参号機を乗っ取った使徒による爆発。その結果、頭部に傷を受けたために包帯を巻いているリツコと、何故か何も普段と変わっていないミサト。それもそのはず。彼女はリツコと違いシンジによって爆発のダメージを軽減された。そのために怪我らしい怪我をせずに済んだと言う訳である。だからこそ、今の彼女は働きたくて仕方なかった。今も病院で過ごす少年の分までと。
「零号機、どれぐらいかかりそう?」
「全損じゃないのが不思議なぐらいよ。でも、だから修復というより、ほとんど建造するに近いわ」
リツコの疲れた声にミサトはやはりと思ってため息を吐いた。先の使徒戦において、零号機は大破した。正確には表面上は中破だったが、内部構造などが酷くやられていたために総合的に大破とされたのだ。
「最悪零号機は諦める事も考えないとね」
「……じゃ、初号機は?」
「姿は戻ったわ。だけど、損傷個所はまったく同じ。こうなると、あの初号機はこちらの初号機へ憑依していると考えるのが妥当かしら」
そう、あの戦闘によるダメージは元の初号機へもしっかり反映されていたのだ。現在急ピッチで初号機の修復作業が行われている。そのせいもあって、零号機はまったく手を付けられない状態だった。
「どっちでもいいわ。前回の変化。理由はやっぱりシンジ君が怪我をしたから?」
「あるいは、危機を察知したのかもしれない。どちらにせよ、あれはアスカだから変化したと思わない方がいいわ。本人も言ってたけど、あの初号機自体が望んでそうなったのよ」
「……あるいは彼のお母さん?」
「ええ、可能性はあるわ」
秒針が時を刻む音だけが響く室内。ミサトとリツコは共に見つめ合って息を吐く。もう二人は確信したのだ。初号機の中にいるであろう碇ユイ。彼女がその意思を持ってシンジを守っているのだと。そして、アスカやレイともシンクロしているのは彼女達がシンジを強く想っているから。それを察してその身を委ねているのだろうとも。
「とにかく今は初号機を最優先で修理するわ。今回の使徒は頭脳戦を仕掛けてきた。その上エヴァの性能までも駆使して情報戦までやってのけた。結果、あの初号機がダメージを負わされたのは事実」
「だから、次の使徒はもっと恐ろしいって?」
「ええ」
断言するリツコに苦笑しつつ、ミサトは立ち上がる。どちらにせよ、当初の初号機を封印する計画は出来なくなったのだ。なら、もう迷う事もない。使徒がどれだけ恐ろしさを増したとしても、あの初号機を軸としてシンジ達を信じて戦うだけ。そう彼女は考えていたからだ。
「別に構わないわ。だってさ、考えてもみてよリツコ」
言いながらドアへと向かうミサト。その足が一旦ドアの前で止まり、彼女はリツコへ困った笑みを浮かべながら振り返ってこう告げた。
―――それでも、戦うしかないんだから。
そんなミサトの言葉にリツコが返す言葉を飲み込んでいる頃、シンジが入院している病室へ二人の来訪者があった。来訪者はそれぞれにお菓子や果物を持って見舞いに訪れる。その品の中のリンゴはすぐさま来訪者の一人によって皮を剥かれ、少年の口へと運ばれる事となる。
「はい、シンジ。あーん」
「あー……むっ」
一般病棟になったとはいえ、未だに安静を言い付けられる状態である事に変わりはなく、シンジは出来るだけベッドに横たわったままでいなければならない。だが、少しであれば起き上がる事も出来る。それでも、自然と何か食べる際は誰かに食べさせてもらう方が楽。よってリンゴもアスカの手によって彼の口へと入れられた。まるでそのリンゴの皮のように赤くなりながらの行為。見つめ合いながらのそれは、シンジにもアスカにも刺激が強めであった。それをどこか羨ましく思いつつ、果物を選んだレイとしては味の方が気になるもの。
「碇君、どう? 美味しい?」
「……うん、丁度いい甘さと酸味って感じだよ」
「じゃ、あたし達も頂きましょうか。シンジ、一つもらうわよ」
「どうぞ。綾波も食べてくれていいから」
「ありがとう。でも、その前に碇君、もう一つ食べる?」
「あ、なら遠慮なく」
「あーん」
「あ、あー……むっ」
頬を赤くしながらリンゴをシンジの口へと入れるレイ。そんな彼女に胸を高鳴らせながら彼はリンゴを咀嚼する。アスカとレイにリンゴを食べさせてもらった事で、彼は不謹慎ながらこう思っていた。入院してよかった、と。やがてリンゴも食べ終わり、話題は当然のように彼の退院時期へと変わる。が、それに関しての答えはアスカとレイの予想通りであった。
「まだ退院は出来ないみたいなんだ」
シンジはアスカとレイへそう申し訳なさそうに告げた。その答えに無理もないとアスカとレイも納得する。ミサトを庇って彼は爆発の威力をその身に受けた。いくらプラグスーツがあったとはいえ、下手をすれば大事になっていてもおかしくなかったのだ。それと、彼女達も怪我こそしなかったものの、使徒から負わされたダメージによりかなり疲弊していた。だから今日二人は学校を休んで昼過ぎまで部屋で眠っていたので、こうして日が高い内から彼の見舞いが出来ている。そしてそのついでに二人は自分達の検査などをしてもらうつもりだったのだから。
「ま、仕方ないわよ。むしろ大きな怪我とかしなくて良かったじゃない」
「そうね。葛城三佐や赤木博士も軽傷だったし、使徒も倒せた。とりあえずは安心」
「でも、あの初号機でも苦戦したんだよね? そんなに強かった?」
シンジの問いかけに少女達は頬を赤くして顔を見合わせた。さすがのレイでさえもあの使徒戦の内容をそのまま話すのは恥ずかしいと感じたのだ。あの感情の発露は、レイの表情を一気に解放した。今の彼女は、普段こそクールだが、何かあると顔に出やすい乙女となっている。もっとも、それに気付いているのは現状ではアスカとリツコぐらいではあるが。
「……強かったわ。後から聞いたけど、エントリープラグを利用して本部とあたし達との回線をジャックしてたの」
「おかげでエヴァのダメージが私達へずっとフィードバックし続けた」
「っ……そっか。参号機を乗っ取ったのは、そういう事も考えてだったんだ」
何とか誤魔化せた。そう思い息を吐くアスカとレイだったが、シンジもどこかで気付いている。彼は二人へ起動する時にダミープラグでやる事を伝え忘れていたのだ。なのに、それを二人が言って来ない。その意味を考えれば、理由は嫌でも分かるもの。三人して気を遣い合っているのだ。シンジへ余計な心配をさせまいとするアスカとレイ。そんな気遣いを知って、気付かぬ振りをするシンジ。こんなところにも、彼らの成長があった。
「とにかく、今は体を休めなさいよね。この前の使徒戦といい今回といい、シンジはちょっと無茶し過ぎなんだから」
「そう言われると返す言葉もないけど……」
「私もアスカも、使徒と戦って傷を作るより、碇君がこうなる事の方が辛いから」
「綾波……」
レイの本音にシンジが嬉しそうに微笑んだ。その笑みに少女も嬉しそうに笑みを返す。そんな良い雰囲気を感じ取り、残る少女は不機嫌そうに少年へじと目を向ける。
「ちょっと? あたしもって言ったでしょ?」
「ご、ごめん。その、アスカもありがとう。なら、ちゃんと大人しくしてるよ」
「ん。それでよし」
少しだけ偉そうにそう言ってアスカが笑う。それにレイも笑い、シンジも笑おうとして痛みが走ったのか出来ずに終わる。それに二人も軽く慌てと、まさしく絵に描いたようなやり取りをした。そんな賑やかで楽しいひと時は終わりを迎え、シンジはまた病室に一人となる。横たわりながら視線を誰も座っていない椅子へ向けた。ほんの数分前までそこに可愛らしい少女二人がいたのだ。その証拠ともいうべき見舞いの品もある。
「……寂しいな」
ついさっきの事なのにもう随分前のように感じてしまう賑やかさと華やかさ。可憐で優しい乙女二人に憎からず思われている事。それがシンジにとっては幸せだった。だからこそ、そんな二人だけにいつまでも戦わせたくない。それがシンジの偽らざる本音であった。だけども、今の自分がそれをすれば余計その二人を哀しませてしまうのも事実。なので少年は孤独の辛さを噛み締める。それは、かつて彼にとっては日常であった事も忘れて……。
「もう見舞いに行かんのか?」
唐突な問いかけにゲンドウの目が動く。その視線の先で冬月はいつもと同じように佇んでいた。今二人が居る場所はエヴァの収納されているケイジ。初号機の修復作業を見ていたのだ。第十三使徒によるダメージは大きく、今後を考えれば初号機無しの使徒戦は不可能と判断。ゼーレも参号機を乗っ取る使徒の行動に脅威を感じ、初号機封印は使徒を殲滅するまで白紙となった。
「……もうとはどういう意味だ」
「しらばっくれるな。あのサルベージ後に見舞いに行っただろう。今回も行ってやれ。赤木博士の進言を受け入れていたから良かったものの、それでなければ今頃どうなっていたやら」
感情を乗せず、淡々と述べる冬月。それが余計ゲンドウの心へ響く。最後の言葉の意味を察したからだ。彼の描くシナリオ。その最終目的である女性が黙っていないと冬月は言っていた。ここで息子を大事にし、彼女からの許しの材料にしろ。そうゲンドウは取った。
「三十分程で戻る」
「別に構わん。帰る際の連絡だけ入れてくれ。足を回す」
暗に話をしてこいと告げる冬月に、ゲンドウは何か言葉を返す事無くその場を後にする。その去り行く背中を見つめ、彼は噛み締めるように呟いた。向き合う時が来たのか、と。彼なりに先の使徒戦を考えて、一つの推測を打ち立てていたのだ。それは、初号機の中に眠る碇ユイはシンジを守るために動いているというもの。だからこそアスカが乗っていても変化を起こし、シンジを傷付けた使徒を容赦なく倒すと思った彼女へ力を貸したのだと。
(最初の咆哮があった時刻は使徒が参号機を乗っ取った瞬間とほぼ同じ。そして、二度目の咆哮は碇シンジが葛城三佐を庇って怪我をしたのと同時刻と思われるしな)
離れていても子の危機を察知する母の愛。そう冬月は結論付けていた。視線を前に戻し、初号機を見つめる彼の胸中には、在りし日の教え子が自分とゲンドウへ悲しげな顔をしているのではという辛さが押し寄せていた。冬月コウゾウ。彼もまた、太陽と評されたユイに熱を与えられた存在であった。
本部内の廊下をやや足早に歩きながら、ゲンドウはこれからの事を考えていた。零号機はもうおそらく使えないと踏んでいたのである。そしてその穴を埋めるための方法もない訳ではなかった。
「参号機を使うしかないか」
そう、使徒に乗っ取られた参号機。コアを貫かれた事で機能を停止しているが、ならば代わりに零号機のコアを使えばいいと考えていたのだ。無論使徒に乗っ取られた機体である。その使徒が休眠している可能性も否定出来ないが、手段を選んでいられない状況であるのもまた事実と言えた。あの初号機が様々な条件が重なったとはいえ中破。これは使徒の強さが増している事を意味している。そんな中、エヴァの数を減らす訳にはいかないというのがネルフスタッフ全員の見解であった。
「……レイと赤木博士が納得するだろうか」
普段であれば気にもしない事へ意識を向けるゲンドウ。彼もやはり変化を起こしている証拠であった。ただ、それはシンジの一途な親子愛とリツコの母性、そして愛する妻への想いが重なりあってのもの。それも、まだ完全には彼を変えさせていない。まだ芽が出た程度だ。それでも進歩と言えるかもしれないが。やがて彼は病院へと到着し、まずある場所へ向かった。
「ガーベラを三本もらえるか」
「はい、かしこまりました」
そこは病院内の生花店。以前もそこで花を買って行ったのだ。ガーベラはユイの好きな花だった。だからこそ彼も名前を憶えていた。こうして花を手に病室の前まで向かうゲンドウだったがノックする手が止まる。
(……寝ているかもしれん)
妙なところで気を遣うゲンドウだが、これが本来の彼なのだ。気の遣い方が不器用で、だからこそ彼はユイと親しくなるキッカケを得たのだから。少し迷った挙句、控えめなノックをする事にしたのか小さく拳を三回ほどドアへ当てる。
「はい、何ですか?」
聞こえてきた声にゲンドウは軽く息を吐いてドアを開けた。
「え? 父さん……?」
「……具合はどうだ」
予想だにしない来訪者に驚くシンジだが、その目はゲンドウの持っている物へ注がれている。その花が以前見た花と同じ事に気付き、シンジは息を呑んだ。
(もしかして、あの時も父さんは見舞いに来てくれた?)
動揺する彼の目の前でゲンドウは花をどこかに置こうとして、アスカ達が持ってきた見舞いの品を見つける。既に置き場がない事に気付き、彼は椅子へ座り膝の上へ置いた。
「えっと、気持ちは元気だけど体はまだ無理出来ないみたい」
「そうか」
「う、うん」
会話が途切れる。言いたい事があるがどう切り出すか迷うシンジと、どう切り出せば自分のシナリオに好影響を与えられるかが分からないゲンドウという、何とも似た者親子な二人。結局話題を振ったのはシンジだった。リツコに言われた言葉を思い出して。
「父さん、聞きたい事があるんだ」
「……何だ」
「参号機の事。ミサトさんから聞いたよ。四号機が怖い事故を起こしたって。それと参号機は同じ場所で作られたエヴァだったんでしょ? 僕が同じような事故に遭うとは思わなかった?」
「…………原因と思われるS2機関は搭載していなかった」
「それが絶対に原因って判明した訳じゃないんでしょ? それでも僕を乗せようとしたのは何故?」
シンジの声は穏やかではあったが、言い逃れは許さないという雰囲気があった。それに僅かではあるがゲンドウが呑まれる。どこかで彼の妻が怒った時に似ていると思ったのだ。口調こそ優しいが、滲み出る気配というか雰囲気が怒気を伝えてくる。そんな彼女の怒り方に今のシンジの空気感は良く似ていた。
「……お前にも話したはずだ。使徒が」
「初号機に対応を始めてる。それは分かるよ。で、切り札にしたい気持ちも分かった。でも、あの後アスカに言われて思ったんだ。父さんも今一番強いのはあの初号機って思ってるよね?」
無言で頷くゲンドウにシンジも頷き返す。
「それよりも参号機は弱い。じゃ、僕はそれであの初号機と同じぐらいの使徒と戦える?」
「それは」
「戦える?」
有無を言わせない問いかけだった。言い訳はいいからまず結論を出せ。そんな風にゲンドウには聞こえた。それもユイを彷彿とさせる言い方で。こうなるとゲンドウは答えに窮するしかなかった。正直に言えばシナリオ進行に重要なシンジとあの初号機を失い、嘘を吐こうにもそれらしいものが浮かばない上に、時間をかければ嘘を考えていると言うようなものだからだ。
(これではまるでユイと話しているようだ。怒った時のユイと……)
ゲンドウを見つめるシンジはやや怒り眉。その顔立ちさえも一瞬ユイと重なり、ゲンドウは思わず頭を下げた。
「すまん」
「……え?」
「詳しい事は話せないが、ある重要な事に初号機は必要不可欠だ。だから封印しその安全を計りたかった」
「…………僕よりも大事なんだ」
その寂しそうな声にゲンドウは返す言葉がなかった。それが嘘を吐きたくないという意思表示と受け取り、シンジは複雑に思いながらも小さく苦笑する。何せあのゲンドウが頭を下げたままなのだ。しかも嘘を吐きたくないからとだんまりを決め込んだ。それらがシンジには子供のように思えた。
「いいよ、父さん。もう怒ってないから。ただ、出来れば教えて欲しかった。初号機を失いたくない理由があるって」
「……すまん」
「だけど、どうするの? 参号機は使徒に乗っ取られたし、零号機は当分戦えないんでしょ? あの初号機を使うしかないと思うんだけど……」
「ああ、そうだ。もう使徒の進化を警戒しても仕方ない。こちらの打てる手はそこまで多くないからな」
苦渋の決断であった。実際に第十三使徒は人質の事を抜きに考えても厄介な能力を有していたのだ。エントリープラグを使った回線ジャックに再生能力。更に腕を二本増やしての肉弾戦。どれも楽に勝てる相手ではなかった。そこへまるでシンジが乗っているような頭脳戦だ。既に使徒の知恵は人のそれと遜色ない程までに成長していた。
「……じゃ、僕は初号機で戦い続ければいいんだね?」
「そうなるな」
「いつか使徒が出てこなくなったら、父さんはどうするの?」
思いもよらぬ質問だった。少なくてもゲンドウはシンジからそんな質問をされると思っていなかった。だから彼は初めてシンジの前で素を出した。面食らったように表情を変えたのだ。
「……お前はどうしたい?」
「僕? 僕は……とりあえず高校に行きたい。アスカや綾波、トウジにケンスケ、委員長も同じ学校だと嬉しいな。でも、進路はきっとバラバラだろうから、たまに集まって一緒に遊んだりしたい」
「ユイに、母さんに会うのはどうする?」
「そっちは……父さんから話を聞く事で我慢出来るよ」
今度こそゲンドウは目を見開いてシンジを見つめた。シンジは、彼を見つめて心から微笑んでいたのだ。
「父さんの中に母さんがいるなら、父さんを通して母さんに会わせてもらうから。色んな話や思い出を聞いて、父さんの知ってる、父さんしか知らない母さんを教えてもらうよ。顔や声は……想像で補おうかな? あっ、母さんって綺麗な人だった?」
「あ、ああ。とても綺麗な女性だ」
「声は? 誰か似てる人いる?」
「レイの声に似ている」
「綾波? ……そっか、だからか……」
かつての光景。シンジがゲンドウをロリコンと疑った思い出の謎が彼なりに解けた瞬間だった。
「顔は? そっちも綾波が似てるとかないよね?」
「……似ては、いる。だが、それよりもお前自身がよく似ている」
「僕? ホント?」
「ああ。息子は母親に似ると言うが、本当のようだ」
ゲンドウの噛み締めるような声にシンジは複雑な表情を返す。彼とて年頃の少年だ。元々顔立ちが中性的とは思っていたが、まさか母親似と言われるとは思っていなかったのだから。かといってそれを嫌がる事は出来ない。何せ自分に母の血が流れている証拠なのだ。
(加持さんの言った通り、僕は父さんと母さん両方の血が流れてるんだ。ちゃんと、僕の中にも母さんはいた。それと……)
遠い存在だった母が身近になったと思い、シンジは小さく笑う。そしてゲンドウへ視線を向けた。彼の在り方にもかつての自分がいた。だから少年は意を決して告げる。
「父さん、僕は父さんを信じるから。例え父さんが僕より初号機を、母さんを大事にするとしてもね」
「……そうか」
「うん。人の気持ちはロジックじゃないんだ。その言葉を教えてくれたリツコさんは、僕が信じたい父さんを信じればいいって言ってくれた。だから、僕は僕の信じたい父さんを信じ続ける」
力強く断言された内容は、ゲンドウに大きな衝撃を与えてきた。彼としても、今までシンジを大事にした事などないと思っている。だが、それは人の気持ちの妙。ゲンドウ自身も気付かぬところで、シンジの事を思っていたのだ。最初はほんの気まぐれの小石程度だったかもしれない。しかしそれが感情の水面に波紋を起こし、ゆっくりとそれを大きくしていったのだ。
(私を、俺を信じるというのか? 今まで父らしい事をしてこなかったこの俺を……)
いつか誰かが言った。女は自分の腹を痛めて子を産み母となる。では、男はどうやって父になるのか。答えは一つ。子に心から父と呼ばれた時だ。そう言う意味で、ゲンドウは今、この瞬間父となった。シンジと初めて向き合った事で、やっと彼は男から父へと変わる事が出来たのだ。
「だからさ、父さん。母さんの事を教えて? 何でもいい。少しでも僕は母さんと父さんの事が知りたいから」
「…………分かった。少し長くなるぞ」
「うん、いいよ。どうせ寝るだけで退屈だったから」
こうしてゲンドウはシンジへユイとの出会いを語り出す。その内容に少年は笑い、驚き、呆れ、同意しと、感情と表情をコロコロ変える。それがゲンドウにはユイを思い出させながらも、シンジを見つめさせた。不器用な親子は、今はいない母が橋渡しをしてようやく向き合う事が出来た。
「そして、私が指輪を……ん?」
しばらく話したところでゲンドウは何か聞こえる事に気付いて話を中断する。シンジが疲れから眠っていたのだ。時刻は既に夕方近くになっており、病室に来て裕に三時間以上は経過していた。
「……帰るか」
花を手に静かに立ち上がり、シンジへ布団をかけてやるゲンドウ。その様はまさしく父だった。そして以前のように花を看護師へ託し、彼は冬月へ連絡を入れながら廊下を歩く。すると、そこへアスカとレイが姿を見せた。彼女達も再度見舞いに訪れていたのだ。シンジが寂しく思っているだろうと考えて。
「レイ、それにセカンドチルドレンか」
「碇司令……」
「ど、どうも」
微妙な表情のアスカと軽い驚きを見せるレイ。その二対の視線を浴びるゲンドウはいつもの無表情であった。だが、彼は一度だけシンジの病室がある方向を振り返り、すぐに彼女達へ向き直る。
「シンジはもう寝ている。見舞ってもいいが起こさぬようにな」
「「え?」」
それだけ言い残しゲンドウはそのまま立ち去った。その離れ行く背中を見送り、アスカとレイは互いに顔を見合わせる。
「どういう事よ?」
「分からない。でも、きっとお見舞いにきたんだわ」
「嘘でしょ? あの無愛想が服着てるような司令が?」
「……司令だって人間よ」
アスカの言い方に納得しかけるレイだったが、それでも何とかそう返して歩き出す。シンジのいる病室へと。アスカもその後を追うように歩き出し、二人は静かに病室のドアを開けた。
「……ホントに寝てる」
「ええ。それも、幸せそうだわ」
安らかな寝息を立ててるシンジを見つめ、アスカとレイも表情を緩める。と、そこで誰かが二人の背後に立った。
「あら? ここの患者さんのお見舞い?」
「え? あ、はい」
「そう。じゃあ悪いのだけど、これ、中に置いてもらえる? 別の方のお見舞いの品なの」
「分かりました」
看護師から差し出された花瓶を受け取り、アスカは何気なくその花を見た。
「……え?」
「どうしたの?」
アスカの出した信じられないという声にレイが振り向き、その手にした物を見て同じ顔をした。そこにあったのは三本のガーベラ。そこで彼女達も気付いたのだ。あの時、自分達よりも先にシンジを見舞っていたのがゲンドウであったと。
「どうするの?」
「……とりあえず部屋に置いて、今日は帰りましょ。あのシンジの嬉しそうな顔見た? きっとたくさん話せたのよ、パパとね」
「……かもしれないわ。じゃあ、静かに置いて帰りましょう」
「ええ。でも、ただ置くだけじゃ芸がないわ」
翌朝、目を覚ましたシンジが見たものは、寝る前にゲンドウが持っていた花が飾られた花瓶と、周囲を囲むように置かれた果物だった。まるで三本の花がエヴァで、周囲が自分達に思えて彼は小さく微笑んだ。
「シンジ君の母親を……ねぇ」
「ええ。それが司令の、碇ゲンドウの目的らしいわ」
シンジのいないミサトの部屋。そこの一室である彼女の私室に加持の姿があった。あのシンジとの自販機前での会話。それが加持にミサトへの想いを強くさせ、そこへ来てのゲンドウの目的暴露である。彼が知りたい真実へはまだ遠いが一気に近付いた事も事実。だからこそ、加持は潮時を感じつつあった。
(リっちゃんがミサトへここまで話すという事は、俺が無理をしなくてもいずれ真実は見えてくるかもしれない、か。だけど、俺自身の目で確かめたい気持ちもある)
だけども今の彼はもう綱渡りが怖くなり出していた。その理由は、今の彼が感じている温もりにある。柔らかで温かいミサトの体温。それが彼が思い出した甘さを掴んで離さないのだ。
「な、ミサト。参考までに聞かせて欲しいんだが」
「何?」
「当分無職になってもいいか? あるいは、バイトを辞めてこっち一本に出来るかもしれんが」
どうする? そんな軽い感じの聞き方だった。あまりにも軽い言い方すぎて一瞬ミサトも何を言ってるんだと思ったぐらいに、他愛ない世間話のような切り出し方だった。故に理解した瞬間、ミサトは思わず体を起こした。豊かな胸が揺れる。それでも加持は動じず、ただ彼女の答えを待った。
「……いいの? 本当にそれでいいの?」
「ああ、だから頼む。俺が言えた義理じゃないが、お前も足を突っ込み過ぎるな。リっちゃんが話してくれたって事は、いずれ真実は分かるはずだ。それまで大人しくするよ」
「っ! リョウジぃ!」
「っと。おいおい、さすがにもう一度は辛いんだがな」
「ふふ、よく言うわよ。ね、ダメ?」
「……何だかあの頃を思い出すな」
キスを交わして笑みを見せ合う二人。忘れようとした過去。忘れられなかった過去。そして、今に繋がるための過去。その時間を懐かしむように思い出しながら二人は口づけを交わす。欲望ではなく愛情で動いていると相手へ伝えるために。あの頃は愛情よりも欲望だった。これも彼らが大人になったという事なのだろう。
「そういえば、シンジ君の見舞いには行かないのか?」
「何言ってるのよ。そんなもん、とっくに行ったわ。私を守って怪我したんだから」
「だよな」
「むしろリョウジこそ行きなさいよね。あたしの命の恩人なのよ?」
「……だな。時間作って差し入れ持って見舞う事にする」
「ん」
まるで子供を褒めるように頷くミサトに加持は小さく苦笑。そして、そこからは二人に会話は無かった。ただ、互いを求め合う声と音だけが部屋に響いた。
その頃、リツコはレイにある話をしていた。ゲンドウから提案のあった、参号機への零号機コアの移植とそれに伴う乗り換えの件である。
「大丈夫なんですか?」
不信感を全面に出す顔を見せるレイに、リツコは無理もないと思いつつも嬉しそうに笑う。彼女の感情の発露が嬉しくて仕方ないのだ。
「一応分析の結果はね。ただ、貴女が嫌なら仕方ないと思って零号機の修復をする事になるわ。ただ、その場合はかなりの時間が必要になるけれど」
「……参号機なら早いんですか?」
「そう、ね。使用可能にする時間だけなら比べるまでもないわ」
レイはその言葉に考え込む。現在使用出来るエヴァは初号機と弐号機のみ。損傷の激しい零号機は使用出来るようになるまで時間がかかり過ぎる。つまり、このままではもう自分はシンジやアスカを助ける事が出来なくなる。そこまで考え、レイはリツコへ問いかけた。
「赤木博士はどうお考えですか?」
「私? そうね……」
意見を求められると思っていなかったのか、リツコは少し驚きつつも考える。そして三つの答えがすぐに弾き出された。科学者として、母代りとして、そして人として。
「まず、ネルフの一員としては乗り換えてもらいたいわ。戦力的にも非常に助かる」
「はい」
「次に貴方の……教育係としては反対よ。不安が多すぎるし、危険だって完全にないとは言えない」
「ですね」
「最後に、一人の人としては……貴女の好きにしなさい」
「え?」
慈愛の微笑みを浮かべ、リツコはレイを見つめる。その笑みにレイは何度も目を瞬きさせた。
「もう、今の貴女は誰かの言いなりじゃない。自分の意思と心で動く一人の人間だもの。だから、私の意見を参考にして自分が納得出来る答えを出して。その代り、いくらでも私は疑問に応えてあげる。私に分からない事でも一緒に考えていきましょ? これまでの勉強のように……ね?」
「赤木博士……」
「そう、ね。呼び方も変えていきましょうか。今のレイなら公私のけじめを理解出来るだろうし、プライベートに近い時は名前で呼んでくれた方が嬉しいわ。それとも、私を母さんとでも呼んでみる?」
ちょっとした冗談だった。あるいはどこかで彼女の願望が顔を出したのかもしれない。言ったリツコは軽く笑いながらレイから視線を外す。どこか恥ずかしくもあったのだろう。だが、その何気ない冗談にレイは大きく驚きを見せて、どこか戸惑いながら小さく頷く。その雰囲気は緊張しているもの。しかし、リツコはそれに気付かず手元の参号機関連資料を取ろうとして、忘れられない言葉を聞く事となる。
―――お、お母さん?
―――え……?
思わず振り返るリツコが見たものは、顔を真っ赤にしたまま彼女を見つめるレイの姿だった。リツコの手元から資料が落ちる。その音でリツコは我に返った。
「れ、レイ……今の」
「博士が言ったから。だから、呼んでみたんです。私もそういう存在が欲しいと思ってましたから」
「親が欲しい?」
「はい。それに、碇君もアスカも親から様々な事を教わったと聞きました。だから、博士は私にとっての親なんです」
「……そう。私が親、ね」
じわりと、何か温かいものが彼女の中に広がっていく。それは感動。自分だけがどこかで勝手に思っていた事だと、そう考えていた。それが少女も思っていた事が嬉しかったのだ。何も言わず無言で感動を噛み締めるリツコを、レイは嫌がらせたのかと思ってやや不安げな眼差しを送る。すると、リツコはそんな彼女に気付いたのだろう。心からの笑みを浮かべてこう言った。
「私とだけの秘密よ?」
「っ……分かりました、お母さん」
「あら、ダメよレイ。お母さんに敬語はなし」
「分かったわ、お母さん」
「うん、よろしい」
一瞬の間。そして響き合う二つの笑い声。母に憎しみさえ抱いた女は、この日遂に母となった。その後、リツコはレイを抱き締めてやり、レイもまたリツコを抱き締め返した。
「お母さんも温かい。碇君と一緒」
「ありがとう。で、その最後の一言は気になるわね。教えてくれる?」
「ダメ! ……えっと、その、これは碇君とだけの秘密」
「ふふっ、そう言われると弱いわ。じゃあ、話せる事だけ話して?」
「…………あのピクニックの時の事なの」
母娘としての初会話は、娘の大事な思い出話。シンジの事を考え肝心な部分は誤魔化すレイだったが、今の彼女は感情を顔に出せるようになってしまった。それもあって、リツコは何があったかの大体を察する事が出来てしまう。ままごとから始まった関係は、時間を重ねて本物へと近付いていく。本当の親を知らないレイと、本当の子を産む事はないだろうと思っているリツコ。それは、互いにない物をねだった関係なのかもしれない。それでも、二人の間に流れる信頼関係だけは本物と遜色ないだろう。
「じゃあ、お母さん。お仕事頑張って」
「ええ。シンジ君によろしく」
「伝えておくわ」
去り際も互いに笑みを向け合いながら。こうしてレイは表情を少し緩めながら歩き出す。参号機への乗り換えについてシンジとアスカの意見を聞こうと。綾波レイ。もう彼女は無表情の少女ではなくなっていた……。
「何か良い事でもあったの?」
「ええ。でも言えないの。ごめんなさい」
病室へ向かう途中での会話。アスカはレイの答えに小首を傾げるも、その返答自体は好ましかったのだろう。小さく笑みを零し、レイの前へ小走りで回り込んでその顔を覗き込んだ。
「いつか教えてくれる?」
「……いつか、ね」
「ん、ならいいわ」
満足そうに笑顔を返しアスカは再び前を見て歩き出す。その背を見てレイも笑顔を浮かべ、その隣へと小走りで駆け寄る。肩を並べ歩く二人。そうして彼女達はシンジのいる病室へと辿り着く。軽くノックを三回し、返答を待つ二人。
「どうぞ?」
「ハロー、シンジ」
「お見舞いに来たわ」
「ありがとう、アスカ、綾波。そこに座って」
ベッドで体を起こし、シンジは本を読んでいた。それだけで体調が回復してきたのだと分かり、二人は笑みを浮かべながら椅子へ座る。既に時刻は午後六時を過ぎていて、見舞いとしては受け付け時間ギリギリと言えた。
「とりあえず、これね」
「学校の課題。主要五教科分」
「うわぁ、こういうの見ると学校行きたくなるよ」
「は? 普通逆でしょ?」
「アスカ、碇君は学校に行っていればやる必要なかったと言っているんだと思う」
「ああ、そういう事」
レイの説明に頷くシンジを見てアスカも納得した表情を見せた。そこから話題は学校の話になり、トウジとヒカリの交際が意外と早くバレた事や、ケンスケがクラスの男子達と共に彼らを冷やかしている事を話す。シンジはそれに同情しつつ、自分も通った道であり、しかも本当に交際している以上仕方ないとある意味突き放した。それにはアスカとレイも苦笑する。
「シンジ、気持ちは分かるけど友達でしょ?」
「もう少し言い方があると思うわ」
「何言ってるんだよ。綾波もアスカも僕の言われよう覚えてるだろ? 二股男だよ? あるいは両手持ち。本当に酷いよ。僕が二人とそうなってるならともかくさ」
その言葉にアスカとレイは息を呑む。それではまるでシンジは本当にそうなってもいいと言ってるようだったからだ。たしかに彼はどこかでそうなってみたいとの欲望はある。だが、同時にそれは二人に対して失礼だとも思っていた。両手に花は、常識的な状況に幼い頃からいたシンジにとっては空想の世界を出なかったのだ。
「二人だって嫌でしょ? 恋人は一人だけにして欲しいって思うだろうし」
ある意味で、その問いかけは転機だったのかもしれない。あるいは、いつか直面していた問題だったろう。何気ない気持ちで少年が告げた言葉に、二人の少女は互いの顔を見合わせる。
(レイはシンジが好き。シンジもてっきりレイが好きなんだと思ってた。でも……)
(アスカは碇君が好き。碇君もアスカが好きなんだと思っていた。だけど……)
((もしかして、同じぐらいあたし(私)の事が好きなの?))
視線を交わし相手の反応を探る二人。そしてどちらからともなく息を吐いて苦笑する。それにシンジが気付いて視線を向ける。と、二人が彼へ視線を向けた。
「どうしたの?」
「えっと……シンジはあたしとレイが仲良くしてるの嬉しいのよね?」
「そりゃあ……」
「じゃあ、もし私達が何かを取り合ってケンカするとしたらどうする?」
「え? 取り合い?」
「そうね。しかもかなり激しいケンカよ。お互い譲れない、譲りたくないってね。取っ組み合いまで発展するでしょうね」
突然挙げられるたとえ話に困惑しつつも、シンジは懸命に考えた。かつて彼は言った。自分は中立だと。ならば今回のケースでの対応はどうする。そう考え、彼は至極簡単に答えを出した。
「それは二人で分け合うのは無理?」
「……どうかしら?」
「私はアスカとなら可能だと思う」
「あたしは……うん、あたしもレイなら許容できるわ」
何かを噛み締めるようなアスカにシンジは頷き、ならばと答えを告げる。
「じゃ、僕はそうするのを勧めるかな。アスカと綾波、両方の味方でいたいから」
「へぇ、じゃあシンジは常に中立を崩さないのね?」
「え? う、うん……」
急に空気が変わった。そうシンジは感じた。どこかで似た空気を感じた事があると思い、記憶の中を探すシンジだったが、そこへレイが更なる確認を行う。
「私とアスカを同じぐらいに扱ってくれる?」
「そ、そうだね。差を付けたくないかな?」
「「……多少は付けてくれてもいいのに」」
ぼそりと呟かれる言葉はシンジの耳に届くも、その意味までは届かない。彼はそれを少しは贔屓にしてくれてもいいだろうとの愚痴と判断したからだ。どこか期待するような眼差しを向ける二人に内心疑問を抱きつつ、そこでシンジは時計を見た。時刻は七時近くになっており、少女二人が出歩くにはそろそろ危ない時間となりつつあった。
「二人共、そろそろ帰った方がいいよ。何かあったら危ないし、僕が送って行けないから」
どこか寂しげなその声にアスカとレイはため息を吐きつつ、彼らしいと思って小さく笑う。
「そうね。じゃ、帰りましょうかレイ」
「ええ。碇君、赤木博士がよろしくって言ってたわ」
「えっと……綾波、多分それはそのままよろしくって言うんじゃなくてね?」
「あー、説明はあたしがしとくわ。時間も時間だから早く行くわよ」
「分かった。じゃ、碇君。また明日」
「またね、シンジ」
「うん、アスカと綾波も気を付けて帰って」
シンジに見送られアスカとレイは病室を出た。そしてある程度歩いたところでレイが止まる。どうしたのかと思ってアスカも足を止めた。
「碇君に意見を聞くの忘れてたわ」
「意見? 何の?」
「乗り換え。このままだと修復完了がいつになるか分からないから、コアを移植して使えるようにするって」
周囲に配慮して名詞を出さないようにしたが、それでもアスカには分かった。同時にどれだけそれが不安要素の塊かも。
「それ、司令の発案でしょ?」
「……ええ。それに対して博士は三つの答えをくれたわ」
「三つ?」
「スタッフとしてと、指導役としてと、人としての三つ」
「へぇ、さしずめ賛成に反対、あとはレイに任せるかしら?」
見事に言い当てるアスカにレイは驚きを見せた。彼女のその反応にアスカは嬉しそうに笑うと、シンジの病室へ視線を向けてこう断言する。
「きっと、それはシンジもあたしも同じね。立ち位置を変えれば意見も変わるわ。パイロットとしては賛成よ。だって、現状動かせるのは弐号機だけで、初号機も近い内に直るでしょうけどそれでも二機だもん。戦力ダウンは否めないわ。で、友達としては反対よ。だって、あれは一度あんな事になったんだもの。そして、一人の人としてはレイの好きにしなさいってとこ。だから、どんな判断を下してもあたしはそれを尊重するわ」
そう言い切るアスカの目はこれでどうとレイへ問いかけていた。リツコと同じような言葉にレイは喜び、嬉しさを噛み締めるように頷いた。もう迷いはなかった。大事な母と親友、そして聞いてはいないが想いを寄せる男性の意見は同じなのだから。
「ありがとうアスカ。もう私は答えを得たわ」
「そ。じゃ帰りましょ。お腹空いてきちゃった」
「そうね。今夜はどうする?」
「うーん……そうねぇ……」
夕食の事を話しながら二人は歩く。その姿は間違いなく親友のそれ。同じ少年へ恋心を抱きつつも、取り合う事はもうしないのだろう。何故なら少年は言ったからだ。何があっても中立だと。一度言った事を引っ込める事はない。そう思って二人は歩く。
一方、病室で読書に戻ったシンジは今日の出来事を思い返していた。アスカとレイが見舞いに来る一時間程前までゲンドウが来ていたのだ。昨日の続きとばかりにユイの話を三時間程してくれ、シンジはとても有意義な時間を過ごせた。その去り際、明日は来れないと言われたのは少し寂しく思ったが、ゲンドウが自分からそういう事を言ってくれた事は嬉しく思えた。なので見送る背中へこう告げた。
―――父さん、ありがとう。体に気を付けて、仕事頑張って。
―――ああ。
本来ならば他愛ないやり取りだろう。だが、それさえこの親子には新鮮なものだったのだ。
(明日は父さん来ないから、今日もらった課題でもやろうかな?)
微かな寂しさと明日はと思える嬉しさ。それらを噛み締めるように少年は笑みを零す。ふと、その視線が本から別の場所へ向く。渡された課題が置かれたサイドチェストを。それに付随して思い出すのは二人の少女とのやり取り。
「あれ、一体何を取り合うって仮定だったんだろう? アスカと綾波にはちゃんとそれが思い浮かんでたみたいだったけど……?」
そこではたと思い出す。あの時の雰囲気に似た思い出を。それはあの共同生活初日。アスカとレイが彼を奪い合った時の事だった。
「……まさか、あれって僕?」
まさかなと、そう思って笑うシンジ。実はそれが当たりだとは思うまい。こうしてこの日は終わる。そして翌日、第3新東京市は最大の脅威を迎える事となる。
「まさか加持さんも来てくれるなんて」
「そんなに意外かい?」
その日シンジは、朝から病室に加持を迎えていた。彼の持って来た見舞いの品は少々過激な内容を含んだ雑誌とスイカ。何故スイカと首を傾げたシンジへ彼は自分が育てている物だと教えたのだ。それがシンジには驚きの内容だった。
「でも、加持さんがスイカを育ててるなんて……」
「まぁ、最初は暇潰しのようなもんだったんだがな。これが始めてみると案外楽しいもんさ。日に日に育っていくし、自分のやった事が直接反映される。育ちのいい奴、悪い奴。全部が自分の責任で自分の手柄だ。それに、まぁ、これも大昔からの人の営みに通じるしな」
「大昔からの営み?」
シンジの疑問符に加持は小さく笑い、話を始めた。土を耕し、種を撒いて、水をやる。それら全てに共通する要素があるのだと。それは何かと問われた加持は苦笑してシンジを見つめた。
「君はもう察しているはずだ。ヒントは下心ではなく真心だ」
「えっと……下心じゃなくて、真心……」
首を傾げながら考えるシンジを加持は微笑ましく眺める。かつての自分は、ここまで大人の言う事を正面から受け止められただろうか。そんな風に考えながら大人は子供を見つめた。彼が知る限り、少年は歪みを持っていたはずだった。それがエヴァに導かれこの街へ来て、そこから全てが変わり出した。そして、それは少年だけでなく周囲の者達さえ変えてしまった。彼もまた少年の変化を感じ取っているその中の一人。
「シンジ君、漢字として考えてみれば分かるぞ」
「漢字?」
言われてシンジはならばと思って考える。下心は心という字が下にある文字。では、真心は中央だ。そこまで考えある文字が頭に浮かぶ。きっとこれに間違いないと思って彼は得意満面に告げた。
「愛ですか?」
「正解だ。ちなみに下心は分かるかな?」
「恋、ですか?」
「ああ、それも正解だ。きっと君は、ここに来て沢山の愛と接してきたのかもしれない」
「沢山の愛……」
思い出すのはミサトとのやり取り。そしてレイとのデートに始まる幾多もの思い出。たしかにそうかもしれない。自分はこの街で沢山の出会いと愛を得たのか。シンジがそう思って嬉しそうに笑みを浮かべて両手を見つめる。その姿を加持は兄のような目で見つめた。接した時間こそ少ないが、だからこそ二人は互いを兄弟のようにも感じていたのかもしれない。
(そっか。僕が変われた大きな理由はミサトさんと綾波だ。そしてアスカがそれをもっと強くしてくれた。父さんとの会話だって、ミサトさん達が背中を押してくれなかったら出来てない。ああ、本当だ。僕は、やっぱり色んな人に助けられてきたんだ)
(――良い顔をするようになった。あのオーバー・ザ・レインボーで出会った頃よりも男の顔に。早いもんだ。男子三日会わずば刮目して見よとは言うが、ここまでの成長は中々出来ない。使徒との戦いだけじゃない。きっと彼は人との触れ合いからも学んでいるんだ)
そこでシンジが顔を上げ、二人は視線を合わせる。思わず軽く驚き合って、それを察して互いに苦笑した。
「どうかしたのかい、シンジ君」
「いえ、何か視線を感じるなって思ったんです」
「成程。俺の視線がうっとおしいと」
「ち、違いますよ! 何でそんな言い方するんですか!」
「ははっ、悪い悪い」
「んもぅ……」
和やかな空気が流れる室内。だが、突然そこへ警報が聞こえてきた。
「警報!?」
「……使徒か」
慌ただしくなる周囲の声や音を聞きながら、加持はシンジへ視線を向ける。すると先程のように視線が合った。だが、先程と違いシンジの眼差しは真剣なもの。それだけで加持は何を言われるのか察しながらため息交じりに問いかけた。
「俺に何をして欲しいんだ?」
「ある場所まで連れて行って欲しいんです」
加持がシンジの頼みで動き出そうとしていた頃、本部の発令所は緊迫感が漂っていた。
「総員第一種戦闘配置。地対空迎撃戦用意」
「目標は?」
「現在進攻中です! 駒ヶ岳防衛線、突破されますっ!」
「早いな……」
「初号機の修復が終わる前に仕掛けてきたのだろう」
冬月の二つの意味での呟きにゲンドウはそう返した。未だに初号機はその修復が完全には終わっていない。作業進行度は80%を超えてはいるが90%には達していないのだ。当然零号機は手さえ付けられていない。万全なのは弐号機だけという有様だった。
「どうする? レイを初号機で出させるか?」
「……そうするしかあるまい」
以前のゲンドウでも同じ判断を下しただろうが、今の彼の判断には明確なシンジへの気持ちがあった。未だ万全ではない体で使徒戦をさせたくないという、紛れもない父性愛が。こうして初号機はレイのパーソナルへと書き換えられ出撃に備える事になった。だが……。
「初号機、神経接続を拒絶」
「碇、これは……」
「レイ、何か分かる?」
『きっと、初号機は待っているんだと思います』
「待ってる? まさか……」
「シンジか?」
『はい』
ゲンドウの問いかけにレイはハッキリ言い切り、アスカへと通信を繋ぐ。彼女は既にスタンバイを終えており、後は命令を待つだけとなっていた。
「アスカ、お願いがあるの」
『弐号機に乗せてくれって?』
「ええ。碇君と乗った時、少しだけど弐号機が強くなった気がしたって」
『……ミサト、どうするの?』
その問いかけの声はアスカの気持ちをしっかり伝えていた。自分は構わないとの、確固たる決意を。ならばミサトの答えは決まっている。
「戦う貴女達が決めたのならこちらに文句はないわ」
『ですってよ』
「ありがとうございます、葛城三佐。ありがとう、アスカ」
『すぐ来て。時間がないわ』
「ええ」
こうしてレイはアスカと共に弐号機へ乗り込む。懸念された弐号機の拒絶反応もなく、むしろ若干ではあるがシンクロ値が上昇したぐらいだった。その事に驚くミサト達ではあったが、このところの二人の仲の良さを知っていれば大きな驚きではない。そして、二人を乗せた弐号機はジオフロント内へと直接配置される。それ程使徒の侵攻速度が速かったのだ。
「使徒の攻撃来ますっ!」
マコトの声と同時に震動が発令所にも微かに起きる。その意味する事に誰もが顔色を無くす。
「被害状況知らせっ!」
「第1から18番装甲まで損壊っ!? 残る装甲へもダメージが……」
「全壊!? 特殊装甲が一撃かよ……」
マヤとシゲルが信じられないと言うような声を出す。リツコはすぐさま弐号機へ冷静に意見を述べるべく、マヤの後ろへと回る。
「二人共、相手の攻撃力は第五使徒以上と思って。絶対に直撃をもらってはダメよっ!」
「アスカ、レイ、使徒がジオフロントに侵入した瞬間を狙って!」
『任せて!』
『必ず生きて帰ります』
「頼んだわよ、二人共っ!」
通信を終えると同時にシゲルが叫んだ。
―――全ての装甲、突破されましたっ!
その攻撃の恐ろしさを、弐号機の中からアスカとレイはまざまざと見せつけられた。体に感じる震えは攻撃によるものだけではなかった。初めて感じる死の恐怖。使徒を目の前にして初めて二人は恐怖を感じていた。その理由を彼女達は即座に気付いていた。いないのだ。初号機が、もっと言えばシンジが。それだけでここまで違うのかと、そう思いながらもアスカは自分を鼓舞するように叫ぶ。
「来たわねっ! あたしの力を見せてやるわっ!」
威勢よく放った言葉だが、その声は少しだけ震えている。レイはそれに気付き、更にある部分の表現にも引っかかるものを覚えた。
「アスカ、それを言うならあたし達。それと声が震えてるわ」
「そういうレイもじゃない」
一瞬の間、そして揃って小さく吹きだす。まだ震えは消えていない。それでも、もう気にしない。ここには一人じゃないのだ。それだけで今のアスカもレイも戦える。それに、彼女達はどこかで信じているのだ。彼が、想い人の少年がやってくると。
「やってやろうじゃない! シンジが戻ってくるまでの時間稼ぎぐらいならぁ!」
「私達でも余裕で可能っ!」
「「行くわよっ!」」
声を重ね弐号機を動かす二人。まるでそれに呼応するように弐号機も目を光らせる。まずは手にしていたロケットランチャーで攻撃。その弾を全て使い切るやその場から後方へ下がって地面へ置いてあるスマッシュホークというハルバードと呼ばれる斧を手にする。もう片手にソニックグレイブを持ち、弐号機は先程の攻撃による煙が晴れないまま、その中心へ向かってソニックグレイブを投擲した。
「どう?」
「分からない。でも……」
煙の中を見つめるアスカとレイ。と、その時二人は直感的に危険を察知した。その無意識が弐号機を動かす。その場から大きく跳んだ弐号機の前方で大きな爆発が起きる。それが使徒による攻撃と理解し、二人は息を呑んだ。
「無傷……」
「どうやらそのようね」
あれだけの攻撃を意にも介さず悠然と進む使徒。良く見ればその足元に原型を留めていないソニックグレイブが転がっていた。まるで細かに切断されたかのようなそれに、アスカもレイも使徒の攻撃方法を警戒する。何せ見た感じではそれらしい部分はないからだ。
「……接近戦しかないか」
「気を付けて。きっと何か能力を隠し持っているわ」
「でしょうね。だけどそれでも……」
「やるしかないわね」
「そういう事よぉ!」
スマッシュホークを両手で構え、弐号機は使徒へと向かって行く。その頃、ゲンドウは初号機をダミープラグで起動させようとしていた。
「どうだ?」
「ダメですっ! やはり初号機がダミーも受け付けません!」
「……冬月、後を頼む」
「行くのか?」
「無駄かもしれんが、レイやシンジの証言もある」
それだけ言い残し、ゲンドウは発令所を後にした。その背を見送り、冬月は小さく息を吐く。成長を感じ取ったのだ。学生時代から知っている男の、確かな成長を。
(あのお前が自分から誰かへ話をしに行く、か。まるで息子の変遷を辿るようだ。ふむ、蛙の子は蛙と言うが、今回はその逆と言ったところか)
蛙の親もまた蛙。そんなくだらない事を考え冬月は微かに苦笑する。視線を戻した先のモニタには、使徒に追い詰められるように後退していく弐号機が映し出されていた。
逃げ惑う人々の中をかき分けるように進む加持。その背にはシンジがいた。
「すみません、加持さん。こんな事をお願いして」
「いいさ。君の気持ちは同じ男としてよく分かる。好きな女だけを危険な場所に置きたくないさ」
その噛み締めるような声にシンジはミサトの事だと察する。同時に自分も同じようにアスカやレイを好きだと言われているとも。なのでつい反射的に否定しようとしてしまう。思春期の少年にとって、同級生を好きだと認めるのは中々勇気のいる事だった。
「ぼ、僕は……」
「違うのかい? アスカもレイも君からしたら魅力がないか」
「そんなことっ!」
「ほら、それが答えだ。ま、君のはまだ下心だろうがな」
誘導されたとシンジが気付いた時にはもう遅い。更に加持の言い方は本当に兄のような感じがするものだった。シンジはそんな彼の言葉に憮然となるも、不意に昨夜の出来事から思った疑問をぶつけてみる事にした。
「あの、加持さん」
「今度は何だ?」
「その、好きな相手が二人いるってダメですよね?」
「どうしてだ?」
「えっ!?」
問い返されるとは思っていなかったのか、シンジは心からの驚きを声に乗せた。そんな彼へ加持は苦笑しつつ持論を告げた。
「人が好きな相手を一人だけに決める事は本当に出来るとは思わない。本気ならば話は別かもしれんがね」
「本気?」
「ああ。好きだって色々ある。寝食を忘れる程に好きなのか、どちらか聞かれて強いて挙げれば好きなのかとかな」
「じゃ、本気だと一人なんですよね?」
「それも分からないさ。家族愛は大家族でも本気だと俺は思いたいし信じたい。なら、どうして男女愛は一対一じゃないと本気でないと言える? 本気で二人三人と好きになる奴がいてもおかしいとは思わんさ」
極論だがね。そう言って加持は言葉を続ける。
「もしくは周囲の圧力がそうさせるのさ。交際相手は一人じゃなきゃダメってな。黙って二股をかければ話にならんが、もし交際相手の異性が二人いて、その二人が俗に言う二股を許容していたとしたら、社会的に問題はない。まぁたしかに重婚はこの国じゃ認められていないが、逆に結婚という形にしなければ、夫婦という関係にならないのなら、例え何十人と交際したって構わないだろ?」
「でも……」
「シンジ君、結局は色恋の話は本人達が問題なんだ。周囲は一々そこへ口出ししないし出来ないはずだ。まぁ、注意や警告ぐらいはするかもしれないがな。君に好きな相手が二人いるとして、それ自体は何の問題もないさ」
かなりの暴論ではあったが、加持としては言いたい事は次の一言に集約されていた。
―――要するに本気なのか遊びなのかをちゃんとはっきりする事だ。本気であるなら隠す必要はないし、遊びなら悩む必要はない。そして、本気で複数の相手を愛するなら世間が好意的じゃないって事を忘れないようにな。
―――本気なら隠す必要はないし、遊びなら悩む必要はない……。
加持の言葉を反芻するシンジへ聞こえてくるサイレンの音。ふと見れば、使徒が弐号機を追い詰めるように圧力をかけていた。それが彼の危機感を煽る。
「加持さんっ!」
「ああ、急ごうっ! しっかり掴まってろよ?」
「はいっ!」
軽く駆け出す加持の背中からシンジは後ろを振り返る。弐号機は使徒の侵攻を何とか遅らせるのが精一杯だった。その様子を見て、シンジは心から弐号機の無事を願う。
(僕が、初号機が行くまで何とか頑張って!)
その祈りを受けたかのように、弐号機は何度目かのスマッシュホークによる攻撃を使徒へ仕掛ける。それは使徒の体へ届かず、フィールドによって阻まれた。そして遂にその強度にスマッシュホークが負ける。刃の部分が砕けたのだ。
「っ!?」
「来るっ!」
一瞬怯んだのを見逃さず、使徒はその布のような腕部を突き出した。それを咄嗟にかわす弐号機だったが、持っていた柄の部分が斜めに鋭く切断される。その断面を見てアスカとレイは悟った。直撃すれば一瞬でやられると。かといって遠距離戦は出来ないし通用しない。接近戦も無理。打つ手なしの状況ではある。それでも二人は諦めなかった。
「アスカ、残りの武器は?」
「ナイフのみよ」
「……そう」
落胆するレイにアスカは不敵に笑ってみせた。
「何よ。ナイフだけでもあればいいわ。あたしは初戦でナイフ一本で使徒を倒してみせたんだから」
「……その時も二人乗りだったわね」
「そう。だからこれは完全にその再現よ。しかもこっちはあの時よりも成長してんの。可能性は高くなってるわ」
「なら、奇跡を起こしてやりましょう」
「その意気よ! さあ、ここからが本番なんだからっ!」
プログナイフを構え、使徒を睨みつける弐号機。対する使徒は悠然と構えていた。まるで目の前の存在など気にも留めていないかのように……。
「ユイ、何故だ。どうして私を拒絶する?」
初号機の前に立ち、ゲンドウは一人言葉をかけていた。周囲には誰もいない。作業を中断させ、彼は一人で初号機と、その中にいる碇ユイと対峙しようとしていたからだ。
「シンジは入院している。まだ完治には至っていない。なのに戦わせるのか?」
返ってくる言葉はない。それでもゲンドウは一縷の望みを賭けて声を出す。初号機の中に彼女の意思は存在していると確信しながら。
「頼む。一度だけでいい。ダミーを受け入れ出撃してくれ。弐号機には、シンジを想う少女二人が乗っている。あの二人を失えば、シンジがどうなるかは分かるだろう?」
無音。それがまるで自分の言葉に耳を貸していないように思え、ゲンドウは初めてユイへ怒声を放った。
―――あいつに俺と同じ想いをさせるつもりかっ!
その心からの声に初号機が吼えた。そして、そこへ近付く足音がある。それに気付いてゲンドウが視線を動かすと、そこには加持と背負われたシンジがいた。その格好は入院着のままで。着替える時間さえ惜しんだのだ。
「シンジ……それに……」
「じゃ、シンジ君。俺はここまでだ。後は頼んだ」
「はい、ありがとうございました」
シンジをゆっくり下ろし、加持は一度だけゲンドウへ会釈するとその場を去る。それを見送る事もせず、シンジはゆっくりとゲンドウへ向かって近付いて行く。時折痛むのか、顔を歪ませながら一歩一歩確実に足を前に出して。
「父さん、お願いがあるんだ」
「そんな体で戦えるとでも思っているのか。相手はこれまで以上の攻撃力を有した使徒だ」
「だからこそ、僕が行かなくちゃ。アスカや綾波が戦ってるんだから」
「無理だ」
「無理じゃない」
「諦めろ!」
「嫌だ!」
「シンジっ!」
「お願いだよ父さんっ!」
感情をぶつけ合う二人の親子。互いに相手を睨むように視線を向ける。
「例え父さんが止めても、それでも僕は行くよ! 自分に約束したんだ! もう逃げないって! 一番嫌な事から逃げるために、目の前の事から逃げないって! 今僕が行かなきゃダメなんだっ! 避難してる人達だって気付いてるよ! 初号機がいないって! 僕が戦ってないって!」
「しかしっ!」
「一度だけっ! ……一度でいい。一度だけ僕の我が儘を聞いて。ホントはね、逃げ出したいんだ。だけど、それ以上に僕は戦いたいんだ。この街を、友達を、そして父さん達を守りたいから」
優しい表情と眼差し。それがゲンドウにユイを思い起こさせる。そして、同時にシンジの覚悟と決意も伝えた。
(親がなくとも子は育つ、か。そうだな。今更父親ぶったところで俺は……)
立派な男の顔をするシンジに劣等感を抱き、ゲンドウは顔を背けるように彼へ背を向けた。だけども、それはかつてのような逃げではない。
「生きて帰ってこい」
「……っうんっ! 絶対帰ってくる! まだ母さんの話、全部聞いてないからね!」
「…………ああ」
そしてゲンドウはすぐにスタッフ達を呼び戻して初号機の準備をさせ、彼自身はシンジをエントリープラグまで運んだ。
―――父さんの背中、大きいや。
―――そうか……。
―――……いつか、背中流すよ。
―――……楽しみにしておく。
こうしてシンジは初号機へと乗り込んだ。久しぶりな感じを受けつつ、彼は操縦桿を握る。
「……行くよ、初号機」
彼の声に応えるように初号機が変化しながら咆哮する。その迫力にスタッフ達は呆然となるも、すぐにその場から退避した。初号機が発進を待たずに動き出したからだ。向かうはジオフロント内で使徒を足止めしている弐号機の元。そして初号機起動の報は直ちに発令所へも伝わった。
「初号機が? シンジ君……」
「そう、来たのね。本当に」
複雑な表情のミサトとリツコだが、そこへ切羽詰まったような報告が入る。
「弐号機、右腕切断っ!」
「すぐに神経切断っ! 使徒は!?」
「使徒、メインシャフトへ接近っ!」
「不味いわ……」
モニタでは、片腕となった弐号機がそれでも使徒を必死に食い止めようとしていた。それを鬱陶しいと思ったのだろう。使徒が振り向くと同時にその腕で両脚を切断しようとしたのだ。その狙いを読んで、弐号機は最接近しコアへプログナイフを突き立てる。
「「これでっ!」」
だが、その刃が届く瞬間、コアはまるで守られるかのように表面が硬い物で覆われる。刃先から砕けるプログナイフ。唯一の武器を失い、弐号機への脅威度をゼロにしたのだろう。使徒はもう興味を失ったかのように背を向け、メインシャフトへと接近する。しかし、そんな事をされて黙っているようなアスカとレイではない。
「この……こっちを無視とはいい度胸じゃないっ!」
「いつかと同じね。自分を倒せる可能性がないから相手にしていないんだわ」
「武器がないからって? ふざけんじゃないわよっ!」
吼えるアスカだが、どこかで理解もしている。現状の弐号機では使徒へ対抗出来ないと。だからといって何もしないなど有り得ない。だから考える。何か武器はないかと。その時、レイが気付いた。一つだけ残された武器になるものへ。
「アスカ、あれを使いましょう」
「あれ? ……成程、あれか。そうね。たしかにもうそれしかないわ」
メインシャフトへ侵入しようとする使徒。すると、その背後から弐号機が飛び掛かった。その片手には切断された右腕を持って。
「「これでもくらえぇぇぇぇぇっ!」」
その一撃は不意を突けた事もあり、使徒を大きくよろめかせる。が、そこまでだった。半端に使徒へダメージを与えた事でその怒りに触れ、弐号機は使徒の放つ光線を浴びて大きく吹き飛ばされたのだ。
「「きゃあぁぁぁぁぁぁっ!!」」
無論即座に全神経を切断されるも、あまりの衝撃と威力にアスカとレイは意識を失う。それでも命に別状はないと分かり、ミサトは安堵した。だが、それは長続きしなかった。
「使徒、弐号機へ接近っ!」
「何ですって!?」
「おそらくさっきの攻撃で完全にとどめを刺すつもりになったんだわ!」
「そんな……」
絶体絶命。パイロット二人は意識を失っている上、あの使徒には通常攻撃など何の効果もない。だからといって座して待っていれば訪れる結果は二人の死である。
「何とか出来ない!? 今すぐどちらかを起こす事は!?」
「無理です! 例え目を覚ましても全神経を切断しています!」
「っ!」
感情を高ぶらせたミサトの声にマヤも同じような声を返す。分かっているのだ。自分達の無力さを。そして悟ってしまったのだ。このままでは二つの若い命が散る事を。
(シンジ君……っ!)
思わず胸の十字架を強く握り締めるミサト。その時、勇者が舞い戻った。
「っ! 使徒に接近する高速物体ありっ!」
誰もが目を疑った。弐号機へとどめを刺そうとしていた使徒の背中へ巨大なナイフが突き刺さったのだ。それは痛手を負わすには至らなかったが、使徒の動きを止め意識を向けさせるのには十分だった。
「僕が相手だっ!」
プログダガーを投擲した初号機は、使徒が自分を見たのを受けその場から跳び上がる。そしてマゴロク・E・ソードを構えて斬りかかった。その一撃は使徒のフィールドへ亀裂を生じさせるも、突破するには至らない。シンジはそれを見て素早く使徒から距離をとる。すると、先程までいた場所へ使徒の光線が直撃した。
「同じ手に引っかかるもんかっ!」
かつての第五使徒と同じ手を使ってきた事を察し、シンジはそう啖呵を切った。そしてそのまま初号機を使徒が来た方向へと移動させる。外へ出そうとしているのだ。使徒は初号機を先に排除するべきと思ったのだろう。その後を追うように動き出す。だが、そこで使徒は先程までとまったく異なる攻撃を仕掛けた。その目を不気味に光らせたかと思うと、初号機のフィールドが何かと衝突したように展開された。
「うわっ!」
それは、ATフィールドを飛ばした攻撃だった。第十使徒が行った攻撃に近いものである。それに動きを止めた初号機へ使徒は溶解液を噴射する。それは第九使徒と同じもの。それらは辛うじてフィールドに阻まれるが、どちらも基の使徒による攻撃よりも強化されていた。その証拠に初号機は凌いだものの、その場から軽く後ろへ吹き飛ばされたのだ。
「くっ……このぉ!」
何とか倒れる事無く踏み止まり、初号機はマステマを構えてガトリング攻撃を行う。それさえ使徒のフィールドの前では無力。亀裂を生じさせるどころか、まったく効果を与えられない。ならばと再度跳び上がり今度はプログレッシブソードとマゴロク・E・ソードの同時攻撃でフィールドを貫こうとする初号機。だが、それが届こうとした瞬間、使徒の背中から何本もの触手が出現して二つの刃を受け止めてしまった。
「なっ!?」
その触手は第四使徒の物。そしてその動きは、シンジは知らないが第十三使徒のものと同じだった。あまりの事に戸惑うシンジへ、使徒は至近距離からの光線を放つ。そう、それはあの第三使徒の攻撃だった。今、シンジが相手をしている使徒は、かつて初号機が倒してきた使徒の能力を受け継いでいるのだ。しかも、元々よりも強力にして。
「ぐっ……つ、強い……」
フィールドを貫き初号機へダメージを与える使徒の攻撃。それは、初めて正面から初号機が受けたダメージだった。第十四使徒。それは対初号機に特化した戦闘型の使徒だった。
「だけど、まだ負けてないっ!」
もう一度マゴロク・E・ソードとプログレッシブソードを構え直し、使徒と対峙する初号機。すると何か嫌な予感を感じてシンジがその場から跳んだ直後、足元に使徒と同じぐらいの大きさの影が出来た。それを見たシンジは息を呑む。第十二使徒の影と同一の物と直感的に悟ったのだ。
「あれに触ると不味いっ!」
だからこそ時間をかけてはいけない。そう判断したシンジは、これまでの戦いを思い出し心から叫んだ。
―――絶対に負けるもんかっ!
気迫あふれる叫びに初号機の目が光る。心なしか全身に力が漲るのを感じ、シンジは全力で二つの刃を振り下ろした。
「これでどうだっ!」
繰り出された一撃は使徒の触手を薙ぎ払いながらフィールドへぶつかる。その亀裂は最初よりも大きく生じていた。このままなら貫ける。確信的なものを感じてシンジは使徒へ迫る。と、その時だった。何か嫌な予感を感じてシンジは使徒から離れた。その瞬間、初号機のケーブルが切られた。
「っ!? 再生してる!?」
先程薙ぎ払った触手が再生していたのだ。生半可な攻撃ではダメだ。これまでの経験からシンジは迷う事無くマステマのN2ミサイルを使う事を決意する。あの威力ならフィールドを破り、瞬時の再生を行えないはずと。
「行けぇ!」
二発のN2ミサイルが使徒へと向かう。だが、何故かそれはフィールドに阻まれる事なく使徒へと直撃した。凄まじい爆発と爆風が巻き起こる。この上ない程のダメージを与えた。そう思いながらシンジは何故か不安が消えなかった。彼も気付き始めていたのだ。使徒の能力がこれまで戦ってきた使徒のものだと。
(僕が戦ってきた使徒は全部で八体。その内、初号機で戦ったのが七体。でも、初号機が戦った使徒は八体いる。どちらにせよ、あの使徒の能力をまだ使ってきていない。あの、三人で最初に倒した使徒の)
爆風が収まり、煙が晴れた瞬間シンジは絶句した。そこには無傷の使徒の姿があったのだ。そこで確信する。
「こいつ、あの使徒が受けた攻撃が効かないのかっ!」
すぐさまその場から急いで跳び退いて距離を取る。現在の初号機にとっての最大火力が先程のN2ミサイルだった。それが無力となると次に高い威力はマゴロク・E・ソードとなるが、既にそれ単体ではフィールドを破れない事は実践済み。マステマのガトリングも同様で、唯一可能性があるのはプログレッシブソードとマゴロク・E・ソードの同時攻撃。しかし、それは触手の再生時間までに突破する事が出来ない。
(何か、何かないのか……あの使徒を倒せる手段は……)
使徒の攻撃を回避するしかない初号機。触手や光線、フィールドを飛ばす攻撃に使徒の腕部攻撃、時折出現する影による飲み込み攻撃が絶え間無く初号機を襲う。既に初号機に残された攻撃手段は無いに等しいと言えた。それでもシンジは諦める事なく考える。迫り来る内部電源の制限時間の中で。
「こうなったら突っ込むしかないっ!」
唯一望みがある二つの刃による同時攻撃。それに突破口を求めたのだ。ダメージはあのN2の雨を耐え切れた装甲を信じて考えないようにして。チャンスは一度だけ。失敗すればもう後はない。そう考えてシンジは集中していく。感覚がいつもよりも研ぎ澄まされていくのを感じながら、シンジはただその機会を待った。少しずつ増えていく損傷による痛みさえ忘れ、彼は目の前の使徒へ意識を傾けていく。
(せめて一度だけ、一度だけ使徒の腕が逸れてくれれば……直感で避けるしかないっ!)
そこで研ぎ澄まされた感覚が弾けた。まるで何かに導かれるように使徒へと跳び込んでいく初号機。その機体目掛けて突き出される両腕を最小限の動きだけで流麗にかわして突貫していく。触手は機体を回転させるようにしマゴロク・E・ソードとプログレッシブソードで薙ぎ払い、光線はフィールドで軽減させて装甲で凌ぐと、その勢いのまま使徒へとそれらの武器を叩き付けた。
「ぐぅぅぅぅぅっ! フィールド全開っ!」
体に感じる熱や痛みを押さえ付けながらシンジは叫ぶ。その声に応じるように初号機の目が光を放つ。まるで殺意を乗せたその輝きに使徒が反応した。そう、シンジも忘れていた攻撃を放ったのだ。使徒の顔のような部分から放たれた荷電粒子の輝きが初号機を直撃した。
―――っ?!
目に入った光景にミサト達も思わず息を呑んだ。ゆっくりと使徒から離れるように初号機は荷電粒子の輝きで押しやられる。そして最後には弾かれるように地面へ叩き付けられた。そこでマヤの絶叫が響き渡った。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
モニタにはうつ伏せになったまま、微塵も動かない初号機が映し出されていた。
「パイロットは!? シンジ君は生きてるの!?」
「……生命反応はあります! ですが、かなり衰弱しているようですっ!」
「緊張の糸が切れてダメージによる負荷が一気に出たのね。死ななかっただけ運が良かったわ」
シゲルの報告にリツコが冷静な声でミサトへ告げる。思わず勢い良く振り返るミサトだったが、その顔がリツコの手を見て驚愕に変わる。リツコは爪が食い込む程に手を握り締めていたのだ。
「リツコ……」
「ミサト、考えましょう。今の私達に出来る事はもうそれだけよ。どれだけ叫んでも、泣きわめいても、彼の力になれない。だったら、今は考えるの。少しでも彼を助けられる手段を」
「そうだな。今の我々に出来る事はそれだけだ」
リツコの言葉に返って来た声に誰もが顔を動かす。そこにはゲンドウがいた。全員の視線の中、彼はいつもの場所へ腰かける。
「弐号機に乗っている二人はどうだ? 意識を取り戻していないか?」
「っ!? 確認します!」
「使徒の再生完了時間を割り出せ。初号機の反撃に必要だ」
「はいっ!」
ゲンドウの指示にマコトとシゲルが弾かれるように動き出す。そんな彼に冬月とリツコが言葉を失っていた。そんな視線などお構いなしでゲンドウは指示を出していく。
「僅かでもいい。使徒の意識を初号機から逸らさせろ。セントラルドグマへ誘い込んでも構わん」
「っ!? 本気か?」
「ここで初号機を失えば対抗手段はなくなる。だが、ドグマへ誘き寄せれば初号機が立ち直る時間は稼げる。少しでもサードインパクトの防げる可能性のある方を選んだまでだ」
これが本当に碇ゲンドウなのか。そう誰もが思いながらそれぞれの戦いを続ける。オペレーター達はゲンドウの指示を、ミサトとリツコは使徒への対抗策を。
「アスカ、レイ、聞こえる? 聞こえたら返事をして!」
「使徒の再生完了時間、およそ10秒から13秒」
「使徒、メインシャフトへと向かいます。セントラルドグマへの到着予定時刻は……約十分後!」
そこでミサトとリツコが顔を見合わせる。このままでは最後の手段を使わざるを得なくなるからだ。
「エヴァ用の装備で何か残ってないの?」
「あったらとっくに教えているわ。それにあの初号機の装備でさえ無理な以上、今の私達の技術ではどちらにせよ不可能よ」
「絶対?」
「……悔しいけれど今回に限っては」
リツコの苦々しい声にミサトは一度顔を俯ける。それでもすぐに顔を上げるとマコトの傍へと近寄った。
「日向二尉、初号機へ通信を開いて」
「いいですが、彼は」
「いいから。お願い」
有無を言わせない迫力で詰め寄るミサト。その凛々しさに気圧されるようにマコトは初号機への通信を開いた。
『シンジ君! シンジ君聞こえる? お願い! 立ち上がって戦ってっ! もう、貴方しかいないの! 情けないと思うわ。悔しくも思う。だけど、大人が揃いも揃って貴方に頼るしか道がないのっ!』
『シンジ君、ミサトの言う通りよ。これが終わったらどんな文句も不満も聞かせてもらうわ。だから立って! 貴方と初号機だけが最後の希望なのっ!』
(何だ……? 誰かが呼んでる……?)
ミサトとリツコの声に意識を失ったシンジの指が微かに動く。
『頼むシンジ君! 俺達の分まで戦ってくれっ! 君しかいないんだ!』
『そうだぜシンジ君! あのヤシマ作戦の時だって、君はゴールを決めてくれたじゃないか! 今回も見せてくれよ! エースストライカーっ!』
『お願い……目を覚ましてシンジ君……』
(誰かが……僕を呼んでくれてる……?)
マコト、シゲル、マヤのオペレーターの声にシンジの頭が僅かに動いた。だが、まだ目覚めない。そんな身動き一つしない初号機を真っ直ぐな眼差しで見つめる男が一人いた。発令所に入れない彼は、せめてもと戦場となっている場へと出ていたのだ。そして、初号機へ迫る危機を見て居ても立ってもいられなくなったのだろう。彼は喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「シンジ君っ! 君が守りたい者達は、今も君を信じてるっ! 俺もそうだ! 君の甘さは人を活かす甘さだ! その甘さを強さにも出来る君なら、もう一度だけ立ち上がれる! シンジ君、諦めるなっ!」
(これは……みんなの声……?)
加持の叫びさえも初号機はシンジへ届ける。それに彼はゆっくり目を開けた。しかし、まだその焦点は定まっていない。
『年甲斐もなく叫ぶのは厳しいが、こんな年寄の声でも力になるなら声の限り叫ばせてもらおう。時代を切り開くのは君のような若者だ! それを死地に追いやる事しか出来ない身が情けないが恥を忍んで頼むっ! 戦ってくれ、若人よ!』
(みんなが……僕を待ってる……?)
冬月の言葉にシンジの意識が次第に覚醒していく。それでも初号機は動かない。
『シンジ! 約束を忘れるなっ!』
(……父さん?)
ゲンドウの短いながらも熱い声でシンジがやっと意識を完全に取り戻す。見えてくるのはメインシャフトへ今にも侵入しようとする使徒の姿。それに彼は反射的に動いた。
「止めろぉぉぉぉぉぉぉっ!」
その先には本部があり、ミサトが、リツコが、マコトが、シゲルが、マヤが、加持が、冬月が、そしてゲンドウがいる。他にも大勢のネルフスタッフがいるのだ。決して奪わせはしない。決して殺させはしない。自分の目の前で誰一人として犠牲にはしたくない。その一心でシンジは初号機を動かす。もう思考など残っていない。ただ、目の前の相手を止める。守りたいものを守る。それだけだ。理性とも本能とも、どちらでもありどちらでもないモノが今のシンジと初号機を動かしていた。
「戻れっ! 戻れよっ! 父さん達のところへは絶対行かせないぞっ!」
突然襲い掛かった初号機に驚くような使徒だったが、それでもすぐさま反撃に転じようとする辺りはさすがだろう。触手と腕が一斉に初号機へ襲い掛かったのだ。それらを手に装着された接近戦用の爪で薙ぎ払い、フィールドへとそれを突き立てる。
「フィールド全開っ!」
フィールドを相殺しようとする初号機へ、使徒はならばと光線を放とうとしたその瞬間、その体が大きく揺れた。
「油断大敵ってね……」
「碇君をやらせはしない……」
「アスカっ! 綾波っ!」
使徒の真後ろから、切断されたスマッシュホークの柄の鋭い部分を突き刺す弐号機。再度神経系を接続し直し、二人は激痛の中動いていた。それでもシンジを手助け出来た事。それに笑顔を見せながら二人は意識を手放してしまう。使徒の背後で倒れる弐号機。そちらへ使徒が意識を向けた瞬間、シンジが今度こそ吼えた。
「させるもんかああああああっ!!」
シンジのように咆哮を上げ使徒へ飛び掛かる初号機。その動きはまるで獣。素早く忙しない動きに使徒さえ狙いを付けられない。使徒を翻弄しながら、シンジは不思議な感覚の中にいた。まるでダメージを受ける前よりも攻撃力や防御力が上がっているような気がしていたのだ。それだけではない。時々攻撃が当たった瞬間の手応えが違うのだ。まるでフィールド越しにでも少しだけダメージを与えられていると思う程、強く確かな感触がある。それがどうしてか分からないまま、シンジは使徒へ立ち向かう。それでも、それでもまだ足りない。
(何か、何か使徒を倒せる強力な一撃を与えないと……っ!)
あの第七使徒と違い分裂はしない事から、シンジはこう読んでいた。それは、目の前の使徒は各使徒の能力を一つしか受け継げてないのだと。だからこれまで使っていない攻撃で仕留めれば倒せるはず。だが、その方法がない。と、そこへシンジへ聞こえてくる声があった。それは、あの声。今まで時折聞こえていた謎の声だ。
―――インパクトボルトを使って……。
その聞き慣れない名称にシンジは疑問符を浮かべる。
(インパクトボルト……? っ!? もしかしてっ!)
刹那、脳裏に甦るあの時の光景。ディラックの海で初号機が放った謎の攻撃がそれなのだと。そう理解したシンジは使徒から距離を多めに取った。メインシャフトと弐号機を背に、使徒と対峙して。
「エヴァ、僕に力を貸してっ!」
心から叫ぶ。いつかの誓い。自分だけで足掻いて届かない時、初号機の力も貸して欲しい。今がその時だ。そして初号機が吼える。その咆哮にシンジも頷いて声の限りに叫んだ。
「インパクトボルトォォォォォォっ!!」
放たれた魂の叫び。それが引き金となって初号機の両肩から雷を発生させる。それに恐怖を覚え、使徒が荷電粒子の輝きを収束させていく。だが、初号機は、シンジは動じない。信じているのだ。この一撃なら使徒を倒せると。その絶大な信頼が雷を収束させて、まるで一筋の閃光となって放たれた。迎撃するように使徒も閃光を放つ。ぶつかり合う二つの光。しかし、拮抗したのはそう長い時間ではなかった。
「貫けぇぇぇぇぇぇっ!!」
シンジの叫びに後押しされるように、インパクトボルトが荷電粒子の光を飲み込みながら奔流となって使徒へ押し寄せたのだ。フィールドを呆気なく突き破り使徒を飲み込む巨大な輝き。そしてそれはそのまま大爆発と巨大な光を生み出した。こうして、最強の使徒は倒された。今までにない被害をネルフへ与えて……。
全てが終わった後の発令所。一時の喧騒はどこへやら。今は不気味な程静まり返っている。そこでリツコが一人佇んでいた。彼女が見ているものはある映像。そう、内部電源が時間を迎えた後も動き続ける初号機だった。更に最後に放ったインパクトボルト。それらを含めてリツコは気付いた。
「あの初号機はS2機関を積んでいる。だから、余計に使徒を倒した後で残る事はしなかったんだわ」
誰もいない中、リツコはそっと目を閉じる。それが何を意味するのかを考えて。
「……これは私だけの秘密にしましょう。報告書には、未知の技術で内部電源も改良されている可能性を示唆しておくとして、後は……」
手慣れた感じでコンソールを操作し、リツコはデータの改ざんを行った。今はまだ知らない方がいい。ミサトには教えてもいいかもしれないが、それをどこかで考慮した作戦を取らないとも限らない。その危険性を考え、リツコは自分の胸の内にしまっておく事に決めたのだ。その作業が終わると同時に発令所へ何者かが姿を見せた。
「あっ、ここにいた」
「あら、ミサト。何か用?」
「何か用じゃないわよ。一緒に行きましょう。シンちゃん達のお見舞い」
「そうね。にしても、また病院へ逆戻りとはね」
「しかも今度はアスカとレイもよ。ホント、仲が良いんだから」
共に笑い合いながら歩く二人。再び入院となったシンジは意識が戻り次第絶対安静を言い付けられる事になっており、アスカとレイもしばらく病院のベッドで過ごす事となった。ちなみにシンジは個室で、アスカとレイは大部屋である。とはいえ、二人の貸切状態なので厳密には違うかもしれないが。
「ね、次の使徒はもっと強いのかしら?」
「さあ? でも、もう正攻法での使徒はこないでしょう」
「……今回ので懲りた?」
「ええ、おそらく」
「そっか。じゃ、また厄介な戦い方系か」
「そう考えておく方がいいわね。参号機の事もあるし」
「参号機、かぁ。あっ、そういえば聞いたわよリツコ。レイ、参号機に乗り換えるんですって?」
廊下に響く二つの話し声。その奥底に秘めるのは、生き残った喜びと子供達への感謝と罪悪感。だからこそ、暗い顔で会う事はしないのだ。彼らが命懸けで守ってくれた命なのだから、せめて明るくしようと。深い感謝と深い謝罪を伝えるのはそれからだ。そう思ってミサトとリツコは歩く。
一方、病院では未だに眠るシンジをアスカとレイが見つめていた。
「今度はどれぐらい寝るのかしら?」
「さあ? きっと二日は寝ると思うわ」
「……今回ので記録更新?」
「ええ、おそらく」
「そっか。じゃ、また寝起きに見舞ってやりますか」
「そうしたら碇君が驚いてしまうわ」
「驚く、ねぇ。ま、たしかにそれはシンジによくないか。レイ、あたし達も部屋に戻りましょ?」
アスカに頷きを返し歩き出すレイ。その足取りは重い。疲れもあるが、何よりも痛感してしまったのだ。あの初号機との性能差を。実際乗ったアスカもだが、零号機を大破させ弐号機もそうしてしまったレイは余計に。
(今のままじゃ弐号機は足手まといだわ。何とかしないと……何とか……)
(参号機に乗り換えてもあの初号機には及ばない。このままじゃ碇君を助けられない……)
シンジが無理矢理病院を抜け出して初号機で戦った事。それは二人にとって複雑な気持ちを抱かせるものだった。女としては嬉しい。そんな状態で自分達を助けようと来てくれたのだから。だが、パイロットとしては悔しかった。結局シンジに頼るしかなかった事が。それでも人としては、そんな彼の判断を尊重するつもりであったが。
「……今日は早く寝ましょ」
「ええ……」
そこで会話は終わった。それは、アスカとレイが一緒に暮らし始めて初の短さだった……。
碇シンジは精神レベルが上がった。底力のLVが3上がった。勇者LV1を習得した。精神コマンド魂を覚えた。インパクトボルトが使えるようになった。
新戦記エヴァンゲリオン 第十九話「漢の戦い」完
インパクトボルト解禁。これは最初からゼルエル戦のとどめにしようと考えていました。でも、いきなりではいくら何でもと思い、レリエル戦で少しだけ顔見せしてからの使用となりました。……納得して頂けるか勢いで受け入れてもらえると幸いです。
勇者……LVに応じて命中・回避・クリティカル・装甲に補正がかかる。
魂……与える最終ダメージが2・5倍になる。