雪が積もると景色が一変するとは聞いていたけどなあ。
冬の函館は、思ったよりも雪が少なかった。
そして。
覚悟してたよりも寒かった。
いや、これ風のせいだよな。
つーか、寒いっていうより痛い。
でも、函館って、北海道では暖かいほうだよな、きっと。
所詮俺は、雪が10センチ積もれば、交通機関が麻痺するような地域の人間だ。
風が強くて雪が降ってたら、それはもう、吹雪としか思えない。
なのに、普通に人が歩いてる。
まずい、遭難する。
心も、身体も。
早く迎えに来てください、
というか、道わかるよ、俺。
覚えてるよ。
茜木鮮魚店まで、普通に歩いていけるよ。
でもさ。
『いいじゃない。この街に戻ってくる人間をね、出迎えたいのよ』
などと、あの声で頼まれたらね、仕方ないね。
というか、函館駅の外で待ってなきゃいけないんですか、これ?
ああああああああああ。
やっぱり、風。
これ、立待岬で待ち続けたら、氷像になるってオチじゃないの?
地形的に、風が吹き抜けやすいってのはあるんだろうけどさあ。
「だーれだ!?」
……あったけえ。
うわ、人の体温ってすっごい暖かいんだな。
マジで実感するわ、これ。
などと感動してたら蹴られました。
「あのねえ。肌の露出は最小限に。これ、基本だから」
そう言って、俺の首にマフラーを巻いてくれる温子。
……あのね、寒くてね、震えててね、声が出ないの。
お礼を言いたくてもね、言えないの。
「……だらしないわねえ。北海道の冬は、これからが本番なのよ」
どうしよう。
この天使を、シベリア送りにしてみたい俺がいる。
あれだろ?
北海道の寒さで言えば、函館は四天王最弱とか、そういうポジションだろ。
なんか、冬のポーランドを旅行した奴が言ってた。
風が吹くとコートで覆われていない足元がバットで殴られたように感じたって。
とりあえず、俺は今、そんな感じはしてない。
うん、相変わらず震えが止まらなくて、声が出ません。
なんなのこれ。
新手のダイエット器具か何かなの?
ああでも、気温が低いってことは、人間のカロリー消費が増えるってことで……。
温まりたい。
「え、ちょっ……!?」
うわあ。
うん、冬のカップルがイチャイチャする意味がわかった。
冬の朝の布団と同じぐらい、君を愛してる。
「ちょっ、見られてる。人が見てる、からっ!」
じゃあ、隠そう。
温子は小柄だ。
つまり、すっぽりと覆うように抱きしめれば。
「……あ、あぁ、やっと声が出るようになった……」
その一方で、温子の声が出なくなった。
顔が真っ赤だ。
うん、カワイイ。
はは、ちょっとした現実逃避だ。
「ありがとう。温子のおかげでようやく震えが止まったよ……」
「あ、あ、あ、あの、ねえっ!」
「ただいま、温子」
「ぁ……お、おかえりなさい」
怒ってるような、笑いをこらえるような、微妙な表情で温子が言ってくれた。
戻ってきてよかったんだよな。
そう、思える。
少しは意識してくれてるのかなあ。
いや、冷静に考えると、さっきの俺って、かなりアウトじゃね?
冷静にさせたら負けだ。
さりげなく、温子の手を握る。
「じゃあ、帰ろうか」
「え、ええ……そうね」
温子が。
天使が笑う。
その瞬間。
俺は、あの夏の日の別れの時においてきた心を取り戻すことができた。
「雪道は、あんまり歩幅を広げて歩かない」
「ああ、うん。とりあえず、頭では理解した」
摩擦係数の問題だ。
重心の移動と、地面を蹴る動き。
見た目を気にしなければ、ペンギン歩きが一番安全とか誰かが言ってたな。
でも、周囲の人間は普通に歩いてる。
「あと、汗をかかないペースで歩くこと」
「え?」
「凍傷になるから」
……冬山?
「まあ、屋外で長時間……じゃなければ大丈夫だけど。しもやけなんかも、軽度の凍傷なのよ」
「……勉強になるなあ」
歩く。
歩いていく。
温子と二人で。
見えてくる。
見える。
茜木鮮魚店が。
ああ、帰ってきた。
そう思える自分が嬉しい。
温子と二人、声を揃えて。
「「ただいま」」
そして早苗さんが。
「まっすぐ帰ってくるとか、色気のない話ね」
身も蓋もないことを言う。
お土産と、お土産話と。
ちょっとした報告と。
「じゃあ、あたしは夕飯の支度するから」
と、温子が台所に行った隙に、早苗さんに聞いてみた。
「さっき、寒さのあまりに抱きついちゃったんですが……なんか、こう、反応が……カワイイんですよ。心当たりあります?」
「ああ、アンタがいなくなってさ。ちょっと意識し始めた感じかねえ」
「それは……嬉しいなあ」
過程が大事とは言うけれど、その過程をすっとばしたい俺がいる。
とはいえ、同じぐらい大事なことがある。
「まあ、それはちょっとおいといて。この時期、函館ではスルメイカの漁はできないんですよね?どういう魚が、主に扱われるんです?」
「タコやホッケ、真ダラにドンコってとこかしら。ウニなんかも時期なんだけど、この店じゃ注文を受けない限り取り扱わないわね」
「なるほど」
早苗さんが苦笑した。
「さきに、あの娘をモノにする方が優先でしょうに」
「……こっちが覚悟を示さないとダメかなと思うんですよね」
「そういう真面目なところは評価するけど」
早苗さんは一旦言葉を切り、俺を見つめた。
「母親としてはね、あの娘にちゃんと恋愛ってのをさせてあげたいの」
「俺は、一目惚れだったんですが」
「思い出は多いほうがいい」
どこか遠い目をして。
「ひとつっきりの思い出は、輝きすぎるからね」
早苗さんが語る。
自分の中で、大事に大事にしすぎて、その思い出が綺麗になりすぎる、と。
早苗さんの語るそれは、たぶん、旦那さんのことではないのだろうと思う。
俺が、そこに立ち入るのは……やってはいけないことなのだろう。
「だからまあ、思う存分イチャイチャしてから帰りな」
屈託ない笑みを浮かべながら言う早苗さんに、強さを感じた。
いや、ちゃんと仕事は手伝いますよ。
はい。
冬の北海道の水仕事なめてました。
ははは、笑うしかねえ。
ゴム手袋をとおして、刺すような痛みが伝わって来る。
まあ、すぐに手の感覚がなくなるけど。
ついでに言うと、屋外で不用意に金属に触れるのはまずいらしい。
ほら、冷凍庫の壁に手のひらをくっつけてしまうあれだ。
まあ、函館でそこまで冷え込むことはあまりないらしいが……油断はしないほうがいいだろう。
漁師さんとも話をする機会があるけど、『冬は海が硬い』とか言われても、ピンと来ないのよ。
話を聞いて、自分でも考えて、なんとなくだけど、こういうことかなって。
水は温度が4度で最も体積が小さく、密度が高くなる。
つまり、海水は冬の時期に最も密度が高い状態。
漁船にぶつかる海水の感覚を、漁師さんは『硬い』って表現するのかなあ、と。
風や波の高さに比べるとあれかもしれないけど、冬の海が危険という要素の一つになるのかねえ。
同じ高さの波がぶつかってきても、波の重さは冬のほうが重いわけだから。
あくまでも俺が考えた理屈だから、合ってるかどうかはわからない。
「じゃ、温泉でも行こっか」
「はい?」
ああ、夏に入ったあの温泉のことか。
魚の仕入れ。
店を開く前に風呂に入って冷えた体を温める。
開店。
なるほど、すごいルーチンだ。
温子と二人、手をつないで出かける。
早苗さんと源さんが、ニヤニヤしながらそれを見送る。
ははは、全然気にならない。
だって、イチャイチャしてるから。
俺のそれと、温子のそれはちょっと違う気がするけどね。
うあぁ、夜明け前の空を見てると、魂が吸い込まれそうな気がする。
深い蒼色っていうか……たまらん。
そんな俺を、温子がきゅっと手を引くことで意識を引き戻す。
俺って、単純な生き物だなと思った。
温泉って言っても、宿じゃなく、銭湯みたいなものだからな?
サービスシーンはない。
強いて言うなら、漁を終えた漁師さんたちがたむろってたりして、話を聞くだけでも面白い。
まあ、向こうは『なんだこいつ?』って思ってるかもしれないけど。
ただ、基本的に函館は観光地というか、港町だ。
住人の意識はわりかし外を向いているように思える。
人の出入りが当たり前ってことからか、よそからやってきた人に対しても愛想がいい感じ。
山奥の田舎の、あの何とも言えない閉鎖感が表に出てきてる感じはない。
あくまでも、大まかな傾向だ。
それに、人の心の奥なんて……わかるもんじゃない。
「お待たせー!」
うん、女性はどうしても髪を乾かす手間がね。
ははは、港町だぞ。
濡れた髪で、外を出歩いたら、凍えそうな潮風で、ギシギシになるわ。
手をつないで帰る。
同棲カップルみてえ。
たまらん。
いや、たまらんのだけど。
「無理してない?」
「何が?」
「いや、なんか……『俺とこうしたい』じゃなくて、『俺とこうしなきゃ』みたいな意識を持ってないかなって?」
早苗さんと源さんがなあ、明らかに『これで温子が片付いた』って感じだから。
「別に嫌じゃないのよ?」
「『嫌じゃない』と、『好きだから』は、雲泥の差があるからなあ」
温子の足が止まる。
俺を見る。
「あなたって……あたしのどこが好きなの?」
「最初は一目ぼれ」
「外見ってことね」
「そして、『どこ』じゃなくて、温子が好きだな。感情だから理屈じゃない」
ああ、照れもせずに言えたよ、俺。
「温子と離れるのが嫌で、神経性の胃潰瘍になるぐらい好きだ」
「ああ、うん……すごく理解は出来るけど、ものすごくロマンに欠けた口説き文句ね」
どこか困ったような表情で、温子が笑う。
「まあ、人それぞれだよ。人の感情を等価交換とか言い出したら、金銭のやりとりみたいで嫌だ」
「嫌いじゃないの。というか、ちゃんと好意はある」
言葉を切って、温子が視線を前方へと投げた。
「でも、愛の告白をしたいって感じじゃない」
「いいんじゃないの。無理しない、無理しない」
温子の手を、きゅっと握る。
「これで十分満足してる」
「……なんか複雑。あたしに魅力がないって言われてるみたい」
さあ、帰ろう。
「ちょっと!?否定するとこでしょ!」
行きは温子に手を引かれ。
帰りは俺が手を引いて。
ああ、うん。
トリガーハッピーならぬ、恋愛ハッピーってやつかな。
なんて、恥ずかしい事を考える俺がいる。
「ねえ、
「そりゃあ、好きだよ。温子がいるから」
「……なんだか、あなたって、チャラくなって帰ってきたわね」
「素直になった、と言って欲しい」
雪だ。
……うん。
なんというか、『雪だ』としか言えない。
「これが標準ですか?」
「ん?まあ、ここじゃひと冬に数回って感じの雪かねえ」
お茶をすすりながら早苗さん。
こんな天気では、漁師も漁には出られない。
時化れば、港に魚は上がらない。
全国各地から魚が集まる、都会の商店とは違う。
「道東とか、道北はもっとひどいわよ」
「道東っていうと、帯広とか十勝の方?」
「……なんか微妙にニュアンスが違ってる気もするけど、そんな感じ。吹雪で何日も家の外に出られないなんて、普通にあるらしいから」
殺人事件が起こりそうだな、それ。
「冗談抜きで、燃料がなくなって一家揃って凍死なんて事故の話を、昔は聞いたからねえ」
「そういえば、こっちって暖房としてエアコンは使わないんですね。まあ、考えたらそりゃそうだって思いましたけど」
「基本はパネルヒーターじゃないかねえ……マンションとかはどうなのか知らないけど」
「友達が、マンション全体で温風ヒーターを使ってるって言ってたわ」
「……どのみち、循環方式じゃないの、それ?」
ははは、冬に暖房なんか使わねえとか言えない空気だ、これ。
ああ、でも。
東北とか、信州なんかの内陸部は、俺が知らないだけで、そんな感じなんだろうな。
「さて、何を作ろうかな」
「あ、あれ作ってよ。あたし、好きなのよ、あれ」
「オッケー……俺としちゃ普通の料理なんだが」
「あたしから見れば新鮮なの」
「そんなもんかね」
そんなやり取りを聞いて、早苗さんがため息をつく。
「あんたら、夫婦のやりとりだよ、それって」
恋愛の道は遠い。
そしてまた。
俺が、この街を離れる日がやってくる。
あいにくの雪だが、風はない。
「冬の北海道は、見送りに向いてないな」
「何の話?」
温子の手が、暖かすぎる。
つないだその手を、離したくない。
「……相変わらず、愛の告白をしたいって感じじゃないけど、あなたがいなくなると寂しいって思う」
「うん、ありがとう」
温子が、少し笑った。
「考えてみれば、変な話よね……去年の夏の一ヶ月と少し。そして、この10日ほど」
「学校生活なら、まだ5月の下旬ぐらいかな」
「そうね……」
温子が、笑う。
どこか、はにかんだような笑い。
「あなたって、私の中ではもう、家族よ……たぶん」
「はは、じゃあ、行ってきます、かな?」
「そうね……」
温子の手が伸び、俺の身体を引き寄せる。
その唇が頬に触れた。
「家族のキスよ……今はまだ、ね。行ってらっしゃい」
そんな温子が可愛すぎたので、俺も。
「あ、ちょっ……」
「……家族の、キスだよな」
そんなことをしてたら、どこからか雪玉をぶつけられた。
ああ、うん、ここは函館駅。
人の目がありまくり。
ははは、覚えておけ。
また、この街にバカップルは帰ってくる。
きっと、帰ってくるからな。
今気づいた。
地方競馬場も含めれば、ゲームの発売された2003年時点で、旭川も、北見も、帯広も、全部カバーできるって。
うん、仕方ないね。(笑)
とりあえず、次は札幌だ。
地方競馬はもちろんですが、ゲームの中で登場したお店とか、結構潰れてるらしい……時の流れを感じるなあ。