司令官を守ります!   作:たんじぃ

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11話

 

 

 海の上に浮かぶような心地よさは無い。泥の中に沈んでるように、重い体。

 酷い気怠さの中、吹雪はゆっくりと覚醒した。無機質な蛍光灯の光に、何度かしばたたかせる。うっ、と掠れた声が、薄い唇から漏れた。

 しばらくして目が明るさに慣れてくると、軋む体を起こして辺りを見回した。

 見覚えのない部屋。そして、彼女が寝かされているベッド以外には何も見当たらない。ベッドの枕元にはセーラー服が丁寧に畳まれており、彼女自身は病衣をまとっていた。

 

「どうして」

 

 眉間にしわを寄せて考えるが、どうにも記憶がぼんやりとしていた。霞がかかったように、ここに至るまでの事が思い出せない。

 このままでは、まるで状況が把握できない。そう考えた吹雪はとにかく外へ出ようと、裸足のまま、記憶をたどりつつ出口へ向かう。おぼつかない足取りで、ゆっくり、確実に歩を進める。

 

 扉を開けると薄暗い通路が伸びている。その先には上へと続く階段。階段を上りきり、開けっ放しの扉を抜けると、そこには医療機器がずらりと並んでいた。

 医務室。

 吹雪には見覚えがあった。

 何度も訪れた事がある、自身の深海悽艦化の経過を観察していた場所だと思い出した。

 するすると、糸をほどくよう徐々に思い出す。

「明石・・・は?」

 過去へ、過去へと記憶を辿る。

 

 そして。

「っ・・・司令官!」

 額に砲弾を受けたような衝撃があった。

 自分は吹雪、ここは鎮守府。自身の辿った末路の記憶も甦る。

 

「戻ってる」

 

 確かに深海悽艦と化し、金剛に沈めてもらった。なのにどうして生きているのか。体を見回しても、あの忌々しい黒の鎧は欠片さえ見当たらなかった。全て悪い夢であったのか・・・。

 しかしそんなはずはない、と彼女は断言できた。

 鮮烈に残っているあの痛みや苦しみが夢であろうことか、と。

 

 

 疑問は尽きなかったが、それは後で聞けば良いと隅へ追いやった。吹雪はそれよりも気になる点があったのだ。

 

 ちらりと自分が上ってきた階段…正確にはその扉を見つめる。扉が開きっぱなし、それも電子錠にも関わらず。確か医務室の管理をしていたのは明石。あの明石がそんなミスをするとは考えられなかった。だからこそ、吹雪は焦燥した。

 明石がミスをする程に、緊急な事態になっているのではないか、と。

 真っ先に頭に思い浮かぶのは鎮守府への襲撃。

 吹雪はぐっぱと指先の感覚を確認する。

 目覚めた時に比べると、確実に動きが良くなっている。

 医務室を後にした彼女は、その出口である工廠の、あまりの静かさにゾッとした。

 悪い予感がする。悪夢のようなシナリオが頭に浮かぶ。

(やっぱり襲撃か)

 そう断定した吹雪は一目散に執務室に向かう。

 

 

 途端、ドドン! と遠くで砲撃の音が聞こえた。

 窓ガラスが微かにビリビリと軋み、腹の底をまさぐられるような不快な震動が続く。

 その一つ一つが、吹雪に一年前を思い出させる。

(急がないと)

 まるで昨日の出来事のように鮮明に思い出される、赤い赤い光景。鼻を突き刺すような鉄臭さ。

(急がないと!)

 執務室までの廊下が、果てしなく長く感じる。無闇に手足をばたつかせるだけで、前に進まない。そんな錯覚に陥るほどに、吹雪は正気を失っていた。

「・・・っ!」

 そして、何もないところで、足をもつれさせて無様に転んだ。

 膝をしたたかに打ち付けたが、痛みなどどうでもよかった。奥歯を噛み締める彼女は、必死に焦りを堪えようとしていた。

 落ち着けと何度自身に言い聞かせても、動悸が止まない。床から跳ね返る鼓動に、更に緊張を覚える。手足が痺れてくる。

 

 今この瞬間も、弾雨の中戦っている仲間がいる。鎮守府のために、提督のために、身を削っている仲間がいる。

 そう考えると、吹雪には現実の自分があまりに情けなかった。

 金剛に沈めてもらえていれば、などという酷い八つ当たりすら頭に浮かんでくる。

 

「地獄だ」

 

 一年前の自分と同じ、無力なまま。おろか、戦場にすら立っていない。自身の努力は何も生まなかった、変えなかった。

 悔しさのあまり振り上げた拳は、しかし行き場を失って床に落ちた。

 

 

 

「・・・吹雪か?」

 

 

 その声に、吹雪の体が跳ねた。

 そっと頭を上げると、そこには困惑と驚きをない交ぜにした提督の顔があった。

「司令・・・官」

 提督の無事を確認した吹雪は、途端に脱力した。

「ご無事で・・・良かったです」

「吹雪、どういうことだ?」

 提督は訝しげに吹雪を見つめる。

「吹雪は轟沈したと報告を受けていた筈だ。私は幻覚でも見ているのか」

「幻覚なんて酷いです」

 吹雪が批難の声を上げると、しかし提督は頬をゆるめて笑った。

「冗談だ、許してくれ」

 そう言って手を差し伸べると、ぐいと吹雪を立ち上がらせた。

 そして、二人のいる廊下に沈黙が流れた。

 

 この無言が、吹雪にとっては苦痛だった。今まで避けていた提督の前で、無力な自分を晒して、どんな顔をすればいいのかわからない。何を話せばいいのかわからない。

 混乱する吹雪であったが、対して提督の表情は穏やかだった。

「なんだか懐かしいな。誰もいない鎮守府で、二人きりで話すのは」

「そう、でしょうか」

「そうだとも」

 再び沈黙が訪れた。

 つい先程まで必死になって探していた提督と会えたにも関わらず、今はこの場を離れたくて仕方がなかった。俯く吹雪の視線は真っ直ぐ下に向けられて、自分の頭がやけに重く感じた。

 今、提督は何を考えているのか?

 ふと吹雪の頭によぎった。

 金縛りにあったように前にも後ろにも動かせない足はそのままに、僅かに首をもたげ、彼女は提督の脚を一瞥した。

 

 その視線を、彼は見逃さなかった。

 

「・・・なぁ、吹雪」

「はい」

「これを見て、何を考える?」

 提督はガチャリと金属の脚をあげて見せた。

「それは・・・」

 一瞬、思考が凍りついた。

 僅かに和らいだ筈の緊張がたちまち膨らんで、いっそう大きくなって吹雪の元へ戻ってきた。

 ぎり、と彼女は歯噛みした。

 

「それは、私の犯した罪の跡で、一生消えなくて」

 一呼吸おいて、

「だから、私にはその罪を背負う責任があって、司令官を守らなくちゃ駄目で、それで。それで…」

 提督本人から、自身の考える罪について吐露させられることは、これが初めてだった。喉がカラカラに渇き、胸をこれでもかと締め付けられる。

 言いたいことはたくさんある。なのに、吹雪はそれ以降言葉を繋げなかった。

 

「そうか」

 しかし、提督は急かすことも咎めることもなく、受け入れた。そして、

「私はこう考えている」

 と前置きし、

 

「これは勲章なんだと、ね」

 

「勲章?」

 予想していなかった言葉に、吹雪は混乱した。提督は頷くと、部下ではなく、まるで子どもに御伽噺を聞かせるように優しげに語る。

 

「自分の身を呈して、大切な仲間を助けることができたんだ。吹雪、これはどんなに戦果をあげても手に入れることの出来ない、そして私にとって何よりも価値のある、名誉な勲章だと思っている」

 それから、と。

「一年前に私がこの勲章を手に入れてから、吹雪は変わったと感じている。だからもし、その原因が私にあるのであれば」

「司令官は悪くありません!」

 思わず吹雪は叫び、

「司令官は、悪くありません」

 二度、繰り返し、俯いた。

 

 強い拒絶であった。

 

 心の黒く淀んだ部分に、踏み込まれそうになった事が、酷く恐ろしかったのだ。

 

「吹雪はこの一年間、本当に頑張っていたね」

 

「えっ」

 またも意外な言葉に、吹雪は思わず顔を上げた。

「ちゃんと私は見ていた。応援していたし、心配していた。でも、吹雪は確実に私から距離をとっていたね」

「・・・・・・それは、司令官のために」

 そう言ってから、吹雪は言葉に詰まった。

 身を粉にし、情を捨て、がむしゃらになったこの一年間は、本当に司令官のためなのか、と。本当に司令官を見ていたのか、と。目を向けていたのは、吹雪自身ばかりではなかったのか、と。

 提督の真っ直ぐな飾らない言葉に、偽りのない瞳に、嘘を返すことはできなかった。

 今までの努力が、きまりの悪さを濁す為の、無鉄砲なものだと理解していた。

 省みた過去に、どれだけの提督への想いがあろうとも、提督と向き合うことを避けていた。

 上っ面だけでも提督の為に努力をしている自分を、俯瞰している自分がいた。化けの皮は元から剥がれていた。

 彼女が深海悽艦になったときに言ったのだ。

 

『殺したくない』と。

 

 自らの手が提督の血で汚れることを怖がった。

「ははっ」

 吹雪の口から乾いた笑い声が漏れた。

 改めて気づかされたのだ。

 全くに無為な時を過ごしていたことを。

 

 ──にも関わらず、提督は吹雪が頑張っていたと評したのだ。

 彼女の中には大きな後悔が残った。

 しかし、どこか救われた気がしたのだ。

 

 そう感じた時、吹雪の一人の時間が終わった。

 

「もし、吹雪が私のことを大切に思ってくれるのであれば」

「はい」

「私に寄り添って、共に同じ時間を過ごしてほしい」

 そう告げ、そっと吹雪の手を握りしめた。

 止まっていた二人の時間を、緩やかに溶かすように。

 

 足を失ったことを、運命だと、偶然だと、諦めて忘れることはできた。目を逸らし、見えていない振りをすることだってできた。たとえ彼を避けようとも、それを受け入れて、向き合ってきた吹雪の強さを提督は知っていた。

 

 

「私のせいで司令官は脚を失った。これは誰に何を言われても、私の中から消えることはありません」

「うん」

「司令官にとっての勲章でも、私にとっては背負うべき罪であるという考えも変わりません」

 今度は驚くほど軽やかに、言葉が流れる。

「でも、もし司令官が許してくださるのであれば」

 吹雪は膝をつき、手を握り返す。

 

 

「また司令官のお側に居させてください」

 

 

 それは彼女の決意であり、二人の新たな出発の号令であった。

 

 

 

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