エヴァだけ強くてニューゲーム 限定版   作:拙作製造機

20 / 28
久しぶりの完全オリジナル話。……不安しかありません。


第二十話 心の会話、人の対話

「もう一週間、か」

「ええ」

「シンジ、起きなかったわね」

「本当に記録更新だわ」

 

 病院からの帰り道。アスカとレイはどこか沈んだままの顔で足取り重く歩いていた。あの第十四使徒との戦いから既に一週間が経過。二人は退院し、日常生活へと戻っていた。参号機の起動実験は未だに先延ばしになっている。弐号機も大きくダメージを受け、初号機も専属パイロット不在では、万が一の際に手が打てないとの理由であった。

 

「せっかくあたし達が居る間に目を覚ましたら、感謝のキスでもしてやろうと思ったのに……」

「それ、ホントにしてた?」

「……内緒っ」

「ふふっ、そう」

 

 顔を少しだけ赤めてそっぽを向いたアスカに小さく笑うレイ。だが、その和やかな空気も長続きしない。あの使徒戦で痛感した気持ちが未だに二人を包んでいたのだ。

 

「……参号機、上手く起動出来るといいわね」

「そう、ね。そう願うわ。弐号機も早く直るといいのだけど」

「まだ無理そうね。初号機の方が優先だし」

 

 そこで二人は揃って足を止めて振り返る。遠くに見える病院の暗いままの窓。そこにいる眠り姫ならぬ眠り王子へ思いを馳せて。あの戦いでシンジは無茶を重ねた。気迫を使い、集中を使い、直感まで使用。更に見切りとガード、アタッカーの同時使用。それだけやった後に底力と魂の合わせ技を乗せたインパクトボルトである。その負荷は未だに彼の体を痛めつけていた。勿論、使徒との戦いによるダメージと疲労もそこに加えて。

 

「明日には、起きるかしら?」

「……起きて欲しい。碇君の声が聞きたい」

「そうね。あたしも同じ気持ちよ……」

 

 恋い焦がれる想い人。その声を、笑顔を、もう一度と。そんな強い想いを胸に少女達は病院を見つめ続けた。ただ無言で、その場に立ち尽くして……。

 

 

 

 静けさだけが存在する室内。そこでシンジはぼんやりと目を覚ます。暗闇の中で起きた彼は、寝惚けたままの頭で現状を把握しようと努めた。

 

(ここは……病院? そうか……僕は使徒と戦って……)

 

 瞬間、思い出される最後の記憶。使徒を飲み込む凄まじいエネルギーの奔流。直後起きる爆発と光。それらをたしかに思い出し、シンジは周囲へ視線を動かす。やがてその目が目当ての物を捉えた。

 

「午前五時……早朝じゃないか」

 

 現在時刻を確認した途端、再び睡魔が彼を襲う。それに抗う事も出来ず、シンジは再び瞼を閉じる。今はただ眠っていたいと、そう体の声を聞いたかのように。そして、彼は夢を見る。

 

 それは不思議な夢だった。幼い自分がガラス越しに何かを見つめている。その隣には白衣を着た女性が立っていて、更にどこか若々しいゲンドウの姿もそこにあった。だけど、何故か女性の顔は見えない。しっかりと見ているはずなのに見えないのだ。それが辛くて、苦しくて、寂しくて、シンジは泣きそうになりながら手を伸ばす。すると女性はその手をたしかに握り、優しく微笑んだ―――ような気がシンジにはした。

 

―――大丈夫。いつも私は傍にいるから。

 

 そこでシンジは目を覚ます。ふと目を動かせばカーテンの隙間から日の光が差し込んでいるのが見える。

 

「……朝、かな?」

 

 再び視線を動かし時計を見る。そこには午後一時半と表示されていた。

 

「…………とりあえず、ナースコールしよう」

 

 これまでの経験で目覚めた事を知らせるべきと判断し、シンジはあまり力の入らない腕でナースコールを押した。慌てて現れた医師から一週間以上も眠っていた事を聞かされ、彼は驚きよりも申し訳なさを感じてしまう。そんな風にシンジが診察を受けている頃、その目覚めはミサト達へも伝えられていた。

 

「シンジ君が!?」

「はい、先程病院から連絡がありました」

「あれから一週間と三十時間余り。最長記録ね。でも、よく起きてくれたわ」

 

 喜びを噛み締めるようにリツコが告げた言葉にミサト達も頷く。未だ第十四使徒との戦闘による傷跡は深く残っている。全壊させられた特殊装甲を始めとする本部の盾の再建、使徒の攻撃や初号機の攻撃で出来たジオフロントの穴など、まだまだ手を付けなければならない事は山とある。そんな中、久々の吉報なのだ。

 

「早速アスカとレイにも教えてあげましょ」

「レイへメールしておくわ」

「ん、よろしく」

「先輩、お見舞いはどういう順番で行きましょう?」

「そうね。まずはアスカとレイかしら。あの二人、最近気落ちしてるみたいだし」

 

 あの使徒戦から目に見えて二人は調子を落としていた。シンジが入院している事が大きな原因だろうと誰もが思っているが、それだけではないとはリツコさえもまだ気付けていない。それでも、シンジと話す事が出来れば多少上向くだろうと誰もが思っていたが。

 

「なら、その後にあたし達か。あー、そうそう。ないと思うけど一応日向君と青葉君には言っておくわ。くれぐれもエロ方面の差し入れはしないように。あのバカがそれに類するもんを渡してたみたいで、アスカとレイがこうなったんだから」

 

 言いながら両手の人差し指を伸ばし、頭の上に乗せるミサト。それだけで意味が分かったのだろう。彼ら二人は苦笑した。マヤは小声で「不潔……」と呟くもその表情は苦笑い。今、発令所にはゲンドウと冬月の姿はない。彼らは今ゼーレの呼び出しを受けている。当然先の戦闘における初号機の稼働時間についてだ。リツコが気付いたように、彼らも初号機がS2機関を搭載しているのではと考えた。だが、その疑問に対してゲンドウは至って正論をぶつけていたのだ。

 

「入手経路?」

「はい。仰る通り、あの初号機はケーブルを切断された後もその内部電源の稼働時間以上に動き続けています。そこからS2機関の存在を考えるのは理解出来ますが、ではそれは一体どこで手に入れるのでしょうか」

「そんなもの。無論使徒から」

「ですから、どうやって? ご存じの通り、あの初号機は使徒を倒すか無力化した途端姿を消します。そして、その戦闘データはこれまでお渡しした通りです。どこであの初号機が、もしくは初号機自体が使徒からS2機関を吸収していますか? もしご存じならば教えて頂きたい」

 

 はっきりと言い切るゲンドウにキール達は驚きを浮かべていた。何かが以前までのゲンドウと違うと、そう感じ取ったのだ。それは父性の輝き。シンジを息子として見つめ、また不器用ながらも父として愛情を注ぎ出した彼の変化であり成長であった。

 

「では碇。君はあれをどう考える?」

「報告書にあった通り、これまでの武装と同様に未知の技術で改良されていると見るべきでしょう。それとも、あれが補完計画が失敗した世界から来ているとでも?」

「っ! 碇!」

「お言葉ですが、今の皆様の意見を考えればそうなるでしょう。もし仮に補完が成功したのなら、何故エヴァが未だ存在しているのか。それも、あそこまでの強化を施して。しかも使徒からS2機関を吸収あるいは入手してまで。これを私は認めたくありませんな。仮に本当にあの初号機がS2機関を持っているとしても、です」

 

 その心の底から拒絶するような言葉にキール達は内心で安堵した。というのも、それまでのゲンドウは補完計画へ何やら不審な動きをしていると思われていたからだ。それは間違ってはいないのだが、唯一の違いがあるとすればゲンドウの心変わりだろうか。それまでの彼は自分のためにユイと再会する事だけを考えていた。それが、ここに来てシンジのためにもとなった。

 

(何としてでもシンジとユイを会わせてやりたい。あいつの成長した姿をユイにも……)

 

 そう、彼はある意味で一途で不器用。故にシンジが言った、彼から教えてもらえば我慢出来るとの言葉を覚えていながら、最初の出来る事なら会ってみたいと言葉を叶えてやりたいと考えてもいたのだ。そのためには何としてでも彼のシナリオを進める必要がある。故に、まだゼーレと事を構える事は避けたかった。だからこその言葉であり、気持ちである。

 

「……君の気持ちはよく分かった。たしかにそうだ。あの初号機がS2機関を搭載しているなどと認めるのは、自ら計画の失敗を認めるようなものか」

「そうです。もしかすると、内部電源だけは基の初号機と併用しているかもしれません。参号機との戦いで実証された通り、あの初号機とこちらの初号機は連動していますから。それならば実質二つの電源です」

「ふむ、その可能性は捨てきれんか。ともかく、あの初号機は未だに謎が多すぎる」

「おかげでこちらも苦労が絶えません。それでも、あれにまだ縋るしかないのですが……」

 

 その冬月の言葉に誰もが深く頷く。未知の存在に頼る事はとてつもない不安と恐怖を与える。何故なら、いつそれが自分達へ牙を剥くか分からないからだ。それをゲンドウも冬月も分かっている。だからこそ、二人はこう考えていた。使徒が出なくなった時こそあの初号機へゼーレが牙を剥くだろうと。

 

「して碇、参号機の起動はどうなっている?」

 

 キールのその問いかけにゲンドウはどこか困った表情を浮かべた。

 

「それが、未だに初号機も弐号機も修復が終わっていません。なので万一を考え延期している状況です」

「コアを取り換えるので大丈夫だと思われますが、どのような形で使徒が息を潜めているとも限りませんので」

「……ふむ、それもそうか。しかし、これまでの事を考えれば使徒は強化の一途を辿っている。エヴァの数を減らすのは不安が増すだけだ」

「心得ております。ご安心ください。必ずや使徒は全て倒してみせます」

 

 そこでゲンドウは小さく呼吸し、キール達を見つめて言い切った。

 

―――そのためのネルフです。

 

 

 

 シンジが目覚めた翌日の朝。ベッドに横たわるシンジを見下ろすように見つめる二つの眼差しがあった。そこに込められたのは安堵と喜び、そして少々の怒り。

 

「ほんっ…………っとうに心配したんだから」

「ごめん」

「私達も数日入院したけど、碇君は一度も目を覚まさなかったから」

「らしいね。本当にごめん」

 

 力無く答えるシンジにアスカとレイは心を痛める。目を覚ましたはいいものの、あの戦闘によるダメージは想像以上にシンジを傷付けていたらしく、今の彼は腕を動かすので精一杯。とてもではないが歩くどころか起き上がる事さえ自力では出来ない程に弱っていたのだ。

 

「でも、本当に良かった。シンジが、目を……覚ましてくれてっ!」

「ええ。本当に……良かった……っ!」

 

 死んでしまうのではないか。その気持ちがずっと彼女達の胸の中で渦巻いていたのだ。見せてもらった今回の戦闘記録。その最後の光景が、二人には命の輝きを放出しているようにも見えたからだ。だからこそ感極まった。恋する相手が生きていてくれた事。それに遂にアスカとレイは涙を見せたのだ。あの第十二使徒戦でのやり取り。それを頭の片隅で思い出しながら。

 

「アスカ……綾波……泣かないでよ。二人に泣かれると……僕まで……」

 

 くしゃくしゃの泣き顔を見せるアスカ。微笑みながら涙を流すレイ。そんな二人を見て、シンジも自然と瞳が潤み出して、やがてそれが溢れ出すのは当然と言えた。しばらく病室に湿っぽい空気が流れる。それでも、今は誰も不満などなかった。また生きて会えた。また言葉を交わす事が出来る。生の喜びを噛み締めるように三人は涙した。そして泣きながら三人はその衝動の根底を悟る。

 

(ああ、やっぱり僕はアスカと綾波が好きなんだ。だからあんな怖い使徒とも戦えた。きっとインパクトボルトが使えるようになったのも、絶対二人を、みんなを失いたくないって思ったからだ……)

(やっぱり、やっぱりあたしシンジが好き。どうしようもなく好き。病院抜け出してエヴァに乗る無茶なとこも、普段は大人しくてちょっと情けない感じも、いざって時はとってもカッコイイとこも、全部大好きっ!)

(失いたくない。碇君を、アスカを、お母さんを、全ての絆を。でも、きっとこの涙は私が一番好きなものが碇君だから流れるのね。そう、これが好きの最上級の気持ち。大好き、なんだわ)

 

 涙を拭うアスカとレイ。対して拭いたくても拭えないシンジ。その事に気付き、無意識で二人が動いた。そして示し合わせた訳でもなく、それぞれが同時にシンジの両目の涙を優しく拭う。まだあのシンクロ訓練の影響は残っているようだ。その事に気付き、アスカとレイは一度だけ互いの顔を見合わせ、小さく笑みを浮かべる。それは悪戯な笑み。

 

「レイ、アレやるわ」

「分かったわ。なら私も」

 

 アスカの言葉に頷き、レイは何故かその場から動いてベッドを挟んだ反対側へ。何をするんだとシンジが思っていると、二人はその頬へそっと口付けた。

 

「え……?」

「命懸けで助けてくれたお礼よ」

「それと、生きて帰ってくれたお礼」

「「おかえりなさい、シンジ(碇君)」」

 

 それは、あのサルベージ後に言ってあげたかった言葉。そして、本当ならば今回の使徒戦直後にしてあげたかった行為。そこにはっきりとした恋慕を乗せて、二人の乙女は天使の笑顔で少年を出迎えた。

 

「……二人共、ありがとう」

「それは嬉しいけど……」

「碇君、返事が違うわ」

 

 その瞬間、シンジに甦るあの日の記憶。ミサトとの家族ごっこが始まりを告げた日の、かけがえのない思い出。また彼の視界が滲み出す。それでも悲しい顔ではなく嬉しい顔を見せ、彼は告げた。

 

「ただいま、アスカ。ただいま、綾波。僕は今、とっても幸せだよ。うん、世界中で一番幸せ者だ」

 

 噛み締める。幸せを、喜びを、感謝を。あの加持の言葉がシンジの頭を過ぎる。本気なら隠すな。だけど、まだ言う事は出来ない。何も怖いからではない。彼も男だ。愛の告白ぐらいはしっかり地に足を着け、OKをもらえた時に抱き締めるぐらいしたいと思っている。そして同時に、ない事を願っているが、二人が断る時に備えて体調を万全にしておきたいとも。こうしてすっかり男気に目覚めつつある少年だったが、そんな彼でも忘れている事があった。いや、正確にはそこまで感覚が鈍っていたのだろう。

 

「アスカ、これは何だと思う?」

「は? 何よこれ……って……」

 

 レイが見つけたのは、健全な青少年であり生死の境を彷徨ったシンジからすれば当然の現象。何せ想いを寄せる少女二人からキスされたのだ。アスカもそれは分かっているのだが、それでもやはり彼女とて十四歳の乙女。ここで笑い飛ばせるだけの余裕はない。よって、この後に待っているのは……。

 

「シンジのエッチ! スケベっ!」

「こ、これは仕方ないだろぉ……」

「これはエッチなの?」

「とぉ~ってもっ!」

「あ、アスカぁ……」

「もうっ! 帰るわよレイ! お大事にね、シンジ!」

 

 取りつく島もなく病室から出て行こうとするアスカを追うようにレイも動き出すが、その足が一度だけ止まりシンジへ振り返った。

 

「その、お大事に。あと、碇君」

「……何?」

 

 アスカとレイに見られた事で精神的に死にそうなシンジであったが、それでも律儀に受け答えをしようとする辺りが彼らしい。そんな彼に頬を赤めながらレイはこう告げた。

 

―――そ、そういう事をしたいなら私の写真をあげるわ。

―――っ!?

 

 言うなり小走りに部屋を出て行くレイ。その背を目で追いながらシンジは再び硬くなる己の一部に気付き、恨めしい目でそれを見つめた。だけど、無理もないとも思うのだ。あれが出会った頃のレイならば動じる事も無かった。だが、今の彼女はその意味を理解している。その上でそう言ってくれた気持ちが嬉しいのだ。

 

「……早く体治そう。そして、ちゃんと言うんだ。アスカと綾波に……好きだって……」

 

 密かに固める決意と誓い。それは彼にとっては使徒戦よりも不安と恐怖が漂う行為。だからこそ正面から行こうとしていたのだ。隠し事のようにはしたくない。二人が自分へ想いの一端を見せてくれた以上、こちらもそれに応えるんだ。それがシンジの答えであり気持ちだった。例えそれが、自分の大切な少女二人と距離を作るとしても……。

 

 

 

 少女二人が去って数十分後、シンジの病室には二人の妙齢の美女と一人の男性が姿を見せていた。

 

「加持さんと一緒に来るとは思いませんでした」

「ま、たまたまよ」

「ええ、本当に。リョウちゃんもシンジ君が目を覚ましたって聞いて急いで来たの」

「俺も君を戦いへ連れ出した責任があるからな。でも、無事に帰ってきてくれて良かった」

 

 三人共に笑顔を浮かべシンジを優しく見つめる。その眼差しの温かさに彼はまた瞳が潤むのを感じた。それでも隠す事はしない。体に力が入らないのもあるが、何よりも今の自分に出来る気持ちの見せ方だと思ったからだ。

 

「ありがとうございます、加持さん。リツコさんとミサトさんも嬉しいです。僕、あの時みんなの声を聞いたんです。みんなが僕の事を呼んでくれて、父さんの声もしたと思います」

 

 シンジの噛み締めるような声に三人は声を失う。涙ながらの告白は、あの呼びかけが無駄ではなかったと教えていたのだ。更にゲンドウの声が最後の一押しとなった事も。だからミサト達も感じ入るものがあった。

 

(そう、伝わったんだわ。司令の、父親の想いが。これで私も彼の保護者卒業かしら? 今の二人なら、ちゃんとやっていけると、そう思えるわ)

(やはり何かあったのね。ゲンドウさんの変化はシンジ君によるもの、か。少しだけ嫉妬しちゃうわね。でも、良かった。シンジ君、君ならあの人を変えていけるわ。私と違って……ね)

(凛々しい男になったかと思えば歳相応の少年が顔を出す。これもまた彼の甘さでありらしさでもあり、か。俺の声も届いていたのかね? だとすれば、こんなに嬉しい事はない。俺にも戦う力があるって事だ。彼を支えるっていう、な)

 

 室内に流れる優しい空気。それでもミサトは小さく咳払いをする。きっとまだ本人から聞いていないだろうと思って。

 

「あのねシンちゃん。実はレイが参号機に乗り換える事になったの」

「…………そうですか」

「どこかで予想していたの?」

「いえ、でも前に三人で参号機の話をした時に、乗るなら僕よりも綾波の方がいいってアスカが言ったんです」

 

 以前アスカが言っていた事を思い出し、シンジはそう返した。本来であれば封印するべきは零号機。そして参号機は自分ではなくレイが乗るべきだと言う意見を。きっとそれがレイの判断の一因だろうと考え、シンジはその事に対して何も言わない事にした。今の彼女が誰かに言われたままで動くと思えなかったからである。

 

「そっか。アスカらしいわね。それで、初号機の修復が終わり次第起動実験をする事になっているの」

「初号機の? アスカが乗るんですか?」

「そうよ。以前彼女が乗っていても変化したから。万が一の際は可能性があると考えてね」

「ああ、それとなシンジ君。起動実験自体を早く行いたいのはネルフの意向ではあるんだが、本人達の強い要望でもあるって事を知っておいてくれ」

 

 加持の言い方でシンジは理解する。アスカとレイが何かに焦っている事を。それが自分の現状やその経緯にあると考え、彼は複雑な顔をした。無理もない。彼は好きな少女達を危険から助けたくて動いた。その結果が別の危険への扉を開いたとすれば心中穏やかではいられない。だが、シンジが二人の判断に文句を言う事はなかった。今彼が考えているような不安や心配など、あの二人はとっくにしていると思ったからだ。

 

(アスカと綾波が考えて動いた事だ。なら、僕は信じて体を休めるだけにしよう。ここで僕が何かしたら、それこそ二人に嫌われるかもしれない)

 

 いつかと同じだ。今の自分がするべきは二人の応援。そう思ってシンジは息を吐いた。

 

「分かりました。なら、二人に言っておいてください。信じてるからって」

「信じてる、ね。分かった。伝えておくわ」

「お願いします」

 

 一旦会話が終わる。そこで加持がミサトとリツコへ目配せした。すると二人が苦笑しながら部屋を出て行く。何事かと思ってシンジがその背を見送っていると、加持が椅子へ座って彼を見つめた。

 

「シンジ君、今の君になら話しても大丈夫だと思うから話すんだが、碇司令の目的は君のお母さんとの再会だ」

「母さんとの……再会?」

「ああ。詳しい事は本人に聞いてくれ。初号機をあの人が特別視する理由もそれに関係している」

「母さんと……初号機が……」

 

 いきなり告げられた内容に混乱しつつも、どこかでシンジは納得していた。何せ彼はかつて聞かれたのだ。母に会えるとしたらどうするかと。あれはそういう事だったのかと思い、シンジは加持を見つめ返した。

 

「前に父さんに聞かれた事があるんです。もし母さんに会える可能性があるならどうするって」

「それで、君はどう答えた?」

「やれるだけやってみるって。だって、可能性があるんだからと思って」

「……そうか。言われてみればそうだよな。俺だって同じ事を考えるさ。愛する人ともう一度会えるのならってな」

 

 共感するような加持の言葉にシンジも頷く。彼だってもし仮に父やアスカかレイを失い、再会出来る方法があると言われれば手を出すからだ。

 

「でも、僕はもう父さんへ言ったんです。母さんには父さんの話や思い出で会えるからいいって」

「…………むしろそう言った君の成長を感じて余計会わせようと思うかもしれないな。何せ君のお母さんと司令が会えなくなったのは十年以上前だ。十年は長い。物心つく前の息子の成長した姿を一目見せてやりたいと、そう普通の親なら誰だって考える」

 

 真っ直ぐ彼の目を見て告げられた言葉にシンジは思わず胸が詰まる。あの父がそんな事を思ってくれているのかと。そして本当に母に会えるのかとも。そんな事を思い無言になったシンジを見て加持は複雑な心境でこう告げた。

 

「だからこそちゃんと君自身の目と耳で確かめてくれ。碇司令が何をどうやってそれを叶えようとしているのかを。俺やミサトじゃここまでが限界だ。リっちゃんももう司令とは距離を取っている。すまないが、君だけが司令の本音へ迫れるんだ」

「父さんの本音……」

「ああ。病床にいるのにこんな話をしてすまないな。だけど、もう今ぐらいしかないと思ったんだ。君に対して司令が父性を見せ始めた。そんな今だからこそ、君なら司令の心の内へ迫れると」

 

 言い切って加持は椅子から立ち上がる。その表情は気まずそうなものだった。彼とてこんな話をするつもりはなかったが、真実へ迫るには自分の目で確かめる事が出来ないものを攻略しなければならない以上、それが可能な相手を頼るより手がなかったのだ。

 

「いつその話をするかは君に任せるよ。出来ればいつか司令から話し出してくれるといいんだがね」

「……今度、父さんと一緒にお風呂に入る約束してるんです。背中、流すって」

「そうか」

「そこでそれとなく聞いてみます。父さんも、今なら深い話をしてくれそうだから」

「……その、別に無理しなくていいぞ? 今は君と司令の関係を」

「嫌われても構わないから言いたい事、聞きたい事を残さないように。これ、ミサトさんが僕に教えてくれました。おかげで父さんとやっと普通の親子みたいになれたんです。だから、僕は今回もこれを信じます」

 

 迷いなく言い切るシンジに、加持はどこか眩しそうなものを見るような眼差しを向ける。その輝きがおそらく周囲を変えていくのだろうと思って。まるで太陽だ。そう思いながら、彼はどこかでそれを否定する。何故ならかつての少年はこうではなかった。なら、彼をこうしたのは何だ。あるいは誰だ。その答えは加持の愛する女性である。

 

「うん、それならそれでもいい。君の人生だ。君の選択は必ず正しいはずだ。少なくても、その時点での君にとっては、な。反省はした方がいいが、後悔は出来るだけしないでいたいな、お互いに」

「はい。あと、好きな彼女を泣かせたくも」

「おや、どうやら下心から真心へ成長を始めたか?」

「分かりませんけど、やっと芽が出てくれました。花が咲くのを祈ってください」

 

 そのシンジの言い方に加持は苦笑し頷いた。そして彼も病室を出る。そこにはミサトが待ち構えていた。

 

「どう?」

「もう彼は子供じゃないよ。しかも、俺達のようなガキでもない」

「どういう事?」

「真っ当に成長してるって事さ。歪んでいたからこそ、真っ直ぐになり始めたら一直線だ。俺達は真っ直ぐになろうともしてなかった。そういう意味じゃ、俺達はちゃんとあの子の反面教師になれたんだな」

 

 歩き出す加持とミサト。その距離は触れ合う程近い。いや、既に触れ合っていた。その互いの指を絡め合いながら歩いているのだから。

 

「リっちゃんは?」

「先に帰ったわ。レイがお弁当作ってきてくれるんですって」

「へぇ、そりゃすごい」

「しかも今日学校お休みでしょ? 一緒に食べるんだそうよ。完全に仲良しになっちゃって……」

「あの使徒戦から姉妹みたいになったもんなぁ」

 

 その言葉に笑顔で頷くミサト。と、そこでマコトにシゲルとすれ違う。軽く会釈する二人へ苦笑いを返すミサトと軽く手を挙げて通り過ぎる加持。その去って行く男女を見送り、マコトは大きく息を吐いた。

 

「ま、その、何だ。これからシンジ君を見舞うんだ。お前が病人みたいになるなよ」

「分かってるさ。これで心の底から踏ん切りついた」

「おし、その意気だ。じゃ、行こう」

「ああ」

 

 この後二人の見舞いを受けたシンジは喜びを見せた。何せある意味で気を遣う必要がない二人だったからだ。完全に男同士という事もあり、彼ら三人はアスカで言うスケベな話などもしつつ時間を過ごす。

 

―――で、シンジ君的にはアスカとレイならどっちだ?

―――そ、それは……両方です。

―――正直だなぁ。なら、葛城さんと赤木さんなら?

―――……両方。

―――いいねいいね。正直で結構。

―――そういう青葉はどっちなんだ? 葛城三佐か赤木博士なら。

―――俺? そうだなぁ……。

 

 加持とは違う二人の男性。こうしてゆっくり話す事は初めてだったが、シンジにとってマコトとシゲルは近所のお兄さんという印象を与えた。加持が大人の男性なら、二人は年上ではあるがまだ歳の近い感じの男性だった。

 

(青葉さんも日向さんもオペレーターとしてしか知らなかったけど、こんな感じの人達だったんだ……)

 

 いつの間にか話はマコトの失恋話となり、シンジとしては失礼ながらも興味を引く話題であった。渋々話すマコトだったが、最後にシンジへこう言うのを忘れなかった。

 

「いいかいシンジ君。ダメで元々って言葉は大事だ。何せ、俺は何も言えなかった。だから今の結果になったと思う。例え言っても同じだったかもしれないけど、言えば何か変わったかもしれないからね」

「そうそう。だから、例え振られるとしてもだ。可能性を信じて行動するのは大事って事さ。この前の戦いみたいに、な」

「……はい。僕もそう思います。日向さんの教えを守って、失恋するならやれる事はやってから振られようと」

「「ああ、頑張れ」」

 

 期せずして声が重なった事にシンジが吹き出し、シゲルとマコトもそれに笑い出す。そこで時間が昼近くになった事もあり、二人は退室する事に。マコトとシゲルに礼を言いつつ、シンジはその背を見送った。再び訪れる静寂。だけど、以前のような寂しさは無かった。今回は、今まで以上に見舞いの品が多かったからだ。アスカとレイは言うまでもなく、ミサトにリツコ、加持のもある。更にシゲルとマコトが持って来た物も。定番の物から変わった物まであるそれらを見つめてシンジは微笑む。

 

「これじゃ、また父さんが花の置き場がないって困っちゃうな……」

 

 その声はどう聞いてもゲンドウが来る事を疑っていないものだった……。

 

 

 

「何だか久しぶりですね、ここまで静かなの」

 

 あの使徒戦から既に二週間近くが経過しようとしていた。シンジの退院も決まり、あの戦いの傷跡もかなり癒えてはきている。マヤもそんな周囲の良い変化に当てられたかのように上機嫌だった。一方、話を振られたマコトは微妙な顔をしている。あのシンジを見舞った日、彼は少年に教訓めいた事を言ったものの、やはりまだ傷は癒えてはいない。むしろやっとはっきり傷を負ったのだ。

 

「そうだね。でも、これが普通になってくれるのが一番なんだよなぁ」

「あっ、そうですね。というか、また何かあったんですか?」

「……言うなればやっと振られたってとこかな」

 

 疲れた声で返すマコトにマヤは一瞬息を呑む。いつかの時よりも気落ちしているのが分かったからだ。そして、その原因も何となく察する事が出来た。

 

(きっとどこかで葛城さん達を見たんだ。だからはっきり認識して……)

 

 チラリとマコトの表情を窺うマヤ。彼の顔はマヤにより思い出させられた事もあり、より生気が失せていた。それに思わず責任を感じて彼女は立ち上がった。

 

「あ、あのっ!」

「……どうかした?」

「こ、コーヒーでも飲みますか? 私、淹れてきます」

「……お願いするよ。ミルクと砂糖も頼んでいいかな?」

「はい、一本でいいですか?」

「今日は二本……いや三本にする。苦いのはしばらく勘弁だ」

 

 力なく苦笑するマコトにマヤはどう返せば分からず困り顔。そして素早くコーヒーを淹れるために移動開始。残される形となったマコトはマヤの背を見送ってから頭を抱えた。

 

「何やってんだ……。彼女に気を遣わせてどうする……」

 

 そんな事だから振られるんだと、そう心の中で付け加え彼は大きなため息を吐いた。こんな事ならシゲルとの方が楽だったのにとまで考えたところで、発令所にコーヒーの香りが漂い始める。それに少しだけ気持ちが落ち着くのを覚え、マコトは香りのする方へ視線を向けた。やがて二つの紙コップを持ってマヤが姿を見せる。

 

「どうぞ、日向二尉」

「ありがとう」

「いえ」

 

 受け取ったコーヒーを早速飲み始めるマコトだったが、当然のようにその温度は熱いため……。

 

「熱っ!」

「ふふっ、コーヒーは逃げませんからゆっくり飲んでください」

「……そう、だね」

「あっ、その、そういう意味じゃ……」

「いや、いいんだ。今のはこっちが過剰反応しただけだし」

 

 それぞれに失言したと思った二人だったが、ふとマヤの視線がマコトのコンソールへ向いた。そこにはあの使徒の行った攻撃法とこれまでの使徒との比較したものが表示されていたのだ。

 

「これ……」

「ん? ああ、これ? いや、今回の使徒は初号機が戦った使徒の能力を有していただろ? だから、その比較をしてどれだけ強化されたか。あるいは変化したのかを調べようと思ったんだ」

「どうしてですか?」

「今回、あの初号機でさえ切り札のような攻撃を使わざるを得なかった。葛城三佐や赤木博士はもう正攻法の使徒は出ないと踏んでるみたいだけど、もしあれ以上の使徒が出たらと思ってね。エヴァの強化は容易じゃないなら、せめて傾向と対策ぐらいはと」

 

 先程までとは一転して凛々しさを表情に見せるマコト。そう、それはあの自販機前でのシゲルとの会話で言った”決めるとこで決める”ための仕事だった。今更遅いが、それは自分の恋愛にとってだ。これからも戦うシンジ達にとっては十分間に合う。そう思って彼は独自にその作業を始めていた。

 

「……こんなに威力が上がっているんですね」

「まだおおよそだけどね。あの初号機じゃなければあの攻撃で終わっていた。いや、もっと言えばあの初号機じゃなければとっくにこっちは負けていたかもしれない」

「ですね。私もそう思います。第三使徒にだって苦戦したはずです」

「ああ。あれはシンジ君もまだエヴァの事を何も分からず戦った時だ。正直ぞっとするよ。この作業を始めて知ったんだけど、あの使徒の腕から出ていた杭のような攻撃、分かる?」

「はい、あの初号機がフィールドで平然と弾いていた攻撃ですよね?」

「……あれは従来の初号機ならあっさり貫通している。既にその時点でシンジ君は危篤状態だ」

 

 告げられた事実にマヤが絶句する。何せその攻撃は初号機の頭部を集中して狙っていたからだ。

 

「じゃ、どうしてあの使徒はそれを使わなかったんでしょう?」

「あの使徒が多用したのは目を光らせての光線だ。おそらくだけど、元々持っていた能力へ第三使徒の能力を付加してより強化したんだと思う」

「……多様性は他の使徒で得られるから、重複する能力は強化する事を選んだ?」

「じゃないかな。事実、弐号機をパイロット達ごと行動不能へしたのもあの攻撃だ」

 

 そこでマコトはコーヒーへ口をつける。少しだけ熱を失ったそれは、飲み易い温度となりつつあった。その甘さと微かな苦みに息を吐きつつ、彼はマヤへ視線を向ける。

 

「あの荷電粒子砲は二回しか使用していない点も考えれば、使い勝手は光線の方が上だったんだ。威力、使用可能時間などの総合力で」

「もしくは、あれが使徒の奥の手だったのかもしれません」

「あり得るね。思えば使徒があの攻撃を放ったのは初号機が賭けに出た時だった。このままではやられると思ったからこそ抜いたんだ」

「切り札……」

「ああ、本気であの時は僕らも諦めそうだった」

 

 初号機が地面に叩き付けられた時を思い出したのか、マコトは苦しげな顔をした。マヤも同じような顔で頷いた。初めての感覚だったのだ。それまで何があっても使徒へ勝利してきた初号機が、為す術なく傷付き倒れたのは。

 

「だからこそ葛城三佐の行動には驚いたよ」

「全力での呼びかけ、ですもんね」

 

 揃って苦笑する二人。だが、それが切っ掛けでシンジは再起し、見事使徒を撃破するのだから世の中は分からないものである。それを二人も思って小さく息を吐いた。

 

「今回の事で一つだけ思った事がある」

「何ですか?」

「ん。最後はやっぱり気持ちなんだってね。確率とか可能性じゃない。不可能と言われても出来ると信じて動く事。諦めないって事は大事なんだって」

 

 噛み締めるように答え、マコトは残ったコーヒーを飲み干した。更に、その空になった紙コップをマヤへ差し出し、こう締め括る。

 

―――僕も再起してみるよ。今度はいい恋、出来るようにね。コーヒー、ありがとう。

 

 差し出された紙コップを見て少しだけ躊躇するも、マヤは小さく息を吐いて受け取り、コンソールへ向き直ったマコトを見つめる。その横顔に最初のような影がない事を見て彼女は小さく微笑み、彼女も残っていたコーヒーを飲み干した。

 

(日向二尉って分かり易いなぁ……。それに、私も男の人が口をつけた紙コップ受け取れるなんて……成長、かな?)

 

 そんな事を思いながら彼女は二つの紙コップをゴミ箱へ捨てる。そして一度だけマコトの方を振り返った。

 

「いい恋、かぁ。私もしてみたいな、そういうの」

 

 彼女はやや同性愛者の傾向がある。それは彼女に潔癖症のきらいがあるからなのだが、それにも若干の変化が現れ始めていた。その一因にはリツコの変化がある。彼女が成長しレイとの関係を深めた事でマヤへも頼りになる後輩としてしか接しないようになったのだ。だからマヤもリツコへの尊敬と敬愛は強くなっても、それが度を過ぎる事はなかった。そこへ来て周囲の、主にシンジやミサト絡みの恋愛模様だ。否応なく異性愛を意識し、しかもそれらが幸せそうなら余計だろう。こうしてどこか少女漫画な世界にいた彼女も、やっと現実の汚れや苦さを直視出来るようになりつつあった。

 

 こんなところでも小さな変化が起きていた。いい恋を出来るようにと動く男と、いい恋がしてみたいと思う女。願わくば彼らの道に良き恋が訪れん事を……。

 

 

 

 ペンを動かす音が響く室内。まるで流れるように動くペンだが、それが急に止まる。しばらく動く事ないペン。すると今度は消しゴムが動き出す。そしてまたペンが動き出す。

 

「……これで、終わり」

 

 大きく息を吐くシンジの前にあるのは学校の課題。アスカとレイが見舞いの度に持ってくるものだ。目覚めた当初こそ見舞いの連続だったが、それも三日すれば落ち着くもの。もっとも、それが自分への気遣いだとシンジも分かっている。故にもう寂しいとは思わないのだ。それに、そう思わない理由はもう一つある。

 

「今日もアスカと綾波が来てくれた。本当に、そういう事でいいんだよね?」

 

 思わず顔がにやけるシンジだが、それも無理はないだろう。毎日見舞いに来てくれるだけではない。何せ、あの翌日にはレイが本当に自分の写真を持って来たのだ。しかも、あの温泉で見せてくれた水着姿の。それがレイなりのそういう用途での写真という事だろうと思い、シンジは有難く受け取った。使用はさすがに出来なかった。かなりの葛藤があったのは事実であったが。問題はその次の日だ。何と今度はアスカから同じく温泉で見た水着の写真を手渡されたのだ。

 

―――こ、これって……。

―――あの写真、誰が撮ったと思ってんのよ。ま、まぁ? シンジも男だし、溜め込むのも体に良くないって聞いたから。

―――その……ありがとう。でも綾波のもそうだけど、そういう事には使わないから。

―――……何でよ?

―――えっと……だ、大事な人だから?

―――っ!?

 

 こういうやり取りを経て、シンジの枕の下には二枚の写真があった。世界に一枚しかない、彼のための写真。大好きな二人の少女からの、ある意味でこの上ない愛の贈り物。

 

「明日で退院か。今までで一番長い入院になっちゃったな」

 

 不安なのはミサトの部屋の状況。何せ二週間以上も掃除出来ていないのだ。下手をすれば彼が初めて訪れた時まで後退している事も考えられる。

 

「……加持さんに期待するしかない」

 

 彼氏である加持がミサトの部屋へ出入りしているのはシンジも知っていた。だからこそ最悪の状況だけは回避出来ると信じたいのだ。と、その時だった。ドアをノックする音がシンジの耳に聞こえてきたのは。時間を見れば面会時間ギリギリ。一体誰だろうと思い、シンジは首を傾げて返事をする。

 

「はい、どうぞ」

 

 声に反応して開かれるドア。そこにいたのはゲンドウだった。

 

「父さんっ!」

「静かにしろ。もう時間も遅い」

「あ、ごめん」

 

 思わず声が大きくなったシンジへゲンドウは少しだけ笑みを浮かべて注意する。それにシンジも恥ずかしそうに照れ笑いを返した。こうやってゲンドウが見舞いに来るのは二回目だった。一度目は生憎シンジが寝ている時だったので会話はしていない。ただ、置手紙があったのでシンジとしては嬉しかったが。ちなみにガーベラは今回五本に増えて花瓶へ活けられていた。

 

「明日退院だそうだな」

「うん、そうだよ」

「そうか。葛城君から聞いているか?」

「何を?」

「お前の住まいだ。その、今のお前と私なら一緒に暮らした方がいいと言われてな。葛城君はお前の気持ちで選んで欲しいと。望むのなら私と一緒に出来るぞ。どうする?」

 

 その問いかけにシンジは思わず目を瞬きさせる。本当にいいのかと、そう思って。その問いかけにミサトが笑顔で頷いてくれた気がした。

 

―――後悔しないようにね。

 

 即答しそうになるシンジだったが、そこで思い出すのだ。加持から聞いた話を。だから、まずはそれを出来る限りではっきりさせたい。そう思ってシンジはゲンドウを見つめた。

 

「えっと、その前に父さんに聞きたい事があるんだ。いいかな?」

「何だ?」

「その、初号機を大事にする理由を教えて欲しい」

「……何故だ?」

「その、変な夢を見たんだ。小さい僕がガラスみたいな物越しに何かを見てる夢。隣に白衣の女の人がいて、若い父さんもいた」

 

 明らかに夢の内容でゲンドウが息を呑んだのをシンジは見た。それでも眼差しは出来るだけ普段のままでゲンドウを見つめる。少しの沈黙が二人を包む。

 

「……それは、きっと母さんだ」

「そうなんだ。でも、夢だからか顔が見えなかった。あと、こんな事を言ってくれたんだ。大丈夫。いつも私は傍にいるからって」

 

 その言葉でゲンドウは完全に顔色を失った。それでもすぐに気を取り直したのだろう。一度だけ深呼吸をすると、シンジの目を見つめてしっかりとこう告げたのだ。

 

―――その話は時間がかかる。とりあえず、明日は葛城君の部屋へ帰れ。住む場所や今の話はまた都合をつける。

―――分かった。ありがとう、父さん。

 

 ゲンドウが逃げずに話してくれる事が嬉しく、シンジは笑顔を見せる。その笑顔にゲンドウも微かに笑ってくれたような気がシンジにはした。こうしてこの日は会話も終わる。だが、去り際にゲンドウから「ゆっくり休め」と言われた事にシンジは嬉しく思って頷いた。碇親子の止まっていた時間は、ゆっくりと動き出していたのだ……。

 

 

 

「いよいよね」

「ええ、上手くいく事を願っているわ」

 

 参号機が映し出されたモニタを見つめ、ミサトとリツコは心からその成功を祈っていた。遂に参号機の起動実験が行われる事になったためである。既にレイはエントリープラグ内。アスカが乗る初号機がその近くで万一に備えて待機していた。

 

「レイ、どう? 今のところ違和感はない?」

『はい、問題ありません』

「マヤ、反応の方は?」

「パターン青は検出されません。大丈夫のようです」

 

 その言葉に誰もが息を吐いた。これで参号機はエヴァとして運用出来る事になる。まだ不安が完全に消えた訳ではないが、こうなった以上は使っていくしかないと誰もが思っていた。

 

「これで実験は終了?」

「いえ、まだよ。レイ、軽く動かしてみて」

『分かりました』

 

 その場で腕や足を動かす参号機。何も問題はないように見えるその動きに、ミサトとリツコは内心胸を撫で下ろした。未だ弐号機は戦闘配備出来ない。更にシンジも退院するとは言え、すぐに戦闘へ駆り出すのも気が引ける。そうなれば、現状のネルフは戦力が著しく低下する事になるからだ。

 

「……どうやら心配なさそうね」

「そのようだわ。レイ、もういいから。上がって頂戴」

『了解』

「これで初号機、弐号機、参号機と実戦型エヴァが揃い踏みですね」

「それがいいかどうかは分からないけど……ね」

 

 どこか嬉しそうなマヤへリツコがそう返して息を吐いた。その視線の先では参号機と初号機が向き合っている。

 

『何も起きなかったみたいね』

「ええ、そうみたい。これで私もまた戦える」

『あたしは……どうしようかな?』

「弐号機が直るまでは碇君と一緒に初号機へ乗るのは?」

『……それで変化しなくなったらどうするのよ?』

「でも見てるだけは嫌でしょ? 私はそうだった」

 

 実体験を経たレイの声にアスカは返す言葉がない。事実そうだったからだ。それに弐号機が直ったとしても、彼女はまだある種の不安というか焦りが残っている。それも含めてレイは理解していた。何故なら彼女もそうだからだ。

 

「何か強みを持たないといけないかもしれない」

『強み……』

「そう。参号機しか出来ない事や弐号機しか出来ない事。例えそれが使徒に通用しなくてもいい。何か初号機の、碇君の役に立てるなら」

『弐号機しか出来ない事、か……』

 

 言ってアスカは考える。何かそんな事があるのかと。だが、エヴァのスペックを熟知している彼女は即座にないと判断した。が、それは彼女のパイロットとしての部分だ。女の部分は何か捻り出せと思考を続ける。嫌だったのだ。もうシンジだけが傷付くのが。あの第十三使徒との戦いで思い出した彼女のトラウマ。それを二度と繰り返さないためにもと。

 

(あの使徒みたいなのがまた出て来たら、今度こそシンジが死ぬかもしれない。なら、あたしの出来る事は何? あたしにしか出来ない事は何? まずそれを見つけなくちゃ……)

(参号機は一度使徒に乗っ取られた。なら、もしかするとこの機体には使徒の力が残ってるかもしれない。仮にそれがあるとして、私に使える? いえ、使ってみせる。じゃないと碇君やアスカを守れないかもしれない……)

 

 互いに思うは今ここにいない少年の事。そしてレイはアスカの事も。彼もそうだが、彼女達もまた知らず真心へと成長させ始めていた。恋さえまだ終えていないのに。いや、ある意味では恋をしていたのだろう。これまでの日々で、時間で。それがあの使徒戦で大きく変わった。自らの体を顧みず、彼が初号機で弐号機を助けに現れたあの瞬間から。それを知った時から二人の恋は愛へと変わり出したのだろう。下心ではなく真心。見返りを求めるのではなくただ与えるだけの気持ち。それを少年が命懸けで示した事で。あるいは、あの病室でのやり取り。何があっても中立とシンジが言った時こそ恋の終わりと愛の始まりだったのかもしれない。

 

「一緒に考えましょう、アスカ。きっと何か見つかるわ」

『そうね。一緒に考えますか。力で戦えないなら知恵で戦うだけよ』

 

 幾分か明るさを戻した声にレイは笑みを浮かべる。二人は知らない。それこそがまさしく使徒への人間の戦い方だと。そして、それを覆してきたのがあの初号機だとも……。

 

 

 

 参号機の起動実験が終わった頃、シンジは何をするでもなくミサトの部屋にある自室で休んでいた。本当は起動実験を見学しに行こうとしたのだが、全員から止められたのだ。まだ病み上がりなのだからゆっくり休めと。それが前日のゲンドウの言葉と同じだった事で、彼も渋々ではあったが従ったのだ。

 

「……暇だな」

 

 既に課題も全て片付け、体も本調子とは言わないまでもかなり回復している。どうしたものかと、そう思った時ふとシンジはある物を思い出して起き上がった。そして退院した際に持ってきた荷物の中からある物を取り出す。

 

「…………ダメだっ! ダメだっ! 綾波とアスカの気持ちだけで十分じゃないか!」

 

 手にした二枚の写真を眺めて沸き起こる衝動に首を横に振る少年だったが、今までの入院生活とこれまでの積み重ねは、年頃の男子中学生にとってそういう行為へ誘うのは当然とも言えるものだ。それでもかつてのピクニックの夜を思い出し、シンジは寸でのところで踏み止まる。しかし、それで欲求が消える訳ではない。

 

「掃除でもしよう」

 

 こうして彼は性的欲求を別のものへと昇華させる。一心不乱にリビングや風呂場、自室の掃除をしていくシンジ。と、その目がある場所を見て止まる。そこはミサトの自室。これまでであれば何の躊躇いもなく掃除出来たししてもいた。偶に下着が落ちていても小言を言うぐらいで対処出来た。

 

「……今日は止めておこう」

 

 絶対に良くない事になる。そう思ってシンジは掃除を終えてチェロを弾こうとリビングへそれを運ぶ。そして静かにチェロを弾き出したところで来客を告げる音がした。

 

「誰だろう?」

 

 ミサトは帰りが遅くなるかもしれないと言っていた事を思い出し、加持辺りだろうかと思いながら彼は来客を確かめ、自分の判断を褒め称えたくなった。

 

「アスカと綾波だ……」

 

 もし仮に衝動に任せていたら、きっと今日は会えなかっただろう。そう強く実感し彼は玄関を開けた。

 

「ハロー、シンジ。元気そうね」

「こんにちは碇君、上がってもいい?」

「アスカ、綾波、いらっしゃい。どうぞ上がって」

「「お邪魔します」」

 

 笑顔で部屋へと上がる二人だが、すぐにその目がある物へ止まる。

 

「これ、チェロじゃない。何? 練習してたの?」

「うん、やる事なくなってさ」

「碇君、これはどういう物?」

「楽器だよ。丁度いいや。なら、二人共座って。その、この前のお礼のお返しをするよ」

 

 やや照れながらシンジはチェロを弾き始める。それはとても優しい旋律。まるでシンジの二人への想いを乗せたかのような温かで安らぐ音色。二度目のアスカも初めてのレイも、共に微笑みが浮かぶような演奏だった。その音色が静かに余韻を残して消える。それを合図に二人は拍手をした。

 

「初めて聞いたけど良かったわ。碇君、その楽器弾くの上手いのね」

「うん、この前よりも良かった。あれから練習したの?」

「ありがとう。その、練習はしてないんだ。でも、それでも上手く聞こえたのは、きっと僕がある事を決めたからかもね」

 

 笑顔の二人へシンジはどこか緊張の面持ちで話し始める。それに彼女達は黙った。察したのだ。彼が何か大事な話をしようとしてると。

 

「えっと、本当はもっと早く言いたかった。だけど、入院してる時じゃアスカや綾波も本音を言い辛いかもしれないって思って先延ばしにしちゃったんだ。だから、今ここで言いたい」

 

 一旦言葉を切って深呼吸するシンジ。それにアスカとレイも思わず息を呑む。

 

―――僕は、二人が好きだ。本気で、綾波もアスカも大事にしたい。そんな僕で良かったら、付き合って欲しい。

 

 シンジはしっかりと二人を見つめて言い切った。凛々しくでもなく情けなくでもない。普段の彼のままで、人によっては最低と捉えかねない告白を。緊張がシンジを包む。言われた少女達は反射的にお互いを見つめ合って、彼からはよく表情が見えない。

 

(言っちゃった。でも、これでいいんだ。僕は本気だ。アスカも綾波も選べない。ううん、二人を選びたい。それがダメなら男らしく諦めよう)

 

 今にも目を閉じて逃げてしまいたい気持ちが少年を襲う。それを辛うじて押さえ付けながら彼は返事を、もっと言えば反応を待った。やがてアスカとレイがゆっくり頷き合い、俯いたまま静かにシンジへと近付いていく。まるで死刑執行のような感じを受け、彼は小さく喉を鳴らす。平手打ちされると思ったからだ。

 

「今の、本気なのよね?」

「う、うん……」

「もう撤回しない?」

「お、男に二言はないから」

 

 震えそうな体を何とか誤魔化し、シンジはそう返す。そして、次の瞬間二人が顔を上げて彼へ襲い掛かるように迫った。だが、シンジが感じたのは痛みでも苦しみでもなく……。

 

「あたし達二人を彼女にしたいとか、本当にバカシンジなんだから」

「でも、これで私とアスカがケンカしないで済むわ」

 

 二人の少女の温もりと柔らかさ。更に今まで嗅いだ事のない甘い匂いだった。抱き着かれている。そう理解して、シンジは喜びを噛み締めるようにゆっくりと彼女達の体を抱き締める。それに気付いて、二人もより強く抱き締めた。

 

―――言っといてなんだけど、本当にいいの?

―――じゃなかったらぶん殴ってるわよ。

―――ええ、平手打ちじゃ足りないわ。

 

 問いかける声も返す声もどちらも笑っている。嬉しいのだ。例え世間から見れば問題のある関係だとしても、今の彼らにとっては最善の形なのだから。やがてシンジは優しく二人を引き離す。何かと思ってアスカとレイが彼を見つめると、シンジは小さく深呼吸をしてこう言った。

 

「大好きだよ、アスカ、綾波。何があっても僕が絶対守るから」

「「っ!? シンジ(碇君)っ!」」

 

 いつか言った言葉。だけど、それよりも更に強く想いを込めて。あの日の言葉は同じエヴァパイロットとして。今日この日の言葉は男としての誓い。それが分かってアスカもレイも満面の笑みでシンジへ抱き着いた。加持の言った言葉をシンジは忘れていなかったのだ。複数を本気で愛するなら世間は好意的ではない。だからこそ改めて宣言したのだ。自分が二人の盾になるのだと、そう、男として……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。勇者のLVが2上がった。精神コマンド勇気を覚えた。

 

新戦記エヴァンゲリオン第二十話「心の会話、人の対話」完




両手に花は現実で考えれば、少なくてもこの国では歓迎されません。これも学生のシンジ達だからこそ大きな問題にはなりませんが、成人した時にはまた考え直す時がくるのかもしれませんね。

勇気……加速、不屈、必中、直撃、気合、熱血の六つが同時に使用される精神コマンド。実は、これは二次αでガオガイガーの獅子王凱が習得する精神コマンドの複合だったりします。

加速……移動力を+3する。本作で考えるなら、サハクィエルの時に落下地点が分かった瞬間のスタートでも弐号機や零号機が間に合う感じ。

直撃……攻撃対象が持っている防御能力や防御機能を無視出来る。つまり、ラミエルやイスラフェルがマゴロクで一撃にされてしまう。

熱血……敵に与えるダメージが1・5倍。魂の下位互換。今作なら、これがあればラミエルは初戦で撃破されていました。

気合……気力を+10する。気迫の下位互換。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。