月明かりが照らす午前1時。羽沢珈琲店の隣に構える小さな一軒家のとある部屋に俺、桃山深月はいた。その部屋だけは他の部屋と違い、少し広めに作られていた。その中央には少し年季が入って、埃が被っているがまだまだ
十分使えるピアノがあった。
「少しだけ、弾くか…」
そう呟きながら椅子に腰をかけて、軽く鍵盤を叩いてから演奏し始めた。曲はシューベルトの魔王や、ベートーベンの交響曲第5番だったりと様々な曲を夜更けまで弾いた。弾いてる途中にふと昔の事を思い出した。それほど大きくないホールで満員の人が見ているなかでの演奏。あのときから俺は「天才」と呼ばれ、全国どころか海外でのコンクールの経験もあったので緊張は全くしなかった。けど、演奏が終わり舞台からはけたあと、見に来ていた幼馴染の一人の羽沢つぐみから衝撃の事実が伝えられた。それは、車でこちらに向かっていた家族が道中で交通事故に巻き込まれたとの連絡だった。俺は急いでつぐみやつぐみの両親と共に病院へと向かったが、手遅れだった。父も母も兄も誰一人助からなかった。
ハッと我に返ると俺は涙を流していた。弾いていた曲は途中で止まり、鍵盤は涙で濡れていた。
「…駄目だな、これじゃ」
鍵盤をしまい、涙を拭ってから自室のベッドで眠った。
朝の目覚めもあまり良いものではなかった。今日は休日なので、学校が無いとこを幸運に思いつつ着替えをすませ、軽く朝食をとった。朝食を済ませた後、自室に戻り読書をしてるとスマホのバイブレーションが鳴った。つぐみからの電話だった。
「もしもし、つぐ?どうかした?」
「あ、みーくん。ごめんね、朝早くから」
「別に大丈夫だよ」
「ありがとう。あのさ、今から家に来れる?」
「いいけど何で?」
「みーくんに相談したい事があるんだけど…」
「そっか。わかった、すぐ行く」
つぐの家は隣なので秒の単位で着いた。
「あ、来た来た!」
「なんだよ、全員集合かよ」
てっきりつぐ一人だけかと思った。どうやらAfter Grow全員集合のようだ。因みにAfter Growというのはつぐを含む幼馴染5人で結成したバンドで全員俺の知り合いだ。
「いちゃ悪い?」
「誰もそんな事言ってないだろ」
こいつは美竹蘭。バンドのボーカル&ギターを務めている。因みに親がめっちゃ厳しい。
「まぁまぁ、喧嘩するなよ二人とも」
こいつは宇田川巴。ドラム担当。男勝りな性格でその辺のやつよりイケメン。妹もドラマーらしい。
「みーくんパン買ってきたー?」
この間抜けそうなのが青葉モカ。ギターを担当している。山吹ベーカリーの近くでこいつに会ったら高確率でパンを奢らされる。しかも大量に。
「モカさっきもパン食べてたでしょ~!」
こいつは上原ひまり。ベース担当。明るく元気だが、だいたい空回りする。あとおっぱいがでかい。
「ごめん…みんな。もう少し静かにしてくれるかな?他のお客さんいるし…」
最後に羽沢つぐみ。キーボード担当。お隣さんで恐らく1番付き合いが長い。あと天使。
「そんなことより、つぐ。相談ってなんだ?」
「あ、実はね…この譜面のところがどうしてもわからなくて…」
「あぁ、ここか…後で家に来て。ピアノで教えるから」
「うん、ありがとう!」
すると、巴が茶々を入れてきた。
「そこーなーにこそこそやってんだー?」
「な、なんでもないよ!じゃあ、みーくん。後でね」
「ああ」
そう言うとつぐはそそくさと仕事に戻ってしまった。
「みーくんつぐと何話してたのー?」
「大したことじゃないよ。それより、お前らはこの後どうするんだ?俺は帰るけど」
「アタシも家の用事があるから帰ろうかな」
「あたしも…」
「私はどうしよっかなー、モカはどうする?」
「んー、あたしもバイトあるから帰ろっかなー」
「じゃあ、俺は先に帰るわ。じゃな」
店を出るころには昼を過ぎていたので家で軽い昼食を食べ、つぐが来るまで昼寝した。
「おーい、みーくん?来たよ~、起きて~」
「ん……あれ、つぐ?」
「あ、やっと起きた」
「もう、夕方か…」
「ごめんね、玄関開いてたからそのまま入ってきちゃった」
「お前…一歩間違えたら犯罪者だぞ…。まぁ、いいか。例のとこ教えるからあの部屋に行こうか」
「はーい」
あの部屋とは昨夜俺が一人で演奏していたあの部屋だ。アフグロでも出入りしたことあるのはつぐぐらいだろう。
「今からここの部分をピアノでやってみるからよく聞いとけよ」
部屋に深月のピアノの音が響く。完全に防音になっているとはいえ、かなりインパクトかつそれでいて丁寧な音色だった。
「こんな感じかな、つぐも一回やってみようか、ってつぐ?」
「え?あ、う、うん!」
「どうした?どこか具合でも悪いのか?」
「ち、違うよ!ただ…」
「ただ?」
「何でもない!えっと、じゃあここ一回やってみるね!」
「あ、ああ」
つぐがピアノ椅子について、さっき俺がやったところをやってみせる。流石キーボード担当だ。ピアノを長年やっていたというのもあるが、アフグロのロックな感じが直に伝わってきた。俺でもここまで表現するのは無理だろう。
「どうかな?」
「文句なしだよ!流石つぐだな」
「ほんと!でも、みーくんがお手本見せてくれなかったらここまで出来なかったなー」
「いや、流石に俺じゃあんな力強くは無理だよ。しかも、これをロック風にだろ?尚更俺じゃできないよ」
「もうちょっとやってもいいかな?あと少しでコツが掴めそうなんだよね」
「つぐの気の済むまでどうぞ」
それから、30分くらいつぐの答えが出るまで彼女の練習に付き合った。
「ありがとね、みーくん。おかけでなんとか答えが出せたよ」
「それは良かった。またわからないところとかあったら聞けよ」
「みーくんはさ…」
「ん?」
「あっ、ごめんなんでもないよ!また明日ね!」
まるでごまかすかのようにつぐは言葉を濁し、そそくさと帰っていった。けれど、俺には最後つぐが何を聞きたかったのかは何となくわかっていた。
玄関から居間に戻り、仏壇に飾ってある3つの遺影に合掌しながら呟いた。
「父さん、母さん、兄さん…俺は…また弾けるのかな…」