提督が攫われる→春雨ちゃん激おこ
私が司令官と初めて出会ったのは鎮守府の執務室ででした。
司令官は何故かロープで天井から吊るされ、その横では時雨姉さんが腕を組んで仁王立ちしていたのです。
意味が分かりませんでした。普通の艦娘ならばきっと、見なかった事にしてそっと扉を閉めて立ち去るような異様な光景です。
ですが私はその二人から目を離すことができませんでした。
仁王立ちしている時雨姉さんを見ると何故だか懐かしさと嬉しさが私の胸を満たし、やがて涙となって頬を伝いました。
どうして私は泣いているのでしょう?時雨姉さんとはいつも一緒に居るはずなのに何故こんなにも懐かしく感じるのでしょう?不思議です。
時雨姉さんを見ていられず、私は吊るされている司令官の方へ視線を移しました。すると今度は切なさと経験したことの無い不思議な感情が私の胸を縛り付け、心がキュウキュウと悲鳴をあげました。
司令官とは初対面のはずなのにどうしてこんなにも心が痛むのでしょう?そもそもどうして私は彼が司令官だと知っていたのでしょう?
なにも、なにも分かりません。
『なあ時雨、お前に賄賂があるんだ』
『受け取らないよ』
『まあそう言うな。後ろを見てみろ』
そんな二人の意味の分からないやり取りの後、時雨姉さんが私の方へ視線を移しました。
『春…雨?』
時雨姉さんは一瞬、信じられないものを見たという表情を浮かべました。ですが直ぐに私を抱きしめわんわんと泣き出してしまいました。
どうして時雨姉さんは泣いているのでしょう?
どうして私は泣いているのでしょう?
やっぱりなにも分かりません。
時雨姉さんの向こう側で吊るされている司令官の顔が見えました。司令官は何も言わず、ただ泣きじゃくる私達を優しそうな目で見守っていました。
なんにも、なんにもわかりません。何が分からないのかすら分かりません。ですが私はただ一言、
ありがとうございます、司令官。
初めて会ったはずの名前も知らない司令官に向けて、心の中でお礼を言いました。
□
『春雨!!一人で先に行かないで!ここはもう危険海域なんだよ!姫や鬼だっているかもしれないでしょ!』
耳に付けている無線機から白露姉さんの声が聞こえました。ですが言葉の意味が理解できません、脳のリソース全てを司令官捜索の為に使っている私には、姉さんの言葉はただ邪魔な騒音でしかありませんでした。
「うるさい!!」
無線機を引きちぎって海に投げ捨てます。聴覚という貴重なリソースを奪われる訳にはいかなかったからです。
「司令官、司令官、司令官」
司令官が連れ去られてから既に2時間、どんなに海を走っても走っても司令官を攫った船を見つけることができません。もしかしたら私は見当違いの方向へ進んでいるのかもしれない、そう考えると焦りがどんどんと肥大化していきます。だけど今から進路を変えても鹿島さん達の乗る船に追いつけるとは思えず、私はただ進むことしかできませんでした。
「ガァァァァァ」
「邪魔です」
突如海の中から現れた駆逐イ級をパンチで沈めます。返り血で私の髪が赤く変色してしまいました。
一体何隻沈めたのかもう分かりません。初めから数えてもいません。
ここまで現れた深海棲艦は全て迅速に対処することができています。ですが砲撃やパンチを繰り出すたびにその反動で私の速力が低下し、苛立ちを増長させました。
ジャボン
そんな音と共に海面に大量の駆逐イ級が現れ私に砲口を向けました。ざっと見ただけで20隻はいます。
「邪魔するなあああああああ!!」
私は1000ℓ準特型ドラム缶爆弾をイ級の群れに投げつけます。瞬間、ドラム缶は爆破し、イ級を火炎の中に飲み込み、爆風で私の体も吹き飛ばしました。
「ぐう…」
海面を四度ほどバウンドさせられ、私は元居た地点から20mほど後退させられました。ですがあの数の敵を一体づつ相手取るよりはこちらの方が時短になったはずです。
「早く…行かないと」
立ち上がると右肩からミシッと艤装の軋む音が聞こえました。後ろを向いて確認すると中破と小破の中間くらいまで損傷しています。
「お前はいっつも怖い顔しているク魔ね」
「!?」
先ほどまで誰もいなかったはずの前方から不意に声が聞こえました。驚き、前方へ視線を戻すとそこには最悪の相手が気味の悪い笑みを浮かべて立っていたのです。
「悪磨さん…」
「久しぶりク魔ね。クソ提督に騙されて始まりの深海棲艦に化けてお前らの相手をした時以来ク魔」
数ヶ月前に『デビル型軽巡洋艦 悪磨さん』を名乗り私達の鎮守府を強襲した謎の艦娘。あの時は私と浜風さんとで協力し、なんとか追い返すことができましたが、今の負傷した私では彼女に勝つことはできないでしょう。
「今貴方の相手をしている暇はありません。どうしてもというのであれば後日、鎮守府を訪れてください、私は逃げませんから」
そう言い、私は悪磨さんの横を通り先へ進もうとします。ですが悪磨さんは私の肩を掴み静止させました。
「待つク魔、そんなボロボロの状態でこの先に?しかも一人で」
「貴方には関係ありません」
私の肩を掴む腕を振り払い悪磨さんを睨みつけます。
「あーあ、そんな態度で良いク魔か?私、お前のとこの提督の居場所を知ってるク魔よ?」
「えっ!?」
私が先ほどまでとは打って変わって感情をむき出しにした表情を浮かべると、何がおかしいのか悪磨さんはニヤニヤと満足したように笑いました。───失態だ───そう思いました。ですが今の私は相手が何者であろうとも縋り付きたい、それほどまでに焦っていたのです。
「条件しだいでは手を貸してやってもいいク魔」
それがたとえ、悪魔であろうとも。
□
「まあまあ、そんな警戒しないで。ゆっくりくつろいでください。あっ、いま紅茶淹れますね」
「いや、ぜんっぜん状況が分かんないんですけど」
数時間前、江風と共に海岸を歩いていた俺は突如現れた黒マント4人に襲われた。江風は奴らの手刀により一撃で意識を刈り取られ、その直後に俺も意識を失った。気づけば見知らぬ船に乗せられており、目の前にはかつての恩師である鹿島が座っていた。
「いきなり攫った割にはロープで縛ったり拘束したりしないんですね」
「そうですね、まあこの海のど真ん中ではどうせ逃げられないでしょうから」
そう言いながら鹿島は俺の目の前のテーブルに紅茶を置き、対面の席へと座った。
「今回貴方にここへ来てもらったのにはちゃんと理由があります」
「なかったらビックリですよ」
「茶化さないで。そうですね、色々と詳細は伏せますが上から指示がありまして」
「指示ですか…俺は昔みたいに教育的指導(力)でもしに来たのかと思いましたよ」
「指導されるような事をしているんですか?」
「とんでもない、品行方正です」
本当はこの数年でかなりやらかしている。『悪磨さん』の轟沈虚偽報告、度重なる脱走、出撃拒否、ホストクラブでのあれこれ、江風と飛龍の件、どれか一つでも彼女の耳にはいれば指導の対象となることだろう。軍のお偉いさんにどれだけ目をつけられようがどうでもいいが彼女の怒りを買うのだけは未だに恐ろしい。
「で、その指示ってのはなんです?白露達の同伴なしで外へ出ると俺が怒られるので手短にお願いします」
「指示は二つです。一つは貴方のところの春雨さんの戦力を計ることです」
「春雨ちゃんの?」
「はい、数ヶ月前に現れた謎の敵対勢力『デビル型軽巡洋艦 悪磨さん』。彼女の襲撃によって多数の鎮守府が被害を受けました。あの大将と呉の連合艦隊が大破撤退させられるほどです」
「ありましたね、そんなの」
「その悪磨さんを沈めた春雨さんの戦力を計ってこいというのが上からの指示です」
嫌な汗が頬を伝った。春雨ちゃんは一度沈み、深海から復活することで強大な力を手に入れた艦娘だ。だが俺は訳あって彼女が一度沈み深海棲艦となっていた事を秘匿している、そのことは春雨ちゃん本人にすら伝えていない。艦娘=深海棲艦だと知られると都合が悪いからだ。
「いやいや、それは違いますよ。確かに悪磨さんとの戦いでは春雨ちゃんも尽力してくれましたがあくまでもサポート役としてです。主戦力として奴を倒したのは浜風ですよ。アイツの優秀さは鹿島先生も知ってるんでしょう?」
「浜風さんは確かに優秀でした。それでも連合艦隊と単艦で渡り合うような敵を倒せるほどではありません。彼女はあくまで普通の駆逐艦です」
「…春雨ちゃんが普通じゃないみたいな言い方ですね」
「それを調べに来たんですよ。外を見てください」
そう言うと鹿島先生は窓を指差した。窓の外では2隻の艦娘が海面を並走しているのが見える。
「彼女達はチーム裏陽炎、現在組員である6人全員でこの船を囲んでいます」
「裏陽炎!?実在していたんですか!?」
「ええ、噂通り戦闘力はかなりのものです…が如何せん問題児ばかりなのであまり表だった運用はされていません。そのせいで都市伝説みたいなモノまで生まれてるようですね」
海面を走る裏陽炎の一人に見覚えのある顔があった。アレは確か俺と江風を倒した奴だ。なるほど、戦闘力が高いというのは本当らしい、油断していたとはいえあの江風を一瞬で倒したんだからな。
「貴方を攫ったのは春雨さんとあの裏陽炎達を戦わせる為です。貴方がここに居れば春雨さんは追いかけてくるのでしょう?」
「なるほど」
納得はできたが正直不安だった。裏陽炎の強さがどれほどなのかは分からないが春雨ちゃんを怒らせてはたして無事でいられるのか。なんならこっちまで火の粉が降りかかってくるのではないかと思ったからだ。
「もう一つの指示ってのはなんです?」
「貴方と少しお喋りするように言われています。テーマは深海棲艦四つの謎について」
「深海棲艦四つの謎?それって…」
「はい長年深海棲艦と戦争をしてきた我々ですが未だ解明できていない四つの謎についてです。
①深海棲艦とは何者なのか。
②奴らはどうやって個体数を増やしているのか。
③奴らを轟沈させると希に艦娘の艤装を落とす、いわゆるドロップが発生するのは何故か。
④そもそも深海棲艦の目的とはなんなのか
この四つについて鉄底英雄と呼ばれる貴方の意見を聞かせてください」
「そんなの俺が知るわけないでしょう。買いかぶりすぎです」
「どう考えているかで結構です。まず①深海棲艦とは一体何者だと思いますか?」
「…地底人とかUMAとかその類でしょう」
「なるほど。では②、奴らはどうやって個体数を増やしているのか。過去に捕獲した戦艦ル級を解剖したところ奴らに生殖機能がなかったことはご存知ですね?」
「そのくらいは知ってますよ。てか②についてはもう結論が出てますよね?『母なる深海棲艦』とかいう女王アリのような個体がいてそいつが子を産んでいる…でしょう?」
「本当にそう思いますか?」
「?」
「深海棲艦には駆逐イ級、戦艦ル級、姫級、鬼級、他にも多様な種類が確認されています・・・がどの個体も一様に形態が異なります。本当に全てが『母なる深海棲艦』から生まれた“兄妹”なのでしょうか?」
「何が言いたいんですか」
「…次に③です。何故奴らを倒すと艦娘の艤装をドロップするのか」
「…奴らが沈んだ艦娘の艤装を奪っているからです」
「本当に?」
「はい?て言うかさっきから何なんですか、これじゃあ議論というより鹿島先生の考えを俺に押し付けてるだけじゃないですか」
「…先ほどの②、深海棲艦に個体差があるという話と③、何故深海棲艦が艦娘の艤装を持っているのかという謎…この二つから成り立つ仮説は『沈んだ艦娘を艤装ごと深海棲艦に改装している』…くらいですよね?」
また冷や汗が俺の頬を伝った。心臓がバクバクと俺に警笛をならしているかのようなほど喧しく振動する。俺はここに来てようやく理解した。鹿島先生は俺と議論をしに来たのではない、『お前が何か隠してるのは知ってんだ。さっさと白状しろ』とそう伝えに来ているのだ。
俺のそんな様子を見て鹿島先生は何かを確信した様にニヤリと笑い、また口を開いた。
「ところで鉄底さん、貴方のところの春雨さんって誰かに似てますよね?例えば…大将さんのところで沈んだ春雨さんと」
どーーーーーーーん!
鹿島先生が決定的な言葉を口にする途中、突如として爆発音が船内に鳴り響き彼女の言葉を遮った。音の方へ顔を向けるとさっきまでそこにあったはずの壁が吹き飛び粉塵が舞い上がっていた。
「しっれいかーーーーーん!!」
粉塵の中から真っ白な髪の少女が飛び出してきた。少女は俺に抱きつき司令官、司令官と何度も俺を呼ぶ。
状況がわからず鹿島先生へと視線を向けると彼女もまた困惑した表情を浮かべていた。
「嘘、もう追いついたんですか?というか外の裏陽炎さん達は…」
「全部そこの春雨が瞬殺したク魔。外でぷかぷか浮いてるク魔よ」
粉塵の中からまた一人姿を現した。そいつは少し前に海軍を騒がせた最悪の問題児。
「偽球磨ぁ・・・お前なにやったんだよ・・・」
「偽球磨ゆーな、悪磨さんと呼べク魔。私はなにもしてない、ただそいつの道案内をしただけ」
偽球磨はそう言って未だ俺に抱きついて泣き続ける春雨ちゃんを指さした。
「鉄底さん」
鹿島先生が俺を呼んだ。その声は俺の教導艦だった頃と同じか、それ以上に低いものへと変わっており俺のトラウマを刺激する。あっ、これお説教される奴だ…と感づいた。
というか恐らくお説教では済まない、軍を襲撃した敵対勢力『悪磨さん』が轟沈したと虚偽の報告をしたことがバレたのだ。なにをされるのか想像もつかない。
「やっぱり色々隠していたみたいですね。色々聞きたいことはありますが…それは今度にしましょう」
「へ?」
どんな教育的指導(力)がくるのか…と怯えていた俺にかけられた言葉はそんな拍子抜けするものだった。
「ここにいると春雨さんに何されるか分かりませんから」
そう言って鹿島先生はスタスタと大穴の空いた壁の方へと歩いていく。恐らくはそのまま海へ降りて自身の艤装で本部にもどるつもりなのだろう。
助かった…そう安堵の息を吐くとピタリと鹿島先生の足音が止まった。
「一つ、これだけは聞いておくように言われていたのを忘れていました」
鹿島先生はこちらへ顔を向けることなく言葉を続ける。
「貴方、カメ型の深海棲艦を見たことはありますか?」
■ ■ ■
「悪磨さん、只今帰投したク磨☆」
私が与えられた任務を終え、アジトへと帰投すると中で待っていたのは海軍から空母ヲ級と呼称されている深海棲艦だけだった。ヲ級は持っていたティーカップをソーサーの上に置くとゆっくりと私の方へ体を向け口を開く。
「あら、おかえりなさい」
「ただいまさん!天津風はお出かけ中?」
「彼女もお仕事ですよ、貴方はちゃんと自分のお仕事を完遂できましたか?」
「あったりめぇだク魔。ちゃーんと大将の奴とのアポイントメントの約束を取り付けてきたク魔よ」
「流石ですね、貴方はやれば出来る娘だと信じてましたよ」
ふっふっーんと得意げに胸を張ってみた。ヲ級から褒められたのなんていつぶりだろうか。
「それで、約束の日時はいつですか?」
「あ…決めてくるの忘れたク魔」
私がそう答えるとヲ級はこめかみを抑えヤレヤレといったポーズをとった。このポーズも見慣れたもので馬鹿にされているのは分かっているが不思議と腹は立たなかった。褒められるより余程しっくりくる。
「あなたって人は・・・まあいいです。悪磨さん、私は先に出撃しますので直ぐに追いかけてきてください」
「えっ!?今から行くク魔!?私帰ってきたばっかなんだけど!」
「我慢してください、貴方のミスなんですから。このままアポの約束をなかった事にされてはたまりません」
「マジかー……まっしゃーないク魔ね…すぐ用意しま~す」
「では私は先に行っていますので」
ヲ級はそういうと艤装を展開しながら隠れ家の外へと向かっていく。展開された艤装は黒マントに異様に大きな帽子といった如何にも深海棲艦といった姿だ。
ヲ級は完全に艤装を展開し終えると手に持つ杖を鉄底鎮守府がある方角へと向け、いつものように出撃時の口上を叫ぶ。
「空母ヲ級