理想の果てに 作:災厄被害者担当 ティールウルフ
□<サウダ山道> 【槍士】グレン
イベントクエストが始まってから約10分。
俺は全力で山道を駆けていた。
数多く存在するクエストの中でのイベントクエストは特別である。
ほぼすべてのクエストに達成までの制限時間が存在するがイベントクエストはそれらがあいまいなものが多い。
特に今回のイベントクエスト、【救出しろ――ギルバード商行団 難易度:六】。
現在進行形で進んでいるこのクエストは急がなければ失敗になるたぐいのイベントクエストだった。
『マスター、どうやら見えてきたようだぜ?』
走っている俺の頭にアナの声が響く。
おそらくあそこで今でもティアンの商人たちが命がけで戦っている。
俺はラストスパートとばかりに速度を上げた。
すると山の起伏で見えなかったモンスターの群れが見えてきた……が。
「……なんだ、これは」
見えてきたのは【アースウルフ】などのモンスターに囲まれながら必死に戦うティアンの姿……などではない。
そこには人の形をしたものはなく、人だった赤い血肉が広がっていた。
聞こえてきたのは助けを求めるティアンの声……などではない。
聞こえてきたのは喜びに嗤うモンスターの遠吠えだった。
生きていたティアンは一人としていない。
生きているのは万を超える魔獣系モンスター、そして崖の上で吠える一体の大きな黒狼だった。
あまりに予想していなかった光景に脳がフリーズする。
だがそれも仕方がない事と言える、<Infinite Dendrogram>の世界に降り立って一日も経っておらず人の死体など一度も見たことが無いのだから。
『おい、マスター。気をしっかり持て。
敵から目を逸らすな』
「……ああ」
『……おい、本当に聞いているのか?』
アナの言葉がうまく頭に入ってこない。
脳に靄が掛かっているようだ。
モンスターにもいまいち集中できず、ティアンの亡骸から目が離れない。
「……わかってる、わかってるんだ。だが……うっ!」
受け入れられない。
これは<Infinite Dendrogram>だ、ゲームだ、そしてあれはただのNPCだ。そう頭で認識しているはずなのに体が、脳が反応する。
腹の奥から苦々しいものがこみ上げ、足に力が入らない。
これが死、この世界においての『死』だと。
『マスター……』
「……正直分かっていたよ。俺がこの世界をゲームだと思っていないって事は。
ティアンは俺たち<マスター>の様には生き返らない、だから俺はティアンが助けを求めているのなら全力で助けようとする」
『分かってるよ。そんなマスターから生まれてきたのが私だ。
助けたいと、守りたいと思ったからこそ生まれてきたのが『アテナ』だぜ?』
アナはぶっきらぼうに、慰めるように優しく答える。
「……だからこそ分からねぇ。
守るべき対象がいなくなってしまった俺は、守り切れなかった俺はどうすればいいんだ」
『……』
アナは答えない。
沈黙が支配する空間のなかで俺は呆然と眼前に広がる光景を見つめていた。
するといつからか数体のモンスターが俺の方を向いていた。
魔獣系モンスターだからだろうか、鼻が利くのかもしれない。
唸り声をあげながら百メテルほど離れている俺に向かってかけてくる。
『……マスター、今だから言うぜ。
今の私とマスターは半端ものだ。『メイデン』としても、一人の<マスター>としてもだ』
駆けてきたモンスターは【アースウルフ】だけではない、他にもいくつかの種類の狼型モンスターが混じってる。
力が入らない体を動かし攻撃するが一撃も当たらない。
あっという間に体に何体ものモンスターが噛みつく。
『私はマスターの<エンブリオ>だ。マスターの望むままに従う。
戦いを望むなら私がその願いをかなえる可能性になろう。
逃げ出すというなら私は……正直嫌だが付き合うぜ?』
「……アナはずるいな」
じりじりと減っていくHPを見ながら呟く。
アナは言っているのだろう。
「逃げるのならこのままデスペナルティになってしまえばいい。
そしてすべてを忘れてしまえばいい。
再びセーブポイントから始めればいいのだ」と。
「いっ!」
腕に噛みついていた狼型モンスターの牙から炎が噴き出した。
他にも特殊な能力を持つモンスターがいたのだろう、状態異常として【毒】がついている。
レベルが上がり2000に届きそうだったHPがガリガリと削れていく。
『そろそろ選択のときだぜ? マスター。
ここが分岐点だ。
逃げるか、それとも戦うか。今、ここで決めろ。
……あ、そうだ。ついでに私はガツガツしたほうがすきだぜ、マスター?』
「……お前の好き嫌いはどうでもいいが……まぁ、礼を言っておくよ。
だけどお前も俺がどっちを選ぶかなんてわかっているだろ?」
返事は無い、だが身に纏う鎧が煌めいた気がした。
ああ、そうだ。取るべき答えは、行動は最初から一つだった。
俺は自嘲的に静かに笑う。
そしてモンスター共が噛みつき、重くなった腕で槍を握った瞬間だった。
「——————————————————‼」
俺でもモンスターでもない泣き声が山道に響く。
声を出しただけのような言葉として成り立たない泣き声、だがそれは聞き覚えのある泣き声だ。
何かをねだるようなやけに響く声……そう、生まれて間もない赤ん坊の泣き声だ。
そしてそれは、半壊した荷馬車から聞こえてくる。
『「……生き残り‼」』
時が止まったかのような空白を埋めるようにすべてが動き出す。
崖上の黒狼は命令するかのように吠え、周りの狼型モンスターが一斉に半壊した荷馬車へと向けて走る。
その距離は5メテルもない。
真っ先に走り出したモンスターが鼻をひくつかせながら、馬車の一か所を目指す。
それは小さな木箱。
モンスターはその木箱に向けを鋭い爪を振り下ろし、中に居た赤ん坊を露見させた。
そして涎を垂れ流しながら、その柔らかな体に刃を突きたてようと大きな牙を開き……
『GARuu……?』
その鋭い牙は何も噛みしめることなく地に落ちた。
首というおまけと共に。
『おいおい、マスター! 無茶するなぁあ、おい!』
「……なんでお前は嬉しそうなんだよ」
俺は
【左腕欠損】による遅延ダメージが続くものの、HP自体は最大まで回復する。
もしかしたら欠損を治せるポーションもあるのかもしれないが、俺の持つHP回復ポーションにはそれほどの効力は無い様だ。
『だってよぉ! 全身装備を解除して一瞬隙を作るなんて頭いかれてるぜ。
そのうえ、途中で捕まった左腕を自分から切り飛ばすとか……狂人だな!
絶対後先考えてねぇな!』
「……だからなんでお前は嬉しそうなんだ」
飛びついてきたモンスターを槍で突きさし光の粒子にかえる。
しかし敵は万を超えるモンスターの群れだ、俺を荷馬車ごと囲みながらじりじりと距離を詰めてくる。
正直手がない。
決意を胸に戦うことを決心したはいいが万策尽きた、このままでは普通に死ぬ。
「……よし、赤ん坊連れて逃げるか」
『さっきまでの決意は何処にやったんだよ、マスター……』
「……んなもんは左腕ごとモンスター共にくれてやったよ」
『マスター……。
まぁ私も正直賛成だ、だけどあいつは逃がしてくれないようだぜ?』
モンスター共の奥で佇む大きな黒狼を見る。
確かにその真っ赤な目には、『絶対に逃がさない』といった意識のようなものが見てとれた。
黒狼は明らかに他のモンスターとは格が違う。
その気なれば今すぐにでも俺をデスペナルティに追い込めるのでないかと思うほどだ。
おそらくAGIも奴の方が上、逃げることはできないだろう。
「……そもそもあいつは何だ?
亜竜級モンスターってやつか?」
『マスターって意外と抜けているのか?
槍士ギルドで見ただろう、あれは賞金が掛かっているモンスター。
<UBM>【群狼王 ロボータ】だろ』
「……馬鹿、そう言うことは早く言え」
まさかの<UBM>。
<Infinite Dendrogram>におけるボスモンスターだ。
同じモンスターは二体としておらず、完全な唯一無二のモンスター。加えて強力なステータスや特異の固有スキルを持つ。
出会う事自体が極稀であり、五段階等級の一番下である『
そんなモンスターが万を超えるモンスターを引き連れて目の前に居る。
「……絶望的だな」
万を超えるモンスターだけでも八割は死ぬ。
しかし<UBM>の出現によって死ぬ確率が九割九分まで引きあがった。
いや、【群狼王 ロボータ】というぐらいだ。
このモンスターを引き連れているボスが奴なのだろう。
『安心しろよ、マスター。
運がいい事についさっき私は進化したみたいだぜ?』
全身鎧形態だったからだろうか、全くと言っていいほど気が着けなかった。
しかしこれで生存率が多少は上がるかもしれない。
「……それで?」
『ん?』
「……なんか新しいスキルでも出てきたのかって聞いてんだよ」
『ああ、『不壊の護鎧』のダメージ軽減が20%になったぞ。
あとは……AGI補正なんかが上がったのと鎧として硬くなったな』
「……くそ、つかえねぇな! っと」
飛び出してくるモンスターを蹴り飛ばし、槍で止めを刺す。
進化と言ってもそれほど大きく変わるわけでは無いようだ。孵化したばかりなので当たり前と言えば当たり前なのだろうが。
しかしこれではよくて生存率が九割八分になった程度だ。
しかしそれでもやらねばならないのだろう。
奇跡の勝利と言う奴を。
「……左腕は無く、武器は砕けそう。HP回復ポーションは……馬車にありそうだが、これで赤ん坊を守り抜くのか。
糞ゲーだな」
『それでもやるんだろ?』
「……決心してしまったからな」
始めよう、己の意志を貫き通すための戦いを。
守るための戦いを。
今、降り立ったばかりの