死にたくないんだ   作:お餅さんです

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今回の更新は早かった(自分の中では)


三話

 天才という言葉がある。

 

 それは、常人の努力では決して辿り着くことのできない――許されない位階にその身を置く者たち。

 時に常人である周りからその才の高さ故に嫉妬され、途方に暮れれば無責任にも頼られ、中には畏怖され遠ざけられすらされる者たち。

 

 彼らの基準は呼ぶ者たちによって千差万別。そのためその場では天才と呼ばれようと、別の場では井の中の蛙と呼ばれることも茶飯事。

 

 ただ、大国に囲まれた小国。資源豊富にも関わらず、全体的な忍の練度はいまいち。

 どの国の誰しもが大戦の内に滅びると、言葉には出さずとも考えたことがあるであろう湯の国、そしてその戦力である湯がくれの里。

 

 彼らは何故大戦が終わった今尚、多くの被害は出ようと存在しているのか。

 

 それは湯がくれの里に、他大国でも間違いなく天才と呼ばれるだろう者がいたことも一つの要因と言える。

 

 

 その天才は普段里内で最も警備が高い、里中央にそびえ立つ屋敷奥に一室を設け、生活を送っている。それは里長である生湯が彼女の持つ才の高さ、そしてその重要性を重く受け止めたため。

 屋敷内で個人的に一室持つものが、その者を除けば里長である生湯のみと言えばことの大きさが少しは伝わるだろう。

 

 そしてもはや隠すまでもないが、飛段とタモツが生湯からの任務達成のため屋敷内にて訪ねた部屋の主こそ件の天才。

 

 自身たちでは解決法が思いつかないため答えを知る、又は答えを出すことの出来る者へと教えを請いに行く。単純だが失敗少なく、デメリットこそ相手次第だが確実性は中々だ。

 

 けれど扉を開けそこから見えた部屋内の景色に、飛段とタモツは若干の後悔を感じた。

 

 

「……あれ、誰かと思ったら飛段さんたちじゃん。今ちょっと散らかってるけど遠慮せず入ってよ」

 

 何処からか聞こえる幼くも遠慮のないその声。飛段たち二人にとっては聞き覚えのあるその声だが、今現在においては返事をすることもできない。

 

 扉からある程度連想することの出来るだろうその部屋。飛段たちの知る大抵の部屋より広く、そして天井や壁のみならず備え付けられた家具に至るまで真っ白。

 

 パッと見たならば研究室もしくは資料室のように見える。

 両脇の壁に手前から奥、床から天井に至るまで隙間なく置かれた戸棚。そこには紙の束や本など資料と思われる物から鉱石や植物、用途こそ分からないが何らかの器具も置かれている。

 

「……タモツ、お前この間ここに来たんだよな?」

「そのはず、だったんですけど」

 

 これまで飛段たちが歩いてきた屋敷内での道筋、そして扉を開けた際に話しかけてきた人物からここが目的の部屋には違いない。

 けれど未だに部屋から見て扉の向こう側、部屋を外から眺める飛段たちの顔色は優れない。

 

 何故ならその部屋は、端的に言って汚かった。

 

 かといって、何も汚れがあるわけではない。天井や壁にシミはもちろんのこと、さっと見た限りでは埃すらも落ちていない。

 

 なら何が汚いのかと言えば、それは床に散らばった資料の海と器具の山。

 いや、散らばっているというのは少し違う。それらは飛段たちの足元である出口から部屋の奥まで、隙間なく敷き詰めれられ、文字通り足の踏み場もない。

 

「ん? 二人とも動かないでどうした……ってああ、別に床に落ちてるのなら踏んでも大丈夫よ。見たら分かると思うけどゴミ同然だし」

 

 またしても聞こえてきた言葉に飛段が眉を寄せ、試しにと落ちている資料を拾うとそこには何も書かれておらず、ただの白紙。

 隣にいるタモツを見れば、その手に持つ器具のような物の表面を爪で剥がすところ。鈍色であったため何かしらの金属かと思われたそれは、実のところただのメッキ。剥がれた跡からは木目が見えてとれた。

 

 まさしくゴミ同然。

 飛段とタモツは互いに顔を見合わせため息を吐き、聞こえてきた声の通りにそれらを踏みながら部屋へ入る。

 

 広さは湯がくれの里にある演習場並み、と一室にしては破格のもの。けれど飛段たちは資料(ゴミ)器具類(ゴミ)の海山を、やはり迷うことなく進んでいく。

 

 目印は先ほどから聞こえてきた、口調の割にどこか幼さを感じる声の方へ。

 

 

「お、きたきた。タモツはこの間ぶり、飛段さんは私たちの班が解散して以来ね」

 

 見えてきたのは、床と同じくゴミで半ば埋まっている横長の机と、それに挟むよう置かれた二人掛けのソファが二つ。

 そして片方のソファに腰掛ける、一人の少女。

   

 ショートボブのように整えられた髪と同じく、黒色の縁をしたシンプルなデザインの眼鏡。昼頃に組手をしていた少年よりも幼く見えるその顔立ちは、見た目恐らくはまだ十歳かそれに満たないほど。

 研究者然とした身に着けている白衣は、サイズが合わず小柄なためか、ゴミだらけの地面にいくらか着いてしまっている。

 

「……おいユトリ、このゴミ山はどういうことだよ」

 

 飛段が反対側のソファに座りつつかけられた声に返事をする。その疑問も当然だろう。

 

 ユトリと呼ばれたこの少女こそ、湯がくれの里においての天才。そして本人が言っていた通り元飛段たち三人組(スリーマンセル)の最後の一人。

 

 そんなユトリは見た目に反して年齢は飛段たちとさして変わらず、そのため以前から交流もあり付き合いも長い。それだけに、今まで見覚えのなかったこのゴミ山には疑問を感じざるをえない。

 事実少し前にこの部屋を訪れたはずのタモツすら、この部屋の変わりようには思わず苦笑いだ。

 

 ちなみに、チンピラに毒舌苦労人と合法ロリ。

 だからどうしたといった話だが、それぞれの個性激しく忍ぶ気のなさそうな忍者が選り取り見取りである。

 

「なんだ、機嫌が悪そうだと思ったらそんなことだったの」

 

 心底以外と風に話すユトリに嫌な予感を感じる飛段。果たしてその予感は、急にソファの上に腰に手を当てながら立ちだしたユトリを見て確信に変わる。

 

 

「天才とは、総じて部屋が汚いものなのよ!」

 

 自信満々に言い放ったそれは、聞かされた飛段たちをして清々しさを感じさせるものだった。

 

「まあ、凡人である飛段さんたちには分からないだろうけど」

「……前は無口だったか?」

「その前は確か、よく眠るでしたね。全部飛段さんが教えたことじゃないですか」

「よく覚えてるじゃない。流石はこの天才忍者ユトリ様が認めた凡人たちね!」

 

 傲慢と言わざるを得ないその態度。

 ただそれに対して腹立たしく思うことがないのは、恐らくはその外見のせいだろう。言ってしまえば怒ること待ったなしだが、幼い子どもが可愛らしく威張っているようにしか見えない。

 

「それで、今日は何の用なのかしら? いつもならタモツに言づけてたのに、飛段さんが直接ここまで来るなんて珍しいじゃない」

「実は生湯のやつから訳わからねえ任務受けちまってな。お前も忙しいところ悪いが、ちょっと助けてくれねえか?」

 

 何か手助けがいるなら終わった後に手伝う、そう付け足しながら飛段が真正面から頼みこむ。

 

 ここに来てようやくの本題だが、何も忘れていたわけではない。なんだかんだ言いつつも久しぶりに会う班員に飛段も心落ち着いていたのだろう。

 

 特に近頃は慣れない任務に、絡んでくる子どもたちとで疲労していた分それもひとしお。表情も心なしかその時と比べれば穏やかだ。

 

 

「い や よ」

 

 ユトリの一言によって崩れはしたが。

 

「は?」

 

 全く予想だにしていなかった返し。これには声をあげた飛段だけでなく、そばで成り行きを見守っていたタモツすらも呆けた表情を見せる。

 それは何も頼んだらなんでもしてくれる、元班員なのだから断るわけがない、などと思っていたわけではない。

 

 この少女ユトリは姿こそ幼く、会話の様子からも性格に多少の難があることが分かる。けれどユトリは、その能力の高さから里長である生湯によってまるごと一室を与えられていた。

 そのため――というのも押し付けがましいが、事実ユトリは湯がくれの里内に置いて里長である生湯に次いで任務に就き働いていると言っても過言ではない。

 

 飛段たちは頼み込む言葉からも分かるように、もちろんそのことを知っている。それは以前からユトリの元へ時折訪れていたタモツからの情報。中には忙しさだけでなく、ユトリの任務についての内容、進行状況なども当てはまる。

 そのためタモツは今回の任務の手助けも、現在ユトリが就いている任務の進行状況ならば問題ないと判断した。飛段はそのことについてはタモツから聞いていないが、タモツが連れてくるのならそうだろうと判断していた。

 

 結局、ただでさえ多いユトリの仕事を増やしてしまうことに変わりはない。

 だからこそ付け足した言葉、余裕がないのならばユトリの任務を手伝うのもやぶさかではない。むしろ助けられる側として当然だ、とまで考えていたが、同時に渋られはするだろうがここまではっきりと断られるとも考えていなかったのだ。

 

「飛段さんの補佐はタモツでしょ? 私も余裕こそあるけど任務に手抜きは出来ないし、他を当たったらどうかしら」

 

 呆ける飛段をよそに、にこやかに自身が手助け出来ない理由を並べていく。

 

 ユトリが言っていることは間違いなく正論だ。事実時間こそかかるだろうが、飛段とタモツならばやりきれないこともないだろう。

 ただそんなことは百も承知で来ているのをユトリは分かっている。加えて元々班員ということもあり、飛段が持つ計画への並々ならぬ意気込みもよく知っている。

 

 ならば、何故ここまで頑なに断るのか。

 

 意味ありげな視線を送るユトリに、飛段はその理由がようやく思い至る。

 

「……実は任務が成功したらよ、生湯から報酬がもらえることになってんだよ」

 

 その言葉に果たして何の意味があるのか。放たれた対象であるユトリの表情は疑問を浮かべているが、内容を知るタモツは得心がいったとばかりに手を打った。

 

「そんでどんな報酬かっていうと……まあ、一言でいえば人手だ」

「……! へえ、タモツから少ないって聞いてるし、よかったじゃない」

 

 口調、声音、仕草。その全てにおいて先ほどまでと変わりないが、話す直前に飛段へと送るユトリの視線が強まった。

 そして意図して作らせた飛段がそれを見過ごすはずもなく、確信づいた自身の考えを進めるべく言葉を繋げていく。

 

「いや、ただ人手っつても使えないやつを数十人より、使えるやつ十数人の方がいい」

「まあ、当然よね」

「でもってどうせならただ使えるやつ十数人より、天才一人がいてくれたら捗ると思うんだよ」

「凡人の思いつきにしては悪くないわね」

「……けど俺の知り合いに天才なんていたっけかなあ」

「探してくれば?」

 

 

『――――』

 

 

 

「そこは黙ってつられろよ」

「いやよ。天才の私を差し置いてタモツを補佐に選んだくせに、今更助けてなんて図々しいわ」

 

 わざとらしくそっぽを向いたユトリに、呆れながらも飛段たちは強い既視感を覚える。

 それは先刻飛段と組手をし、終わった後任務のため作業を続けようとした飛段を呼び止めまだ絡もうとしていた少年。

 

 恐らくの発端は飛段が責任者として任命され、補佐を選ぶことになった際。

 当時飛段が思い浮かべたのはタモツとユトリ、長年連れ添った班員たち。そこからさらにタモツへと絞ったのは、タモツもそうだがユトリはその能力から特に任務多く多忙だったため。

 

 そういった事情もあって戦後飛段たちの班は解散したのだが、どうやらユトリは納得していなかったらしい。というより、自身だけ仲間はずれになっているような思いもあったのだろう。

 それを助長させた要因に、解散以降タモツ伝手にしか会話をしていなかった飛段本人も当てはまることに気づき、思わず飛段は項垂れた。

 

「でも飛段さんが誠意ってものを見せてくれるなら、話は変わってくるかもね」

「……お前初めからそのつもりだったろ」

「この天才相手に凡人にしてはよくやった方だと思うわよ?」

「諦めましょう飛段さん、彼女はそういう方じゃないですか」

「お前自分に被害がないからって……まさか、お前ら初めから通じてやがったか!?」

「機会があれば連れてきて、不自然にならない程度に黙ってろってだけですけどね」

「勝負は始まる前から決まっているのよ!」

「ただの八百長じゃねえか!!」

 

 いくら元班員とはいえ、ユトリの就く任務はその殆どが重要度の高い極秘の物。そうにも関わらずタモツはどうしてあそこまで詳細に知ることができたのか。

 

 頼み込んだのは飛段とはいえ、実質タモツも含めて二人で頼み込んだのに等しい。なのに何故労働以上を要求されるだろう対価を、飛段のみが支払う方向へと話がすすんでいくのか。

 

 思い返せば違和感は他にもあった。

 ただそれを飛段が指摘しようと、『気づかなかったやつが悪い』などと言ってまた今のようにからかわれるのだろう。

 

「分かった……ただし、お前の研究に付き合ってやるのは一日だけだ! それ以上は任務もあるし絶対に認めねえぞ!」

 

 もはや諦めるしかない。

 恐らくはこの部屋の扉を開けた瞬間から、もしくは生湯から任務を引き受けた時には既に決まっていた結果なのだろう。

 

「ふふ、話が早くて結構よ飛段さん。まあ、この天才に任せなさい。どんなランクの任務でも一日とかからず達成させてあげるわ」

 

 

 

 ――この合法ロリが。

 

 苦し紛れに呟いた一言により、任務に取り掛かるまで丸一日かかったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 ユトリに与えられた部屋と比べればいくらか狭く感じるが、それでも一室にしては広いと言わざるを得ないその部屋。

 備え付けられている窓を眺めれば既に鮮やかな夕焼け色は闇にのまれ、微かな月明りが夜空に浮かぶ雲を照らすのみ。

 

 部屋に数個ほど置かれた机の上には、書類のようなものが束になっていくつか置かれている。だが部屋の最奥に設置された、他よりもしっかりとしたその机の上には、他とは比べるべくもないほどの量の書類。

 ただそれも目に見えて減っていく。飛段ならば一枚目で目を丸くするようなものだが、なんてこともないように対処済みの束になっていく。

 

 それらを無表情、無感動にもさばいていくのは湯がくれの里、里長である生湯ノドカ。

 午前は執務、昼はタモツによって急きょ行われた作業場の視察、そしてそれが終わったのちに真夜中ともいえる現在まで働きづめ。ただそれだけの激務にも関わらず、本人の表情は相も変わらず無表情。

 

 部屋にはただ生湯が書類をめくっていく音と、その上を筆がよどみなく滑っていく音ばかり。

 

「入れ」

 

 不意に生湯が口を開く。作業こそ止める気配を微塵も見せないが、部屋にそれまでとは違う、静かながらもよく通る音が響いた。

 

「失礼します」

 

 生湯の言葉からしばし間を置き、重々しくも扉の向こう側から聞こえた声はしわがれたもの。それからゆっくりと開かれた扉の向こう側から現れた者は、白髪の混じる初老の男。

 線が細いその体格だが、額あてをしている男は歴とした湯がくれの忍。重なる歳により一線こそ退いたものの、後方において後進育成の一端を生湯より任せられた者だ。

 

「飛段とタモツの両名がユトリに接触しました」

 

 言葉を捉えるに、恐らくは報告。

 だが飛段たちは大戦中、元々同じ三人組の班にて活動していた。そのため、飛段とタモツに任務を与えた生湯がそのことを予測できないはずもない。

 

「妥当だろうな」

 

 あの二人ならばそうする。長年のある種信頼からなるその予測は、態々合っていたとしても驚くほどのことではない。

 そのためかどこか素っ気ない返事となった生湯の言葉。それも自身の作業を未だに止めることなく発せられたその姿勢。事実そうなのだろうが、関心を惹かれるものではないと言っているように見られても仕方ない。

 

「……良いのですか?」

 

 会話をする際には相手の目を見る。そんな最低限のマナーを守らない生湯に男は顔をしかめた。

 それは表情だけでなく、放つ言葉にも先ほどまでの淡々とした報告より若干の棘、私情が混じり始めたように感じられる。

 

「何の話だ」

「あの三人は、これからの湯がくれの里にとって唯一の汚点となる存在です。大戦中ならまだ使いようもありますが、平和主義を謳う我が里にとって、やつらはもはや邪魔でしかありません」

 

 生湯の言葉に我が意を得たとばかりに言葉を連ねていく男。自信満々に話すその言葉には、もはや報告などといった体すらもかなぐり捨てられている。

 

「第一、計画の責任者が飛段という話もそうですが、やつが呼ばれて私が件の会議に呼ばれていないのがおかしいのです。私がその場にいたのならば、誇りある我が里を観光地帯になどという妄言は吐かせますまい」

 

 ペラペラとよく回る口だが、男は気づいているのだろうか。

 自身が話す相手は男の飲み仲間などではなく、本来忍としてひれ伏し従うべき里長。言葉が過ぎるにもほどがあるということを。

 

「ほお、お前ならどうするというのだ」

 

 挑発するかのようなその口調に、男は楽しそうに話していた顔を再びしかめる。それは口調もそうだが、見れば生湯は未だに作業を続け視線すらも男に向けていない。

 その変わらぬ態度に自身のことを棚に上げ、男は生湯へため息とともに苦言を吐く。

 

「お言葉ですが、私の面を見て話してくれませぬか」

 

 その表情はやれやれ、といったもの。

 男と生湯の歳は親と娘ほどに離れている。男から見れば、反抗期のしつけのなっていない娘を相手にしているようなものなのだろう。

 

 

「実のある話ならばな」

 

 男はまず、突然聞こえてきたその言葉を理解出来なかった。

 次いで理解すれば、何の気なしに辺りを見回し始める。それは、まさか自分に言うはずがないという検討外れな考えから。

 

 当たり前だが、見まわしたところで部屋には男と生湯以外誰もいない。そして男はそこまできて、ようやく先ほどの言葉が自身に向かって投げかけられたものだと理解した。

 

「年寄というのは話し相手が少なくなると聞く。聞き流してもよいのなら何時でも聞こう」

 

 生湯の声は努めて冷静だった。本心からの言葉かは分からないが、それが男の尊厳を踏み躙る言葉だとは理解しているだろうに。

 

 現に男は顔を真っ赤に染め、小刻みにプルプルと震える。そらは紛うことなき、けれど自身のことを棚に上げた的はずれな怒りから。

 そして二度目の言葉を前に爆発するだろうと思われたそれは、唇を噛みしめ手を力強く握りながらも静まった。

 

「……お戯れも、程々にして欲しいものですな」

 

 忍として敬い従うべき里長の執務中に、事実今更といえることを好き勝手話し、挙句苦言すらもかけた男。

 この時点で既にどうしようもないが、一応は大戦を経験しながらこの歳になるまで生きてきた老獪。溢れる衝動も、一時的に過ぎないが自身の理性で押さえつける程度わけはない。

 

「そうか、それはすまなかった」

「全くですな」

 

 生湯は謝罪をするも、やはり男を見ようともしない。それが形だけのものだと言うことぐらい、子どもでも分かるというもの。

 もちろん男がそれに気づかないはずがない。再び溢れそうになる激情を抑えながらも、男の傲慢なその心中には、ただ不快という二文字が浮かび上がる。

 

「……そういえば里長殿、最近一つ耳にしたことがありましてな。今更ですが、お時間よろしいですか?」

「構わない」

 

 そのため男は、最近手に入れることのできた自身の札を一枚切ることにした。

 

 本来なら戦闘、政治。あらゆる駆け引きの場において、自身が持つ相手の知らない札というものは然るべき場、ここぞというべき時に使うもの。

 それをあろうことか、男は相手に馬鹿にされたからと切る。大戦後の今も生きてこそいるが、男の現在の役職を思えばその力量も納得だ。むしろよく生き延びることができたというもの。

 

「その前にあの三人は、戦時中に里長殿が忍として育てるために連れてきた戦争孤児。これに相違はありませんかな?」

「事実だ」

 

 ――勝った。

 

 男はその厭らしい笑みを隠そうともせずそう感じた。見られていないとはいえ里長相手にする醜くも汚らわしいその表情は、これをだしに目の前のお高くとまった女をどうしてやろうか、そんな考えが明け透けになっている。

 

 そして自身の勝利を確信した男は、相手にとどめを刺すべく口を開いた。

 

「実は里長殿が連れてきたあの三人。やつらはかの悪名高い宗教、ジャシンきょ――

 

 けれど男の言葉は、意味の測りかねる中途半端な部分で急に止まる――否、止められた。それは何の前触れもなく、突然男の身を襲った謎の圧迫感によって。

 男は仮にも忍であるため、殺気やその類には一定の耐性がある。圧迫感こそあれ殺意の欠片も感じられないそれは、本来気を少しばかり重くする程度でしかないはずだ。

 

 けれど男は、一瞬だが自身の死を幻視した。

 惨たらしく、呆気なく、凄惨に、この圧迫感を放つ相手に殺される自身を確かに見た。

 

 

「私の、気のせいだろうか」

 

 その声は先ほどまでと変わらず、普通ならば厳かにも一種の頼もしさすら感じられる。だが男はその声に畏怖を覚えこそすれ、頼もしさなど露程も感じられることができない。

 

 何故ならこの男を襲う圧迫感、それは間違いなく声の主である生湯から放たれていたのだから。

 

「貴様は今、私直々に箝口令を敷いた言葉を口にしようとしていたように思ったのだが。実際のところ、どうなのだ……?」

 

 男は人としての本能的な恐怖によって体が震える中、何とか視線を動かすことでその視界に生湯を捉える。

 

 見れば何時の間にやら、生湯の作業をしていた手は止まっていた。紙をめくる動きも、筆を進める動きも、男が何を言おうと決してやめることのなかったその手を止めている。

 それどころか男が不快に思っていた、一切向けられることのなかったその視線すらも、ただ一心に男へとのみ向けられている。

 

 それだけを見れば男の勝ちだ。元よりそんなことにこだわっていたのは男だけだろうが、生湯の鼻を明かしこちらを意識させることには、多少の差異はあれど成功したといえるだろう。

 もっともその生湯からの言葉にただ冷や汗を流し、返事をすることも出来ない男にそんなことを考える余裕など片時もありはしなかったが。

 

 生湯は返事が返ってくるとは思わなかったのだろう。事実男の返事を一切待たずして、生湯は男へと静かに語りかける。

 生湯がその圧を収めない限り動くことすらできない男へと、男にとっては恐怖を駆り立てるに過ぎない言葉によって。

 

 

「私が、あれらをこの里の忍にした」

 

 男の顔が一面蒼白へと変わる。

 

 

「私が、あれらに忍として生きる道を与えた」

 

 男の足が崩れ落ちそうなほど震える。

 

 

「私が、あれらが再び集まることを良しとした」

 

 男の心中ではただ後悔の念が浮かぶのみ。

 

 

 

 

「里長である私が、あれらがこの里にいることを良しとしている。お前たちは、それだけ知っていればそれでよい」

 

 両の目が零れんばかりに見開き、口から言葉にもならない音を発しては震え続ける男。目の前の逆らいようのない絶対的な存在を前に、首を一心不乱に上下に振り、生湯の言葉を全身全霊をもって肯定する。

 

 その理由を客観的に言ってしまえば、自身と一回りほど離れた歳の娘にただ言葉をもって静かに諭されたのみ。けれど先ほどまでと違うその態度には、もはや侮蔑を通り越して哀れみすら誘う。

 

「分かれば、早々に下がるといい」

 

 言葉と共に男へと圧し掛かっていた感覚が離散する。そしてそれに気づくや否や、退出の挨拶もそこそこに這う這うの体で逃げる男。今更でしかないが、その様は仮にも忍としてなんというべきか。

 ただ生湯が男を呼び止め苦言を申すことはない。それは元より、生湯は男に与えた任務以上のことを期待などしていないから。

 

 報告では歳上ということだけで威張り散らすも、木っ端の任務すらまともに出来ないと聞く男。

 そんな男に今更苦言など意味もなく、ましてや頼んでもいない報告など聞く価値もない。人手不足の昨今でもなければ早々に引退させているところ。

 

 そしてしばらく、生湯は律儀にも男が開け放って行った扉を閉めようと、席を立ちあがり扉へと向かう。緩慢なその動きは、仕方ないがくだらないことに付き合ってしまったとどこか気だるげ。

 けれど取っ手に手をかけ扉を閉めたのち、生湯がふと思い出したように口を開く。

 

「……だが、そうだな」

 

 部屋から男も去ったことで、再び生湯一人となった空間に響く声。それは誰に届くことも――ましてや届かせる気もないただの呟き。

 

 

「あれらがこの私を脅かすというのなら、手を打たなければならないな」

 

 

 それはやはり誰に聞かれることもなく、ただ空に溶けて消えていった。

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