旭日は夢と散る   作:ククルス

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800文字追記、修正。(18.1.22)


一話 それは夢か幻か(改訂)

京都。

かつて國の中心で在り、今でもこの地に住まう人々は信じている。

最も清く尊い方々が御所に戻られると…そんな歴史ある都が平和を享受してはや七十二年の時が流れた。

 

既に陽は落ち空は暗く、薄闇が夜を知らせる中、日本屋敷らしく大きく広い造りに老爺は中央に敷かれた布団で横になり、傍を男が見守るように見つめている。

 

老爺の名は久那貞(くなさだ) 一也(かずや) という。

既に百寿を迎えており、先が永くないことを自他共に理解していた。

久那貞の顔に刻まれた皺は深く、これまで歩んだ道筋が決して楽なものではなかったことの証左でもあるのだろう。

 

誇りも高き海軍軍人の一人として、そして皇室の血を僅かなりとも受けた家系として将官の任を全うした彼を待っていたのは敗戦後の日本という現実。

這う体で焼け野原となった東京を駆け実家だった場所を探す。

分かったことといえば両親はとうの昔に亡くなっていたこと。

妻も再会して間もなく酷い火傷でこの世を去っていたそうだ。

 

それでも自暴自棄にだけはならず戦争孤児を養子として育て戦後は自衛隊で経験を伝えてきた。

義理とはいえ息子の目から見ても、激動の時代を駆けながらも父が不満を口にしたことは彼の知る限りない。

今以て、父のその瞳は穏やかで凪いでいて悔いのない人生だったのだろうか…と息子である男でもそう思ってしまうほどに満たされた表情をしていた。

 

だが老爺の、一也の胸中は違う。

 

あらゆる事に悔いがあった。

家族の事も自らの艦を沈め、部下の多くを失ってしまった事だってそうだ。護る為に戦って逝った戦友の多くが、感じている筈なのだ。

 

——こんな筈ではなかった、と。

 

後悔など数え始めれば限りがない。

息子たちや社会は評価してくれたが、一也は生き恥を晒してでも何かを残そうとしたに過ぎない。

 

ただ…。

 

「父さん、雪だよ…降るかもとは言っていたけど道理で寒い訳だ。」

 

息子が縁側を見てそう口にすると、

硝子戸を閉めに行こうと立ち上がる。

そんな息子に一也は声を掛けた。

 

「そうか…。閉めなくていい、きっと…これも見納めだ。」

 

息子も尊敬する父の最後の希望とあっては、聞かぬ道理もないと小さく頷くとまた腰を落とす。

 

一也は首だけを縁側に向け、霞んでよく見えなくなった眼で外を見た。

朧気に降り注ぐそれを眺めながら息を吐く、それだけの行為を三度。

 

ただ、不本意ながら諦めた。

 

人生とは儘ならぬ。

それは程度の差こそあれ、誰もが胸裏に抱く共通想念。

だからこそ、次の人生では。

否、人生は一度きりであるから生き足掻いたのだったか。

 

そんなことを考えながら一也は目蓋を閉じ息を引き取った。

 

そうして彼の人生は幕を閉じた、筈だった。

耳朶に届く音が、声がある。

 

 

「その力、血が失われるのは惜しいと感じている。」

 

 

老爺は既に息を止めている。

 

にも関わらず老爺に語り掛けてくる声が存在した。

息子ではない、それは年若い少女の声だ。

娘や孫が居ない訳ではなかったが息子を通して見舞いは禁じて久しい。

 

 

「その熱意、後悔が誠成るならば……。」

 

 

淡々と告げる熱の感じない声。

それでいて海の中で反響する様に何度も重なって聞こえた。

 

——君は誰かな、すまないが目が見えないんだ。

 

 

「……今一度、救いを。」

 

 

何かが私の頬を触れる。それは手だ。

驚くほど冷めたい手、声の主のものか。

身体に残る熱を奪われるように、今度こそ意識は落ちた。

 

 

誰もいなくなった室内。正確には人ではない者は居た。

老爺には白布が被せられ何処かでは人の泣く声がする。

人に視認されることのない、肌に髪すら白く透き通った女は老爺の頬から手を離すと地面へと沈んでゆく。

床はまるで海のように波を打ち、その姿が消えるまで女の瞳は蒼い光を放っていた。

 

 

 

 

1926年-3月 ???

 

「さて、どうしたものか……うん、まずは名前だな。」

 

静寂に包まれた筈の世界に音が聞こえた。

 

「何がよいか、春の夜に生を受けた子…春夜(かすや)では安直に過ぎるし何だか響きも悪いか…。」

 

女の声だ。先の声とは違う、暖かみをもった声。

 

「うーん、(かす)…。いや、(かず)一夜(かずや)。」

 

「良し。坊、お前の名は一夜だ!」

 

耳に力強く届く鈴の様な音色に優しく撫でられる感覚。

夢見心地のまま、一也は…もとい一夜は重い目蓋を開いた。

否、見開いた。

 

「む、起こしてしまったかな。」

 

視界に映ったのは若く美しい娘の姿だった。

軍装、それも海軍の意匠を感じさせるそれを纏っている娘。

やや困り顔ながら力強い瞳に見とれたのも一瞬、老爺は疑問を口にしようとした。

 

「あー…う?(君は…ん?)」

 

言葉が言葉にならない感覚に疑問を覚え、次に目線の高さに違和感を抱く。周囲を見渡し、次に手の平を見た。

 

「あう、ちゃーあ!?(何じゃこりぁあっ!?)」

 

「おおっと!?どうした、お腹が空いたか?いや…それともおむつか?」

 

視界に映る小さな手の平は間違いなく赤子のそれ。

口から漏れ出た悲鳴にしてもそうだ。

老爺、もとい一夜と名付けられた赤子は我が身に舞い降りた珍事を悟った。

 

これは間違いなく、自分の手だと。

 

眼下でわなわなと震え激しく手足をばたつかせる己を見て、娘は顎に手を当てやはり困った様に微笑んだ。

 

 

 

 

1927年-9月 ???

 

暖かな陽が窓から射し込んでいる。

眩しさに目を擦るもやはり体は思うようには動いてくれない。

早いもので時が流れて、一年が経過していた。

 

 

夢であれ、夢であれと祈りながら百寿まで迎えた男が下の世話や残念ではないが哺乳瓶を口にした一年、たった一年ではあったがさながら生き地獄の心地である。無論、精神的苦痛という意味で。

 

ただ悪夢と切って捨てる事が出来ないのも偽りなき想いだった。

 

一夜がまず最初に苦労したのは生理現象との戦いだった。

赤子は食べ、寝るのが仕事とばかりに非常に短い間隔で身体が欲求不満を伝え、食べた分だけの排泄を繰り返す日々。

最初は出すのも堪えたが、筋肉がないからか抱っこされている時に噴射させてからは諦めた。

 

どの不満にしても我慢できぬほどの強い感情を抱かせるものだからたちが悪い。

我慢できずに泣き散らし、嫌な顔すらしない世話をしてくれる娘を困らせる度に言い様のない申し訳なさから内心で何度も謝罪したほどだ。

 

そうして1年、漸くある程度の活動時間と自らの意思で行動できる少ない範囲を得て自らの環境を多少知ることが出来た。

まず、室内の造りと普段から感じる身に覚えのある揺れ。

そして耳にする汽笛の音から今いる場所が船の上であること。

それも華美過ぎない調度品に鋼板を白塗りした壁は軍か豪華客船のどちらかでしか有り得ないものだが一夜は、客員はおろか船員すら目にした記憶がなかった。

 

疑問はある。

生まれ直してしまったにしては、違和感の拭えない環境に

自分を世話してくれる未だ名前すら知らぬ娘。

彼女が今生の母なのだろうか?

それにしても、その容貌は10代後半に見えるし何より常時ではないにしても軍服を女性が着ているのも疑問だった。

 

意味のある発語が可能になっていることは既に確認済みではある。

では聞けばよい、とはならないもので一夜には年齢相応の発語がどういったものか、またいつ頃から喋れるのかが分からなかったのである。

 

今なお、自らを愛おしそうに寝かしつけようとし先に眠ってしまうこの娘が如何なる存在か。

 

——悪人ではあるまい。

不器用さが目立つが真っ直ぐとした瞳から悪意は感じられない。

 

既に失せて久しい警戒心ではあるが一夜は未だに距離感を図りかねていた。

 

さて、どうしたものだろうか…。

 

一夜の内心など知る由もなく、娘は幸せそうな表情で寝息を立てた。

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