「うーん...これも違うなぁ」
それなりに長い付き合いになってきたパソコンで調べものをすること、大体10分。目当てと合致しない私は、部屋で一人呟いた。
二つ年上の先輩、私にとってお兄さんのような存在である椿さんが、かなり疲れている。そう感じるようになったのは最近のことだった。お姉ちゃんの話では、高校の授業が大変みたいだ。
(私にはまだ、高校の授業なんて分からないし...)
寧ろ私は普段椿さんに質問している身。逆のことは出来ないし、それで椿さんの負担を減らそうなんてことは無理だ。
決して、それ以外のことで疲れてるわけではないと思いたい。勇者部の活動とか。というか皆の対応とか。
『椿ー、うどん食べに行きましょうよ』
『お前先週ずっとそう言ってテスト帰りに行ったろうが』
『食べたいんだもん!!』
(昨日はお姉ちゃんに絡まれてたっけ...)
ともかく、出来ることならゆっくり休んで欲しい。普段頼りになる椿さんが弱っている姿を見るのは、守ってあげたくなる気持ちをくすぐられるけど________
(いや、何を考えてるの私!!そんなのは...)
頭を振って、気を取り直して検索を続ける。スマホでも出来るけど、お家にいる時はこうしてパソコンで調べることが多い。
「『男の人、癒し』でどうかな...」
一番上から中身を見ていくと、ふと一つのことが目に飛び込んでくる。
「これは...」
検索するワードを変えて、調べること更に10分。
「これだ!!」
私は机に手を叩きつけて、興奮したまま声をあげた。
----------------
「世界の歪み...この俺が断ち切る!!」
「ところがぎっちょん」
「うわぁぁぁぁ!?」
「うるさいわ」
目の前で叫ぶ裕翔を軽く叩くと、目覚まし時計のように急に黙りこんだ。
「何騒いでんの?変なセリフまで使って」
「む、変なセリフとは失礼な。俺達が小さい頃人気だったロボットアニメに出てたやつだぞ」
「俺はこいつに合わせて乗っただけ」
「ふーん...」
風は微妙な反応を返すだけだった。まぁ、中身を知らなければ無理もないだろう。
(風の趣味には合ってそうだがなぁ...)
ロボット物とか友情物語とか、そういうの好きだろうに。
「椿?」
「なんも考えてないぞ。うん」
「へ?」
「い、いや、なんでもない」
(思考読まれたのかと思った...)
「それで?何で盛り上がってるわけ?」
「これだよ」
俺達の手には、大量の数字が刻まれた紙が握られていた。普通の言い方に直すと数学の中間テスト結果である。
「全科目で勝負してたからさ」
「一番チャンスあると思ったんだがな...」
「言っても二点差だろ?おまけに世界史と国語は負けた」
「それでも日本史、化学、物理、英語、は負けたろー!惨敗じゃん!」
「家庭科もな」
「料理の範囲なんて元から勝てる気なかったわ!」
日本史は東郷、物理は春信さんに教えて貰い、家庭科は普段の知識、化学は地層等の話がメインだった為土壌調査をやっていた経験が生きた。
英語と国語は対して点数に差はなく、世界史はキャパシティを日本史に取られた結果だ。今回なかった保険体育を除けば、これで全ての勝敗が出たことになる。
「ま、勝ちは勝ち。今は素直に喜ばせて貰う。そしてみかんジュースを奢ってもらう」
「ちくしょー...」
「あ、あの、古雪君」
「?」
風とは違う声がして振り向くと、そこには郡がいた。
「古雪君が直前に解説してくれた所の類似問題が出て、点数あがったから...」
「お、ラッキーだったな」
「うん...あ、ありがとう」
「どういたしまして。俺も同じところ出ればよかったんだがなー」
「...そうだよ、お前あのクラスでその点数かよ!?」
「ん?あぁ。今回はかなり頑張ったぞ」
うちの数学は、ランダムで複数のクラスに別れる。テストの内容もその先生ごとでかなり変わるのだが、その中で一つ、難しくて評判の先生が担当するクラスがあった。平均点が他と比べて明らかに低いのだ。
俺はそのクラスだったわけだが。
「まぁ、そんな素直に喜べないんだけどな...」
「あんた何言ってんのよ。普通はあぁいう風になるもんじゃないの?」
風が指差したのは、弥勒をはじめとした数人の生徒。完全に魂が抜けきっている。
(低い点数でも他と同じくらいの成績になるからそこまで気にしなくても良いとは思うんだが...)
「何が不満だってのよ?」
「そうだそうだ!負けた俺が情けないだけじゃねぇか!!」
「あー...棗ー」
「どうした?」
「お前、数学のテスト何点だっけ?」
そう聞くと、棗は紙を持ってきてくれた。当然それは数学のテスト用紙であり、書かれている点数は________
「!?!?」
「う、嘘」
「...100、点?」
「まぁ、そういうことだ」
上には上がいるというか、全く自慢気に言わない彼女がいる以上、俺も強く自慢できない。元からそこまでひけらかすタイプでもないが。
件の満点を取った彼女は、一言。
「...この時は、海の声がよく聞こえた」
「海ってそんな万能じゃないと思うんだが」
俺はツッコミを入れると同時に、海の声を聞くにはどうすればいいのかちょっと真剣に考えかけた。
「くっそ...」
下がってくる目蓋を上げて、あくびを噛み殺す。とはいっても効果は薄いようで、眠気は全く取れなかった。
(いや、いい。今日は久々にぐっすり寝よう......)
点数勝負のため普段以上に勉強時間を作ったテストは終わり、杏の勧めてくれた本も読み終わった。今日依頼がなければ感想の伝え合いが主なことになるだろう。無事終わって緊張が解けたからか、流石に疲れがどっときた。
(今日の夕飯は鍋にするかー、最近肌寒くなってきたしな。ほとんど切るだけ、熱入れるだけ、食べるだけの簡単料理だし...あ、オムライスとかも食べたいかも......あとはあれだな。温泉入りたい)
「椿さん」
「ん?樹っ?」
露天風呂の想像をしてたら、隣に樹がいた。讃州中学の廊下なわけだし不自然な点はないが、思考に耽っていただけあって少し驚く。
「お前もこれから部活か?」
「はい...でも、その前に椿さんと話がしたくて」
「話?」
「あの...」
他の皆の前では話しにくいことなのかと身構えたが、彼女は何かを差し出してきただけだった。
「これは...」
「きょ、今日の夜、ベッドに入って寝る直前にヘッドホンで聞いてください!では!!」
「え、おい樹!」
渡されたのは声を録音したりするICレコーダー。自分の歌を聞くために樹が持っている奴の筈だ。
「えーと...」
「ふぁぁ......」
その後部活に参加するも樹に詳細を聞くことは出来ず、あっという間に夜になってしまった。
(えっと、ヘッドホンで聞くんだっけ)
眠気眼を擦ってセットしてから、電気を消す。それから再生スイッチを押した。
(......何も流れてない?)
少しずつ音量を大きくする。それでも何か聞こえてくることは________
『ふーっ』
「うぁぁ!?!?」
突然の感覚に飛び起きてヘッドホンを取った。
「な、なんだ...!?」
周りを見渡しても誰もいない。深夜の自分の部屋だし当たり前なのだが、俺には一瞬それが信じられなかった。
(だって、今...耳元で息をっ)
俺が動揺しているのは、耳元で息を吹かれる感覚がしたから。くすぐったくて驚いて__________
「...まさか、これが音声?」
ICレコーダーを見つめて数秒。真意を掴めないまま、とりあえず最初に戻して流し出した。
『ふーっ』
「!」
一度目は騒いだが、来ると分かってれば大したことじゃない。息も本当に吹かれているわけじゃなく、音声の衝撃みたいなものだ。
『...き、聞こえていますか?』
「!?」
ただ、樹の声が聞こえた時はまた驚いた。ヘッドホンから流れてくる音声な筈なのに、まるで左側にいるかのように囁かれているから。
『ごめんなさい。驚いちゃいましたよね?疲れてる中で聞いてくださってるのに...』
(これは...)
樹のゆったりした声が、じんわり耳を暖める。
『これは、そんなお疲れの椿さんを癒す音声を作ってみました。子守唄みたいなものなので、目を閉じて、私の声を聞いて、眠くなったら寝ちゃってくださいね』
(気にしないで、寝るのか...)
まるで本人が隣にいるかのように、右から、左から、普段よりゆっくりした速度で囁かれるのを聞いているが、元々眠かったのもあって、逆らうことなく目蓋が下がっていく。
『それじゃあ、始めますね__________
「椿!」
「!」
誰かに呼ばれて飛び起きる。呼ばれた方を見ると、窓の向こうで腰に手を当てた銀がいた。
「銀...?」
「もう朝だぞ。開けてくれ」
「あ、あぁ」
窓を開けると、慣れた感じで入ってくる。
「ほら、園子の弁当お届けだ」
「あぁ...ありがとう」
「にしても、この時間まで寝てるし、ヘッドホンつけっぱなしで声届きにくいし...珍しいな」
「......」
「おーい、椿~?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事」
「ふーん...まぁ元気そうだしいいや。じゃあアタシ、園子と学校行くから」
「あぁ。いつもありがとな」
「うんゅ...はいはい。早く準備しなよ?」
「分かってる」
頭を撫でてた手をどけて帰る銀を見送ってから、時計を見る。
(...この時間まで一切起きなかった。二度寝とか。寝起きの気分は滅茶苦茶良い)
静かにヘッドホンと、それに繋がれたICレコーダーを見つめる。
(寝ちゃったからなのか、何が流れてたのか全然覚えてないけど...)
「まさか、これの効果が...?」
「左右から近くにいるみたいに聞こえる声か...それ、ASMRじゃね?」
「ASMR?」
園子お手製の昼御飯を食べながら昨日の話をしたら、話し相手の裕翔はそんなことを言ってきた。
「なんだそれ?」
「うーん、なんて言えばいいんだろ...例えば耳元で話しかけられるとゾクゾクするじゃん?それを上手く録音できる機械があって...あ、あったあった」
スマホ画面から見せて貰ったのは、人の耳みたいな形の機械や、マネキンのような人の頭の画像。
「これに話すと、本当にそこにいるみたいな感じに出来るんだよ。子供の頃母親の囁き声が気持ちよくて寝るとかあるだろ?それと一緒」
「へー...こんなのあったんだ」
「興味がなきゃ触れることない世界だしな。これで添い寝を再現するのとかある」
「何のために?」
「んー...身も蓋もないことを言えば再生数のため?気に入った声とかシチュエーションがあれば何回も聞くだろうし」
「ホントに身も蓋もねぇな」
自分で調べると、男性向け女性向け問わずそれなりの数があるみたいだった。イヤホンを片耳にさして再生してみると、確かに昨日聞いたのと似たようなのが流れる。
「好きな声聞いたら休まるか。まぁ確かに、安心感は得られる...のか?」
「それにしてもどうしたんだよ?突然」
「後輩からこれに近いのを貰ってな。疲れぎみだからって」
「......うはー、マジかー。どうだった?」
「...最初の方で意識が落ちたからほとんど分からん」
「ふーん...その顔すげぇ殴りたいけど、お礼くらい言っとけよ」
「あぁ...待って。なんで殴られそうになってんの?」
(どうせならなぁ)
学校が終わり、今日は春信さんに会うために勇者部には出ず、そのまま帰る。適当にレベル上げしてればいいゲームをつけて、ヘッドホンをつけた。そのままごろんとベッドに寝転がる。
(お礼を言うにしても全部ちゃんと聞いてからのがいいし、これならゲームに集中することもないし)
昨日は見なかったが、約30分も中身があることに驚きながら、再生ボタンを押した。
序盤である導入は、昨日も意識があった場所で、多少緊張するも終わっていく。
ただ、やっぱり少しずつ、おかしくなる。
『すーっ...ふぅー......すーっ...はぁ』
ただただ深めの呼吸をしているだけなのに、耳をくすぐる感覚は増していく。優しく静かな声は、聞いていて安らいでくる。
(...あれ)
『そろそろ、眠くなってきましたか?まだ寝れないですか?』
表現しにくい口の中の音まで拾っていて、何か聞いてはいけないものを聞いている気分になってきて________いや、それを止めるだけの判断力も、想像を発展させるための想像力も削り取られていく。
(なんで、こんなに...)
『じゃあ、頭なでなでしますね。失礼して...』
向きを変えられたのか、がさごそ音がして。
『はい。これで私のお膝の上です...今日は、良く頑張りました。なでなで。なーで、なーで...』
とっくに、自分の手は止まっていた。
『なーで...なーで......』
(こんなに)
近くに温もりなんてない筈なのに。彼女の声が聞こえているだけなのに。
(眠、く...)
『よしよし。好きに寝て良いですからね...ゆっくり、お休みになってください』
さわさわと撫でられてる音、樹の綺麗で整った息遣い、とろけるような声。
(ゾクゾク、するのに......)
気づけば、俺の視界は真っ暗になっていた。
----------------
「?」
お姉ちゃんの作った夕御飯を美味しく食べて、洗い物を任せてもらって、しっかり終わらせた後。自分の部屋に戻った私はスマホの通知が来てることに気づく。
相手は椿さんで、内容は『ちょっと話いいか?』というもの。来たのは五分くらい前。
「『はい。大丈夫ですよ』っと...」
ついさっきお姉ちゃんがお風呂に入ったから私が急ぐことはないし、断る理由なんてなかった。
「わわっ、もしもし!」
『あぁ樹?悪いな、突然』
「いえ、全然大丈夫です!」
すぐにかかってきた椿さんからの電話に、少し慌てながら返事をする。
「それで、どうしたんですか?」
『いや、どうしたっていうか...お前に渡されたやつの話なんだけど』
「!」
それが何のことかはすぐに分かった。疲れぎみに見えた椿さんを癒そうと思って作ったASMR音声。これのためにダミーヘッドマイクを買ってみたのだ。私の心情的に、大赦からお小遣いとして渡されるお金はしばらく使いにくい。
でも、その感想をわざわざ口で伝えようとしてくれてる椿さんに、ちょっとドキドキしてきた。
「椿さん、ど、どうでした...?ちゃんと休まりました?」
『あぁ、うん、まぁ...ヤバかった』
「?」
『ホントは全部聞いてから感想を言いたかったんだけど...頑張っても心地よくて途中で寝ちゃうから、最後まで聞けてない』
「!!」
『だから言うのも迷ったんだけど、これから勝てる気もしなかったから...その、そう思うくらいにはよかった...です』
「そうですか...よかったです!」
私は喜びながら、何も握ってない手で小さくガッツポーズをとった。
まだ誰もとってない方法で、疲れることの多い椿さんの癒しを作ることが出来たのは大きい。
「また作りましょうか?」
『いいのか?あ、いや、それなりに長い時間使ってくれてるだろ?それは申し訳ないし...』
「いいんですよ。普段お世話になってる椿さんのお願いなら、いくらでも」
『お世話って...樹だって部長としていつも頑張ってるだろ?』
「じゃあ部長命令です。受け取って聞いてください」
『横暴だ...俺にとっては得しかないけどさ...歌だけじゃなく、声も安心しきっちゃうから』
「じゃあ、決まりですね♪」
『...はい。お願いします』
「はい!!」
言われたことに嬉しくなって、頬が勝手に持ち上がる。
『あ、だったらネットにもあげてみたらどうだ?調べてみたんだが上手い人はそれなりに人気らしいし、世界の歌姫を目指す樹の腕試しみたいな感じで』
「世界の歌姫って...そんなんじゃないですよ」
『そうか?狙えると思うけどなぁ...綺麗な声だもん』
「っ、で、でも、ちょっと考えてみます!!」
べた褒めに動揺した私は上手い言い訳を思いつかずに誤魔化した。本当はネットに流すつもりなんてないのに。
だって、確かに私の歌は沢山の人に笑顔になって欲しいから。私がその歌を届けたいからだけど、これを作った理由は__________
(椿さんのためだけ。だもん)
「とにかく椿さん、次も渡しますね?」
『あ、あぁ...分かったよ。楽しみにしてる』
「任せてください!」
ふと、部屋の鏡に映った私を見たら、頬を赤く染めて、凄くニコニコしていた。
(ふふっ...次も楽しみに待っててくださいね。椿さん♪)