エヴァだけ強くてニューゲーム 限定版   作:拙作製造機

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またも使徒戦のない話。だからこそ人間関係を描かねばならない……はずですけどねェ(汗


第十五話 嘘も沈黙も

「きょ、今日はありがとう父さん。わざわざ時間を作ってくれて」

「気にするな。あまり時間も多くはない」

 

 その日、シンジはゲンドウと司令室で直接話をする機会を得ていた。実に初めてエヴァに乗った時以来の直接会話である。この辺りにも二人の関係が普通の親子ではない事が見て取れる。

 

「えっと、実は父さんに聞きたい事があって」

「何だ」

「母さんの、事なんだ」

 

 その言葉にゲンドウの眉が少しだけ動いた。そんな事に気付くはずもなく、シンジは正直な気持ちを父へぶつけた。

 

「ね、母さんってどんな人だったの? 僕はほとんど覚えてなくて」

「…………優しい女性だった。明るく太陽のように私には思えた」

「太陽……」

「ああ、太陽だ。少なくとも私にはそうだった」

「そうなんだ。家事とかは?」

「得意と胸を張って言う程ではなかったが、出来ない訳ではなかった。仕事と家庭、両方を大切にしていた」

 

 シンジは話しながら驚いていた。あの寡黙な父がこうも饒舌に話すとは思わなかったからだ。しかも、普段は感じない感情の熱を感じられる程に。それだけ母が大事な存在であり今も思い続けているのだろうと、そうシンジは思った。それが妙に嬉しくもあり悲しくもあった。

 

「父さんは母さんを今も愛してるんだね」

「……ああ、そうだ」

「そっか。僕も一度会って話をしてみたかったな、母さんと」

「会って話を、か……」

「え? う、うん……」

 

 何か不味い事を言っただろうか。そうシンジが思う程、ゲンドウの空気が変わったのだ。まるで内心を見透かそうとしているかのようにシンジを見つめるゲンドウ。その眼差しに彼はどうしたものかと戸惑いを隠せない。やがてどれぐらい経ったのだろうか。急にゲンドウが机の上にある電話から受話器を取った。

 

「……私だ。五分だけスケジュールを遅らせろ」

「え?」

 

 聞こえた言葉の意味が理解出来ないシンジだったが、ゲンドウはそれだけ告げると受話器を戻して視線をシンジへ向ける。

 

「母と、ユイと会って話をしたいのか?」

「う、うん。さっきも言ったけど、僕は母さんの事何も覚えていないに近いから」

「…………もし仮にそれが可能かもしれないとして、お前はどうする?」

「母さんと会える可能性があるって事?」

 

 シンジの問いかけにゲンドウは無言で頷く。その真意が分からぬシンジではあったが、そんな事を言われて考えれば答えは一つしかなかった。

 

「やるだけやってみる、かな。例え話せなくても会うだけでいい。母さんの顔、知りたいから」

「……そうか」

 

 どこか嬉しそうにゲンドウは笑みを浮かべる。それは心からの笑みだった。まるで共犯者を得たような犯罪者のようなその笑みに、シンジは若干怖さを覚えるものの、それでも目を逸らす事なくゲンドウを見つめた。

 

「……時間だ」

「あ、うん、分かった。ありがとう父さん。じゃあ、仕事頑張って」

「シンジ」

「何?」

「近い内にあそこへ行く。お前も来い」

 

 そのあそこの意味を理解し、シンジは首を縦に振った。そして一度として後ろを振り返る事なく部屋を出て行く。その背をゲンドウは微かな笑みを浮かべて見送るのだった。この時初めてゲンドウはシンジをしっかり見たかもしれない。だがしかし、それはシンジの望む形ではなかった。

 

「どうした碇。不気味な顔をして」

 

 そんな事を思い出していたゲンドウを現実に引き戻す冬月の声。今、ゲンドウと冬月はヘリの中にいた。その眼下には湖が見える。第二芦ノ湖だ。勿論天然で出来た訳ではない。使徒との戦いによるものだった。

 

「何でもない。それで、ゼーレは何と言ってきた」

「計画遅延の文句だ。議長が直接とは相当お怒りだな」

「解任するぞと言ってきたか」

「分かってるなら何とかしろ。前回の事で向こうも相当イライラを溜め込んでいるようだ」

「ダミープラグに着手しアダムも順調だ。一体何が不満だと」

「肝心の補完計画が遅れているからだ」

 

 ゲンドウへ教師のように答えを突き付ける冬月。それにかつての姿を思い出したのかゲンドウは微かに息を吐く。

 

「全ての計画はリンクしています。問題は」

「あるだろう。綾波レイはどうする」

 

 遮って告げられた現実。それからゲンドウは目を背けるように視線を外へ向けた。もうこの話は終わりだ。そんな意図を汲み取り、冬月は仕方なくこの場は流してやる事にした。

 

(本当に子供だな。良く言えば純粋。悪く言えば我が儘。本当に……変わらんのだな、六分儀)

 

 結婚し苗字を変えたところでその根本が変わる訳はない。ゲンドウは碇になっても六分儀の頃のままだ。そう痛感し、冬月は別の話題を振る事にした。

 

「そういえばあの男はどうする?」

「好きにさせておきます。アレらと同じで」

「もうしばらくは水の中、か……」

 

 その言葉を合図にしたかのようにヘリは第二芦ノ湖から遠ざかるのだった……。

 

 

 

「十六年前、あそこで何が始まったんだ?」

 

 その加持の呟きに答える者はいない。だが、近付く者はいる。その気配に加持が素早く振り返る。しかし、その相手は両手を上げていた。更に言えば加持の知っている相手であった。

 

「私だ」

「あんただったのか。すまないね、脅かして」

 

 加持の謝罪に相手は取り合わず無視するかのように話し出した。それらは二人がいる場所にも関係する話。マルドゥック機関と呼ばれる組織の話だった。二人のいる場所はその機関と関係する企業があるはずの場所だった。だが、そこはただの廃屋。とてもではないが企業らしさは欠片もない。

 

「ここもダミー、か」

「ああ。108ある企業の内の107個目の、な」

「で、ここも取締役が?」

「知っていたか」

 

 相手の言葉に加持は頷く。そう、それらの企業の取締役にはゲンドウや冬月の名前が並んでいるのだ。つまりマルドゥック機関とはネルフに関連する組織である。そして、その目的はエヴァンゲリオン操縦者の選出だった。にも関わらず組織の実態は不透明という怪しさのみが際立つ存在だ。

 

「貴様の仕事はネルフの内偵だ。余計な事はしない方がいい」

「分かっちゃいるがね。何事も自分の目で確かめないと気が済まない性分なもんで」

 

 そんな加持の返答に相手は何も言わずその場を去る。残された加持はぼんやりと宙を見上げた。

 

―――ただ、確かめられないもんはどうすりゃいいんだか……。

 

 その脳裏には一人の女性が浮かんでいた。今、彼がもっとも意識し心奪われている女性の姿が……。

 

 

 

 卵焼きにウインナー、ポテトサラダには小さく刻んだチーズを混ぜてプチトマトを一つだけ。それに豆とひじきを甘辛く煮たものとカボチャフライ。ご飯には何もされていないが、物足りなければ包みに入れてあったのりたまをお使いください。それがレイの用意したお弁当だった。ただし、ウインナーは彼女の分には入っていない。代わりに卵焼きが一つだけ多く入っていた。

 

「どう?」

「うん、いいんじゃないかな? バランスもそこまで悪くないと思う」

「でも、やっぱりもう少しテンション上がるもんが欲しいわ。ハンバーグとはいかないまでも、せめて肉団子とか」

「分かった。今度は入れてみる」

 

 三人揃っての屋上での昼食。今日はレイの番。ローテーションになって既に三回目のレイお手製弁当は、初回よりも手作りが増えていた。最初はよくあるお弁当のおかずとして売られている物の組み合わせだったが、最近それらは、自分で作るのが困難な物や時間がかかる物だけに使用を留め、出来る限り手作りを心がけているのだ。

 

「綾波、このひじきは自分で?」

「ううん、それは市販品。煮物とかは時間もだけど経験も必要」

「でも、この前のシンジは美味しい煮物入れてきたわよね。筍と人参、味よくしみ込んでたもの」

「あれは夜の残りだったからだよ。冷えると浸透圧の関係で煮汁がしみ込むんだ」

「「へぇ」」

 

 口を揃えて感心する二人の少女。そのままシンジを見つめて無意識にご飯を口に入れる。その様にあの共同生活の名残を感じ、シンジは小さく笑った。そんな彼の反応に同時に小首を傾げ、アスカとレイは互いへ顔を向ける。

 

「碇君、どうしたの?」

「さあ?」

「あ、アスカも綾波も本当に仲良くなったよね。やっぱり一緒に暮らしてるから?」

「……かしらね」

「多分そう。色々ケンカする事もある」

「ケンカ?」

「あー、口喧嘩よ。ていっても、激しいのじゃないわ。今のみたいな夕食の献立や味付け。あるいは日用品の買い忘れや替え忘れとかね」

 

 アスカの言葉に頷くレイを見て、シンジは内心でこう思っていた。それじゃ本当に家族だよと。何せ彼も似たような事をミサトとしているのだ。味付けこそもうなくなったが、日用品関係は未だにある。それと、部屋の掃除関連で散らかさないようにとのケンカも。

 

(ケンカする程仲が良いってそういう事なのかな?)

 

 昔から言われている事を改めて実感するシンジ。そうして他愛ない会話をしながら話はだんだん休日の事へ変わっていく。アスカは自覚した恋心のため、レイよりも先んじてシンジと関係を深めたい。だが、ここで素直に誘えないのが彼女である。当然切り出し方は妙な感じとなった。

 

「でもさ、休日ってどう過ごすか困る時あるわよね」

「そ、そうかな? 僕は困る事はないけど」

「え~? 毎度予定がある訳じゃないでしょ?」

「あー、うん。さすがにそういう訳じゃないけど……」

「今度のお休み、碇君は何か予定あるの?」

「えっと、一応」

 

 そのどこか嬉しそうな返しにアスカとレイの箸が止まる。そして瞬時に隣へ視線を動かす。レイ? いえ、アスカじゃないの? そんな言葉を目でやりとりし、少女二人は小さく頷いて少年を見た。若干むっとした表情で。

 

「ど、どうしたの……?」

「「誰?」」

「え?」

「「誰と会うの?」」

 

 今にも迫ってきそうな二人の迫力にシンジは困惑しつつも答える事にした。ここではぐらかさないのは好判断と言える。ま、飄々とした男性がいれば駆け引き下手だなと苦笑するだろうが。

 

「父さん、だけど……」

「「何だ……」」

 

 明らかに安堵したように二人はそう返すと再び弁当を食べ始めた。それに理解が追いつかないシンジではあるが、どこかで期待している事があった。

 

(今の、アスカと綾波がやきもちやいてくれたとかだったら嬉しいなぁ)

(あーあ、あんなに緩んだ顔しちゃって。あたしといる時もそういう顔しなさいよね)

(碇君、嬉しいのね。でも、あの顔は深い意味がある時の顔に似てる気がする……)

 

 正解と知らず、少年はそう思って顔を綻ばす。そんな彼を見て少女達はそんなに父親と会える事が嬉しいのかと、そう思って小さくため息。まさしくすれ違う互いの気持ち。それでも完全にすれ違ってはいないのが救いだろうか。

 

 そのまま食事は賑やかに楽しく終わりを迎え、下校したシンジ達はその足で揃ってネルフ本部へ向かう。そこでシンクロテストを行う事になっていたからだ。

 

「じゃ、またあとでね」

「またあとで」

「うん、またあとで」

 

 着替えるためにそれぞれ別れる三人。と、シンジはふと足を止めて振り返る。

 

「……あの二人と僕は一緒に寝た事があるんだよな」

 

 クラスの誰も知らない三人だけの秘密。あの後、ミサトからシンジは教えてもらったのだ。最後の夜は機材のトラブルで見られても聞かれてもなかったと。

 

―――だから正真正銘あの夜だけはシンちゃん達だけの思い出よ。

 

 その言葉が頭を過ぎる。あの夜の会話があって今があるとシンジは理解していた。アスカとレイのルームシェアを決めたのも、あの使徒戦を勝利出来たのも。

 

「また、いつか出来るかな?」

 

 今度は訓練などではなく普通の友人として。出来るのならミサト達三人のようにと、そう思いながらシンジも着替えるべく更衣室へと向かうのだった……。

 

 

 

「ネクローシス作業、終了」

「可逆グラフ、測定完了しました」

「三機共、シンクロ維持に問題なしです」

 

 オペレーター達の報告に頷き、リツコは隣にいる親友へ視線を向ける。彼女は今微妙な表情を浮かべていた。

 

「明日着てく物?」

「……やっぱ分かる?」

「まあね。私も悩んでいるもの」

 

 明日、二人の友人が結婚するのだ。その式に着て行く格好でミサトは頭を悩ませていた。何しろ結婚式へ招待されるのも一度や二度ではない。その度にドレスなどを着るので同じ服は選びたくないし選べないのだ。リツコもそこは同じ。内心で二人はこう思っていた。

 

((いつもスーツで済ませられる男はいいわね……))

 

 そして脳裏に浮かぶは同じ男。飄々としている気障な男性だ。二人の大学の同級生でもある彼も式には招待されている。

 

「いっそ着物でもレンタルする?」

「冗談。下手したら一人だけで悪目立ちするわよ」

「それもそうね。あ、あのオレンジは?」

「……察してよ」

「ああ、そういう事。私は幸か不幸かあまり変化しないから」

「あんたのは不健康な生活だからでしょ。シンちゃんの美味しいご飯出されてみなさい。あっと言う間に太るわよ?」

 

 互いにふざけ合うように会話するミサトとリツコ。かつて大学時代も似たようなやり取りはした。だが、その頃と今では何かが違うと思っていた。その理由も、お互いに何となくであるが理解もしている。あの頃は上辺だけの付き合いに近いものがあった。そりはあっても深くまでは知ろうとせず、また教えるつもりもなかった。それが今は互いの内面へそれなりに踏み込んでいる。だからだろうと。

 

「新調するしかないか……」

「出費がかさむわね」

「ホントよ。三十路前だからってみんな焦っちゃってさ」

「最後の一人になりたくないんでしょ。私だってそう思うもの」

「ドレスにご祝儀……いつかその分徴収してやるんだから!」

「ふふっ、怖い怖い」

 

 そう話を終えたところでリツコは意識を切り替える。

 

「三人共、あがっていいわよ」

『あー、やっと終わった』

『今夜はどうする?』

『シンジ、家に寄ってまた新しいレシピ教えなさいよ』

『そうね。碇君、お願い出来る?』

『えっと、ミサトさんいいですか?』

「いいわよ。ただし、お泊りはなしだからね?」

『『『分かってます』』』

 

 揃って告げられる呆れた声で通信は切られる。その最後の言葉に苦笑するミサトとリツコ。気分はもう姉のようなものだ。ミサトはシンジの、リツコはレイのだろうか。だが、彼女達は知らない。ここに加持がいれば、ミサトがアスカの姉ポジションとなり、見事に自分達の関係と近しいものが出来上がる事を。

 

「そういえば、シンジ君は明日会うんでしょ?」

「そうみたい。今から若干楽しみにしてるわ」

「……上手くいくかしら?」

「上手くいかないでもいい。ただ、逃げずに話を出来るだけでも成功よ」

 

 噛み締めるようなミサトにリツコは視線を少しだけ向ける。そして確信したのだ。以前自分と母の関係を聞いて分かったと言った背景を。彼女もまた向き合ったのだろうと。

 

(複雑なものね。父とすれ違ったミサトはシンジ君と司令に己を重ね、母を憎んだ私はレイで擬似的な子育てを経験。それが結果的に過去を受け入れる下地を作っているなんて……ね)

 

 本当に出来過ぎな関係性だ。そう思ってリツコは軽く笑う。でもそれをどこかで好ましく思っている自分がいると知っているから。そのリツコの笑みはミサトに気付かれるまで続いた。その頃、着替え終わった三人は揃って夜道を歩いていた。買い物のためスーパーへ行くためだ。

 

「あ、そうだ。綾波に聞いてみたい事があるんだけど」

「何?」

 

 シンジの言葉にピクンと反応するアスカ。レイはそれに気付かず小首を傾げる。

 

「明日父さんに会うんだけど、いつも綾波は何を話してた?」

「どうしてそんな事を?」

「うん、いつか偶然綾波と父さんが話してるとこを遠目から見たんだ。その時、二人して楽しそうに話していたから」

「は? レイ、あんたよくあの司令と楽しげな会話が出来るわね」

 

 あまりの内容に聞き耳を立てていたアスカが思わず会話へ参加した。シンジとしては別に何の疑問もない行動だったので気にしなかったが、アスカは内心で失敗したと感じているのだろう。その表情が微妙な感じになっていた。

 

「そう? そんなにおかしい?」

 

 その問いかけに無言で頷くシンジとアスカ。この辺りはシンジも素直である。

 

「……そう。でも、最近は碇司令と話す事はほとんどないわ。だから思い出せない」

「そうなんだ」

「ええ。最近は碇君やアスカと話す方が多いし、赤木博士やヒカリとも話すから」

 

 そこでシンジは軽く驚きを見せる。レイがヒカリを名前で呼んだからだろう。アスカはそんな彼の反応から即座に理由を察し、苦笑して説明をし始めた。理由は簡単だった。アスカを名前で呼んでいるレイを見て、ヒカリが付き合いの長い自分が苗字呼びなのが不満だったのだ。それを言われ、ならばとレイが自発的に名前で呼ぶ事を始めた。その事情を聞き、シンジも納得。

 

「そっか。委員長も綾波と親しくなりたいって思ったんだ」

「名前で呼ぶのは親しい証拠なの?」

「どうだろう? 一つの方法かもしれないけど……」

「ま、日本人はそういう感覚かもしれないわね。海外じゃ名前で呼ぶのは普通だし、親しさは愛称とかで呼ぶ事だもの」

 

 アスカの言葉に頷き、レイはシンジへ視線を向ける。その瞬間、アスカが彼女の言葉を遮るように発言した。

 

「い」

「ダメよ。シンジを呼び捨てにしていいのはあたしだけ。レイは今のままでいいじゃない」

「どうして? 私も碇君と親しくしたいわ。碇君は?」

「え? そ、そうだなぁ。僕も綾波とは親しくなりたいけど……」

 

 レイの視線に微かに表情を緩めてシンジは答える。それがアスカは気に入らない。

 

「今も言ったでしょ? 呼び方を変えたところで親しくなるわけじゃない。もっと分かり易く親しくなったと、そう周囲に分からせたいなら……こうよ」

 

 そう言うとアスカはシンジの手を掴むと自分と繋ぐ。あまりの事にシンジは瞬きするしかない。と、レイはそれに頷き残るシンジの手と自分の手を繋いだ。

 

「え……? ええっ!?」

「何よ? 嫌なの?」

「嫌なら言って」

「い、嫌じゃないけど……どうしてこうなるの?」

「べ、別にいいでしょ? あたし達は世界に三人のエヴァパイロット。その仲が良いのはむしろ喜ばれる事だし」

「ええ。それに、私はアスカだけじゃなく碇君とも一緒に暮らしたかった」

 

 顔を赤めてのアスカの言葉はシンジの耳には届いたが目には届かない。彼女は気恥ずかしさで顔を背けていたからだ。レイの発言はシンジに大きな衝撃を与えた。何せそれを言われた瞬間、かなりぐらついたのだ。

 

(も、もしかしたらあの生活が日常に……?)

 

 毎朝アスカにレイと顔を合わせ、共に食事を取り登校する。帰っても二人と一緒に過ごせ、必ず悶々とする事請け合いだが、今よりもその関係を進める事が可能なのは言うまでもない。そこまで考え、シンジは首を横に動かして意識を切り替えた。

 

「と、とにかく時間も遅いから早く買い物を済ませよう。ほら、アスカも綾波も行くよ?」

「「ええ」」

 

 繋いだ手は放される事なく、むしろより強く繋がれる。それに嬉しそうな笑みを浮かべる二人の少女。それを見る事なく歩き出す一人の少年。余談ではあるが、この夜帰宅したシンジは手を洗う事はなかった。

 

 

 

「シンジの奴、結局口出ししかしなかったわね」

 

 シンジも帰宅し、いつもの二人に戻ったリビングでアスカはそうぼやく。だが、言葉とは裏腹に表情は嬉しそうに緩んでいる。気付いていたのだ。どうして彼が自分で料理をしようとしなかったのかを。

 

「ええ。それにいつもはするはずの手洗いもしなかった。どうして?」

「ま、そこが分かるようになったらレイももっとシンジと仲良くなれるんじゃない?」

 

 突き放せばいいのに出来ないアスカ。ここに彼女の本質が見える。気に入った相手にはとことん優しいのだ。ただ、その優しさは不器用極まりないだけで。だが、そんな不器用な優しさも素直で無垢な相手には伝わるもので。

 

「そう。ありがとうアスカ」

「はいはい。お礼を言われるような事じゃないけどね」

「言われるような事。だって、アスカは分かってるのに教えようとしない。それは私が自分で気付かないと意味がないから」

「…………そんなんじゃないわよ」

 

 レイの素直さが羨ましくて、アスカは小さく呟いた。本当はレイとシンジが両想いであると知っているからだ。そう言えないアスカであるが、彼女もまた自分の事は分かっていないのだろう。シンジはレイと同じぐらいアスカの事を意識している。しかし、アスカはシンジとレイがデートをした事を知っているし、守れるなら守りたいと言われた自分と違い、命懸けの戦いで守ると言われた事も知っているのだ。

 

(シンジはレイが好きなんだわ。ま、そりゃそうよね。ここまで素直で従順な子、あたしが男でも好きになるもの)

(碇君の気持ちをアスカはよく分かってる。やっぱり私はまだ人の気持ちを分かる事が出来ない。感情を出せるアスカを碇君がよく見るのも当然ね)

 

 揃ってため息。互いに自身への自信がないのはご愛嬌。恋愛において二人はまだまだ経験不足である。そして当然二人の想い人も。

 

「アスカ、お風呂どうする?」

「……久々に一緒に入る?」

「……そうね。背中流すわ」

「ん、お願い。あたしもしてあげるから」

 

 そうして二人が入浴準備を始めた頃、シンジはミサトから一着のドレスを見せられていた。

 

「どう? 明日の結婚式に着てくんだけど」

「似合ってますよ。それに、何というか大人って感じです」

「あら、アリガト。でも、出来れば次は白いドレスを着たいもんだわ」

「白いドレス?」

「そ。女の憧れってやつよ」

「ああ、ウェディングドレス」

 

 シンジの言葉にどこか遠い目をして頷き、ミサトは宙を見上げた。学生の頃と今では憧れ方が違うのだ。昔は漠然としたもの。今は現実的なもの。だが、奇妙な事にその想像での相手役は今も昔も変わらなかった。

 

(ダメね。やっぱりあたし、あいつが好きなんだわ……)

 

 今はどこかへ出張している加持の事を思い浮かべ、ミサトは小さくため息を吐く。苦労するのが分かっているからだ。主に家事の事で。

 

―――ど、どうかしら?

―――あ、ああ。美味い、ぞ。ただ、俺の好きな味じゃないかな。うん、今度から俺が作るわ。

 

 思い出すのはかつての暮らし。同棲と言う名の、擬似夫婦生活。ただ、今思い出せばとてもではないがそうではなかったとミサトは思う。あれはままごとだ。互いにそれらしく振舞い、それらしく思っていただけのごっこ遊び。今のシンジとの生活の方が余程それらしいとさえ思う程の時間だ。だけど、それが今のミサトにとっては懐かしく笑みが浮かぶ思い出。

 

(また、あんな風になるのかしら?)

 

 そう思って微笑むミサト。そんな彼女に気付きながらもシンジは何か言う事なく、そっとその場を離れる。

 

「ミサトさん、加持さんの事が好きなのかな?」

 

 もしそうなら応援したい。シンジにとって、ミサトが姉みたいな存在なら加持は兄にも近い存在だった。あの共同生活の際に渡された小さな紙袋。それをあの生活が終った後、彼は密かに開けてみた。そこにあったのはまごう事なき避妊具だったのだ。勿論最初は複雑な気持ちになった。だけど、中学男子にとっては買う事さえ難しいそれをシンジが捨てるはずもなく、今も財布の中に万が一の際の保険兼お守りとして入れていた。

 

「……今度、アレの着け方教えてもらおう」

 

 そう心に誓う碇シンジ十四歳。彼もまた思春期の少年であった……。

 

 

 

 定番のスピーチ。定番の歌。もう何度となく聞いてきたそれらを終え、ミサトとリツコはため息を吐く。

 

「「はぁ……」」

 

 見る者が見れば妙齢の美女二人。お近づきになろうと思う男が現れてもおかしくないのだが、そうさせない程の壁のような物が二人にはあった。ミサトは言うまでもなく意中の男がいるからであり、リツコはリツコで男の誘いはお断りなのである。

 

「来ないわね、加持君」

「……あいつが時間通り来た事なんてないわよ」

「デートの時は、でしょ。仕事の時はきっちりしてるわ」

「そうだったわね。あたしは仕事以下か……」

 

 そのミサトの呟きにリツコが小さく息を吐いて何かを言おうとした時だった。

 

「いやぁ、お二人共お美しい。どうです? この後ご一緒にお酒でも」

「「そっちの奢りなら」」

「あら、これは手厳しい」

 

 苦笑いしながらミサトの横へ座ろうとする加持。それを見て苦笑するリツコとやや複雑な顔のミサト。と、その目が何かに気付いて軽く呆れつつ笑みを浮かべた。

 

「ヒゲ、剃りなさいよ。あとネクタイ曲がってるわ」

「おっと……その、何だか悪いな」

「別に。それだけ急いで来たんでしょ? 仕方ないわよ」

「葛城……ありがとう」

「どういたしまして。はい、これでよし!」

 

 まるで夫婦のようなやり取りを眺め、リツコは羨ましそうな眼差しを送る。以前ならば何とも思わなかった光景。だが、レイという擬似的な娘を得た今の彼女にはそれは遠く眩しいもの。どこかで望まぬようしていた気持ちを強くさせる景色。

 

(あの人はきっと私を求めていない。彼女の代わりにさえなっていない。それは、母さんも同じだったはず。それでも……)

 

 手にしたグラスを傾け、リツコはその中身を飲み干す。少しだけ強めのアルコールが喉を焼くように落ちていく。それがまるで今の気持ちの熱のようにも感じて、リツコは横目で一組の男女を見た。

 

「……未練、かしらね。私も、二人も」

 

 その呟きは聞かれる事なく会場のざわつきに消える。式はもう終わりが見え始めていた。

 

 ミサト達が結婚式会場で合流したその頃、シンジはゲンドウと共にある墓の前にいた。

 

「三年ぶり、か。二人でここに来るのは」

「そうだね。あの時、僕はここから逃げ出してから一度も来てないから。だって、未だに実感が湧かないんだ。ここに母さんが眠ってるって」

 

 二人の視線の先には碇ユイの名が刻まれた墓標があるだけ。そこだけ俗世と切り離されたような場所に、シンジとゲンドウは佇んでいた。

 

「人は思い出を忘れる事で生きていける。だが、決して忘れてはいけない事もある」

「それが母さん?」

「ああ、ユイもその一つだ。ユイは私にかけがえのないものを教えてくれた。その確認のために私はここへ来ている」

「そうなんだ。写真とかもない?」

「全て処分した。この墓も飾りのようなものだ。遺体もない」

 

 その言葉にシンジはどこか悲しそうな顔をして墓標を見た。まるで母の生きた証が全て消えたような気がしたのだ。そう思って悲痛な表情を浮かべるシンジをチラリと見やり、ゲンドウは息を呑んだ。一瞬ではあるがシンジの横顔がユイのそれと重なったのだ。

 

「どうしたの、父さん?」

「……何でもない」

「そう。でも、本当に先生の言ってた通り、全部捨てちゃったんだね」

「全て心の中にある。今はそれでいい」

 

 ゲンドウが告げた言葉にシンジはふと思い出す事があった。いつかミサトの言った言葉を。例え嫌われるとしても、言える内に言っておいた方がいいという言葉を。

 

「父さんは、父さんはそれでいいかもしれない。でも、僕は顔も声も何も覚えてないんだ。どうして僕の事は考えてくれなかったの?」

 

 返ってくる言葉はない。だが、シンジは止まるつもりはなかった。堰を切ったように感情や言葉が溢れてきたのだ。

 

「僕だって母さんの思い出が欲しいんだ。それを一番持ってるのは、話せるのは父さんでしょ? 僕へ教えてよ。母さんの事を、母さんの思い出を! 独り占めなんてズルいよっ!」

「シンジ……」

「父さんは僕が嫌いなの? 母さんの思い出があれば僕はいらないの!? 答えてよっ!」

 

 子供の癇癪。そう表現するのにおかしくない内容だった。それでも、それは初めてシンジが父へ見せた子供の顔。そしてゲンドウが初めて触れた子供の駄々。沈黙がその場を支配する。目を見開いてゲンドウを睨むように見つめるシンジと、その眼差しに戸惑うゲンドウ。やがてゲンドウがその場から立ち去ろうと動き出した。

 

「父さんっ!」

「時間だ。先に帰る」

「逃げないでよっ!」

 

 立ち去る背中へシンジは追いすがるように声をかける。すると、ゲンドウが一度だけ足を止めた。そして振り返る事なく告げる。

 

―――……また、時間を作っておく。日時はメールで知らせる。

 

 今度こそ足を止める事無く立ち去るゲンドウ。その背をどこか呆気に取られたまま見送るシンジだったが、その姿が見えなくなる直前で我に返り、大声で叫んだ。

 

―――待ってるからっ! メール待ってるからね、父さんっ!

 

 それに対する反応はない。それでもシンジは嬉しそうに笑みを浮かべる。自分の声が届いたと、そう感じて。そして彼も上機嫌のまま帰宅しようと歩き出し、ある程度まで行ったところで不機嫌なアスカと出会った。

 

「あれ? アスカ? 一人?」

「シンジ? そうよ。レイはヒカリの家でお料理教室」

「そうなんだ。じゃあ、どうしたの? アスカも一緒にいたんじゃ?」

「……あたしはヒカリの頼みで年上の男と会ってきたのよ。ま、デートってやつかしら」

 

 その言葉にシンジは思わず拳を握った。アスカとデートした男へ嫉妬したのではない。そうであったにも関わらずアスカが不機嫌である事。その理由を彼なりに勘違いしたのだ。

 

「もしかして嫌な事されそうになったの?」

「え? ううん、そんな事はなかったわ。まぁ、あのままだと可能性はあったかもしれないけど」

「ホッ……ならどうして?」

「簡単よ。つまんない男だったの。だからジェットコースターの待ち時間で帰ってきた」

「そ、そうなんだ」

「ん」

 

 話しながら思い出したのか、アスカは不機嫌な度合を強めていく。それを見てシンジはどうしたものかと考える。きっとアスカは本心で言えばレイ達と合流したいのだろう。だが、デート相手を置いて帰った以上、頼んできたヒカリとも顔を合わせ辛いのだ。そう判断し、ならばとシンジは思い付いた。

 

「アスカ、良かったら少し部屋に寄ってかない? 多少は気持ちも晴れるかもしれないよ?」

「いいけど、ミサトいないんでしょ? 何するつもりよ?」

「えっと、数少ない僕の趣味みたいなものを見せるよ」

 

 そのシンジの趣味という言葉に興味を惹かれ、アスカはシンジと共にミサトの部屋を訪れる。そしてリビングで待たされる事少し。シンジが大きなケースを持って現れる。

 

「……何よこれ。ヴィオラ?」

「チェロ。五歳の時からやってるんだ。そこまで巧くないけどね」

「へぇ、見かけによらないわね。聞かせて?」

「うん、ちょっと待ってて。久しぶりに弾くから軽く練習したいんだ」

 

 そう言うとチェロを取り出し準備を始めるシンジ。その姿を見てアスカはある事に思い至る。

 

「ね、シンジ」

「ん?」

「これ、こっちに来てから弾いてないの?」

「そうだね。この部屋に来てからは一度も。それが?」

「別に。ちょっと気になっただけ」

 

 見るからに上機嫌のアスカに首を傾げつつ、シンジはチェロを弾き始める。五歳からやっていただけあり、そこまで下手ではなかったが、心を打つ程のものでもない。だが、アスカにとっては人生で一番嬉しい演奏だったろう。何せ、彼が人に聞かせた演奏は初めてだろうと踏んでいたからだ。自発的に誰かへ声を掛け、自分のチェロを聞かせるなどシンジがするはずないと。

 

(レイも知らないしミサトだって知らないシンジの趣味、か。あたしだけのための演奏なんて、意外とロマンティックかも……)

 

 出会った時の不機嫌さなどどこへやら。知らず満面の笑みを浮かべアスカはシンジの演奏に聞き入っていた。そんな彼女に気付き、シンジは不思議に思いながらも嬉しく思って音を奏でていく。

 

(何だろう? 今までで一番弾いてて楽しい……? そっか、アスカが、聞いてくれる誰かがいるからだ。それも、あんなに嬉しそうに……)

 

 これまではたった一人だけの演奏会。それが、一人だけでも観客が出来た。二人きりの秘密のコンサート。これも彼ら二人だけの思い出に変わる。少年の父は思い出を忘れる事で生きていけると言った。だが、少年はこの街に来てからの思い出を忘れる事などしないだろう。そう、きっと少年はこう言えるはずだ。思い出を忘れては生きていけないのだと。辛い事も苦しい事も嫌な事も、楽しい事や嬉しい事や好きな事に変えていけるのだから。現に、今の彼はそうだった。かつては辛く苦しい事もあったチェロ。それが今、楽しく嬉しい事へ変わっている。そして、きっと好きな事にもなるだろう。その演奏を笑顔で聞いてくれる可愛い観客がいる限り。

 

 

 

 無事に式も終わり、今は三人だけの三次会へ突入していたミサト達。楽しい酒は進むもの。気が付けばミサトはもう顔が赤くなり始めていた。

 

「ちょっちお花摘みに行ってくる」

「大丈夫か?」

「へーき」

 

 ヒラヒラと手を振ってトイレへと向かうミサトを微妙な顔で見送る加持とリツコ。だが、まだ酔い潰れる程ではないと理解したのだろう。加持は視線をミサトから外して手元のグラスへ向けた。

 

「あいつがヒール、か。何年振りだろうな……」

「ミサト、飲み過ぎね。はしゃいでもいるし」

「浮かれる自分を抑えようと飲んでるんだろ。どうしてかは知らないが」

「あら、一緒に暮らしてた割にそこは分からないの?」

「どういう意味かな? それに、暮らしてたのも葛城がヒールなんて履く前だ」

 

 そう答えて加持も思い出すのだ。ミサトとの同棲時代を。何もかもが新鮮で、輝いていたあの頃。好きな女と一緒に居られる幸せ。だが、それは現実をまだ知らないからこそのものだと後で思い知ったのだ。

 

「学生時代には考えられなかったわねぇ」

「俺も今よりガキだったし、あれは精々共同生活止まりさ。本気の同棲はもっと甘くない」

「シンジ君との生活も?」

「あれは同居。葛城の方が立場は上で養ってる側だ。俺の時とは異なるさ。っと、そうだ。これ、猫の土産」

「あら、ありがとう。こういうところはマメね」

 

 少しからかうようなリツコに加持も苦笑を返す。

 

「こういうところは、ね」

「ミサトには?」

「一度敗戦してる。負ける戦はしない主義だ」

「勝算はあると思うのだけど?」

 

 本気で加持をけしかけている。そう分かる表情と言い方のリツコに彼も思わず顎を触る。彼もどこかで同じ事を思っているのだ。だけど、だからこそそれが違った時が怖い。勝手に勘違いをして、勝手に決めつけて、そして傷付くのは嫌なのだ。故に大人は誤魔化す。

 

「リっちゃんは?」

「私も負ける戦はしない主義」

「負ける戦は……成程。最初から負けてる戦は別って事か」

「ええ。最初から結果が分かっていれば期待もしないで済むわ」

 

 嘘だった。どこかでもしかしたらを信じていたのだ、最初は。だが、そんな事はないとすぐに気付いた。気付いたけれど逃げ出せなかったのだ。何故なら、彼女へすがる時の彼は本当に弱い姿を晒していたから。

 

(ホント、私も女を捨てられないのね。そして、母にもなりたいと思い出しているなんて……)

 

 レイとの時間。それがリツコの母性を目覚めさせた。それと、教える喜びも。そんな事を思いグラスを傾けるリツコを横目に、加持は戻ってこないミサトへ意識を向ける。

 

「遅いな葛城の奴。化粧を直してるのか?」

「京都、何しに行ったの?」

 

 そこへ投げ込まれる言葉に加持は内心の動きを出さず、不思議そうに問い返した。

 

「松代だぞ? その土産」

「いつか言った事覚えてる? あちこちに粉かけないようにって。これは友人としての忠告」

「真摯に受け止めるよ。かけるなら君だけにって事だな」

「どこにかけて欲しい? 警察? 弁護士?」

 

 加持がリツコの手を握ったところへ聞こえる優しい声。それにため息を吐くリツコとゆっくり視線を動かす加持。そこには携帯片手ににっこりと微笑むミサトが立っていた。

 

「あー、おかえり」

「変わんないわね、その軽いとこは」

「いやぁ、変わってるさ。生きるって事は、変わるって事さ」

 

 その表現がシンジを表しているように思って、ミサトはリツコへ視線を向けた。

 

「ホメオスタシスとトランジスタシスね」

「早口言葉?」

「今を維持しようとする力と変えようとする力。その矛盾する二つの性質を一緒に共有しているのが生き物なの」

「男と女だな」

 

 加持の表現に思う事があるのか、リツコは手にしたグラスの中身を全て飲み干した。

 

「そろそろ帰るわ。一人になりたいの」

「そう。気を付けてね」

「ええ」

「残念だけど仕方ないな」

「また機会があれば誘って頂戴。じゃあね」

「うん」

 

 席を立ってミサトの横に来た時、リツコが彼女だけに聞こえるような声で囁いた。

 

「ミサト、まだ火は燃え残っているわよ」

「え?」

「じゃあね」

 

 笑みを浮かべながら小さく手を振るリツコへ手を振り返し、ミサトはどこか釈然としないものを感じながら携帯でどこかへ電話をかける。相手はシンジ。帰りが遅くなる事を伝えたのだ。連絡を終えて、ミサトが席に座ろうとすると加持がその動きへ待ったをかける。

 

「何よ?」

「さすがに飲み過ぎだ。リっちゃんじゃないけど俺達も帰ろう。送っていくから」

「……もう連絡入れたのに」

「なら、別の場所で酒を軽く抜いた方がいい。足元、おぼつかなくなってきてるだろ」

 

 良く見てる。そう思ってミサトは観念する事にした。こうして二人は店を出て歩き出したのだが、やはりミサトがどこか不安定な足取りをしていた。それを見て加持がこう提案したのはある意味で当然だったかもしれない。

 

「葛城、今のお前じゃヒールは無理だ。俺に背負われるかあそこへ行くか選べ」

「へ? あそこって……」

 

 加持が指さすのはネオン眩しい建物。所謂連れ込み宿と言うものである。それを理解してミサトは少しだけ酔いが醒めた。

 

「ば、バカじゃないの! あんなとこ行くぐらいならおんぶの方がマシよっ!」

「よし、決まりだな。ほら、背中に乗って靴脱いだら手で持ってくれ」

「分かったわよ……」

 

 そこでミサトは気付いた。今の提案は最初からこの選択を選ばせるためだと。彼女の性格を考え、どうすれば申し訳なさを感じる事無く動けるか。その配慮だったとミサトは背負われてから気付いた。

 

(こいつ……そんな気遣いするようになったのね)

 

 初めて出来た彼氏。まだお互い子供を抜け切れず、最後にはすれ違った二人。いや、強引にすれ違うように動いたのだ。女が、ミサトが加持にある面影を重ねていると分かってしまったから。そのまま加持に背負われ、ミサトは思うのだ。あの時、どうして逃げてしまったのだろうと。目の前の事から逃げず、立ち向かうかやり過ごしていればまた違う結末があったのに。そんな想いが彼女の口を動かした。

 

「ね、加持君」

「ん?」

「私、少しは大人になれたかな?」

「葛城は大人さ。少なくとも、俺よりは確実に」

「嘘」

「本当さ。俺じゃ、年頃の子供を世話しようなんて出来ないし思わない」

「それはシンちゃんが大人なだけよ。世話されてるのはあたしの方」

「それも含めてだ。ガキは人に弱みを見せられないもんだよ」

 

 返ってくるのは優しい声。それがかつてよりも温かみを持っていると気付き、ミサトは知らず微笑む。分かったのだ。リツコの言った言葉の意味が。だから、彼女はその表情のままこう告げた。

 

―――ここからは自分で歩くから。

―――……ん。

 

 ヒールを脱いだまま、ミサトは夜道を歩き出す。その少し後ろを加持がついて行く。虫の音が聞こえる中を一組の男女が歩いて行く。その距離は、触れ合いそうな程近い。

 

「加持君、一つだけ謝りたい事があるの」

「何だ?」

「あの時、一方的に別れ話したの覚えてる? 他に好きな人が出来たって、あれ嘘だった。バレてたかな?」

 

 そう言いながらミサトは後ろを振り返る事はしない。だからこそ告げる。もう逃げないと、目の前の事から逃げないと決めたからだ。

 

「気付いたの。加持君が父に似てるって。自分が、男に父の姿を求めてた。それに気付いた時、怖かった。どうしようもなく逃げ出したかった」

「それで別れた」

「最低よね。せめて理由を話せば良かったのに。うん、さっきの加持君の言葉通りよ。ガキだったから弱みを見せられなかった。ホント、子供じゃないわ。ガキよ、ガキ。大人になったつもりで、まったくなってない。だから全部怖くなって逃げ出した。それなのに、結局辿り着いたのは父のいた組織」

 

 言い切ってミサトは加持へ振り返った。その目には涙が浮かんでいた。

 

「嫌おうとしていたの。でも、本当は好きだったって、やっと認められた。父も、貴方も」

「葛城……」

「今更よね。でも、もう嫌なのよ。伝えたい事を伝えられないまま終わるのは。言いたい事や聞きたい事を残したままでいるのは!」

「葛城、それって」

「好きよ、加持君。ううん、ずっと好きなの。あの日から、あたしの気持ちは変わってない」

 

 そこで途切れる虫の音。声を失ったように立ち尽くす加持と意を決したように彼を見つめるミサト。やがて、彼女はこう問いかけた。

 

―――貴方の気持ちを……聞かせて?

―――……前にも言っただろ? あの花が俺の気持ちさ。

 

 気障な返しと共に加持はミサトへ近寄り、その唇へ自分のそれを重ねる。その感じる温もりと微かなタバコの匂いを、ミサトは目を閉じて二度と離さないとばかりに抱き締める。それを合図に虫の音が再び鳴り響く。あたかも二人の仲を祝福するように……。

 

 

 

 セントラルドグマと呼ばれる場所でレイはある液体に浸かっていた。それはL.C.Lと呼ばれるもの。エヴァに乗る際にも使われるものだった。そんな彼女を見つめるのはゲンドウ。それらはダミーシステムのための準備。そして、彼の描くシナリオのための準備でもあった。

 

 そして同じ頃、更にそこから地下へ進んだ場所であるターミナルドグマと呼ばれる場所に加持とミサトの姿があった。ただ、昨夜と違って女には戸惑いが、男には平静さが浮かんでいたが。しかも、ミサトの手には銃が握られている。

 

「撃たないのか?」

「どうしてよ。何でこんな事してるのよ!」

「仕事だから、かね」

「本当の仕事? それとも副業?」

「両方って言っておくよ」

 

 その返しにミサトは銃口を下ろした。彼女の対応に加持はどこか驚く。

 

「いいのか?」

「ネルフの加持リョウジでもあり政府内務省の加持リョウジでもあるんでしょ? なら、今はそれでいいわ。後者だけになった時はあたしの手で止めてあげる」

「そりゃどうも。……碇司令の命令か?」

「独断に決まってるでしょ。その……前者だけに出来ないの?」

 

 その心からの問いかけに加持は即答出来ない。それを見てミサトは彼へ駆け寄った。そしてそのまま抱き締める。昨夜のように強く。

 

―――このままじゃ、死ぬわ。

 

 死んでほしくない。そんな想いが体を通して加持へ伝わる。それに加持は唇を噛み締めるような表情を浮かべ、ミサトをゆっくり引き離した。

 

「碇司令は俺を利用している。まだ大丈夫さ。ミサトに隠し事をしていた事は謝るよ」

「……今のをずっと続けてくれるならチャラにしてあげる」

「お安い御用さ。絶対に、続けてみせる」

 

 その凛々しい顔にミサトも頷いてあの慈愛の微笑みを浮かべた。それが何よりも加持には辛い。だからそれを振り切るように彼は言葉を紡いだ。

 

「それと、司令やリっちゃんもミサトに隠し事をしてる。それがこれさ」

 

 加持の言葉と共にIDカードが扉を開く。そしてゆっくりとミサトの視界へ現れる光景。それは異様な光景だった。十字架に張り付けられたような白い巨人の体。そこには赤い槍が突き刺さっている。

 

「これは……」

「あれはアダムさ。セカンドインパクトからその全ての要であり、始まりでもある、な」

「アダム? 第一使徒の? どうしてここに?」

「俺が運んだ。そこからこうなるまでは知らない」

 

 その問いかけに加持はそう答えたきり何も言わなかった。ミサトはそんな彼の反応から、何故ダブルスパイなどをやっているのかおぼろげにだが理解した。きっと彼は知りたいのだろうと。この世界で何が起きて、そして起ころうとしているのかを。だからだろうか。ミサトは無意識にこう尋ねていた。

 

―――ね、あたしと仕事、どっちが大事?

 

 その問いかけへの答えは沈黙。嘘を吐きたくないからだとすぐ分かって、ミサトは一人苦笑する。

 

―――せめてどっちもって言いなさいよ、このバカリョウジ。

―――……すまん。

 

 返ってきた声は、どこか辛そうなものだった。それがミサトの心を締め付けた。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第十五話「嘘も沈黙も」完

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