Fate/Everlasting Shine 作:かってぃー
巨大。まさにその一言であった。
全高は立香の十数倍にまでなるだろうか。その異様なまでの巨躯は街ひとつすらも容易く覆い隠すほどだ。此方を見下ろす青い眼に宿るのは断じて闘志や殺意などではなく、ただ己よりも矮小なるものへの加虐欲求、そして貪欲なまでの食欲。
体表を覆う黒々とした鱗はまさに城壁の如く。神代などに生きた〝幻想種〟というカテゴリに属する生物は神秘を内包する攻撃しか通用しないのはこの特異点に来る前に魔術世界の基礎知識として遥に叩き込まれていたが、恐らく生半な武装では神秘を宿してはいてもこれには通用しまい。
邪竜ファヴニール。龍の魔女たるジャンヌ・オルタが召喚した虎の子の戦力にして奥の手。それが立香たちの前に現れた災厄の正体であった。
だが、立香たちとて戦力としては負けてはいない。立香のメインサーヴァントであるマシュはその真名こそ知れないものの星の聖剣の一撃を防ぎ切るほどの防御力を備えているし、クー・フーリンとアルトリア・オルタは歴史に名高い一騎当千の英雄だ。
彼らに加え、今の立香はこの特異点で出会ったサーヴァントと仮契約を交わしている。何らかの要因によって奇妙な形で現界しているジャンヌ・ダルク。ルーラーとしての権限は失ってはいるが、その堅牢な防御力と強力極まる宝具は通常とは変わっていないらしい。
膝は恐怖で笑い出しそうだが、自分自身で意外なほどに冷静な立香。それとは対照的に、ジャンヌはファヴニールの頭部に立つ黒い自分に視線を釘付けにされていた。ロマニからの報告でその存在を知っていたとはいえ、実際の目の当たりにした衝撃は拭えないのであろう。
そんな彼らをファヴニールの頭上から睥睨するジャンヌ・オルタ。軽蔑と侮蔑、憤怒と憎悪が入り混じったその顔が、不意に失笑に歪んだ。
「ふふっ――あは、アハハハハ!!! あぁ、なんて滑稽な姿なのかしら! ここにジルがいないのが残念でならないわ。まるで羽虫のよう。本当――こんな
唐突にジャンヌ・オルタの顔から笑みが消え、眼光に先以上の憤怒と憎悪が宿る。それは果たして同一存在であるジャンヌに向けられたものか。或いはフランスそのものに向けられたものか。何であれ、取るに足らないものと扱われている立香も肌で感じるほどにその感情は強烈であった。
内から湧いて出てきた憎悪に従って行動しているというよりも、まるで憎悪と憤怒だけで構成されている存在を相手にしているかのような違和感。立香は確かにそれを感じていたが、その違和感に名前を付ける余裕など彼にはなかった。ただ相手に隙を見せないように虚勢を張るだけで精一杯であった。
こんな憎悪と憤怒の化身を相手に遥は単身で挑みかかったというのか。或いは遥が相手にしてきたという魑魅魍魎の類と彼女はそう変わらないのかも知れないが、これほどの熱量を持った感情と相対するのは、立香にとって初めての経験であった。
加えてジャンヌ・オルタが従えるファヴニールである。立香は世界史や日本史についてはそれなりに知ってはいたが、伝説に関してはさして明るくないことを自覚していた。そんな立香ですらその名前は聞いたことがある。主にゲームやファンタジー小説でだが。
「貴女が……貴女が黒い私ですか。話には聞いていましたが……」
「そう。私はジャンヌ・ダルク。蘇った救国の聖女ですよ、愚かな〝私〟」
「……私たちは聖女などではない。それは私たちが一番よく知っているでしょうに」
ジャンヌ・オルタの視線を真正面から受け止め、ジャンヌがそう断言する。その涼やかな態度は事前にジャンヌ・オルタの存在を知っていたからこそのものではなく、ジャンヌ自身の性格を表すものであるだろう。
立香の生きている時代では世界中で聖女として崇められているジャンヌではあるが、それはジャンヌ本人が自らを聖女と称していたからではない。彼女を聖女として扱っているのはあくまで周囲の人間であって、彼女にとって全ての行いは自分にできることを行っただけなのだろう。
そのジャンヌの言葉をジャンヌ・オルタはどう捉えたのかは分からないが、ジャンヌを嘲笑するようなその眼だけは何の変化もなかった。対してジャンヌの眼には憐れみと困惑が浮かんでいる。
「いえ、そんなことは今語るべきことではありませんね。それよりも、この街を襲ったのは何故ですか?」
「何故、ね。そういえば昨日もそんなことを問うてきた奴がいましたね。同じジャンヌ・ダルクであるのにそんなことも分からないとは、どこまで愚鈍なのかしら。これなら彼の方がまだ聡明でしたね」
心底呆れた、とでも言いたげなジャンヌ・オルタの声音。立香はその言葉の中に、聞き捨てならないものがあることに気付いた。ジャンヌ・オルタが言う『奴』とは間違いなく遥のことだろう。つまりは、遥はジャンヌにとって受け入れがたいことを簡単に理解し、事実として受け入れたというのか。
立香自身、ジャンヌ・オルタが言わんとすることが分からないまでもない。しかし、何故という思いは禁じ得ない。彼女が剥き出しにする〝
ジャンヌ・オルタの目的とはすなわち〝フランスを滅亡させること〟であるのは、ここまで来れば最早明白であった。成程人類史が崩壊する訳である、と立香が独りごちる。百年戦争の勝者であり、後年いち早く自由を標榜した国が滅べば人類史にどれだけの影響があるか分からない。
「祖国を滅ぼすなど、莫迦げたことを……!」
「馬鹿げている……ですか。なら問いますが。何故、こんな国を救おうと思ったのです? どうして、こんな愚か者たちを救うに値すると思ったのです?
信じた結果が私たちの最期でしょう。救うに値しないものを救った果てに私たちは裏切られた! 違う?」
「それは……」
ジャンヌ・オルタが吐いた憎悪の言葉を、ジャンヌ・ダルクは否定できない。どれだけジャンヌが言葉を繕うとも、どれだけジャンヌがその結末に納得していようとも、その結末は事実だからだ。確かにジャンヌ・ダルクはフランスに裏切られた。裏切られ、唾棄され、凌辱された。
その結末を思えばこそ、立香はジャンヌ・オルタの憎悪を否定できない。「君の行動は間違っている」など言えない。仮に立香がジャンヌの立場に立った場合、ジャンヌのようにその結末を受け入れられるのかと問われれば、否と言い切ることができないからだ。
その時点になってようやく、立香は自分が抱いた違和感に気付いた。要は、ジャンヌ・オルタは正当な
だが、どちらかが贋作なのではないかという疑問は現時点では無意味だろう。仮にそれが当たっているのだとしても、どちらもサーヴァントとして存在しているのだからそれを問うのは無意味、愚の骨頂だ。
立香の後ろで、クー・フーリンが「成程な」と呟く。クー・フーリンの嫌いなことのひとつは裏切りだ。故に彼にはジャンヌ・オルタの思いが多少は理解できてしまうのだろう。
「もう私は騙されない。裏切りを許さない。私の救済が間違っていたのなら、間違った救済を受けたこの国を滅ぼす! それを邪魔するというのなら、何であれ消してやるわ!!!」
ジャンヌ・オルタが憎悪の極限を叫ぶと同時、ファヴニールが主の意思に答えるように咆哮した。大気が震撼し、
立香は腰を抜かしこそしないものの、気を抜けば恐怖で足が笑い出しそうだった。それが冷静なように振るまえているのは、偏に彼の類稀なる我慢強さがあってこそのものである。しかし英雄たちにはそれもお見通しであるようで、クー・フーリンが揶揄うように問いかけてくる。
「怖いか、マスター?」
「……ああ、怖いね。できればすぐにでも逃げ出してしまいたいくらいだ。でも、オレは逃げないよ、ランサー。だってカッコ悪いだろ? 何もせず逃げるの」
「ハッ。それでこそだぜマスター。男なんて意地を張ってナンボってモンよ。さぁ命令を出せよ、マスター。折角の初陣だ、全力を出してやる。普段は面倒で封印してるルーンも使った大盤振る舞いだ」
そう立香を鼓舞しながら、クー・フーリンが立香の背を叩く。そうして彼が向けてきた獰猛な笑みに立香もまた笑みで返すと、不思議と恐怖感が和らいでいくような気がした。
アルトリアを目を合わせると、アルトリアは常の仏頂面を変えることなく頷いた。続いてマシュに視線を移す。アルトリアやクー・フーリンとは違い、マシュは立香と同じく戦闘への恐怖を根底から拭える訳ではない。だが己がマスターが戦うと決めたのなら自分も戦うと覚悟を決め、大盾を構える。ジャンヌを見れば、彼女はジャンヌ・オルタを見つめていた。
その視線の先では、ジャンヌ・オルタがファヴニールの頭からワイバーンへと乗り換えていた。ファヴニールに乗ったままではファヴニールが戦えないという判断だろう。流れ弾を受けず、かつ戦闘を観察できる高度にまで上昇していく。見えないが、その傍らには数騎、霊体化したサーヴァントが控えていると見て良いだろう。
ほう、と息を吐いて目を瞑る。意識を外側から内側へと向け、全身の知覚に集中する。イメージするのは一滴の水。それが落下して弾け――
――意識が切り替わった。
魔術回路の起動に必要なものは何も特殊な技術ではなく、トリガーになるイメージだ。ある者は心臓に撃鉄が落ちるイメージ、またある者は心臓にナイフを突き刺すイメージ。遥のそれは〝心臓に銃弾が直撃する〟イメージらしい。
立香が自分自身の魔術回路を起動するために必要とするイメージは〝一滴の水〟だ。それが弾けた瞬間に立香の身体は『生物』から魔術を行使するための『機械』へと切り替わり、魔術回路が起動する。
とはいえ、立香は魔術師としては超が付くほどの新米だ。独力で行使できる魔術などひとつもなく、この特異点にレイシフトする前に遥に回路の使い方を叩き込まれただけの、いわば〝魔術師もどき〟。
だが魔術師もどきの立香にも、ひとつだけ他の魔術師にも引けを取らない強みがあった。魔術というよりも『異能』に属するもの。魔術師の家系の生まれではない立香が生まれ持った、唯一の先天的魔術素養。
眼を開ける。純日本人とは思えないような濁りのない水色の瞳が、今は仄かな虹色の光を帯びていた。
その眼が捉えたのは膨大なマナの流れ。ファヴニールの
「やれ、ファヴニール! 奴らを鏖殺なさい!!!」
「くるぞ、マシュ、ジャンヌ!!!」
立香の号令に少女ふたりがはい! と答えると同時、ジャンヌ・オルタの命令のままにファヴニールが体内に収束されていた魔力を一息に解き放った。解放された
星の聖剣にも等しきその一撃を迎え撃ったのは、マシュとジャンヌの宝具。ジャンヌの宝具である〝
絶対的な防御力を誇るふたつの宝具が同時に展開され、吐息が立香たちが立つ場所で裂けて破壊された街を駆ける。それまで瓦礫だった家屋の残骸が一瞬にして砕け散り、塵以下の屑へと変じた。
くうぅぅぅっ……! と強力極まる邪竜の吐息に押され、マシュとジャンヌが苦悶の声を漏らす。いかな堅牢な彼女等の宝具といえど、長時間咆哮を受け止めていられるだけのものではない。だが、立香たちとて甘んじてそれを受け入れるつもりなどなかった。
マシュたちの宝具によってできた
「開幕の花火だ。盛大にいかせてもらうぞ、邪竜! ――
真名を謳い、アルトリアが聖剣を振るう。その瞬間に魔竜の咆哮にも等しき魔力の暴威が解き放たれ、ファヴニールの喉元を叩きつけた。ギィ、と奇妙な悲鳴をあげてファヴニールが仰け反る。
気を抜けば後方に吹っ飛んでいきそうな反動を魔力放出を利用して押し留め、落下しつつ漆黒の魔力を束ね上げて巨大化させた剣でがら空きの胴を切り裂く。さらに、アルトリアの頭上を越えて跳ぶ青い槍兵。
虚空に閃く真紅の軌跡。振るう技は影の国にて授かりし魔槍術。理性すらなく、アルトリアの一撃によって防御すらままならない状態になっているファヴニールにはそれを防ぐ術などなく、邪竜の喉元から鮮血が迸った。
だが英霊たちの数十倍の体躯をもつファヴニールにとってはそれも決定打とは成り得ない。体勢を立て直したファヴニールの眼に宿るのは先のような加虐欲求ではなく、大人しく自分に殺されない者たちへの怒りであった。
ファヴニールが憤怒の咆哮をあげ、翼を蠢かせる。逃げるために上昇するのではなく、攻撃するための動き。さらにもうひと啼きすると、ファヴニールが低空で旋回を開始した。尾による横合いからの薙ぎ払いを狙った動きであった。
高速で振るわれた尾が大地を撫で、ラ・シャリテの街が更地へと変えられていく。超常存在の前に人間の営みなどは無意味であると言わんばかりの破壊。英霊ですら真正面から受けてしまえば一瞬にして挽肉へと変えられてしまうほどの威力を伴った一撃が立香たちに迫る。だがその尾はマシュによって受け止められ、立香たちを轢き潰すことはなかった。
「マシュ!」
「やらせません……!
ああぁぁぁぁッ!!! と一時にせよ恐怖を彼方へと追い遣る咆哮をあげ、マシュが盾を構える。今のマシュでは邪竜の一撃を防ぎ切ることはできないが、防ぎきることだけが守護ではない。一瞬だけファヴニールの尾を受け止めたマシュは、盾を傾けてその衝撃を受け流した。邪竜の尾が立香たちの頭上を抜けていき、ファヴニールが回転を止める。
攻撃と攻撃の間に生じる隙こそ、怪物へと攻撃を叩き込む絶好の機会である。そして、その隙を理性ある猛犬が見逃す筈はなかった。己が総身と相棒たる槍に全開のルーンを叩き込み、限界にまで強化する。
ニィ、とクー・フーリンが口の端を歓喜に歪めた。眼前で暴れ狂うは伝説の邪竜。彼の後ろに控えるのは己が主。望んでいたものよりは小規模だが、騎士が初陣を飾るには十分過ぎる舞台である。
なら、全力を出さない手はない。内包する太陽神の血が沸騰し、獣性が加速する。興奮を表すかのように全身のルーンの輝きが強まると同時、クー・フーリンが地を蹴って飛び出した。
尾の一撃が空振りし、身体の動きを止めたファヴニール。その視界に映ったのは真紅の呪槍を構えて突貫してくる槍兵。獣が持つ本能的直感で危機を察知したファヴニールは何とか避けようとするも、その巨大な体躯ではそれも叶わない。
乾坤一擲。繰り出された朱槍が鱗に覆われたファヴニールの強靭な瞼を易々と貫き、その下にあった眼球に深々と突き刺さった。想像を絶する苦痛にファヴニールがのたうち回り、クー・フーリンが距離を取る。
何はともあれ、これで視界の半分を奪った。竜種ほどの回復力があれば時間をかければ再生も可能だろうが、それでもしばらくファヴニールが不利であることに変わりはない。
そして、再びファヴニールの顎へと魔力が収束する。それは先程の一撃ほどの魔力量ではなかったが、ファヴニールはそれを蒼穹に向けて撃ちだした。何発もの火炎弾が空中で停止し、重力に従って落下してくる。
その様相はまさに絨毯爆撃の如く。連続で宝具を解放した後では防御宝具の同時使用などできる筈もなく、咄嗟にマシュが立香の防衛に入りアルトリアたちが大地を縫うようにして火炎弾を回避する。
「ちいっ!!!」
苛立ちも露にクー・フーリンが舌打ちを漏らす。彼らの戦力はファヴニールに負けていない。時間と魔力さえあれば敗北することはない。サーヴァントが召喚して従えられる個体など、たかが知れている。
だが獣が真に恐ろしいのは窮地に立たされた時の破れかぶれな攻撃だ。それはそうだろう。奴らとて生命なのだから、それが失われようとする時は何としてでも阻止しようとする。火事場の馬鹿力というやつだ。英霊たちの数十倍の体躯から放たれる一撃のダメージは相当なものだろう。
ならばファヴニールを操っているジャンヌ・オルタの方を先に殺してしまえば良いのかも知れないが、彼女自身強力な英霊だろう。戦闘能力はさしたるものでもないだろうが、高いステータスと竜種の召喚能力が厄介だ。そもそもファヴニールがそれを許さない。
マシュの盾の陰から、立香がファヴニールを睨み付ける。立香の眼は数多ある可能性を演算するというやや特殊な機能を有した魔眼だが、その機能が十全に果たされるのは自らが戦った時のみだ。例えば剣なら狙った場所を問答無用で切り裂く一刀を放つことができるだろうし、銃ならその一射は狙った位置に無条件で着弾する一撃になるだろう。
だが指揮する側となるとその機能も弱くなる。そもそも保持者たる立香が漠然としか機能を把握していないうえに本人が敵に干渉する訳ではない。アルトリアやクー・フーリンの一撃を無理矢理ファヴニールに当てることなどできないし、できることなど精々ファヴニールの次の行動を先読みする程度だ。
しかし、指揮する側だからこそ視えるものがある。空中に浮かび上がった邪竜の次手を予知した立香が叫んだ。
「突進くるぞ! 跳べッ!」
「マスター……?」
何故ファヴニールが行動するより早くに行動を読むことができたのか。傍らにいたマシュが疑問の視線を向けてくるが、立香に問うよりも回避を優先して立香を肩に担ぎ、真横に跳ぶ。
次の瞬間には立香たちがいた場所をファヴニールの巨体が抜けていき、巻き起こった気流によって砂と瓦礫の屑とが混じり合った煙が上がった。だがそれに立香は惑わされることはなく、上空を振り仰いだ。
邪竜が滑空するその直上。その邪竜が放った咆哮にも等しい魔力が1本の槍へと収束し、呪いの気炎をあげる。それを執るのはアルスターの大英雄、
その魔力にファヴニールはようやく気付いたようで、受けるまいと回避行動を取る。だが、もう遅い。呪いの朱槍は担い手の意思に応え、解放の時は今かと待ちわびている。槍を囲うように輝くのはルーン文字か。
最早避け得ないとファヴニールが威嚇の咆哮をあげた時、それを打ち消さんばかりの声でクー・フーリンが叫んだ。
「この一撃、手向けとして受け取れ。
――
真名解放。クランの猛犬が投げ放った朱槍は音を置き去りにするほどの速度で空中を駆け抜け、その途中で穂先が無数に分裂して邪竜へと突き刺さった。全身をくまなく差し穿たれ、ファヴニールが苦痛の咆哮をあげる。
伝承に曰く、ゲイ・ボルクは投げれば無数の鏃となって敵に降り注いだという。この宝具はゲイ・ボルクのいくつかの使い方のうちのひとつである投擲による敵の殲滅を主眼としたものであり、
ファヴニールに突き刺さった朱槍が独りでに抜け、担い手の手に戻る。邪竜の血が付着したそれを何度か振るって血を落とすと、感心したようにクー・フーリンがヒュウ、と口笛を吹いた。しかし同じ光景を見て、アルトリアが咎めるような言葉を漏らす。
「手を抜いたのか、ランサー?」
「いんや、全力で投げたんだが……さすがは邪竜様ってトコか」
面白れぇ、と獰猛な笑みを浮かべるクー・フーリン。その視線が睨み付けるのは、ゲイ・ボルクに全身を刺し貫かれて滝のように鮮血を流しながら、それでもなお憤怒と憎悪の籠った眼で彼らを睨み付ける邪竜。
呪いの朱槍に全身を貫かれていながら、ファヴニールの威圧と眼光はいささかも減衰してはいなかった。それどころかその痛みと苦痛を糧にして、より立香たちへの闘争心を高めている。
しかし、それでもファヴニールがダメージを受けていることに変わりはない。上空から冷徹な目で戦闘を観察していたジャンヌ・オルタはそのことを正しく把握していた。一度の敗北を経て、彼女は僅かながらこの状況を受け入れるだけの冷静さを得ていたのである。
そう。
「……そろそろ頃合いかしらね。……
いくら人間の力を大きく上回る能力を持つ邪竜とはいえ、
やべぇ! とクー・フーリンが漏らし、更なる追撃を邪竜に叩き込もうとする。この戦いの趨勢は完全に立香たちに向いていた。ここで逃がせば回復して再び立ちはだかる可能性がある以上、逃がす訳にはいかない。
だが、それを押し留めたものがいた。立香である。追撃を留めた主君に対してクー・フーリンは抗議しようと振り返るも、その顔に浮かんでいる不敵な笑みを見た瞬間に不満は疑問へと変わった。次いでその疑問が確信へと変わり、ハッ、と笑みを漏らす。
此方は地上。敵は空中。彼我の距離は決定的なまでに離れている。クー・フーリンもその距離を詰めて攻撃できない訳ではないが、長距離の攻撃にはそれに相応しい戦力をいうものがあろう。その点において、彼は適任であった。
間髪入れず、彼らの後方から気合いが飛ぶ。
「ふんッ!!!」
立香たちの頭上を飛ぶは無骨な巨剣。大剣などというレベルのものではない。まるで岩山そのものから削り出したかのような、人では到底震えないほどの剣であった。全長数十m、刃の厚さは数mにまで及ぶだろうか。
真名〝
だが、それで終わりではない。空中を飛ぶイガリマを足場にして跳躍していた闖入者は予測していたかのように落下するファヴニールの直上に現れると、身に宿す異能めいた魔術を起動させる。
「――
――
その手に顕現するは捻れた刀身を有する異形の巨剣。至る箇所から噴き出す炎がいくつもの刀身を成す『紅の刃』。闖入者――エミヤは投影したそれを落下するファヴニールに向けて投げ放った。数十トンには及ぶであろう巨剣が邪竜を圧殺する勢いでファヴニールに突き刺さった。
ゴッ、と異様な鳴き声をあげて吐瀉を撒き散らすファヴニール。戦神サババの2本1対の愛剣。ガラクタのハリボテとはいえ神造兵装の一撃を受けたことで、死んではいないもののファヴニールは明らかに弱っていた。
立香が振り返り、ようやく会えたねと言うとその視線の先にいたエミヤの主である遥が不敵な笑みを見せた。ロマニから連絡を受けてから、遥たちは全速力でラ・シャリテを目指していたのである。無論遥はサーヴァントほどの速力はないため、ジークフリートに抱えられていた。
その間に敵性サーヴァントの襲撃がなかったことを何か妙だ、とは思いつつも駆け付けた遥。カルデアの現存戦力の集結。逃げられないファヴニール。詰みとも言えるその状況を前にして、しかしジャンヌ・オルタは虎の子たるファヴニールではなく彼方を見つめ、己の片腕たる元帥に届かぬ言葉を投げかけていた。
――これで……これで良いのよね、ジル。
「――ええ。勿論ですよ、ジャンヌ」
この近くでファヴニールを従えて戦っているはずのジャンヌを思い、キャスターたるジル・ド・レェはそう呟いた。彼の傍らでは地面に倒れ伏せる可憐な少女――マリー・アントワネットを抱えてアサシン〝シャルル・アンリ=サンソン〟とセイバー〝シュヴァリエ・デオン〟が忘我のままに彼女の名を呟いている。その横で倒れるキャスター〝ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト〟は放置だ。
今、ラ・シャリテでカルデアと戦っているファヴニール。その攻撃は本命ではなく、その実態は完全な時間稼ぎであった。一度の敗北で学習したのは何もジャンヌ・オルタだけではない。むしろ元帥として知略に優れるジルの方が、あの戦闘から得るものは多かった。
伝承に曰く、獣とはいかに強力なものであろうと英雄の前には敗れ去る運命である。それはファヴニールでも例外ではない。事実、かの邪竜は竜殺しの大英雄ジークフリートに敗れているのだ。故に、ジルは虎の子の戦力たるファヴニールをあえて時間稼ぎの駒として利用する道を選んだ。そもそもファヴニールはジャンヌ・オルタさえいれば再召喚は可能なのだ。惜しむ必要がどこにあろうか。
現状、ジルらにとって最大の脅威はカルデアである。ならば優先すべきはフランスの蹂躙ではなく、カルデア戦力の殲滅。だがファヴニールではそれを成し得る前に斃されてしまう。ジルらにも英霊がいない訳ではないが、それではまだ心許ない。
故にジルは利用することにしたのだ。
今頃はフランス中でジャンヌ・オルタが召喚したサーヴァントたちがはぐれを消滅しない程度に嬲り、城に持ち帰ってくるだろう。後はジルの
「楽しみですねぇ。彼らの魂を穢し、その血でこの国を染め上げる時が……」
そう呟き、狂った芸術家は狂気の哄笑をあげた。
立香の魔術回路起動のイメージや魔眼は独自設定です。原作と全く同じというのも嫌でしたので。