Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第20話 神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)

 神速で振るわれる銀閃が虚空でぶつかり合い、火花が散る。甲高い金属音による調律の狂った音楽を奏でているのはふたりの剣士。沖田総司とシュヴァリエ・デオンであった。

 ふたりが戦闘を開始してから既に数分が経過している。どちらも未だ相手に決定打を加えていない状態は一見、完全な拮抗状態に見えなくもない。だがその実態はそうではなく、趨勢は沖田に傾いていた。

 沖田がデオンと戦うのはこれが初めてではない。沖田たち遥のチームがフランスへレイシフトしたすぐ後に遭遇した際も沖田はデオンと交戦している。一度戦った相手の剣筋を記憶するなど、沖田のような天才にとっては造作もないことであった。それが狂化されている相手なら猶更である。

 デオンが繰り出すサーベルの刺突を、沖田は全て刀でいなす。沖田の筋力ステータスはC。対してデオンはAだ。自己暗示をかけて身体強化を施せば真正面から受け止められないことはないが、自己暗示をかけることができるのはデオンも同じだ。何しろ、性別すらも偽ることができるほど高度な自己暗示の使い手である。実質的な筋力ステータスはAを上回っていることは想像に難くない。

 その剣筋だけで相手を魅了するであろう高度な剣技は、狂化の影響でただ荒々しいばかりの粗雑極まる剣技へと堕している。宝具であればその限りではないのだろうが、今のデオンの剣技は優雅という言葉とは無縁であった。

 

「オォォォッ!」

 

 僅かに後方に跳んで距離を取るや、常のデオンであれば絶対に漏らさぬような咆哮をあげ、サーベルを突き出す。華麗さなどは欠片もない、ただ精密かつ必殺の威力を内包するだけの刺突だ。

 それを難なく回避すると、間髪入れずに沖田は刀の柄から左手を離し、伸ばされたデオンの腕を掴んだ。そのまま背負い投げの要領でデオンの動きを利用し、最低限の力だけで彼の身体を地面に叩きつける。

 ガッ、と背中を強かに打ち付けたデオンの肺から強引に空気が押し出される。その隙を狙って沖田が刀を逆手に持ち替え、霊核の存在する脳天を貫かんと刃を落とす。だがデオンは間一髪でそれを避けると無理矢理沖田の腕を振りほどいて地面を転がってもう一度沖田から距離を取った。

 だが一度見出した隙を沖田がそう簡単に逃す筈もない。立ち上がろうとするデオンに向けて刀を振るう。デオンは立ち上がることができずに中腰のままサーベルで沖田の斬撃を防ぐ。しかし、狂化がかかって鈍った頭では正確無比な剣技を防いでいられる筈もない。左肩口に乞食清光の刃が突き刺さり、デオンが苦悶の声を漏らす。

 なんという技量か。デオンが歯噛みする。ステータスだけで言うのなら、デオンの能力は沖田を上回っている。だが『剣士(セイバー)』として最も重要である剣術の技量という一点において、デオンは沖田よりも劣っていた。

 近代の英霊であるにも関わらず、沖田の剣技は神話に語られる英雄と比してもなお見劣りしないほどだ。加えて、神代の英雄たちにとっての剣が至上であるのに対し、沖田のそれは誇りはあれどあくまでも手段でしかない。刀がないのなら鞘、鞘がないのなら素手で。それが沖田の戦い方であった。

 故に剣技で劣りながらも剣に拘り、しかし狂化の影響を受けているデオンでは沖田に勝利できる道理などない。だが、だからといってデオンは簡単に負けを認めるような人間ではない。

 

「このォッ!!」

 

 デオンが吠え、沖田の連撃の合間にサーベルを突き込んだ。今まで防御に徹していたデオンの唐突な攻撃に、沖田は躱すことができずに刀の腹で受け止める形になる。だがデオンと沖田の筋力差故に受け止めきれず、沖田の動きが一瞬だけ止まる。

 もうデオンには騎士として守るべきものは何もなかった。マスターたる竜の魔女には狂化が付与されたことで騎士としての矜持を穢され、その果てに敬愛すべきフランス王家、それも自分にドレスを贈ってくれたマリー・アントワネットに刃を向けた。

 だが、主君に刃を向け、矜持を穢されてもこうして敵と相対して自分から負けるということだけはできなかった。狂化されているから、だけではない。それが今のデオンに遵守することができる最低限の騎士の矜持だった。

 刺突で生まれた隙にデオンが立ち上がり、沖田の懐に入り込もうとする。だが攻撃で動きを止めることはあれど、簡単に懐に入り込ませるような隙を作るような沖田ではない。

 姿勢を低くして地を蹴ったデオンはしかし、沖田が顎下に向けて蹴りを放ったことで咄嗟に後退した。しかし、その隙を壬生浪は逃さない。

 沖田が地を蹴る。仙術の域にまで達しようかという究極の歩法は距離を取ろうとするデオンに容易く追いつき、その身体を刃の射程圏内へと捉えた。

 

「フッ――!」

「ちいっ……!」

 

 突き出される壬生浪の牙。英霊の動体視力ですらも剣先がぶれて見えないようなそれをデオンは弾こうとするがしかし、それだけの速度での刺突を捉えきれる筈もない。乞食清光の刃がデオンの脇腹を抉り、鮮血が蒼衣を真紅に染める。

 直後にデオンを襲ったのは意識が焼き切れそうなほどの激痛。まるでフラッシュを直視しているかのように視界が白く明滅し、気を抜けばその瞬間に意識を失ってしまいそうだった。

 もしも喰らったのが三段突きであれば、デオンは抵抗することすらもできずに殺されていたであろう。デオンにとって幸運であったのは、三段突きを放つにはあまりに距離が近すぎたこと。逆に言えば、それだけだった。

 刃を返し、沖田がデオンの脇腹を切り裂く。飛び散る鮮血。それが着物を濡らすのにも構わず沖田はもう1歩踏み込むと、全体重を載せて体当たりを見舞った。

 真正面から沖田の体当たりを喰らったデオンは吹っ飛ばないまでもよろめき、その瞬間に沖田が更に腹に膝を蹴り込む。今度こそデオンは衝撃に負けて吹き飛んだ。だが地面を転がっていたデオンは咄嗟に地面に手を突いて減速すると、再び沖田に向けて駆けた。

 繰り出されるサーベルをいなし、刀で一撃を叩き込もうとするが、その剣先はデオンの身体へと届こうかという時に弾かれる。隙だらけであるのに住んでのところで攻撃が弾かれる。そんな奇妙な状況に、沖田が舌打ちを漏らした。

 確かに狂乱したデオンの剣技は拙い。本来のデオンの剣技はそれなりのものなのであろうが、少なくともこのデオンはバーサーク化によって劣化している。だというのに、致命傷と成り得る攻撃の殆どをデオンは弾いていた。

 なんという執念か。仕えるべき王妃に刃を向け、騎士としての矜持を穢されてもなお、勝利を求める意思だけは曇りがない。或いはそれは単なる狂化による闘争本能の発現なのかも知れないが、それがデオンの妄執にも似た挙動を生み出す根源であった。

 だが、だからといって沖田は負ける訳にはいかないのだ。武錬だけではない。勝利を求める意思もまた、沖田はデオンに引けは取らない。心に秘めた『誠』、そして遥に立てた誓いに掛けて、一歩も退く気はなかった。

 沖田が剣の速度を増すと、デオンがそれに対応して防御の速度を上げる。まさに鼬ごっこであったが、既に剣戟はデオンの認識を越えつつあるのか苦悶の表情をより強くした。対する沖田はこの程度は何ということもないのか、剣士としての冷徹な表情でデオンを攻め立てる。

 ギリ、と噛み締めた奥歯に罅が入ったのをデオンは知覚した。剣士としての技量で劣り、相手に自覚はなくとも英雄としての在り方で劣る。狂ったデオンにはそれが、特に前者が我慢ならなかったのである。

 力まかせに振るったサーベルが沖田の刀の腹を捉え、ぶれた切っ先はデオンの腹ではなく先に抉ったのとは反対側の脇腹を捉えた。激痛がデオンを襲い、顔を顰める。だが今度こそ怯まなかったデオンは咄嗟に沖田の腕を掴むと、そのまま片手一本で投げ飛ばした。

 

「チッ」

「悪いね。でも、剣に拘らないのは君だって同じだろう?」

 

 私の真似ですか、と沖田が内心で嘆息する。だが剣だけではない戦い方など沖田にしてみれば普通の戦い方である。特に何も思わず、再び攻撃に入るため平晴眼の構えを取った時、沖田は唐突に感じた魔力の波動に目を見開いた。

 高まる魔力の発生源は最早疑うまでもなく、沖田の目の前で構えを取るデオンである。同時に沖田は、その魔力に呼応するようにして白い花弁――白百合が辺りに待っていることに気付いた。

 それを認識した時、反射的に沖田が駆け出した。

 

――一歩、音越え。

 

 デオンの魔力に呼応して散る白百合は彼が仕えたフランス王権の象徴。その中で舞うデオンによって繰り広げられている剣舞は見る者を魅了し、心を奪う。

 その宝具はデオンの剣などによるものではない。時に男として、時に女として他者を惑わせたスパイたるデオンの生き様が昇華された宝具、つまりはデオンそのものとも言える宝具である。

 虚空に舞う花弁はただ散っているだけではない。その花弁は中心で舞うデオンを引き立たせると同時、その領域内へと入り込んできた者を幻惑する効果を齎していた。

 

――二歩、無間。

 

 白百合の領域に呑まれている沖田。だが彼女はその中にあって、花弁が齎す悪影響の一切を受けていなかった。彼女の固有スキルや特殊技能によるものではない。それは彼女が信頼を寄せる主の後押しによるものであった。

 遥は伝承保菌者(ゴッズホルダー)であるが故に神代の魔術を扱うことができる。加えて只の人間ではない遥にとって、宝具級の魔術を行使するなど造作もないことであった。特に遥、もとい夜桜家が専門とするのは『封印』の魔術である。呪術的に扱えば外的要因による弱体効果を遮断する程度、造作もない。

 剣舞を舞っていたデオンが舞いを止め、サーベルを握る腕を引き絞る。仙術の域に迫る縮地を扱う沖田の姿は、いかな最優たる剣士のクラスにある者ですらも視認することはできない。だが積み上げた武錬による戦士としての直感が、敵はそこにいると告げていた。

 

――三歩、絶刀――!

 

「〝百合の花散る剣の舞踏(フルール・ド・リス)〟!!!」

「無明三段突き!!!」

 

 真名解放。可憐なる百合の舞踏に続けて放たれる荒々しい剣技と、魔法の域に足を踏み入れた絶対必中の魔剣が交錯する。宝具と魔剣の違いはあれど、それぞれの生涯の結晶という点においてはそのふたつの剣技は同義であった。

 刹那の交錯。長く続いた剣戟も、勝敗が決するのは刹那の間だ。果たして、超常の剣技のぶつかり合いに敗北したのは白百合の騎士であった。剣によって抉られたとはとても思えない、まるでその部分だけが消滅したかのような巨大な傷口から鮮血を吹き出し、デオンが倒れた。

 ふたりの勝敗の決め手となったのは、剣腕の差ということもあろうがひとえに信念の強さの違いであった。沖田は仕える主に剣を捧げ、対してデオンは勝利は求めていてもマスターたる竜の魔女には忠義を誓っていなかった。共に勝利を臨むふたりの、それが決定的な差だった。

 

「ハハッ……あぁ、負けた負けた。これでようやく、我が身の呪いも解ける」

 

 腹を抉られ、臓物がはみ出ている。そんな死に際の状態でありながら、デオンの口の端に浮かんでいるのは憎悪ではなく微笑みだった。その様子を横目に見ながら、沖田は愛刀に付いた血を払い落とす。

 騎士としての戦いで敗北していながら、デオンの胸中にあるのは一抹の悔しさと喜びだった。既に霊核は破壊され、消滅まで秒読み。力を失って仰向けに倒れた身体は端から魔力光の粒となって消滅を始めている。事ここに至り、デオンの狂化はようやく解けた。

 冷静になって考えてみれば、自分は何をしていたのだろうかと恥じ入る気持ちもある。だが事情はどうあれ、自分はこれだけの技量の剣士と全力で戦って敗北したのだという事実が、彼に清々しさを与えていた。それは英霊である以前に騎士であるデオンの本懐(ほんのう)によるものだった。

 今わの際に立つデオンを、冷徹な眼で見下ろす沖田。だが沖田は突然感じた先よりも強い魔力の波動を感じてそちらを見た。そこにいたのは魔人と化したアルカディアの弓兵。それに気付いた沖田はデオンから注意をそちらに向け、地を蹴った。それを見遣り、デオンが呟く。

 

「名も知れぬ剣士、貴女に感謝を。……申し訳ありません、マリー様。願はくは、我が過ちを許されんことを――」

 

 そしてもし次があるのなら、その時こそは狂化や迷いの曇りがない剣技であの剣士と相対してみたいものだ。一抹の希望を抱き、白百合の騎士は跡形も残さずに消滅した。

 

 

 

 

――これは……マズいな。

 

 エミヤの目の前で蘇生し、宝具によって魔人と化したアタランテ。牽制として双剣を投影し、睨み合うエミヤが内心でそう呟いた。

 油断をしていた訳ではない。それでも、これは完全にエミヤの失態である。しかしその失態も無理からぬことであろう。アタランテの蘇生に近い再生と宝具行使は完全な不意打ちだったのだ。

 無論、アタランテに死から蘇った逸話や死した身体に命を与える宝具などない。故にアタランテの身に起きたのは蘇生ではなく、限りなく蘇生に近い再生であった。付近に魔術師がいる訳でもない。けれど、エミヤはその不条理を起こすことができるものを知っていた。

 令呪か――、とエミヤが内心で舌打ちをする。マスターとサーヴァントの合意の許であれば魔法に匹敵する機能を発揮し、合意がなくともサーヴァントに行動を強制するだけの力を持つあの魔力の塊であれば、死の間際にいるサーヴァントであれ命令の余剰魔力だけで回復可能だろう。彼はマスターとしての経験があるが故に、その力の強烈さをよく知っていた。

 恐らく、使用された令呪は二角。一度目の用途は不明だが、二度目の令呪はまず間違いなく『毛皮を使用せよ』というものだろう。

 回復したアタランテが発動した宝具の真名は〝神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)〟。生前、アタランテが彼女を愛した英雄メレアグロスから贈られた魔獣カリュドーンの皮が宝具となったものである。しかしほんの数秒前まで、アタランテはその宝具の使い方を把握していなかった。

 故にジャンヌ・オルタは彼女に命じたのだ。『敵を憎悪し抜け。その身を焦がすほど敵を憎悪せよ』と。彼女自身を顧みないほど激しい憎悪を抱いたことで、アタランテは魔猪の毛皮の用途を理解した。それが真正のものであるか、贋作であるかは関係がない。令呪の前ではそんなもの、些末な問題である。

 幽鬼の如く揺らめくアタランテ。理性など欠片も残されていない、憎悪と獣性の汚泥に淀む眼がエミヤを捉える。

 

「殺してやる……!!!」

 

 来る、とエミヤが構えた直後、彼の身体を強烈な衝撃が襲った。防御のために胸前で交差させた双剣を、アタランテの拳が打ち付けている。普通は宝具に拳を叩きつけて無傷でいられる筈はない。しかしアタランテの拳に傷は付かず、砕けたのはエミヤの双剣の方であった。

 何という速さ、そして強靭さか。アタランテの攻撃をエミヤは予測できてはいたものの、接近してくるのは全く見えなかった。沖田や遥のように縮地によるものではなく、純粋な速さによるものである。まさしく神話に語られた通りの俊足だった。

 神話に曰く、アタランテよりも速い人間はいない。後の世のギリシャまで見渡せばアキレウスの方が速いだろうが、英霊でも最速級であることは間違いない。少なくとも、エミヤでは追随することさえ難しいのは言うまでもない。

 だが速さばかりが勝利の条件ではない。連続して繰り出されるアタランテの拳撃と足払いを、エミヤは持ち前の心眼で捌く。まさしく防戦一方。絶え間なく襲い来る攻撃の間隙を見抜くことができず、エミヤにはただ防御することしかできない。しかし唐突に、アタランテがエミヤから距離を取った。

 刹那の後のアタランテがいた場所を駆けたのは二条の火炎弾。見れば、それぞれの相手を下した遥とタマモがエミヤを援護すべくアタランテに向けて攻撃をしたようだった。

 突如として入った横槍に、アタランテが舌打ちを漏らす。そうして身体に溶けあった弓を具現化させて相手を射殺そうといたアタランテだが、唐突に背筋を奔った悪寒に従って飛び退いた。間一髪、アタランテの鼻先を銀閃が掠める。それは仙術の域に迫った歩法で接近した沖田の剣であった。

 繰り出される神速の剣技を直感的に紙一重で交わしながら、ちらとアタランテが周囲を見遣る。竜の魔女によって遣わされたサーヴァントはアタランテ以外が全て遥のサーヴァントによって下され、残るは彼女ひとり。だがアタランテはそれを不利だとは思えど、絶望的だとは考えなかった。正しく状況を認識できる正常な思考など、今の狩人には一片も残されていない。

 霊核を狙って振るわれる沖田の正確無比の剣技。その刺突を身体を海老反りにして回避した時、アタランテの足を強い衝撃が襲った。その衝撃で吹っ飛ぶアタランテ。しかし無理矢理体勢を立て直すと、地面に手を突いて停止。追撃せんとする沖田と走り込んできたジークフリートに向けて弓を引き絞る。

 

「邪魔だ。――穿て、闇天の弓(タウロポロス)ッ!」

 

 獣の咆哮が如き祝詞を吐き出し、アタランテが矢を解放する。幻獣に匹敵する厄災の獣の力で闇色に染まった弓から至近距離で解放された矢は剣士たちを喰らわんと邪悪な魔力を猛らせる。

 真正面で解き放たれた矢。それを回避不能と判断したジークフリートは振り上げていた幻想大剣(バルムンク)を強引に横に構えて矢を迎え撃った。竜殺しの魔剣と闇矢は衝突し、噴き出した魔力が嵐のような暴風を巻き起こす。

 グ、とジークフリートが呻き声を漏らす。弦を引き絞るほどに威力を増すアタランテの弓だが、それは明らかに常軌を逸した威力だった。ジークフリートはその矢を叩き落とすことはできず、進路を曲げられた矢が彼方へと飛んでいく。

 だが魔剣と魔力の矢が拮抗している間に、アタランテは次弾を番えていた。真正面からの矢が通じないのなら、複数の矢を放つ。天に向けられた闇天の弓から放たれた次なる矢は弦から離れた瞬間、無数に分裂して地上へと降り注ぐ。

 宝具の真名解放ではない。だが、分かたれた鏃のひとつひとつは太陽神(アポロン)月女神(アルテミス)が齎す災厄と比してなお見劣りのない致死の威力を宿していた。

 黒天洞では防御不可能。黒天洞は魔力による攻撃を限りなく弱体化するという特性を持つが、それはあくまでも弱体化であって無効化ではない。故に黒天洞では貫通してしまう。投擲武器に対して絶対の防御力を有する熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)ならば或いは防ぎ切ることもできるだろうが、全員を上空からの飛来物から守るには如何せん面積が小さすぎる。

 総員、回避! それだけ指示を出すと、遥は体内に煉獄の心象を具現化させた。体中の肉という肉が煉獄によって朽ち果て、朽ち果てた傍から『不朽』の呪いによって再生する激痛が遥の意識を白熱させる。だが、気絶などは許さない。許されない。続けて固有時制御を発動し、遥は己を更なる限界の先へと押し遣った。

 降り注ぐ闇矢が大地を穿ち、既に変わり果てていた草原にクレーターを生み出す。一撃でも喰らえば死ぬか、或いはアタランテを呑み込んだ闇に取り込まれる。どちらにせよ、被弾した者に待っているのは『死』だ。

 絨毯爆撃など生温い。空より落ちる鏃のひとつひとつが致命。死が飽和した空間の中を英雄と魔術師が駆ける。宝具、心眼、直感、呪術、魔術。自らが持つ力の全てを以て死の雨を躱しきると、彼らはそれぞれに動いた。

 後ろに下がったエミヤが弓と剣矢を投影し、アタランテに向けて射る。それをアタランテは先のように矢をぶつけて打ち落とすことはせず、獣じみた挙動で縦横に跳んだ。そこへ走り込んだのは宝具〝八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)〟を発動した遥。

 遥が振るった叢雲の刃を、アタランテが弓で受け止める。

 

「汝が奴らのマスターか!?」

「あぁ、そうだ! だったらどうしたァ!」

 

 内で暴れ狂う獣性のままに叫ぶや、遥が弓から叢雲を離してその弦を掴んで固定し、アタランテの腹に膝を蹴り入れた。その衝撃で内臓が傷つき、アタランテが血を吐く。だがそれでいつまでも怯んでいる訳はなく、連続で蹴りを入れる遥の足を掴んでそのまま放り投げた。

 足場のない空中へと投げ出された遥に、アタランテが追撃を喰らわせんと渾身の力を込めて足を曲げる。だがアタランテが飛び出すよりも先にエミヤが放った宝具がその動きを阻む。

 そうして生まれた一瞬の隙にタマモが〝呪相・氷天〟を発動し、タマモの周囲に発生した巨大な氷の棘が射出された。アタランテに向けて直進する氷の棘。それを獣と化した狩人が避けられない筈もなく、難なく軌道を読んで回避する。

 だが英霊の攻撃がそれほど単純なものである筈がない。標的である狩人に回避された氷塊はしかし、切っ先を再びアタランテへと向けて軌道を変えた。遥もまた体勢を無理矢理に直すとアタランテに火炎弾を放つ。

 

「猪口才なッ!」

 

 アタランテが吼え、闇天の弓に矢を番える。魔力が続く限り無限に湧き出す闇矢である。それは弓から離れた瞬間に分裂し、飛来する氷塊と火炎弾を相殺した。闇矢と火炎弾の膨大な魔力が混ざり合い、空中で巨大な爆発を起こす。

 放たれる矢ひとつひとつが生半な宝具を軽く凌駕する威力を内包する致命の一撃。自身の貯蔵魔力を一切顧みずに連続でそれだけの攻撃を行使していながら、アタランテが放射する魔力には一切の損耗がなかった。その事実に、遥が舌打ちを漏らす。

 間違いなくアタランテは聖杯のバックアップを受けている。それは恐らくジャンヌ・オルタが意図したものではないのだろうが、彼女が原因であることは明白だった。ジャンヌ・オルタは無意識に、遥と相対しているこの狩人に魔力を多く割いている。

 そんなに俺を殺したいのか、と遥が嗤った。同族嫌悪、というのは些かニュアンスが異なるだろう。同族であれば相容れるのだろうが、少なくともジャンヌ・オルタにとって遥は相容れない存在であるらしい。

 遥の視線の先では、アタランテがエミヤの剣雨を掻い潜り、攻撃を仕掛けんとしたジークフリートの魔剣を腕を翼に変化させて飛翔して交わしていた。どうやらあのアタランテは人体構造を無視するほど高ランクの〝変化〟スキルがあるようだった。

 

「どうします、マスター? 相当厄介ですよ、あの方」

「そうだなぁ。けど……あぁ。あんな憎悪、嗤っちまうぜ」

 

 タマモの問いに対し、遥は不敵に笑ってそう言ってみせる。魔人と化したアタランテの力の源たる憎悪が令呪によって植え付けられたものであることを、遥は初めから見抜いていた。

 確かにこのフランス、ひいては人類への復讐者たる竜の魔女によって植え付けられた憎悪は令呪によるものであれ真に迫るものだろう。とある者の贋作に等しい遥には、贋作を否定する気もない。しかし植え付けられただけの憎悪で駆動する魔物に敗北する気など遥にはなかった。

 遥が口の端を歪める。こうして後ろに下がっている間でも、魔人化している以上常に遥は自身を暴走の脅威に晒している。時間経過と共に頭痛は増し、気を抜けば今にも意識を失って邪龍に身体を乗っ取られてしまいそうだ。寧ろ暴走した方があの魔人相手には有効なのかも知れないが、遥にその気はなかった。

 聖杯のバックアップを受け、元々持つ高いステータスが更に強化されているアタランテ。この人数で戦っているというのに簡単に勝てる相手ではないどころか、完全勝利は望めないほどにその力は強大だった。だが遥には負ける予感などはありはしなかった。ただ令呪と宝具で相手を憎悪している敵など、恐るに足りない。

 奴を喰らえ、と叫ぶ龍神の声を捻じ伏せる。暴れ狂え、と言う囁きを封殺する。だが同じような怪物を前にして、龍神の魂は嘗てないほどに猛っていた。堪えろ、と自分に言い聞かせて奥歯を噛み締める。その時、不意に遥は鱗に誰かが触れた感覚を覚えた。その手の主は、タマモである。

 

「――――」

 

 遥を見つめるタマモの表情は平時の天真爛漫さを失い、全く別の感情に彩られていた。それが如何なる感情に由来するものであるのか、遥は知らない。だがタマモのその表情を見た途端、遥――と言うよりも彼の中に巣食う何かが息を呑んだ。同時に暴れていた龍神の魂が抑えつけられ、捻じ伏せられる。

 一体自分は何をしていたのか。どうしてよりにもよってこの人を不安にさせてしまったのか。常に遥の中にあるタマモへの畏怖と憧憬の源泉がそう言っている。その度に遥の脳髄を先とは別種の激痛が叩く。龍神のような意識を裏返す感覚ではなく、まるで魂に根が張るような、魂が同化するかの如き痛みだ。

 だが不思議と不快な感覚ではなかった。紛うことなき激痛であるにも関わらず、感じた途端に快楽に変わるような。遥はマゾヒストではなくむしろサディスト的気質をしているのだが、その感覚だけはどうにも遥の内にこびりついて離れない。

 脳裏を過る自分のものではない記憶も、だが今は苦にならない。いつもの自分が他者に染まっていく感覚ではなく、誰かが自分を内側から支えてくれているような感覚。きっとそれが遥の内側にいる者の本懐であったのだろう。或いはただ龍神とそれが鬩ぎ合って中和されているだけか。

 瞑目してほう、と深く息を吐き、目を開ける。爬虫類めいた瞳が真紅に染まっている。しかし遥はそれに気付かず、また気付いていたとしても次に取る行動は変わらなかった。大地を蹴り、音を追い越す。仙術の領域に踏み入った歩法――縮地である。

 ひとりで沖田とジークフリートを相手取るアタランテ。大英雄と天才剣士を相手にして互角に戦っているというのは驚嘆に値するがしかし、その間隙に入り込んだ奇襲には対応できずに腹に遥の膝蹴りを喰らった。抵抗できずにそのままアタランテが吹っ飛んで地面を転がる。だがすぐに地面に手を突いて停止すると、奇襲者たる遥に向けて吼えた。

 

「貴様ァ……噛み千切る! 喰い千切るッ!!」

 

 その咆哮に応えるように狩人の足元から闇色の魔力が噴き出し、その身体を覆いつくす。一瞬にして肥大化したその闇が晴れた時、そこにいたのは獅子耳の狩人などではなく1匹の魔猪だった。

 アタランテが発動した宝具〝神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)〟は元は月女神アルテミスが放った魔獣カリュドーンの毛皮である。それと変身によって得た〝変化〟スキルにより、魔人アタランテはカリュドーンの姿形を模倣できるのである。

 突進するアタランテが狙うのは奇襲を仕掛けた遥だ。魔猪化したアタランテはその巨体に似合わぬ機敏な動きで遥の後方から撃ち放たれる矢や氷塊を躱す。膨大な魔力を伴う突進は、例え高ランクのサーヴァントであろうと正面から受ければダメージは免れ得まい。

 だが、遥は退かない。限界に近い速度で駆動を続ける魔術回路をより限界の間際まで押し遣り、全身に強化を付与。さらに体内に固有結界を展開すると、行動を加速した。体中の鱗の隙間から焔が噴き出す。その姿は悪鬼が如く。そのまま飛び出すや、遥は真正面から魔猪を迎え撃った。

 ガアァァァァッ! 遥が吼える。それでも遥の身体は押し返され、僅かに脚が地面に減り込む。それを見て嘲るような笑みを見せたアタランテはしかし、次の瞬間には表情を驚愕へと塗り替えられた。

 初めは押していた自分が、次の瞬間には押し返されていた。アタランテは知らない。遥が使った宝具はある意味では神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)と同じであり、元になった獣の格は圧倒的に遥の方が高いことを。加えてカリュドーンはサーヴァントの宝具という枠に押し込められて弱体化しているが、遥のそれは現物であるが故に劣化などしていない。封印が弱まれば弱まるだけ、遥の能力は向上する。

 内心だけで舌打ちを漏らし、遥を噛み千切らんとアタランテが顎を開ける。遥はそれに咄嗟に反応し、口に手を突っ込んで寸でのところで噛み千切られるのを防いだ。そこへ走り込んでくるのは沖田とジークフリート、そしてエミヤ。だがこのままでは袋叩きだと判断したアタランテが再び魔力を吹き出し、全員が僅かに後退を余儀なくされる。

 魔力によって巻き上げられた土煙。そこから姿を現したのはアタランテではなく無数に分裂した闇矢だった。天から落ちてくる鏃を全力で避ける。その爆音の中にあって、その声は嫌に遥の耳に届いた。

 

「カリュドーン、力を寄越せ……!!!」

 

 その言葉と同時、アタランテから放出される魔力が増した。黒々とした、周囲にあるもの全てを呑み込むが如き邪悪な魔力。その魔力の矛先が向けられているのは、遥だ。遥を狙っているのは何のことはない、ただ遥がマスターであり、彼を斃せばこの戦いが終わるからだ。

 異常なまでの魔力の高まりは、アタランテが奥の手たる宝具を使おうとしていることの証左であった。それも彼女自身の身を崩壊させかねないほどの、彼女の残存魔力全てを注ぎ込んだ一撃が来る。だが遥は慌てなかった。

 相手が全力を以て決着を付けにくるのであれば、遥もまた出し惜しみはしない。轟、と遥から放出された魔力が唸りをあげる。それは遥の闘争心の発露か、或いは別の何かか。何であれ、両者が宝具を使おうとしている以上、他者は近づくことすらも許されない。

 アタランテが駆ける。それから遥は逃げ出さず、睨み据えた。

 

「燃ゆる影、裏月の矢、我が憎悪を受け入れよ――!!!」

「狂え、我が血潮。猛れ、我が赫怒。我が血を以て、全ての呪を解き放とう――!!!」

 

 アタランテが踏みしめる度に大地から噴き出すのは魔力の闇。触れたもの全てを呑み込み、無理矢理にひとつにする呪いの魔力。神に遣わされた伝説の魔獣が宿す呪いを以て、敵を屠らんとアタランテが走る。

 対する遥は魂を()かれる苦痛に顔を顰めた。敵の宝具による干渉ではない。宝具行使による変身で別な宝具が使えるようになるのは、何もアタランテだけではない。遥が待機状態へと移した宝具は、そういう類の宝具だった。

 変身時は常に掛けている封印の殆どを解放し、大蛇の呪を全身に巡らせる。いくら遥が内在する魂の後押しを受け、龍神を斃せし者の血を継いでいてもそれの苦痛は言葉にできるものではない。遥の起源が『不朽』でなければ一瞬にして魂が朽ち果てて死んでいるだろう。

 しかし、それでも遥は真っ直ぐに敵を睨み付けている。そして衝突しようかという時、両者が真名を解き放った。

 

「――〝闇天蝕射(タウロポロス・スキア・セルモクラスティア)〟!!!」

「――〝真説・伊吹大明神縁起〟!!!」

 

 真名解放。闇の魔力を纏うアタランテと腕が八つ首の大蛇へと変じた遥が鬩ぎ合い、周囲のその余波を撒き散らす。だが、あり得ない。自身の持つ全魔力を宝具に注ぎ込みながらアタランテが瞠目した。

 魔人アタランテの奥の手たる宝具〝闇天蝕射(タウロポロス・スキア・セルモクラスティア)〟は彼女の弓〝闇天の弓(タウロポロス)〟を自身の内に取り込んで放つ必殺の一射である。その一射を喰らった相手は悉くが闇に呑まれ、アタランテと同化する筈なのだ。

 だがどうだ。この人間は己が対魔力と屈服させた神獣の呪を以てそれに抗っているではないか。その事実に、アタランテが顔を歪ませる。喰う。喰らい尽くす――! その意思を伴うアタランテの咆哮が轟く。それに応える遥の咆哮。だが鬩ぎ合いは一瞬で、勝敗はすぐに決した。

 アタランテがそれを認識したのはぞぶり、という嫌な音を聞いてからだった。その音は闇の魔力を喰らい尽くした大蛇がアタランテの腕に食らいついた音。宝具同士の鬩ぎ合いに勝ったのは遥の方だった。

 次々に狩人へと喰らいつく大蛇。毛皮を引きはがされ、四肢をもぎ取られた果てに放り投げられたアタランテは身体が消滅していく感覚につられて意識までも霧散しそうになるのを抑え、肩で息をする遥に視線を向けた。

 

「……これでいい。……あぁ、でも。汝らにはすまないことをしてしまったな……」

 

 だが、ありがとう。どこかで聞いたのを同じ言葉を残し、アタランテは完全に消滅した。その身体が魔力光になって霧散した後に残ったのは遥と遥のサーヴァントたち。宝具使用を解除した遥が各々何か言いたそうなサーヴァントたちを見回す。

 

「……急ぐぞ。ヤツが待ってる」

 

 敵は蹴散らした。残るは竜の魔女とその右腕たる元帥のみ。

 己が相棒が戦っているであろう方角を一瞥し瞑目してから、遥たちは再び進撃を始めた。




今まで出していなかった宝具のステータスをば。

八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)
ランク:A
種別:対人(自身)宝具
レンジ:0
最大捕捉:1人

 天叢雲剣の鞘〝八岐大蛇〟の使い方のひとつ。龍神〝八岐大蛇〟の魂を降霊・憑依させることで自身のステータスを大英雄に匹敵するほどにまで上昇させる。だがそれは全拘束を解除した場合の話であり、通常は一般的なサーヴァントと大差ない程度。使用中は常に暴走の危険がある。第6話においてちょろっと出てきた『変身』とはこの宝具のこと。
因みに、変身時は竜種化しているため当然逆鱗に相当する部位がある。遥の場合、アホ毛がそれに該当する。

真説(しんせつ)伊吹大明神縁起(いぶきだいみょうじんえんぎ)
ランク:B
種別:対人宝具
レンジ:1~60
最大捕捉:1人

 宝具〝八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)〟発動状態にのみ使用可能になる宝具。一時的に封印を弱めて八岐大蛇の呪を解放し、対象を呪殺する。反動として使用者本人も死んでしまいそうなほどの苦痛を味わうことになる。呪いなどの攻撃や宝具をぶつけるとそれを吸収し、威力が上昇する。
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