今日は一人で帰ってきた。夕焼けが窓から入ってきた頃。一本の電話がかかってくる。
「はい。犬吠埼です」
『こんにちは。ボーカルオーディション選考委員の者です。二次選考の詳しいご案内のため連絡させて頂きました』
かかってきたのは身に覚えのない場所からの連絡。
「え...なに、いつですか」
『三ヶ月近く前ですね。犬吠埼樹さんからオーディション用のデータを預かっています』
「ぇ......」
後から何を言ってるか分からなかった。そのうち電話が切れて、ふらふらと樹の部屋まで歩く。
整理整頓ができない樹の部屋は散らかっていて、机に一冊のノートが広げられていた。書いてあったのは声を治す方法と、治ったら何をしたいか。
『睡眠をとる(だから朝起きれないのは仕方ない)』
『健康的食生活(お姉ちゃんのお陰で問題なし)』
『喉にいいジュースを作る(お小遣いで買えるかな?)』
『勇者部のみんなとわいわい話す』
『クラスでお喋りする』
『お姉ちゃんと古雪先輩を応援する(できるかわかんないけど...ね)』
『歌う!!』
「......」
前が霞んで見えなくなるのをそのままに、スタンバイモードにしてあるパソコンも覗く。
大量の検索結果を閉じると、オーディションファイルと書かれた物を見つけた。
『えーと、これで録音されてる?ボーカルオーディションに応募させて頂きました犬吠埼樹です』
オーディションに応募した理由が語られていく。お姉ちゃんがどれだけ凄いか、逆にそれについていくだけだった私だったと。
『いつもお姉ちゃんの後ろを歩いてばかりだった私が、自分で歩くために。私自身の夢を、私自身の生き方を持ちたいと考えて応募しました』
(夢...)
『私が好きな歌を一人でもたくさんの人に聞いてほしいと思っています』
前に_______もうだいぶ昔のことに感じる______樹の歌のテストが成功に終わった日の帰り道。
『お姉ちゃん、私やりたいことできたよ』
『なに?お姉ちゃんに教えてよ』
『えへへ...内緒』
「樹の夢を...あたしは」
震える手でスマホを見ると、この前届いた大赦からのメッセージ。体の異常はじきに治る。とだけ書かれた簡素なもの。
「...あぁ」
樹に出来た夢を、あたしは奪ってしまった。声が供物としてとられたから、満開させたから、勇者にさせたから、勇者部にいれたから、あたしが大赦と繋がってたから__________
(知っていれば...こんなことさせなかったのに!!!)
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
そこからどうやって動いたのか覚えていない。気づいたら勇者の格好でひたすら大赦を目指していて、目の前に夏凜がいた。
「風!待ちなさい!」
「邪魔しないで!」
「なにする気よあんた!」
「大赦を、潰してやる!!」
「なにを...」
「邪魔するなぁぁぁ!」
道を阻む夏凜に剣を向ける。夏凜も刀を出して受け止めてきた。
「大赦はあたしたちを騙してた!最初から満開の後遺症を知っていて、あたしたちを生け贄にしたんだ!!」
「そんなでたらめ...」
「でたらめなんかじゃない!あたしたち以前に犠牲になった勇者がいたんだ!」
「なっ!」
夏凜の防御が一瞬緩んで、その隙に吹き飛ばす。
「くぅっ!」
「そして、今度はあたしたちが犠牲」
樹はもう歌えない。その夢は叶わない。
「なんでこんな目にあわなきゃいけない!なんで樹が声を失わないといけない!!」
「風...」
「なんで夢を諦めなきゃいけない!!!」
夏凜の顔が怯えている。もう邪魔さえしなければそれでいいのに、刀は相変わらず向けてきた。
「はあっ!」
「きゃ」
二本の刀を弾き飛ばされた夏凜は尻餅をついた。でももう止まらない。
「世界を救った代償が、これかぁぁぁぁ!!!」
剣を夏凜に降り下ろして、途中で止まった。夏凜の精霊________ではなく、赤と白の勇者服。
「少しは落ち着け!風!!」
「椿...あんたも、邪魔するのかぁ!!」
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「椿...あんたも、邪魔するのかぁ!!」
「ぐっ!」
構えた盾は風の大剣の一撃でひしゃげた。
バーテックスに対抗できる刀と盾だが、勇者システムの恩恵をフルに受けている武器と、大赦が用意した後付けの模造品。どちらが優れているかなんて語る必要もなかった。
(銀、借りるぞ!)
すぐさま双斧を顕現させぶつける。
「椿...」
「早く下がれ!」
「っ!」
ぼけっとしたままだった夏凜がやっと下がって、俺も風から距離を取った。
「椿、どきなさい!」
「断る!」
風は、いつもの彼女とは別人だった。周りを気遣う優しさも、喜ぶ笑顔もどこにもない。
「大赦だろうとどこだろうと、風が人を傷つける様子なんか見てられるか!」
「大赦があたしたちを騙してたこと、わかってるでしょ!?」
「んなことわかってるよ!」
園子を騙し、勇者部を騙し、銀を騙して戦わせていた大赦は確かに許せない。
だが、それより優先することがある。
「だからって、お前が誰かを傷つけること、黙って見るわけがない!」
「...私が犠牲になるだけならよかった」
「そんなこと!」
「知ってれば皆を巻き込まずにすんだ。そしたら樹も椿も無事だった!」
風に俺の声は届いていない。なんとか斧で防ぐものの、本気の攻撃はバリアにも影響を出していく。
(バリアが切れる...!)
精霊がいない俺は他の勇者と違ってバリア切れ、そして怪我の可能性がある。死ぬかどうかは試してないからわからないけれど。
(上等!!)
「樹は夢を叶えられたし...椿は銀を失わずにすんだんだ!!」
「っ!」
一瞬手元が狂って直撃をもらってしまった。なんとかバリアが防ぎきったものの、もう次はない。
「...確かに、勇者にならなければよかったかもしれないな」
「そう!あたしだけが勇者になれば、あんたたちは助かった!」
「でも......それでも俺は、俺達は、勇者になっていただろうな」
「な...なんで!!」
そんなこと決まってる。俺も、銀も、樹も。
「俺達みんな、風が犠牲になることを許さないからだよ!!」
「っ!」
「お前がみんなを心配するように、俺達だって心配してるんだ!わかれよ!確かに後輩や妹は話にくいかもしれないけど!俺だっているんだぞ!!」
「あぁ...あぁぁぁぁ!!」
風が子供の様に泣きじゃくって剣を振り回す。俺はそれを見て______斧を捨てた。
「椿!?」
一瞬ぶつかったバリアは容易く砕け、構えた両腕に突き刺さる。視界を赤く染め上げた。
「ぐっ...」
「なんで...どうして...」
「捕まえた!」
武器を構えていれば、バリアが干渉して捕まえることができない。動揺している風の剣を手から叩き落とし、勢いそのまま押し倒した。
「は、離しなさい椿!」
「嫌だね!もう離さなさい!!絶対に!!」
もう誰も失いたくはないから。
「それに...その方が近寄りやすいだろ?」
風の後ろに降り立った彼女に向けて、俺は微笑んだ。
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『樹、帰ったわよ~』
『お邪魔します』
お父さんとお母さんがいなくなって、お姉ちゃんとの生活が慣れてきた頃。古雪先輩と初めて出会った。
『俺の名前は古雪椿。君のお姉ちゃんの部活に入ったんだ。よろしくね』
『いやーいい運び屋が出来たわ』
『もうやらねぇ...と言いたいところだが、この子の為なら仕方ない......』
『なによ、あたしだけだったらやらないの?』
『そうは言ってないだろ...』
当時は今よりもっと人見知りだった私は、古雪先輩とあまり会話することなかったけど、お姉ちゃんと仲が良いのを見てなんとなく信用していた。
『樹ちゃんはお姉ちゃんのこと好きか?』
『はい!お姉ちゃんはなんでも出来るんです!』
古雪先輩が我が家でご飯を食べることになった日、お姉ちゃんが料理を作ってる間、私達の話題はお姉ちゃんだった。
『私はなにもできないから...後ろをついていくだけで』
『んー、そんなことないと思うけどな』
『え?』
『風って割りとポンコツなところあるし。樹ちゃんの方が上だなって思うところもあるし、姉妹なんだなって思うこともあるよ』
なにを思って言ったのかはわからないけれど、古雪先輩は笑顔でそう言った。
『だったら...樹って呼んでくれませんか?』
『あぁ、子供みたく扱い過ぎたかな。ごめん...樹』
『ありがとうございます!』
その時は嬉しかった。私が認められたような気分で。
『椿...誰がポンコツだってー?』
『聞こえてたのかよ!?』
『あはは!』
それからも、部員が増えてやれることが幅広くなり、忙しくなってからも何度か来てくれた古雪先輩は、まるでお兄さんみたいな人だった。
大切なお姉ちゃんとお兄さん。
「は、離しなさい椿!」
「嫌だね!もう離さなさい!!絶対に!!」
そんな二人が血を出して、涙を流して喧嘩しているのを見て、胸が苦しくなった。
「それに...その方が近寄りやすいだろ?」
こっちに目を向ける古雪先輩に頷いて、私はお姉ちゃんを抱き締めた。
「......樹...」
スマホに打ち込んでいた文字を見せる。
『私達の戦いは終わったの。もうこれ以上、失うものはないから。だからもうやめて』
見ると、お姉ちゃんは泣き出してしまった。力が抜けて倒れそうなのを古雪先輩が支える。
「ごめん...ごめん...皆を巻き込んで...あたしが、勇者部なんて作らなければ...」
『その気持ち、風にそのまま伝えてあげてくれ。きっと風はそれだけで元気になる』
家に帰ってとってきた紙__________歌のテストの時、みんなが応援メッセージを書いてくれた紙に、新しく文字を書く。
『勇者部のみんなと出会わなかったら、お姉ちゃんと椿さんを見て、勇者部に入りたいと思わなかったら、きっと歌いたいって夢も持てなかった。勇者部に入って本当によかったよ』
心からの思いを綴る。その気持ちは、お姉ちゃんに届いた。
「樹......うぅ...ぁぁぁぁ」
ぎゅっとお姉ちゃんを抱き締めた。