一応、最後にこの作品に関する活動報告を上げましたので、興味ある方やお暇がある方はどうぞ。
最後までご覧いただき、本当にありがとうございました。
朝の陽射しが差し込むリビング。そこを忙しなく動く一人の女性がいた。彼女は白いレースのカーテンを開け、窓を開けて空を見上げた。六月は梅雨の時期。今やこの国は四季を取り戻して一巡していた。彼女の息子がその名称と由来を知り感心していたのが、女性には昨日の事のように思い出されていた。
「良かった。晴れたみたいよ、アナタ」
「そのようだ」
微笑む女性に返事をしながら男性がネクタイを締めている。が、どうやらそれが曲がっているのだろう。女性が苦笑しつつため息を吐いて男性の前へ移動した。
「曲がってるわ」
「……すまん」
「どういたしまして……うん、これで良し」
「シンジはどうしてる?」
「とっくに式場へ向かいました。今日は待ちに待った結婚式なんですから」
そう言って女性は視線をある場所へ向ける。そこには、あの日七人で撮った写真を始めとした、いくつもの思い出が飾られている。その中の一つであり、彼女にとって忘れられない一枚が納められた写真立てを手に取って女性は微笑む。
「本当に、時間の経つのは早いものね」
そこに写るのは、シンジとゲンドウ、そして二人に寄り添うユイの姿。
「もう、一年以上になるのか。お前を、ユイをサルベージして」
「ええ、もう季節が巡りまた始まるのを見る事なんてないと、そう思っていたけれどね」
ゲンドウとユイは揃って写真を見つめて遠い目をした。あのアダムとの戦いが終わり、ゲンドウはかつての念願だった初号機コアからのユイのサルベージを成功させた。そして、同時に弐号機コアのサルベージが行われた。アスカの強い希望で。
―――ママを、人として看取ってあげたいの。
既に肉体が失われている以上、コアからサルベージする事は死を意味する。だけど、放っておいてもいずれ死んでしまう。あの戦いでアダムは消滅した。いや、リリスとアダムという生命の始祖は共に消えたのだ。その分身であるエヴァも、ゆっくりとではあるが衰弱を始めている事をアスカは直感で察していた。
「キョウコさんは、喜んでいたそうだな」
「ええ、最期に私は彼女の声を聞いたわ。せめて式だけでも見たかったともね。あの子も、アスカちゃんも聞こえたはずよ」
惣流・キョウコ・ツェッペリンのサルベージは成功した。そうユイとアスカは断言した。その証拠に、その後アスカが弐号機へ乗っても何の反応も返さなかったのだ。
「子に看取られて眠るのが親の最後の仕事だ。私もそうありたい」
「そうね。逆は絶対に嫌だわ。こう考えると、私は抜けていた。アナタやシンジの死を、下手をすればその子供達さえ見送っていく事になったのだから」
「仕方ないだろう。お前も私と一緒で肝心なところを見落としがちだ」
「ふふっ、本当に。母親失格だったわ」
そう言ってゲンドウの方へもたれかかるユイ。その温もりと匂いにゲンドウが小さく笑みを浮かべ優しく抱き締める。
「それを言うなら私も父親失格だった。似た者夫婦とは良く言った物だな」
「……なら、トンビが鷹を産んだのかしら」
「そうかもしれない。あるいは、私達もそうなれたからかもしれん」
「可能性は無限大。人の未来は誰にも分からない。希望、奇跡、それが詰まっているのが人間ですものね」
「ああ」
そこでゲンドウが時計へ目をやった。そろそろ式場へ向かわないと不味いと思われる時刻となっている。
「ユイ、そろそろ行こう。私達が遅刻する訳にはいかない」
「そうね。あっ、忘れ物はない?」
「抜かりない。フィルムもバッテリーも十分だ」
「もうっ、そういう時だけはしっかりしてるんだから……」
呆れるように、だけど愛おしそうに言ってユイはハンドバッグを手にした。ややくたびれた感じのするそれは、彼女がサルベージされた当日にシンジから送られた最初のプレゼント。
―――今まで何も出来なかったからさ。
十四年分の母の日の贈り物。それにユイは感極まって涙を流し、シンジとゲンドウに早速の忘れられない思い出を贈り返すという一幕を見せた。
「お待たせ」
「ああ、行こう」
ゲンドウの黒い革靴も、少々使い古された感があった。それもシンジからの贈り物。十五年分の父の日のプレゼントだった。物が物だけにサプライズとはいかなかったが、初めての息子からの贈り物にゲンドウは値段を気にしてシンジにため息を吐かれ、ユイに苦笑された事を記す。
一方、その二人が向かおうとしている式場では、思いがけない繋がりが出来た事で会話に花が咲いていた。
「まさかあの子のお姉ちゃんとはなぁ」
「わ、私も驚きでした。まさか青葉さんが妹と知り合いだったなんて……」
シゲルの隣で少し照れているパーティードレスを着た眼鏡の女性。その名は洞木コダマ。ヒカリの姉である大学生だ。シゲルが訪れたライブハウスに友人と来ており、そこで彼とぶつかった際に持っていたドリンクをかけてしまった事が切っ掛けで繋がりが生まれていたのだ。
「知り合いって言うか、まぁ互いの顔は知ってるぐらいだけどな」
「あたしも驚いたよ。まさかお姉ちゃんが言ってたギターの男の人が青葉さんなんて……」
「いやぁ、世間は狭いちゅう事やな」
高校の制服を着たヒカリとトウジ。無事二人揃って同じ高校へ進学し、今や恋人繋ぎで登校する仲である。少しだけあの頃よりも大人びた容姿に、シゲルだけでなくマコトやマヤも微笑みを浮かべた。
「でも、どうしてお姉ちゃんもここに?」
「あー、俺が頼んだんだよ。ほら、そこにいるだろ? 見せつけるように腕を組んでる奴が」
「別にいいだろ。その、付き合っているんだから」
「そうですよ。マコトさんと腕を組んで何がいけないんですか? ね、マコトさん」
嬉しそうなマヤに笑みを返して頷くマコトを見て、シゲルが「な?」と呟いてため息を吐いた。それだけでトウジ達も理解した。要するに一人では辛いので、せめて体裁だけでもカップルになりたかったのだろうと。だからだろう。少しだけ苦笑するとコダマはシゲルの隣に近寄った。
「じゃ、今だけ恋人にしてくれますか?」
「……いいのか?」
「はい。その、見ての通り、私って少し地味だから男の人にあまり声を掛けられた事なくって」
その様子を眺め、トウジとヒカリは微妙な表情を浮かべていた。どう見ても互いに多少意識しているように見えるからだ。
「な、これ知ったらサクラとノゾミ、何て言うやろ?」
「……きっと二人してお兄ちゃんが増えるって大喜びじゃない?」
「親父達は複雑やろうけどな」
「どうだろ。こんな時代だし、産めよ増やせよだもん。歓迎するよ、表向きは」
その最後の一言にトウジも納得するように息を吐いて視線を周囲へ向ける。まだ、影の主役とも言える存在が到着していない事に気付いているのだ。
「な、ヒカリの方には連絡きたか?」
「ううん。カヲルからは相田と一緒に行くって来たけど……もしかして直接控室に行ってるんじゃ?」
「ならええわ。ワイの方にはサクラからのお土産よろしくしか来とらんし」
「引き出物?」
「しかないやろ。結婚式場やぞ」
呆れるように返すトウジにヒカリも苦笑する。と、そこへ現れる一組の男女。
「よ、久しぶり」
「ケンスケか……て、何で正装しとんのや」
「やぁヒカリ。久しぶり」
「カヲル、久しぶり! わぁ、そのドレス似合ってるね! どこで買ったの?」
共に正装のケンスケとカヲルに両極端な反応を示す男女。ともあれ、ケンスケの方はトウジの意見に同意するように頷き、カヲルを指さした。彼女は淡いピンクのドレスを着ていて、似た色のルージュさえ引いてとても綺麗な仕上がりとなっている。それでトウジも察した。これはカヲルに合わせるためにケンスケなりに努力した結果だと。
「俺は制服でいいって言ったんだ。そしたらカヲルの奴、結婚式の正装ってものを調べたらしくてさ」
「……お疲れさん」
「いいんだ。俺もカヲルの着飾ったとこ見たいって思っちまったし。トウジ、あいつどんどん女っぽくなるんだ。見かけだけじゃない。最近じゃ手芸にハマり出してさ、俺のマフラー編み出してんだよ」
「あー、ヒカリも前やっとったわ。ただ、ワイやなくてサクラとノゾミにやったけど」
彼らが初めて迎えた冬は、それまでの反動かとても寒く感じたのだ。なのでそれを踏まえヒカリが二人の妹にと手編みのマフラーを編んでいた。受験で大変にも関わらず、見事二つのマフラーを編み上げたヒカリにトウジは本気で惚れ直したのだから。男子二人がそこからさり気無く彼女の惚気を始める一方、ヒカリはカヲルからある相談を受けていた。
「え? まだキスしてくれないの?」
「そうなんだ。僕は構わないんだけど、ケンスケ君が気になるみたいで……」
付き合い出して一年以上が経ち、あの戦い直後に比べ体つきなどもすっかり女性らしくなったカヲルであったが、ケンスケにとっては未だにどこかで、元は男という想いが過ぎるのだ。そのため、この一年以上で出来たのは手を繋ぐが精一杯という有様である。
「あー、相田ってそういうとこ神経質っぽいもんね」
「うん。僕が女性らしい口調じゃないからかなと思ったんだけど……」
「相田がそうじゃないって?」
小さく頷くカヲルを見て、ヒカリはどうしたものかと考える。こういうところで女性は現実的だ。今カヲルは女性で、しかもスタイルだってあの中学時代の女性陣四人の中では一番なのだ。ならば気にする必要はないだろうとヒカリは思っていた。同じ女性として羨ましい程の美貌の持ち主。それが今の渚カヲルなのだから。
「うん、じゃあ言ってあげた方がいいよ。カヲルがこうなったのは相田のためだって」
「……ケンスケ君のため?」
「そ。たしか、あの頃カヲルが聞いたんでしょ? どうしたら怪物を受け入れてくれるかって。で、相田の奴が可愛い彼女になってくれるならって返した」
「そうだよ。だから僕は」
「そこだよ。カヲル、やっぱりレイと似てるよね。それ、ちゃんと相田へ言った? 自分が女の子になったのは、ケンスケに受け入れてもらいたいからだって」
「…………言ってないね」
「じゃ、それ言ってきなよ。それでもまだうじうじするなら、別れて他の人探した方がいいかも」
そのはっきりとした意見にアスカの姿を幻視し、カヲルは小さく驚いた後で苦笑して頷いた。そのまま彼女はトウジとケンスケの傍へと歩き出す。その背を見送り、ヒカリは微笑んだ。
―――ま、相田も本当はそうなりたいんだろうしね。
同時刻、式場の新郎控室には、タキシード姿の加持と正装したシンジの姿があった。ただし、彼の場合は仕方なくではない。本人の意思でそれを着ていた。それだけこの式は彼にとって重要なのだ。
「遅いなぁ……父さんも母さんも分かってるのかな?」
「心配いらないさ。ご両親はこちらへ向かってるとさっきリっちゃんから聞いたよ」
「ならいいんですけど……」
高校生となり、シンジは体つきがより男らしくなっていた。背も伸び、180が見え始めている程だ。彼は知らない。そこにあの戦いでの経験値が影響しているなどと。
「それより、新婦の方は見に行かなくていいのか?」
「さっき言ったら何故かダメ出しされました。ったく、ミサトさんもケチですよね」
「何故か俺もダメって言われたからなぁ。まぁ、出来るだけもったいぶりたいんだろうさ。女性にとっては、一生で一度の晴れ姿だからな」
「……二度や三度になる人もいるみたいですけど?」
「それは……いいものは何度だっていいって事さ」
ジト目のシンジに軽い笑みで返し、加持は部屋の時計を見る。式まで残り30分を切っていた。
「そろそろいいだろ。シンジ君、もう一度行ってきたらどうだ? 俺は絶対に君より後にしか見せないと言われたし」
「……そうします」
どこか不承不承ながらも、滲み出る期待感は隠せない。それを察して加持は一人苦笑した。こんな日が来るとは思っていなかったからだ。あの戦いの日々。それをこんな形で乗り越え、未来を引き寄せるとは誰が予想出来ただろうかと。
「いや、だからこそか。誰も予想しえない未来だからこそ、彼は願った訳で」
一部の者達しか知らないサードインパクトの事実。それを明らかにする日はきっと来ない。何せ、一つ間違えば世界を滅ぼしていたのだ。その事を知るからこそ、彼らは誰も口を開く事はしない。そして世界もそれを知りたいとは思っていないのだ。みな、その日その日を平和に、幸せに暮らせればそれでいい。例え奇跡が起きたともしても、大事なのはそれが自分達に不幸とならないか否かだけ。
「……真実を知りたいと思う奴より、真実が自分にどう影響するかの方が気になる奴ばかりだもんな」
噛み締めるように呟いて加持は窓から空を見上げた。梅雨の時期にしては珍しい程の快晴。まさしく今日の式を祝福するようだ。そう思って彼は小さく笑う。
一方、新婦控室前ではシンジがやはり足止めを食らっていた。彼を阻むように、ドアの前に水色のドレスを着て髪を短くした金髪のリツコが立っているからだ。
「どうしてもダメなんですか?」
「ええ。ごめんなさいね。どうしてもシンジ君にだってギリギリまで見せたくないって」
苦笑いのリツコにシンジはため息を吐いた。彼が一番顔を見たい二人は部屋の中なのだ。それを分かっていてミサトは入室を拒み、あの彼女達にさえ手洗い以外の退室を認めていないのだから。
「いいですよ。なら本番まで待ちます」
「そうして頂戴。後でミサトには私から言っておくわ」
「お願いします」
諦めるように息を吐いてシンジは式を行う教会まで移動を開始する。そろそろ他の者達もそうしているからだ。途中で加持へ声を掛けようかと思ったが、別に気にする必要はないと判断してそのまま彼はその場を去った。その背中を見送り、リツコは小さく息を吐いてドアを開ける。
「ホントに良かったの? シンジ君、結構凹んでたわよ?」
「いいの。シンちゃんには後でアッと驚いてもらわないといけないんだから」
「ミサトって、ホント子供みたいなとこあるわよね」
「だけど、ミサトさんらしいわ」
戸籍上リツコの娘となり、レイはミサトの事を苗字ではなく名前で呼ぶようになった。母と親友であるミサトとの距離も以前よりも近付いたからである。そんな柔らかく笑うレイを見て、ミサトは嬉しそうに笑顔を返した。
「ありがとレイ。そのドレス、似合ってるわ」
「ちょっとミサト、あたしは?」
「はいはい。アスカも似合ってるわよ」
それぞれのイメージカラーで染め上げられたドレスを着たアスカとレイにミサトは笑顔を浮かべる。高校生となり、二人もまたそれぞれに女性らしさを増していた。
アスカは髪を後ろで束ねポニーテールにするようになり、西洋の血が入っているためか、出るとこは出て引っ込むべきとこは引っ込む理想的な体型となっていた。レイはアスカに比べれば髪型などの分かり易い変化はない。ただ、大人しい外見ではあるが、どこかミステリアスな雰囲気は残っていて、文学少女がゆっくり大人へ向かっているようなそんな成長を遂げていた。
更に化粧も覚えたためか、アスカもレイも実年齢以上に思われる事も増え、二人で外出するとナンパされる事が多いとのボヤキを彼氏に聞かせているのだ。実際は、そう言う事でシンジにヤキモチを焼いて欲しいとの女心であるが。そんな三人を眺め、リツコは視線を時計へ向ける。
「ミサト、そろそろ」
「あら、ホント。じゃ、二人共また後でね」
「ええ」
「はい」
こうして女性陣の方も主役を残して移動を開始。式の開始まで残り15分程度。となれば教会内に参加者達が移動している。そこには、碇夫妻の姿もあった。そして、彼の姿も。
「冬月先生、ご無沙汰しています」
「ユイ君も元気そうで何よりだよ。碇、困らせていないだろうな?」
「ええ。そんな事をすれば晩の食事が一品減ります」
「ほう」
「もうっ! 余計な事言わないの」
仲睦まじい二人を見て冬月は確信していた。あの頃の二人は、やはりどこか夫婦になっていなかったのだと。今のような家庭を窺わせるようなやり取りなど皆無であったからだ。それを実現させたのがシンジであると考え、彼は噛み締めるように呟いた。
「子は鎹とはよく言ったものだ……」
「「はい?」」
「いや、こちらの話だ。それにしても、まるで同窓会のようだな」
周囲の様子を眺め、冬月がどこか苦笑して告げる。それにゲンドウとユイも同意するように頷いた。シンジの友人達とはまず会わないし、その彼らさえ毎日顔を合わすとは限らない。何より、冬月のようにネルフを辞め教職に戻るなど、そもそも会う機会が無くなった者達とて少なくないのだ。と、冬月の目がある者達で止まった。
「彼らは……」
「あの時の指揮官とその同僚達ですよ。今、葛城君は戦自の方で教鞭を取っていますから」
「あの方とはその時からのご縁で、後は教え子みたいなものだそうです」
「そうか。そういえばそうだったな」
納得するように頷き、冬月は視線を前へ向ける。そこには当然のように十字架があった。
「……何というか、あの頃のおかげで複雑な気分になるな」
「同感です」
「アナタ、そこまでに。先生もです」
ユイのつり上がった目に二人は大人しく黙った。今日はめでたい日なのだから、それに水を差すような事を言うな。そんな声をたしかに感じ取って。やがてそこにリツコが姿を見せる。共に来るはずの相手は、どうやら途中で別れたようだ。彼女はそのまま一人分だけ場所を開け椅子に座った。おそらくそこが彼女の場所なのだろう。と、その姿を目ざとく見つけたのか、加持がその隣へ座る。
「リっちゃんだけ?」
「ええ。向こうは少し喋ってるわ」
そう言ってリツコは入口の方を見た。そこは当然ながら閉まっている。きっとその前で話しているのだ。加持もそれを察したのだろう。無理もないとばかりに苦笑した。
「ま、今日やっと顔を合わせたからなぁ」
「リョウちゃんはいいの? 結構気合入れてたけど」
「俺はそこまで。本命は別にある」
「そう。なら、決められた場所へ行きなさい。そこは貴方の場所じゃないの」
「へいへい。娘が出来てからリっちゃんがつれないわ」
ヒラヒラと手を振って加持は椅子から立ち上がる。その背を見送り、リツコは手元の時計を見た。式が始まるまで後5分を切っている。チラリと後ろを見て彼女は苦笑する。
―――話しこんで時間を忘れてなければいいけど。
その心配されている彼女は時間こそ忘れていなかったが、少々緊張はしていた。
「シンちゃん、大丈夫かしら? 変なとこない?」
「大丈夫ですよ。その問いかけ、これで三回目ですよミサトさん」
「そ、そうよね。あー、やっぱ慣れない格好するとダメね」
「でも、綺麗ですよ」
「ん。ありがと。シンちゃんも決まってるわ、それ」
あの頃はシンジが見上げミサトへ合わせた視線。それが、今や少しだけミサトが見上げる側だ。そこに確かな時間の流れを感じ、彼女は微笑む。初めて出会った頃は少年だった。それが、もう青年になりつつある。きっと、このまま彼は立派な大人になり、やがて家庭を持ち、子を育てていくのだろう。
(早いものね。彼と出会った日が、昨日の事のようだわ……)
おかえりとただいま。それを互いに言い合って始まったあの生活。気付けば姉弟のようにも思い合っていた二人。それが、今人生の門出を迎え、片やそれを送り出し、片やそれを歩むのだ。あれからまだ五年と経っていない。だけど、感覚的にはそれぐらいの時間が流れたようにミサトには思えた。
「じゃ、そろそろ行きましょうか」
「はい」
その言葉を合図に教会のドアが開いた。参加者達の視線が一斉に二人へ向けられる。その中をシンジと腕を組みながら純白のドレスを着たミサトが静々と歩く。そのドレスの裾をアスカとレイが持ち上げて。父親を亡くしたミサトは、バージンロードを弟にも思っていたシンジに頼んだのだ。やがて二人が加持の前まで近付き、それを合図にシンジはミサトから静かに離れる。
「加持さん、ミサトさんを、僕の姉さんをよろしくお願いします」
「シンちゃん……っ!」
「ああ、確かに引き受けた。必ず幸せにするよ」
シンジの言葉に瞳を潤ませ口元を抑えるミサト。その肩をそっと抱き寄せ、加持は真剣な表情で言葉を返す。それに嬉しそうに頷き、ゲンドウとユイのいる場所へ素早く座る。リツコの隣にはレイとアスカが座り、これで全員が席に着いた。そこからは厳かな流れで式が進む。誓いの言葉に指輪の交換。そして誓いの口づけ。その度に女性からはため息が漏れ、男性達はそれぞれの反応を返す。ただ、未だにカヲルはそれとずれているようで、小首を傾げてケンスケがため息を漏らす事になっていたが。
そして、遂にその時は訪れる。そう、花嫁のブーケトス。やる気溢れるアスカ、密かに両手を握るヒカリ、揃って首を傾げるレイとカヲルと、戸惑いながらも参加するつもりのマヤとコダマ。それらを既に結婚したミサトの友人達とリツコが微笑ましく見守る。
「な、何かすごいな……」
異様な雰囲気さえ感じる光景にシンジが若干引きつった顔をする。すると、気持ちは分かるのかケンスケとトウジも似た顔をしていた。
「ま、女性にとっての最後のお楽しみみたいなもんだからな」
「たしか、受け取った奴が次に結婚出来るやったか?」
「一応そう言われてるね」
三人の話にマコトがそう相槌を入れた。彼は引きつってはいないが、苦笑はしている。何せ彼女がその中にいるからだ。まだ結婚のけの字も出した事はないが、それを考えているのかと複雑な気持ちにはなったからだ。だが、シゲルは違った。彼は何故そこにコダマがいるのかを察していた。
「ありゃ、コダマちゃんは雰囲気に押された感じだな」
「マヤちゃんもそうだと思う。だけど……」
「どこかで思ってるかも、だろ? ま、視野に入れたらどうだ? 同棲してんだろ?」
「ルームシェアだ。その、それに彼女もまだそこまでは……」
「あぁ、そういや彼女、元々潔癖症だっけか」
力無く頷くマコトの肩をそっとシゲルが叩く。どこかで、本当の意味でのゴールインは自分が早いかもしれないと思いつつ、彼は小さく呟いた。
「また、今度飲もうぜ。安くてイイ店、探しとくわ」
「……悪いな」
ひょんな事から始まった友情は、未だに切れる事なく続いている。と、そこへ加持と腕を組んだミサトが姿を見せる。それだけで一部の女性陣に緊張が走った。それを感じ取ったのか、ミサトはどこか楽しそうに笑うと手にしたブーケを掲げた。
「いい? いくわよ? それっ!」
投げ放たれたブーケを掴もうとアスカが必死に手を伸ばす。いつかの約束を果たすために。だが、そんな彼女を阻む手がある。ヒカリとカヲルであった。カヲルはブーケの意味をヒカリから教えてもらい、ならばと参加を決めたのだ。
「ちょっとっ! 邪魔しないでよ!」
「あ、あたしだってトウジのお嫁さんになりたいんだもんっ!」
「僕もケンスケ君にもっと意識してもらいたいからね」
「こんのぉっ!」
親友だろうとこの時ばかりは敵である。そんな気迫を漲らせるアスカにマヤとコダマは苦笑い。
「どうします?」
「来たら受け取る、かな?」
とてもではないがあの三人程の熱意はない。と、その二人の見ている前でブーケがアスカ達の手へと落ちていく。それはそのままアスカの手が掴むかと、そう思われた。
「よっしゃあっ!」
勝利を確信し、ブーケを掴もうとした次の瞬間、あろう事かアスカの手が滑るようにそれを掴み損ねる。そしてそれによってブーケは動きを変えて、ただその光景を注視していたレイの手へと落ちた。
「? 何?」
反射的に受け取り、ブーケを見つめるレイ。全員の視線が向いている事に気付き、不思議そうに小首を傾げた。
「うん、レイ。それ持ってこっち来なさい」
「分かったわ」
アスカに手招きされ、ブーケを持ったまま彼女へ近寄るレイ。そしてその耳元へアスカが何事か囁くと、少しだけ顔を赤めて頷いた。
「じゃ、行くわよ」
「ええ」
ブーケを二人で持ち、彼女達はある人物を目指して歩き出す。それだけで全てを悟り、女性陣は笑みを浮かべ、男性陣は苦笑し、その視線の先にいるシンジは目を丸くしていた。
「あ、アスカ? 綾波も……どういう事?」
「鈍いわね、バカシンジ」
「碇君も私やカヲルの事を言えないわ」
共に小さく笑みを零すと二人は揃ってブーケをシンジへ差し出した。
「「結婚してください」」
まさかの逆プロポーズ。だが、シンジはそれを聞いて困ったように頬を掻くとブーケを受け取り、そこから白いバラを二本取り出すとブーケを地面へ置いた。そして白バラをそれぞれへ差し出して告げる。
「なら、これが僕の気持ちだよ。受け取ってくれる?」
言葉と共に差し出されたバラを見て、アスカが瞳を潤ませてバラを手にした。だがどこか理解出来ていないレイを見て、ユイがその花言葉を教えた。
「レイちゃん、白バラは私はあなたに相応しいって意味があるの。シンジなりの返事よ」
その瞬間、レイも意味を理解し瞳を潤ませて頷きながらバラを手にする。その瞬間、全員が一斉に歓声を上げる。
「おめでとう、シンジ君」
「おめでとう、アスカ」
「おめでとう、レイ」
加持、ミサト、リツコが拍手を送る。
「おめでとう! シンジっ!」
「綾波もおめでとう!」
「アスカ、おめでとうっ!」
「おめでとう、三人共」
ケンスケ、トウジ、ヒカリにカヲルも拍手を送る。
「おめでとう」
「おめでとうっ!」
「おめでとう!」
マコト、シゲル、マヤも拍手を送る。
「みんな、おめでとう!」
「おめでとう」
「おめでとう」
コダマや戦自隊員達にミサトの友人達さえも拍手を送り、一部は指笛を吹き鳴らす。
「おめでとう、若人達よ」
「おめでとう」
「おめでとう」
冬月、ゲンドウ、ユイも拍手を送る。それを受けて、シンジ達は顔を見合わせ頷いた。
「「「ありがとうっ!」」」
大人達に感謝を。友人達にも感謝を。全ての人々に心からのありがとう。それを告げるようにシンジ達は満面の笑顔で答えた。鳴り響く拍手の中、ケンスケとトウジに揉みくちゃにされるシンジと、ヒカリやカヲルに改めてお祝いを述べられるアスカとレイを見つめ、ゲンドウは小さく苦笑した。
「しかし、どこであんな気障な受け答えを学んだんだ、シンジの奴は」
「ミサトちゃんがお姉さんみたいだって言うなら、お兄さんからじゃない?」
「お兄さん?」
ユイの言葉にゲンドウは疑問符を浮かべるも、すぐにある人物へ視線を向ける。すると、加持はその視線に気付いて申し訳なさそうな表情を返した。それがいつかの加持を思い出させ、ゲンドウは一瞬面食らうもすぐに楽しそうに笑った。
「そうか。リョウジ君が兄か」
「ええ、ミサトちゃんが姉でリョウジ君が兄。貴方が父になるまで、あの二人がシンジの親代わりをしてくれたのよ」
「……だから仲人を引き受けようと言ったのか」
「いけなかった?」
「いや、そう考えればむしろ義理の子供達の仲人だ。私達以外に渡すつもりはない」
「あら、現金な人」
楽しげに笑うユイにゲンドウも笑みを浮かべる。ふと、そこでゲンドウはある事に気付いて更に笑みを深くした。この分だと、シンジ達の結婚式はその二人が仲人になるからだ。家族ぐるみの付き合いは続きそうだ。そう思ってゲンドウはユイへ視線を向ける。
「ユイ、シンジの奴は一人暮らしを考えていたな」
「ええ。出来れば高校卒業したらって」
「アスカ君のご両親や赤木君と一度話をするか。その方がいい」
「……はぁ~、相変わらずこうと決めたら行動が早いんだから」
呆れるように告げ、ユイはゲンドウを置いて披露宴会場へと歩き出す。
「お、おい……」
「アスカちゃんのご両親への相談は今じゃなくてもいいでしょう? 今はミサトちゃん達の式が優先です。あと、リっちゃんの事はまだ許した訳じゃないですからね?」
一度だけ振り返り、そう言い放つや再び歩き出すユイにゲンドウは立ち尽くす。そんな彼の肩を冬月が軽く叩いて笑った。
「碇、お前に先人の有難い教えをくれてやる。母は強し、だ」
「…………そのようです」
力無く項垂れるゲンドウに冬月は大いに笑った。その様子を離れた場所で見ていたシンジは嬉しそうに笑っていた。高校進学と同時に、シンジはゲンドウから彼の不倫について明かされていたのだ。
―――リツコさんやそのお母さんと……。
―――ああ。私はそういう事をしていた。
―――母さんはこの事を……
―――知っている。覚えているか? サルベージされてしばらく、ユイが私に口をきいてくれなかった事を。
―――あれ、そういう事だったの? てっきり色んな事であまり喋りたくないだけかと……。
そう、あのレイがやった怒りの表し方はユイ譲りだったのだ。それにその時気付き、シンジは複雑な気分になった事を今でも覚えている。それから考えれば、今の二人はとても仲睦まじく彼には見えるのだ。一時期など、歳の離れた弟か妹が出来るのではないかと思った程に。
「どうしたのよ?」
「何か面白い事でもあった?」
「うん、あれ」
そう言ってシンジが指さす先には項垂れるゲンドウと話す冬月の姿。それにアスカとレイも小さく笑う。
「あれやったの、シンジのママでしょ?」
「しかいないよ」
「ユイさん、相変わらずゲンドウさんより強いのね」
「まあね」
二人に抱き着かれても、今のシンジは狼狽えなかった。何せ大勢の前で公開プロポーズをしたようなものだ。しかも、いつか加持から聞いた女を口説く時に使える花言葉を利用して。後で加持に礼を言おうと、そうシンジが考えているとアスカが無意識だろう小声で呟いた。
―――あたし達も結婚したらああなるのかな?
それにシンジは自然とこう返す。
―――さあ? 僕らは僕らのなるようにしかならないよ。
するとレイがこう締め括った。
―――きっとあの時みたいになるわ。
それが何を意味しているかを察し、シンジもアスカも苦笑しながら頷いた。あの共同生活。あれの延長線だと理解したのである。こうして三人も披露宴会場へと歩き出す。が、何故かその手は繋がれていない。代わりに腕を組んでいた。もう、恋人は終わったからだ。これからは婚約者。まだ三人の関係性は変化していくのだから。
「そうだ。シンジ、一つだけ約束して欲しいの」
「約束?」
「ええ、約束。家は最低でも二階建て」
「え?」
「で、子供部屋は最低二つ。一つはあたしの子供で、もう一つがレイの」
「ちょ、ちょっと」
「それと、お母さんと一緒に暮らしたいから私室は最低五つ?」
「最低なら四つでいいわ。寝室は三人一緒でいいじゃない」
「待ってよ! いくら何でもっ!」
そう困惑しつつシンジが文句を言おうとすると、二人は足を止めて振り向いた。その青と赤の瞳が彼を見つめる。それがいつかの記憶をシンジへ呼び覚まして思わず彼は息を呑む。そんな彼に気付いたのか、アスカとレイはどこか不思議そうに、だけど笑顔で問いかける。
「「何?」」
「っ!? ……何でもない……」
勝てない。そう思ってしまったのだ。いつかとまったく逆である。誰かが言った。夫婦円満の秘訣は奥さんの言う事に逆らわない事。彼も、知らずそれを実行するのだろう。だが、それでもいざとなれば彼は二人の奥さんを止める事が出来る。言う事に逆らわないのと、ただ従うのは似て非なる事だからだ。
―――シンジ、あっちの初めてはちゃんとあたしに渡しなさいよ?
―――な、何言ってんだよアスカ!
―――ふふっ……碇君、あっちのってどういう意味?
―――あ、綾波も分かってるよね、その顔!
意地っ張りなお日様と寂しがり屋のお月様は、優しく輝くお星様に恋をした。何故なら彼は、それぞれの光でそれぞれに合わせた輝きを返してくれるから。だけど、気付けばそのお星様はお日様とお月様に恋をして、一緒に並んで輝く事を選びましたとさ。めでたしめでたし。
新戦記エヴァンゲリオン 最終回「お星様とお月様とお日様のお話」完
最終回というよりアフターですかね? あるいはエピローグ? TVアニメ的に例えるなら、本放送は前回で終わり。今回のは販売用に作られた話ってとこですかね?
まだサルファ世界のシンジ君とユイさんのやり取りとか、碇家と葛城家の話とか、シンジ達三人のちょっとエロさも混じった共同生活とか、書きたい事や書いてみたい事はありますが、これはここで終わるのが綺麗かと思います。
……そちらは、気が向いたら別のタイトルで書いてみますね。
とにかく、今までご愛読ありがとうございました。拙作製造機の次回作に期待しないでください。