北へ。~ひと夏の旅競馬~   作:高任斎

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まあ、いろいろ悩みましたが、こういう路線で。
前後編の2話構成で、ハッピーエンドではないです。


札幌で見る夢3
13:札幌の幻。(前編)


 夏競馬で旅打ち。

 

 頭の悪い企画なのは百も承知だが、俺だって完全に行き当たりばったりでやってきたわけじゃない。

 夏の北海道は観光シーズンということもあり、普段の値段が通用しないかもという恐れもあるが、それなりの目安ぐらいは計算することができる。

 まずは宿泊費だ。

 これは、ビジネスホテルの料金をもとに換算した。

 まあ、駅の近くにあると高くなるのはお約束だが、それを言い出すとキリがない。

 基本、泊まれるならそれでいい、という基準だ。

 1泊、4000~5000円。(平日は安くなる傾向)

 1日の食費等を、2000円と仮定。

 もっと安くできると思うかもしれないが、ある程度幅を持たせて計算したほうが余裕を持てる。

 あと、バイクのガソリン代。

 街をうろつくとして、リッター20キロ。

 100キロ走って、1500円ってとこか。

 

 つまり、競馬で負けさえしなければ、10万円で函館に2週間は滞在できる。

 

 逆を言えば、土日の競馬で4~5万円勝てば、収支はトントンになる。

 極端な話、10万円を複勝130~150円に突っ込んで当たれば、1週間分の費用が稼げる。

 競馬のない平日に、なにかの仕事にありつければ、さらに収支ラインは下がる。

 

 ……とまあ、このぐらいのふわっとした(笑)計算をした上で、俺は北海道にやってきたわけだ。

 

 競馬で10万円負けたら悔しいけど、函館を2週間旅行して10万円使ったといえば、まあ、そんなもんかって話になる。

 

 まあ、函館開催は約1ヶ月。

 目指せ札幌。

 

 ……こんなふうに説明されたら、悪くない勝負だと思うだろ?

 

 まあ、人生最後のバカをやるとか言いながら、こういう最低限の計算をしてしまうのが……俺だ。

 ノープランと言いながら、どこかで保険をかけている。

 別に破滅願望があるわけじゃないんだけどな。

 

 

 たぶん、バカに対する憧れというより、自分が馬鹿になれる『何か』への憧れなんだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして気が付けば、函館開催最終日。

 

 ……俺がやっているのは、所詮、バカの真似事なのかなあ。

 

 この旅打ちに関して、どこか気持ちが冷めつつあるのを感じていた。

 条件を気にしなければ仕事はそこそこ見つかる。

 野宿だってできる。

 

 楽しくないわけじゃない。

 開放感も覚えている。

 

 ただ、心のどこかで……救われていない自分を感じている。

 

 

 

 函館記念が終わり、残るは最終レースのみ。

 

 軍資金は残ってるが、はたしてこの旅打ちを続けることに、意味があるのかないのか。

 

 次は札幌か。

 ただ、札幌のその先はない。

 

 俺はサイコロを振るような感覚で、5番人気の馬の複勝に、全額を突っ込んだ。

 あくまでも『平均値』だが、1番人気の馬は大体3分の2程度の確率で3着以内に入る。

 5番人気なら、大体4分の1程度の確率だ。

 

 甘くはないが、無茶な勝負ってわけでもない。

 俺にはお似合いの確率だろう。

 

 外れたら帰る。

 当たったのなら……それは、ほとんど俺の意思とは無関係のところで決まったこと。

 何か、意味があるのだろうと思おう。

 

 

 まあ、それとは別にわかったこともある。

 

 ……俺は、ギャンブルには向いてない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 札幌か。

 

 生まれて初めて訪れる場所というのは、やはり、心が躍るような気持ちになれるな。

 

 宿を確保してから、札幌の街……といっても、かなり広いのだが……を、バイクで流す。

 まずは、札幌競馬場の確認。

 それから、バイクの整備をしてもらえそうな店の確認。

 

 いや、バイクがおかしいってわけじゃないんだが、旅の空だからな。

 こまめにチェックしておいたほうがいいだろ。

 

 

 それから、円山球場へ。

 一昨年(2001年)に、札幌ドームが登場したことで、2000年を最後に、プロ野球の公式戦が行われることはなくなった……が、まあ将来はどうなるかわからないよな。(05、07、09年に、1試合ずつ開催)

 

 子供の頃テレビで見た円山球場を、この目で見るのは、少し感慨深いものがある。

 まあ、中には入らなかったけどな。

 しかし、昔から不思議だったんだけど、レフトスタンドに残ってる3本の木は、一体何なんだろう?

 球場の人に聞いてみたが、苦笑しながら『なぜ残したまま球場を作ったのか、不明なんです。よく聞かれるので、反対にこっちが知りたいですね』などと返された。

 

 ついでなので、札幌ドームにも足をのばしてみた。

 

 うん、外から見るだけじゃ、なんの感想もないな。

 円山球場と違って、特に思い入れもないし。

 俺よりも下の世代が、この札幌ドームに思い入れを持って育っていくのだろう。

 

 

 早々と宿に帰った。

 函館から札幌に来るまで、結構走ったからな。

 

 

 次の日は、街を散策。

 

 コインランドリーの確認など。

 旅とはいえ、生活を支える情報は先に集める。

 仕事とか、そういうのは、生活のリズムを作ってからの話だ。

 人間の心も、身体も、切り替えや、適応までには時間がかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 週末がやってきた。

 先日場所はチェックしたが、札幌競馬場の中に入るのは、生まれて初めてだ。

 

 中央競馬の10の競馬場は、次々と改装されている。

 その流れからすると、おそらくはこの札幌競馬場も近いうちに改装されるのだろう。(2012~14年)

 俺としては、これはこれで味があると思うのだが……古臭いと感じる人はいるのだろう。

 誤解を承知で言えば、規模の大きな地方競馬場っぽい雰囲気だ。

 これが、街のど真ん中にある。

 

 ある意味、貴重な存在だと思うんだがなあ。(笑)

 

 俺が考える競馬ファンにとっては、そこに競馬があって、馬券さえ買えれば、なんの文句もないんだが。

 まあ、それだけじゃあ、人が離れていく……というのが、今の時代の考え方なんだろう。

 存続の危機にある地方競馬ほどじゃないにしても、中央競馬の売上も減少しているのが現状だ。

 たぶん、3連単馬券なんかも導入されていくんだろう……個人的には、大金を手にした人間は、その金であらためて馬券を買うのではなく、帰ってしまうと思うんだが。

 まあ、これは俺の考え方が古いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 札幌競馬場に対しては新鮮さを感じている。

 でもそれは、函館競馬場に初めて訪れた時と似た感覚だ。

 

 そう思ってしまったら、レースに集中できなくなった。

 こういう日は良くない。

 帰るべきだろう。

 

 しかし、ここで帰れば……函館と同じことになるような気がする。

 

 多少の揺れ幅はあっても、同じような行動には同じような結果が返ってくる。

 そしてきっと、俺はどこかで投げやりになるだろう。

 

 結局この日は、最後までレースを眺めて終わった。

 

 

 

 

 次の日、俺は札幌競馬場ではなく、美術館にいた。

 

 これまでの人生に全く関わってこなかった分野だから……というのは、ただの後付けの理由だと思う。

 

 単純な理由だが、美術館に入っていくひとりの女性の姿に惹かれた。

 正確に言うと、その女性が漂わせている、どこか切羽詰まった気配に惹かれた。

 

 ……まあ、女性が金髪美人だったからって部分があったのは認める。

 

 彼女は、1枚の絵を1時間ほどじっと見つめて……そして帰っていった。

 おそらくは、この絵だけがお目当てだったのだろう。

 

 そして俺も、彼女がいなくなってからずっと、その絵を見つめている。

 

 正直なところ、俺は絵とか、芸術に関してはわからない。

 わかろうとしなかったし、分かる必要もないと切り捨てていた。

 だから、俺としては写実的なものを見て『上手いな』とか『すごいな』と思うぐらいが精々だ。

 

 ぱっと見の印象で言うなら、その絵は赤かった。

 

 タイトルと、添えられている解説によると、『小樽運河の夕焼け』を描いたものらしい。

 

 俺は小樽運河を知らないから、細部に関しては何もわからない。

 その絵に込められた技術もわからない。

 

 わからないなりに、その『色』には、何か感じるものがあった。

 綺麗だなと思えば、綺麗だと思う。

 不思議な色だなと思えば、不思議な色だなと思う。

 優しい色だと思えば優しいと感じるし、悲しい色だと思えば悲しいと思える。

 

 それはつまり、俺には何も分かっていないということだろう。

 

 気が付けば、もうすぐ夕方の5時。

 閉館時間になっていた。

 昼食も取らず、6時間以上絵を眺めていたことになるのか……変な人間と思われただろうな。

 

 美術館の外に出ても、外はまだ明るい。

 俺は、バイクに乗って、小樽へと向かっていた。

 

 

 ギリギリで間に合った。

 とはいえ、夕焼けの残滓……という感じか。

 ただ、あの絵が、現実の風景をもとに描かれたのはよくわかった。

 

 時刻はともかく、やはり観光名所ということなのか、人が多い。

 商売人や写真屋、それと……あれはなんだろう、路上で演奏してたのか?

 ああ、あっちの人は絵を描いていたのだろうか。

 もしかすると、観光地でたまに見かける似顔絵描きの人とかそういうのかもしれない。

 

 観光客の話に耳を傾ければ、夜になるとライトアップされるらしい。

 夜の小樽運河も、観光名所なんだとか。

 でも、俺の興味はそこにはなかったので、そのまま札幌にとんぼ返りした。

 

 

 次の日は、朝から小樽へと向かった。

 それほど遠くはない。

 函館はもちろん、旭川よりずっと近くて……距離で言うなら40キロほど。

 

 うん、俺も大分北海道の距離感に毒されてきた気がする。

 

 小樽の街をぶらぶら歩いて回る。

 函館の街と同じで、ちょいちょい異国情緒あふれる建物が目に飛び込んでくる。

 そして、それが観光名所だったりするのだろう。

 札幌、そして石狩川に沿っての開拓拠点となったんだろうなという気がする。

 北のウォール街という異名も、開拓資金の流入があってのことだろう。

 

 そういや、ロシアのナホトカとの姉妹都市だって、駅前に書かれてたな。

 何かしらの縁があるのだろう。

 数年前に閉館してしまったらしい(1999年4月)が、日本で唯一のロシア専門の美術館があったらしい。

 ……今は、ホテルになってるそうだが。

 

 適当に昼飯を食ってから、あらためて小樽運河を見て回った。

 

 そして、あの絵の構図の場所に佇む。

 特に意識していたわけでもないが、客引きをも含めて、俺の周りに人はよってこなかった。

 そういう気配を出していたのだろうと思う。

 

 ずっと待ち続けた、夕焼けを眺めた。

 夕焼けの赤が、夕暮れの蒼に変わるまで。

 

 

 そして俺は、また札幌へと帰った。

 

 

 

 

 絵を眺める。

 今日で3日目だが、わからないものはわからないとしか言えない。

 わからないことがわかったとも言えない。

 別に、自分の手で書きたいとか、再現したいなどとは思ってはいない。

 わからないことにムキになっている。

 

 たぶん、それが一番近いのだろう。

 

 ただ、変な奴だなとは思われたんだろうな。

 美術館の人に、顔を覚えられたっぽい。

 まあ、朝から夕方まで、この絵しか見てないのだ……どう考えても変な奴だろう。

 

 そして昼過ぎに、彼女は現れた。

 

「この絵に何か、思い入れがありまして?」

 

 振り返り……見とれた。

 引き込まれた。

 

 声も出せずにいた俺の様子になにか勘違いをしたのだろう、彼女は謝罪してきた。

 

「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったのだけど」

 

 なんとなくだ。

 根拠などない。

 それでも、彼女がこの絵の作者なんだということが俺にはわかった。

 

 

 

 

 美術館に彼女の知り合いがいて、世間話のついでに『変な人』の話題が出たらしい。

 逆に興味が出て、『変な人』を眺めに来たのだとか。

 

「……無用心だと思いますよ」

「眺めるだけのつもりだったのよ」

 

 そう言って、彼女はほんの少しだけ笑みを浮かべた。

 

 俺より年上なのは間違いない。

 ぱっと見は、30代の半ばというところか。

 緩やかにウエーブのかかった髪型は、無造作に後ろで束ねられている。

 服装も、センスの良さだけは感じるが、どこか無頓着な印象を受ける。

 

 なんというか、あまり生活感がない。

 勝手な印象だが、芸術家というのはこういう感じなんだろうか。

 

「……何かを探してるような気がした」

「え?」

「どこか切羽詰まってるような気がしたの」

「……かもしれません」

 

 少し目を伏せながら、彼女はつぶやくように言った。

 

「あれは私の絵、だから。なにか助けられるかも……そう思ったら、声をかけていたわ。自分でも少し不思議な気分よ……私は、あまり人付き合いが得意ではないから」

 

 赤の他人の親切に対し、俺は覚悟を決めた。

 

 最初から話す。

 本当の、最初からだ。

 

 テレビで見たプロ野球。

 学校の子供に誘われてもほとんど断って、ろくに遊びもせずに、ボールを投げ、バットを振り、走り込んだこと。

 小学生に上がった頃から、ずっと。

 過疎の進んだ田舎だったから、少年野球チームもなかった。

 ずっと一人で、やってきた。

 

 中学校に上がっても……クラスの人間はともかく、野球部の人間とは全く合わなかった。

 そもそも、野球に対する姿勢が全く違ったから。

 俺は彼らの姿勢を受け入れたが、彼らは俺の姿勢を受け入れようとはしなかった。

 エラーをしても俺に謝罪の言葉もなかったし、ひどい時は守備放棄もされた。

 教師は、『協調性を持て』としか言ってくれなかった。

 練習方法も、運動理論も、別の教師に聞くか、自分で調べるしかなかった。

 小学校では人がいない孤独を味わったが、中学校では人がいる孤独を味わった。

 

 高校進学の際のごたごた。

 ありふれた怪我。

 ありふれた挫折。

 

 

 長い話を、彼女は黙って聞いていてくれた。

 聞き終えてから、一言。

 

「野球を、恨んでいるのかしら?」

「……恨んではいないですね、ただ」

 

 選ばれなかった悲しみ、でしょうか。

 

「抽象的な表現だけど、分かる気がするわ」

 

 彼女のそれが、同意なのか、それも同情なのかはわからなかった。

 

 

 

 

「いくらなんでも、無用心じゃないですか?」

「そうでしょうね」

 

 そう言って、彼女は……夏花さんは笑った。

 彼女はこの札幌に、息子さんと2人で暮らしているらしい。

 夏花さんは、いわゆるバツイチというやつだった。

 以前は東京に居たのだが、息子さんが札幌の大学に進学するのに合わせて越してきたらしい。

 意外と言えば意外だったが、そうかと思えば特に不思議とも思えない。

 

「学生結婚をしてね、花火のようなものだったわ……親の助けがなければろくに子育てもできなかった」

 

 どこか突き放す様に、夏花さんが言う。

 

「ろくに家事もできないし、浮世離れしてる。家庭をもつのに、これほど不適当な存在もいないわね……社会的存在としての、欠陥人間なのよ、私は」

 

 それもわかる気がしたが、肯定の言葉も、頷くこともできなかった。

 彼女には、どこか拭いがたい陰がある。

 

「皮肉なことに、離婚してから絵が評価され始めたわ……もしかすると、『それ』が私の絵に何かを足したのかもしれない」

 

 彼女の家兼アトリエ。

 彼女に言わせると、『アトリエ兼家』らしいが。

 

 表札に『森永』とあって、ようやく彼女の名前が、森永夏花であることを知った。

 

 

 

 彼女の息子、冬真(とうま)とは、同い年だった。

 まあ、彼女の息子だからというか、優男風のイケメンだ。

 うん、まあ、気まずいよな、そりゃ。

 

「あー、その、なんだ。つまり、おふくろが拾ってきた、観光客ってことでいいのか?」

「俺が言うのもなんだが、冷静だな、おい」

 

 冬真が、皮肉っぽい笑みを浮かべた。

 

「あのおふくろだぜ?」

「ああ、うん……なんとなく理解した」

 

 俺と冬真は、どこか乾いた笑いをこぼしあった。

 

「まあ、無駄に部屋は余ってるからな。好きにしろよ」

「それも無防備な話じゃないか、おい?」

「……あれで、人を見る目はあるんだよ、おふくろは」

 

 なら、なぜ離婚したし。

 とは、さすがに言えん。

 

「まさかとは思うが、おふくろに惚れた、とか言うなよ?」

「美人だとは思う」

「まあ、それは……」

「正直タイプだ」

「おい」

「とはいえ、自分と同い年の義理の息子ができると聞けば、多少ハードルが上がる」

「おい、それで『多少』なのか?大丈夫か、おい。息子だから言うが、ろくな母親じゃないし、ろくな女じゃねえぞ、あれは」

 

「冬真」

 

 ぴきり、と空気が凍る。

 

「何か言ったかしら?」

「何か聞こえたのか?」

 

 うん、う……ん?

 夏花さんと冬真のやりとりに、なんとなく違和感を覚えた。

 

 ギスギスしてるわけじゃない。

 仲が悪いってわけでもない。

 なのに、どこかよそよそしい。

 

 

 

 

 余談だが、2人とも料理はからっきしだった。

  

「……冬真とは違うわね」

「おふくろがそれを言うのかよ」

 

 まあ、ただの居候というのもあれなので、少しだけホッとしている。

 

 

「じゃあ、私はアトリエにこもるから」

「あ、もうバイトの時間だ」

 

 食器を流しに持っていくこともせず、2人がそれぞれ動き出す。

 

 うん、なんというか。

 

 親子って感じだわ。

 なんとなくだけどな。

 

 

 冬真が家に帰ってきたのは夜遅くだった。

 アルコールの匂い。

 まあ、赤の他人が踏み込んでいい場所じゃない。

 とりあえず、水を飲ませて……部屋まで運んでやる。

 

 

 次の日、冬真が昼前に部屋から出てきた。

 

 顔を洗わせてから、まずは胃に優しいスープを飲ませる。

 

「やべ、なんか泣けてきた……」

「なんでだよ?」

「いや、起きてきたら料理が用意されてるって……」

「うん、それ以上は言うな」

 

 夏花さんは、アトリエにこもるとそのまま明け方まで絵を描いて……昼を過ぎないと起きてこないらしい。

 

 なるほど。

 家の中がわりと綺麗なのは、単純に生活感に乏しいからか、これ。

 一応、ゴミ出しとかは冬真が担当しているらしい。

 

「……じゃあ、夏花さんが起きてきたら、家の掃除でもするか」

「おい、それでいいのか観光客」

「居候の、仁義みたいなものはあるだろ」

「……俺の部屋は放っておいてくれ」

 

 ははは、年頃の男の部屋を探るほど、無慈悲なことはしないよ。

 

 俺がそう言うと、冬真は微妙な表情を浮かべていた。

 なにかしら、思い当たるところがあるのか。

 

 

 夏花さんのアトリエは、家の離れのようなものと聞いたので、容赦なく家の掃除を始めた。

 始めたのだけど。

 うん、やっぱり家の中が妙に綺麗な気がする。

 

「定期的に、業者に頼んでるんだよ」

「やべえ、リッチだ」

「……色々と割り切ってしまえば、便利だぜ?下手くそが手を出しても、時間の無駄とも言えるし」

「まあ、そういうもんか……」

 

 そんなことをしてたら、夏花さんが起きてきた。

 

 ……え?

 この人、すっぴんでこれなの?

 すごくね?

 

 まあ、冬真と同じく、まずは温めたスープを……。

 

「ううう、起きてきたら温かいご飯がある生活……」

 

 夏花さんの呟きに、冬真がそっぽを向いていた。

 

「冬真、いつもはどうしてるんだ?」

「パン、とか?」

「……」

「出かけたついでに、コンビニでおにぎり、とか?」

 

 まあ、今時の生活スタイルかもしれんが。

 

「むしろ、お前のほうが不思議だよ。一人暮らしを始めたのは、大学に進学してからだろ?」

「いやあ、スポーツやってたから……栄養学とか、な。こういう料理が食べたいって言ったら『文句あるんだったら自分で作りな!』って母親がキレたんだよ」

「……ああ、そうなのか」

 

 まあ、言葉にするとあれだが。

 家族とは別に、自分のご飯を自分で作ってると、結構精神に来る。

 さすがに、高校に上がるとそんな時間の余裕もなくなったが。

 

「……アトリエの掃除はしなくていいわ」

「了解です。仕事場というか、聖地に土足で入るような真似はしません」

 

 俺がそう言うと、夏花さんは、冬真のそれと同じような表情を浮かべた。

 それがちょっと面白い。

 

 

 食事を終え、夏花さんは風呂へ。

 

 そして、ちょっとしたハプニングが。

 

「お、おい!おふくろ!」

「え?」

 

 

 ……いいもん見た。

 やっぱ綺麗だよな、夏花さん。

 

「ったく、女としてズボラっていうか、ああなったらおしまいだって思わないか、なあ?」

 

 そして冬真が、ぶつぶつと愚痴る。

 もしかすると、素直になれないマザコンかも知れない。

 

 さて、夕飯の買い物に行きますか。

 

 

 

 

 

 奇妙な生活が続いた。

 

 夏花さんはアトリエにこもりがち。

 冬真は、バイトも含めて外出が多い。

 なので、俺は合鍵を渡された。

 

 うん、浮世離れという点で、冬真は、夏花さんのことは言えないと思う。

 

 まあ、それは俺もか。

 

 簡単な掃除と、簡単な食事の用意。

 洗濯に関しては、俺が洗ってもいいものを出してもらってる。

 夏花さんのために言ったのだが、平然と全部頼まれた。

 むしろ冬真の方が、遠慮してる。

 

 俺がやるのはそれだけで、あとは気楽な毎日だ。

 

 

 

 

 さて、そんなある日のこと。

 

 大通り公園をぶらついていた俺は、誰かとぶつかった。

 

「いったーい。もう、どこ見て……あっ……」 

 

 誰か……と?

 

「……っと、大丈夫か?」

 

 とりあえず、彼女を引き起こす。

 引き起こしたのだが、彼女がバランスを崩した。

 

「もう……折れちゃってる」

 

 見れば、彼女の履いている靴のヒールが折れてしまっていた。

 いわゆるハイヒールの靴なので、片方だけ折れると、それはバランスが取れないだろう。

 

「えっと、どうすりゃいいんだ……とりあえず、そこらでサンダルでも買ってこようか?」

 

 彼女は俺を見て、笑った。

 

「いいわ、こうしましょ」

 

 そう言って、彼女は折れてない靴のヒールを叩きつけた。

 そりゃ、バランスは取れるかもしれないが。

 

「じゃあね」

 

 手を振って、彼女が去っていく。

 その後ろ姿を、俺は見つめていた。

 特に、脚の動き方を。

 

 うん、やっぱり……男だよな、あれ。

 というか、美人だねえ……『冬真』は。

 

 

 大通り公園を抜けて、札幌駅に。

 おや、夏花さんだ。

 

「夏花さん」

「え、あ、あぁ……あなただったの」

「あ、急に声かけてすみません」

「いいのよ……ほら、ずっとアトリエにこもりっぱなしだと気が滅入るから、ちょっと外出をね」

 

 ……。

 

「ははは、夏花さん、日に焼けてないから肌とか白いですもんね」

「もう、からかわないで。もう、おばさんよ」

 

 夏花さんとは、それで別れた。

 外出の言い訳の不自然さとかは、まあ、気にしないことにしておこう。

 

 

 

 

 その夜、冬真がひどく酔っ払って帰ってきた。

 水を飲ませ、部屋まで連れて行く。

 アルコールでは隠しきれない、香水の匂い。

 冬真が話すまで踏み込むつもりはないけど、大丈夫なのか、そのバイト。

 ちょいと心配になる。

 

 戻ってくると、夏花さんがいた。

 

「冬真、帰ってきたの?」

「ええ」

 

 微妙な沈黙。

 

「今日は、アトリエにこもらないんですか?」

「そういう気分じゃないわね……いいえ、絵に逃げたくない気分なの」

「逃げる、ですか?」

 

 夏花さんは、ほんの少し目を細めた。

 

「絵を描いてると、嫌なこととかすぐに忘れてしまえるから」

「……悪いことじゃないと思います」

「そう?夫のことも、冬真のことも、全部忘れて絵に打ち込んでしまう。絵を描いてれば、冬真が泣いていても気にならない。絵があれば、それだけでいい……」

 

 くすくすと、彼女が笑う。

 良くない笑いだと思えた。

 だから、少し踏み込む。

 

「この前言ってた、欠陥人間ですか?」

「ええ、別れた夫にも、両親にもそう言われたわ。私自身もそう思う」

「……冬真だけ、ですか?」

「ええ、冬真だけ……良くも悪くも、母親としての、人としての私を受け入れてくれた」

 

 立ち上がり、グラスを二つ持ってきた。

 一つを、俺に渡す。

 

「飲めるわよね?」

「多少は」

 

 あらためて、夏花さんが酒を持ってくる。

 ウイスキー?

 いや、氷もなしでストレートなの?

 まともに飲んだことないんだけど。

 

「あ、美味い」

「ふふ、良かったわ」

 

 いい酒、なのかな。

 高けりゃ美味いのかどうかはわからないけど。

 

 特に会話を続けることもなく、静かに、グラスを傾ける。

 よく、間が持たないなどというが、静かな時間が気にならなかった。

 

 ペースがわからないので、夏花さんと同じぐらいのペースで飲んでいたのだが。

 はて、夏花さんが弱いのか、俺が強いのか。

 ボトルの4分の3ほどを空けた頃、夏花さんが寝てしまった。

 

 冬真と違って、夏花さんは大人の女性。

 少し迷ったが、彼女の身体を抱き上げ……その柔らかさにドキドキした。

 だからどうしたというわけでもないが、そのまま部屋まで運ぶ。

 そしてベッドに寝かせ……首に回された腕を、さりげなく外す。

 

 ただ、その手を優しく握った。

 

 目は閉じられていたが、夏花さんの視線を感じる。

 その気はないが、そばにいてあげると示すように、彼女の手を両手で包むように握る。

 

『絵に逃げたくない気持ち』

 

 彼女はそう言った。

 何かあったのだろう。

『逃げたくない』という彼女の気持ちを優先したかった。

 

 やせ我慢と、格好つけと、ヘタレと……彼女に対する優しさのようなものがあったはずだ。

 たぶん、な。

 

 

 窓の外が白み始める頃、ようやく夏花さんが『本当に』眠った。

 

 

 

 

 まあ、それに関してはいい。

 問題は……。

 

 夏花さんの部屋を出るところを、冬真に見られたことか。

 

 俺にやましいところはない。

 言い訳臭いなと思いつつ、説明もした。

 

 納得してはいないな。

 冬真の、俺を見る視線が……少し痛かった。

 出会ってから1週間ほどだが、友情らしきものを感じている俺にとって……『それ』はなかなか堪える。

 

 

 まあ、人間が生きていればこういうことは頻繁に起こる。

 誤解にすれ違い。

 俺の怪我や挫折と同じで、ありふれたことだ。

 

 

 

 

 

 

 4時間ほど眠り、食事の用意をする。

 少し頭が重いのは、酒のせいか、寝不足のせいか、それとも……。

 人によるだろうが、俺の場合、それを簡単に見分けることができる。

 

 作ったばかりのコーンスープと、サンドイッチをつまんだ。

 

 うん、やっぱり風邪だ、これ。

 食欲はあるのに、飯がまずい。

 

 うん、熱いお茶を2杯ほど飲んで、暖かくして寝よう。

 この程度なら汗かけば治る。

 

 

 

 

 

 

「……よし、治った」

 

 我ながら、単純な身体だ。

 汗がひどいので体を拭いて、着替える。

 時間は昼の3時というところ。

 半端な時間だ。

 

 部屋を出ると、家には人の気配が感じられなかった。

 用意した食事は食べられている。

 食べたあと、そのままなのが、面白い。

 聞けば、洗い物がたまったら洗う、という感覚らしい。

 

 後片付けと、風呂に入って汗を流す。

 まあ、風邪は治り掛けが肝心とは言うが、大丈夫だろ。

 俺の身体だ、なんとなくわかる。

 

 洗濯機を回してから、夕飯の買い物へ。

 近辺のスーパーの傾向が分かってきて、結構楽しい。

 野菜の安い店、魚の安い店……年間を通じての底値がわからないから、特売品が本当に特売品なのかわからないのが少し悔しい。

 ちなみに、食事のための買い物は全部俺が出している。

 

 たぶん、あのふたりは、その辺に気がついていない。

 浮世離れしているというのは、そういうことだ。

 まあ、宿泊費に比べたら全然安いから、俺としてもなんの文句もない。

 

「あら、また会ったわね」

「おや、ヒールの人」

「ちょっ……その呼び方、悪役みたいじゃないのよ」

 

 軽いウエーブのかかったセミロングの髪を揺らして、彼女が抗議の声を上げた。

 うん、冬真だ。

 化粧していてるんだろうけど、目元が夏花さんそっくりなのは隠せない。

 首筋のショール。

 腰周りの……なんだろう、パレオっていうのか?

 男という前提で見れば、なるほどなと思える部分はある。

 喉と骨盤の違いは、男女の固有差と言ってもいい。

 

 特に、違和感も、嫌悪感も覚えなかった。

 陳腐な表現だが、美人だな、としか。

 

「それで、何してるの?」

「ん、夕飯の買い物」

「……あなた、観光客に見えるのだけれど?」

 

 俺は、両手にぶら下げた買い物袋を持ち上げた。

 

「どっから見ても、観光客だろう?」

「……なっによ、それ」

 

 彼女が吹き出す。

 

 ふむ、冬真が、正体を明かさない……少なくとも今はそうしないのはわかった。

 俺としては、どう対応するのが正解なのだろう?

 

「ねえ、少し時間ある?」

「いや、残念だが、家にはお腹を空かせた子供が2人、俺の食事を待っている」

「……そう」

「すまないな、食事(これ)の用意は、居候先の宿泊費みたいなものでおろそかにはできないし……2人が食べてるのを見るのもちょっと楽しくてな」

 

 軽い牽制。

 ほぼ初対面の人間に対して不自然といえば不自然だが、彼女の反応が見たかった。

 昨夜というか、今朝のこともあるしな。

 

「……引き止めて悪かったわね」

「いや、お誘いそのものは嫌ってわけじゃなかったよ。ただちょっとめぐり合わせが悪かったかな」

「……へえ」

 

 視線が、変わった。

 それは、今朝の冬真の視線。

 

 ああ、冬真にしてみれば『夏花さん(ははおや)とそういうことしておいて』ってことになるのか。

 そりゃあ、自分の母親が遊ばれてると思えば、面白くもないか。

 

 はは、このマザコンさんめ。

 

 

 

 天気を確かめてから洗濯物を干し、夕飯の準備に取り掛かった。

 今日はちょっと豪華だ……予定だけどな。

 スズキを見つけたので、つい買ってしまった。

 大学に入るまで知らなかったが、関東よりも関西で人気のある魚らしく、あまり関東の市場には入ってこないのだとか。

 

 さて、スズキは骨が硬い。

 さばく時に気を付けないと、包丁が欠けてしまうこともある。

 自分の包丁ならともかく、人様の包丁でそれは避けたい。

 料理人じゃないので、手を氷水に浸しながら、慎重に……。

 

 

 半身の背の部分は、カルパッチョにしてみた。

 まあ、ぶっちゃけると野菜サラダにそぎ切りにしたスズキの身が入ってるだけだ。

 ただ、スズキの身を軽く炙ってある。

 そこに、レモンとオリーブオイル、胡椒に、塩少々。

 ……まあ、悪くない、はずだ。

 なんとなくだが、冬真の好みだと思う。

 

 残した身は、昆布締めにしよう。

 明日のお楽しみだ。

 もちろん、アラは煮物にする。

 

 さて、もう一方の腹身を含めた半身は、骨を抜いてから……ムニエルに。

 カルパッチョに合わせてオリーブ油で……といきたいが、せっかくの北海道だ。

 北海道産のバターの破壊力を味わせてもらおう。

 半身をさらに切り分けて、塩コショウを振って、しばらく放置。

 それから小麦粉をふって、たっぷりバターのフライパンに、とりあえず1切れだけ投入。

 

 美味い……。

 

 いや、これ味見だから。

 そう、味見。

 

 うん、やっぱりバターを熱した香りって、暴力的だよね。

 気が付けば、夏花さんと、冬真が、こっちをちらちら見てるし。

 

 

 

 

 さて、3人揃っての夕食。

 最初は美味しそうに食べていたのだが、一息ついたところで冬真がぶっ込んだ。

 

「そういえばお前、街で美人の女と話してたじゃないか。隅に置けないな」

 

 ……ちょっとイラっとした。

 マザコンさんの気持ちは理解できなくもないが、食事時に話すことか?

 さて、どう返そうか。

 

「ああ、見てたのか」

 

 まずは肯定。

 まあ、そっちがその気なら、こっちも知らないふりを通してやろう。

 

 大通公園でぶつかった時の事を話す。

 ありのままを。

 そして一言。

 

「でも、夏花さんのほうが美人だよ」

「……へえ」

 

 ははは。

 冬真くんよ、色々と隠せてないぞ。

 これで読めた。

 俺を騙して、夏花さんを諦めさせるとか、そういう狙いだろ、これ。

 

 うん……?

 そういう狙いなのはともかく、随分と手馴れた感じなのは……以前からそういうことをしていたってことか?

 それとも、バイトが先?

 はて?

 

「冬真」

 

 夏花さんが、短く声を上げた。

 

「からかうのは、よしなさい」

「……」

 

 これって……。

 夏花さんも、冬真のやってることを、知ってるってことか?

 

 なんだろ。

 俺が思っているよりも、少し根が深いのかもしれないな。

 

 




ちなみに、夏花さんは美人でかわいい。(笑)
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