Fate/Everlasting Shine 作:かってぃー
冬木市新都。ここ最近になって始まった開発計画によって急激に都市化が進み、真夜中になってもある程度明かりが点いたままになっているその都市の中にあって、まるでその光を厭うかのように暗い裏路地を歩く人影があった。
いや、果たしてそれは歩いていると言って良いものか。男は立ってこそいるものの、その足取りはまるで幽鬼か何かのようであった。正常に動かない左半身を建物の壁に押し付けて辛うじて立ってはいるが、それがなければ自立することすらままなるまい。
それだけではない。しわがれた唇から漏れ出す吐息はそのひとつひとつが苦痛に塗れていて、まるで死に瀕した病人を連想させた。目深に被ったフードから覗く髪は強烈なストレスで白く変わり、神経さえまともに機能しなくなった顔の左側は男が受けてきた苦痛を代弁するかのように苦悶を浮かべたまま止まっている。
事実、男――バーサーカーのマスター〝間桐雁夜〟は死んでいるも同然だった。彼が聖杯戦争に参加するためで臓硯が植え付けた刻印虫によって身体を蝕まれ、その状態は只人であればとうに昏睡状態に陥っている。そんな状態の中で彼を生き永らえさせているのが彼をここまで追い遣った刻印虫が生産する魔力だというのは皮肉以外の何物でもないだろう。
だが、生き永らえているとはいえ刻印虫は死病の如く着実に雁夜を死に追い遣りつつあった。雁夜にとって魔力の生産とは文字通り身を削って行うものであり、その魔力も殆どがバーサーカーの現界維持に回されている。そのうえに雁夜自身の生命維持の為にも魔力を生成しているのだから当然というものだろう。臓硯の見立てでは余命は精々1か月ほどしかない。
人生という期間の中で見れば非常に短い時間。けれど、雁夜にとってはそれで十分だった。彼の目的である遠坂時臣の抹殺と聖杯の獲得、つまりは臓硯との約定を果たして桜を間桐の責め苦から解放するのには1か月も掛かるまい。今も雁夜を苦しめているバーサーカーだが、少なくとも彼のサーヴァントは最強の一角。特に、眼の敵にしている時臣のサーヴァントにはすこぶる相性が良い。
けれど、雁夜は自らの論理が破綻していることに気付いていなかった。一見すると親に棄てられ、あまつさえ虐待を受けている少女を救おうとしている正義の人であるようにも見えるが、結局のところ雁夜の論理は時臣に葵を取られた嫉妬と妬みの発露でしかない。それをお為ごかしの大義名分で覆い隠しているのだ。でなければ例え憎くとも時臣を殺すという結論には至らなかった筈だ。
時臣を殺したところで雁夜の望みは叶わない。むしろ二度と泣いて欲しくないと願った幼馴染を絶望の底に突き落としてしまうだろう。その先に待っているものは最早言うまでもない。雁夜自身の破滅だ。復讐を果たした復讐者のように人生に意義を見出して死んでいくのではなく、ただ無意味に、彼もまた絶望しながら死んでいくのみだ。
呼吸をする度に喉だけではなく全身に激痛が奔り、心臓が拍動する毎に全身の血管が張り裂けそうになる。常に断線しそうな意識を無理矢理繋ぎ止めながら、当てもなく雁夜は新都の裏路地を歩く。彼が間桐邸に帰ることはあまりない。帰ればあの憎き怪翁と見えることになる。雁夜としては、それはあまり歓迎したくないことであった。
目的地もなく、ただ人目に付かないような場所を歩き続けて夜が来ればいつの間にか気絶して眠っている。聖杯戦争が始まってからというもの、雁夜は連日のようにそんな生活を送っていた。そして、恐らく今日もそうして日を終えるのだろう。そう思っていた。――この時までは。
「――ッ」
唐突に雁夜の右手首に鋭い痛みが奔る。だが全身を刻印虫に蝕まれ続け、絶え間なく激痛に襲われている雁夜の意識にとってそれは何ということはない些細なことであった。それ故、雁夜はその痛みが示すところにすぐには気付くことができなかった。
雁夜がようやく変化に気付いたのは、自分の足に全く力が入らなくなった時だった。どうにかして立っていようとするも足がもつれ、地面に倒れ込んでしまう。反射的に腕を持ち上げて顔が地面に激突するのは避けようとするが、腕すらも動かない。故に雁夜は何の防御もないままに顔面からアスファルトに突っ込んでしまった。
刻印虫に身体を喰い千切られる痛みとはまた異なる痛みに苦悶の呻き声を漏らしながらどうにか顔を横に向ける。一体何が、と思っている間にも変化は現れる。呼吸が浅くなり、五感が遠ざかっていく。まるで世界が遠くなるような感覚の中、雁夜は眼球だけを動かしてその原因を探ろうとし、そして驚愕に息を呑んだ。
右手がない。右腕は手首の辺りで切り取られ、傷口からはとめどなく血が流れていた。唐突に身体に力が入らなくなったのは、令呪のある右手が切り取られたことで刻印虫たちが雁夜の身体を棄てて地面に転がった右手に群がったが故、魔力を生産できなくなったからだった。
敵襲――!! それに気付いた時にはもう遅く、魔力という生命維持の生命線を失った雁夜の身体は一向に動かない。バーサーカーを実体化させようとするも、無理矢理霊体化させるために魔力供給量を制限していたことが仇となって実体化できない。完全に詰み。それは同時に、雁夜の聖杯戦争が終わったことを意味していた。
雁夜が望んだことも、志したことも、何も成すことができないまま雁夜の聖杯戦争は終わった。それが理解できた瞬間、雁夜の中で何かが砕けた。急速に意識が薄れていくのは残存していた魔力さえバーサーカーに吞まれたからか、或いは彼を支えていたものが完全に崩壊したからか。その両方かも知れない。
それでもなお雁夜は諦めず、最後に残った力で身体を仰向けに裏返すと刻印虫が群がる右手に向けて左手を伸ばした。だがそれに手が届こうかという時、横合いから現れた足がそれを蹴り飛ばした。右手が刻印虫ごと暗闇に呑まれていく。
「あ――そ、そんな――」
「悪く思うな。こっちにも仕事がある」
雁夜の頭上から落ちてくる声。そちらを見れば、くすんだ赤いフードを被り奇妙な鎧を着た男がいた。全ての希望を断った男を雁夜は殺意の籠った眼で睨み付けようとするも、その直前に完全に意識を喪失した。
それを見届け、雁夜に奇襲を仕掛けた男――アサシンが溜息を吐く。そうしておもむろに片手で雁夜の襟首を掴み上げると、どこからか取り出した小さな瓶のコルクを外した。それを雁夜の口に突っ込み、中に入っていた液体を流し込む。すると心なしか雁夜の顔色が戻った。
アサシンが雁夜に飲ませたものは遥が作った霊薬だった。その効果をアサシンは聞いていないが、雁夜の様子を見るに生命維持と疲労回復、さらに肉体の治癒だろう。邪魔な相手でも悪人でも魔術師でもなければ極力殺さないようにするのは成程遥らしい。霊薬がきちんと効果を発揮したのを確認し、アサシンが雁夜を肩に担ぐ。
アサシンがこうして雁夜を襲ったのは彼の独断ではなく、遥からの指示だった。極力雁夜を殺さず、どうにかしてバーサーカーを無力化するという指示。遥がそれをアサシンに任せたのは、ひとえにアサシンには気配遮断スキルがあるからだろう。他のサーヴァントでは雁夜を無力化するより早くにバーサーカーに気付かれて交戦状態に入ってしまう。
とはいえ、アサシンにとってもこの作戦は半ば賭けであった。仮に雁夜がバーサーカーの勝手な実体化を防ぐために魔力供給量を絞っていなければ、今頃アサシンはバーサーカーに殺されていただろう。例え魔力切れまでの数秒程度の稼働時間でもバーサーカーがアサシンを屠るには十分過ぎる時間だ。
後は転がった令呪を回収し、遥の指示通りに雁夜をどこかの病院前に放置しておけばそれでアサシンの役目は終わる。無論、自分に割り当てられた役目を終えてもアサシンは休む気などなかった。現在、アサシンにとって最も重要なことは協力者たる遥の作戦遂行の補助だ。限界まで協力すると言った以上、約定を違えるつもりはない。
だが、果たして今夜の作戦はアサシンの目的と合致するところがあるのか。そう思いながらアサシンは人ひとりを担いでいるとは思えないほどの速度で夜空へと飛び出していく。
果たして、彼は終ぞ気付かなかった。アサシンが切り離した、雁夜がバーサーカーのマスターであるという証であった令呪。放置したそれが、いつの間にか
遥は齢19という青年の域を脱しない程度の時間しか積み上げていないが、それでも魔術師であるが故に数多の〝この世の地獄〟とでも言うべきものを見てきたつもりであった。
それは高校を卒業してからカルデアに召集されるまでの約1年間だけでも数えきれないほどにある。遥は常人よりも遥かに多くの怪異を身に秘めているが故に日常的にそういったものと遭遇してきた。
例えばそれは死徒の戯れによって村人が全て屍食鬼へと変えられてしまった村であったり、魔術師の実験材料となって想像を絶する苦痛を味わいながら死んでいった人々の山であったりと、様々な形を成して遥の前に現れた。ある意味、それらが遥が抱く人類に対する憎悪の源泉のひとつであるのかも知れない。
だが、どれだけ凄惨な光景であろうと何度も遭遇していれば慣れるものだ。或いは普通は慣れないのかも知れないが、魔術師である以前に遥は純粋な人間ではない。どれだけ一般人の近い感覚を持っていてもその本質は非人間。カルデアに来る頃には遥の価値観はその陰惨な光景に慣れを見せ始めていた。
しかし、今度の地獄はそんな遥をしてそれを造り出した者への憎悪を抑えきれないほどに醜悪であった。規模は他の地獄とさしたる違いはないどころか、むしろ小規模であるかも知れない。けれど、人間の尊厳を踏みにじるという点において、それは何よりも最悪のものであった。
ここは深山町に建つ最大の屋敷である〝間桐邸〟。エミヤの望みにより桜を助け出すべくそこへ侵入した遥はさしたる妨害もなくその最奥まで辿り着き、そうしてその光景を目の当たりにした。
赤熱した感情から際限なく湧き出してくる憤怒と憎悪を理性で無理矢理抑えつけながら、遥は隣で渋面を浮かべるエミヤに問う。
「おい、エミヤ。なんだよ、これ……」
「……君なら言わずとも分かるだろう。この〝蟲蔵〟で何が行われているかなど」
エミヤの言う通りだった。怒りと憎悪で冷静さを失っている感情とは裏腹に、嫌に冷静さを保っている遥の思考回路はこの場で行われている調教とでも言うべき所業が何を意味しているのか余すところなく悟っていた。
エミヤ曰く、桜は元は間桐の家ではなく遠坂の家に生まれた少女だという。つまり桜の魔術適性は間桐のそれではなく、完全に遠坂のものなのだ。桜を間桐再興に使う胎盤として譲り受けた臓硯にとって、それは最悪の不都合であろう。故に臓硯は桜を調整することにした。
言葉にすれば簡単な話だが、実際のそれを見ればそんな簡潔に済む話ではないことはすぐに判る。それは桜の調整というよりもむしろ、臓硯の趣味に偏っているように遥には見えた。他者を貶め、玩弄し、苦悩する様を見て自らは嗤う。遥が最も嫌悪する類の在り方だ。
床が見えないほど蔵に満たされた蟲が啼く度、遥の憤怒が増していく。可能ならば今すぐにでも臓硯を煉獄の焔の中に突き落としてしまいたいが、当の臓硯は屋敷にはいない。最大の不安要素であった臓硯を排除できないというのは見過ごせない事態ではあるが、今の遥にそんなことを気にしているだけの余裕はなかった。
蟲蔵の中央で手枷を嵌められたまま蟲に弄られている桜は未だ遥とエミヤの存在には気づいていないらしいが蟲たちはそうではないようで、侵入者たるふたりを阻まんと彼らの許に地面を這いずってくる。そのうち一匹を遥が無慈悲に踏み潰した。キィ、という短い断末魔と共に体液が床にぶちまけられる。
その様子を見て、不謹慎ながらエミヤが苦笑いを浮かべる。遥とエミヤの付き合いはそれほど長くはないが、それでも彼には遥がこれ以上ないほどに激昂していることが手に取るように分かった。実際、遥は踏み潰した蟲の残骸すら憎いとばかりに靴で死骸を挽き潰している。
「エミヤ……お前、相当デカい落とし物を遺して死んだみてぇだな?」
その言葉にエミヤは何も言葉を返さなかった。エミヤにとって桜のことは生前唯一の心残りと言えるかも知れない。そうでなければこの特異点で桜を助けようとはしなかっただろう。いずれ救われると分かっているのだから。
実際遥はエミヤの答えを求めてはいなかったようで、腰の鞘から叢雲を抜刀した。不浄を祓う黄金の刃が煉獄の焔を纏う。神速でそれが振るわれる度に蟲蔵に犇めいていた蟲が弾け飛び、断末魔の悲鳴をあげる。
だが遥はそれでもなお気が済まないと言わんばかりに舞い上がった蟲の死骸を何度も切り裂く。噴き出す蟲の体液は黄金の魔力が秘める熱量と煉獄の焔に晒されて一瞬にして蒸発する。肉片もまた焔に焼かれ、灰となって消えていく。
蟲蔵を荒らす脅威に反応してか、どこからか攻撃特化の蟲である〝翅刃虫〟たちが現れ、遥を喰い殺さんと金切り声めいた咆哮をあげる。しかし、威嚇として放ったそれも遥にとっては耳障りな雑音でしかなかった。勇んで出現した翅刃虫たちは牛骨を粉砕するほどのその顎を披露する間も与えられないまま、焔に呑まれて消えていく。
臓硯が使役する蟲たちは数こそ膨大だが、どれだけ数が多かろうと遥の前では敵ではない。蟲は焔に弱い。それだけではなく、遥が使う煉獄の焔は妖怪である臓硯の蟲たちにとって天敵であった。エミヤは双剣こそ握ってはいるが、蟲たちは遥の苛烈極まる攻撃の前に全てが絶命せしめられ、エミヤまで届くことはない。
遥とエミヤが蟲蔵に突入してから僅か数秒。たったそれだけの時間でその場は桜ではなく蟲たちにとっての地獄と化していた。無限にいるようにも見えた蟲たちは瞬く間に煉獄に呑み込まれ、抗うことも許されずに命を散らしていく。
そして僅か1分程度が経った時、蟲蔵であった筈の空間からは全ての蟲が消え去っていた。石造りの冷たい壁には蟲の燃えた跡である煤がこびりつき、その中央では桜が光を失った眼で侵入者たる遥とエミヤを見ている。
未だ赤熱した憤怒が宿った眼をしている遥を見ても、桜は怯えた様子すらも見せない。それは桜が強かなのではなく、既にその眼には希望が見えていないからなのだろう。希望が見えないが故、殺意に塗れた遥の眼を見ても怯えないでいる。
それに一切頓着しないまま、遥は叢雲を桜に向けて振るった。切り裂いたのはその手枷。無理矢理に立たされていた桜が地面にへたり込み、エミヤが投影した布を桜に羽織らせる。
「あなたたち、だれ……?」
「……悪いけど、悠長に自己紹介してる暇はないんだ。でも、あえて言うなら……悪い人の敵、かな?」
先程見せていた怒りの形相から一転。茶化すような笑みを見せてそう言うと、遥は桜を抱え上げた。普通の子供なら知らない男に抱えられた時点で身の危険を感じて叫び出すのだろうが、桜はその様子すら見せない。
遥は今まで何人か似た状態の子供を見たことがあったが、桜はその中でも一際酷い有様であった。桜が穢されたのは肉体だけではない。長く蟲の中に放り込まれ、臓硯、もとい魔導の悪意のみに晒されてきた所為だろう。完全に精神が麻痺している。
誘拐ではなく絶望的な状況から助け出されたと分かれば安堵の表情のひとつでも浮かべるものだろうが、桜にはそれさえない。出会ったばかりの遥たちのことを信用できないのは道理だが、全く反応がないというのは最早心が麻痺どころではなく死んでいるのではないかとさえ思ってしまう。
普通はそんな少女を見ればその不遇を嘆き、感傷に浸るか同情するか、どちらかだろう。だが遥はどちらをすることもなく、異常なほど早く思考を切って作戦の遂行を再開した。
桜を抱えたまま蟲蔵から出る。事前に人避けと誘眠、さらに認識阻害の術式などを屋敷を覆う結界にハッキングして潜り込ませていたため、誰かいたとしても眠っている。名目上の当主である鶴野は起きているかも知れないが、見つかった時は眠らせて暗示を掛けるか、それでも駄目な時は撃ち殺すつもりでいた。
だがそんな心配は杞憂だったようで、遥たちが屋敷から脱出するまでには誰とも遭遇することはなかった。どうやら間桐の現当主は魔術師としてはさしたるものではないらしい。そもそも当主が期待されていれば桜を養子として引き取る必要性もなかったのだろうが。
全ての部屋の明かりが消えた間桐邸はその偉容も相まってまるで幽霊屋敷のような様相を呈していた。実際、遥が生きている世界での間桐邸の異名は幽霊屋敷だったと記憶していた。そちらでの聖杯戦争の影響か、居住者が誰もいなかったのだ。しかし遥が使った焔が何処かに燃え移っていたのか、少し経った頃には屋敷全体が焔に包まれていた。
赤く燃え上がり、巨大な炎の華を咲かせる間桐邸。それの前で遥はひとつ溜息を吐き、しゃがんで桜と視線の位置を合わせた。できる限り安心させようとして頭を撫でる。
「大丈夫か? 怪我とかしてないか?」
「……うん。してない」
「そっか。そりゃ良かった。もし怪我なんてさせたら、エミヤに何てどやされていたことか」
揶揄うような遥の言葉にエミヤは何か反駁しようとするが、しかし実際桜が怪我していた時の自分を想像したのか少し顔を赤くして黙り込んだ。エミヤはニヒルでクールなようでいて、その実面倒見の良いところがある。立香が密かに〝エミヤママ〟と言っていたのを遥は知っているが、それは言わないでおいた。それをエミヤが知れば羞恥のあまり何をするか分かったものではない。
だが遥の言葉に反論できないということは、エミヤ自身自分が何かと過保護気味になるのを自覚しているのだろう。それでも何か言わなければ気が済まないのか、遥と何か言い合っている。その様子を見る桜の眼に、ようやく感情らしい感情が見える。桜は戸惑っていた。
それはそうだろう。遥とエミヤの存在を知らない桜は、ふたりが自分を間桐邸から助け出すことに何か利があるとは思えないのだ。彼らが桜を狙った誘拐犯や家財を狙った強盗ではないことは桜にもすぐに分かった。だからこそ、余計に解らない。徳はない筈なのに、何故助けたのかが。
そんな桜の前で遥は布越しに肩に触れると、「少し痛むけど、ごめんな」と言ってから無理矢理桜の身体に自らの魔力を流した。そうして構造解析の魔術を行使し、桜の身体を
「遥、どうした?」
「……なぁ、エミヤ。臓硯って本体の蟲を桜の心臓に忍ばせてるんだよな?」
「そうだ。……まさか、いないのか?」
エミヤの問いに遥が無言で頷く。遥は物体の構造解析を得意とする魔術師ではないが、それでも人体構造の解析程度は造作もない筈なのだ。だというのに、いくら精査しても出てくるのは刻印虫ばかりでそれ以外は見当たらない。
しかし、どれだけ遥たちが困惑しようが目の前にある事実こそが重要だ。実際、臓硯の本体がないのならそれを前提として今後の方針を考えなくてはならない。それを考えていなかった遥ではなく、それ故に思考の切り替えは非常に早かった。
臓硯が桜の心臓から本体を離した理由として考えられるのはふたつ。ひとつは既に何らかの理由で桜に寄生せずとも良くなった、ということ。そしてもうひとつは事前に遥たちの襲撃を察知して別な場所に本体を移したか、だ。
今のところ、可能性が高いのは前者だ。臓硯が聖杯を求める理由が自身の不老不死の実現だということはエミヤから聞いている。その願望をエミヤが生きた世界では第五次にて叶えようとしたらしいが、この特異点では第四次の時点で聖杯が完成しようとしている。ならば臓硯が動き始めてもおかしくはない。
内心で遥が舌打ちを漏らす。現時点で聖杯が起動する可能性が高くなっているのは遥たちの行動に因るところでもある。元より遥の方針は聖杯を完成させ、容を得て這い出た
ここまで上手く手筈通りに進めていたものを、臓硯は横から簒奪しようとしている。到底許せる話ではなかった。遥は人類の滅亡を避けるために聖杯戦争を勝ち抜けてきたのだ。断じて人類を滅ぼしてまで望みを叶えようとする酔狂のためではない。
そう考えるとなおも怒りが込み上げてくるが、桜の前でそれを表情に出しては怖がられてしまうだけだ。感情を落ち着け、自分がすべきことを進める。
「ちょっと熱いかも知れないけど、我慢してくれ。桜を苦しめる悪い蟲を駆除するのに必要なことだから」
「……わかった」
機械的な動作で桜が頷く。一瞬だけ遥は続けるべきか悩んだが、すぐにその迷いを打ち消した。ひとつ間違えば桜が死んでしまうような繊細な制御を必要とする作業だが、やらなければならない。
遥の口が固有結界を起動させるための詠唱を紡ぐ。遥の煉獄から発生した焔は桜の身体を精査するために勝手に通した
しかし遥はそんな桜の様子に頓着せず、焔の制御に全ての神経を割いていた。少しでも制御の仕方を間違えば桜を体内から焼き殺してしまうだけの熱量を持った焔を慎重に操り、体内に巣食った刻印虫を焼き殺していく。桜の体内の蟲たちは臓硯の身体を構成しているそれと同一なのか、遥の焔に触れた途端にまるで命を吸われたかのように死んでいく。
刻印虫は蟲であるうえに不浄極まる存在であるが故、遥の焔は最大の弱点であった。個体差があるのか中には多少抵抗の意思を見せた蟲もいたが、それも結局は死ぬことに変わりはない。僅か1分ほど経った時には、既に桜の体内に巣食う蟲は全てがその身体を無へと帰していた。
一先ずは何事もなく処置が完了し、遥が安堵の溜息を吐く。どれだけ魔力の扱いに慣れてはいても人の命に関わる処置は少なからず緊張するものだ。再度桜の体内を精査し、蟲が全て死滅していることを確認する。問題なし。桜に通した魔力経路を消し、頭を撫でる。そうしていると、本当に僅かにだが桜が笑みらしきものを覗かせた。
或いは桜には、遥の桜に対する態度に同情や憐憫が含まれていないことに気付いたのだろうか。桜のような状態の人間にとって、同情や憐憫が最も不必要なものであることを遥は知っていた。それらを向けられても余計惨めになるだけである。少しの間遥がそうしていると、不意にエミヤが声を掛けてきた。
「……手慣れているな」
「まぁな。こういうのは何度かしたことがある。ここまで手酷くやられてるのは初めてだけど」
今まで遥が外道魔術師から助け出してきた人々の中には当然のように子供も含まれている。むしろ大人よりも抵抗されにくく、されたとしても黙らせやすい子供は大人よりもそういった類の人間に標的にされやすい。彼らを助けているうち、そういう場合はどうしたら良いのか遥は何となくわかっていた。
そもそも遥は子供が苦手ではなかった。むしろ大人のように変に汚い部分がない分、大人よりも好きかも知れない。或いはそれは遥の対人スキルの低さに由来するところなのかも知れないが、遥は生来の性格として割合子供の相手をするのは得意だった。
だが、どれだけ遥が子供の扱いが上手かろうと傷ついた心を癒してやることだけは絶対に不可能だ。心の傷というものは付いたら最後、一生消えることはない。それが桜のように人間の尊厳を踏みにじられた経験から来るものであれば猶更だ。
故に遥にできることはせいぜいその傷の痛みを和らげてやる程度だ。それも遥がそうあってくれればと思って行動しているだけの自己満足。本当に遥が思った通りになっているかは甚だ疑問ではあるが。常に言い知れない無力感を感じながら、遥は誰かを助けている。
その無力感を意識から締め出し、遥は桜に問いかけた。
「家を燃やしておいて言う事じゃないかも知れないけど……桜はこれからどうしたい? 遠坂に戻りたいか?」
遥の問いに対し、桜が無言で首を横に振る。それはそうだろう。魔術師然とした時臣は桜を協会から守る意図で桜を間桐の養子に出したのだろうが、あのような仕打ちを受けてきた桜にとっては捨てられたも同然だ。事実、そう思っているから桜も遠坂に戻りたくないと言っているのだ。
よしんば姉である凛や母の葵と和解して遠坂に戻ることができたとしても、時臣が考えを改めなければまた別な場所に養子に出されるだけだ。そして、恐らく時臣は考えを改めない。時臣は魔術師として極端な保守派に属する。往々にしてそういう類の魔術師は遥のような異端児のいう事には耳を貸さないのが常だ。
仮に桜と遠坂の間の蟠りを解消して桜を遠坂に戻すのだとしても問題が多すぎる。それを目標にするとしても、恐らく遥たちが特異点を解決する方が早い。ある種、特異点を解決することが桜にとって救いなのかも知れないが、助けておいてそれでは無責任というものだ。
その場の感情で助けて後から自分の首を締める。遥の性格を考えればよくある話であるが、遥自身は自分のそういう所があまり好きではなかった。ガリガリと頭を掻き、立ち上がる。
「仕方ねぇ。どうするか決まるまで、俺たちと一緒に来るか?」
「……うん。そうする」
そう言うと、桜は遥のロングコートの裾を掴んだ。その細腕のどこから出ているのか分からないほど強い力で裾を引っ張られる。振りほどく気はないが、仮に振りほどこうとしてもそう易々とは振りほどけまい。
ひとつ問題を解決する度、また新たな問題が増えていく。そのうえ間桐臓硯の排除という最優先事項を今回の襲撃では果たせなかった。考えてみれば特異点にレイシフトした時よりも現在の方が解決しなければならない問題が増えているような気もする。
だが、それも全て遥が〝善し〟とした行動をした結果だ。ならば遥にはそれらを解決する義務がある。自分がしたことの後始末は自分でしなければ筋が通らない。逃避は遥の信条が許さない。
まあ取り敢えずなんとかなるだろう、と半ば思考を放棄し、概念迷彩を解いた
燃える間桐邸を背に改造バイクが走る。問題は積み重なるばかりだが、取り敢えずはひとつは解決した。そのことに遥が安堵の溜息を吐こうとした時、不意に念話が飛んできた。城に待機させておいたタマモからだ。
その内容を聞いた途端、遥はほとんど無意識に素っ頓狂な声を漏らしていた。だがそれも致し方あるまい。何しろそれは遥の予想の斜め上どころか、全く予想していなかった事態であるのだから。
――アインツベルン城にセイバーとライダー、そしてアーチャーまでもが参集し〝聖杯問答〟という名の酒宴を開いている。
それが、タマモの念話によって遥に伝えられた内容だった。
今年の水着イベ、水着ジャンヌ・オルタが配布鯖とか良すぎですね。というか、これで遥たちのカルデアにいる沖田以外の女性鯖に水着verが。これは……?