おかしい。
スズキの昆布締めがなくなっている。
テーブルの上に残されたグラスは2つ。
ああ、2人の酒の肴にされたのかね?
それならそれで良し。
親子で酒を飲むとか、俺の実家じゃ考えられないなあ……ちょっと羨ましいかも知れん。
というか、魚料理に対して食い付きがいいのなら、しばらくその路線でいってみるか。
見慣れない魚とか売ってるから、俺としても新鮮だしな。
とりあえず、昨夜のうちに下処理したスズキのあらを使って、スープを作ろう。
ちょうどバターもあるしね。
さて、鍋にオリーブオイルをひいて、軽く焼き色がつくまでアラを焼く。
水を入れて煮る。
アクを取りつつ、加熱時間は個人の好みだが……冬真はあっさり、夏花さんはしっかりって感じなんだよなあ。
まあ、煮過ぎると臭みが出るからてきとーに。
スープを調理布でこして、塩で味を整えてから、バターを投入。
クルトンとパセリを散らして、と。
うん、まあまあの出来。
それにしても、料理をしないのに、調理道具が豊富だねえ、この家は。(笑)
朝の9時頃、冬真が起きてきた。
早いといえば早い。
冬真が、スープを一口飲んで顔を上げた。
「……美味いな、これ」
「それは良かった」
「え、魚だよな、これ?」
「昨日のスズキだよ。それのアラでダシをとった」
「あ、すまん……冷蔵庫の刺身っぽいの、昨夜、おふくろと一緒に食っちまった」
まあ、個人的には半日ぐらい寝かしたほうが美味いんだけどな。
「……やっぱ、料理ぐらいはできないとダメか」
「その気があるなら教えるぞ……基本ぐらいは」
「まあ……考えておく」
食べ終わると、冬真は『今日はちょっと出かける。バイトもあるから、夕飯はちょっとわからない』と言い残して外出。
とすると、人数分を用意する一品ものみたいな料理はダメか。
いざという時に、対応しにくいし。
そして、夏花さんは昼前に起きてきた。
「……どうしました?」
「美味しいんだけど……美味しいからこそ、心に傷を負う感じ」
そう言って、彼女が苦笑する。
そこまで知りません。
「あ、そういえばごめんなさい。冷蔵庫の中の昆布締め、冬真と一緒に食べちゃったわ」
苦笑した。
冬真と一緒のことを言ってるから。
「なに?」
「いえ、冬真と同じ事を言うので」
「そうなの……」
「魚が好きなら、今日もなんかやりますけど?」
少し恥ずかしそうに、夏花さんにリクエストされた。
効果は抜群だってやつだな。
夏花さんが起きてくるのが早かったから、今日は早めのお買い物。
その帰り道。
「おっと……」
「な、なによ……今日は偶然なんだからね」
うん、語るに落ちるって……指摘はしないけど。
後で自分で気が付いて悶えるがいい、冬真よ。
「また、買い物?」
ちらりと、買い物袋を見て。
「店を把握するまでは、毎日通うのがセオリーだ」
「……ふーん、『お腹を空かせた2人の子供』は、そんなにかわいいんだ?」
「かわいいな。わりと普段はクールっぽいのに、美味しそうに食べる様子が、いいんだよ」
これは本音。
まあ、最初のうちだけかもな。
何を作っても無反応になって、『どう?』とか聞いても『あぁ』とか『うん』とかしか返さなくなるのが普通らしいし。
慣れというのは恐ろしい。
「今日も……時間はないの?」
「……んー、散歩程度なら」
「……へえ」
「自分で誘っておいて、なぜ怒る?」
「別に……『お腹を空かせた2人の子供』の扱いが、軽いのねって思っただけ」
「だからこそ、夕飯の準備に間に合う時間まで、なんだけどな」
何も言わず、歩き出す。
ついてこいってことか。
……なるほどな。
ヒールの高い靴を履くと、歩き方が否応なしに変わってしまうのか。
腰で歩くと、ヒールが引っかかりやすくなるんだ。
つまり、スポーツやってる人間は、ヒールの靴を履いた時は、歩き方を変えなきゃいけないと。
地面を強く蹴れないし、足首を大きく動かすのも危ない。
服装もそうだけど、色々と計算されてるんだなあ。
勉強になるわ。
「ちょっと。さっきからどこ見てるのよ」
「ん、脚」
「……いや、少しは取り繕いなさいよ」
「ヒールの高い靴って、なんか見てると不安にならないか?」
呆れたような表情を浮かべられた。
「ホント……どこを見てるのよ」
「言いたかないが、顔とか、胸とか、お尻ばっかり見られても嫌だろう?」
「……最低」
「そう思うなら、誘うなよ」
「嫌なら嫌って、ちゃんと断りなさいよ」
少し考える。
フリではなく、本気で考えた。
「嫌ではなかったな。ただ、誘われた理由がわからん」
すると、今度は向こうが考え出す。
そして。
「……なんとなく?」
すごい説得力だ。(笑)
もう少し、マシな理由を考えろよ。
「高校を卒業したら、自分が美人さんというか、女性に声を掛けられる存在かどうかぐらいは、わかるんだよ」
「……」
「ついでに言えば、相手が自分に興味を持ってるかどうかぐらいはわかる」
「じゃ、じゃあ……あなたから見て、私はどう見えてるのよ」
「美人局……百歩譲って、暇つぶしのからかい目的」
睨まれる……が、それだけだ。
というか、本気で何がしたいのやら。
俺が鼻の下を伸ばせば、気がすむのかね。
もしくは、夏花さんに目撃させる。
あ、誰かに写真に撮ってもらうってのもありか。
いや、でもなあ……。
『そういう狙い』なら、もうちょっと距離感というか、肉体的な接触を試みると思うのよ。
手を握るとか、腕を組むとか。
なんか、やってることがちぐはぐというか、中途半端というか。
ついでに言うと、女装云々については、付け焼刃じゃないことぐらいはわかる。
化粧はもちろん、服装やら、身体の動き、仕草、そして声。
一朝一夕で身につくものでもないだろう。
結局、しばらくブラブラと散歩して『じゃあね』で、去っていく。
うん、わからん。
夕飯の時間に冬真は現れず、夏花さんと2人。
「……魚をさばくのって難しいんでしょう?」
「そうですね……と、どうしました?」
夏花さんが、少し意外そうな表情を浮かべて口を開いた。
「いえ、てっきり『簡単ですよ』って言われるかと思ったから」
「じゃあ、夏花さん。俺が『絵を描くのって難しいですよね?』って聞いたら、どう答えます?」
俺の切り返しに、彼女はクスリ、と笑みをこぼした。
「そうね、『奥が深い』とでも答えるわ」
「俺のは所詮、料理の真似事ですよ……そういうレベルです。料理に限らず、本当に簡単なことなんて世の中にはないと思います」
優しい……いや、どこか哀れむような視線で、夏花さんが俺を見た。
「あなた……真面目すぎるのね、きっと」
「いや、俺が北海道に来た理由、説明しましたよね?」
「ええ、『真面目に』バカをやろうとしてる」
「……」
「『真面目に』ハメを外そうとする」
少し目を伏せ、彼女は言葉を続けた。
「たぶん、次は『真面目に』、バカのやり方、ハメの外し方を考え始めるわ、きっと」
「……バカにはなれませんか、俺は」
「バカをやれば『何か』が見つかるんじゃなくて、『何か』を見つけたから、バカになれるのよ」
言いにくい事をわざわざ言葉にして言ってくれた。
それは、彼女の好意で、親切だ。
「ありがとうございます」
「……あの夜、ずっとそばにいてくれたものね。そのお礼」
「……」
「でも、目が覚めた時にそばにいなかったのはダメね」
そう言って笑った彼女は……俺にはひどく魅力的に思えた。
そして、気づいた。
彼女の悩みが、おそらくは冬真であることに。
あれだけ会話をして、冬真のことが話題にならないのはさすがに不自然すぎる。
明らかにその話題を避けていると言えるだろう。
冬真ね。
女装そのものについては、俺もそうだが、夏花さんも、『だからどうした』ってなりそうなんだけど。
極端な話、他人に迷惑をかけないというか、法律的に問題ないならどうでもいいことだろう。
まあ、そう思うのが少数派なのは自覚してるが。
そして冬真は、夜遅くに帰ってきた。
アルコールの匂い。
香水の匂い。
水を飲ませると、自分の足で部屋へ戻った。
買い物に出かける。
声をかけられる。
散歩に付き合う。
さすがに、毎日繰り返されるとうんざりした。
はぁ……もういいや。
何がしたいのか。
何を求めてるのか。
さっぱりわからん。
乱暴な意見だが、壊れそうなものは、壊さないと新しい景色が見えない。
俺は、ラインを踏み越える行動に出た。
「なあ、冬真」
「……っ!?」
バレてるということは考えてなかったって感じだな。
とりあえず、夏花さんから手を引くように……というラインで、話を進めてみよう。
「俺は一応、居候の仁義っていうか、分をわきまえているつもりだぞ?」
「な……な、なんで?」
……そっちの疑問が先か。
「一言で言うと、夏花さんと親子だから、かな」
「……」
「目元のあたりとかそっくりだしな……まあ、夏花さんを知らなきゃしばらくわからなかったかもしれないが、最初にヒールを折っただろ?あの靴で歩く姿で、なんとなくわかった」
「……一番最初で、なの?」
冬真ではない声で、喋る。
「私、『男』に見えたんだ……男なんだ……」
うん?
ちょっと予想外の反応というか……。
いわゆる、トランスヴェスタイトかと思ってたんだけど……。
トランスジェンダーとか、トランスセクシャルの方か?
TSなどと一括りにされた言葉を用いることも多いが、あれはトランスセクシャル、トランスジェンダー、トランスヴェスタイトの総称を示し、それぞれ別ものだと思う。(2003年当時、この言葉の定義は極めて曖昧でした)
海外ではわりとポピュラーな概念だが、日本では最近になってようやく認知され始めてきたってレベルでしかない。
例のドラマ(2001年)で初めてその存在を知った人間も少なくないだろう。
まあ俺も、表面をなぞる程度の知識しかないけどな。
ちなみに、こんな感じか。
トランスヴェスタイト:異性装愛好者。(趣味、性向の問題)
トランスジェンダー :女装、もしくは男装で性の不一致を満足できるレベル。(未だ定義は変化を続けていて、最も分類が複雑な分野)
トランスセクシャル :医学的に言うところの『GID(性同一性障害)』。ただし、この人たちは外見ではないアイデンティティの部分の問題として、女装もしくは男装をしない人も多いと言われてます。
とりあえず、冬真は家に連れて帰った。
そして夏花さんは……冬真を連れて帰った俺を見て、複雑な、それでいてどこか安堵したような表情を浮かべていたな。
「つい先日、性同一性障害の特例法が成立した(2003年7月)でしょ……それからね」
「……医者の診断済みってことですか」
「バイトも、手術のためよ」
空になったグラスに、少しだけ酒を注いであげた。
それを、夏花さんは飲んでしまう。
注がれた分だけ。
だから、俺がボトルを抱えるしかない。
「ダメな母親よね……あの子のことを、何も分かってあげられない……何もしてあげられない……ふふ、私がしたのって、ただの放置よ、放置……」
「夏花さんも、俺のことは言えませんよ。真面目すぎますね」
「……何が?」
「親だから子供を理解できるなんて幻想です。子供だから親を理解できるなんてのも嘘っぱちですね」
「……」
「努力が足りないなんてのも、おかしいです。俺に言わせれば、『理解できない』のが正しいんですよ」
ほんの少しだけ、夏花さんが笑った。
「実感、こもってるわね」
「変な例えですけど、この家の荷物を全部、6畳のアパートに詰め込めると思います?」
「それは……無理でしょ」
「それと同じですよ。人間って器に詰め込めるのは、1人分の人間です。俺が好きな言葉なんですが、自分の器の中に、自分を半分、大切な人を3分の1、残りの6分の1を、友人知人、仕事関係の人で埋めるぐらいがちょうどいいそうです」
やや詭弁のきらいはあるなと思いつつも、とりあえずは夏花さんの心を浮上させるしかない。
冷たい言い草だが、余力のない人間が、誰かを助けるなんて夢物語にすぎない。
また、夏花さんが笑った。
「私、10分の9ぐらいは、自分で埋まってるわね、きっと」
「上等じゃないですか。野球やってた頃の俺は、100分の99は、自分で埋まってましたよ」
2人で、笑った。
健康的な笑いとは言えなかったが、悪い笑いでもなかったと思う。
「お酒はもういいわ……それより、何か食べたいかな」
「では、腕をふるいましょう」
3人分の食事の準備を終えた頃、冬真が現れた。
「おう冬真、いいタイミングで来たな」
「……」
「……」
「冬真、バイト先に連絡入れたか?」
「……向こうからかかってきた」
「そうか。次のバイトの日に、ちゃんと説明しておけよ」
「……わかってる」
いきなり、夏花さんが笑い始めた。
「な、なんだよ?」
「いえ、あなたたちのやりとり……親子みたい」
「はぁ?」
冬真が、夏花さんを見て、俺を見て……そしてもう一度、笑い続ける夏花さんを見た。
「おふくろ、まさかこいつと……」
「そうね、悪くないかもね」
「俺がちゃんと就職してからの話ですね」
「あら、養ってあげるぐらいの甲斐性はあるわよ」
夏花さんが俺に微笑むのを見て、冬真が焦りだす。
「ちょっ、ちょっと待て……いつの間にそんな」
いや、気づけよ冬真。
明らかにからかってるんだよ、お前を。
まあ、飯を食って……それからか。
冬真のことを理解するなんて言えないが、話ぐらいは聞いてやれるさ。
「はい、ぶっちゃけタイム~」
「?」
「?」
きょとんとした2人を置き去りに、俺は自分の故郷がどれだけ田舎かを語りだす。
信号がない。
コンビニどころか、店がない。
商店街ってなんですか?
駅がない。
野球。
淡い初恋。
学校生活。
友人。
挫折。
恋愛のようなもの。
ひとしきり語って息を吐く。
「じゃ、次は夏花さんで」
「いや待て。これって、最後に、俺が話さなきゃいけない流れだよな?」
「じゃあ、何から語ろうかしら」
「おふくろっ!?」
ははは、勢いと多数決は、恐ろしいのだよ、冬真。
最後は、酒の力も借りた。
歌舞伎の女形は、女以上に女らしいと評されることがあるが……それは、歴史の重みとは別に『男性から見た理想の女性』を演じることもあると思う。
しかし、冬真には、男性目線がない。
これは、俺も言われるまでわからなかった。
そして、交友関係が、価値観の広がりや思考に制限をかけてしまうことも。
男性が、男性同士の友人で共有しあう知識や価値観があるように、女性には女性のそういうものがある。
しかし、冬真の交友関係は、極少数の男友達だけだったらしい。
つまり、雑誌などの情報はともかく……女性同士の生の情報を共有することがなく、本質的に理解できなかった男友達の会話で得られる知識も乏しい。
そして、家族は……早くに離婚した父の影響はほぼなくて、どこか浮世離れした、夏花さんだけということになる。
こうして考えると、冬真の世界は、恐ろしく狭い。
あれで、俺に対して色仕掛けしてるつもりだったそうです。
しかも、『好きな人がいるからほかの男とベタベタしたくない』と。
「ほっといてよ!わからないのよ、男の気持ちなんて!」
ああ、うん。
乙女で、初でしたよ、この娘。
手も握らずに、色仕掛けですよ。
夏花さんも、これには苦笑い。
というか……真面目な話なんだから、真面目に話せって意見もあるだろうけど……どういう形であれ、『話せる相手がいるかどうか』ってのが一番重要だと思う。
聞けば、冬真のバイト先は……わりと、ディープな人が多いらしい。
それはそれで貴重な意見なんだろうが、別の意味で偏ってしまう。
どうあがいても、狭い社会だ。
2003年7月に成立した特例法。
戸籍の性別を変えるためには、高いハードルがいくつもあるらしい。
ハードルの一つを例に挙げると、冬真は身体は男なわけだが、性的機能を喪失……つまり、手術で金玉を取らないと、変更不可だ。(当時)
性同一性障害と診断を受けても、価値観はそれぞれだ。
極端な話、女(男)装することで日々を過ごせる人だっている。
手術を受けて、身体を改造しないと……戸籍の性別を変えられない。
重いリスクだ。
……ん?
「冬真、お前、好きな人って?」
叩かれました。
さすがに、無神経でした、はい。
あとで、夏花さんがこっそりと教えてくれた。
たぶん、高校時代の友人だろうと。
部屋に写真が隠してあるそうだ。
うん、母親って、怖い。
まあ、状況は何も変わっちゃいないけどな……母親の夏花さんと、やや斜め方向からとは言え、話し合えたことってのは、冬真にとって悪くないことだと思う。
正直、この国は法律云々じゃなく、マイノリティに厳しい社会だからな。
……などと思っていたのだが、いきなり状況が動いた。
冬真の、高校時代の友人が東京から北海道に遊びにやってくるらしい。
うん、例の彼だろう。
なんせ、冬真はそれを聞いて『じゃあ、うちに泊まれよ。観光案内もするぜ』などと、即断即決。
しかも、機嫌がいいというか……ああ、高校時代の友人なのか。
3年ぶりに会う友人で、秘めた想いを抱く存在、と。
まあ、テンション上がるよなあ。
でも、それって……。
俺は、夏花さんと顔を見合わせた。
たぶん、考えていることは同じだ。
冬真、大丈夫なのか?
ふっと、冬真が俺を見た。
「なあ、お前いつ本州に帰るの?」
「わかりやすいな、おい」
なるほど、これが『女』の友情ってやつか。
勉強になるわ。
と、夏花さんが微笑みを浮かべて、冬真の肩を掴んだ。
「冬真……あなた、代わりにご飯作れるのね?」
「……」
「朝起きてきても何もない。夕飯は自分で確保、夜遅くに帰ってきても何もない……言っておくけど、私は嫌よ」
……この親子、女子力が低すぎる。
いや、別に料理をするのに、女子も男子もないんだが。
夏花さんの友人の息子。
どうやら、それが俺の設定になった。
そして、冬真の友人は、好青年に見えた。
穏やかで、気配りのできる……そういうタイプかなと思う。
その一方で、冬真は……嬉しそうで、楽しそうで、辛そうだった。
俺も、夏花さんも、冬真のことはわかってやれない。
単純に、男女の恋というなら、思いをうちあけて、受け入れられるかどうかの話になる。
越えるべきハードルは、とりあえず1つだ。
ただ、冬真の場合……超えるべきハードルが2つ、いや、3つになるのか。
最初に、友人関係が成立しているから、余計に複雑になる。
まず、性同一性障害であることをうちあけて、『女』であることを受け入れてもらえるかどうか。
もちろん、受け入れられない可能性が高いと思っているからこそ、冬真は悩んでいるのだろう。
ただ、これは憶測だが、冬真はどうもこれを受け入れられた時点で『自分の恋も成就する』と思い込んでいるふしがある。
これは、夏花さんも同意見だった。
『女』であることを受け入れられることと、『恋愛』を受け入れられることは別だ。
極端な話、『女だから付き合って』ってのは、話が飛躍しているだろう。
女であることを受け入れてもらう。
恋愛対象であることを受け入れてもらう。
これで、2つのハードルだ。
補足するなら、1つ目のハードルを越えた時点で、それまでの人間関係はかなり不安定なものになる。
それがプラスに働くこともあるだろうが、大抵はマイナスに働くと思われる。
そして3つ目のハードル。
マイノリティに向けられる、社会的な視線に対する覚悟を決められるかどうか。
何度も言うが、これは法律云々の話じゃない。
正しいこと、法律的に問題ないことがそのまま受け入れられる社会なら、現実ってやつはもう少し、いやかなり様変わりしているだろう。
会社の不正を糾弾した人間が、それを理由に解雇されない法律的な保証があったとしても……そこで働き続けることができるかどうかは別の話だ。
クラスメイトの不正を教師に訴えた生徒が、その後正当な扱いをされるかどうか。
消極的中立、消極的否定の積み重ねは、社会的な排除を生む。
この国で生きてきた人間は、それを痛いほど理解しているはずだ。
最悪……冬真は、すべてを失う。
友人と、そして思い出を。
彼女がいないと聞き出し、話の流れで『誰か紹介してくれよ』などと言質を取る。
そこで、冬真が紹介するのが、『彼女』だ。
これをマッチポンプと言っていいのかどうか。
正直、胃に悪い日々を過ごした。
傍で見ている俺がそうだから、冬真の感じていたであろうストレスは、想像もつかない。
正直、『彼女』を気に入らせてから、正体を明かすのは悪手だと思い、忠告めいたことも口にした。
『気にいられない限り、好きだと言われない限り、正体を明かすつもりも、勇気もない』とまで言われては、夏花さん共々、見守るしかできなかった。
『彼女』でいるときは、『まふゆ』と名乗っているらしい。
はは、『冬真』の逆か。
夏の北海道に、『真冬』か。
感触としては、悪くなかったらしい。
ただ、お互いに後一歩が踏み込めなかったと。
『彼女』はそう言って、俺と夏花さんの前で泣いた。
冬真は、自らの性同一性障害を明かすことはなかった。
夏の北海道で、『真冬』は幻のように消えた。
その一方で。
「……ごめんなさい」
俺の、『真面目な』お付き合いは、夏花さんにお断りされた。
『大学を卒業して、就職してからだと?』という言葉に対しては、『あまり困らせないで』と、微笑みで返されてしまった。
「……あの夜、あれが最初で最後のチャンスだったのかもね」
ぽつりと呟かれた言葉に、なんとなくわかってしまった。
首に回された腕を、外してしまった。
あの時、何かを失った。
そういうことも、あるだろう。
そう思うしかない。
「いつでも遊びに来て、歓迎するわ」
そんな夏花さんの言葉に、素直にうなずけない俺がいる。
夏の北海道への旅打ち。
本州へと帰る俺が得たものは、夏花さんの微笑みと、1人の友人。
悪くない結果なのかもしれない……。
夏花さん……。