【完結】銃と私、あるいは触手と暗殺   作:クリス

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書いていて思うこと、主人公がチョコ渡すとしたら相手は誰なんだろうか。


七十一時間目 未来の時間

「ははっ……まさか、生きてるうちにこんな光景を見ることになるなんてなぁ」

 

 そう言って私は空を見上げる。瞳にはパラシュートに繋がれた宇宙船が悠々とこちらに降下する光景が映っていた。

 

「祥子!早く渚達迎えにいこ!」

「え?ちょ!?」

 

 あかりが空を眺めていた私の手を繋ぎ強引に走り出す。転ばないように走りながらあの宇宙船に乗っているであろう赤髪と青髪の友人達のことを考える。一気に仲良くなりすぎだろうに。まさか卒業旅行で一緒に宇宙にまでいくほど仲良くなるなんてな。

 

「訂正するよ殺せんせー、貴方はとんでもない悪人だ」

 

 誰に言うわけでもなく呟く。なんなんだよ国際宇宙ステーションのハイジャックって。今まで散々悪人とか善人とか死ぬほど悩んでいたのに、こんなものを見せられてしまっては、悩んでいた自分が馬鹿みたいじゃないか。

 

「あぁ、もう面倒臭い! どうでもいい! 行くぞ皆!」

「どうしたのって、ちょ!? 祥子速いって!」

 

 走り出す。三年E組は暗殺教室。今日も私達は絶好調だ。

 

 

 

 

 

「愛美、何かわかったか?」

「ちょっと待ってくださいね。解読してみます」

 

 教室に集まり、律の表示する極めて難解なデータの塊を読み込む愛美に注目が集まる。

 

 年明けに始まったE組の分裂。殺す派と殺さない派で分かれた対立は、悩み、迷い、散々ぶつかり合った結果、殺さないことで決着がついた。そして、どこかの誰かのようにそうと決まれば一直線なのはE組も同じだ。

 

 そこから始まった殺せんせーの助命計画もとい、季節外れの自由研究。その集大成はまさかの国際宇宙ステーションのハイジャックだった。狙うは世界各国が研究している反物質生物の機密データ。それを手に入れるにはどうしても宇宙に行く必要があった。

 

「はぁ……ロケット乗りたかったなぁ」

 

 数日前に見たロケットの打ち上げを思い出し憂鬱な気持ちになる。もしかしたら宇宙に行っていたのは私になっていたかもしれないと思うと悔やんでも悔やみきれない。

 

「祥子、まだ言ってるし……」

「最後まで自分が乗るって駄々こねてたもんな」

 

 基地に忍び込み、律によって施設のシステムも掌握し打ち上げ間近のロケットは目と鼻の先。後は誰が乗るかを決めると言った時、皆は当然のように渚とカルマを推薦したのだが、私だけ空気を読まず最後まで自分が乗ると言い張った。結果は言わずもがなである。

 

「あーあ、ロケット乗りたかったなー宇宙行きたかったなー」

「さっちゃんさん、未練たらたら……」

「だってロケットだぞ!宇宙だぞ!」

 

 戦車も船もヘリも動かし陸海空コンプリート済みの身としては、最後に宙を経験して地球上の全ての環境を制覇したいと思うのは人として当然のこと。皆にはこのロマンが分からないのか。

 

「なあなあカルマ! 宇宙どうだった? 楽しかったか? 地球は青かったか?」

「うん?まぁ……すっげー楽しかった」

 

 私に対する優越感を隠そうともしないそれはそれは厭らしい笑み。畜生、人が羨ましがっているからっていい気になって! 本当に羨ましいなもう。

 

「あれ? 帰る時もうごめんだっ──」

「何か言った渚ー」

「……いや、なんでもない。ほんっとカルマは一年前から何も変わらないよね」

「渚も変わってないじゃん。四月から何センチ伸びたの?あ、ごめんミリの間違いか」

 

 渚の顔が一瞬凄いことになった。あの日の喧嘩を境に名前で呼び合うようになった二人。以前にも増して遠慮がなくなっている。そんな光景にようやく皆が本当の意味で一つになったことを実感する。

 

「みなさん、だいたい読み終わったので、大雑把ですが要約しますね」

 

 そうこうしているうちに愛美がデータの解読を終えたようだ。騒がしくなっていた教室が静まり返り、皆が固唾を飲んで彼女の言葉を待つ。

 

「つまりですね──」

 

 愛美が言葉を紡いでいく。それは、希望の福音だった。

 

 

 

 

 

「爆発の可能性は、高く見積もっても1パーセント未満……」

 

 1パーセント、それが殺せんせーが三月に爆発する可能性だ。ある化学式の薬品を投与した場合ではあるが、話によれば私がここに来る前に愛美がほぼ同じ成分の薬品を作ったことがあるらしい。

 

 1パーセント。そう、1パーセントだ。銃に込めた弾薬が自然発火して暴発するよりも低い確率だ。仮に暗殺ができなかったとしても、地球の爆発を心配するのは空が降ってくる心配をするくらい馬鹿げたことになる。

 

「殺せなくても、地球が爆発しないですむぞ!!」

 

 教室が喜びの爆発に飲みこまれる。誰もが手を取り合い抱き合い涙を流しながら喜びを噛みしめる。今までの一年間、雪村先生の二年間が掴み取った奇跡だった。

 

「……祥子」

「あかり?」

 

 歓声に包まれる教室。あかりが横に立つ。嬉しそうで、それでいてどこか泣きそうな顔。きっと今は亡き雪村先生のことを考えているのだろう。

 

「お姉ちゃんは……世界を救ったんだよね」

 

 一人の死神の心を救い、殺すだけだった化物から温かい人間に戻した。結果として命を落としてしまったけれど、雪村先生の死は決して無駄ではなかった。彼女は暴走した化物に殺された憐れな被害者などではない。

 

 殺せんせー、皆、私……そして世界を救った真の英雄だ。

 

「あぁ、私は君の姉のことを、心の底から誇りに思う」

 

 背筋を伸ばし脚を揃え、右手を左胸の上に置く。戦い続けた八年間、今までどれほど高位の人物を前にしても一度たりともしなかった最高位の敬礼。真の敬礼は世界を救った英雄にこそ相応しい。

 

「……ありがとう」

 

 瞳を潤ませ私に抱き着く。でも決してそれは哀しみだけではない。何故なら、哀しいだけならこんな笑顔で泣きはしない。人の死は悲しいけれど、その事実がなければここにいる皆は、私は笑顔になることはできなかった。

 

「祥子!! 殺せんせー死ななくてすんだよ!」

「ああ!! そうだな! そうだよね!」

 

 でも、そんな真面目モードもこれで終わり。手を取り合い飛び跳ね全身で喜びを示す。今からは子供のように喜ぶ時間だ。例えいつか大人になるとしても、今私達は間違いなく子供なのだから。

 

「「やったぁー!!」」

 

 

 

 

 

「綺麗な雪だ……」

 

 教室の窓から羽のように降り注ぐ雪を眺める。

 

 あの一世一代の自由研究を終えてから、色々なことが大忙しで始まった。クリスマスにお正月、私にはわからなかったが、日本の正月に行われたであろうイベント全て、文字通りマッハで楽しむ羽目になった。

 

 それで、肝心の暗殺も結局続けることになった。殺さなくても済んだけど、私達を育ててくれたのは間違いなく暗殺。だから卒業まで私達は何があっても暗殺者だ。

 

「本当に勝手な人だよ……」

 

 で、散々私達を付き合わせておいてやるだけやって自分は満足したら今度は受験の課題を叩きつける。相変わらずやることが滅茶苦茶で、それでいてとても楽しい。

 

 でも……

 

「おや?臼井さんは帰らないのですか?」

 

 声がして振り返る。いつものようにゴムボールのような顔に子供の落書きのような目と口を張り付けた殺せんせーが優しく私を見つめていた。

 

「少し雪を眺めたくて。綺麗ですよね」

 

 雪など山岳地帯で腐るほど見たが、あそこの雪は今見ているような優しい降り方などしてなかった。だから雪は好きじゃなかったが、この国の雪なら好きになれるかもしれない。

 

「今年は冷えましたからねぇ、お陰で水分量も少なくさらさらとした綺麗な雪になったのでしょう」

「サラサラ……その辺の雪掬ってシロップ掛けたら美味しいだろうだなあ」

 

 勿論身体に悪いのでやらないが。そんなことを考えていると、横から何かを差し出された。ガラスの器に盛りつけられた雪のような氷の粒の上に、お茶と同じ香りのするシロップと小豆のペーストに白玉。これは……

 

「臼井さんの言葉で南極の氷を冷凍庫に仕舞っていたのを思い出しまして。宇治金時を作ってみました。一緒に食べませんか?」

「あ、ありがとうございます……」

 

 なんで南極の氷が冷凍庫に仕舞ってあるのかは突っ込まないでおこう。一々反応していたら身が持たない。手渡された器を眺める。とても綺麗だ。多分かき氷の一種なのだろうが、こんなものもあるのだな。

 

「身体が冷えるといけないのでお茶もどうぞ」

「どうも、じゃあ頂きます……」

 

 スプーンを使ってかき氷を食べる。八月の夏祭りに食べたかき氷とはまるで違う、雪のようにふわふわで、冷たいのにとても優しい味。

 

「美味しい……」

「それはよかった。マッハで削った甲斐があります。では先生も……冷たッ!!?」

 

 いつものように意味不明なリアクションをする先生を無視しかき氷を食べ続ける。こうして、先生と何かを食べられるのも後少し。どんな結果になろうとも、3月になったら私達はこの人から卒業しなければならない。

 

「先生」

「にゅや?」

「貴方は、私達が卒業したらどうするんですか?」

 

 マッハでイベントをこなし皆に暗殺されながら、それでも笑顔で全力で目の前のことを楽しむ殺せんせーに私は少しだけ不安を感じた。マッハ20、とても凄い速さだ。何処に行くのも何をするのも一瞬だ。楽しいことも、苦しいことも一瞬で終わらせられる。

 

 でも、私にはそんな先生の姿がどこか生き急いでいるように見えてならなかった。まるで今までの人生でできなかったこと一年で全て叶えるかのような、燃えるような生き様。

 

「そうですねぇ、船でのんびり世界一周でもしますかね」

 

 修学旅行程度で馬鹿みたいな分厚さの栞を作る人とは思えない。あまりにも適当な答え。殺せんせーらしくない答え。私の心の中にある違和感は大きくなっていく。そんな心を紛らわすようにかき氷を食べすすめる。

 

「うっかり地球を滅ぼす心配もなくなったので、やっと心置きなく自分の時間に集中できますよ」

 

 1パーセントという言葉が頭を過った。爆発する確率は1パーセント、地球を滅ぼす確率はたったそれだけ。皆は手を取り合って喜んだ。私もあの時はそう思った。やった、これで先生は死なずにすむと。

 

 けれど私は知っている。この世界がどれだけ理不尽で抗いようのない出来事に満ちているかを。

 

「そう、ですか……」

 

 敵になるかもしれない、たったそれだけの理由で命を狙われたことがあった。私に敵対する意思なんてなかった。けれど向こうはかもしれないという理由だけで十分だったのだ。

 

 なら地球を滅ぼすかもしれなかったら? 自分の国で暴れるかもしれなかったら? そんな存在を国が、世界が見逃すだろうか。否、そんなことは決してありえない。1パーセントしかない? 違う、1パーセントもあるのだ。

 

 断言しよう。世界は絶対に殺せんせーを諦めない。

 

「臼井さん、どんなものにも別れは必ずやって来ます。君の過去のように、この教室のように、そして私からも別れる時は来る」

 

 まるで私の心を見透かしたかのような言葉。この人にかかれば人の考えていることなど顔を見ればすぐにわかるのだろう。けどその返事はまるで自分の終わりを悟ったかのような、優しいものだった。

 

「私はね、臼井さん達の思い出の中にいられれば、それだけで幸せなんですよ」

 

 俯き拳を握る。横で冷たい冷たいと言いながら素知らぬ顔でかき氷を頬張る先生の顔はきっと、とても満ち足りた表情をしているのだろう。何も思い残すことはないと、そう思っているに違いない。

 

「先生、私はやっぱり貴方のこと大嫌いです」

「にゅやッ!? こ、ここにきて衝撃のカミングアウト!?」

「ま、半分嘘ですけど」

「ほっ、よかった……って半分!? 半分は嫌いなんですか!?」

 

 嫌いにならないで、と冗談か本気かわからない態度で足元に縋りつく殺せんせーをナイフで振り払う。

 

 セコくてエロくて、でもとても優しくて面白い殺せんせーのことは大好きだ。けれど、やっと自分の人生が始まったばかりなのに、たった一年で満足して死のうとする名前も知らないどこかの殺し屋は大嫌いだ。

 

「なんでもします! なんでもしますからぁ! お願いだから嫌いにならないでぇー!!」

「わかったから! わかりましたから! 大好きだから絡みつかないでください!! うわっ、なんか服にかかった!?」

 

 時は過ぎていく。辛かった時間も楽しかった時間も平等に過ぎ去っていく。何があっても受け入れて前に進むしかない。それが私達の覚悟。

 

 殺せんせーの暗殺期限まで残り38日。

 

 

 

 

 

「祥子は高校どこにするんだっけ?」

 

 二月、受験も控えた大事な季節。私の家であかりがいつものようにこたつに包まってそう訊ねた。顔は真剣だがこたつに肩まで包まっていては威厳もへったくれもありはしない。が、かくいう私もこたつに包まっているわけなので人のことは言えない。

 

「ああ、私立の成渓高校だ」

 

 あの12月の死闘を経てからと言うものの、あかりは以前にも増して私の家に入り浸るようになった。私物もぐっと増え最早どっちの家に住んでいるのかわからなくなるほどである。

 

「え、それって私の志望校じゃん……」

 

 目を見開いて驚くあかり。そこまで驚くことのようなものでもないと思うのだがな。でも確かに一言も同じ高校に行くなんて言っていなかった。多分殺せんせーに言ったことであかりにも言ったと思い込んでいたのだろう。

 

「そう言えば言ってなかったっけ」

「うん、でも意外。祥子ならもっと上の高校目指せるでしょ」

「だろうな。殺せんせーにも同じことを言われたよ」

 

 殺せんせーはどうやら私を国立大学にまで行かせるつもりらしく、五教科に関しては既に高校生レベル、数学にいたっては大学生レベルまで教えている。お陰で高校では勉強に困らないだろう。

 

「そっか、もうそんな時期か……」

 

 あかりがしみじみと呟いた。そう、もうそんな時期なのだ。卒業まで残り一月ほど、楽しかったあの旧校舎にも別れを告げて新しい道を歩まなければならない。

 

「渚達ともお別れだね……」

 

 全てのことには終わりがやって来る。今この瞬間を生きているだけだった昔の私なら考えもしなかったこと。カルマと渚とも、陽菜乃、凛香、桃花とも、愛美中村不破神崎……みんなとも別れの時が一歩ずつ確実に近づいてきている。

 

 でも……

 

「別れじゃないさ、ただ別の道を歩くだけだ。いつでも会える。だって生きているんだから」

「強がっちゃって、ほんとは寂しいくせに」

「ははっ、ばれたか……」

 

 あかりに図星を突かれ頭を掻く。頭の中にはこれから始まるだろう未来への昂揚感と、訪れるであろう別れへの恐怖にも似た寂しさが渦巻いていた。

 

「そりゃ、生まれて初めてできた友達なんだ。別れたくないに決まっているじゃないか」

 

 あの教室は今まで私が失ったものを全て与えてくれた。文字通り全てだ。戦って殺して死ぬだけだった冷たい殺人マシーンを、銃を撃つだけだった化物を、心ある温かい人間に戻してくれた。だからこそその絆が離れていくことはどんな拷問よりも辛い。

 

「でもずっと同じ場所で足踏みするだけなのはもっと嫌だ。それじゃあ昔と何も変わらない」

 

 それは依存する対象が銃から友達に変わっただけだ。そんな生き方は先生や皆、なによりも私の望む生き方ではない。後ろを向いては前には進めないのだ。

 

「ま、どんなに強がったって寂しいものは寂しいんだけどね。ははっ……はぁ」

 

 溜息を吐きこたつの台に突っ伏す。あかりは何も言わず黙って私の話を聞いてくれた。こうやって弱音を吐ける人が隣にいてくれて私は本当に幸せだ。

 

「そっか……ねぇ祥子、ちょっとお願いがあるんだけど」

 

 お願いとはいったいなんだろうか。顔を上げて言葉の続きを催促する。そんな私を見て口を開くあかり。その言葉は私の予想を超えたものだった。

 

「四月になったらさ、祥子の家のお世話になってもいいかな?」

「え……?」

 

 突っ伏していた身体を上げる。この眼は嘘を言っている目ではない。どこか恥ずかしそうにそれでいて期待に満ちた眼差しで、私に頼んできていた。

 

「前に言ってくれたでしょ? ルームシェアしないかって」

「ああ、そう言えば言ってたな……」

 

 あの時はすぐ後にあかりが隠していた触手を見せたせいでそんなこと頭から吹っ飛んでいたが、今言われたことでそのことをはっきりと思い出した。

 

「勿論大歓迎だけど、どうして急に?」

 

 その言葉に寂しそうに目を伏せるあかり。それを見れば彼女がどう思っているかは簡単にわかった。だって私も同じ目をしていたから。

 

「私も祥子と同じだよ。寂しく、なっちゃったんだ。家に帰っても誰もいないのが。おかしいよね、一人暮らしなんてずっと前からしてたのにさ……」

「おかしくなんてないさ……」

 

 渚やみんなは家に帰れば家族が待っている。自分で灯りを点ける必要もないし、夕飯だって用意されているだろう。でも私達には帰りを待ってくれる人はいない。ご飯を用意してくれる人なんていない。

 

 今まではそれが当たり前だったけど、あかりも私もこの一年で誰かと一緒にいることの暖かさを知ってしまった。もう昔の冷たい生活に戻ることはできない。人間の欲というのは本当に際限がないものだ。

 

「ああ、そうだ」

 

 良いことを思いついた。こたつから抜け出し自室の机の中を漁る。しばらく漁って目当てをものを手に入れ私はリビングに戻った。

 

「あかり、キャッチ」

「あ、うん」

 

 手の中にある銀色に光るそれをあかりに投げ渡す。流石に気が早い気もするが、今渡しても後で渡しても同じようなものだ。

 

「これって……」

 

 あかりがキャッチしたそれを眺める。それは鍵だった。どこの鍵かは答える必要もないだろう。

 

「今日からこの家はあかりの家だ……おかえり、お姉ちゃん!」

 

 あかりの目がどんどんと見開いていく。最初は驚きに、そして徐々に喜びに変わっていく。顔は笑顔になり私もそれにつられて笑顔になる。

 

「ただいま! 祥子!」

「……ああ」

 

 おかえりとただいま。たった二言のやり取りだと言うのに、何故だか急目の前がぼやけてきて天井を見上げた。温かい水滴が頬を伝い顎から零れフローリングにカーペットに染みを作る。

 

「祥子?」

 

 ずっと昔に置き去りにしてしまった私の感情が蘇っていく。嬉しいはずなのに、涙で天井がぼやけて見えない。

 

「あぁ、畜生……」

 

 ただいまなんて、誰にも言われたことなんてなかった。あそこには帰るべき家なんてなかった。待ってくれる人なんていなかった。でも、今は違う。私には帰るべき家がある。帰りを待つ人がいる。待ってくれる人がいる。

 

「泣いてるの?」

「別に……いや、隠しても仕方がないか……」

 

 いつものように隠そうとして踏みとどまる。もう一人で耐える必要なんてない。嬉しいなら嬉しいと言っていい。

 

「たった四文字の言葉なのに、どうしてかなあ……心が温かくて仕方がないんだ」

 

 心が満足感で満たされる。それはまるでずっと欠けたままだったパズルのピースがはまるような、そんな満足感。心が熱くて仕方がない。嬉しくて嬉しくて、ただ嬉しい。

 

「ずっと、誰かにただいまって、言ってほしかったんだ。おかえりって言いたかったんだ……」

 

 何度両手で涙を拭っても、何度泣く必要なんてどこにもないと言い聞かせても、この両目から溢れ出る涙は止まらない。大切な恩師と大好きな友達に囲まれても拭いきれなかった孤独感が流れ落ちるように消えていく。

 

「祥子、こっちおいで」

 

 見かねたあかりが私を手招きする。私はまるで誘蛾灯に誘われる虫のようにふらふらと彼女の許に近づき膝をつく。そしていつものように、私の頭を優しく抱きしめた。とても優しく抱きしめた。

 

 この日、私に家族が一人増えた。

 

 

 

 

 

「ねぇ祥子」

 

 しばらく泣き続けようやく涙が治まりこたつでくつろいでいると、あかりは意を決したように私を見つめた。

 

「あの部屋、片づけよっか」

 

 その言葉と共に背後のもう一つの部屋に続く扉を眺めた。武器庫と化した部屋、私の人生の象徴と言うべき銃達の眠る場所。

 

「そう、だな……」

 

 片づける。その言葉の意味を心で噛みしめる。いつか捨てると約束してはいた。遠い先のことだと思って現実感がなかったけれど、今やっとその言葉の意味を理解した。理解、してしまった。

 

「捨てるのか……」

 

 銃を撃ったのは5歳。臼井祥子としての記憶が始まったのも5歳。つまり、銃は私にとって人生の半分、己のアイデンティティに等しい存在だった。

 

「どうしたの?」

「……怖いんだ」

 

 こたつの上において両手を握りしめる。強く握った指が白くなり微かに震える。

 

 ずっと前からしていた約束なのに、急に目の前が真っ暗になるような気がした。当然そんなものは錯覚にすぎない。けれど、一度これから先に起こることを理解してしまうと怖くて怖くてしかたがなかった。

 

「怖いよ、あかり……」

 

 銃を捨てるということは、銃を持っていないということ。持たないのではなく、持っていない。そんなこと今まで絶対にありえないことだった。想像ができない。銃を持っていない私を想像できない。

 

「銃を捨てたら、私は……私はどうなってしまうんだ? わからない、怖いよ……」

 

 目を固く瞑り両手を重ね合わせるように握りしめる。手の震えは止まらない。

 

「何も変わらない。祥子は祥子だよ」

 

 不意に手の震えが止まった。目を開ければあかりが私の手を優しく、けれど力強く握っていた。

 

「ごめんね、急にこんなこと言っちゃって。でも、大事なことだから」

「……うん」

 

 諭すように優しく手を撫でられる。強張っていた私の手から徐々に力が抜けていく。それと同時に私の恐怖も少しづつ消えていく。

 

「受験が終わったら、あの部屋片づけよう? 大丈夫、私が隣にいるから。だから、大丈夫だよ」

「……ありがとう」

 

 ゆっくりと息を吐きながら頷く。遂に、変わる時がやってきた。今までの人生の清算をする時がやってきた。

 

 

 

 

 

「随分と、綺麗になったものだな」

 

 すっかりと綺麗になった空き部屋を眺めて私は呟いた。ベッド、タンス、クローゼット。見た目は以前と何も変わらないけれど、この部屋には前にあった重みが消えていた。

 

「もう、ないのか……」

 

 しゃがみ込みフローリングの一部を剥がす。ここには以前弾薬と爆薬をしまっていた。練習用のフランジブル弾から9.5ミリの鋼板を貫徹する軍用徹甲弾まで。何千発もの銃弾がこのスペースには収納されていたのだ。だけどもうない。ここは最早ただの空間だ。

 

「ここも、ない……」

 

 タンスの引き出しを開ける。あったはずの軽機関銃が跡形もなく消えていた。クローゼットを開ける。立てかけていたはずの狙撃銃もなくなっていた。それだけではない、散弾銃も拳銃も自動小銃も、人を殺すための武器は全てなくなっていた。

 

「本当に、綺麗さっぱり空っぽになったなあ」

 

 あの日から十日経過した。既に私立校の受験は終わり合格者も発表された。私とあかりは問題なく合格。他の皆もだいたいは自分の望み通りの道に進めている。渚は残念ながら補欠合格だったらしいが、殺せんせー曰くそこまで心配しなくてもいいそうだ。

 

 まあ、どちらにせよ2月末までには全員のこれからの道が決まる。私も暗殺者でも兵士でもない人生を歩む時が近づいてきた。そしてそれは銃を捨てることを意味していた。

 

「残ったのは、これだけか」

 

 ベッドの上に放置していたAR-15を手に取り、抱きかかえながら座り込む。この家にあった装備は非殺傷のものを除いて全て片づけられた。

 

 手榴弾の入った箱を運ぶときにあかりが顔を青くしていたのを思い出す。今頃居間ではあかりと一緒に殺せんせーが手榴弾を美味そうに食べている頃だろう。

 

 結局ロヴロに紹介してもらった業者には売らなかった。誰かが私の銃で人を殺すのは私には関係なかったとしても嫌だったからだ。

 

「ここまで、長かったなあ」

 

 銃を抱き締める。この銃は私が一番長く使っている銃だ。金と時間を惜しげもなく注ぎこみ、私用に作り上げた珠玉の一挺。いわば私の今までの人生の象徴。

 

 薬の副作用で幻覚に苦しんでいた時も、悪夢でのたうちまわっていた時もこの銃は隣にいてくれた。

 

「敵に奪われた時も、死ぬ気で取り返したよなあ。あの時は何発撃たれたっけ……」

 

 傷だらけの機関部を撫でる。この傷一つ一つに私の今までの戦いの記憶が刻み付けられているのだ。ソマリア、シリア、イラク、アフガニスタン、メキシコ……暗殺教室の短い一年間ではない。人生の全てと言っていいほどだった戦いの記録。

 

「殺せんせー、銃全部食べ終わったって」

 

 開けっ放しだった扉からあかりが入ってきた。彼女には今日一日本当に世話になった。鍛えているお陰で力はついているが、何キロもある武器弾薬を運び出すのは重労働だっただろう。後で何かお礼をしなければな。

 

「……そうか、もう本当にないんだな」

「うん、あとはそれだけ」

 

 握ったAR-15をもう一度抱きしめた。その姿に心配そうに私を見つめるあかり。捨てなければいけない。そんな私の意思に反して、私の身体はまるで拒否するかのように銃を更に強く抱き寄せた。

 

「祥子」

「わかっている……手放すのはわかっている。でも、少しだけこうさせてくれ……」

 

 銃に顔を擦りつける。鉄とグリスの匂い。兵士だった私の最後の残り香。これを捨てれば私は本当意味で兵士ではなくなる。本当の意味でただの子供になる。

 

「にゅや、二人ともどうしたんですか?」

「あ、殺せんせー……」

 

 二人が部屋に入って来る。あかりと殺せんせーの間から見える居間には、先ほどまであったはずの大量の銃火器がなくなっていた。本当に、なくなってしまったんだな。

 

 つまり後はこれだけ。ゆっくりと銃を握りしめたまま立ち上がり二人の前に立つ。これを殺せんせーに手渡せばそれで終わりなのに、手が動かない。

 

「臼井さん……」

 

 何かを察した殺せんせーが黙って私を見守ってくれた。その気遣いが嬉しい。だからだろう。気が付けば自然を口が動いていた。

 

「これは、本当にいい銃なんだ。見た目は米軍のMk12にそっくりだけど、中身はもっといい。バレルは18インチのブルバレルを十本用意して、その中から一番いい物を選んだ。精度は0.5MOA。77グレインのハンドロード弾を使えば、300ヤード先の卵だって撃ち抜ける」

 

 銃のスペックを語るたびに、今までの戦いの記憶が鮮明に蘇っていく。血と汗に塗れた私の闘争の記憶。私の生きてきた証。

 

「ボルトキャリアーは摩耗に強いニッケルボロンコーティング済み。何百発撃ったってジャム一つ起こさなかった。引金は2ステージ、トリガープルは暴発する限界まで軽くして羽のように軽く、研ぎたての剃刀のようにキレがいい」

 

 銃を握りしめ、天を向いた銃口が震える。例え地獄のような体験だったとしても、私はあの戦場で必死に生きてきた。血を吐いて涙を流して、楽しいことなんて一度もなかったけど、それでも頑張って生き続けてきた。

 

「ハンドガードはフリーフロートのカーボンハンドガード。ストックは無段階調整可能なチークパッド付き。グリップは自作で私の指の形に合わせている。しかも底にモノポッドが付いているからやろうと思えば50ヤードワンホールショットだってできたんだ……」

 

 パーツをつぎ足すように買いもう原型は残っていないけれど、この銃で何年も戦ってきた。これさえあれば私は負けないと信じていた。いわば心のよりどころ。

 

「手を入れていない箇所は一つもない。本当に最高の銃で、私の最高の相棒だった。でも、もう捨てなきゃいけない。捨てなきゃ前に進めない……前に進めないのは、嫌だ」

 

 だから、私は銃を手放す。いい加減、後ろばかり振り向いていては進めるものも進めない。せっかく殺せんせーやあかりが手を引っ張ってくれているのに、肝心の私が足踏みしていては示しがつかない。

 

「だから……お願いします」

 

 下を向いて銃を差し出す。何もなかった昔なら、勇気がなかった昔ならきっと捨てることはできなった。だけどもう大丈夫。銃がなくても私は歩ける。そのための勉強は先生とみんなが教えてくれた。

 

「……わかりました。少し、待っていてください」

「あっ」

 

 両手から重みが消える。思わず声を上げてしまった。前を見れば私の手の中から銃がなくなり、目の前に立っていた殺せんせーはどこかに消えていた。今いるのは黙って私を見守ってくれていたあかりだけ。

 

 銃を持っていた両手を何度も握る。いくら握っても手は空気を掴むだけ。私という名の自意識が生まれてからずっと共にあった冷たい鉄の重みはもうなかった。

 

「祥子……よく、頑張ったね」

 

 近づいて私の頭を撫でる。撫でるたびに頭の中で渦巻いていた戦いの記憶が霧散していく。もうあそこにはいかない。どんな過去があったとしても、私はここで生きていく。それが殺せんせーと、何よりも自分自身と交わした約束だ。

 

「……うん、ありがと」

「お待たせしました」

 

 風切り音、いつの間にか殺せんせーが戻ってきていた。その先生の触手にはもう銃はない。けれど、代わりにチェーンに繋がれた細長い小さな金属のプレートを持っていた。

 

「臼井さん、どうぞ」

 

 差し出されたそれを受け取る。なんの変哲もないドッグタグを細長くしたような金属のプレート。けれど、凝った花柄の彫刻が施されそれが光を反射してとても綺麗だった。

 

「殺せんせー、これネックレスだよね。すごい綺麗……」

 

 私の手元を覗いたあかりが呟いた。ネックレス、確かに繋がれたチェーンは首から下げればプレートがちょうど胸元にくる長さだ。装飾品は詳しく知らないが皆とショッピングモールに行った時にこんなネックレスが売っていた記憶がある。

 

「先生、これは?」

「君の銃を溶かしてネックレスにしてみました」

 

 彫刻の施されたプレートを握りしめる。冷たい、慣れ親しんだ私の銃と同じ肌触りだ。それだけで姿かたちは変わっても私の銃だというのが理解できた。これは確かに私の銃だ。唖然とするなか、殺せんせーはいつものように優しく私に語り出した。

 

「臼井さん、過去を捨てるのと、乗り越えるのは違います。捨てる必要なんてないんですよ。ただ思い出という棚にしまうだけ。ふとした時に棚から出してあの時は苦労したなと思い出してあげればそれでいいんです」

 

 触手で私の首にネックレスをかけ頭を撫でた。忘れるわけでも、捨てるわけでもない。ただ思い出にしまうだけ、その言葉を噛みしめると不思議と今までの葛藤が嘘のように消えていく。

 

「善も悪もない。ただ生きるために全力で戦った君がいたということを、どうか忘れないでいてあげてください」

 

 前を見る。首から感じる金属の冷たい重みが私の心に前に進む勇気を与えてくれた。これから何があってもきっと私なら大丈夫、そんな自信が沸き起こって来る。

 

「はい!」

「ヌルフフフ! よろしい、実に良い返事だ。では、用事もすんだことなので私はこれで」

「ありがとう殺せんせー!」

 

 あかりが私に代わるようにお礼を言う。この二人には今まで本当にお世話になった。二人がいなければ私は今も銃を捨てることはできなっただろう。本当に感謝してもしきれない。

 

「いえいえ、このお礼は甘い物か何かでお願いしますよぉ」

「えぇ……そこは普通礼なんていらないって言うとこじゃないの?」

 

 普段通りの楽しいやり取りをしながら玄関に向かう。後で烏間先生に銃を捨てたことを報告しないとな。流石に驚くだろうけど。

 

「ヌルフフフ、貰える物はゴミでも貰うのが先生ですから。そう言えば、甘い物と言えばもうすぐバレンタインデーですが、お二人は誰に渡すか決めましたか? 特に茅野さんは」

「な、なんで私!? べ、別にまだ誰に渡すとか決めてないし!!」

 

 この笑い方は知っている。下世話な話題になると決まってこんな顔になる。良い先生だと思うけど、こういう時は素直にうざい。

 

 それにしてもバレンタインデー? 二人が何を話しているのかわからない。あかりが妙に動揺しているようだ。この反応は渚の話題になるとする反応と同じ類いのものだ。つまり、そういうことなのだろう。

 

「隠さなくていいんですよぉ。渚く──」

「ああもう! いいから帰って!!」

「にゅやぁ!?」

 

 顔を真っ赤にしたあかりが服の下に隠しいたらしい対先生ナイフを振り回し先生を追い払った。さっきまで良い雰囲気だったのに下世話な殺せんせーせいで台無しになってしまった気がしてならない。

 

「はぁ、もう信じらんない!」

「あははは、あかりも渚のことになると私に負けず劣らずポンコツになるなあ」

「ちょっとー、なに笑ってるのよ!」

 

 私の態度に顔を真っ赤にするあかりに耐えきれず更に笑う。どこまでもくだらなく、そしてどこまでも尊いやり取り。私がやっと手に入れた幸せの形。過去があるからこそ今こうして幸せを噛みしめることができる。

 

「あはははは!」

 

 こうして、一日、また一日と時は過ぎていく。終わりの時は近づいてくる。きっと私の想像もしない出来事がこの先待ち受けていることだろう。何があわるかはわからない。だけど、何があっても後悔だけはしたくない。

 

 もう、諦めるのはうんざりだ。

 

 

 殺せんせーの暗殺期限まで、残り──

 




用語解説

ロブロに紹介してもらった~
番外編殺し屋の時間参照

ブルバレル
別名ヘビーバレル。分厚くて重いので発砲時の振動と反動による精度の低下が少ない。

MOA
銃の命中精度を表す単語。0.5MOAなら91mで直径1.25cmの円に弾が着弾する。基本的に狙撃銃は1MOA以下の命中精度が必要とされる。

2ステージトリガー
撃発まで二段階の引き代がある引金。予め力を籠めておくことができるので撃とうと思った時にすぐ撃てて当てやすい

ワンホールショット
一発目の弾痕に二発目の弾を当てること。正に針の穴を通すが如し。

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