だったとしても悪寒が走る。でも、そうはならなかった。

 

「きっと祥子のことだから自分がいなくてもーとか思ってるんだろうけど、そんなのどうでもいいの」

 

 私の頭に手を伸ばす。そしていつものように……いや、いつもよりも優しく慈しむように撫でられる。

 

「殺せんせーも渚も絶対に私を助けてくれたと思う。現にこうして助けてくれた。だけどね、私を守ってくれたのは他の誰でもない、祥子なんだよ」

 

 ぽんぽんと頭を叩きよくやったと言わんばかりに何度も撫でる。その感触に自然と口元が緩んだ。

 

「祥子、最後まで味方でいてくれて、最後まで私を守ってくれてありがとう。大好きだよ」

 

 あかりが優しく微笑む。嘘偽りのない本当の意味の笑顔。

 

 心に温かいものが広がっていく。ずっと、こうなる日を待ち望んでいた。演技でもなく、誰かのためでもない、自分のために笑ってくれることを。

 

 そして今その光景は目の前にある。夢などではない、これは紛れもない現実だ。

 

「そうか、こんな私でも守れたんだな……」

 

 戦い続けて八年間。誰かを守ろうとしたことなんて一度もなかったし、誰かを守れたことなんて一度もなかった。

 

 けれど、私は守れたのだ。大好きな、本当に大好きな人を守ることができたのだ。

 

「違うよ。そんな祥子だから守れたんだよ」

「そっか……そうだよな!」

 

 仮定なんてどうでもいい。いい加減私も目の前の事実を受け止めよう。そう思うと、口元がどんどんと緩んでいく。

 

「えへへ…………ん?」

 

 不意に携帯電話が振動した。ポケットから取り出し画面を見る、渚からだ。どうやら杉野達と一緒に病院に来るらしい。昨日お見舞いに行くと教えていたのでこちらに連絡した次第なのだろう。

 

「誰?」

「あぁ、渚からだ。あと十五分くらいでこっちに来るって……どうしたんだ?」

 

 渚の名前を出した途端、あかりの顔が急に赤くなり出した。目をきょろきょろと泳がせ手を仕切りに揉んでいる。どうみても挙動不審だ。

 

「な、渚が来るんだぁ。そ、そっか皆お見舞いに来てくれてたもんね。そ、そりゃ渚だってくるよねぇ」

「あかり、様子が変だぞ」

 

 私の指摘に図星と言わんばかりに肩をビクリと震わせる。ここまであからさまだとわざとやっているんじゃないかと疑ってしまう。

 

「へ!?そ、そんなことないって、渚のことなんてどうでもいいし!」

「誰も渚のことなんて言ってないだろ」

 

 私が指摘した瞬間、あかりはまるで蒸気が抜けたかのような仕草でシーツに顔を埋めた。これは、いったいどういう意味なのだろうか。いや、まあ流石の私でもこれだけヒントがあればわかるけどさ……

 

「もしかして、渚のこと好きになったのか?」

「そ、そそ、そんなこと………」

 

 動揺ししどろもどろになるあかり。しばらくすると強張っていたあかりの肩から力が抜けた。それは真実を話してくれることを意味していた。

 

「はぁ、祥子に隠しても仕方ないか……」

 

 私のストレートな質問に、あかりは遂に諦めたらしく身体を起こし赤らんだ顔で降参した。どうやら本当に好きだったようだ。

 

「渚がそう言う意味で、す、好きって言ったんじゃないのはわかってるんだよ?でも、あんな目を見つめながらから真剣な声で名前を呼ばれてす、すす好きって言われて……」

 

 赤らんだ顔がもっと赤らんでいく。

 

「そんなの意識するに決まってるじゃん……」

 

 前々から二人はお似合いだとは思っていたが、まさか本当にこんな展開になるとは思ってもいなかった。

 

「それに、あんな風に本気で怒ってくれる人なんてお姉ちゃん以外いなかったから、それだけ大切に思ってくれてるんだなって考えたら……」

「好きになってしまったと?」

 

 あかりが力なく頷く。一年間殺せんせーすら騙し続けた演技の天才とはとてもじゃないが思えない有様だった。

 

 多分、あかりは復讐に走る前から孤独だったのだろう。役者の仕事は過酷だと聞く。きっとまともに学校生活など送れなかったはずだ。恐らく渚が生まれて初めての異性の親友だったのだと思われる。

 

「はぁ、今度は友達役かー」

 

 例え演技だったとしても一年を掛けて積み上げてきた二人の絆は本物だ。復讐と言う枷が外れた今、最早あかりはただの何処にでもいる年頃の女子なのだ。恋をしたって何もおかしくはない。

 

「そうか、頑張れよ」

 

 が、そんな頭の中がピンク色になっている姉を見た私の反応は、それはそれは冷淡なものだった。もう用は済んだ。何事もなかったかのように松葉杖を持ち退室の準備を始める。

 

「えっ!?い、一緒に会ってくれないの!?」

「はぁ……逆に聞くが何故私が君のフォローをしなくてはならない」

 

 色々心配していたこっちが馬鹿だった。この様子なら明日からお見舞いに行かなくてもよさそうだ。

 

 決して煙草を吸ったことに関して凄まじい説教を喰らったことに対する仕返しではない。床に正座させられて一時間説教されたことなんて私はこれっぽっちも気にしてないのだ。

 

「ちょ、さ、祥子!お願いだから待って!」

「やだ」

 

 立ち上がり病室の扉に手を掛ける。仕方ないとはいえ松葉杖だと歩き辛いな。一本だけにしたのは失敗だったかもしれない。もう一本借りるか?

 

 そうだ、まだ言うことがあった。首だけ動かしあかりを横目で見る。不意に脳裏にあの時の地獄の光景が浮かび上がった。

 

「一つだけ言っておく、人は死ぬときは本当にあっけなく死ぬぞ。後悔したくないなら自分に嘘はつかないほうがいい」

 

 遠い戦場の記憶。それだけであかりは私が何を言いたいのか察しがついたのだろう。態度を一変させて息を呑んだ。

 

「それに、姉のためにここまで頑張ったんだ。今度は君の番だよ」

 

 何にせよ、これからどうするのかはあかりの決めることだ。勿論手伝いくらいはするが、それ以上は自分でやってもらおう。

 

「バイバイお姉ちゃん、退院したら家でパーティーでも開こうよ。それじゃあね」

 

 扉を開ける。バックに聞こえるあかりの喚き声に、私はいつもの日常が戻ってきたことを改めて実感するのであった。

 

 

 

 

 

「お、臼井じゃん」

 

 エレベーターを使い病院のロビーに戻った私を出迎えたのは、なんと杉野であった。その横には渚、それに神崎と奥田。あかりと修学旅行で一緒になった面々のようだ。

 

「おはよう皆」

 

 いつものようにあいさつしながら彼等に近づくと、真っ先に奥田が私に駆け寄ってきた。背が低いのも相まってなんだか小動物みたいだ。

 

「おはようございます祥子さん」

「ああ、おはよう奥田」

「むぅ、奥田じゃなくて愛美ですよ!」

 

 両手を胸の前で握って上目遣いで不満そうに名前で呼ぶことを催促される。なんだか以前よりも私に積極的に話すようになった気がするな。

 

「そうだそうだ、ごめんな愛美。にしても君達予定よりも随分と早いな。まだ十分も経ってないぞ」

「予定よりも一本早くバスに乗れたの。それよりも、茅野さんの様子はどうだった?」

 

 神崎が心配そうにあかりのことを訊ねてくる。その問いに先ほどのくだらないやり取りを思い出し吹き出しそうになった。あれだけ元気なら彼女の心配はほぼ無用といってもいいだろう。

 

「大丈夫そうだ。元気にプリン食べてたしな」

「よかった。イトナ君も触手を抜いた時凄い衰弱してたから心配してたんだけど、それなら大丈夫そうだね」

「つうか病人にプリン食わすなよ……いや、でも卵と牛乳だから意外と栄養あるのか?」

 

 私達がそんな他愛のない会話に興じていると、渚が私の右手に持った松葉杖を見て顔をしかめた。

 

「そういうさっちゃんさんのほうはどうなの?凄い怪我だったと思うんだけど」

「ああ、あれマジでヤバかったよな。臼井空中で一回転してたんだぜ。言っとくけど横じゃなくて縦だからな」

 

 吹き飛びすぎだろ。どんだけ威力があったんだ。どうりであの時酷く気持ち悪かったわけだ。シロの奴次会ったら絶対に容赦しない。というか皆見てたのか。塹壕から顔出すなって言ってただろうに。

 

「大丈夫だ。額と腿合わせて七針縫って、それから火傷切り傷打撲、後は左足の捻挫だ。まあ冬休みが終わる頃には全部治ってるだろうな」

「うげ……お前ほんと何かあるたびにボロボロになるよな」

 

 私も本当にそう思う。戦場にいた時はここまで頻繁に大怪我なんてしなかった。大半が自業自得ではあるが、それでも運が悪いというレベルではない。

 

「心配かけて悪かった。まあ立ち話にはこれくらいにして、そろそろあかりの所に行ったらどうだ?多分待ってると思うぞ」

 

 特に渚にはな。流石にもう落ち着いているだろうし時間稼ぎもこれくらいで十分だろう。私も用があるし、そろそろ退散するべきだな。

 

「じゃあ私はこれで。また三学期にな」

「せっかくここで会ったんですから祥子さんも一緒にお見舞い行きませんか?」

 

 愛美の言葉に皆もそれが良いと言いたげに頷いている。確かにその通りではあるんだがな。私はこれから行く場所のことを考えて首を横に振った。

 

「悪いが私は行くよ。その……報告しなければならないことがあるんだ」

 

 少しだけ目を伏せる。杉野と愛美がきょとんとするなか、神崎と渚が私の言いたいことに気が付いたように表情を少しだけ暗くさせた。

 

「ん?報告なんて誰にすんだ──」

「杉野君、茅野さんも待ってるだろうしそろそろ行こう?」

「そうだね、みんな行こうか。またねさっちゃんさん」

 

 目配せする神崎と渚に私は小さく頷いて感謝の意を表した。流石に今から行く場所を堂々と皆の前で晒したくない。だから二人の気遣いはとても嬉しかった。

 

「じゃあな、また来年会おう」

 

 小さくなっていく四人の背中、カルマはいないようだが何か用事でもあったのだろうか。まあ、なんにせよ私のここでの用事も終わった。今からは私の時間だ。

 

「さて、久しぶりに会いに行くとするか……」

 

 病院を後にし歩き出す。向かう場所はただ一つ。

 

 私の両親の墓だ。

 

 

 

 

 

 

「私は相変わらずボロボロになってるよ」

 

 誰もいない墓地、空っぽの墓の前で独りごちる。この墓の前に立っている時だけ、私は臼井祥子ではなく藍井祥子になる。

 

「パパ、ママ、私はどうすればいいのかな……」

 

 考えることはただ一つ。殺せんせーのことだ。

 

 殺せんせーの身体を駆け巡る反物質、それが限界を迎えて爆発するのは来年の3月13日。奇しくも椚ヶ丘学園の卒業式と同じ日だった。

 

 殺せんせーは最後に残された一年間を雪村先生との約束を守るために使うことにした。雪村先生との約束、それは私達E組の面倒を見ること。

 

 殺せんせーは彼女との約束を守った。短い自分の命を的にすることで私達を育て上げようとしてくれている。

 

 だから、私たちが本当の意味で殺せんせーから卒業するには殺せんせーをこの手で殺すしかないのだ。

 

「ほんと、勝手な先生だよね。人の人生滅茶苦茶にしておいて……」

 

 殺せんせーの過去を知った今だからこそわかる。何故あそこまで先生が私に構ったのか。お互い死に塗れた半生だった。先生は死を信じ、私は銃を信じた。

 

 だからこそ私よりも先に気が付いた先生は、戦うだけだった私の空っぽだった両手に無理やり宝物を押しつけ、そして夢中にさせた。お陰様でもうあそこには戻ることはできない。

 

「私は……私はどうすればいいんだろうね」

 

 兵士の私はこう答えるだろう。知ったことか、殺せと。殺し屋の私はこう答えるだろう。殺すことこそが恩返しだろうと。なら藍井祥子はどう答えるのだろうか。

 

 無敵の兵士でもなく恐ろしい殺し屋でもなく、ただの齢十四の子供である私はどう答えるべきなのだろうか。いくら考えても答えは見つからなかった。

 

「パパ、ママ、教えてよ……」

 

 石に訊ねたところで答えなど帰ってくるわけもない。私の言葉はただ虚しく墓地に吸い込まれていくだけだった。

 

 しゃがみ込み墓石に刻まれた二人の名前を指で撫でる。心が軋む。記憶にないはずなのに酷く懐かしい。きっと私が思い出せない心の片隅にいる藍井祥子が泣いているのだろう。人が死ぬのはとても寂しいことだから。

 

「……いや、今の気持ちが全てか」

 

 不意にバラバラになっていた全ての線が繋がった。

 

 ゆっくりと立ち上がる。意識が明瞭になっていくのを感じる。最初から答えなど決まっていたのだ。私の今までの人生は死に塗れていた。頭の中は既に死体で一杯だ。

 

 撃って殺して、撃って殺して、いつまで同じことを繰り返せばいいんだ?いつまで同じことを繰り返すつもりだ?

 

「ふっ、これ以上死体を増やしてどうするつもりだ?」

 

 人は死ぬ。私があの地獄で学んだことだ。撃ち殺す、刺し殺す、絞め殺す、殴り殺す、焼き殺す、殺し方はいくらでもあるが結果は同じ。人は死ねばいなくなる。そして二度と会えなくなる。

 

 あのお節介なタコにも会えなくなる。

 

「死んだら全部終わりか……」

 

 戦いの夜、渚が涙ながらにあかりに告げた言葉を思い出す。

 

 殺せんせーを殺すことはどう足掻いても正しいことだ。地球の未来、殺せんせーに対する恩返し、どれをとっても十分すぎる程の理由になる。きっと殺せんせーも殺されることを望んでいるのだろう。

 

 だが──

 

「人の人生滅茶苦茶にしたんだ。自分だけ満足して死ぬなんて許さない」

 

 散々人に好き勝手に押し付けおいて自分だけは望みどおりにいくと思ったら大間違いだ。撃っていいのは撃たれる覚悟のある人間だけ。そして、人の人生を変えていいのは人生を変えられる覚悟のある奴だけ。

 

「パパ、ママ、ありがとう。お陰ですっきりしたよ」

 

 松葉杖の先を地面に叩きつけ踵を返す。もうここには用はない。私はやるべきことを見つけた。

 

 この世界はいつだって理不尽に溢れている。私はそんな抗いようのない力というものを嫌と言うほど見せつけられてきた。そして流されてきた。だからこそもう諦めたくはない。

 

「殺すことで修了できる?誰が望みどおりになんてさせてやるものか」

 

 歩き出す。さぁ、私の戦いを始めよう。

 

 

 

 

 

 私の覚悟や皆の思いなどお構いなしに時は過ぎ、暗殺教室は遂に三学期を迎えた。

 

「おはようございます!三学期もよく学び、よく殺しましょう」

 

 一月の寒空の下、殺せんせーの元気な挨拶が虚しく吸い込まれていく。そこにはいつもの笑顔と殺意はなかった。

 

「うん、おはよう……」

 

 そんな皆は重い足取りで殺せんせーの横を通り抜けていく。結局冬休みは誰一人暗殺を仕掛けなかったという。いや仕掛けられなかったのだろう。

 

 初めて気が付いた殺すことの意味。人を、自由意志を持った一人の人間をこの世から永遠に消す。今まで築き上げてきた全てを奪い取る。その重みは平和な日本で暮らしてきた皆にはあまりにも重すぎたのだろう。

 

「おはようございます臼井さん、足の怪我はもう大丈夫ですか?」

「えぇ、大丈夫です。運動も暗殺も支障はないでしょう」

 

 含みを持たせて笑い、見せつけるように左足で足踏みをする。

 

「なるほどなるほど、それはよかった」

 

 殺せんせーも同じように笑った。まったく、この人は本当にブレないなあ。だからこそ安心するし、それと同じくらい腹が立つ。

 

 この人はきっとどんな結末を迎えても笑顔でそれを受け入れるのだろう。思い残すことは何もないと、安心して逝けると。

 

 冗談じゃない。

 

「殺せんせー、いい三学期になるといいですね」

「ええ、勿論」

 

 静かな怒りと仄暗い殺意を心に抱き、私は先生を通り抜けていく。私は確かにこの人を殺す。でも殺すのは命じゃない。

 

 この人の願いだ。

 

 

 

 

 

「殺せんせーの命を助ける方法を探したいんだ」

 

 始業日の放課後、皆を集めた渚は開口一番にそう言った。勿論彼にもあてがあるわけではないのだろう。その証拠に三村が問いかけても首を横に振るだけだった。

 

 でもそうじゃない、それは重要なことではない。渚は語る。殺せんせーも同じ人間だということ、何度も失敗して後悔してここにいること、そして何よりも楽しかったこと。そんな大好きな先生に生きてもらいたいと思うのはおかしなことではない。

 

「どうなるかはわからないけど、やらないで後悔するより、やって後悔したい。そうじゃないと多分この先一生後悔すると思う」

 

 渚の剥き出しの願いに陽菜乃や片岡、杉野が頷き一人また一人と賛同者が増えていく。そんな皆の姿に渚は安堵の笑みを浮かべた。

 

「それに、人が死ぬって、凄い悲しいことだと思うから……」

 

 彼の言っていることは正しい。どんな相手だって死んでいるよりも生きているほうがいいに決まっている。それが今まで全身全霊を賭けて挑んできたことを諦めることだったとしてもだ。

 

 けれど、そうは思わない人間も確かにいるのだ。

 

「悪いが、俺は反対だ」

 

 温かくなった空気を断ち切るかのように誰かの声が響き渡る。渚達がギョッとして振り返ればとても真剣な目をした寺坂が彼を見つめていた。

 

「あーごめん、私も反対」

「な、中村さんまで……」

 

 寺坂に賛同するように反対の態度を露わにする中村。二人だけではない。吉田や狭間、村松も彼等に賛同するように頷いた。

 

「今まで全力で頑張ってきたのに、事情を知ったら可哀想だから殺さないって、そのほうが殺せんせーに失礼じゃない?」

「そ、そんなつもりで言ったんじゃ!」

 

 渚が声を荒らげて抗議するが、こればかりは彼女に同意するほかない。確かに殺せんせーの境遇は悲惨だ。だが、そうだとしても殺せんせーはそれを承知で私達を殺し屋として育て上げてきた。

 

「助けられなくて中途半端に終わったらどう責任取るの?私は殺せんせーを失望させたくない。だから悪いけどあんた達には反対」

 

 暗殺者と暗殺対象、それこそが私達と殺せんせーを繋ぐ絆に他ならない。故に本当の意味で殺せんせーから卒業するためには彼を殺すしかないのだ。

 

 それが先生との永遠の別れを意味するとしても。

 

「ど、どうして!みんな殺せんせーに生きててほしくないの!?殺せんせーのこと嫌いなの!?」

「好きとか嫌いとかそう言うのじゃないんだよ。渚君」

 

 そんな渚達のやり取りにもう一人、火種が現れた。いつもの軽薄な笑みはそのままに、一切笑っていない目で彼を睨みつける。あれは相当に怒っていると見た。

 

「君だって見てきたでしょ、あいつらが今までどれだけ頑張ってきたか。渚君と違ってみんな才能がないなりに必死こいて努力してきたんだよ。それを何?可哀想だから、好きだから殺さないって、馬鹿にしてんの?」

 

 正論だ。言い返す余地もない。恐らくこの言葉には渚への羨望も含まれているのだろう。私の目から見ても、暗殺者として一番優秀なのは渚だ。カルマとてそれをわかっているはず。だからこそ簡単に暗殺を投げ出そうとする彼が許せないのだ。

 

「…………ッ」

 

 そんなカルマの正論に渚は俯いて拳を震わせた。渚も彼の言いたいことは百も承知なのだろう。だけど、渚だって生半可な覚悟で言っているわけではないはずだ。

 

 やがて渚の拳の震えが止まった。彼が顔を上げる。その目は何処までも澄み切っていた。

 

「そう、だよね……カルマ君の言っていることは何も間違ってない。僕たちが今まで笑ってこれたのは紛れもない殺せんせーのお陰だから……中途半端に終わるくらいなら、ここで刃を磨いてきた意味がない」

 

 人を殺すということは本当に重いことなのだ。それに皆が気が付かないようにしていたのは、他ならない殺せんせーの努力あってのもの。

 

 そんな彼に賛同するような言葉に、カルマの瞳に一瞬だけ軽蔑の念が浮かぶ。

 

「へぇ、意外と物分かりいいじゃ──」

 

 だが──

 

「でも、僕が嫌なんだ」

 

 渚、これを拒否。

 

 絶句、カルマの目が見開く。言い訳するわけでもない、感情論に訴えるわけでもない。ただ、自分が嫌だというどこまでも個人的な理由による拒否。

 

「ごめんねカルマ君。でも、僕は嫌なんだ」

 

 どうるべきかは関係ない。ただ嫌だから、殺さない。建前も理由も取っ払った剥き出しの願い。

 

「いくらでも罵っていい、気に入らないなら殴ったっていい。でも、僕は嫌なんだ!」

 

 渚の瞳に迷いは一切ない。何を言われても何をされてもきっと自分の意思を曲げないだろう。それはカルマも同じに違いない。それの意味することはただ一つ。

 

 戦争だ。

 

「…………何その悟った目。喧嘩売ってんの?」

 

 カルマが渚にゆっくりと近づいていく。いつもの笑みは何処へやら、拳を握りしめ今にも殴りかかりそうな形相で渚を見下し睨みつける。

 

「話し合いで解決できないなら、そうするしかないだろうね……」

 

 殺気すら感じる真剣な瞳で渚がカルマを睨みつける。最早言葉は不要、そう言いたいのだろう。

 

「ッ!上等だよ」

 

 青と赤が睨みあう。正に一触即発。どちらかが手を出せば一気に血みどろの殴り合いが始まるだろう。

 

「お、おい、あれヤバイんじゃねえの?」

 

 皆がそんな不穏な空気に慌てる中、私はただ渚の変化に驚いていた。初めて会った時は、あそこまで自分を剥き出しにする人間ではなかった。

 

「人は本当に変わるものだな……」

 

 どうするべきかではなく、どうしたいか、殺せんせーが私に言った言葉を思い出す。渚は今、暗殺者でも誰かの操り人形でもない、潮田渚としてあそこに立っているのだ。

 

「後悔すんなよメスガキ……叩き潰してやる」

「そっちこそ、油断してたら噛み殺されるよ」

 

 宣戦布告。この瞬間、E組に明確な対立が生まれた。こうなることは予想してはいたが、まさかここまで大規模になるとは思わなかった。

 

 これからどうなるのだろうか。そう思っていたその時だった。

 

「ヌルフフフ、話は決まったようですねぇ」

 

 唐突に割り込んできた第三者の声。振り向く、案の定殺せんせーがそこには立っていた。事の張本人が現れるなよ……しかも何故か米軍の将校のような恰好をしているし。

 

「そこで一つ、先生から提案があります」

 

 皆が殺せんせーに注視する中、先生は触手に持った二つの木箱を私たちの前に置いた。それぞれ赤、青と文字が書かれた木箱。中には私達がいつも使う武器が詰め込まれていた。そしてその傍らには二色のBB弾。

 

 なんとなく、殺せんせーのやりたいことが見えてきた。

 

「暗殺で始まったクラスです。ここは一つ暗殺で決めましょう!」

 

 殺せんせーが宣言する。暗殺期限まで残り二カ月。こうして、私達の暗殺教室で暗殺を賭けた戦争が始まった。

 

 

 

 

 

 起こるべくして起こった初めてのE組の対立。私達は暗殺者らしく戦いで決着をつけることになった。

 

 ルールは簡単。殺す派と殺さない派に分かれ模擬戦闘を行い、勝ったほうの意見をクラスの総意とする。使うのはペイント弾とインクを塗りたくった対先生ナイフ。相手チームを降伏させるか全滅させるか、あるいは相手陣地の旗を奪えば勝ちとなる。

 

 恐らくこれ以上に皆が納得できる解決方法はない。話し合いで解決できないのなら、その先にあるのは実力行使だ。国と学校、規模は違えど人間のやることはそうは変わらないらしい。

 

「さぁ、選びなさい。どちらも選んでも間違いではありません。ですが、何を選ぶにしても自分を殺しては駄目ですよ」

 

 まず速水と千葉が赤を取った。つまり殺せんせーの殺害。自分達を育ててくれたのは暗殺。だからこそ暗殺から逃げない。二人はそう言った。

 

 二人を皮切りに一人、また一人と武器を取っていく。それぞれの思いを胸に、譲れない意地のためにあえて戦うことを選択する。そこに善悪はない。ただ、想いがあるだけだ。

 

「さて、ほぼ全員決まりましたね」

 

 最後にカルマと渚が武器を手に取り、ただ一人が残された。カルマを筆頭に各分野の専門家が集まった殺す派。それに対し渚を中心に集まった殺さない派。旗色は明らかに青が悪い。

 

 このまま戦えば青が圧倒的に不利だろう。だが、一つだけ不確定要素がある。

 

「後は、臼井さんだけですよ」

 

 殺せんせーに促される。唯一の不確定要素……それは私だ。己惚れるつもりはないが、私がどちらかにつけばパワーバランスは一気に変わる。

 

 後はどちらかにつくか決めるだけだ。箱の前に立ち腕を組む。皆の視線が私に突き刺さった。

 

「私が敵になる。その意味を分かっているんだろうな」

 

 私は皆に聞こえるように呟いた。

 

 確かに私の中で答えはもう決まっているに等しい。だが一つだけ問題がある。

 

 私は、強すぎるのだ。

 

「ヘリを落としたこともあるし、たった一人で基地を制圧したことだって数え切れない……」

 

 どこまでも上から目線だし、こんな発言皆を見下しているに等しい。だけど、私は強いのだ。どう足掻いても強いのだ。

 

「私はその気になれば、クラス全員を相手に立ち回ることも不可能ではないだろう」

 

 射撃、格闘、殺人、戦いのセンスは死神と呼ばれた殺せんせーを除き、ここにいる誰よりもあると自負している。

 

「祥子……」

 

 襲い掛かる理不尽を跳ね除け、誰もが死ぬような修羅場を潜り抜け、敵という敵を殺し尽し、最後には国まで墜とした。化物の異名は決して伊達ではない。

 

「関係ないよ。味方ならこき使うし、相手になるなら叩き潰す」

 

 カルマが不敵な笑みを浮かべて言い放った。私の強さを目の当たりにして、よくもまあそこまで大言を吐けるものだ。

 

 でも今はその不遜さが嬉しい。だってそれは私を仲間として見てくれているから。

 

「そうだな、今更だ。本当に、今更だ」

 

 思わず笑みを零す。いい加減自分を部外者扱いするのは止めにしよう。

 

 足を踏み出す。私の一挙手一投足に皆の視線が集まる。さて、どうしようかな。一歩、また一歩と箱に近づく。

 

「まあ、普通に考えれば殺すべきだろうな」

 

 私の言葉に渚達の表情が暗くなった。地球の未来と教師の命、秤に掛けるまでもない。皆のこれまでの努力を考えれば殺すことこそが唯一の恩返しだ。

 

 確かにそれが正しい選択なのだ。ゆっくりと箱に手を伸ばす。

 

「でもな……それがどうした!」

 

 ナイフを手に取る。

 

「もう、人殺しなんてうんざりだ」

 

 その色は、青だ。

 

 殺さない、誰が望み通りに殺してやるものか。私は先生の自己満足に付き合ってやるほどお人好しでも純粋でもないのだ。

 

「悪いがこの勝負、私達が勝たせてもらう」

 

 拳を叩きつけ、頬を吊り上げ不敵に笑う。その姿に渚達の表情が明るくなり、カルマ達がたじろいだ。

 

「さぁ、喧嘩の時間だ」

 

 精々、気の済むまで殴って殴って殴り合おうじゃないか。

 




用語解説

アレェ!?ねぇぞ?
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