第01話「フォスフォフィライト」
物心ついた頃から、妙な違和感を感じてはいたのだ。
なんかこう、教わった事はなんとなく知っていたなーとか、教わってない事を何故か覚えてたなーとか。
それの名を「既視感(デジャヴ)」と言うらしい事は先生が教えてくれたけど、なんかその単語も聞いたら知っていた気がしたもので。
何処で聞いたのだったか、何か思い出せてないんじゃないかと首をひねりながら歩き、そのまますっころんで打ちどころ悪く砕け散った事が何度か。
コレのせいで記憶スッ飛んでるだけじゃねぇの?とは誰に言われた言葉だったか。
ボクは果たして、誰に蹴りを入れれば良いのであったか。
「フォス!いるんだろ!」
太陽の光を浴びながら、伸び放題の草原に寝っ転がってあーでもない、こーでもないと記憶を探っていると、ボクを呼ぶ声が耳に入る。
――モルガだ。
モルガナイト。硬度7半。ピンクでロングで粗雑なアン畜生。
……モルガだったら言いそうな気がする。
「モルガ!蹴らせろヴォォォォイッッ!」
「はあぁっ!?ワケわかんねえっっ!!?」
じょわっと草原から飛びあがり、きっと正当な気がすることにした無礼への報復キックはひらりと避けられ、ボクは勢いのままにゴロゴロと草原に落下する。
硬い石でもあったらまた砕けてしまうじゃないか。モルガめ、何をしてくれる。
「こっちのセリフだ!なんでいきなり蹴られなきゃならねえんだよ!っつーか、当たったら砕けるのお前の方だぞ硬度三半」
「うるへー硬度七半」
あ、レッドの作ってくれた服にしつこそーな泥がついた。怒られるかなコレ。
「……ったく……フォス、先生が呼んでるぞ」
「え。なんだろう?」
「さあな」
そっけない反応をするモルガにぶぅーと口をとがらせてみる。
「うーん、最近は特に何も壊したりしてないんだけどなぁー……むしろボクが壊れる事の方が、多かった、ような……」
「心当たりはお叱りだけかよ。フォスお前、考え込むのは良いけどもうちょっと周りを見ないと瞬く間に月人に連れ去られちまうぞ」
「そうなのよねぇー、ボクってほんとキャワイイからねぇー」
モルガよりも、まで口にすると報復キック返しが来そうなのでさすがにお口チャック。
しかし察したモルガがコンニャロと軽く小突いてきた。
欠けたらどーしてくれるんだくそう。
「モルガ!」
じゃれているとゴーシェの鋭い声が聞こえてくる。
ゴーシェナイト、モルガと同じ硬度7半。銀髪ショートの気配り屋さん。
「なに遊んでんの。南に予兆の黒点が出たよ。小さいけど、先生に報告行くぞ!」
――イヤな知らせだ。
慢性的に出現する人攫いが顔を出したらしい。
口の中で小さく舌打ちして、ボクは素早く身を起こした。
「よし!小さいなら二人で追い払おうぜ!」
「ええ!?」
モルガがバカな事を言い出し始める。
「平気平気、たまには先生に楽させてあげなきゃ。ああ見えて歳なんだしさ」
「――おっけー、その発言と一緒に先生にチクっとく」
「げ、い、いや、ジョーダンだってジョーダン……」
驕りはいくないぞモルガ君。いくない。
今のはまんま死亡フラグを立てた噛ませキャラの台詞だ。
「とは言えさぁ。近いんだったらどっち道、足止めが必要なんじゃないのか?足遅いぞぉフォスは」
「こんにちは。全力疾走してみたら、体が文字どおりバラバラになった繊細美人のフォスフォフィライトです」
「……あー……しょうがないよね。護衛しながら、一緒に先生に報告しに行こう。月人が出てるのにフォスから目を離すの、怖すぎるから」
あれぇ、ボクもしかしてゴーシェにディスられてますか?
「いや、その……ちゃうねん。硬度と靱性が低いもんだから、全力稼働すると体が耐えられないだけやねん。ポテンシャルだけならきっと、ボルツに匹敵するハズやねん」
「なんだ?どこの言葉だよそりゃ」
「流石にボルツは吹き過ぎ」
解せぬ。
照れずにもっと愛をくれても良いのよ?
少し駆け足ぎみに道中を急ぐ。
このぐらいのスピードなら何とでもなるのだけど、本格的に「走る」的な事をすると足の末端から細かいヒビが入り始める。
全力疾走しようものなら30秒で足が砕け散る。
我ながら本当に脆い体だわ。
二人がボクに合わせてくれている。
完全に足でまといだ。
いざ接敵したら、二人はボクを逃がして足止めに回るだろう。それが一番合理的だから。
その事実がボクをフクザツな気持ちにさせるのだ。
「――おい、見えたぞ」
振り返る。
南の上空。
青い空と雲を背景に、人攫いの一団が浮かんでる。
平たいお皿のような雲にのって、インドの王族のような装いをした人形のなにかが、瞳孔も光彩もない無機質な瞳で深皿を持ってこっちを見ている。
その回りにはどっかの天女でもリスペクトしているのか、無意味に羽衣を靡かせた取り巻きが無数に座していた。
――追い付かれた、と言うワケだ。
「……フォス」
「……うん……先生呼んで来る」
二人が剣を抜いて足を止めた。
『それが一番合理的だから』
「――行けそうだな、ゴーシェ」
「うん」
モルガがニヤリと口の端を持ち上げている。
「フォス、あんまり急がなくても良いぞー。戻ってきた時には終わってる」
「驕るなモルガ!」
「だって急いだら身体砕けちゃうだろ硬度三半」
モルガとゴーシェが、笑顔を作ってボクを見ていた。
「――ッ、戻ってきた時にフラグ回収してたら承知しないからな硬度七半っ!!」
「フラグって何だよワケわかんねぇ!良いからとっとと行っちまえっ!」
@ @ @
「――はっ、はっ、はっ、はっ……っ、」
ピキピキイヤな音が足から聞こえる。
月人が大嫌いだ。
この間はヘリオドールを連れてった。
当時ヘリオとコンビを組んでいたのはゴーシェで、あの時のゴーシェの塞ぎ込みようと言ったら、見ていられない程だった。
あいつらは、ボク達を拐って砕いて装飾品にするらしい。
あいつらにとってボク達は象やワニとかと同じ系列なワケだ。
「――先生!金剛先生!」
足にヒビが入るほどに走って学校に駆け込んだ。
元々ボクを呼んでいたからか、先生が窓の外を眺めながら待っていた。
「ああ――来たか、フォスフォフィライト」
――金剛先生。
性別が曖昧な作りに「整えられている」ボク達だけど、金剛先生だけはハッキリと「男」と解るような体格と顔をしている。
お坊さんのように髪の毛は無く、お坊さんが着るような袈裟を纏ってる。でも、先生がお坊さんのように合掌したりお経を唱えている所は見た事はない。
瞑想と言う名のお昼寝をしてる所はよく見るけどね。
金剛石、から名前が来ているのであれば恐らくダイヤモンド属だと思うのだけど、詳しい身体の話は聞いたことがない。
ただ、先生は硬度や靭性なんぞ関係ないねと言わんばかりに強い。恐ろしく強い。
先生と相対して10秒持った月人をボクは知らない。
「お呼びだと伺いましたが、すみません。先にお耳に入れたい事が」
「ああ、月人が出たようだな。今にも足が崩れそうだ」
先生はそう言ってボクの肩に手を置くと、そのままひょいとボクを横抱きにしてしまった。
「うええっ!?」と口から変な声が出てしまう。
「足止めに向かった子は居るか?」
「あ――はい、モルガとゴーシェが時間を稼いでくれています」
「うむ。このまま案内しなさい」
「あ、え、……こ、このまま?」
「そうだ。この状態では、歩くと砕けてしまうだろう?」
でぃすいず『お姫様だっこ』
……狼狽するけど、気にしてる余裕も無いんだった。
大雑把にまずは「草原の方です!」と指を指して伝えた。
@ @ @
ゴーンゴーンと清んだ鐘の音が鳴り響く。
月人襲来、総員第一種戦闘体制に移行セヨ。鐘の音がみんなに向かってそう叫んでる。
戦闘班がバタバタと剣を引っつかみ、ボクを抱えた金剛先生の後に続いた。
「モルガ!ゴーシェ!」
――月人は、顔の半分から上が既に斬り飛ばされていた。
しかし様子がおかしい。欠損が発生する程に損傷を受けた月人は、通常ならそのまま霧散する筈だけど、未だに戦闘が継続されている。
さらに、ゴーシェの右腕が砕かれていた。利き腕がやられているから、左手でぎこちなく剣を支えている。
敗北一歩手前の状態だ。
思わず、「間に合った……!」と安堵の声が漏れた。
辺りに散らばる矢を見ると、鏃に宝石が使われているものが含まれていた。
あの輝きは……まさか、ヘリオドール!?
あいつら、拐ったヘリオドールをよりによって鏃なんかに仕立てやがったのか!?
「……先生……」
先生がゆっくり労るようにボクを降ろすと、そのまま月人を睨め付ける。
――先生と相対して10秒持った月人を、ボクは知らない。
一瞬だった。
ヒュッ、と先生が手を払うと、月人がそれだけで根こそぎ霧散してしまった。
……あの攻撃、何度見ても何をやっているのかわからないんだよね。
いっそ「法力で一掃している」とか言われたら納得してしまいそうだ。
戦闘終了。
残った月人が居ないことを確認して、ボクはゆっくり立ち上がった。
「――モルガ、ゴーシェ。良く持たせてくれたな」
先生が彼らに声を掛ける。
「先生――ヘリオ、ドールが……」
「うむ。鏃を全て集めよう。繋ぎ合わせればヘリオドールも元に戻るだろう」
ピキピキ足が悲鳴を上げている。
そうっとそうっと歩み寄り、ボクはモルガの肩に手を置いた。
「あ――ダメだこれ。ごめんモルガ、体重預ける」
「お、おいおいおいおいっ!?」
うん、ホントに肩に手を置くだけのつもりだったんだけど、ちょっと足が持ちそうに無かったので両手をかけて体重を任せてしまった。
「――お疲れ、モルガ」
「そう思うなら人を杖がわりにするの止めてくれよ……」
「あ、うん、そこはマジでごめんなさい」
ホント儚い我が身がちゅらいわぁ。
モルガがめっさ眉を歪ませてボクの足に視線を止めている。
「……急がなくても良いっつったろ硬度三半」
「負ける寸前だったじゃんかよ硬度七半」
「ちぇっ、あそこから巻き返す予定だったんだよ」
「そうは見えないッスけどねー?」
「うるへー」
ぼやきつつ、モルガがボクのお尻に手を回してそのままボクの体重を抱えてくれた。
――もしかして今日はボク、誰かに抱えられる日、なんだろうか。
「……心配かけて悪かったよ。先生呼んでくれて助かった」
「あ、ううん……ボクの為に残ってくれたんだもん。こっちこそ、持たせてくれてありがとう。おかげで間に合ったよ」
「――おう」
負けそうになってた自覚はあったらしい。
ヘリオを連れてかれた時のゴーシェを間近で見ていた事もあって、最悪の事態に思考がたどり着いたんだと思う。
モルガは凄い素直だった。
皆が月人の矢を拾っている。
月人のメイン武器は上空からの弓矢の一斉掃射だ。今回はその中に混じって、ヘリオの欠片が入ってる。
……いや……もしかしたら……
「ヘリオ……戻るよな。先生も、そう言ってたし……」
「……」
無理だ。
――ボクには、その一言が言えなかった。
いや、可能性はあるのかもしれない。ボク自身、それを期待している所もある。無理と断言するのは流石に早計だ。
……でも、無理だと思っている事はモルガにバレてしまったみたいだった。
悲しそうに眉が歪み、耐えるようにギュッと瞼を閉じて、努めてゆっくり息をつく。
そんなモルガの仕草の中に重くて辛い葛藤が詰まっているのが見て取れて、ボクの心を締め付けた。
――嫌いだ。月人なんて、大嫌いだ。
「……意見を聞かせてくれよ、『顧問殿』」
モルガが公私を分けてきた。
それは、何を聞かされても取り乱さないという覚悟の証だ。
ボクも、真剣に真摯に応えなきゃいけないと目を閉じる。
「……多分、絶対数が足りないと思う。今回かなりの量が戻って来たけど、それでもきっとヘリオになるには量が足りないって話になると思ってる。
今までアイツらの装飾品になって帰ってきた例がそれなりにあったけど、いずれも元に戻れた事が無いんだ。この視点で図書室の資料ひっくり返した上で先生にも確認取った事があるから間違いない。
――加えて、今回は「鏃」でしょ?この一件で確信したよ。アイツらきっと、ワザとやってる。
ボクらはヘリオを取り返したんじゃない。アイツらが返してきたんだ」
「……鏃、だとダメなのか?」
「確かに綺麗だよ?ヘリオは硬度七半、鏃に仕立てても一定の威力だって見込めるのかもしれない。でも、使うシチュと量がフザけ過ぎてる。意図した物だと言われた方がしっくり来る」
……あの人攫いどもは、大体200年に1人ボクたちの誘拐に成功する。翻って、襲来回数は一年に200回をオーバーする頻度だ。
ボクたちは数字にすれば90%を大きく上回る確率で防衛に成功し続けてる。
――つまり、あいつらにとってボクたちは結構稀少性の高い物の筈なんだ。
1~2本の使用なら分かるよ?
宝石を武器に仕立てれば、なんかこう中二めいたカッコ良さが有るのかもしれない。そのセンスを否定はしないさ。
作ってみたら思いの外良くできた物だから、少し使ってみたくなると言う流れもまあ理解できる。
――でも、ロストの危険性が高いにも関わらず、威力評価もせずに稀少性の高い鏃を大量投入するとかワケがわからない。
前々からフザけてると思ってた。たまに装飾品を着けて来る月人のこと。
向こうにとって成功率がかなり低いミッションにも関わらず、何故にレアアイテムを身に付けて来るのさ。置いてくるだろ普通。
……実は「ロストしたがってる」んじゃ無いの?
モルガは、ボクの推論を静かに聞いていた。
「――頭に来る考え方だけどさ……」
視線をずらし、表情を歪ませてモルガが言った。
「ヘリオを手に入れてみたけど、思ったほど良いものじゃ無かったので消耗品にしてみました――って理由は無いのかな」
本当に、考えたくないほど頭に来る理由だけれど。
「ヘリオが全部……いや、9割以上揃ったら、その理由アリだと思う。もしくは、次の月人が使ってくれば……かな。フザけてるけど、ボクたちとしては期待したい所だよね。ヘリオが元に戻る事になるから。
――ゴーシェ、きっと喜ぶよ」
視線の先で、ゴーシェがヘリオのくっついた矢の束を大事そうに抱えて顔を綻ばせてる。
……全部揃いますように。
そう祈らずにはいられない。
「……ごめんね、こんなイヤな話して」
「……お前は聞かれた事に答えただけだろ、バカフォス」
――本当に、月人なんか大嫌いだ。
@ @ @
「――話が遅くなってしまったな」
先生の元々の用件は優先度が低めだったらしく、本題に入れたのは月人襲来の報告書を纏めた後だった。
――ちなみに、今回の月人は損傷を受けても霧散しなかった事、ヘリオを鏃にされた事が特記事項としてあった為、後日懸念点と対策案をまとめて会議する事になっている。
……ヘリオは、やはり戻れるだけの量は集まらなかった。
「ようやく、決心が着いた。……優先度は低くて良いので、新しく仕事を頼みたい」
手渡されるのは紙の束とひとつのペン。
「フォスフォフィライト――お前には、博物誌を編んで貰う」
ぱちくりと瞬きしてみる。
手渡された真っ白い紙の束に視線を落とす。
「……博物誌、ッスか」
なんか、思った以上にフワッとした話だ。
「この国の成り立ちは記憶しているな?」
「え?あ、はい」
「序文を述べよ」
若干戸惑いながらも、ボクは覚えているこの国の成り立ちを諳じ始める。
この星は6度流星が訪れ
6度欠けて 6組の月を産み 痩せ衰え
陸がひとつの浜辺しかなくなったとき
すべての生物は海へ逃げ 貧しい浜辺には不毛な環境に適した生物が現れた
月がまだひとつだった頃 繁栄した生物のうち逃げ遅れ海に沈んだ者が
海底に棲まう微少な生物に食われ 無機物に生まれ変わり
長い時をかけ規則的に配列し結晶となり 再び浜辺に打ち上げられた
――それが、我々である
……どれだけ前に聞いたのだったか。
宝石で出来た手を何となく眺めてみる。
白粉を塗られた硬質の手だ。
人類が生まれる遥か前のジャイアントインパクトから、地球は月が生まれるほどの隕石衝突を五回経験しているそうな。
ジャイアントインパクトは人類誕生より46億年前と言われてた筈だから、それを基準に考えると有史から250億年は経ってる事になる?のかな?
途方もない未来だ。
それほどの時間が経てば、太陽が寿命を迎えて地球を飲み込むと言われていた筈だけど、そんな事は無かったらしい。
もしくは別の星系か別の世界か。
どちらにしてもSFでロマンである。
「『人間』……と言う単語を、お前は知っていたな」
「はい」
ボクらの元になった命。
月がひとつだった時に繁栄した霊長類。
ボクが教えられるまでもなく、「記憶」していた単語だ。
「我々の知性は人間から引き継いでいると解釈する事が出来るが――フォスフォフィライト。お前はどうやら、知性だけではなく記憶も引き継いでいるのだろう」
「ふふ……信じるんですね。他のみんなは夢だの幻覚だの言ってるのに。ボクってしょっちゅう割れるもんだから」
「――『人間』は、実在した」
先生は視線を伏せながら、そう口にした。
観念するような、白状するような声色だった。
……ちなみに、過去の資料に『人間』と言う単語が無いのは確認済みだったり。
「あー……なんか、先生が直に会った事があるように聞こえるんですが」
「ある」
……マジすか?
「――あの。人間が滅んで、ボクたちのような形に進化する程の時間が経ってる筈なんですが。少なく見積もっても億は行ってる筈なんですが。
……先生ってガチでおいくつ?」
「覚えていない。……確かに、億は行っているような気がするが定かではない。
いやだって、億だぞ?歳なんて覚えていられないだろう正直」
「――ッスね」
正論です。
ボクも300年近く生きてるけど忘れそうになるもん。
「話を戻すが。そういったフォスの記憶上にあるものも編み込んで行ってほしい。もちろん、情報ソースが記憶によるものかどうかは明確にして欲しい所だが」
「ああー、なるほど。だから博物誌ですか」
「フォスの記憶に対する研究にもなるだろう。日頃、色々メモを取っているようだからな」
おかげで製紙担当のペリドットとはよくお話しします。
紙の白さや耐久性について、結構研究に付き合ったりもしたなぁ……
そう言えば今年は原料の麻が足りないから、紙も量が作れないってぼやいてたっけ。
麻は服の素材にもなるから、服飾担当のレッドベリルとは素材の取り合いになる事もある。
「不安な点があるとすれば――」
先生がポツリと言う。
「――フォスの書く博物誌が、読むに耐える字であるかどうかだが」
「うぐはっ!?」
やめてください先生。その口撃はボクに効く。
……生来、ひどく不器用なんです。
精密作業を行うと手が変な所にブレちゃうんです。
おかげで、メモも壊滅的な筆跡だったり。
ボク自身、後で見返しても内容が訳分からなくなりそうなレベルだもの。
「……がんばります」
「務めて欲しい。解読がアレキやルチルでないと難しい、なんて状況は避けたい」
「はぁい」
字……もうちょっと練習しなきゃなぁ……
紙の束をぴろっと眺めてみる。
幸い、書くものはイメージ出来ていたりする。
と言うか、ボクが博物誌を編むなら、最初のページに何を書くかは前々から決まっているのだ。
――自然と口の端が持ち上がっていたり。
「……もう一点、話があるのだが」
「あら?」
先ほどから観念したような口調だった先生が、今度はさらに苦渋を舐めるような表情をしていた。
決心しても、トリガーを引くのがつらい、みたいな様子だ。
「あー……先生?」
「……アマルガム計画の事だが」
――ひゅ、っと息が止まった。
アマルガム計画。ボクが進めたいと申請を出していた奴だ。
「――許可しようと思う」
「本当ですか!?」
思わず身を乗り出してしまった。
「ただし!――細心の注意をもって、数十年単位の長期計画で進めるように。関連する事になるルチル、ペリドット、スフェン、ユークレース――そしてシンシャには再度計画参加への意思を確認する事。不参加が出たら解消されるまで計画は凍結。
そして、計画実行に当たっては工程表を作った上で進捗とスケジュールを密に報告する事を約束しなさい」
「は、はい!もちろんです!」
ガッツポーズとともに返答してしまいました。
テンション爆上げ。やべぇ。やっべえ!
「……それと。レッドベリルとボルツも噛みたがっていたので、計画を進める際には声をかけてあげなさい」
「へあ?……え、レッドベリルはともかく……ボルツもですか?」
「そうだ。この計画は靭性の克服が目的のひとつだろう?その関係で興味を示していた」
「……あー……」
ちょっと分かる気がするけど、しかしまぁボルツが直接戦闘以外に興味を示すとは思わなかったなぁ。
靭性特級のくせに、何か悩みでもあるのかな?
「――頼んだぞ。シンシャを活かしたい気持ちは、私も同じだ。この計画が失敗したら、シンシャはますます遠ざかってしまうだろう」
皆、考えていることは同じ。
危険性は高いけれど、それでもシンシャの為に心を砕きたいのだ。
「はい。ご安心ください。……その為のアマルガム計画です」
自信満々に、ボクはそう答えて見せた。
「――時に、なんで目の前で手を組んだ?」
「お約束ですので!むふー!」
「……不安だ……」
@ @ @
ボクらにはシンシャと言う仲間がいる。
硬度はボクより低い2を示し、色は鮮紅色。
セミロングの髪をした切れ長目の美人さんだ。
彼には厄介な特殊能力がある。
体から、ほぼ無尽蔵に銀色の毒液を出すという特殊能力だ。
この毒液はボクたちが触れると接触面を濁らせ光を通さなくしてしまう代物であり、さらにボクたち以外の生物に対しても非常に高い毒性を示す。
完全制御出来れば良いのだけれど、シンシャは自身から滲み出るこの毒液を制御出来ないため、ボクたちとは距離を置いて暮らしているのだ。
ボクたちは現在28名。対し、月から無数に人攫いが来る現状では皆がひとつやふたつ、何かしらの仕事を担当して月人に対抗している。(ボクの仕事?はかなり特殊ではあるけども……)
その中でシンシャは、ボクたちと触れ合う機会を極限に少なくするため夜の警護を願い出た。
ボクたちは無機物の中に内包している微小生物が光を食べる事で活動している。つまり、光のない夜や冬は一部の例外を除いて動きが鈍ってしまうのだけれど、シンシャはその毒液が微細な光を集める事で夜でも活動する事が出来るのだ。
だからみんなの動く事が出来ない夜に、見回りを行う。
――ここだけ取り出せば確かに、適材適所の役割なんだろうけども。
資料に残る記録を含めたここ数千年間……月人が夜に来た記録は1度もなかったのだ。
万にひとつへの警戒。なるほど、大切ではある。
でもその実態は違う。
制御できずに毒液をまき散らすシンシャを恐れ、持て余し――夜に閉じ込めているだけなのだ。
シンシャは自分から距離を取っている。
毒液をまき散らす自身が恥ずかしいから。妬ましいから。毒を振りまきたくないから。
――いつだっただろうか。
存在価値のない自分は月に攫われてしまえばいい。月人だったら、もしかしたら自分に存在価値を見つけてくれるかもしれない。
そう言って泣いたシンシャをぶん殴った事がある。
時期的にヘリオが連れ去られた直後だったので手が出るのも早かった。
ちなみに結果はドロー。硬度2のシンシャだったからボクでも割る事は出来たけど、劈開が完全……つまり割れやすいボクたちがぶつかった訳だから、ボクもあっけなく砕けました。
靭性最下級だからね。仕方ないね。
「――夜の見回りよりずっと楽しくて、君しかできない仕事を、ボクが必ず見つけて見せるからっ!!
だから、だから……月に行くなんて言うなバカぁっ!!」
特大の啖呵を切って見せたのだ。
――アマルガム計画は、その答えのひとつでもある。
ちなみに、ボクと組んで漫才やるとか毒液を操って人形劇やるとかの案はすげなく却下された。
もっと真面目にやれだってさ。娯楽も大切だと思うんだけどな。
特に人形劇とはボクとしては超乗り気アンド渾身の提案だったんだけどなぁ……
さて、諸悪の根源であるこの毒液。
生物に有毒で銀色の光沢を示す訳だけど、シンシャ(辰砂)で銀色の毒液と来ればその正体はピンとくる。
原子記号Hg。唯一常温で液体の金属である「水銀」だ。
水銀と人類の関わりは相当古くて、その歴史は紀元前までさかのぼる。
辰砂を火にかけると水銀の蒸気が出来るので、人類はそれを集めて冷やすことで水銀を得ていた。
その辰砂だって希少宝石だったから、辰砂の出る鉱脈を見つけたらお金持ち間違い無しだったそうだ。
古代中国においては辰砂は「丹(に)」と呼ばれ不老不死の霊薬とされたし、西洋錬金術では賢者の石として挙げられる事もある。
わかるかねシンシャ君?君、大人気だったんだからね?
確かに、その用途については人類はバカやってたよ。
水銀を薬として飲んじゃうんだもの。中毒待った無しだった。
しかもそうやって死んだ人の体が腐敗し難くなっちゃったものだから、不老不死の迷信に拍車がかかった。
つーか、ボクらが既に不老不死だしね。その用途を望んでるワケじゃないけどね。
アマルガム計画はこの水銀の性質を利用する。
その過程で水銀に触れる機会がどうしても出てくるから危険が伴う代物だけど、成功すれば新しい医療のきっかけになる。
何よりボクが恩恵を受けたくて計画したんだけどね。
うまく行けばボロボロ砕けるこの体も、ちったぁマシになる気がするのです。
――っつーワケで、ボクはシンシャに割り当てられた部屋ではなく、そこから家出かましてるシンシャの塒までやってきたのだ。
「シーンーシャくんっ!あっそびっましょーっ?」
銀色の液体に浸った岩の床。海が臨める洞窟。
シンシャは昼間はここに引きこもって夜に徘徊するという超不健康な生活を繰り返している。
……ハズ、なんですけども。
今日に限って返事がない。
「……あれぇ?シンシャ君いらっしゃらない?おーいシンシャやーい。ボクの部下よどこに行ったー?」
洞窟の中は暗くてかなわない。入口の所しか光が差していないのだ。
しまったな。中を探すにしても灯りがない。
灯りがないとすぐ転んで砕けちゃうから踏み込めない。
……今日は気分が乗って外出したのかしら?
ひとしきりシンシャを呼んで無反応を確認したボクは、なんとなくそう考えた。
――他のメンツに声をかけるのも良いけど、このニュースだけは真っ先にシンシャに伝えたい。
「あー……仕方なし。探してみますかぁ」
ボクはそのまま洞窟を背にして、ぽつぽつと練り歩いてみた。
――南の浜。
「居ないなぁ」
――間の原。
「おーいシンシャ―?草原に埋まってたりしないかー?」
「あ、おいフォス何ひとりで出歩いてんだよ!?せめて護衛つけろ!!」
「お、モルガ見っけ。ねえ、シンシャ見なかった?」
「……は、シンシャ?昼にアイツが出歩く事なんてあるのか?」
「見てないかぁー、そっかぁー……ありがと!」
「あ、おいっ!?」
――双の浜。
「居ないにゃぁー……あ、クラゲがいる。おいおい浅瀬だぞココは。どこから迷い込んだよ」
――白の浜。
「あ、ボルツとダイヤだ。そういや、ボルツも計画に参加したいって先生に聞いたけど……うん、明日だな明日。君はシンシャの後です。
……あれ?そうなると後々ボルツがボクの部下になる?
……想像できないなぁ……」
――そして虚の岬。
「……くっそー、大分歩いたぞ。もう太陽傾いてるじゃん。シンシャめ、ボクの部下だと言う自覚が足りんぞクソウ。まだ計画始まってないけど!」
岬の上で沈みゆく夕日を眺める。
……絵になるのは良いんだけどさ、捜索時間がもうないって事なんですけども!
「洞窟に戻ってみようかなぁ……もしかしたら戻ってきてるかもしれないし……」
それでいなかったら明日に持ち越しだな。
あーくそ。
悪態つきながら回れ右。
茜色の夕日を背にするボクって結構カックイイんじゃないかしら、とバカなことを考えながら地面に伸びるボクの影に視線を向ける。
西日を浴びて濃い色を落とすその陰の背中辺りから、左右に線のようなものが伸びている。
……?あれ?何ですかこれ??
振り返った。
――月人の黒点だった。
人攫いどもが現れる。
太陽を背にして楽しそうに笑ってる。
獲物がいたぜ、と言わんばかりにボクに向かって弓を引く。
「ちょっ……ちょっ、待とう!?ちょっと待とうっ!?最近頻度高くありませんかっ!?ちゃんと有休消化してますかっ!?」
大慌てで懐からホイッスルを取り出し、大きく大きく吹き鳴らした。
ピュイイイイイイイイィィィィィィィィーーー!!
乾いた音が黄昏時の空に響いて行く。
――気休めだ。こんな所に、こんな時間に、誰かがいる筈も無い。
矢が放たれた。
海に飛び込めばまだワンチャン……あ、ダメだ。これ間に合わねえ。
無数の矢が迫り来る。
ボクの身体能力じゃ躱せない。
もう駄目だと身を固くしたとき、目の前に銀色の膜が広がった。
放たれた矢を、その膜がことごとく撃ち落としていく。
「――これは、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)!?来た!ケイネス先生来た!!コレで勝つる!!」
「俺を変な名前で呼ぶのやめろ!!」
ボクをかばうように立ちふさがる背中。
鮮紅色のセミロングが、西日を受けて輝いてる。
――探し人の、シンシャがそこに居た。
フォスの博物誌
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その1「辰砂(シンシャ)」
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硫化水銀(HgS)からなる鮮紅色の鉱物。
三方向に明瞭な劈開を持ち、金剛光沢を有する。
モース硬度は2。三方晶系の結晶。
火にかけると酸化が始まり、水銀(Hg)と二酸化硫黄(SO2)に分離する。
人類史においては辰砂を火にかけ、発生した蒸気を集めて冷やすことで水銀を精製していた。
有毒な水銀の原料になる事から誤解されやすいが、硫化水銀自体に毒性はない。
その美麗な見た目と水銀の原料である特徴からか、人類史前半においては「不老不死の薬」として重要視された経歴を持つ。
なお、この効果は迷信によるものであり、実際には不老不死にする効能はない。