魔女狩りの話   作:ふーてんもどき

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本編
魔女狩りの話


魔女狩りという風習がある。

宗教的な迫害の一種で、魔女と呼ばれる、神を冒涜する悪魔の使いを裁くことを目的としたものだ。

しかし実際は、政治などで邪魔な人間を問答無用で処刑台に立たせることができる便利な制度として使われている。

それが近年激化しているらしいという話が、森の奥で木こりをしているマルクの耳にも届いていた。時折、町まで行商に行ったときに聞く話はむごたらしいもので、大抵は何の罪もない女性が衆目の元、裸にされ散々ムチで叩かれたあと火炙りにかけられて焼き殺されるとのことだ。

それを見せ物として楽しむ風潮があり、もはや政治に関する当初の目的も定かではなくなっている。

 

「そうだ。珍しいことに、この田舎町でも魔女がいたらしいぞ」

 

木の加工品を卸しに町へ来た際に、マルクは客の一人からそんな話を聞いた。

 

「最近、ここに引っ越してきて薬屋を始めた婆さんがいたんだが、なんでもそいつが今夜魔女裁判にかけられるんだってさ」

 

彼女が薬で悪さでもしたのか。そうマルクが聞くと、何もしていないどころか腕の良い薬剤師であったという。

なぜそんな人が魔女とされなければいけないんだ。

怒りともやるせなさともつかない思いを抱きつつも、マルクは魔女狩りというものに強く興味を持った。

伝え聞く話が本当かこの目で見てやる。

マルクは町の安宿をとり、魔女裁判を見物することにした。

 

空が暗くなり、星がまばらに出てきた頃に鐘の音が町中に響いた。魔女裁判開始の合図である。

マルクが現場に着いたときには町人のほとんどが広場に集まりひしめき合っていた。

その中央には背中で両手を縛られた老婆と、それを見張る男が二人いる。そして老婆の正面に、いかにも判事らしき服装の男が卑しい笑みを浮かべて立っている。

 

「田舎町で、ずいぶん高級そうな服を着ている」

 

マルクがそう呟くと隣にいた中年の女が答えた。

 

「判事は都市から派遣されてくるんだよ」

 

都市。何の罪もない老人をなぶり殺すために、馬で4日はかかるこの町までわざわざ来たのか。

マルクは頭が痛くなるのを感じながら、ただ裁判の様子を見守っていた。

 

裁判が終わったのはそれから2時間後のことだった。

それは裁判と言えるようなものではなく、ただの陰湿な暴力であった。泣き叫ぶ老婆の爪を一枚ずつはがしていったり、ペンチで指を潰していくのだ。

その中で、お前は魔女か、と判事が聞いていく。

違うと答えればさらに苛烈な拷問にかけられ、首を縦に振るまで痛めつけられるらしい。

老婆はそのことを知っていたようで、すぐに私は魔女です、と答えた。肯定してもしなくても、結局殺されることに変わりはないのだ。辛くない方を選んだ、ということだろう。

それでも彼女を虐めるためにはるばるやって来た判事は満足せず、2時間たっぷりと拷問を続けた。そして火炙りの刑を言い渡し、魔女として有罪になった老婆を明日の朝早く処刑することが決定した。

あまりの凄惨さにマルクは食欲をなくし、夕食も食べずに宿へ戻り、ベッドに倒れこんだ。

各地であんなことが日常的に行われていると思うと、この世の全てに絶望しそうになる。今まで他者との関わりが少なく、社会の理不尽などを見たことがないマルクにとって今日の出来事はあまりに鮮烈にすぎた。

興味本意て見るべきではなかったと、強く後悔した。

 

気が付くと夜もすっかり深まっていた。どうやら疲れ果てて寝てしまったらしい。もう一度目を閉じてそのまま朝まで寝ようかと思ったが、どうにも胸騒ぎがして無理だった。

あと半日もしないうちに焼き殺される老婆のことを考える。

明日の朝、あの人の良さそうなおばあさんが死ぬんだ。

その事実がマルクの喉をカラカラに乾かせた。

自分はきっと明日の火炙りを見ることはできない。拷問でさえまともに直視できず、今こうして焦燥に似た気持ち悪さにかられているのだから。

じゃあこのまま無視して帰るかといったら、それも無理だった。

プライドというやつだろうか。見て見ぬふりをした後の自分を思うと、それだけで背筋にゾクリと悪寒が走る。そんなものは自分と呼べるのか。

それならどうする。

 

「やるしか、ない」

 

答えは一つに絞った。これ以外にはない。そう思い、腹の底から頭のてっぺんまで一気に熱いものが沸き上がる感覚と同時に、マルクは老婆を助け出す決意をした。

 

極力音をたてないように宿を出る。受付のカウンターに突っ伏して寝ている店主がモゾモゾと動いて、それだけで死にそうな気分になる。

月明かりが指す、誰もいない真っ暗な街道を必要以上に警戒して進み、裁判が行われた広場まで辿り着いた。

処刑もこの広場でされるため、おばあさんは縛られたままここに放置されているはず。

マルクの予想は当たっていた。

広場にはたいまつが置かれていて、その横にボロ雑巾のように痛ましい姿になった老婆が横たわっていた。

一つの懸念が晴れた。屋内よりは屋外の方がはるかに救出しやすい。

しかし、当然ではあるが、見張りがついている。裁判で判事の命令に従い老婆に拷問をかけていた内の一人だ。

あれをどうにかしなければ。騒がれるのが一番まずいので、後ろから忍び寄り絞め落とすしかないだろう。木こりとして鍛えられたマルクは筋力に自信があったが、無闇にやって上手くいく自信なんてない。

作戦を頭の中で何度も反芻する。

決意を固め直し、再び歩き出そうとした、その時だった。

突然たいまつの火が消えた。

風も吹いていないのに、誰かが意図して消したかのような不自然さだ。

森の中で暮らすマルクは夜目が利く。月明かりだけでも広場の様子は十分に見えた。

うろたえる見張りの男と、どうやったのか手足を縛っていたロープをするりとほどいて立ち上がる老婆の姿が。

マルクは自慢の我が目を疑った。

立った老婆が迷いのない動きで見張りの男に近付き、男が気づいて騒ぐ暇を与えず首筋あたりを触れた。それだけで、男は糸が切れた人形のように倒れてしまったのである。

よく見ると老婆は若い女性に見えるようだった。裁判で見たときのヨボヨボなおばあさんからは想像もできない、ピンと伸びた背筋。

いや、あれは明らかに若返っている。あの人は本物の魔女だったんだ。

マルクは混乱した。架空の存在だと思っていた魔女が、目の前に現れたのだ。

しかし、混乱はしたが、ただそれだけのことだった。この異常事態に直面してなお、マルクの頭の中は、彼女を助けるという使命感でいっぱいだった。

 

「おい!こっちだ」

 

ギリギリ魔女に伝わるほどの声量でそう言い、手を振る。

一瞬で魔女は振り向き、建物の影にいるマルクを見つけると、すごい勢いで駆け寄って来た。

 

「俺はあんたの味方だよ。安全なところまで案内したい。説明をするから、まずは町外れまで付いてきてくれ」

 

今にも襲いかかってきそうな魔女に、両手を上げて敵ではないとアピールする。生きている心地がしない。

しばらく魔女は値踏みするようにマルクを睨んで、首を小さく縦に振った。

 

「急ごう」

 

走って数分。建物もない町外れまで来ると、マルクは魔女に向き直って言った。

 

「俺はこの町の人間じゃない。山奥に住んでいる木こりだ」

 

「なぜそんな人がここに?」

 

魔女が初めて喋った。しわがれていない、綺麗で若々しい女性の声だ。

 

「加工品を売りに来たんだ。いいかい、安全なところっていうのは、つまり山奥にある俺の家のことだ。この最寄りの町からでも馬を一日と半分、丸々走らせてようやく着く距離にある」

 

「ふーん......人は来ないの?」

 

話がうまい具合に進んでいく。この魔女は聞き分けが良いらしい。助かった。

 

「滅多、というか全く来ない。この町の人はもちろん、地図の作製をしているような人間でさえ知らないと思うよ。隠れ家としては完璧なはずだ」

 

魔女は口元に手をあてて考えこんでいる。

 

「今からでも案内したいけど、俺が今夜に姿を消すと怪しまれるかもしれない。明日の昼過ぎに、ここに書いてある場所まで迎えに行く」

 

そう言ってポケットから紙切れを取り出して、魔女に渡した。マルクが宿で書いておいた、集合場所への地図である。

 

「それじゃあ。俺はこれで宿に戻るよ。必ず迎えに行くから」

 

まだ怪しむようにじっと見てくる魔女に苦笑して、マルクは彼女の手をとった。

安心させられるように、優しく両手で握手をする。意外にも無抵抗。

剥がされたはずの爪はきちんと生え揃っている。潰れた指もどこにもない。ただ、血が通っていないかのように冷たいのが印象的だった。

 

「幸運を」

 

それからマルクは急いで宿へ戻って、そっと自分の部屋に入った。

ベッドに腰かけ窓から見える月をボーッと眺めていると、遅れてやってきた達成感で胸がいっぱいなった。

実際に自分はほとんど何もしていないが、自分が救おうとした彼女が生き延びたのだ。

そう思うと嬉しくてたまらなくなる。

 

「師匠。俺はやりました」

 

声を上げて笑いたくなるのを堪えて、呟くに留める。暗い夜空に輝く月が一際美しく見える。良い夜だ。

 

 

 

 

 

「良い家ね」

 

それから一昼夜を跨いだ日、魔女を家まで案内したとき到着して最初に言われた言葉がそれだった。

彼女の名前はクレアといった。偽名だがそう呼んで欲しいと言ってきた。

魔女は本当の名前を滅多なことでは明かさないと聞いたことがある。教会の話も嘘ばかりではないらしいと、マルクは感心した。

マルクの家は二階建てのログハウスだ。丸太を組み合わせて造られた頑丈な家である。

 

「俺の師匠が建てたんだ。こう見えて築60年は経っているよ」

 

「へえ。じゃあ私より年下なんだ」

 

「えっ」

 

ぎょっとしてクレアの方を見ると、クレアはいたずらっぽく笑っていた。

 

「魔女に年齢は関係ないわ。常識よ?」

 

「そういうものかな。いったい幾つなんだい」

 

「数えてない。言ったでしょ、関係ないって。そもそも数える必要がないのよね。まあ、強いて言うなら、たぶん100歳は越えているはず」

 

その3分の1も生きていないマルクにはどうにもピンとこない数字である。

見た目には自分と同い年か、それ以下に見えるのに。いや、彼女は変身ができるんだった。あのおばあさんの姿が、彼女の本当の姿だったりするのかも。

そんなことを考えながら、クレアに家の中を案内する。

 

「驚いたわ」

 

「何が」

 

「木こりの家って、もっと汚いところを想像していたから」

 

なんだそれはと思ったが、クレアは単純に感心しているだけのようだった。木こりというよりは、独り身の男に対する意見だろう。

それに、綺麗にしていると言われたみたいで、マルクとしては悪い気はしなかった。

 

「そうだ。さっき言っていたお師匠様は外出中?いないようだけど」

 

「いや、3年前に老衰で亡くなったんだよ」

 

「......そう」

 

微妙な沈黙が流れたあと、クレアは伏し目がちに短く言った。

特に辛そうな素振りもなく答えたマルクだったが、それを聞いたクレアの方が、なぜか一瞬だけ悲しそうに顔を曇らせたのだ。

寿命を持たない魔女が他人の死に関心があるのかと不思議に思う。

お墓まで案内して、と言うクレアにマルクはそのことを尋ねた。

 

「感心がないわけではないけど、死は悲しいものではないわ。......そうね、私が悲しいと思ったのは、あなたのことよ」

 

「俺が?」

 

木でできた墓に屈んで手を合わせるクレアは、マルクを見ずにそう答える。

 

「3年間も、寂しかったでしょう」

 

「いや......」

 

いたわるように言う、クレアの綺麗な横顔から目をそらした。

そんなことはない、とは言えなくて言葉に詰まる。言われてみて、確かに寂しかったのかも、という思いがマルクの心に過った。

何より、まだ会ったばかりのクレアに気遣われるのがくすぐったかった。

 

「そろそろ中に入ろう。雨が降りそうだ」

 

厚い雲に覆われた空を見上げて、まだ墓前で祈っているクレアに誤魔化すように言った。

 

 

 

 

「すごい雨だ」

 

野菜のスープを飲みながら、窓の外を見てマルクは呟いた。家の中に入ってから10分もしないうちに、大粒の雨が降ってきたのだ。

山の気温はすぐに下がって寒いほどになってしまう。それだけに温かいスープがありがたく思えた。

 

「そういえば、よく信じてくれたね」

 

マルクが言うと、クレアはきょとんとして、スープカップから顔を上げた。

 

「昨夜のこと。自分がやっておいて言うのもどうかと思うけど、よく俺のことを信用できたなって」

 

「ああ、魔女はね相手の嘘を見破れるのよ」

 

それは初耳だった。口ぶりから、魔女というのはたいてい誰もができると聞こえる。

変身するくらいだから、心を読むのも不思議ではないけれども。

 

「魔法じゃないわよ。相手の発汗、呼吸の乱れ、瞳孔の開き具合なんかから分かるの」

 

「なんと」

 

クレアは口元を押さえて笑った。マルクの驚いた顔がずいぶん可笑しかったらしい。

 

「すごいなあ。でもそれは魔女と関係ない能力じゃないか?」

 

世に言う魔女とは、まずもって人に害を及ぼす悪しき存在である。地獄の使用人とさえ呼ばれることもしばしば。

マルクとしては、とてもクレアはそんな悪どい女性には見えないが、それでも心を読めるほどの観察眼を身につける必要があるのか疑問に思う。

クレアはそれに待ってましたと言わんばかりに即答した。

 

「いいえ。私たち魔女というのは元々はシャーマン、つまり医者だもの」

 

「へえ、医者」

 

「今でこそ、超常の存在として公儀されてはいるし、分野は医療に留まらないけれど、それでも探求者という共通点だけは変わらないわ」

 

「探求者?」

 

「未知を知ろうとする者のことよ。植物のこと、動物のこと、天候のこと、地理のこと。この世にはありとあらゆる未知が溢れていて、それを求めることは私たちにとって大きな喜び」

 

どこか誇らしげなクレアは、本当に嬉しそうに語る。

 

「求道の中で悪魔、もしくは精霊や妖精のような存在と関わる機会もあるの。それらと契約を交わして、人の理の外へ行った者が、真に魔女と呼ばれる存在よ」

 

「......今までお伽噺話とは関係なく生きてきたけど、君が言うと説得力がある」

 

「ふふっ。飲み込みが早くて助かるわ。ちなみに私は人体の探求者。もっともシャーマン寄りの魔女と言って良いわ。嘘くらい見破れるのも納得でしょう」

 

「うん、そうか。だから薬屋をやっていたんだね」

 

純粋な尊敬から言ったことだったが、それを聞いてクレアは苦笑した。

 

「そう、ね。長続きしたことはないけど」

 

マルクは、滝のように降り注ぐ雨を眺めて言うクレアの表情に哀愁を見た。100年も魔女として在り続ける彼女が、己が魔女だとバレるような下手を打つだろうか。陰謀か、そうでなくとも、独り身の老婆など魔女狩りの標的には格好の獲物だったのだろう。

 

「......なんで、魔女狩りなんてあるんだろうね。君は自己中心的じゃない。人のためにも頑張っているはずなのに、なんで」

 

マルクは一昨晩と同じように、義憤に声を震わせた。

どう考えたって理不尽だ。魔女がそんなに憎いのか。

いや、頭ではわかっている。魔女を裁くのではなく、人間を迫害することに目的が擦り代わっているなどということは。それが結果的に人間か魔女かはどうでもよくて......違うな。それは魔女狩りの行為自体であり、根幹とは別だ。何がここまで人間を、世の中を残虐にさせる。何が、何故、どうして。

 

「社会不安における防衛本能を起因とした排他的行動」

 

思考に没頭していたマルクは、クレアの言葉に首を傾げた。

 

「どういうこと?」

 

「つまり怖いのよ。文明がすごい早さで発達しているのは、あなたも知っているんじゃない」

 

「何となくだけど。大海原を自由に航海できるようになったのは凄いと思うよ」

 

「そう、そういうのね。例えば船が、見知らぬ大陸から見知らぬ物を持ってくる。それがどんどん国に広がって文化を変えるの」

 

「良いことなんじゃないのか」

 

そう聞くと、クレアは肩を竦めた。

 

「どうでしょうね。確かなのは、それを悪だと思う人がいるということ」

 

一呼吸置いて、ここでも今でもない遠くを見つめるように、クレアは語る。

 

「時代が変わっていくのと一緒に、自分達の常識が世界に通じなくなっていくことを、怖がる人たちがいるの」

 

誰かのせいにしないと気が済まないのね。

クレアはそう言ってスープのおかわりを注いだ。

 

「......そうか」

 

マルクには難しいことは分からない。だが、理解が及ばないものが恐ろしいというのは分かる気がする。それで実は自分が本当に恐ろしい存在になって、何かを傷つけてしまうのだ。

人間だけじゃない、動物にだってある当たり前の不幸。

 

「それでも、君があんな目にあっていい理由には、ならないじゃないか」

 

マルクは独り言のようにやるせなく呟いた。クレアはスープを飲む手を休め、意外そうにマルクを見たあと、優しく微笑んだ。

 

「ありがとう」

 

 

 

 

それから思ったよりも長く、マルクとクレアは一緒に生活することになった。

ほとぼりが冷めるまでという約束だったが、魔女が逃げた噂はなかなか消えることがなかったためだ。

噂を流したのは、あの夜にクレアに倒された見張りの男だった。死んだのではと思っていたから、町で血眼になって魔女を探している男を見たときは驚いたものだ。

 

「殺したって?まさか。麻痺針で刺して眠らせただけよ」

 

クレアは当然でしょと、無い胸を張っていた。彼女は魔女であるが、優しさまでは人の理から外れていない。少なくともクレアとはそういう魔女らしい。

 

三ヶ月も経てばようやく噂も落ち着いてきたが、その頃にはマルクにとっても、クレアにとっても、お互いがいる生活が当たり前になり始めていた。

慣れというのは偉大なもので、最初は物を浮かせたり、手も触れずに火を起こすクレアに仰天していたマルクだったが、そんな光景もすっかり日常に溶け込んでしまった。

マルクが一番困ったのは彼女がサプライズ好きだったということだ。

つまり、いたずら好き。いっそ情熱的とすら言えるそれは、マルクの中にあるクレアの第一印象を大きく変えた。

山に木を切り出しに行ったとき、やたら頭をつついてくる鳥がいると思ったらクレアの使い魔だったり、他愛もない会話をしている最中に突然マルクを魔法で浮かせたりしてくる(重かったのか、その後すごく疲れているようだったが)。

さらには、マルクが風呂に入っているとき裸で突入してくるなど、時には魔法を使わずに、文字通り身体を張ったいたずらまで仕掛けてくる始末だ。

クレアのいる生活は話題と喧騒が尽きない。

 

「君はもっとクールな人だと思っていたよ」

 

マルクがそんなことを言ったら「どういう意味よ」と箒を武器に追い回されたこともある。

けれど、マルクはそんな彼女を好ましく思っていた。

そのサプライズ精神で、たまにマルクが知らない珍しい料理を作ってくれたりするし、何よりいたずらが成功したときに子供みたいに無邪気に笑う彼女が愛しかった。

そんな風に過ごしている内に、いつしか隠れ家云々の話しは自然にされなくなっていった。

 

相変わらず各地では魔女狩りが行われている。話題に事欠かないらしく、町へ行ったとき必ずと言っていいほど耳にする。

聞くたびに憤りを感じるマルクだったが、あの夜の蛮勇めいた熱いものが込み上げてくることはなかった。クレアの顔が浮かんで、喉のあたりまで来たそれが引っ込んでしまうのだ。

ほどなく、自分は臆病になったんだと自覚した。表立って魔女をかばえば自分があっけなく死ぬ。そうしたら優しいクレアは悲しむだろう。最悪、彼女も巻き添えになる。

守りたいものができたと言えば聞こえは良いが、どうにかしたいと思うだけで行動しない自分が腹立たしい。

このままでいいのか。彼女を本当に幸せにしてやれているのか。最近よく考えることだ。

マルクは知っている。クレアが魔女として得た知識と技術を、人の役に立てたいと願っていることを。

マルクは知っている。今も罪のない一般人やクレアのように優しい魔女が、拷問に血を流していることを。

思いが積もっても唇を噛み締めるばかりで、世界に何も影響はない。マルクは自分の無力を棚に上げるほど考え無しではないし、かと言って割り切って諦められるほど大人でもなかったのだ。

楽しくも複雑な気持ちを抱えながら、時間はあっという間に過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

「西の遠い町で、大規模な魔女狩りがあったらしいよ」

 

共同生活を始めて一年が経ったある日のこと、町で出稼ぎを終えて帰って来たマルクは、何気ない素振りでクレアに言った。

 

「そう。本当に飽きないわね」

 

薄く伸ばしたピザ生地に、ジャガイモとベーコンとチーズを散らしながらクレアは短く答える。大瓶から赤い粉を大量にぶっかけているのを見て、マルクは悲鳴に近い声を出した。

 

「ちょっと、唐辛子をそんなに入れなくても」

 

「パプリカよ。この前、生のを買ってきてくれたでしょ」

 

乾燥させてパウダーにしておいたと言う。料理においては魔法に頼らないのが彼女の流儀らしい。理由を聞くと、苦労した方が楽しいものだと笑っていた。100年も生きている彼女が言うと含蓄がある言葉だ。

 

釜の温度を厳めしく計っているクレアの横顔を見て、マルクはどこかやるせない気持ちになった。

以前、あの夜のような勇気がわかないという話をクレアにこぼしたことがある。

何となく弱気に流されて言ったことだったが、クレアは優しく、

 

「悩まなくていいわ。無理をしなくてもいいの。私はあなたがいなくなるなんて嫌よ」

 

とマルクに口づけた。

その笑顔がどこか寂しそうだったことを、マルクは今も覚えている。どうにも彼女が初めてこの家に来た日、雨を見つめながら見せた表情と被って仕方がなかった。

 

 

 

 

結局辛かった赤いピザを食べたその深夜、マルクは尿意に起きた。そして、いつも隣で寝ているはずのクレアがいないことに気がついた。ランプを片手に家の中を探してみるが、人の気配はなく、どうやら外に出ているようだった。

魔女である彼女のことだからそう心配はいらないが、熊なんかに襲われたらと思い、急ぎ着替えて森へ探しに出た。

 

家を出ると、微かに歌うような声が聞こえてきて、それを頼りに行くと、すぐに彼女を見つけられた。

クレアは家のすぐ側にある湖のほとりに腰かけていた。

月明かりに照らされ、淡い星空を見上げて歌う彼女は美しく、息を呑む。

彼女は歌を歌う。

それはいつか聞かせてくれた、まじないの唄の数々とは違う、マルクの知らない歌だった。

 

『いつか見た景色は移り行く

流れる時間は寂しいもの

たまに不安にもなるけれど

いつもあなたが側にいる

あの日あなたがいてくれたから私は私でいられるの

あの日あなたが手をとったから私は勇気を貰えたの 』

ここの湖のように澄んだ歌声。心臓が強く脈打つ感覚がした。

それは、あの夜から忘れていたものだった。

山の冷えた空気にクレアの綺麗な声はよく通る。

呼応するように、マルクの腹の底から頭のてっぺんまで一気に熱いものが湧き上がった。

 

「クレア」

 

マルクが呼びかけると、歌うのを止めて振り向く。少し驚いたように固まったあと、クレアは苦笑した。

 

「聞かれちゃったわね。ちょっと恥ずかしい」

 

マルクはゆっくりと歩み寄って、クレアの隣に座る。

 

「これは魔法とは関係ないのよ。私がまだ人間だったとき、まだ少女だったときに作った、拙いただの歌」

 

懐かしそうに言う彼女の手をマルクは握った。強く、握った。

彼女が息を呑むのが分かる。いつもと違う感触に驚いたのか。ひょっとしたらあの夜も、彼女はこんな風に驚いていたのかもしれない。

血が通っていないかのようなその手を握り、はっきり言う。

 

「クレア、お願いがある」

 

「どうしたの改まって」

 

「君の本当の名前を教えてほしい」

 

再び彼女は呼吸を止めて、目を見開いた。

魔女の本名。彼女たちの最大にして最後の秘密として知られている。そしてそれは、間違いだらけの教会の教えの中で、数少ない真実の一つである。

 

「それが何を意味するか、分かっているのでしょうね」

 

そう言って、彼女はあの夜のように睨んでくる。

いいや。その瞳が心なしか揺れているのが印象的だ。

 

「ずっと考えていたことがあるんだ」

 

マルクの瞳は揺れない。真っ直ぐに彼女の不安と期待が混ざり合った目を見る。

 

「たった今、それが夢になった。どうしても叶えたいと思う夢ができた。途方もないおとぎ話のような夢が。それを一緒に叶えてほしい」

 

ずっと、一緒に。

 

マルクが緊張からか、若干上擦った声で言う。

残念なことに決まりは悪かったが、十分だったようだ。

目の前の彼女は泣きそうに笑った。

 

「いいわ。教えてあげる」

 

次の瞬間には、実際に泣いていた。涙が足元の草むらに落ちる。

 

「その代わり、あなたのことも教えて。あなたの夢の話を、私にたくさん教えて」

 

 

 

 

 

 

男は眠りから目覚めて、秘書を呼んだ。仮眠は予定していたより短く済み、太陽はまだ地平線に沈んでいないようだ。

砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーをすすりながら窓を開け、外を眺める。この部屋は街の様子を一望できる場所に造られていた。

大通りに建ち並ぶたくさんの出店に、その間を行き交う人々。皆、不安なく活気に満ちて見える。男は満足そうなため息をついた。

 

平和。平和だ。誰かのせいにしなければいけない時代は終わったんだ。

 

大規模な魔女狩りが行われ始めてからずいぶんな年月が経った。

あの忌まわしき風習は、産業革命という時代の波にすっかり押し流されてしまった。大きな国内での戦争があってからこっち、当時猛威を振るっていた宗教派閥も大人しくなり、今は束の間の平和が訪れている。

身一つで町を興し、この平和を掴むのに何十年の時を経たか。どれだけ技術革新の後押しと、政治介入に奔走しただろう。

秘書からスケジュールの説明を受けながら、男は過去の感慨に目を細めた。

 

「あの」

 

秘書が説明を区切りが良いところで止め、男に問いかける。

 

「ああ、大丈夫。ちゃんと聞いているよ」

 

言われて、秘書はばつが悪そうに頭を掻いて答えた。

 

「いえ、そうではなくて。市長は本当に若く見えます。秘訣などがあるのでしょうか」

 

よく聞かれることだった。女性にとっては死活問題ですらあるようだ。

市長と呼ばれる男は、その年齢よりずっと若く見える笑顔で言った。

 

「妻がね。そういうことに詳しいのさ」

 

 

 

 

 

おしまい

 

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