「――よっ、と」
勢い良く降り下ろしたノコギリ剣が流氷にヒビを入れた。
それはあらかじめ空けてあった穴に沿って次々と拡大し、ついには流氷を割り砕く。
――うん、絶好調!
ノコギリ剣を肩に担ぎながら崩れ行く流氷を眺めて、その結果に頷いてみた。
「ホラホラどう?ちゃんと出来たでしょ?」
昔は、流氷を砕けずに非力を嘆いた事もあったけど、今は違う。
他でもないアンタークにそれを見せられると言う事に、僕は不思議な高揚感を覚えた。
なんて言ったって、そのアンタークは直前まで懐疑的な目を向けまくってたのだ。
こっちの僕は流氷割りを試した途端腕が砕けたと言うし、いくら僕が「冬の仕事をやっていた」って言っても信じられなかったと思う。
「ああ……申し分ない見事な手際だ。その……フォス。腕は大丈夫か?」
「この通り、大丈夫だよ」
この合金の腕はその重さ由来なのか、結構なパワーを僕に与えてくれる。
そして柔らかいが故に砕ける事の無い靭性が、出来なかった事を出来る事に変えて行ってくれた。
流氷割りも……そして、戦争もだ。
ヒビなんて入り様の無い僕の腕を見て、アンタークがポツリと呟いた。
「……まさか本当に第2のフォスが現れて、雪辱を果たす事になるなんてな」
「……はい?」
「あ、いや、すまん。こっちの話だ」
――お、おのれ流氷め……今はその勝利を噛み締めておくが良い。たとえボクが倒れても、第2第3のフォスが必ずや貴様を……
……みたいな負け惜しみを言っていたそうだ。
うわあ、すごい予言だわ。言った本人もビックリだろう。
「――では、フォスは向こう側を頼む。私はこっちから回る。……まぁ、昨日まで私とシンシャが砕きまくったからな。さほど時間も掛からず終わるだろう」
「うん、了解」
アンタークは、自他ともに認める程に団体行動が苦手だ。
僕も雪降ろしの最中に誤って屋根から落とされてしまった事があったっけ。
今年の冬は月人を警戒した特殊シフトだと言うから、団体行動を始めたのも今年からの筈。
――こちらの僕も、雪降ろしの時に屋根から落とされてしまったりしたのだろうか。
ボクがやっていた冬の仕事を思い出す。
アンタークが居なくなってから、彼を連れ去った月人を撃破する事ばかり考えていた。
流氷を割り、雪を降ろし、校内を掃除しながら、いつも空ばかり見ていた気がする。
仕事の内容は多く、厳しかったけれど……アンタークを思い出したら、辛いと思う気にもなれなかった。
――ねえ、アンターク。
僕はずっと、君に見て貰いたかったんだ。仕事ができるようになった僕を、君に見て貰いたかったんだよ。
でも、君は僕の身代わりになって連れて行かれてしまった。
……ああ、そうだ。
その時からきっと、僕の中では……『仕事』と言う物が、無価値になってしまったのかもしれない。
冬の仕事も、戦争も……僕にとっては『ただの危険な作業』になってしまったんだ。
――なら、今は……?
ノコギリ剣を振り下ろす。
流氷にヒビが走り、割れて砕けて沈んでいく。
その景色の向こうに、同じく流氷を割り崩したアンタークが見える。
この世界が夢であるのならば、その夢の中で生きるアンタークは幻なんじゃないのか――?
『――当たり前だよね』
声が聞こえる。
声がする方へ振り返っても誰もいない。
……いや、僕は知っている。
『いくら君がここでアンタークを救っても、それは全部無駄になるんだ』
流氷が、喋っていた。
「……不安を反射して増幅する、か」
昔、先生に教わった事だった。
流氷の持つ性質。
……こいつ等に何かを言われるのは慣れている。
性格悪いクセに、あんまり落ち込むと逆に慰めてくれる時もある。
今は性悪モード全開だ。こういう時は早めに割るに限る訳だけど……
「ああ……相変わらず痛い所をグサッとくるよね、君たちはさ……」
――アンタークを救っても、全部無駄か。
全部僕の見ている妄想だ……当たり前の話だ。
「――おいフォス、大丈夫か?」
「ん、え?」
気付けば、アンタークが僕の傍まで来ていた。
手が止まってしまっている事から心配させてしまったらしい。
「ああ……ごめん、アンターク。大丈夫……こいつ等に何か言われるのは、慣れてるんだ」
「こいつ等?」
アンタークが怪訝な顔をしている。
そりゃそうだ、ここには僕とアンタークの二人しかいない。
僕が幻覚でも見ているのかと疑っているのだと思う。
――君の幻覚は良く見たんだけどね、アンターク。
「流氷だよ。――こいつらが喋る事は、知ってるだろ?普通の石は何を言っているか聞き取れないらしいけど、僕はしっかり言葉が解るんだ」
「……アドミラビリスのインクルージョンか。ウェントリコススにお前も食われた事があるんだったな。……流氷とも、話せるようになるのか……」
話が早いな。
そう言えば、僕の時はアドミラビリスの一件を記憶の喪失で報告出来なかったけれど、こっちの僕は国交を結ぶまで持って行ったんだっけ。
しかも、アドミラビリスとお話しできる原因についても定説をつけるに至ってた。
それらの情報があれば察しもつくか。
「――こっちの僕は、流氷が喋る事は言って無かったんだ?」
「瞬く間に流氷割り禁止令が出たからな。聞き取る時間も無かったんだと思う。……ところで、なんと言われたんだ?」
意外にも、アンタークが食いついてくる。
「……大した事じゃないよ」
「大した事だ」
怒ったように、アンタークははっきりと言い切った。
「先生が昔言っておられた。流氷は、見る物の不安を反射して増幅させる性質を持つそうだ。ならば、そいつらがお前に何かを言ったのであれば、それは今お前が不安に思っている事の筈だ」
……。
……ご明察です、アンタークちん。
観念して嘆息した。
「――もし僕が見ているものが夢であるなら、何をしても無駄なんだって指摘されたよ」
僕の口角は意図せずとも、自嘲気味に歪んでいたようだった。
アンタークが問いかける。
「では、もし夢でなかったとしたらお前はどうしたい?」
「……え?」
夢でなかったら?
……認めろって言う事か?
僕が月に送ってしまった石達が無かった事になっていて、過去の失敗も無かった事になっていて……そんな都合のいい世界に生きても良いって事か?
……僕の生きていた世界を忘れて?
それは――甘い真綿で首を絞められ続けるような話だ。
「あのな、簡単な話なんだ」
アンタークが眉に皺を寄せて僕に言う。
「これがもし夢なら、何やっても無駄だ。無駄なら、別に何やってもやらなくとも良いと言う事だ。
なら、夢でなかったら?……何もやってなければ後悔する。なら、どっちにしろ何かやった方が良いに決まってる。違うか?」
「……。
……それは……その通りだと思う」
ぐうの音も出ないロジックだ。
「こっちのフォスは、お前の夢を良い夢にしたいと言っていた。……私も、それに賛成した。
だが、お前が良い夢にしたいと思わなければそれが叶う事は無いだろう」
「……」
「過去の失敗だのなんだのと色々渦巻いていると思うが、とりあえずその辺りは一度忘れて欲しい。考えた所でどうにもならないし、それを持ち出されても私たちとしては何と言うか……その、困る。実際は私たちとは関係のない話だしな」
――どうしたいか。それは決まってた。
アンタークを守りたい。例え夢の中でもいい。僕でもアンタークを守れるんだと……その光景を信じたい。
そうだ、前提が違う。……僕はたとえ無駄でも、夢でも良いと思ってるんだ。
「良い夢にするつもりは、あるさ。こっちの僕とも約束した。何もしないで終わるような事もないよ、アンターク。そこは安心して欲しい。
……でも、一度全部忘れると言うのは無理かな。それに……関係のない話、で終わる事も出来ないと思うよ」
「そんな筈はないだろう。こっちでは起きてないんだから」
「そんな筈はあるさ。君はきっと怒る」
怪訝な顔をしているアンタークに笑いかけた。
ああ、そうだ……君はきっと怒るだろう。
でも、だからこそ、僕はそれを言うつもりはないんだ。
この夢は、良い夢にしたいから。
「……仕事を続けるよ、アンターク。手を止めさせてしまってゴメン」
「おい、待て」
「まあ、めぼしい流氷が殆ど消えてるのは想定外だったよ。もう少し沖も探してみようか――」
「だから待て」
――ぐえ。
結構強引だなアンターク。襟首掴んでまで引き留めるのか。
「あのな、フォスフォフィライト。言っておきたい事が2つある。
――ひとつめは、沖の流氷を砕きに行くのはやめろ。特にこんな風に雪が降っている日は尚更だ。距離と方角を見失って戻って来れなくなる。
ふたつめは――私を舐めるな。具体的には判らんが、どうせお前が気に病んでいる事なんて、先生と月人関連だろう?」
――ギクリとした。
「……なんで……?」
「わかるさ。ウチの連中が大抵通る道だ。――今年からは少し毛色が変わって来た様だがな。
先生を問い詰める為に取り返しの出来ない行動でもしたか?それとも月人に寝返ったりとか?最悪仲間を差し出したとしても――言い切ってやる。
『忘れろ』――ここでは関係ない」
アンタークの言葉が信じられなかった。
アンタークは、先生を一番に考えていた筈だ。だから、アンタークの言うような実績を持つものが居たら、きっと警戒した上で排除しようとする筈だ。僕を絶対許しはしない筈だ。
その筈……その筈、だよ、な……?
……これも、僕の夢だから……?
「――君もなのか、アンターク」
絞り出す声が震えている。
「優しいんだみんな!こっちの僕も、先生も、シンシャも……みんな優しいんだよ!僕に何も聞かずにいてくれるんだ!!こんなに怪しい僕なのに!!
……ただ……僕の夢だからって、こんな……こんなの……っ!」
「……みんなを捻じ曲げているように感じる、か?」
罪悪感が半端ないんだ。
僕はきっと、僕の都合の良いようにみんなを動かしてしまってるんだ。
――そうする事で、色んな物から目を逸らそうとしている事を、突き付けられているようで。
「……お前は、根本的な所を勘違いしている」
アンタークが呆れたように口にする。
「私たちが何も聞かないのは、聞く必要が無いからだ」
……。
……?
「お前は私たちが聞くまでもなく、自分からかなりの事を喋っている。お前の過去を分析するには十分な情報をだ。だから聞く必要がない」
「……え?」
顔を上げた。
「フォスに対して結構零してただろう?あいつはちゃんとそれを記録して分析して、お前の心労を掛けないように立ち回った上で、分析内容を報告してる。気になるなら後でフォスにその辺り聞いてみろ。全てとは言わんが、おそらくアイツの纏めている事項はおおよそ網羅している筈だ。
お陰で早急に聞いておくべき項目がない。だからその辺りに踏み込んで居ないだけだ」
「え……え?」
ちょっと待って。
想定してなかった方向に話がズレて来てると思う。
こっちの僕が……なんだって?
「……お前が真っ先にやるべき事が分かったよ。まずは、私たちが辿った歴史を……フォスフォフィライトの事を、きちっと学ぶべきだ。
フォスの説明だけじゃだめだ。アイツは要点を伝えるのはうまいかもしれないが、なぜか自己評価が低いから自分の為した事についてはサラッと流す傾向がある。
そういう私も特異な体をしている性質上、アイツと話す事はあまりないのだが……アレキやユークのレポートを読めば、どう言う奴かおおよそ見えてくるだろう。
その後は、頼ってみろ。構えるのがバカらしくなるほどアッサリ請け負ってくれるぞ、多分」
@ @ @
結局、流氷割りは少しやったあたりで切り上げになった。
元々シンシャとアンタークがかなり進めていたので、当面やらなくて良い状態にはなっていたのだ。僕とアンタークが一緒に外回りする事になったから、惰性で出ていたようなものだ。
4~5日ほどは流氷割りに出なくても問題ないだろうとアンタークは言う。
帰り道をたどる時間は、僕と話をする時間として使ってくれた。
「――総合顧問?」
「ああ。あとは、博物誌編纂と……アマルガム計画主任も入れて良いだろうな」
話を聞けば驚く事ばかりだ。
こちらの僕は、手も足も変わってないしラピスの天才も無いのに、いくつかの仕事についていた。
博物誌の編纂は僕もやってた。でもその仕事は、何も出来ず不器用で脆い僕でも出来るようにと、先生がなんとか用意してくれたモノで……僕はそれを、退屈でしょっぱい仕事だと放り出してしまっていた、筈だ。
……今となってはもうほとんど覚えていない。
こちらの僕もやはり脆くて不器用なのは変わっていないらしい。アンタークもそう評価しているし、彼自身もそう言っていた。
それどころか、かつての僕以上にパキパキ割れているようにも思う。酷い時には週に8回割れるとか、流石に僕もそこまで脆くはなかったと思う。どういう生活していればそうなるんだ?
お調子者であだ名は『アフォス』、酷い時には『アフォスぎ』なんてちょっとウマいとか思ってしまう呼び方をされ、人の話を聞かずに暴走する事もよくあるそうだ。そして大抵失敗して、みんなに(特にルチルに)迷惑を掛けたりする。
……この辺りは、僕も覚えのあるエピソードだ。
だけど僕と決定的に違う点があった。
彼は、僕の何倍も勉強家だったそうだ。
常に筆記用具を持ち歩き、めちゃくちゃ汚い字ではあるけれど、何かを調べたり書いたりしている。
僕も、僕が寝ているときにクラゲの光を頼りに何か書き物をしている彼を見た事がある。
資料作成と縁の深いアレキ、ユークとは良く専門的な話をしていて、お世話になっているペリドットやルチルとも仲がいい。
お陰で各方面の知識に造詣が深く、よくアイデアを色んな所に提供している。
『総合顧問』と言う肩書きは先生から任されたものではなく、そんな事をやっている彼に対して自然に付いたものだそうだ。
特に戦略計画については恐ろしい物があり、アレキのレポートの中に彼の補足として書かれた月人に対しての考察や、実行されると危ない戦略とその対策については、『この資料が月人に渡ったら確実に石が何名か連れ去られる』と思わせる程の物であるらしい。
少なくともアンタークはその資料を見て『自分には対応不可能だ』と評価したそうだ。
これらの補足や戦略論はユークの手で別紙に纏められ、閲覧権限を高く設定して先生の手によって保管されている。
彼に対する概ねの評価はこうだ。
――残念な時は本当に残念だが、頼りになる時は誰よりも頼りになる、この国に無くてはならない石。
「……凄いや。昔の僕とは大違いだ」
『勉強』の重要性を僕が実感したのは、色々失った後の事だった。
きっと彼はそれよりもずっとずっと前に、それを実感して実践していたのだと思う。
脆くて不器用でなにも出来ない僕にも――出来る事があったのか。
「例えお前が月人側だったとしても自分が止めて見せるから、どうかお前を受け入れて欲しい――フォスはそう懇願したよ。フォスに曰く、お前は「きっと『記憶』を持たなかった自分なんだ」そうだ。
『記憶』と言うのが何の事を言ってるのか、私には良く分からなかったが……アイツはアイツできっと現状にもある程度の説明を付けているのだろうと思う」
「……『記憶』」
僕が体と一緒に失ってきたものだ。
何の事だろう。僕も……はるか昔に、失った何かがあったのだろうか。
「……アンタークは、さ。僕のことどう思ってる?」
ひと思いに聞いてみる。
「……私とコンビを組んでいたそうだな」
「え?うん、そうだけど……それどこかで言ったかなぁ?コンビと言うか、仕事を分けて貰ってたって感じだけど」
「フォスがそう分析していたよ。あと、監視を受けた上で月人と何らかの取引をした可能性が高いそうだ」
「……え」
――言ってない。
それは判る。絶対だ。僕は絶対にその辺りは言ってないぞ。
どう分析したらそんな事が解るんだ――?
「もしそれが、私が連れて行かれてしまったせいだったとしたら……お前がボロボロになってしまった原因が、私のせいだったとしたら……
……私は、怒れないなと……そう思った」
「そんな!?そんなの関係ない!アンタークのせいなんかじゃ……っ!」
斜め上な事を話し始めるアンタークの言に、思わず声を荒らげた。
彼は今、関係ないと言っていたくせに「僕の知っているアンターク」として語っている。
「月人は、私たちの仲間を連れ去る事で私たちの心を奪って行く。
……私はずっと一人で行動して来たから、幸いにもそれを経験した事は無かった。だが、フォスが流氷割りで腕を盛大に壊した時――怖かったんだ。壊れた腕が海に落ちてどこかに消えてしまったらと思ったら。腕でそれなのに、コンビを組んでいた石を月に連れてかれでもしたら……想像もしたくないよ。
お前は、きっとそれを2回も経験したんだろう?絶望と後悔にまみれた目だと、先生がおっしゃっていた。
そんなお前が良い夢を見ていると言うのなら――私はそれを手伝いたいと思うんだ」
――わかっていた。
アンタークが親切で、厳しくて、優しい石だと言う事は……ずっとずっとわかっていた。
でも、だからってこんな……っ!?
「なんでそんな風に言うんだよ!?ここでは関係ないって言ったのアンタークだろ!そんな言い方、まるで……まるで……っ!」
僕の犯した罪なのに、まるでアンタークが贖罪しているようじゃないか……っ!
僕の慟哭を聞いてアンタークが微笑む。
「……すまんな。別に、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。関係ないと言ったのも本心だし、お前の知る私に取って変わるつもりもないよ。
――ただな。お前のような目をしている奴を袖にするような真似は、私には出来ないと思った。たとえ怪しくとも、どんな過去があっても……だ。
それは皆も同じだよ。もちろん、先生もだ」
「……僕が、嘘をついているかもよ?」
「はは、その時は間抜けがいると盛大に笑えば良いさ」
幻視する。
――それは、『はかせ』が黒点から落ちてきたあの日。
雑な躱し方しかしない先生を問い詰める自分の姿。
同じ状況になってしかるべきじゃないか。だって、頭の上から足の先まであり得ない事で埋め尽くしてる。
それなのに……大きな愛で、包んでくれるのだ。
「……バカだ……」
小声で呟いたその言葉が誰に向いているのかすら――僕には解らなかった。
@ @ @
「……君の分析結果ぁ?」
「うん」
机に向って何かカリコリ書いていた彼に、そのまま突撃してみた。
慎重にとかそう言うのはもう、トラウマになりかけているので投げ捨てた上での突撃だ。
……この頃の僕は、たいして何も考えてなかったと思って色々油断していたと思う。実際、たいして何も考えて居なさそーな顔をしているように見えたから仕方がない。
――でも、今度は油断しない。
「……なんだってそんなケッタイなモノをお求めなさるよ?」
「ダメ?」
「いや、ダメじゃないけどさ……気分よろしくないだろ、そんなの」
そう言う事をしているってのも含めて、と彼が言う。
「僕を気遣ってくれてるだけが理由なら、見せてくれないかな。
――僕は、大丈夫。大まかにはアンタークから聞いてるし」
「アンターク……融通効かないなぁ、もう……」
その手を止めて、彼がファイルしてあった幾つかの紙束をピラピラ捲り始める。
これと、これと、これと……と、いくつかの書類を横に分けている。
「答えないと見せないって訳じゃないけどさ……ホント、なんでそんなものを見る気になったの?もしかして怒ってる?」
彼の表情は、ばつが悪そうな色で塗りつぶされていた。
「いや。やっと僕が納得できる行動を君が取ってくれてたから、むしろ安心したんだ。あっさり見せようとするのは少し不可解に思ってはいるけどね。
理由だけど……君が僕をどう思っているかと、君の考え方が知りたい。……この世界を、よく知る為に」
「……なるほどね。そういう理由なら、気に入ったよ」
そして、分け終わった数枚の書類を僕に差し出してくれた。
「ありがとう――って、字が凄い汚いな!?暗号か!?」
「うるへーっ!君もフォスフォフィライトならどうせ同じぐらいの悪筆だろ!?黙って読みなさいよ!!」
「残念だけど、僕はちゃんと読める字を書く」
「なんだとうー!?」
残念ながら、僕の器用さは先生のほつれた直綴を修復できるほどに上方修正されたんだよ。字だってちゃんと書ける。
……まあ、合金の腕を付けた結果だったけれども。
それより前?……あまり、字を書いた記憶がないなぁ……
頑張って内容を見てみると、僕の語録集とそこから読み取れる分析結果が書かれている。
「これは……分析結果と言うより、メモに近いんだね」
「そもそも別紙に纏めてた訳じゃないしね。考えの整理用に書いてる代物だし。……ただ、僕の考え方が知りたいって言うのであれば、ある程度の素材にはなると思ったの」
「ありがたいね」
――そこには、客観的かつ感情のない目で僕を見た時の、記録と分析が綴られていた。
見ていて気持ちのいい物じゃない、と言う彼の言葉が良く分かる。
でも僕にとっては、ちゃんと相応に見定められていたんだと実感できるこの文書が有り難かった。
僕が倒れていた緒の浜の詳細位置と発見時刻から始まり、外見から読み取れる情報や寝ぼけて口にした語録の端々から読み取れる情報まで、まるっと記録されていた。
月に居た事。月人の手によって目を入れ替えられた事。その事から、監視機能や記録機能がこの目に埋め込まれている可能性が高い事。
起きた時の第一声が「セミ」であった事から、砕かれ幽閉されたり、何らかの素材にされていた可能性は低い事。
目の入れ替えを認識しているのであれば、月人が僕に何らかの役割を求め、それを僕が応じた事が考えられる事。
もしそうならば、何らかの取引が発生したと考えるのが自然な事。
「……スゴい……」
僕の中にあるラピスの天才が、この分析材料と内容を追従して『妥当である』と言う結論をつける。
月の事だけじゃない。四肢を欠損したシチュエーション。その時々の戦闘力評価。そして現在の予想戦闘力。
――『僕』と言う石が、丸裸にされていた。
「……やっぱり、気ぃ悪くしない?」
そんな余裕は、もはや無い。
「――君は、誰だ?」
「は、え……?いや、皆のアイドルフォスフォフィライトさんですが」
「嘘だっ!!ラピスの天才が付随していなかった頃の僕に、こんな分析が出来るほどの頭があった筈がない!!」
「その悲し過ぎる結論やめて!?それは遠回しにボクの事ディスってる!!そして君自身の事もディスってる!!」
夢であるならば、僕の想像の範囲内に事象は収まっていてしかるべきだ。
この分析ロジックは……下手したら、ラピスの天才がついた今の僕を以てしても届かないんじゃないのか……!?
「……そうか、エクメアか!エクメアが僕を起こそうと外部から刺激してるのか!」
「やめたげてよう!?その『自分はバカなのだ』って言う結論から話進めるのやめたげてよう!?なんか凄く悲しくなるから!!」
――少しの間、混乱から収拾がつかなくなったりする。
……気がつけば僕は、心に貯めていたドス黒い泥を項垂れながら全部喋っていた。
「――だから僕は、先生を動かすために、新しい刺激を加える為に……先生を裏切る事に決めたんだ」
先生と月人の関係を疑った事。
月人の言語を探ろうとした過程で、ゴーストを連れて行かれてしまった事。
カンゴームの協力を得て、月に乗り込んだ事。
月では皆が粉にされていた事。
月人の目的は、先生を道具として動かす事で……誘拐は、先生を煽る為だった事。
そして先生を動かす事が出来れば、仲間を連れて行く必要はないとエクメアが言った事。
もう近いところまで分析されていたから、それならばと開き直って全部喋っていた。
彼は、僕を怒るでもなく咎めるでもなく、僕の話をじっと聞いていた。
「……ありがとう。辛かったね」
心なしか低い声だった。
でも、その内容は優しかった。
「やめてくれ!僕を愛で包むのは……っ!混乱するんだ……なにも考えられなくなる……っ!」
崩れた両手で目を覆う。
正気に戻るな。考え続けろ……僕はずっと、自分に言い聞かせていたんだ。
「――ムカつくよな。なんでそんな事の為に、ボクたちがこんな心を砕かなきゃいけないのかって」
ドスの利いた声だ。
僕は、ここで初めて顔を上げて彼の表情を見た。
――目に見えた怒りが滲み出ている。
「粉……粉だと……?よりにもよって、装飾品通り越して粉にして月に撒いてるだぁ……?先生に祈って貰いたいから煽っていただと……?ワザと返してきていた石たちは皆偽物の合成品だとぉ……!?
そのおかげで、誰も彼もが心をボロボロにしてるんだぞ……っ!?ふざけやがってっ!!」
ぐしゃりと、彼の手が記録に使っていた用紙を握りつぶす。
それは、僕に対してではなく――月人に対しての激しい怒りだった。
「――信じる、の?君が大好きな先生は、人間が作った道具だったって言うんだよ……?」
「んなもんとっくに知ってんだよ!ってか、この国の皆全員知ってる!!」
「はあぁっ!!?」
ちょっ、なんでそんな事になってるのさ!?僕がその情報を仕入れるのにどんだけ犠牲を払ったと思ってるんだ!?
「――君には後でナノマシン説の論文見せてあげるよ。ユークが清書してくれたからね。……端的に言うと、人間が先生を作り、先生が僕たちを生んだっていう内容だ」
「はあぁっ!?」
先生が……僕達を……!?
なんだそれ、アイツ等の言う事が正しいのなら、僕たちと先生は本来無関係の筈だろ!?
「――しかし、んな事は今はどうでもよろしいっ!!」
ガシッと彼の両手が僕の顔を掴む。
ピシリと、彼の手から欠けるような音がした……しかし彼は気にも留めない。
「先生を『裏切り』を以て刺激し、『祈る』事を誘発させる……それだと失敗時のリスクはもとより、支払う物が多すぎます。何より奴らに対しての打撃がありません。そんなのダメです。ダメダメです。到底許せません。絶対許せません
――外しちゃダメだろ。
『報い』は絶対、外しちゃダメだろ……!」
怒りに満ちた目が僕の顔をのぞき込む。
もはや、声も出せない。
「ボクも噛ませろ」
有無も言わさず彼が言う。
「粉にされた宝石たちは全部救う!先生にも皆にも手出しはさせない!そして奴らを『終わらせる』!連れ去られた皆の報いを受けさせる!
総取りどころじゃない――
―― 倍 返 し だ っ!!!」
彼が太く叫んだ。
――都合の良い話だ。
どうすればそんな事が出来るのか、僕には欠片も浮かばない。
でもそんな反論を、彼の目は絶対に許してはくれなかった。
……この時から、『良い夢で終わらせる』と言う僕のある種の諦めを帯びた目標は、彼によって別の方向に向いて行く事になる。