乙姫のもとをあとにして、僕は自宅に向かった。皆城総士はフェストゥムが竜宮島にやって来た夜、自分の家は今日なくなったと言っていた。義姉と父を一日に1度に失って、妹はいつ会えるかわからない状態で家族を失ってしまったという暗喩かと思っていたらまさかの物理的に家がなくなっていた。
ワームスフィアで抉られた家。体の悪い虫食い家の様だった。
辛うじて無事とは言い難いが、僕の部屋からバッグやリュック等を取り出して最低限の荷物を集める。別のバッグには蔵前の部屋から下着を中心に何着か着替えも用意する。
もしファフナーに乗れるのなら、僕はこの憎しみをぶつけていたことだろう。
「ささやかな楽しみだったのに。マークニヒトがこんなにも恋しくなるとはな」
ちょうど僕の部屋の本棚があった場所。脇には机もある――はずだったが、キレイに抉られている。机の上に置いてあった雑誌もない。ゴウバインの最新話を読む前にフェストゥムに奪われるとは思わなかった。
衛に借りるか。しかし今日読みたかったのだ。新必殺技のゴウスパークを読みたかったのだ!
「この恨み、十一倍にして返すぞ。フェストゥム!」
これは憎しみではない。極めて正当な怒りだ。
着替えで膨れたバッグを持って家をあとにする。あの状態なら新築した方が速い。しかし島の復興にも人手は要る。皆城総士の様にアルヴィスに住めば良いのだから、家の修復は後回しだ。
アルヴィスに戻ればちょうど良い時間だった。蔵前と鉢合わせる。表情が暗いということは、そういうことなのだろう。
「皆城くん……」
「……今日からアルヴィスに住むことになる。適当にだが、着替えを持ってきた」
「これ……。私の部屋に入ったの?」
「半分以上が抉れていた。後日使える調度品を回収に向かう。服の組み合わせが気に入らないだろうが、我慢してくれ」
それでも残っていた大半の服は持ってきたつもりだ。ボストンバッグに詰められた量なら普通に一週間を着回せる数はあるはずだ。
「そ、そうじゃなくて! し、下着とか」
「下着も一緒に持ってきた。数は問題ないはずだ」
「だから違うってば! 皆城くんのバカ、鈍感!」
「今さら姉弟で恥ずかしがることもないだろう」
別に同年代の女子の下着で騒ぐほどバカじゃない。しかも姉弟なのだから気心は知れていてもそういう恥じらいもない。それに蔵前は将陵先輩の事を好いていた。ならそういう恥じらいはそういう異性に向けるべきだろう。先輩はもういないが、一緒に住んでいる僕に男女の恥じらいは要らないといっても言い。水道代の無駄だからな。
「そういうんじゃないの、恥ずかしいものは恥ずかしいの!」
思春期の女子というものはわからないことだらけだ。もう何年も一緒に暮らしているのに、今年に入ってから急にコレである。……つまり、今年に入って春に生徒会に入ってから将陵先輩の事が好きになって自分の性を意識しだしたという事か。
性を意識すれば異性が気になって仕方がないのが思春期だ。……遠い昔に思春期を置いてきた僕には確かにわからない感覚だな。
「部屋は既に申請してある。好きに使って構わない」
「ちょっと、皆城くん!」
という訳で僕は自販機から徒歩11歩の距離にある部屋を選ぶ。質素な作りだが、皆城総士の部屋よりはこれから物が増えるだろう。
少しからかいが過ぎただろうか。だが鬱ぎ込んでいるよりかはマシだろう。
皆城総士の様に一騎に事情を話しに行った方が良いのかも知れないが、それは明日にでも出来るし、色々あった日に無理に世界の真実を伝えることもないだろう。それに優先された分岐もある。
アルヴィスの食堂で設備を借り、夕食を作る。別に温度計やタイマーとかは使わない。その辺りは僕の影響が色濃く、すべては経験と目分量だ。
周囲の大人たちの視線が痛い。父さんがいなくなったことは既に大人たちには周知されているのだろう。
とはいえ、喪に服すのは明日の葬儀場で充分だろう。父さんならそれよりも今やるべき事をしろと言うはずだ。
なら僕のやる事は蔵前と約束した夕食を作ることだ。
メニューは無難に――パスタにしよう。
はいそこ。皆城パスタと思った良い子にはもれなく虚無の申し子に巣食う亡霊の一部にしてやろう。
パスタは僕が皆城総士になる以前からの得意料理だ。というより料理に関してはすべて僕の知識と経験頼りだ。それほど量は使わないが故に色々な香辛料を食料プラントで作って貰っている。
一口サイズに切った鶏肉をオリーブオイルで炒めながら唐辛子をハサミで輪切りにし、種ごと入れる。かなり辛くなるが種が焼ける香ばしさが食欲を唆る。茹でるのは1.3 mmの細いパスタだ。個人的にはこの細さが今から作るパスタには合う。5分程度の茹で時間なのも魅力だ。明日が葬儀でなければ手の込んだものも作れるのだが今日は我慢して欲しい。
茹で上がった麺を入れ、乾燥させたバジルの葉をすり鉢ですり砕いたバジリコをまぶし、塩とひとつまみのコショウで味と風味を整える。好みや気分でコンソメか醤油で味付けするが、今日はシンプルに塩だ。これでもオリーブオイルの風味と鶏肉の味で充分味はある。
蔵前にジト目で睨まれたが、明日を考えてニンニクは使っていないから問題ないと答えたら枕を投げられた。まだ引きずっていた様だ。養子だったからというのもあるのだろう。生真面目な本人は遠慮してあまりお洒落はしないから下着も質素な物が大半だった。ブルマは文化として受け継がれているが勝負下着という概念は受け継がれていないようだ。
一夜が明け、僕は早めにアルヴィスの中を歩いていた。竜宮島の数ある区画には建設当初に造られてからまったく使われていない区画や存在を忘れられている区画がある。そんな区画の1つを僕は自分の研究室として使っている。
研究室には窓があり、そこから見えるワインレッドの巨体。ノートゥング・モデルよりも大きな体躯を持つこの機体は本来ならもう存在しない機体だ。だが今こうして僕の目の前にある。それは先輩たちの戦いが真実そこにあった事を物語っている。
L計画――。竜宮島からフェストゥムの目を逸らすための危機回避計画。
竜宮島を救うために戦った者たちの記録がこの機体には遺されている。
生還することを信じて戦い続けた彼らの記録に、島の大人たちは皆涙を流した。そんな彼らの記録を遺すために、保さんの協力を得つつ僕はこの機体を修復した。
将陵先輩はあまり学校には来れない人だったが、学校行事で生徒会長の出番があるときはどんなに調子が悪くても学校に来て生徒会長の務めを果たしていた。必要以上に他人と会話しない僕にも良く声をかけてくれる人だった。
将陵先輩に生駒先輩、蔵前と僕の四人の生徒会というのも僕なりに楽しかった。
そんな先輩たちに僕が出来た事は何もなかった。助けることも出来なかった。
あの時の悔しさは忘れる事など出来ないだろう。だから皆城総士の気持ちもわかる。彼と同じ様に僕も誓いを立てた。ジークフリード・システム内の全パイロットの生命を僕が守ると。
その為には様々な準備が要る。未来がわかっているならそれに備えることも僕の戦いだ。
リンドブルムは保さんたちに任せるとして、武装関連の整備は最優先だ。先日は仕方がないとしても、ファフナーを丸腰で出撃させる等という事はしない。
羽佐間も甲洋も必ず救ってみせる。甲洋がフェストゥムの側に行かない事でどの様なことが起こるかわからないが、かといって見捨てる事は出来ない。
未来がわかっているということもやりにくい。最善手が選ばれていた未来を変えることは、下手をすればその未来よりも悪い未来を引き当ててしまう可能性すらある。
しかも僕はカノンと違って一発勝負だ。未来は知っているだけで、カノンの様にいくつもの未来から選べる権利はない。結果を知り過程を求めていくという意味では同じだろう。だが選べる未来の数を僕は知らない。そして最善の未来を知るからこそ極めて難易度が高い。
未来とは過去と現在の積み重ねたと僕は考えている。だから僕は僕に出来ることを積み重ねてきた。今を救えないことも多かった。だから未来を救い未来を更に選べる様にするしかない。
無駄だとわかっていてもエインヘリアル・モデルについて研究していることもそうだ。未来でカノンが戦う負担を減らすことが出来ればという祈りでしかないが、それが少しでも未来に繋がればと僕は思っている。
合同葬儀が行われ、蔵前は父の死に涙を流していた。蔵前が泣いてくれているから僕は毅然として父の死を送り出す事が出来た。
「……少し良いか? 一騎」
「え?」
葬儀が終わり、皆心を痛める帰りに僕は一騎に声をかけた。クロッシングの影響だろうか、以前よりスムーズに一騎へ言葉を掛けられる様になった。
「よろしいでしょうか? 真壁司令」
「ああ。君の口から説明してやってくれ」
おそらく真壁司令からはあまり説明を受けていないのだろう。
一騎を連れて、僕は鈴村神社にやって来た。長い階段を登る途中で一騎に声を掛けられた。
「何処まで行くんだ? 総士」
「僕の始まりの場所さ」
僕の始まりの場所。鈴村神社は皆城総士にとっても僕にとっても共通の大切な場所だ。
あの木の前に立つ僕と、その背には一騎が居る。今一騎がどんな表情を浮かべているかなど僕にはわからない。
「総士……」
「ファフナーに乗った気分はどうだ」
「……いや。別に」
僕が乗れと言った訳じゃない。だから一騎は戸惑いながらもファフナーに乗ったはずだ。なのに答えはそれだけだった。
「じゃあ、日本がもう滅んでいるという話ならどうだ?」
「え? 日本が!?」
さすがにこの話題には食いついた。竜宮島から遠く離れた日本にいつか行く事が島の子供たちにとって細やかな目標だったりする。
「28年も前のことらしい。フェストゥムと、そのフェストゥムを滅ぼそうとした人類の核攻撃で、日本列島の8割以上が消滅した」
「核攻撃って……」
ファフナーもなかった時代。フェストゥムの読心能力に対抗する術もなく多くの人間が犠牲になった。その事については溝口さんが道夫さんとの会話の中で触れていた。
「世界中の国が滅んだ。昨日までこの島だけが唯一戦いもなく平和な楽園だった」
「この島だけ……」
そんな竜宮島でも敵の襲来に対応出来ずに数十人もの犠牲者が出た。
「スフィンクス型の襲来によって、この島の存在もフェストゥムに知られた。彼らはまた来る。その為のファフナーだ」
「……俺に、出来るのか?」
「お前だけじゃない」
一騎ひとりに戦わせる事はない。皆で島を守らなければ意味がない。
「僕や蔵前、島の大人たちも居る」
それに直ぐにパイロットの候補生も集まり、少しずつ仲間も増えるだろう。ただ、今はそれは告げる事ではない。
「僕と一緒に、戦ってくれるか? 一騎」
「ああ」
既にフェストゥムと戦っているからだろうか。この申し出に対しては何も迷うことなく即答されてしまった。
「……良いのか? 訊いておいて今更だが死ぬ可能性もないとは言い切れないんだぞ」
死なせる事の無いように全力をあげるつもりだが、世の中に絶対はない。
「お前が戦うなら、俺も戦う」
「……そうか。ありがとう、一騎」
僕が言ったから、か。今の一騎は僕の目を傷つけた負い目に自分の存在を常に否定している。僕が一騎の事を糾弾すれば良かったわけでもない。あれは皆城総士が事の発端であり、傷つけられたのも僕じゃない。
だから僕がどうこう言える立場じゃない。
それでも一緒に戦ってくれる事の礼くらいなら言っても良いだろう。
「明日、迎えに行く」
「え?」
「おかしいか? まだアルヴィスの何処になにがあるか知らないだろう? 中で迷子になりたいなら別だが」
「い、いや。…ただ、久しぶりだなって」
「四年振りになるな」
僕の記憶は四年前から始まっている。その四年間、一騎の家には立ち寄ってはいない。それ以前は両親も懇意だった為一騎とは良く遊んでいただろう。四年より以前の記憶のない僕には想像するしかないが。
「……総士」
「なんだ…?」
何かを言いたそうな一騎。視線の向く先は僕の左目だ。言いたい、いや、聞きたいのだろう。何故目を傷つけた事をずっと黙っているのか。
「……僕はお前に感謝している」
「っ、な、なにを……」
この話題は皆城総士とするべきであって、僕にする内容じゃない。だから僕は僕に出来る話をする。
「お前が戦ってくれたから島を守る事が出来た。ファフナーに乗れない僕の代わりにお前を危険に晒してしまう事を僕は申し訳なく思っている」
「それは…っ、……俺は…別に」
これは僕の本音だった。僕がファフナーに乗れれば一騎の苦労だって減らせるのに、僕は自分が変わることが怖くてファフナーに乗れない。自己保身の為に一騎を犠牲にしている。皆城総士が聞いたら、僕を恨むだろう。それを承知で僕はこうしている。皆を守りながら皆城総士が帰ってくる方法を模索している。そのひとつに一騎が危険だとわかっていてファフナーに乗せることも含んでいる僕は最低な人間だ。
「明日に響く前に、今日は帰るか」
まだ筋肉痛で身体が少し痛いのだろう。ここに来るまで身体の動きがぎこちなかった。なのに神社まで連れてくる僕も大概だが。
「総士」
「なんだ?」
「……昼、まだだろ? うちで食べて行かないか」
まさかの誘いに僕は今までにないほど目を見開いているだろう。気まずくてちゃんと会話も出来なかった僕を昼食に誘うことの意図を図りかねていた。
「ハンバーグカレーなら、考えても良い」
だから少し面倒な注文を出したが、僕の言葉を肯定の意思と取ったのだろう。わかりやすい程に顔を微笑ませる一騎の笑顔はとても綺麗なものに思えた。
to be continued…