『何だ』
そのいつもと変わらぬ感情のない声にシンジは少しだけ悲しくなった。今、彼は公衆電話を使い父であるゲンドウと会話しようとしていた。
「……実は、今日学校で進路相談の面接があって父兄へ伝えておくようにって言われたんだ。で、一応父さんへ伝えておこうと思って」
『そういう事は』
「ミサトさんに任せてあるんでしょ。分かってる。それでも僕の父親は父さんなんだ。忙しいかもしれないけど、こうでもしないと僕は父さんと話す事が出来ないから」
『…………今度メールを送れるようにアドレスを赤木博士から聞いておけ』
「っ! 分かった。その、ありがとう父さん。それと、この前僕の意見を応援してくれて嬉しかった。じゃ、仕事頑張って」
『……ああ』
その言葉への返事が聞こえるか否かで電話が切れる。だが、シンジはそれでも良かった。あの父が少しでも自分へ意識を向けてくれた。その事を噛み締め、シンジは受話器を置いた。
(でも、さっきの電話、最後いきなり音が途切れたような……?)
そう思うも気にする事でもないかと思い、シンジは少しだけ上機嫌に電話ボックスを出る。あの日、最初の使徒との戦いの後ミサトに言われた言葉。それを聞いてから彼は変わり出した。逃げるために逃げない事。その前向きで後ろ向きな考え方は、ゆっくりと少年に余裕と楽観さを育みつつある。今回の父親との短いながらも意味のあった会話もそれだ。
「逃げちゃダメだ。でも、逃げないのもダメかもしれない」
目の前の事から逃げちゃダメだが、それを行うためには最後の嫌な事から逃げなきゃダメなのだ。そこでシンジはふと思う。きっとこれをみんなやっているのだと。ただ、目の前から逃げるのか最後から逃げるのかで、その生き方が変わるのだろうとそう思い苦笑。
「僕は、もしかしたら逆になってたかもしれないな」
あの日、エヴァに乗る事を嫌がって逃げたら。きっと今の自分も周囲もないのだろう。そんな有り得ない事を思いつつ、シンジは歩く。その耳に遠くの方から選挙カーの声が聞こえてくるのだった。今、この第3新東京市は市議選の真っ只中であった。それも、本質的には意味がないのだが。
「うるさいなぁ。余計気温を熱く感じるよ」
うんざりしながらシンジは行く。目指すはネルフ本部。今日こそプールで遊ぶのだと、そうアスカが意気込んでいるのだ。そのためにミサトだけでなくリツコへも手を回し、一時間だけではあるがプールを貸切で使わせてもらえる事になっていた。
「そうだ。何か飲み物でも買って行こう」
途中で見かけた自販機へ近寄り、シンジはとりあえず硬貨を投入する。が……。
「あれ?」
そのままお釣り返却口へ出て来てしまったのだ。ならばともう一度やるも結果は同じ。別の物に変えてもそれは変化せず、シンジは首を傾げて歩き出す。そしてまた別の自販機を見つけ硬貨を投入。それも返却された。
「……変だ。どういう事なんだろ?」
「あっ、いたいた。シンジ~っ!」
聞こえてきた声に振り向けば制服姿のアスカとレイがいた。その手には明らかに通学鞄以外の荷物がある。きっと水着やゴーグルなどが入っているのだろうと思い、シンジは苦笑。
「それ、わざわざ取りに行ったの?」
「と~ぜんっ! ま、本音を言えば着替えたかったけど、そんな時間も惜しかったし」
「碇君、何かジュースを買ったの?」
「それがおかしいんだ。これも、さっき別の自販機でも一枚もお金を読みとらないんだ」
その言葉にアスカが不思議そうな顔をして自販機を見る。そして気付いたのだ。
「シンジ、これ電源落ちてるわ。ほら」
「……本当だわ。音がしてないもの」
本来ならば聞こえる稼働音。それがまったくと言っていい程聞こえない。それが意味する事は一つだった。
「停電、かしら。でも、そんな話は聞いてないし」
「もしかして使徒の仕業?」
「ないとは言い切れない。碇君、アスカ、本部へ行きましょう」
「そうだね。行こう、アスカ」
「はいはい。ったく、もしそうならどれだけあたし達の邪魔をしてくれんだか……」
こうして三人は少しだけ急ぎ目に本部を目指す。一方、その頃その本部では大人達が頭を抱えたくなっていた。
「ダメです。やはり予備回線に繋がりません」
「……生き残っている回線は?」
「全部で1.2%です。9回線のみとなっています」
「致し方ないか。生き残っている回線は全てMAGIとセントラルドグマの維持に回せ」
「本部内の生命維持に支障が出ますが……」
「ああ、だから致し方ないと言っている」
冬月の落ち着いた、けれどはっきりとした言葉に誰も返す言葉がなかった。シゲルも他の職員達もそこで悟ったのだ。それだけその二つは失う訳にはいかないのだと。そして同じ頃、ジオフロント内の別の場所も……。
「ダメです。主電源ストップしたまま」
「未だに復旧しない……有り得ないわ」
「やはり発令所に向かうべきでしょうか?」
「……そうね。少なくてもここにいるよりは現状を把握出来るでしょう」
マヤへそう返してリツコは小さくため息を吐いた。分かっているのだ。今の状況が何を意味するのかを。
(完全独立出来るよう作られたこのジオフロントで大規模な停電が起きるだけでもおかしいのに、それが復旧しないという事は人為的な方法しか有り得ない事態。……シンジ君達には知られたくないわね)
自分達の敵が使徒だけではない。守っているはずの人間の中にもいる。こんな事を少年少女へ知られたくないし知らせる訳にはいかない。そうリツコは思った。同じ事を彼女の友人も思っていると知らずに。
「正・副・予備……三つもの電源があって同時に全て落ちる。どう考えても人の手によるものよ」
「成程な。これはシンジ君達にはきつい話になるぞ」
「させないわよ。いえ、少なくともあの子達には人の悪意を受け止めろなんて言えない。これは大人の話よ。そこへ子供達を引っ張り込むなんて出来るもんですか」
ミサトの言葉に加持も同意するように頷く。そこに関しては彼も否定しない。だが、一方でこうも思っている。ネルフに関わっている以上、多かれ少なかれ大人の汚い部分へ触れる事になるだろうと。今、この二人がいるのはネルフ内のエレベーター。完全に密室状態となっている。どうにか脱出の方法をと思えない程、二人の置かれた状況は厳しかったのだ。
(分かってはいたが、こう反応されるとこっちも無傷とはいかないな。ままならんもんだ)
真剣な表情で考え込むミサトをチラリと見やり、加持はそんな事を思って頭を掻いた。そして、ぽつりと呟く。
―――こんな時に使徒が出ないといいんだが……。
まるでそれが呼び水となったかのように、その直後地上では戦自が騒ぎ出していた。
「索敵レーダーに正体不明の反応あり。予想上陸地点は旧熱海方面と思われます」
「……奴らか」
「ああ、使徒だろう。おそらく狙いはまたエヴァだ」
「あの紫が出るんだろうな。もしくは赤か青か」
「どれでもいい。我々の出る幕はないだろう。それでも警戒シフトにはせねばならんがね」
司令官同士がどこか軽い雰囲気のまま話しているのは、これまでの初号機による圧倒的戦果があるからだ。初戦二戦目と立て続けに瞬殺。三戦目は苦戦するも民間への被害はゼロにする結果。四戦目などはN2以上の威力を持つ武器を使い使徒を足止めし、再戦では見事に撃破。これだけの結果を全て五分以内で成し遂げているのだ。既に戦自内にも、どんな使徒が現れても初号機ならば大丈夫と言った楽観的意見が出始めているぐらいだ。
「使徒、上陸しました。依然進行中」
「向こうはどうしている?」
「沈黙を守っています」
「……ネルフはまた自陣へ招き入れるつもりか?」
そこで司令官の一人が小さな違和感を覚える。前回の戦闘は迎撃に出た。その理由を少なからず知っているのだろう。思わず同僚へこう告げた。
「迎撃用の設備は修復が完了したと聞いている。何も動きを見せないのは妙だ」
「では一体……?」
そこで部下の一人が二人へある連絡を繋いだ。それは統幕会議という幕僚達による会議の決定。その内容を聞いて二人の司令官はネルフの無反応の背景を悟った。それは使徒迎撃に関して現場の判断に一任するというもの。ネルフは事情があり即座の迎撃は不可能という内容だったのだ。それを聞いて佐官クラスに当たる者が背景を分からぬはずはない。
「そういう事か……」
「まったくタイミングの悪い! 使徒は来ているんだぞっ! あのエヴァも動けない今、どうやって奴を倒す!」
「電源車を送るか……? いや、もう今更間に合わん。せめて使徒が来ている事ぐらいは知らせる事は出来ないものか……」
今、二人の思考はどうやってネルフを、もっと言えばエヴァを動かすかだった。認めたくないが対使徒に関しては初号機が一番確実且つ適任と彼らも分かっている。故に被害や損害を考えるのなら、自分達ではなくエヴァを頼るのが効率が良いとも。
「……航空機を使うか。おそらく向こうも外部との連絡を取る手段を模索しているはずだ。その相手にでも届けば可能性はある」
「我々が出来る事はそれぐらいか」
「いや、大事な事があるだろう」
「何?」
「市民の避難誘導だ。ネルフへの連絡はそのついでに過ぎん。そうでもしないと上も納得せんだろうしな」
どこか苦笑いを浮かべながらそう告げる男に、同僚もため息を吐きながら頷く。現場で初号機の力を見てきたからこそ彼らは分かっているのだ。使徒の恐ろしさと、それを上回る初号機の頼もしさを。ここにもシンジとF型による影響が現れていた。その圧倒的な強さを見せる事と、被害を最小限に抑える事。この二つを目の当たりにしている事で、戦自内にもエヴァへ一目置く者達が出始めているのだ。今はまだ小さな揺らぎではあるが、これが後々に大きな波紋を起こす事になる。
「ダメ、動かない」
「やっぱり街全体で電気が止まってるのよ」
本部へのゲート前でシンジ達は立ち往生していた。全てが電気ありきで作られた科学の要塞は、その根幹を絶たれれば不便さの塊と化す。
「連絡は?」
「シンジ、どう?」
「……ダメだ。そっちもつながら」
その瞬間、シンジは思い出した。ゲンドウとの通話の最後の切れ方を。まるで突然切れたようなその瞬間こそが、この異常事態の始まりだったのではないか。そう思ったシンジはアスカとレイへ真剣な表情を向けた。
「アスカ、綾波、多分だけどこれは偶然じゃない」
「は?」
「どういう事?」
「実は、二人に会う少し前に父さんへ電話したんだ。そしたら、最後まるで回線が切れたみたいに通話が終ったんだよ」
電気と電話回線。その両方が同時に使えなくなる。それが偶然起きたと思える程三人は子供ではなかった。だが、幸運だったのは彼らがある意味で大人ではなかった事だろう。いや、正確にはシンジとレイがだろうが。
「やっぱり使徒の仕業?」
「そう考えるべきじゃないかな。急いでエヴァに乗らないと。どこかに秘密の入口でもあればいいのに……」
シンジのその言葉で少女二人が何かに気付いたように顔を見合わせる。
「レイ、緊急時マニュアル持ってる?」
「持ってはないわ。でも、ある程度なら分かる」
「でかした! シンジ、行くわよ。レイ、道案内頼めるわよね?」
「ええ」
二人の会話が理解出来ないシンジではあったが、これだけはすぐに分かった。それはこの二人に任せれば何とかなりそうだと言う事。
「よし、急ごう」
「こっちの第7ルートから下に入れるわ」
「って、いきなり力仕事か。シンジ、やるわよ」
「うん。綾波はアスカと一緒に」
「分かった」
三人で手動ドアを開け、少年達は光無き道へ足を踏み入れる。その闇の中を抜けてエヴァへと向かうために。こうして三人が暗闇を進み始めた頃、発令所では大人達が彼らに聞かせられない話をしていた。
「復旧ルートから本部構造を把握、ですか」
「そうだ。誰がやったか分からないがそれが今回の目的だろう」
そのゲンドウの言葉に冬月が呆れ果てたような声を出した。
「馬鹿な奴らだ。今は人間同士で争っている場合ではなかろうに」
「MAGIにダミープログラムを走らせます。全体の把握だけでも困難になるはずです」
「……頼む」
ゲンドウの答えに頷き、リツコは作業を開始する。その姿を眺めながらゲンドウと冬月は小声で会話する。
「初めての本部への被害が人間によるものとはな……やるせない話だ」
「人を人たらしめるのは考える事だ。だからこうなる」
「……人の天敵は人という訳か」
その返しにゲンドウは何も言わず、ただ無表情を浮かべるのみ。未だに電源の復旧はされず、使徒の接近さえネルフの者達は知らない。三人の少年達は接近を知らずとも結果としてその襲来へ備えて動いている。人と戦う大人達と使徒と戦う子供達。その目指す先は、本当に同じなのだろうか。静かな闇の中で光は見えず、それでも足掻くのが人間だ。そうシンジやミサトは言うだろう。では、きっと彼もそういう意味では同じ意見のはずだ。ただ、その目が未来ではなく過去を見ているだけで。だからこそ思い出したのだ。シンジのこのところの姿と今日の電話でのやり取りに、愛して止まない女性の事を重ねて。
(似てきたかもしれない。シンジはユイに……)
妻を失った男と母を失った少年。その歪んでしまった親子関係がゆっくりと変わっているのかもしれない。陰気な印象を与えるゲンドウを照らした光。それと近い輝きを放ち出したシンジによって。それは皮肉にもゲンドウが奪ってしまった光。母親譲りのそれを、少年は周囲の大人達と近しい友人達によって取り戻しているのだ。闇の中から現れる光。それは、本来あったはずの輝き。母から子へ受け継がれたはずのそれが、今奪った父を照らし始める。それでも、まだその効果は出ているとは言い辛い。だが、きっと無駄ではないだろう。現に、この親子を隔てる壁はほんの少しだけ厚みを減らしているのだから。
「いつもならすぐなのに……」
「これが俗にいう便利さの欠点ってやつね」
「ああ、慣れちゃうとそれがなくなるだけで困るっていう」
「そ。ま、仕方ない部分でもあるのよ。人間って楽しようとして色んなもんを作ってきた訳だし」
暗闇の中を歩くシンジ達。と、その時レイが無言で振り返って口に指を当てた。それにシンジとアスカが口を噤む。そして聞こえてきたのはスピーカー越しのマコトの声。使徒が接近している事を叫んでいる。それを聞いて三人は顔を見合わせた。
「間違ってなかったわね」
「使徒もこんな事が出来る奴が出てくるなんて」
「エヴァを動かせないようにしたと考えれば筋は通るわ」
そこで頷き合って三人は再び動き出す。だが、今までが歩きなら今度は駆け足だ。レイは無言で進み、その後をシンジとアスカが何も言わずついて行く。やがてその道が歩いていけないものへと変わる。それでも文句も疑問を言わず二人はレイを追う。
「レイ、この道で合ってるんでしょうね?」
「ええ。近道してるから」
「そんなのあるんだ」
通気ダクトを通り、進んでいく三人。と、そこでふとシンジはある事を思った。
「アスカ、綾波でもいいや。教えて欲しいんだけど、どうして使徒って呼ぶのさ?」
「「え?」」
「だって、使徒って神様の使いって意味だよ。普通敵の名称にしないんじゃない?」
その指摘にアスカとレイは顔を見合わせ小さく笑う。それにシンジは少しだけ疑問符を浮かべた。どうして笑うのかが分からなかったからだ。
「ホント、あんたって変なとこに気付くのね」
「ええ。あまりにも身近すぎて気付かないところに」
「えっと……」
「理由は知らない。けど、今のあんたが言った言葉にヒントがあるんじゃない?」
「ええっと、神様の使い?」
「多分そう。碇君、邪神でも神は神。なら、人に害を為す相手を送り込むなら神の使者でも敵」
「……成程ね」
正体不明だからこそ邪神の使いと考え使徒と名付けたのか。そう理解しシンジも頷いた。そうやって進んでいると分かれ道となる。左右に分岐していて、どちらかが正解だろうと思われた。
「綾波、どっち?」
「多分……左」
「なら左に行きましょ。今は時間が惜しいから」
即断即決。アスカらしい思考である。何よりも使徒が迫っているのなら、ここにいる誰かは必ずエヴァに辿り着かなければならない。かといって分散は迷子になる可能性がある。レイが居る方は大丈夫かもしれないが、いない方は危険だからだ。
こうしてパイロット達が着実に本部へ近付く中、マコトから使徒接近の報を受けたゲンドウ達はエヴァの発進準備へ取り掛かっていた。当然だが、人力を使った手動である。一応緊急時用のディーゼル動力があるが、普段の作業とは比べ物にならない程の大仕事となっていた。
「停止信号プラグ、排出完了しました」
「よし、まず初号機だけでもエントリープラグ挿入準備にかかれ」
「しかし、まだパイロットが……」
汗を流しながらのゲンドウへやや困った顔を浮かべる作業員だったが、そんな彼へリツコが微かに笑みを浮かべてこう言い切った。
―――大丈夫。シンジ君達は必ず来るわ。
まるでその言葉が呼び水だったように大きな音と共にシンジ達がそこへ現れた。一番下のシンジをクッション代わりにする形でレイとアスカが座る形で。
「……まさか上から降ってくるとはね。まさに天の福音だわ」
「よし、エントリーの準備っ!」
「了解です。手動でハッチ開け!」
シンジ達の姿を確認し、ゲンドウが声を張って周囲へ指示を出す。それを合図に再び騒がしくなるケイジ内。その様子を眺めながらシンジはリツコへ疑問を投げかけた。
「あの、使徒がこの状況の原因なんですか?」
「えっ? ……そう、かもしれないわね」
「何よ? いまいちハッキリしないわね」
「赤木博士、原因は分かってないんですか?」
「え、ええ。でも、そうね。たしかにタイミングが良すぎるもの。無関係とも言い切れない可能性があるわ」
実際には彼女のやっていた実験が引き金になっているのでそこは教えてもいいのだろうが、だからといって三系統の電源全てをダメにするはずはないとも知っている以上、リツコはシンジの話に合わせて有耶無耶にする事を選んだ。彼女なりに子供達の心を気遣ったともいえる。
「で、エヴァはもう準備出来てる?」
「ええ、人の手でね。司令の発案よ」
その言葉にシンジ達は汗を流しながら動き回る大人達を見た。それはシンジとレイにとっては二度目の、アスカにとっては初めての裏方の姿。だからこそシンジは思わず呟いた。
「これだけの人達が僕らを支えてくれてる。だから、絶対負けられないんだ」
その呟きにレイは頷き、アスカは小さく笑みを浮かべた。その三人を見て、リツコが無意識に微笑んだ。
(本当に、真っ直ぐな目をするようになったわ。シンジ君も、レイも、アスカさえも)
ミサトが本来の優しさを取り戻したように、リツコもまた静かに女性らしい慈愛を見せ始めていた。その根底にあるのはレイへの特別授業だろう。あれが彼女へ擬似的な子育てを経験させているのだ。レイの変化と触れる事で、リツコもまた影響を受けていた。
「さ、準備して。司令はシンジ君達が来る事を信じて汗を流していたのだから」
「僕が?」
「ええ、真っ先に初号機を優先させていたもの。貴方の頑張りを見ているんだわ」
「……父さんが」
心なしか嬉しそうに言葉を呟き、噛み締めるシンジ。その横顔にレイとアスカが微かに微笑む。リツコもまた。そしてシンジ達はプラグスーツへ着替え、それぞれ出撃するためにそれぞれのエヴァへと乗り込んだ。それを支える大人達に感謝しつつ、三人は出撃許可が出るのを待った。
「プラグ挿入っ!」
「全機、補助電源にて起動完了!」
「第一ロックボルト外せっ!」
「2番から32番までの油圧ロックを解除」
「圧力ゼロ、状況フリー!」
「よし、各機実力で拘束具を除去! 出撃っ!」
『『『了解っ!』』』
大人達の頑張り。それを受け、子供達が動き出す。その離れて行くエヴァの背を見つめながらリツコは呟く。
「もしかしたら、大人は子供と触れ合って初めて大人になれるのかもしれないわね」
その呟きは、無事動き出したエヴァを送り出す周囲の声に搔き消されるように埋もれる。大人達の見送りを受け、三機のエヴァは通気口を通って地上へ向かう。そしてその道が横から縦になろうとした瞬間、初号機が変化した。
「……この上にいるって事ね」
「みたい」
「どうするの?」
既に初号機の変化を一種の危機察知能力として活用しているシンジ達。横道で身を潜めながら、縦穴の上にいるであろう使徒をどう対処するかを話し合う。場所の関係上マゴロク・E・ソードは使い辛い。加えて相手を視認していない以上様子見も含めてマステマ使用が一番となった。
「じゃ、綾波」
「ええ、やってみる」
前回の弐号機が使用出来た事もあり、ならば今回は零号機で試してみようとなった。こうして次は別の問題を話す事に。それは弐号機が見つめる先にある。
「さっきから流れてるアレ、絶対ヤバイ奴よね」
縦穴へとめどなく流れているオレンジの液体らしきもの。それは使徒の出す強酸性の液体だった。使徒へ攻撃するにはそれを防ぐ事が必須。フィールドがどこまで通用するか分からないが、そうなればその役目を担うのは一人だった。
「僕がいくよ。この初号機ならきっと平気なはず」
「ん。じゃ、攻めがレイで守りをシンジ。あたしは一応ここで待機しておくわ」
こうして動き出す二機のエヴァ。弐号機の見守る中、まず初号機が縦穴へ貼りつくようにして使徒の液体を食い止める。そしてあろう事かそのまま初号機は縦穴を昇り始めたのだ。使徒の流す溶解液を押し戻すように、ゆっくりとじわじわと。それに驚いたのは使徒である。このままでは自分の出した溶解液で自分が溶かされてしまう。そう思ったのだろう。溶解液を出すのを止め、その場から離れようとした。が、それこそ初号機が待っていた流れだった。
「行くよ綾波」
「ええ」
体を横に向け、溶解液を下へ流してレイの視界を確保させるシンジ。すかさず零号機が手にしたマステマの射撃を行う。それはフィールドをあっさり貫通して使徒の息の根を止めるのだった。
全てが終わり、本部の電源が復旧した後、ミサトは加持と二人でリツコから一部始終を聞いていた。
「へぇ、シンちゃんがそんな事をね」
「ええ、もう彼は立派にエヴァパイロットとしての自覚と誇りを持っているわ」
「そしてそんな彼に影響されてアスカ達も変わり出した、か」
「正確には私達も、かしら。そうでしょミサト」
話を振られたミサトは嬉しそうに笑みを見せ、小さく頷いた。最初は孤独にさせたくなかっただけ。それが気付けば弟のように思い出している自分がいるとミサトは分かっていた。そんな彼女の初めて見せる表情に、加持は心底見惚れた。美しい笑み。慈愛を感じさせる横顔。全てが彼の知らないミサトだった。
(そんな顔を隠してたのか……。いや、するようになったんだな、葛城)
あの頃よりも歳を重ね、お互いに良くも悪くも変わった。その一例を加持はそこから強く感じ取った。と、そこでミサトが自分に見惚れている加持に気付いた。だからだろうか。先程までの慈愛がそうさせたのかもしれない。
「加持君、惚けているわよ?」
少しだけからかうように、だけどそこにほんの少しだけ好意を込めて告げたのだ。
「……本気で惚れ直していた。綺麗だよ、本当に」
「っ!?」
真剣な眼差しと声。それがミサトの中にあった在りし日の想いと熱を呼び覚ます。そのまま見つめ合う二人に気付かれぬよう、リツコはため息を吐いた。
―――おかしいわね。もう空調は直ったはずなのに……。
そう呟く彼女の顔は、どこか嬉しそうでどこか羨ましそうでもあった。
同じ頃、シンジ達は街を見渡せる場所にいた。ゆっくり明かりが戻って行く様を眺めて、ぽつりとシンジが告げる。
「光がない方が星は綺麗に見えるけど、この光があるから星は綺麗だって思えるんだろうな」
「何それ。哲学? あんたらしくないわね」
「かもね。でも、星を綺麗なんて思うのは人間だけだと思うから」
「ま、そうでしょうね。星座も神話も人が作り出したもんだし。あと、あたしは星が見えなくてもこうやって明るい方が好きだわ。落ち着くもの」
「明かりがないと落ち着かない。それは、人が闇を恐れ、光を求めているから」
「闇を恐れ光を求める……」
レイの言葉にシンジは何か思い当ったかのように空を見上げた。その空は先程までと違って星が良く見えない。と、その時そっとシンジの手に触れる物が合った。
「綾波?」
レイが隣に立ち手を重ねていたのだ。その温もりがシンジには懐かしく思えた。彼女もシンジのように空を見上げたまま口を開く。
「きっと最初に星を綺麗と言った人は、誰かと一緒に見たからそう言った気がする」
すると、もう一方の手にも何かが触れた。
「アスカ?」
アスカも手こそ重ねていないが、レイと同じくシンジの隣に立っていた。彼女も空を見上げ、どこか笑みを浮かべていた。
「もしくは、暗闇の中でやっと見つけた光だったからじゃない? 例えどんなにちっぽけな輝きでも、その人にとっては何よりも明るいものだったのよ」
二人の少女が告げる言葉に、シンジは目を閉じもう一度空を見上げた。夜の闇の中で見えた星空は、心なしかさっき見上げた時よりも綺麗で明るい気がした……。
碇シンジは精神レベルが上がった。底力のLVが上がった。
新戦記エヴァンゲリオン 第十一話「静止した闇の中でも」完