【完結】銃と私、あるいは触手と暗殺   作:クリス

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七十四時間目 卒業の時間

 走る。ただ走る。慣れしたしたんだ裏山の慣れ親しんだ山道。毎日のように歩いた一本道をただ走り続ける。生徒としてこの道を登るのも今日で最後。噛みしめるように一歩一歩土を踏みしめる。

 

「あれか……」

 

 やがて視界の先に光の壁が現れた。八角形の半透明な光のタイルを幾千幾万も積み上げた壁とでも言えばいいのだろうか。非常に非現実的な光景だった。

 

「近くで見ると随分と大きいんだな」

 

 走るのをやめゆっくりと近づく。やがてバリアは目と鼻の先にまで近づいた。その光の壁の向こう側には懐かしい旧校舎。ごく最近まで毎日のように通っていたのに、まるでとても懐かしく感じた。

 

「殺せんせーいないね。校庭かな」

「だろうな。早く行こう」

 

 共に頷きバリアに手を伸ばすと指先が光に触れそのまま貫通した。感触はない。ホログラムか何かに手を突っ込んでいるような気分だ。目の前に明確に壁があるのに触れられないというのは気味が悪い。

 

「四の五の言っても仕方がないか」

 

 意を決して歩き出す。想像通りなんの抵抗もなく身体はバリアを通り抜け慣れ親しんだ旧校舎の敷地内に入っていった。私の後を追うようにあかりもバリアを通り抜けてくる。そういえばあかりは大丈夫なのだろうか。

 

「祥子?」

「……身体はなんともないか?」

「別に何もないけど、どうしたの?」

「いや、それならいいんだ」

 

 どういう仕組みかは知らないが、このバリアとレーザーは触手にのみ反応するらしい。以前触手持ちだったあかりにも影響がないか心配だったが要らぬ心配だったようだ。

 

「それよりも早く行こ! みんな待ってるよ」

「ああ、わかった」

 

 再び走り出す。玄関から校舎に入りそのまま校庭に一直線。校庭の真ん中で皆に囲まれている黄色い頭に向かって走り続ける。

 

「「殺せんせー!!」」

 

 声を張り上げ手を振りながら近づく。皆を何やら話をしていた先生の肩がびくりと震えこちらに向き直った。

 

 長く感じた距離はあっという間に縮まっていく。駆け寄る時間すら惜しく、全力で走りずっと会いたかった先生へと距離を詰める。

 

「……先生!」

 

 そして遂に辿り着く。目と鼻の先にいる殺せんせーのことを呼ぶと先生はそれはそれは嬉しそうに顔をほころばせた。

 

「臼井さん、それに茅野さんも……」

 

 この人はいつも笑ってるけれど、今目の前にいる先生は今まで見たどんな先生よりも嬉しそうに笑っていた。それが嬉しくて私達も同じように顔が笑顔になっていく。

 

「二人とも、ここまでよく頑張りましたね」

 

 黄色い触手が伸びて私達の頭を撫でる。いつも通りのはずなのに、この一週間のことを考えると嬉しくてしかたがなかった。本当に頑張ってよかった。そう思わずにはいられない。

 

「ここから見てましたよ臼井さん、慣れない空の旅はさぞ大変だったでしょう」

「ぶっつけ本番でしたけど、なんとかなりました。夜景が凄く綺麗でしたよ」

 

 ほんの少し前の空の旅を思い出す。あれほどの体験はそう簡単にはできないだろう。ロケットに乗れなかったのは今でも残念に思うが、代わりにこんな体験ができたのだから良しとしよう。

 

「……空の旅? 夜景?」

 

 勿論、そんな不穏な単語を聞けば隣にいるあかりが黙っていない。ウィングスーツで地表すれすれを滑空してきたなんて言ったらどんな顔をするのだろうか。正直ホウジョウと戦った時よりもそっちのほうが怖い。

 

「あー、それは後で話すから笑顔で睨むのは止めてくれあかり……」

「茅野さん、あまり臼井さんを叱らないであげてください。ここに来るために頑張ってくれたのですから」

「……わかった。でも後で絶対話聞くからね」

 

 これは説教確定だな……。しかし叱られるのも心配されるのも命あってのことだ。ここは誰一人欠けることなく登校できたことを喜んでおこう。今はそれよりも大事なことがある。

 

「殺せんせー、もうどうにもならないの?」

 

 私の考えていることを代弁するかのようにあかりが空を見上げながら訊ねた。同じように空を見ればレーザーの溢れんばかりの光が私達の真上で輝いていた。もういつ発射されてもおかしくない。

 

「えぇ、今回ばかりは本当にお手上げです。見事と言うほかない」

「そんな……」

 

 いったいいつから準備していたのだろうか。半年前か、一年前か、それとも殺せんせーが殺せんせーになるもっと前からか。真相はわからないが、一つ言えることは今のところ殺せんせーの死は確定事項ということ。

 

「先生、本当に駄目なの? 私達なんでもやるよ!」

「陽菜ちゃんの言う通りだよ! やっぱり納得できない!」 

 

 私達が来る前にも同じようなやり取りがあったのだろう。陽菜乃と桃花が我慢できないと言いたげに叫ぶ。みんな同じ気持ちなのだろう。拳を握りしめ悔しさに打ち震えている。

 

「こいつらの言う通りだ! おいタコ! てめぇはそれでいいのかよ! 死んじまったら全部終わりなんだぞ!」

 

 死んでしまえば全部終わり。彼の言う通りだ。死んだらただの肉の塊だ。もう何も干渉はできない。好きになることはおろか嫌いになることすらできなくなる。死ぬということはそれだけ重いことなのだ。

 

「どっかの馬鹿みてえに死んでもいいとか思ってんのか!? ふざけんじゃねえぞ! てめぇが死んだら泣く奴が大勢いんだよ! おい臼井、てめぇもなんか言えよ!」

 

 どっかの馬鹿……まあ私だろうな。彼が私をどう思っているのかよくわかった。まあそれはいい。寺坂の言葉を繋ぐように殺せんせーに向かって一歩前に出る。先生の瞳が私を射抜く。

 

 いつもの通りの優し気な瞳。でも、その目はどこか自分の運命を悟ったような、そんな目をしていた。今まで何度もこんな目を見てきた。こういう目をする人間は決まって死んでいく。

 

「先生は、本当にこれでいいんですか?」

「はい、とても満足してますよ。本当に最高の一年だった」

 

 この人ならなんとなくこう言うだろうとわかっていた。先生はいつもそうだ。要らないと言ってるのに勝手に押し付けて夢中にさせて、返せる見込みなんてまるでないのに恩だけが膨れ上がっていく。

 

「今までの人生の中でこれほど輝いていた一年はありませんでした。それもこれも全て皆さんのお蔭です」

 

 そしてやるだけやって満足したら楽しかったと去って行く。置いていかれた人の気持ちなんて考えやしない。いや、わかっていてもそれに応えようとしない。本当にわがままで自分勝手な人だ。

 

「そうですか……」

 

 でも、そんな先生だからこそ私はもう一度誰かを信じることができたのだろう。しかしそれだけで納得できるほど私達は大人になれない。皆の目を見れば聞かなくたってわかる。

 

「皆さん、納得できないことや言いたいこと、色々あるのでしょう。目を見ればわかります」

 

 殺せんせーの言葉に私達は一斉に頷いた。正直なところ納得なんて1ミリもできない。理解はできる。何故なら私自身がこういった理不尽の雨を生き抜いてきたからだ。昔の私ならそういうものだと諦めて次の戦場に旅立っていただろう。

 

 でも今の私は……

 

「そんな皆さんに先生から一つアドバイス」

 

 そして、先生はいつもの授業のように私達に語り始めた。多分、これだ殺せんせーとの最後の授業になるだろう。私は何となくそんなことを思った。

 

「君達はこの先の人生で、強大な社会の流れに邪魔をされて望んだ結果が出せないことが必ずあります」

 

 いつものように優しく、そして楽しく、それでいて諭すように殺せんせーは語り続ける。社会の流れに逆らうのではなく、やり過ごす。自分を曲げる必要も、諦めて流される必要もない。

 

 正面から立ち向かう必要なんてない。勝てないのなら逃げたっていいし、反則じゃなければ必ずしも正攻法を使わなくてもいい。今まで私達がこの教室で、この一年で学んできたこと。つまり──

 

「君達はそれができる素晴らしい暗殺者なのだから」

 

 自分の命があと数十分で終わるという時にも、殺せんせーはいつも通り先生のままだった。自分の命すら教材にしてまで教育しようとする人だ。こうなることも全部覚悟の上でこの校舎で教鞭を取ったのだろう。

 

「……やっぱり殺せんせーは本当にぶれないなあ」

「ヌルフフフ、それが教師という生き物ですから」

 

 ただ当たり前のように断言される。文句も言いたいことも山ほどあるけれど、生徒のためにここまでの覚悟を持てるこの人に私はどうしようもなく憧れてしまう。これほどの覚悟を前すると、私の覚悟なんてちっぽけなものに思えてしまうものだ。

 

「でもね、君たちが本気で私を救おうとしてくれたこと、本当に涙がでるほど嬉しかった」

 

 殺せんせーはそう言って笑いながら私達の頭を撫でた。

 

「あぁ……」

 

 やはり訂正だ。いくら途轍もない覚悟を持っていたとしても、どれだけ憧れるような生き様だったとしても、私はこの人が、殺せんせーが嫌いだ。笑って死んでいくこの人が嫌いだ。

 

「そうだ……」

 

 多分ずっと私も皆に同じような気持ちにさせていたのだろう。自分がどれほど罪深いことをしてきたのかを、今になってやっとわかった気がする。

 

「そう言えば中村、さっきからずっと思っていたんだがその腰のポーチはなんだ?」

「ああ、これね」

 

 私の指摘に、中村はショートパンツのベルトに括り付けてある大きめのポーチを取り外し蓋を開けて中から小さな紙箱を取り出した。まるでケーキでも入っていそうな白い紙箱だ。

 

「臼井ちゃん、今日何日?」

「12日だが……ああ、そういうことか」

 

 月が爆発して今日で一年、雪村先生が殺せんせーに贈った誕生日も今日だ。つまりこの箱の中身は……

 

「誕生日おめでとう、殺せんせー!」

「おぉ!」

 

 紙箱を開く。中から小さなケーキが現れた。苺とラズベリーでデコレーションされたとても美味しいそうなケーキに殺せんせーの表情が一変する。ここまで崩さずに持ってきたということだろう。中村も粋なことをするものだ。

 

「みんな歌うよ! サン、ハイ」

 

 一本しかない蝋燭に火が付けられ、皆の歌が歌いだす。私も記憶にある自分の誕生日パーティーの光景を掘り起こし皆と一緒に歌った。最近までバースデーソングすら知らなかったせいで随分とメロディーが滅茶苦茶だがそれは仕方がない。

 

「ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー」

 

 真夜中の校庭に私達の歌声が吸い込まれていく。蝋燭の温かい光に照らされた先生の顔は言葉では言い表せない程に、それはそれは嬉しそうな顔をしていた。殺せんせーも私も、誰からも生を望まれぬ生き方をしてきた。故に今先生の目の前に広がる光景が、どれほど嬉しいことなのか私には痛いほどわかってしまう。

 

「ハッピーバースデーディア殺せんせー……」

 

 だからこそ、来年も再来年も同じように先生の誕生日を祝いたい。たった一度の誕生日パーティーなどで満足しないでほしい。そんな感情が沸き起こってくるのを感じる。

 

「ハッピーバースデートゥーユー」

 

 視界の端に烏間先生とビッチ先生が近づいてくるのが見える。これで全員が揃った。今は文句を言う時間ではない。言いたいことは殺せんせーが火を消したら好きなだけ言えばいい。殺せんせーを殺したいと思う人間などここには誰もいないのだから……

 

「……ん?」

 

 皆が蝋燭の火を消せと捲し立てる中、私は自身の考えに強い違和感を抱いた。殺したいと思う人は誰もない? 一人だけいるじゃないか。殺せんせーをこの手で殺したいと思っている人間が。

 

 その時だった。酷い悪寒を感じたのは。

 

「みんな下が──」

 

 轟音と衝撃、殺せんせーの前にあったケーキが見えない何かによって粉々に砕かれた。知覚外の出来事に脳が一瞬硬直し、即座に警戒態勢に入る。鍛え抜かれた戦士の勘が校舎の屋根の上に何かがいるのを認識した。

 

「ハッピーバースデー」

 

 酷く冷たいハッピーバースデーだった。その声に顔を見上げる。屋根に立つ白と黒が私達を冷たく見下していた。白装束、そして黒の拘束着……私達はこいつらを知っている。忘れもしない12月の死闘。

 

「……シロ」

 

 誰かが呟く。いや、違う。こいつの名前は──

 

「柳沢ッ……」

「機は熟した。世界一残酷な死をプレゼントしよう」

 

 奴はそう言って酷く冷たい、およそ人間とは思えない醜悪な笑みを浮かべて私達を睨みつけた。全部終わったとばかり思っていた。でもそれは私達の勘違いだった。戦いはまだ終わってなどいなかったのだ。

 

「……先生、僕が誰だかわかるよね?」

 

 黒づくめの人間が一歩前に出る。12月、柳沢の隣にいた謎の人物だ。最早化物としか言いようのない薄気味悪く無機質な声。だけど、私はこの声をどこかで聞いたことがある気がする。

 

「改めて自己紹介しよう」

 

 まて、今あいつは先生と言った。殺せんせーを先生を呼ぶのは私達を除けば一人しかいない。私は半ば確信を抱いて黒づくめの人間を見た。奴が顔を隠していたファスナーをゆっくりと下ろす。

 

「彼が、そのタコから死神の名前を奪った男だ。そして……」

 

 開かれたファスナーから覗く、生身の人間ならありえない不気味に光る二つの瞳。奴の身体が不自然に膨れ上がっていく。服が破けてもなお、質量の増大は治まるどころか勢いを増していくばかり。

 

 脳が今までにないほどのアラートを鳴らす。これは、本当に不味い……

 

「今日から彼が、新しい殺せんせーだ」

 

 そして、一匹の黒い化物が私達の前に現れた。

 

 

 

 

 

「……とうとう身体まで人間を辞めたか」

 

 柳沢と化物が私達の前に降り立つ。私の勘は正しかったというわけだ。正直なところ、この出来そこないのエイリアンのような化物があの自称神様だなんて思えないが、見覚えのある髑髏がこの化物が奴だということを証明していた。

 

「柳沢、お前がやったのか?」

「ご名答、奴と同じ改造を施してやったのさ。まあ、出来はもっといいがな」

 

 どこまでも醜悪な笑みを浮かべ、柳沢は化物を眺める。まるで人間を道具としか思っていない、そんな目だ。

 

「……糞野郎が」

「人聞きの悪いことを言わないでくれ。これは彼が望んだことだ」

 

 何が人聞きの悪いことを言うなだ。例え死神自身が望んでいたとしても、人間だった奴を化物に作り替えたのは紛れもないこいつ自身じゃないか。

 

「黙れ、地獄に落ちろ糞野郎……」

 

 拳を握りしめ、ありたっけの怒りを籠めて柳沢を睨みつける。拳銃を捨てたのは失敗だった。本当はそんなこと思いたくないけれど、現状はそう思わざるを得ない。

 

「これだから育ちの悪いガキは……。まあいい、どっちみちお前たちは死ぬんだからな」

 

 膨れ上がる奴の殺気。私は本能に身を任せて横に飛んだ。

 

「やれ」

「皆さん逃げ──」

 

 世界が揺れる。腹這いになった私の背中を凄まじい衝撃が襲う。いつの日か至近距離で迫撃砲の砲弾が着弾した時のような途轍もない衝撃。耳鳴りが頭の中を滅茶苦茶にかき混ぜる。

 

「く、糞、何が起きた……ッ!」

 

 頭を振って混乱しかけた意識を元に戻し顔を上げる。そして目の前に広がる光景に絶句した。まるで対戦車地雷を起爆させた時のように地面が抉れていたのだ。

 

「衝撃波さ、お前たちも授業で習っただろう?」

 

 未だにぐらつく頭に柳沢の誇らしげな声が響き渡る。即ちこの光景を生み出したのは死神と言うことか……

 

「……皆は」

 

 慌てて辺りを見回せば吹き飛ばされた皆がよろよろと身体を起こしていた。爆発が起こる前に殺せんせーが突き飛ばしてくれたのだろうか、大きな怪我をしている者はいない。

 

 でも、そんなことなんの気休めにもならない。

 

「初速はマッハ2! 最高速度はマッハ40!!」

 

 立ち上がる。視界の先ではあの殺せんせーが成す術もなく防戦を強いられていた。衝撃波が発生するたびに時折黒い影のようなものが見える。恐らくあれが死神だ。私の知ってる殺せんせーよりも明らかに速い。

 

「冗談だろ……」

 

 柳沢の言葉を信じるのなら今の死神は全てにおいて殺せんせーを上回っているのだろう。正しく冗談と言うほかあるまい。

 

「長期運用をオミットする代わりに莫大なエネルギーを得られるように改良した。寿命は極端に短いが、その分メンテナンスの必要はないし死んでも爆発などしない。コスト、汎用性、運用性、全てにおいて完璧! 正に最高の兵器だ!!」

 

 音速の暴風雨を横目に柳沢の厭らしいの高笑いがこだます。人を一人化物にしておいてこの言いぐさ。本当に同情の余地すらない程に屑だ。今まで色々な人間を見てきたが、ここまで腐った人間は数える程しか知らない。

 

「いつもいつもそうやって……」

「あ?」

 

 耐えきれなかったのだろう。あかりが、怒りに満ちた瞳で柳沢を睨みつけていた。奴の背中が私に晒される。

 

「初めて会った時から何も変わってない……お姉ちゃんも、殺せんせーも、イトナ君も……いつもいつも他人ばっかり利用してッ!」

 

 気配を殺し柳沢の背後にゆっくりと近づく。腰のVP9を引き抜く。あかりの言う通りだ。こいつは何処まで行っても他人を道具としか思っていない。

 

「どうせ自分は傷つく覚悟もない癖に!! あんたみたいな奴がいるから殺せんせーも祥子も!」

 

 音もなく奴の真後ろに立ち、VP9をゆっくりと構える。戸惑う理由などない、今この場においてこいつは私の敵だ。

 

「ふん、可愛げのない義──」

「おい」

 

 背後から現れた第三者に奴の肩が震え慌ててこちらに振り向く。だが、完全に振り向くことはできない。何故ならVP9の巨大なサプレッサーが奴の頸動脈に押し付けられていたから。

 

「避けてみろ」

 

 発砲。サプレッサーによって抑制された金属を叩きつけるような銃声と共に9mmの麻酔弾が首筋の頸動脈に突き刺さった。

 

「お、お前ッ……」

 

 首を押え信じられないと言いたげに私を睨みつける。動揺しているのが丸わかりだ。自分の優位を確信していたのか知らないが、暗殺者を前に背中をさらけ出すなんて間抜けにもほどがある。

 

「油断しすぎだ」

 

 銃後端のボルトを操作。硝煙と共に黄金色の薬莢が宙を舞う。大男すら数秒で昏睡する殺し屋謹製の麻酔薬を動脈に直接流し込まれたのだ。柳沢のような貧弱な男ならたちどころに……

 

「なんで、立ってるんだ」

 

 私は目の前の光景が信じられなかった。奴は首筋に麻酔弾が突き刺さっているのにも関わらず、依然として私を睨んでいた。麻酔弾は確実に命中した。本当なら立ち上がることすらできないはずなのに……

 

「お前は本当に、俺の邪魔ばかりするなぁ」

 

 首に突き刺さっていた麻酔弾が抜け落ちる。ありえない、触手を持っていたあかりですら起きるのに時間がかかっというのに……いや、待てよ。

 

「……柳沢、お前ッ!」

 

 嫌な予感がした。慌ててて銃を構えるのと柳沢が首筋に何かを突き刺すのは、ほぼ同時だった。

 

「誰が傷つく覚悟がないだって?」

「そ、それって……」

 

 あかりが口を押え目を見開く。私はこの時になってようやく柳沢が自分の首に注射器を突き刺していることに気が付いた。唖然とする私達を余所に奴は容器に入れられた怪しげな液体を自身の身体に躊躇なく注入していく。

 

「命などもうどうでもいい。俺から全てを奪ったあいつさえ殺せるのなら……」

 

 変化はすぐに現れた。全身の血管が隆起し、筋肉が人間では不可能な動きで脈打つ。その動きは触手そのものだった。つまりこいつは……

 

「コツは要所に少しずつ触手を埋め込むことだ。そうすれば、人間のまま超人になれる!」

 

 私はこいつの憎悪を見誤っていた。他人は利用する癖に自分は何一つ犠牲を払う覚悟もない奴だと思い込んでいた。でもそれは間違いだった。こいつはとっくの昔に覚悟している側の人間だったのだ。

 

「死ねモルモット!!」

 

 超音速の化物が二匹に増えた。音速の攻防。誰が何をしているのか、生身の人間である私達には判別ができない。ただわかるのは殺せんせーがかつてないほどに追い詰められていることだけ。

 

「皆さん、さっきの授業で言い忘れていたことがあります」

 

 でもそんな絶望の中でも殺せんせーは諦めてはいなかった。

 

「いかに巧みに正面戦闘避けてきた殺し屋でも、人生の中では数度、全力を出して戦わなければならない時がある」

 

 私達を守るように力強く立ち、触手を構える。正に不退転の覚悟だった。

 

「先生の場合、それは今です!!」

 

 殺せんせーの本当の戦いが始まった。

 

 

 

 

「凄い……」

 

 殺せんせーの倍のスペックを誇る二代目死神と、全身に触手を埋め込み超人と化した柳沢の猛攻。私達の常識の向こう側にある超音速の戦闘に、いくら訓練を積んできた私達であっても、何もすることができなかった。

 

「こればかりは、年季の差ですよ」

 

 だが、そんな絶望を前にしても殺せんせーはその圧倒的な戦力差を機転と工夫で埋めていった。二代目が触手を繰り出せば最小限の動きで弾き飛ばし、柳沢が義眼に埋め込んだ圧力光線を浴びせようとすれば土の壁で防ぐ。

 

 如何に二代目が類い稀な才能で触手を使いこなそうとも、柳沢が頭脳と執念で追い詰めようとも、三年という年月で培われた経験差を埋めるには至らない。どれだけ能力があろうと、素人がその道のプロに叶うわけがない。つまりはそういうことだった。

 

「道を外れた生徒には、今から教師の私が責任を取ります」

 

 二代目は殺せんせーの一番初めの生徒だった。先生が退かないのはきっと彼のためでもあるのだろう。本当にどこまでも先生は先生だ。

 

「柳沢、君の居場所はここにはない。ここは学校だ。復讐なら余所でやりなさい!!」

 

 殺せんせーの一言が二人の琴線に触れてしまったのだろう。表情が明確に変わるのがわかった。奴らは殺せんせーに夢中で私達のことなど眼中にない。

 

「まだ教師など気取るか、ならば試してやる……やれ二代目!」

 

 柳沢の言葉に二代目がその禍々しい触手を構えたのがわかった。不味い──

 

「いけない!!」

 

 横から爆発音、私は反射的に顔を腕で覆った。辺りが土煙で見えなくなる。

 

「──ッ!」

 

 煙が晴れ、周囲が見えるようになる。凄まじい攻撃だった。だけど、周囲を見渡しても私を含め誰一人として傷を負った者はいない。それはつまり……

 

「「「殺せんせー!!!」」」

 

 二代目の攻撃を殺せんせーが全て受け止めたということだった。何が起きたのかはわからない。多分触手をもろに受け止めたのだろう。先ほどよりも明らかに弱っていた。

 

「ははは! そうでなくちゃなあ、大好きな生徒だもんな! 一人なら避けられるというのに馬鹿な奴だ!」

 

 奴の殺せんせーを見下しきった言動と、何の躊躇いもなく皆を殺そうとしたことに私の心はとっくの昔に限界を振り切っていた。でも、今飛び出したとしても殺せんせーの重荷になるだけなのはわかっている。それが悔しくてしかたがない。

 

「次! 次!! 次!!!」

 

 二代目の更なる攻撃。土煙が舞うたびに殺せんせーが傷ついていく。

 

「標的が生徒と一緒にいればこうなって当然だろう。本当に間抜けなガキ共だよ、お前たちは」

 

 私達に指を突きつけ厭らしく笑う柳沢に二十八対の瞳が奴を睨みつける。殺せんせーだけでなく私達までをも否定する奴の言葉に私達の頭はどんどん冷えていった。こいつは、殺せんせーがどれほどの思いでここにいるのか、知ってて言っているのだろうか。

 

「やめろ柳沢!!」

 

 奴の常軌を逸した行動に烏間先生が駆け寄る。その手にはシグザウアーP220が握られ9mmの銃口を柳沢の眉間に突きつけていた。不味い……

 

「これ以上生徒を巻き込むのなら──」

「黙ってろ国家の犬が」

 

 だが、そんな烏間先生も超人と化した高速で繰り出される奴の腕を見切ることはできない。成す術もなく吹き飛ばされ、P220が宙を舞い地面に転がった。

 

 やはり烏間先生でさえ手も足も出ないのか……

 

「どんな気分だぁ? 大好きな先生の足手まといになって絶望する生徒を見るのは?」

 

 こいつは、どうしてここまで私の神経を逆なでするのが上手いのだろうか? 怒りと呆れしか浮かばない。どこまでも冷たい二十八対の瞳が奴を串刺しにする。

 

「わかったか、ガキ共!! こいつの最大の弱点は、なぁ…………」

 

 威勢に満ちていた柳沢の語気が弱くなっていく。自分がどれだけ冷たい視線にさらされていたかに今気が付いたようだ。

 

「……なんだその目は」

 

 悔しさでも怒りでもなく、ただただ冷たい視線が奴を射抜く。

 

「可哀想な人」

「……何だと」

 

 あかりがぼそりと呟いた言葉に柳沢は顔を真っ赤にして叫んだ。期待していた反応が来なくて焦っているのだろうか。やはりどんなに頭は良くてもこいつはただの馬鹿だ。怒りを通り越して哀れみすら感じる。

 

「今まで何見てきたの? 全てを奪った? 自業自得の間違いでしょ?」

 

 他人を見下し、全てを見下し、自分以外は全て道具でしかない。そんな奴にいったい誰がついてくるのだろうか。否、ついてくるはずがない。かつての殺せんせーでさえ決して相手を見下してはいなかったはずだ。

 

「弱点? そういう風にしか考えられないからお姉ちゃんにも逃げられたってまだわからないの?」

「こ、このアマ、言わせておけば…………」

 

 図星を突かれたのだろうか。さっきまで酷く恐ろしく見えた柳沢が今ではとても小さく見える。如何に超人と化してもこいつには何もない、だからこそ奪おうとする。酷く空っぽで、そして悲しい人間だ。そんな人間をどうして恐れる必要がある。

 

「茅野さんの、言う通りだ……彼等は命がけで強敵を倒し、空まで飛んで私に会いに来てくれた……その過程こそが教師にとって何よりもの贈り物なんです」

 

 身体に突き刺さった二代目の触手を引き抜きながら殺せんせーは語る。

 

「弱点でも足手まといでもない!! 全員が私の誇れる生徒達です!!」

 

 ボロボロになった校庭に、殺せんせーの魂の叫びが響き渡った。

 

「それに、生徒を守るのは教師の当然の義務ですから……」

 

 満身創痍で立っているのがやっとのような状況でさえ、殺せんせーは先生であり続けている。では私は? このまま何もせず黙って見ているのか?

 

「糞、何かないのか」

 

 せめて柳沢さえどうにかできればこの状況も少しは変わるのだが、奴は超人と化しているうえに二代目を盾にするように立っているため攻撃も通らない。

 

「善人面しやがって……まあいいさ、どうせお前が力尽きた後でその生徒達も俺達の手で嬲り殺される。義務とやらも果たせなくなるぞ」

 

 ……今なんて言った? 嬲り殺すだと、今みんなを嬲り殺すっていったのか? 殺せんせーを殺すだけでは飽き足らず、皆まで殺すと言ったのか。そうか……

 

「……上等だよ」

 

 冷え切った頭で柳沢を見据える。超人だがなんだか知らないが、やりようはいくらでもあるだろう。どうしてやろうか、そう思いながら腰のナイフに手を掛けたその時だった。

 

「そんな顔しちゃ駄目だよ」

「──ッ!?」

 

 そんな一言と共に緑色の影が私を横切ったのと二代目に向けてBB弾が飛んでいったのはほぼ同時だった。撃ったのは──

 

「……あかりッ!」

 

 銃とナイフを構えあかりが二代目の前に立ちはだかる。なんて無茶だ。触手を持っていないただの人間のあかりが化物と化した奴に勝てるわけがない。何を考えているんだ!

 

「殺せんせー! 時間稼ぐからどっか隠れて回復を!!」

「茅野さん!?」

 

 焦る殺せんせーを余所に二代目の触手がぶれる。不味い! だが、あかりは紙一重で触手をナイフで弾き飛ばした。何故見切れるのか、柳沢が元触手持ちの動体視力がどうこう言っているが、そんなことは今はどうでもいい。

 

「お姉ちゃん!!」

「来ちゃ駄目!!」

 

 慌てて駆け寄ろうとするが、あかりの制止され立ち止まってしまう。言いたいことはわかっている。私が行ったところで足手まといにしかならないことなど。だが、それでも何もせずにはいられない。

 

「いつも守ってくれてありがとう……今度は私が守る番だよ」

 

 そういうあかりの顔はとても穏やかで、優しい表情をしていた。それはまるで自分の死に覚悟したかのようなそんな穏やかな表情だった。

 

「よすんだ茅野さ──」

 

 止めようとした殺せんせーが二代目に吹き飛ばされる。不味い、なんだかわからないが何かとてつもなく嫌な予感がする。

 

「……二代目」

 

 柳沢が醜悪な笑みを浮かべ合図し、二代目が漆黒の触手を構える。そしてナイフを手に走り出すあかり。

 

「止めてくる!」

「さっちゃんさん!?」

 

 私は半ば衝動的に走り出した。本当に時間を稼ぐだけなのかもしれない。死ぬつもりなんてないのかもしれない。だけど今ここで間に合わなかったら、私は多分きっと凄い後悔する。それだけはなんとなくわかった。

 

「──ッ!」

 

 間に合え、間に合え! あかりが繰り出される触手を避け宙を舞う。不味い! 無防備になったあかりの身体を触手が貫く……

 

 

 

 

 

 

 ことはなかった。

 

「間に、合った!!」

 

 飛んでいたあかりに向かって思い切り飛びかかり弾き飛ばす。直後に凄まじい衝撃と共に私の真横を触手が通り抜けていった。何故間に合ったのかはわからない。運がよかっただけなのかもしれない。まあなんだっていい。私はとにかく間に合ったのだ。

 

「ほぉ、庇ったか。生身にしては良い反応じゃないか」

 

 二代目の陰から柳沢の間抜け面が覗く。こいつが、あかりを殺そうとしたのか。思わずあるはずのないホルスターに手を伸ばす。それが面白いのだろう、柳沢は顔に上を向いて大きな声で笑い始めた。

 

「ハハハ!! 銃がなければお前なんて無力なガキなんだよ! 間抜けが! 自分から殺されに来やがって!」

 

 

 

 

 

「いや、間抜けはお前だよ。柳沢誇太郎」

 

 柳沢の笑い声が止まる。義眼のレンズに映る1911の銃口。

 

「いつ、私が丸腰なんて言った?」

 

 撃鉄を起こす。奴と目があった。

 

笑えよ、糞野郎(Smile you son of a bitch)!!」

 

 発砲、圧縮ガスによって放たれる6mmの対触手用ボールベアリング弾。ありったけの怒りを籠めて解き放ったそれは空気を切り裂き奴の生身の右目に吸い込まれ……

 

 そして──

 

「……あ?」

 

 血が一滴、零れ落ちた。私のではない。あかりでもない。二代目でも、殺せんせーでも、みんなでもない。

 

「あ、ああああっ!!?」

 

 柳沢が絶叫と共に右目を押え崩れ落ちる。指の隙間からおびただしい量の血が零れ落ち土に染みを作っていく。

 

「お、俺の目がぁ!!?」

 

 防衛省謹製の対触手BB弾だ。これを喰らって平気な触手生物はいない。油断しているからそんな目に遭うんだ。たっぷり味わっておけこの糞野郎。

 

「人の家族に手を出すからだ」

 

 中指を突き立てる。私も多分傷を負っているのだろう。さっきから顔が痛くて仕方がない。まあいいさ、生きているならどうにでもできる。

 

「12月のお返しだ。とっておけ」

 

 目が見えないのか、それとも唯一残っていた目を失ってパニックになっているのか、柳沢は半狂乱になりながら絶叫する。

 

「クソクソクソォ!! いつもいつも俺の邪魔ばっかしやがってぇ!!」

 

 右目の周辺が痛くて仕方がない。強烈な痛みのせいでわかりにくいが、あるはずのものがなくなっていることだけは私にもわかった。

 

「血だ……」

 

 夥しい量の新鮮な血液が右の頬を伝って襟を汚していく。妙に狭い視界と先ほどの攻撃、そして尋常じゃない痛みを鑑みるのなら、私の右目は恐らくはもう……

 

「ははっ、ツケの代償にしては随分と安上がりじゃないか」

 

 身体を起こし痛みで朦朧とする意識を奮い立たせ1911を構える。柳沢は無力化したがまだ二代目が残っている。ここで私が退くわけにはいかない。何故なら横にあかりが倒れているからだ。見たところ怪我は見当たらない、ただ気を失っているだけのようだ。

 

「かかってこい……相手になってやる……」

 

 潰れた右目の代わりに左目でサイティングし引金を引く。だが、エアガンでは人間をやめた化物には通じるはずもなく、最小限の動作で避けられ、あっと言う間に弾倉の弾を撃ち尽くしスライドが下がりきった。

 

「……この!!」

 

 苦し紛れにナイフを投げるが避けもせずに受け止められる。まだ麻酔銃があるが効くわけもない。

 

「はは、やっぱ銃持ってくるべきだったな」

 

 打ち切った1911の銃口が力なく垂れる。もう痛みで耳も聞こえない。こんなことになるのなら、あいつに貰った対触手用の銃弾をとっておくんだった。

 

「でも、もう銃は撃たないって約束したしなあ……」

 

 視界の先では怒り狂った柳沢が何か喚き散らしている。私はきっと成す術もなく二代目、あるいは柳沢に嬲り殺しにされるのだろう。でもこれで時間は十分に稼げたはず。

 

「ここらが私の引き際か……」

 

 殺していいのは殺される覚悟のある奴だけ。もとよりずっと昔から覚悟していたことだ。殺すだけだった私の人生。最後にこんな楽しい思い出を作れたのなら、それでいいじゃないか。ツケを払う時がやってきたのだ。

 

 でも……

 

「死にたくないなぁ……」

 

 私は多分殺される。お姉ちゃんにはもう会えない。みんなで卒業もできない。それだけが心残りだった。

 

「死にたくないよぉ……」

 

 死にたくない、まだあそこには行きたくない。まだやりたいことだってまだ沢山あるんだ。こんな中途半端なところで終わりたくない。今までの楽しい思い出が脳裏を駆け巡る。死にたくない、死にたくない……

 

「助けて、殺せんせー……」

 

 血の混じった涙が一滴零れ落ちた。

 

 

 

 

 

「その言葉をずっと待っていた……」

 

 声がした。とても聞き覚えのある声だ。俯いていた顔を上げる。私の瞳に殺せんせーの背中が映っていた。

 

「殺、せんせー?」

「初めて、助けを求めてくれましたね」

 

 背中越しに私に優しく語り掛ける。八月、普久間島の帰りのフェリーで殺せんせーに言ったことを思い出す。

 

「助けて、くれますか?」

「……当たり前ですッ!!」

 

 そうか、なら安心だ。殺せんせーは約束を破ったことなんて一度もない。だから絶対に私を、私達を助けてくれる。そう確信すると、急に身体の力が抜けてきた。

 

「そこで待っていてください。すぐに、終わらせますから……」

 

 もう身体を起こしていられない。薄れゆく意識の中、私は私を引っ張る緑色の影と、とても眩しく、それでいてとても優し気な光を見た気がした。

 

 多分、もう大丈夫だ。理由はわからないけれど、私はとにかくそう思った。

 

 

 

 

 

「……ん」

「祥子ッ!!」

 

 目を覚ました私の視界に映っていたのは、大粒の涙を浮かべたあかりの顔だった。多分膝枕でもされているのだろう。身体を起こそうとするとやんわりと制止された。

 

「さっちゃん……大丈夫?」

「いや、凄く痛い」

 

 右目から絶えず激痛が走り、表情を取り繕うことができない。左側しか見えないせいで視界が酷く狭いが皆の心配そうな目が私を見つめているこだけはわかった。というかあれからどうなったんだろうか。二代目と柳沢はどうなったのだ。

 

「あれから、何が起きた?」

「あの二人なら殺せんせーが倒したよ……」

「そうか、よかったじゃないか」

 

 私がそう言っても皆の顔は一向に晴れない。理由は私の右目に巻かれた包帯にあるに違いない。

 

「臼井さん、落ち着いて聞いて……」

「右目が抉れてることか?」

 

 図星だったのだろう。片岡の顔が悲痛に歪んだ。予想はしていた。あかりを庇った時に触手が右目を吹き飛ばしたのだろう。顔を吹き飛ばされなかっただけ運が良かったと思うしかない。

 

「大丈夫だ。まだ一つ残ってる」

「「「全然大丈夫じゃねえよ!!」」」

 

 場を和ませようと冗談を飛ばしたが、帰ってきたのは案の定ブーイングの嵐だった。たかが右目くらいと思ってしまう私はまだまだ常識が足りないということか。

 

「ごめんなさい、私を庇ったせいで……」

 

 間に合ったからよかったもののもし届かなかったらあかりは触手に串刺しにされて死んでいた。あんな思いをするのは二度と御免だ。

 

「もう二度としないでよ……」

「……うん、ありがとう」

 

 だが、私も人のことを言えないな。あかり達は無茶をする私をいつもあんな風に見ていたのだろう。みんながどうしてあそこまで心配してくれたのか、今初めてわかった。

 

「祥子は、生きてるんだよね?」

「ああ、私は生きてるよ」

 

 手を伸ばし頬を撫でる。私も、あかりも、みんな生きている。目玉一つでこの光景が買えたのなら、本当に安い買い物だ。

 

「……臼井さん」

 

 近づいてくる気配。顔を向ければボロボロの殺せんせーが私のことを見ていた。右目を失ってしまったことを悔やんでいるのかもしれない。

 

「殺せんせー、さっちゃんさんの目が……」

「えぇ、わかっています」

 

 先生は私に一言断ると触手で包帯を外した。外気に触れて脳に削岩機を突っ込まれたかのような強烈な痛みが襲い掛かる。でもこれが生きるということだ。

 

「臼井さん、君の目は治療できます」

 

 淡々と事実を告げられる。治療って、明らかに目玉が吹き飛んいるんだが……いや、待てよ。

 

「本当なの殺せんせー!?」

「はい、臼井さん……一学期の中間テストのことを覚えていますか?」

 

 忘れもしない。私は腹に爆薬を詰め込んで自爆して死ぬはずだった。でも殺せんせーが何かをしたために、私はこうして今生きている。もしや……私が過去を思い起こしていると、殺せんせーが無数の糸のような触手に包まれた赤黒い小さな球を持ってきた。

 

「何、これ?」

「臼井さんの眼球周辺の細胞です。地面に落ちる前に拾い集めて、無菌に保った空中に保管していました」

 

 つまりこれが私が生き返ったマジックの種だったというわけか。あれだけの死闘を繰り広げながらこんなことをしていたのだから驚くしかあるまい。このリソースの分を戦いに回していればもっと傷つかずにすんだかもしれないのに……

 

「今から一つ一つ、全ての細胞をつなげます。ですが臼井さん、この手術には凄まじい痛みが伴います」

 

 当たり前だ。麻酔なしで手術する痛みは良く知っている。しかも神経の集中した眼球を弄るとなればその痛みは想像を絶するだろう。

 

「君が望むなら今すぐ麻酔を用意しますが、できることなら早く治療したい。耐える自信はありますか?」

「……私を誰だと思っているんですか? 荒療治なんて慣れっこですよ」

 

 どれだけの痛みが襲ってくるのかはわからないが、爪を剥がされた時よりも痛いということはないだろう。でも、正直なところ怖い。眼球に触手を突っ込まれる経験なんてしたことないからだ。

 

「お姉ちゃん、手を握ってくれないかな」

 

 何も言わずにあかりが私の手を握ってくれた。荒ぶっていた呼吸が落ち着いていくのがわかる。もう大丈夫だ。殺せんせーを見つめゆっくりを頷く。

 

「……じっとしていてください」

 

 無数の触手が近づいていく。手術が始まった。

 

 

 

 

 

「……終わりました」

 

 私の目から触手が離れていく。凄まじい痛みも嘘のようになくなり潰れていたはずの右目にいつも通りの感覚が戻る。

 

「目を開けてみてください」

 

 意を決して右目を開く。狭まっていた視界が元に戻るのが文字通り見てわかる。目を上下左右に動かし何度も閉じては開く。

 

「祥子ちゃん、私の顔見える?」

 

 桃花が心配そうにしゃがみこんで私の顔を覗き込む。私は左目を手で押さえて塞ぎ見えることをアピールした。

 

「ああ、ちゃんと見える」

「さ、さっちゃん! これ何本かわかる?」

「大丈夫だって陽菜乃、三本だろ」

 

 笑いながらそう答えた瞬間、皆がどっと喜びに沸いた。突然の歓声に思わず耳を塞ごうとするが、陽菜乃達が私に抱き着いてきたせいで身動きができない。

 

 頭を撫でられもみくちゃにされる。ただでさえ空挺降下でボサボサになっていた髪が更にボサボサなるので止めてほしい。

 

「わかった。わかったからもう止めて! 速水、見てないで助けてくれ!」

「自業自得でしょ。少しは反省したら?」

 

 今回ばかりは私はあまり悪くない気が……いや、どれもこれも日頃の行いのせいか。

 

「祥子! よかったよぉ!!」

 

 皆のテンションは止まるところを知らず、遂には胴上げまでされそうになったが、案の定私は重すぎたようで断念された。どうでもいいけど、少しだけ傷つく。

 

 でも喜びに打ち震える皆を見ていると、いつも通りの日常が戻ってきたことを実感する。本当に誰一人として欠けなくてよかった。これであとは……

 

「そうだ、殺せんせーは?」

 

 誰かがぼそりと呟いた。後ろで何かが倒れる音がして私達は慌てて音の方向を振り向き、そして目の前の光景に息を呑んだ。

 

「先、生……?」

 

 殺せんせーが仰向けに倒れ込んでいた。その顔は今まで見たどんな時よりも満足気で、どんな時よりも弱々しくて……

 

「わかりませんか? 殺し時ですよ」

 

 私の大嫌いで、大嫌いで、大嫌いな顔をしていた。

 

 

 

 

 

「23時30分、あと三十分か……」

 

 天を見上げる。レーザーの光は直視できないほどに膨れ上がり、いつ発射されてもおかしくはない。()()()()()()()私達が殺さなくても結果は変わらないだろう。

 

「皆、俺達自身で決めなくちゃいけない」

 

 磯貝の悲壮感に満ちた声が静まり返った校庭にこだます。決めることは一つしかない。このまま放っておくか、それとも私達の手で殺せんせーに引導を渡すか。

 

 殺せんせーはずっと殺されるのなら私達に殺されたいと言っていた。私達はそんな先生の期待に応えるために辛いことも苦しいことも乗り越えてきた。

 

「手を上げてくれ、殺したくない奴」

 

 私達は手を上げる。誰一人として殺せんせーを殺したい人はいなかった。当たり前だ。どんな時も私達を見てくれて、どんな時も見捨てないでくれた。そんな人殺したくないに決まっている。

 

 だからこそ……

 

「OK、下ろして…………殺したい奴は」

 

 だからこそ、殺さなければならない。殺すこと、それだけが大切な、とても大切な恩師に対して私達が贈ることのできる唯一の贈り物だから。

 

「…………」

 

 渚が手を上げる。あかりが手を上げる。陽菜乃が、カルマが、桃花が、愛美が、寺坂が、皆が手を上げる。誰一人として、殺すことに異議を唱えるものなど居はしない……

 

 

 

 

 

 たった一人を除いて……

 

「さっちゃん、さん?」

 

 28人の視線が手を下ろしたままの私に突き刺さる。私だってわかっている。この期に及んで殺したくないと喚くことなど、それこそ殺せんせーに対する侮辱だということは。でも、それでも……

 

「臼井は、殺したくないのか?」

 

 頷く。でも例えそうだったとしても、それでも私は殺したくないのだ。視線が強まるのが私にもわかった。

 

「……臼井さん」

 

 殺せんせーの優し気な声。悲しむ必要はない、先生は言外にそう言っているのだろう。そのどこまでも優しい言葉に、私の心の中に仄暗い感情が沸き起こって来る。

 

「祥子……」

「……わかっている。殺せんせー」

 

 先生を見つめる。自分の命があと僅かで終わるという瞬間であっても、殺せんせーはとても満ち足りた表情で私を見つめていた。ああ、私はやっぱりこの顔が大嫌いだ。何度も見たって慣れはしない。

 

「卒業式、やりましょう」

 

 拳を握りしめる。全員で卒業すると決めた。これだけは絶対に何があっても成し遂げる。例え誰が邪魔しようともだ。

 

「出席を取るだけでいいので……そしたら、()()()()()()()

「…………わかりました。出席を、取りましょう」

 

 私が皆を見ると皆はゆっくりと頷いてくれた。最後の時が近づく。卒業の時がやってきた。

 

 

 

 

 

「最後の出欠確認です。一人一人目を見て、大きな声で返事をください」

 

 殺せんせーの周りを皆で取り囲む。誰一人として部外者はいない。誰もが最高の仲間で、そして掛け替えのない友達だった。いや、これからも友達だ。

 

「では皆さん、出席を取ります」

 

 殺せんせーは遂に最後になるだろう出席を取り始めた。まずカルマが呼ばれた。次に磯貝、そして……

 

「臼井さん」

「…………はい」

 

 喜怒哀楽、この一年で貰った全ての感情を籠めて返事をする。そんな私に殺せんせーは満足そうに頷き、また一人一人、万感の思いを籠めて名を呼んでいく。そして、最後にイトナが呼ばれ、三年E組、計29人の一生で最後の出席確認が終わった。

 

「遅刻、欠席なし……」

 

 今まで本当に色々なことがあった。ありすぎて最早語ることなんてできない。私はここで人生を貰った。

 

「卒業、おめでとうございます」

 

 だから、今度は私が贈る番だ。

 

 

 

 

 

「祥子……」

 

 あかりが私の肩に手を置いた。皆の視線が私に突き刺さる。もういいだろう、きっとそう言いたいのだ。私はそんな皆の視線を無視して立ち上がった。

 

「最後に、一つだけ質問させてくれ……」

 

 誰も何も言わなかった。ただ黙って私の次の言葉を待っている。徐に腕時計を見る。残り時間はあと僅か。感傷に浸るのは後にしよう。

 

「みんなは、殺せんせーにどうなってほしい。生きてほしいのか、それとも、死んでほしいのか……」

 

 殺すべきか、そうでないかは決まった。でも、それはするべきことであってしたいことではない。強いられた選択なんて、そんなもの選択とは言わない。

 

「本当の気持ちを聞かせてくれ」

 

 長い沈黙。沈みかえった校庭に私達の息遣いだけが音を立てる。

 

「……そんなの」

 

 誰かが呟いた。渚だった。俯き、拳を握りしめ何かを我慢するかのように震えている。

 

 そして──

 

「そんなの、生きてほしいに決まってるだろ!!」

 

 爆発した。両目から大粒の涙を滲ませ私を睨みつける。自分で仕向けたとはいえ、ちょっとショックだ。

 

「死んでほしくなんてない! まだ話したいことだっていっぱいあるんだ!! なんで、今更そんな酷いこと言うんだよ!!」

 

 渚を皮切りに、皆が耐えていた本音を吐き出す。28人の声の中には、死んでほしいと言う言葉は一言たりとも聞こえなかった。ああ、よかった。もし死んでほしいと言う人がいたらどうしようかと思った。

 

「そうか、それを聞いて安心したよ」

「……え?」

 

 唖然とする渚を余所にジャケットの内ポケットから金属の箱を取り出す。そして内部に格納されていた金属の棒を高く伸ばし天に突き立てる。私の突然の行動に皆の目が点になった。

 

「……はぁ」

 

 大きく息を吐き、もう一度吸う。もう覚悟は決まった。私は家の電灯を点けるような気軽さで、箱に取り付けられたスイッチを押した。その瞬間無線機に取り付けられたランプが点灯し遠く離れた場所にあるものに信号を送る。

 

「頼む、神様」

 

 拳を握りしめ僅かな望みに全てを賭ける。答えはすぐに帰ってきた。

 

「……この音は」

 

 殺せんせーの並外れた聴覚が何かをキャッチしたようだ。私にも聞こえる。遠くで爆発音が鳴り続けている。一つではない、裏山の四方から六つの音源がずっと続いている。

 

 そして……

 

「ば、バリアが!!?」

 

 誰かが叫んだ。空を見上げれば地の盾によって作られたバリアが音もなく消えていくのがわかる。十秒もしないうちに殺せんせーを閉じ込めていたバリアは跡形もなく消え去り、見慣れた裏山の空が戻ってきた。

 

「…………やったぁ!!!」

 

 耐えきれず歓喜の叫びを上げる私。嬉しくて仕方がない、溢れ出る激情を抑えきれず 両手を振り回し飛び跳ね喜びの言葉を連呼する。

 

「やったやったぁ!! 私はやったんだ!! はははっ!! ざまあみろ! 

ざまあみろ!! ざまあみろ!!!」

「う、臼井さん!! 君はいったい何をしたんだ!?」

 

 明らかに異常な事態に烏間先生が私に駆け寄ってくる。流石にこの人には言わないと駄目だよな。種明かしといこう。

 

「Mk19自動擲弾銃6挺! 厚さ50mmの装甲板を貫徹する40mm成形炸薬弾288発による六点同時攻撃! 耐えられるものなら耐えてみろ!!」

 

 装甲車すら破壊するM430多目的榴弾を一基につき48発食らわせた。馬鹿みたいに大きいわりに装甲も施されていないただのレーザー発振器が耐えきれるわけもない。その結果は見ての通りだ。

 

「ま、まさか私達が捕まってる間に用意したっていうの?」

「そうだ。内の警備は完璧だったんでな。外から破壊した」

 

 彼等はもう少し街中の警備にも気を配るべきだった。500メートルの距離にグレネードランチャーを設置したのに気付きもしない。殺せんせーにばかり注意してるからそうなるんだ。

 

「ヘリも合わせて三千万吹っ飛んだが、まあいい買い物だったよ」

「さ、三千……」

 

 片岡が口をあんぐりと開けて放心した。他の皆もだいたい同じようなリアクションだった。普通はこんなの予想すらしないだろうからな。無理もない。

 

「う、臼井さん、君は何ということを……」

「ビッチ先生が好きにしろって言ったんで、好きなようにやらせてもらいました」

「た、確かにそうは言ったけども……やりすぎよ」

 

 ビッチ先生と烏間先生は目の前の事実が信じられないようで頭を押えて唸っている。

 

「臼井さん、君は……」

「大丈夫ですよ殺せんせー、証拠は一切残してないんで。この無線以外はね」

 

 そう言って困惑する殺せんせーの口元に無線を放り投げる。殺せんせーは無言で無線を食べてくれた。これで証拠はなくなった。流石に怪しまれるだろうし下手したら捕まるかもしれない。でもこれくらいなら許容範囲だ。

 

「貴方は私の命を救ってくれた。命を与えくれた。今度は私が助ける番だ」

「で、ですが……」

 

 突然降ってわいたチャンスに、自分の死を悟っていた殺せんせーは珍しく狼狽えていた。そんな煮え切らない態度に私の怒りは頂点に達した。

 

「うるさい! 人の人生滅茶苦茶にしておいて自分だけ満足して死ねると思ったら大間違いだ!! 殺していいのは殺される覚悟のある奴だけ、救っていいのは救われる覚悟のある奴だけだ!!」

 

 この人は私を、私達を何度も救った。人生を変えてくれた。なら、今度は私がこの人の死をという運命を変えてみせる。皆で殺してハッピーエンドなんて、そんな安上がりな終わり方絶対に認めない。

 

「もう私の前で誰一人だって死なせない!!」

 

 倒れ伏す殺せんせーに近寄り胸倉を掴む。いい加減この死にたがりの先生にもうんざりしてきた。

 

「何満ちたりた顔してるんだ! ふざけるなよ! 満足して死ぬくらいなら、最後まで生き恥晒してみっともなく生き続けろ!!」

 

 人には生きろ言うくせに自分は満足して死ぬ。そんな都合の良い言い分など通るわけがない。金には金を、銃弾には銃弾を、そして命には命を。それが私のやり方だ。

 

「お互い人生やっと始まったばかりじゃないか!! やりたいことだってまだまだ山ほどあるだろう!? たった一年で満足するなよ!!」

 

 先生の胸倉を揺するたびに涙が零れていく。死なせはしない、絶対に死なせない。私も、皆も、殺せんせーも、誰も死なせるものか。

 

「美味しい物だって、楽しいことだって、まだまだ沢山あるんだよ……音速なんかで周りきれるもんか。だから、だから、死んでもいいとか言わないでよぉ……」

 

 怒りは徐々に悲しみに移り変わり、叫びは嗚咽となって私の喉を切り裂く。ずっと、殺せんせーの真実を知ってからずっと耐え続けてきた感情を吐き出す。

 

「先生のこと殺したくないよぉ……生きてよぉ……」

「臼井さん……」

 

 暗殺者としての私なら、殺せんせーの死を受け入れることはできるのかもしれない。けれど、親に置き去りにされやっと人生を取り戻したばかりのどうしようもない子供の私は、きっと耐えられない。

 

 先生の身体に顔を埋めて泣き続ける。

 

「おいタコ」

「……烏間先生?」

 

 泣きわめく私の近くから烏間先生の声が聞こえてきた。顔は見えない。私がしたことを怒っているのだろうか。

 

「生徒がここまでしてくれたのに、お前はこのまま黙って殺されるのか? 随分と酷い教師だな」

「にゅや!?」

 

 烏間先生のストレートな批難に殺せんせーの声に怒りが混じる。確かに、このまま先生が死ねば先生は生徒の気持ちを蔑ろにする酷い教師になってしまうな。

 

「そうだよ! 先生ひっどーい!」

「そりゃねーだろ先生!」

「にゅやぁ!?」

 

 岡野と前原が煽る。二人を皮切りに皆が口々に殺せんせーを批難する。さながら一学期の中間テストの時のようだ。身体を起こし顔を見る。案の定凄い真っ赤だった。相変わらず器小さいなあ。

 

「……わかりましたよ! 生きればいいんでしょ生きれば!!」

 

 黄色い触手に力を籠めて先生が起き上がる。顔からは私の大嫌いな表情が消えていた。いつものせこくてエロくて厚かましい、それでいてとても楽しくて、とても優しい。生きる気力に満ちた、そんな先生の顔をしていた。

 

「彼女のことは俺に任せてくれ。俺の教師生命に賭けて悪いようにはしないと誓う。だからどこにでも行ってしまえ……またな、殺せんせー」

「烏間先生……」

 

 初めて烏間先生が殺せんせーの名を口にした。それはつまり一人の人間として先生を認めてくれたということに他ならない。もし殺そうとするのなら、私はこの人とも戦う覚悟だったが、そうならなくて本当によかった。

 

「臼井さん、君には後で山ほど話がある……逃げようとは思うなよ」

 

 が、そんな都合の良いことは起こらない。烏間先生はそれはそれは凄い顔で私を睨みつけた。ああ、これはもしかしなくても駄目な奴だ。というかさっきからあかりは──

 

「祥子」

「ひっ!?」

 

 肩を掴まれる。油の切れたような動きで振り向くと、そこにはまばゆい笑顔で睨みつけるあかりが立っていた。あ、うん。わかってた。

 

「はぁ……もう、後で話聞くからね!」

「……ごめんなさい」

 

 三千万使ったのは隠しておくべきだったかもしれない。いや、どうせばれるか。私はこれから待っているだろう説教を思い浮かべ深い溜息をついた。でも、まあいいか。

 

「悪いな、君達の覚悟を無駄にしてしまって」

「……ほんとだよ、空気読まないにもほどがあるでしょ。ま、それでこそ臼井さんって感じだけどさ」

 

 カルマが呆れたように、それでいてとても嬉しそうにそう言った。皆も仕方ないなと言いたげに笑顔で頷てくれた。

 

「殺せんせー」

「はい、臼井さん」

 

 さっきよりもずっといい顔で笑うようになった先生を見つめる。先生として、この人と話すのはこれが最後になる。後悔はもうしたくない。

 

「……また、会えますか?」

「勿論、いつか必ず会いに行きます」

 

 そうだ、殺せんせーは生きている。生きているのならまた会える。一年先か、それとも十年先か、いつかはわからないが殺せんせーは必ず私達に会いに来る。だって先生は一度も約束を破ったことなどないのだから。

 

「臼井さん、そして皆さんがくれた命……決して無駄にはしません」

 

 先生は私達を一瞥し、触手で全員の頭を撫でた。別れを惜しむように、撫でて、撫でて、撫でて……あれ?

 

「「「はよ行け!!」」」

「だ、だって、最後なんですよ!!」

 

 いつまで撫で続けているんだ。いつレーザーが発射されてもおかしくないだから。こんなくだらないことが死因になったら泣くに泣けないぞ。

 

「細かいことはアドバイスブックに書いて……しまった! アドバイスブック書き直さないと! 私まだ生きてるし!」

「いいから早く行きなよ!!」

 

 渚の突っ込みはいつになく絶好調だ。皆を見る。誰も涙を浮かべるものなんていない。涙を浮かべる必要なんてない。だって生きているのだから。

 

「……では、皆さん!!」

 

 風切り音と、土煙。そして赤く染まる私の視界。多分、レーザーが発射されたのだろう。殺せんせーはどうなってしまったのだろうか。でも私は不思議と確信していた。

 

 だって光に包まれる瞬間に殺せんせーが大きな声でこう叫んでいたからだ。

 

 

 

 

 

 卒業おめでとう、と

 




用語解説

Mk19自動擲弾銃
米軍が開発したフルオートグレネードランチャー。40x53mmのグレネード弾を毎分390発の速さでばら撒くマシンガンのお化け。

成形炸薬弾
モンロー/ノイマン効果と呼ばれる物理現象を利用した対装甲用の弾。別名HEATとも。一般的なRPG-7の弾があんな形になっているのもHEAT弾頭を装填しているから。

M430多目的榴弾
対人及び対装甲用のグレネード弾。被害半径は15mで標的に対して直角で命中すれば50mmの装甲板すら貫通する。

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