彼が"ヒーロー"を目指すわけ
「君はヒーローになれる」
憧れていたその人から告げられた言葉が、どれだけ嬉しかったか。
― ― ―
中学の入学式から一年、二度目の中学生生活は二年目に突入していた。はっきり言って、一年生の日常では入学式で相澤先生もとい消太くんと同級生であり、さらには家が近所だという事が発覚した以外に特筆するような事は起きちゃいない。まあ、そのせいか登下校はもちろん、同じクラスという事もあって四六時中一緒にいたんだけど。……別に、自分たち以外に友達が出来なかった訳では無い。ただ、僕たちはどちらも自分から積極的に絡んでいく方ではなかったので、必然的に一緒にいる事が多かっただけのこと。
二年生に上がってからもそれは変わらない。ちなみに、始業式のクラス張りだしを見て、再び同じクラスに振り分けられたのを確認して顔を見合わせたのは、先週の事だ。
「出麻、その本面白いか?」
「え、これ?ああ……うん、如何にもなミステリー小説だけど、解決までに多くのトリックがあってね。読んでいるだけでも結構頭を使うんだ」
今日も今日とて。登校して間もなく、窓際後ろから二番目の僕の席にやって来た消太くんが、僕の手から小説を抜き取って聞いてくる。へぇ、と返事は関心が薄いながらも、ドライアイ気味の瞳は裏面のあらすじを追っていた。気になる点があると瞬きを二回、関心が完全にそれた時は一回だけして僕に本を返す。今回は二回、どこが気になったんだろうと思いながら手持ち無沙汰に様子をうかがう。この一年で気が付いた、彼自身気づいていなさそうな癖だ。僕の観察癖は前世からの名残のようなものだけれど、そのお陰で気がつく事が出来たと言ってもいいだろう。手元に帰ってきた本のさっきまで読んでいたページを開き、栞を挟む。
「読み終わったら貸すよ」
「ああ」
消太くんは僕の前の席に腰かけ、少しだけ頬を緩めた。その表情が、記憶の中の相澤先生のものと重なると、妙に懐かしい気分になる。今の僕は「緑谷出久」ではなく、つまりそれは「緑谷出久」が生きていた世界には戻れないという事に他ならない訳で。ちょっとした寂寥感に襲われて、苦笑が浮かぶ。そして、それと同時に思い出すのは最期の瞬間。
――――――かっちゃん
僕の前世「ヒーロー"デク"」こと「緑谷出久」は、
「あ、そうだ。放課後に本屋に寄ってもいいかな?好きな作家さんの新作が今日発売なんだ」
「ああ、いいぞ。俺もちょうどほしい本があったから」
椅子をまたぐようにして座り、背もたれに頬杖をついた
「柔らかい」
「消太くんのほっぺも同じくらい柔らかいと思うよ」
「出麻のが柔らかい」
「そうかなぁ」
中身のない会話だ。頬から離れた手を掴んで手のひらを合わせる。僕の手よりも一回りほど小さく、指も細い。とはいえ、全体的に細身なのだ消太くんは。病的と言うほどではないが、健康的ともちょっと違う。プロヒーローとして活躍する未来の姿を知っているからか、肉付きの違いが気になって仕方がない。そもそも、根本的な話、今目の前にいる幼馴染は、ヒーローに憧れこそ抱いているけれど、それ以上の入れ込みはないらしい。ようは、本人にあまりヒーローになろうという意思がないのだ。逆に、どうしてか僕への評価が高く、体育の授業が終わるたびに、ヒーローを目指さないのかと聞いてくる。無個性だから、なれる訳ないだろう、と一蹴してしまえば早いのに、僕はそうできないでいる。―――消太くんには、僕が
「(臆病なんだよ、基本的に)」
そう思ったら、何も言えなくなる。本音を言えば、僕だってヒーローになりたい。でも、無個性じゃあ無理がある。前世の記憶があるから、尚更そう思う。なのに、幻滅されるのが怖くて、消太くんにその事を話せない。いずれ話す事になるか、どこからかばれるか。どちらにせよ、避けられない瞬間はやって来る。でも、その時までは、どうか。
「(どうか――――)」
― ―
それは、そろそろ衣替えの時期かという頃の事。以前からあった、中学からそう遠くない場所に
「いず、」
「下がってて!」
片手の指の数だけある触手を、手刀で叩き落とす。動体視力に自信はなかったけれど、敵の動きがたいして早くなかったのが功を奏した。ほう、と感嘆の息をついた敵が、口角をこれでもかと釣り上げて笑った。
「ガキと思って侮ったか。それじゃ、ちょいと本気出すからオジサンの遊びに付き合ってくれや」
その言葉と同時に、十本の触手が勢いよく伸びて来た。スピードもさっきとは比べ物にならないほど早いけど、まだ見切れないほどじゃない。敵との距離は数メートル、回避すれば後ろにいる消太くんが危ない。ならば―――前進あるのみ。
「――――っふ、」
この状況で披露するのもなんだけれど、僕の特技は"パルクール"だ。元々身体能力が高いらしいこの体で、どこまでやれるかと挑戦してみたら出来た、というのが去年の話。それ以来、暇を見つけてはぴょんぴょんと建物の上を走り回っている。その成果をここで生かせると、考えていた。左から迫る二本の触手を躱し、眼前に迫った一本を右手で横に払う。左右からの一本ずつは上に飛んで躱し、それを足場に真正面からの触手をさらに上に飛んで躱す。不用意に空中に逃げるのは得策ではないけれど、相手の視線を消太くんから離すのにはこれが一番いい手だと思っていた。僕の考えを読んだ消太くんが気配を殺して敵から距離を取るのを視界の端に捉えた。言葉を交わさずとも通じ合えるって、いいよね。と、気の抜けたことを考えていた僕を余所に、敵は右手の触手を引き戻し、残った左手の触手を僕へと向けていた。空中では身動きが取れまいと、さらに笑みを深めて。
「選択を誤ったな!!」
確かに、と頷く。別に策がないという訳じゃないのだけれど、と自然落下しながら触手を蹴り飛ばし、空中で後ろに一回転する。着地、そしてバク転。ズガガガッと触手にあるまじき音を立ててアスファルトに突き刺さったそれを見て、思わず顔を顰めてしまった。この個性、柔軟な触手のままで捕縛するだけじゃなくて、硬化させて攻撃にも使えるらしい。危なかったと息を吐き出して、ふと、思う。――――今、四本しか躱してない。
「ッ――――――――消太くん!!」
僕が敵の狙いに気が付いたのと、僕の横を硬化した触手が奔り抜けたのは、同時の事。それは、一直線に消太くんに――――正しくは、消太くんの傍にある電柱に向かっていく。僕が走り出した瞬間、電柱が根元から折られ倒壊した。消太くんは気づいていながらも、咄嗟の事に動けないでいる。前提を間違えていた。敵が言う"遊び"とは、僕がすべての触手を回避できるかどうかではなく、消太くんを狙う最後の一本に気づけるかどうかだった。その遊びに、僕は見事に引っかかった。バカだ、アホだと出てくるかぎりの罵倒を脳内で繰り返す。
「ヒャッハァー!!」
感極まった敵の声が背後で聞こえる。このままいけば、消太くんは電柱の下敷きになる。それをどうにかして回避する手は、無個性である僕にはない。消太くんも、ようやく体の硬直が解けたようだけど、もう遅い。今の今まで、自分が無個性である事を、仕方がないと思いこそすれ悔やんだことはなかった。でも、この瞬間、後悔すると同時に、とてつもなく自分に腹が立っている。――――どうして、
い ず ま
そこからは、全てがスローモーションのようだった。まるで、体が磁石のように
「出麻」
「――――だいじょうぶ、ぼくが、きた」
見開かれた黒々とした瞳に、青褪めた顔の僕と、その後ろから迫る電柱が映っている。左手で消太くんを抱込んで倒れこみ、右手は地面との衝突に備えた。右手が地面に触れるのと同時に、背中と後頭部に強打を食らう。ぐわん、と頭が揺れ、背中の重みに耐えきれず崩れ落ちれば、ぐっ、と腕の中からくぐもった声が。痛みに滲んだ涙でかすむ視界、片方は世界が赤く染まって見えるから、頭から出血でもしてるんだろう。右足からも鈍痛が這い上がってくる、骨が折れたかもしれない。背中は痛いけれど、動けないほどではないから背骨に問題はないと思う。見た限り消太くんは無傷、助けられてよかった。――――そうして、僕の意識はブラックアウトした。
― ―
目が覚めて一番に目に入ったのは、シミ一つない清潔感溢れる真っ白な天井。知らない天井だ、なんてふざけた事を呟いて一人笑う。そして、次に目に入ったのは、僕が横になっているベッドに突っ伏している黒髪の少年。
「……消太くん」
柔らかな髪を手櫛で梳く。もぞもぞと頭が動き、髪の隙間から瞳が見えた。
「おはよう」
「…………はよ」
少しの逡巡の後返された挨拶。のっそりと起き上がり、消太くんはじっと僕を見つめていた。
「……」
「あの、」
「…………」
「えっと……君が無事で、よか―――ッ!」
沈黙に耐え切れず、でも心からの安堵と共にそう言えば、言い切るより早く消太くんの拳が飛んでくる。何するんだ、とは言えなかった。驚きが勝ったのもあるけれど、彼が怒りも、憤りも、悲しみも、侮蔑も、思いつく限りの感情、そのどれもを浮かべているようで浮かべていなかったからだ。
「怪我してまで助けられた俺の気持ち、お前には分からんだろう」
淡々とした声、僕を殴りつけた拳は震え、瞳は真っ直ぐに僕を向いている。―――その姿を、僕は以前、どこかで見た事があるような気がする。脳裏を過ったのは、
「……ごめん」
それは、
「訳も分かってないのに謝るな、腹立つ」
消太くんにばっさりと切り捨てられて、口ごもる。ごもっとも、僕は
「ごめ――――ぁ、いや……」
謝るなと言われた傍から謝って、これをポンコツと言わず何をポンコツと言えば良いのだろう。何も言えずに黙りこくった僕に、もういい、知らんと言い置いて消太くんは踵を返す。酷く、傷ついた顔をしていた。僕のせいだと分かっているのに、どうして傷ついた顔をしたのか、その理由が判らない。
「(……あんな顔、させるつもりなかったのになぁ)」
ただ、彼に迫った危険から彼を救いたかっただけなのだ。結果、彼は無事だったけど、僕は怪我を負った。消太くんと入れ違いにやって来たドクターが言うには、怪我の内容は、背中の広範囲の打撲と、右足の骨折、両腕の骨にはヒビが入り、それから後頭部からの出血。背骨や頭蓋にヒビが入ってなかったのは、運がよかったねと言われた。良く生きていたなあと思う。生きているからこそ言える事だけど、僕が間に入っていなければ、消太くんがこうなっていたのかと思うと背筋が粟立つ。――――ああ、そうか、と。粗方の説明を終えて退室したドクターの背中を見送りながら、僕は漸く理解した。
他人を守る為に、自分が傷つくことを厭わなかった。でも、自分が傷つくことで悲しむ人がいる事を失念していた。「緑谷出久」は、まだ個性を扱いきれずにいた頃、散々怪我をして母親に泣かれていたじゃないか。個性の制御を覚えて、怪我をしない戦い方を身に着けて、治療や入院を必要とする怪我をしなくなって。それでも、気を抜かずに怪我だけはしないようにと気を付けていたのは、母親の涙を見たくなかったからだ。どうして、それを忘れてしまっていたんだろう。どうして――――傷つく人が、
「(……やっぱり、僕はヒーローに向いてないな)」
ただ、助けを求める人に救いの手を伸ばせばいい訳じゃない。傷は外傷だけじゃなくて、心にだって出来るものだ。内傷さえ作らせないようにしなければならなかったんだ。でも、それは簡単にできる事ではないし、出来る筈がないんだ。だって、それは、誰かが誰かを案じて、心配して―――他人が干渉出来る筈のない、本人さえ扱いきれるか分からない
「――――――――僕は、ヒーローにはならない」
だからこそ、僕は、僕が傷つくことで誰かが―――
ちなみに、敵はきちんと捕まり、慰謝料の請求などは任せてくれと正午過ぎにやって来た警察の方に言われた。極秘の作戦中の逃亡者だが、被害者が出たからには公に裁かれなくてはね、と笑って。それから、僕は二日間ほど寝込んでいたらしく、夕方にやってきた両親と姉が、僕の顔を見るなり号泣したのはちょっとした余談だ。
―――――――――腹が立つ。
俺を庇って怪我をした
「(くそっ……!)」
足早に病院の廊下を歩く。
あの時、
へし折られた電柱が傾いてくるのにすぐ気が付けたのは僥倖。
でも、脳が、躱せ、避けろと命令を下しているのに、足は動かない。
名前を呼ばれて、俺も、
その瞬間、
俺を抱込んで庇い、笑ったのだ。
ぞっとした。
なんで笑えるんだ、俺を庇って怪我して、明らかに顔が青褪めてるのに。
なんで、笑っていられんだよ。
フロントを抜けて、玄関口の自動ドアをもどかしい思いで潜り抜ける。
真っ青な空、照り付ける太陽は高く、どこからか蝉の声が聞こえてくる。
――――この日、俺はヒーローを目指そうと決意した。
守られるだけの自分との決別、そして。