再投稿。
※
ジャティスの朝は早い。王族として、次期国王として、厳しく育てられたジャティスにとって朝とはのんびりと寝ていられるような時間ではないのだ。
ある友人が出来てからは少し揺らいだが、それでも幼い頃からそう教えられてきた習慣は変わりはしない。
込み上げてくる欠伸を嚙み殺し、気を引き締めながら身支度をいつも通りにしていると、コンコン、とノックの音がする。これもいつもの時間通りだ。流石に彼には敵わない、とジャティスは苦笑して返事をする。
「おはようございます、ジャティス様。今朝の御気分はいかがでしょうか」
「ああ、おはよう、ハイデル。今朝もいつもと同じ………いや、気掛かりはあるかな」
「…………ゼロ様の事でございますか」
やはりハイデルには分かってしまうらしい。
執事であるハイデルは既に齢六十を超えているはずだが、正しく歳を重ねた人間はこうも観察眼に優れる物なのかと、ハイデルの慧眼にジャティスは内心感嘆して首肯する。
そう、得難い友人であり、ジャティスにとっては好敵手でもあるゼロは、昨晩から行方不明になっている。
最後に会話した時は王城へ襲撃して来たヒノという男が気になるから酒でも飲みに行く、とアホな事を言っていた。
高価な酒じゃなくても良いと言うから、意趣返しに王都に住む人間から、無駄に度数だけは高く、とんでもなく安いと有名な酒だけを選んで包ませてやったのだが……。
「その様子を見るに、ゼロはまだ帰ってないのかな」
「はい。残念ながら……」
もうすぐ日が昇るだろう時間に、彼はまだ帰っていないらしい。
そもそも酒と言っても、向こうがそれに乗る事が考えられない。何の得も無いのだから、対峙した瞬間に戦闘になるのが普通だろう。
そしてゼロがまだ帰らないということは。
「いかがいたしますか、ジャティス様。御希望であれば城の衛兵に捜索させますが」
「ん?ああ、それはいいよ。どうせそのうち姿を見せるさ。僕の勘ではーーー遅くても昼頃かな」
彼についてそこは心配するだけ無駄、と結論付けてハイデルとの会話を打ち切る。
ハイデルはジャティスが内心では気が気では無いだろうと慮るような顔をしながら部屋から出て行ったが、ゼロの生死について、ジャティスは全くと言って良いほどに心配はしていなかった。
勝ち負けで言うならばゼロだって完璧ではない。負ける事もあるだろう。
だが、こと生き残る事に関しては他者の追随を許さないのがゼロのゼロたる所以である。
彼は真正面から戦って完全勝利することを好むが、自分がこのままでは死ぬ、と判断した時には戦闘を続けることに頓着しない。それこそ、背後に誰かが居ない限りはまず自身の安全を優先するだろう。意地を張って死ぬよりは、『逃げるんだよおおおおおおーーーっ‼︎』と脚がもぎ取れるまで走った方が賢いだろ、と以前自慢気に言っていた。
ジャティスからして見れば、理屈は分かってもそれを実行出来るかは甚だ疑問だったが。大体、彼ほど強ければまず以ってそんなピンチに陥らないだろうに。
そう思うジャティスは知る由も無い事だが、ゼロの場合は背後に誰かが居ない状況の方が少なく、且つ命の危険はかなりの頻度で向こう側からやって来るため、純粋に逃げた事など数えるほども無い。取らぬ狸の何とやらである。
ドン、ドン。と、今度は焦るようなノックが響く。
「これは………噂をすれば、かな?」
ハイデルが退室してから数分と経過していないが、これがゼロの帰還に関することと判断したジャティスは自らドアを開けることにした。
「やあ、もしかしてゼロが帰って来たのかな?」
「あっ……!ジャティス様、早朝に申し訳ございません!その……、私だけでは手に負えず……!」
「……………どうしたんだい」
自然と声が鋭くなってしまう。
ドアの前にいたのはレインだった。が、様子がおかしい。まるで何かに怯えるように忙しなく視線を動かしながら涙目にすらなっている。
何かあったのだろうか。
「本当に申し訳ありません………。どうしてもジャティス様に頼みたい事があると聞かなくて………!」
「いいから。一体何があったんだい?もしかしてゼロに何か」
「おぉ〜、そぉこにいるのはジャティス君じゃあ〜ないかね〜!」
「あったの、か……い」
「申し訳ありません……‼︎」
もう一度そう謝罪するレインの背後から千鳥足で姿を見せたのは顔を真っ赤にして、数メートル先からでも判別出来るほどに全身から酒気を迸らせる
なるほど。これで合点がいった。誰だって既に導火線に火が点いた爆弾の前に行けば挙動不審にもなろう。しかも導火線の長さが分からないときた。元々小心者のレインにはさぞ辛い時間だったはずだ。用があると言っているので自分は仕方ないとしても何とかレインだけは逃してやらねば。
とはいえどこに逃せば良いのかはわからないが。そこまではジャティスも面倒見切れない。自分の身で手一杯である。
そもそもにして目の前の酔っ払いが本気で暴れれば最悪国が滅びてしまうのだからこの考えは無駄かもしれない。だが、とりあえず視界に入らなくなれば気は休まるだろう。
「あー、レイン。案内ご苦労だったね。そういえばアイリスが呼んでいたような気がするから、早く行ってあげてくれないかな。大至急だ」
「え………?あっ、は、はい!それではジャティス様、ゼロ様、失礼致します‼︎」
ジャティスの気遣う言葉に目をパァアアアッと輝かせ、素直に好意に甘えようとするレイン。
アイリスの部屋がその方向にあるからには仕方ないのだが、一礼をして止せばいいのにゼロの横を通り抜けようとする。
それを逃す
「いやあ〜、困るよ〜、レイン君。困る困るUMR……なんつってな。レイン君にも頼みたい事があるからねえ、ここで俺の話を聞いてもらおうじゃあないのぉ」
「ヒッ⁉︎」
ゼロの腕がレインの肩に回る。
さすがに彼女に手が伸びた時にはジャティスも止めようとしたのだが、以前酔ったゼロと接した時とはどこかしら違う気がして躊躇われた。
「…………?ゼロ、君もしかして酔ってはいないのかい?」
「おまえは俺のどこをみてそう思ったんだぁ〜?酔ってない訳ないだろがぁ。酒なんざ浴びるほど飲んだっつーのぉ。
んじゃがまあ、あの、あれだ。……何じゃっけ?」
「知らないよ」
「冷たいねぇ、もっと優しくしろよぉ。………んあ〜、まあおまんらが心配するような事にはならんぜよ。
俺の身体は特殊でなぁ、多分酒にも強くなったんだろぉ?とりあえずぅ、暴れないぐれぇの理性はあるから安心アンコールワットォ」
要領を得ないが、要するに意識はあるようだ。理性的に話せているとは到底思えないが、ならばある程度は融通を利かせる事もできる。
「レイン、悪いけどもう少し付き合ってくれないか。ゼロにも考えがあるみたいだし、必要な事かもしれない」
「えっ。はぁ、今のゼロ様に考える頭があるのでしょうか………」
「ははは、レインも中々言うね」
彼女はこんなに容赦がなかっただろうか。それともゼロの酒臭さに当てられて酔ってしまったのだろうか。どちらにしてもとりあえず残ってはくれるようだ。
正直な話、いくら自分で意識があると言ってもこの状態のゼロを一人で相手するのは精神的にキツい部分があるので助かる限りだ。
ひと段落付いたらレインの家に何かしら取り計らってやるのも良いかもしれない、とジャティスからの評価が相対的に上がるレインであった。もちろんこの場合に相対的に下がるのはゼロの評価である。
酔っ払って人様に迷惑をかける人間への慈悲などこの世界には存在しないのだ。十六歳から成人として飲酒を認められるのも、全てに於いて自己責任が課せられるからでもあるのだから。
「なぁなぁ、紙を数枚とペンをくれないかぁ?ちょっと用意してほしい物があってな、それをリストアップするからなぁ?」
「ああ、ちょうどここにあるから好きにしなよ」
「WRYYYYYYYYYYYYYYYYY‼︎」
「は?」
「ジャティス様いけません‼︎気持ちはお察ししますが、腹が立ったからといって殴るのは………!」
何故か腹が立って腕をゆっくりと振り上げると、レインに縋り付かれながら止められてしまう。
おっといけない。特に理由も無く暴力を振るってしまう所だった。
彼はなぜこんなに人のカンに障る言葉ばかり選ぶのだろうか。こちらを煽っているのだろうか。意味は分からないのに絶妙に人の神経を逆撫でするのが上手いから対応に困ってしまう。
少し落ち着かねば。いくらなんでも今のは手が早過ぎる。とても王族として正しい行動とは言えないだろう。
「……うん。すまないね、レイン。もう大丈夫だよ、僕が悪かった」
「あ……、いえ、こちらこそ非礼をお許し下さい」
ジャティスを止めるために決して強くない腕力を振り絞っていたレインが力を緩める。
こういう時に物怖じせずに主を諫めてくれる臣下のなんと有難い事か。アイリスはその辺りをまだ良く分かっていないが、ジャティスは違う。
どんな立場になろうとも間違える事があるのが人間だ。立場が上だからといってその間違いを放置すれば、取り返しの付かない事態を引き起こすかもしれない。
それに対して注意を促し、是正するのも正しい家臣のあり方であると、ジャティスはそう思っている。上に立つ者はそれに耳を傾けなければならないとも。
今回の件はそれを更に深める事に繋がった。それだけでもゼロには感謝してもいいかも………。
その時、ゼロがさらさらとペンを走らせながらこんな事を言う。おそらくレインがジャティスの腕を止めた時の事を言っているのだろうが、甚だ誤解、と言うよりも完全に捏造である。
「『タイトル:国民震撼‼︎ベルゼルグ第一王子と臣下の貴族の熱愛発覚⁉︎』っと。…………な〜、マスゴミの真似してんだけどちっとも楽しくないんだけどぉ、あいつらは何が楽しくて人を貶めるような事ばっかすんのぉ?」
「君は僕を怒らせた‼︎」
「『筋力増加』‼︎」
今度は正当な権利とばかりに躊躇無く殴りかかるジャティスに、先ほどとは打って変わって支援魔法を掛けて援護するレイン。
上の者の間違いに進言するのが臣下の役割ならば、正しい事をした時にそれを後押しするのもまた臣下の役割だ。
ここに最も理想とするべき王族と家臣の関係が誕生した。
…………その矛が向く先については言及しない方針で。
マスコミ:「楽しい訳じゃない、仕事だから仕方ないんだよ」