日没を合図に作戦は開始された。
第一艦隊旗艦長門、随伴に榛名・日向・最上・利根・青葉。
第二艦隊旗艦吹雪、随伴に金剛・摩耶・北上・朝潮・江風。
三鎮守府の精鋭を集めた水上打撃部隊。
海上自衛隊航空部隊の哨戒機により確認された、本土近海における敵洋上戦力の撃滅が目的である。
「こんな形で再会するとはな」
「この前の演習以来ですね」
「味方となっては頼もしい限りだ」
「長門さんにそう言っていただけるなんて光栄です」
作戦前、長門と吹雪は軽く言葉を交わしていた。
「夜間からの戦闘、お互い気を付けよう」
握手を、と長門は手を差し出す。その大きく柔らかい掌が、小さくゴツゴツした琢磨の証を包み込む。改めて吹雪の強さが身に染みた。
他の艦娘も他愛の無い会話をする。戦闘中の連携を取りやすくするための付け焼き刃であった。
「ブッキー」
わざわざ全員に声をかけて回っていた金剛は最後に吹雪に歩み寄る。ニコニコとご機嫌であった。
「テートクと仲直りしたんデスね!」
「ええ、まぁ」
吹雪は頬を人差し指で掻きつつ、恥ずかしそうに顔を僅かに紅潮させる。
「んー! よかったデス!」
歓喜し、ガバッと抱きつく金剛。
「あ、暑苦しいです!」
吹雪は押し付けられる胸をぐいと無理矢理に引き剥がすと、乱れた服を整え、
「でも、私達がやることは変わりません。二度と司令官を危険な目には遭わせられませんから」
緊張感をもった顔で金剛に釘をさす。任せておけと胸を張る彼女はとても嬉しそうであった。
第二艦隊が先行する形で日の暮れた海を進む。
潮風が肌寒く、しかし勇んで熱を帯びた体に心地の良いものであった。
精鋭が集まっている事からか、無駄口は無いものの気持ちに余裕をもっての進撃。北上に至っては隠すことなく欠伸をしていた。
しかし。
吹雪は一人、この作戦に懐疑的であった。
合同の作戦であることは良い。しかしなぜ精鋭と称し各鎮守府から少数の艦娘を集めたのか。連合艦隊を複数編成する選択肢はなかったのか。
そして威力偵察が無いのはまだしも、確認したという深海棲艦の数、艦種すら伝えられていない。不自然であった。
合同作戦であるからには敵は強大なものと予測はできるが。
だから何か情報が増えるわけでもない。
気休め程度の交流で戦闘中の連携がとれるとも思えず、むしろ戦力の低下を招く可能性もある。伝達の遅さや正確さだけではない、長い間背中を預けていたからこそ機微に考えや動きがわかる、以心伝心という武器が無くなるのだ。
吹雪はふと肌がピリつくのを感じた。
「減速してください!」
忌々しい呪いのせいで深海棲艦の接近を直感的に感じることができた。本能的に分かる、もう見えていてもおかしくはない。しかし穏やかな水面が水平線の先まで続いている。
「吹雪さん、何かありましたか?」
朝潮がおずおずと声をかける。吹雪はそれを無視して黙考する。
「この感覚ならもう……」
空母棲姫と正面から対峙した時と同程度のひりつき。敵は目前にいても不思議ではない。吹雪は艤装を構える。
途端、反射的に体を横に投げ出した。
吹雪のいた場所に雷跡が走る。
「潜水艦!?」
朝潮は驚き悲鳴をあげる。
運良く魚雷は艦隊の隙間をすり抜けて行く。
「三時艦影!!」
次いで榛名も声を大に警告。
挟まれた、と誰もが焦燥した。
辺りに張りつめた空気が漂う。
長門をはじめとしたその場の全員が、緊張からかピリピリと、艤装を構える手を痺れさせる。
ただ吹雪を除いて。
「いつまでもへばってンな! 来るぞ!」
江風が叱咤するも、吹雪は膝をついたまま動かなかった。魚雷を回避しずぶ濡れになった彼女は、小刻みに震えていた。苛立ちを見せながら江風はさらに怒鳴りつけようとし、
「おい吹……き…」
しかしそれ以上声を荒らげなかった。否、総毛立ち、口を閉じざるを得なかった。
「ふふふっ……」
吹雪は笑っていた。
口の端を釣り上げ、笑っていた。
頬に張り付いた髪をかきあげ、その歪んだ表情が窺える。
「そういうことですか」
不自然な少数編隊。曖昧な情報。
対潜水艦の為に積んでいた爆雷は必要ないと出撃の直前に降ろされた。
誰の思惑かはわからない。
しかし疑う余地はなかった。悪くいえば疑心暗鬼に、良くいえば裏の裏まで見透かそうとする性根がそうさせた。
艦娘と深海棲艦、双方の消耗。それが狙いだろうと結論付ける。
まるで吹雪の思想を写し取ったかのよう。
憎らしかった。
吹雪は自身が進んできた方角を、目を剥き猛獣のように睨み付ける。
そして彼方、陸の敵に吐き捨てた。
「そんなに私達が恐いか!!!」
その場にいた全員が揃って吹雪に目を向けた。
高々駆逐艦。されどそこから発せられる濃密な殺気に、長門や日向でさえ動悸が激しくなる。
「江風さん、朝潮さん」
「は、はいっ!」
二人は名前一つ呼ばれただけで萎縮する。
「二人は潜水艦の足止めをお願いします」
「まて吹雪!」
口を挟んだのは長門であった。
「この艦隊の指揮は私がとる。勝手なことは許さない」
吹雪は長門を睨み付ける。
「あなたは今この状況を正しく理解していますか?」
「もちろんだ」
長門は怖じ気付いていたが顔には出さず、吹雪の前に立ち塞がる。
「とにかく三時の深海棲艦をどうにかしなくてはな」
ギリッと歯噛みしたのは吹雪。
何もわかっていない。何も見えていない。こいつは軍のお人形だと心の中で悪態をつく。
「戦艦棲姫にレ級もいるな。数はざっと二十。こちらに向かってきているようだから狙える射程に入れば即戦闘だろうな、時間がない」
「潜水艦はどうする?」
意見したのは日向。
「それならもう心配ないですよ」
「吹雪、なぜそう言える?」
「奇襲に失敗したとみて今しがた撤退したみたいですから」
吹雪の言葉に長門は怪訝な表情を見せる。
「わかるのか?」
「……わかります。理由は言えませんが」
更に顔をしかめた長門は、しかしこれを信じることにした。なにせあの吹雪が安全だと言っているのだから。
「もう射程圏内に入りますよ!」
青葉の警告に、長門は艤装を構え叫ぶ。
「陣形を整えろ! 砲雷撃戦開始だ!」
戦闘が始まって十と幾分、既に疲労の色が見えている者が出始めていた。一方で軽口を叩く余裕のある者もいる。
「呆れた。砲撃のタイミングも正確さもまるでなってねぇ」
「まぁまぁ、そんな時もあるよ」
「誰が一番多く沈められるか勝負するか!」
摩耶の愚痴は味方へのもの。それをなだめる北上、そして江風は、ある程度陣形を保ちつつも完全に独断行動をしていた。
摩耶の中距離砲撃は確実に急所を撃ち抜く。北上の何気なく放った魚雷は吸い込まれるように懐へ潜り込む。江風はアクロバティックに攻撃をかわしつつ、その所作の中で手品のように、いつ発射したのかわからない雷撃が気づけば敵を沈めている。
「化け物じゃな」
まるで彼女らだけが脆弱な敵と戦っているのではと錯覚するほど。利根には、必死で応戦する自分と比べて別世界の出来事のように思えてならない。
殆どこの化物三人と金剛の活躍により敵重巡洋艦二隻、駆逐艦五隻を沈めた。しかし艦娘側も利根、朝潮が大きく損傷している。そしてもう一人、無傷ではあるが肩で息をし、苦しげに顔を歪ませていた。
吹雪である。
横腹を押さえ、陣形を保つのについていくのがやっとの状態であった。
「ブッキー大丈夫デスか!」
異変に気づいた金剛が後ろから声をかける。
吹雪は金剛を一瞥すると、ゆっくり後退し並走する。そして息を整え、
「金剛さん、撤退しましょう」
提案に、金剛は目を丸くする。
「他の皆を置いて、デスか?」
頷く吹雪の顎から汗が滴った。
「誰が考えたのかこの作戦、恐らく『上の人間』が、私達艦娘も沈めようとしてるんじゃないかと思えて仕方ないんですよ」
「そ、そんな」
「私と同じですよ。艦娘が人間の脅威になる可能性を考え、彼らはこれから起こりうる第二の戦争に備えてあらかじめ艦娘を潰すつもりです」
吹雪の話を黙って聞く金剛は、少し今作戦について黙考する。そして、彼女の話に納得できると判断した。青葉や北上も、吹雪が説得すれば首を縦に振る。
しかしここで撤退をすれば、残る長門と日向の鎮守府の艦娘はどうなるのか。どうしても頭の隅にそんな不安がよぎる。金剛は非情になりきれていなかった。
「そこ固まるな! 狙い撃ちにされるぞ!」
長門の怒号が飛ぶ。
これに吹雪は全く相手にせず続ける。
「というわけで撤退を提案します。……正直私はこれ以上戦うのが難しそうです」
金剛は吹雪が押さえている横腹に目をやる。以前見た変色を思い出すと意を決し、
「わかりマシ……」
瞬間、金剛の体が横に跳ねた。
彼女のいた場所で耳を覆いたくなるような爆発が起こったのはその直後。
バシャバシャと水面を転がりながら、しかし金剛は冷静だった。
状況を整理する。
砲撃を受けた、そして吹雪に突き飛ばされこれを回避した。腕、脚、心肺、視力いずれも問題ないことを確認。問題は吹雪の安否。
辺りには焦げたような臭いが立ち込めている。
「ブッキー!」
直撃した、と判断した。
「ブッキー!!!」
金剛は、最上が探照灯で敵を引き付けているのを見て、全速で被弾した吹雪のもとへ向かう。
恐らくは敵戦艦による一撃、駆逐艦なら耐えるべくも無かった。
結論、吹雪は生きていた。
しかし金剛はその姿に、愕然とする。
吹雪の頬にまで達する白色化、髪からも色素が抜け落ち濁った灰色をしていた。
そして何より彼女の背中。
体の内側から鈍色の鎧が生えていた。
それは全身を覆ってしまうほどで、戦艦からの砲撃に耐えるほどには頑丈であった。砲弾を受け止めた跡であろう、中央には大きな凹みがあった。
吹雪は指先まで白くなった自身の手を見つめ、乾いた笑いを漏らした。
「金剛さん」
俯いたまま、彼女は口を開く。それは覚悟であり、運命であり、いつか訪れるとわかっていた事。
「私を殺してください」
正直、金剛も予想はしていた。しかし吹雪のように覚悟はできていなかった。
「そんなことできまセン!」
「言っていたでしょう、私が深海棲艦化したら殺せと」
「で、でも」
吹雪が顔をあげた。
金剛は、彼女の顔を見て言葉を失う。
「嫌、なんです」
深海棲艦になりつつある吹雪に驚いたのではない。
「司令官をっ! ……殺したくない!!!」
涙で顔をぐちゃぐちゃにして、子供のように泣きじゃくる吹雪に、金剛は声がでなかったのだ。
吹雪は、ちょっとしたお洒落をして仲間と街へ出掛けることは無くなった。甘いものを食べて笑顔をこぼすこともなくなった。土と埃にまみれて己を鍛え、自身の体の変化に苦しんだ。いつも冷たい表情で、どこか寂しそうだった。
そこに誇りや綺麗事などなく、あるのは泥臭く貪欲で一途な思い。
吹雪は深海棲艦になることを怖がっているのではなかった。
深海棲艦として、司令官を傷つけるかもしれないと、そんな未来に怯えて泣いているのだった。
「なんで、私を庇ったんデスか」
「はは……なんででしょうね」
力無く笑う吹雪。
涙に濡れてはいたが、金剛が忘れてしまうほど久しぶりに見た吹雪の笑顔であった。
金剛は血が滲むほど唇を噛み締める。
「ブッキーは大バカ者デス」
ずっと溜めてきた言葉がこぼれ出す。
「全部一人で背負って傷ついて」
一度吐き出した気持ちは、もう抑えられない。
「ブッキーを大切に思ってる人がいるんデス! テートクも、みんなも、私だって! 何もできなかった自分が憎くて、ブッキーの力になりたくて、ブッキーの事が大好きで」
もう自分が何を言っているのか分からなくなっていた。最期の最後に自分ばかり好きなように言って、なんて卑怯なんだと金剛は自嘲する。
いつも側で吹雪を見ていた。苦しんでいる姿を、健気に努力する姿を。いつしかその華奢な少女を支え、守りたいと思っていた。
でも実際は彼女の背中を追いかけるばかりで、守られてられてばかりで。挙げ句自身の不注意で死の淵へと追いやっている。大切な人を失いそうになっている。
そして金剛は気づく。
彼女は今、一年前の吹雪と同じ場所に立っていることに。
金剛は吹雪に砲身を向ける。
もちろんためらいはあった。しかし自分の同情や憐れみなど、吹雪の決意をねじ曲げるには値しないほどちっぽけだと感じた。彼女の固い決意を、築いてきた強い意志を、願いを知ってるからこそ、ここで拒否をするなどという選択肢はあり得なかった。
「金剛さんが、私の事をとても気にかけてくれてたのを知っています。でも、だから、金剛さんにお願いします」
金剛は月の隠れた空を見上げる。
どこかで狂った。
どこかで歯車がずれて、この様な結末を迎えた。
たった一人の大切な人のために、全てを尽くした少女。彼女は真面目が過ぎた。
その彼女の為にできることがあったはず、今更何を夢想しても虚しいだけであった。
だから、今できることは彼女の望んだ未来を、彼女のいない世界であれ約束すること。
金剛は精一杯の笑顔を浮かべる。
「安心してくだサイ。テートクは必ず守りマス!」
よかった、と吹雪は優しく微笑んだ。
二人は揃って笑顔のまま。
凪いだ海に砲撃の音が轟いた。
◇◇◇
平成XX年XX月XX日XX沖における戦闘詳報。
前略。
敵深海戦力と交戦、これの撃滅に成功するも我が艦隊への被害は甚大であった。
重雷装艦隊北上、駆逐艦江風が小破。
戦艦長門、金剛及び重巡洋艦青葉が中破。
戦艦日向、榛名、航空巡洋艦利根、最上、及び駆逐艦朝潮が大破。
駆逐艦吹雪――
――轟沈。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。短いですが吹雪編はこれで終わり、金剛編へと続きます。