Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第36話 湧き出す影

「何事……?」

 

 冬木市郊外に通っている国道。そのアインツベルンの森に面した位置でバイクを止めた遥が呆れた表情でそう呟いた。後ろに乗っている桜も中々表情には出さないものの、相当に驚いているようにも見える。

 彼らの視線が注がれている先。本来は敵性探知や認識阻害などいくつもの術式が織り込まれた高度な多重複合結界が展開され、更には生い茂った木々が自然の結界となって奥地が見えないようになっていた筈の森は、城に続くまでの一帯の木々が薙ぎ払われ、さらに結界まで破壊されていた。

 ここに到着する前に結界が破壊されたことをそのフィードバックから認知していた遥であったが、森までこうも手酷く破壊されているのは予想の斜め上だった。破壊の規模から見てそれを齎したものは対軍以上の宝具。間違いなくライダーの戦車だろう。

 一夜目の時点でライダーが豪放かつ豪快な人間であることを遥は承知していたが、たかだか酒宴を行うために敵地に真正面から侵入していくということを予想していなかったというのはライダーの豪快さを見誤っていたと言えるだろう。それを客観的に認められるだけには遥は冷静さを保っていた。

 破壊された結界を再度展開しようにも、森の周囲に基点を再配置しなくてはならないためかなりの時間が必要となる。遥ひとりなら迷うことはなかったが、今は桜もいる。厚手とはいえ布一枚を羽織っただけの状態で長時間放置しておくというのは健康管理の面では非常に悪い。遥自身は絶対に風邪をひくことはないため忘れそうになるが、桜はそうではないのだ。

 エンジンを再始動させ、薙ぎ倒された木々の破片が散乱する森へと侵入する。普通のバイクではまともに走るどころか侵入した途端にタイヤがパンクしそうなものだが、万能の天才の作品たる装甲騎兵(モータード・アルマトューラ)はそうではない。オフロードバイクですら走破は難しいほどの悪路を装甲騎兵は悠々と進んでいく。

 周囲に敵影はない。そもそもこれだけ開けた土地になってしまえばアサシンの姿ですら詳らかになるというものだが、周囲を警戒して悪いことはないだろう。仮にいたとしても遥の直感と装甲騎兵に搭載されたレーダーが奇襲を許さない。取り敢えず城に着くまでの安全を確認し、遥は周囲の状況から敵戦力の推理を始めた。

 この森にこれだけの破壊を齎した宝具は恐らくライダーの戦車――〝神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)〟で間違いない。アーチャーやバーサーカーの可能性もない訳ではないが、立香やエミヤから伝えられた両者の宝具の特徴には合致しない。王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)無毀なる湖光(アロンダイト)とは異なるのだ。

 味方側として計上できる戦力においてこれと同程度かこれ以上の火力を出すことができるのは遥の〝天叢雲剣〟とオルタの〝吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)〟、セイバーの〝約束された勝利の剣(エクスカリバー)〟の3つ。イスカンダルもまたアルトリアと同じ九偉人のひとりなのだから当然と言えば当然だが、やはり途方もない力を有したサーヴァントである。

 現在、聖杯戦争に残存しているサーヴァントはセイバー、アーチャー、ライダー、バーサーカーの4騎。未だ報告は来ていないが、アサシンの作戦が上手くいっていればバーサーカーはそろそろ敗退する。そうなれば残りは3騎。聖杯が起動する目安は5騎のサーヴァントの脱落。遥の目標が達成されるにはライダーかアーチャーのどちらかを斃せば良い計算だ。

 だが、今現在も大聖杯は動いてはいるのだろう。遥の予想が正しければアイリの身体は貯蔵した英霊の魂に圧迫されて衰弱しつつある筈だ。そのアイリが今でも人間としての機能を保っているのはエミヤ曰く、セイバー召喚の触媒となった聖遺物たる宝具〝全て遠き理想郷(アヴァロン)〟を概念武装として体内に封入しているからだという。それがある限り、アイリは一応は生きていることができる。

 それでも安心はできない。アイリが生きていられるということは、聖杯起動時に『この世全ての悪(アンリマユ)』がアイリの身体を依り代にして受肉を果たすことができるということでもある。だからといってすぐに小聖杯(アイリ)と大聖杯の経路(パス)を断ち切ってしまえば大聖杯そのものが動かなくなる。それでは特異点の根本的解決にはならない。何とも難しい問題だ。

 何より目先の問題は桜の預け先である。カルデアで保護する方法がない訳ではないが、それには解決すべき課題と避け得ない問題が多すぎる。かといって遠坂に戻すというのも無理難題であり、孤児を引き取ってくれそうな教会は遥とオルタが焼き払ってしまった。自業自得だが、今後悔しても仕方があるまい。

 考えているうちに前方にはアインツベルン城が見えてきた。それから間もなくして聞こえてきたのは風切り音と沖田、オルタの声。そちらに視線を遣れば、何故かオルタが刀らしきものを振っていた。その傍らで沖田がまるで戦闘時のような表情で何事か言っている。遥はバイクを停めると、桜を降ろしてからふたりに声を掛けた。

 

「何してんだ、ふたりとも?」

「あ、ハルさん。お帰りなさい」

「遥!? アンタいつの間に……」

 

 恐らくは素振りに夢中になっていて気付かなかったのだろう。オルタは露骨に驚いた表情を浮かべて遥の方を振り返った。その手に握られているのはやはり日本刀。内包する魔力量からしてエミヤが投影した贋作宝具であろう。

 だが、オルタが刀を振っているとは一体どういう風の吹き回しなのか。少なくとも遥にはオルタが刀を所持する必要性があるようには思えなかった。オルタには既に長剣があるのだから、近接戦はそれだけで事足りる筈なのだ。

 しかし必要性はなくとも興味を持った理由ならいくつか思い当たる節があった。何となくオルタが刀を使いだした理由に思い至り、オルタを揶揄うような笑みを遥が見せる。すると、どこか抗議するような視線でオルタが遥を睨み付けた。

 

「な、何よ。何か文句ある!?」

「いや、別にねぇけどさ。言ってくれれば俺も教えたのに。抜刀術だけなら誰にも負けないぞ、俺は」

「っ……! いいわよ、別に」

 

 抜刀術という単語を聞いた一瞬だけは瞳の興味と好奇心の輝きを宿したオルタであったが、すぐにそれを消すと遥から視線を逸らした。恐らくは遥から借りた漫画などから抜刀術の存在を知っていたのだろうが、それへの興味を前面に出すのは恥ずかしいのだろう。

 だが、何にせよオルタが剣術を習得するというのは遥にとって悪いことではなかった。例え習得する気になった理由が〝刀が恰好良いから〟というものでも、戦闘手段が増えることに不都合はない。何より、多少険悪な雰囲気があった沖田とオルタの仲が改善されるというのが大きい。

 オルタと沖田はオルタの姿勢についてああだこうだと言い合ってはいるが、そこにカルデアで会議をしていた時にあった険悪な雰囲気はない。或いはそれは一時的なものであるのかも知れないが、常時険悪であるよりは良い。仮に両者の間にしこりが残っていれば、それは戦闘時に隙を作る原因と成り得る。

 奇妙な満足感を抱いて遥がその様子を見ていると、不意にロングコートの裾を引っ張られた。見れば、桜が遥の背後に隠れている。その眼は相変わらず内包した感情が分かりにくいものであったが、裾を掴まれている遥には桜が怯えていることが手に取るように分かった。遥のコートを握った小さな手が震えている。

 桜が沖田たちに怯えているのは彼女らが尋常な人間ではないことを察知したからだけではない。或いは人間の魔術師としては相当に豊富な才能を備えた桜ならばサーヴァントの存在は知らなくとも気付くことができるのかも知れないが、まずそれ以前に桜は他人が怖いのだ。

 今の桜にとって他人とはまず第一に恐怖の対象なのだ。本来の家族には棄てられたと思い込み、養子として引き取られた家では人間としての尊厳さえ無視した虐待を受け続けてきた。桜の身を案じて聖杯戦争に参加したという雁夜でさえ桜にとっては〝間桐の一員〟という枠組みの内だろう。そこから助け出した遥とエミヤでさえ信用はされていても信頼はされていないに違いない。

 遥と同様にエミヤから桜について聞いていたふたりにもそれは分かっているだろう。しかし沖田は一切遠慮せずに桜の前でしゃがみ、視線を合わせた。更に遥の後ろに隠れようとした桜に手を伸ばし、頭に手を載せる。オルタは立ったまま邪気のない表情で桜を見ている。

 

「そんなビビることないじゃない。別に取って食ったりしないわよ」

「そうですよ、桜ちゃん。私たちは桜ちゃんを傷つけるようなことはしません」

「……本当?」

 

 笑みを浮かべたまま沖田が桜の問いに頷きを返す。それだけで桜が起きたを信用するようなことはないが、しかし少なくとも沖田とオルタが危害を加えようとする相手ではないと分かったのか伝わってきていた震えが止まった。

 それは余人にとっては些細な変化であろうが、少なくとも桜にとっては大きな変化であろう。今まで虐待という表現すらも生温いような暴力を受け続けてきた桜が他人を信頼はできないまでも信用はできるようになったのだから。

 だが、沖田たちのことを信用したのはあくまで桜を助けた遥とエミヤの仲間であるからという部分が大きいのだろう。現時点で桜が最も信用しているのが遥とエミヤであるから、少なくともその仲間は信用できるのだろう、と。

 それでもいい、と遥は思う。そもそも人間不信に陥った者がすぐに他人を信頼できる筈もないのだ。それは遥が一番良く分かっている。桜と程度は違えど幼少期、両親を喪った直後の遥がまさしく人間不信そのものだった。

 できることなら桜が誰かを信頼できるようになるまで見届けたい気持ちはあったが、それは我儘というものだろう。それは遥の仕事ではなく後に桜を真の意味で救済する人間の仕事だ。そうやって妙な感傷を断ち切ると、遥は傍らに立つオルタに問いを投げた。

 

「そういや、今、セイバーたちがやってる〝聖杯問答〟……だっけか? オルタは参加しなくていいのか?」

「アンタそれどこから……あぁ、タマモから聞いたのね。

 嫌よ、あんなのに参加するのは。あれはただの酒宴じゃなくて王サマの享楽。莫迦騒ぎよ」

 

 心底鬱陶しそうにオルタが言う。享楽というのは言い過ぎかも知れないが、決して間違った形容ではないだろう。王たちによる酒宴とはすなわち剣を伴わない戦いだ。或いはそれも享楽のひとつであるのかも知れない。

 己が王道を語り合い、それぞれの格を酒杯に問う。そもそも王ではなく、世界を旅しても酒の一杯すらも飲まなかった遥には到底理解が及ばないが、彼らにとってはそれもまた戦いであることくらいは分かる。積極的に関わりたいとは全く思わないが。

 剣を交える代わりに酒を酌み交わし、己の格を見せつけることによる戦い。それはまさしく〝聖杯問答〟と言うに相応しいだろう。だが今回の問答においてセイバーが圧倒的に不利であろうことは想像に難くない。

 片や騎士王という清廉潔白な、言い換えれば国と民意の奴隷となった王。片や国を己の思うままに支配し、しかし圧倒的なカリスマによって民衆を束ね上げた征服王と英雄王。どちらが間違っているということはない。王道と一口に言っても様々な形があるのだから、それに是非を問うことはできない。

 それでも問答においてセイバーが弱いのは、己の王道の果てに待ち受けていた結末を悔やんでいるからだ。アーチャーとライダーが自らの結末をどう思っているか正確なところは知らないが、少なくともそれを後悔するような性格をしているとは思えない。自らが後悔を抱いておいて声高に自らの王道こそ至高など言いきれるのは余程の厚顔無恥だけだ。問答しているうち、いつかセイバーは言い負かされる。

 

「それにね、遥。こんな穢れた聖女、王サマたちは所望してないでしょ。ああいうのと相容れるのはあの白いの(オリジナル)とかよ。

 アンタもああいうのとは気が合わないんじゃない?」

「まあ、確かに。セイバーはともかく、ライダーとは気が合わないな。アーチャーは論外だ」

 

 遥は直接アーチャーと対面したことはないが、倉庫街で行われた戦闘を遥はエミヤの視界を借りて見ていた。遥とオルタが去った後に行われた戦闘で戦っていたサーヴァントは計4騎。中でも異彩を放っていたのがアーチャーであった。

 豪奢ながらも下品でない黄金の鎧を纏い、黄金の都にある蔵に繋がる宝具を有することで無限の財を惜しげもなく使い潰す神性の気配を纏うサーヴァント。真名はギルガメッシュ。メソポタミア文明の発祥地たる地域に存在した都〝ウルク〟の王にして世界最古の叙事詩の主人公である半神半人の大英雄。

 その脅威はエミヤから聞いてはいたが、まさしく聞いていた通りのサーヴァントであった。汲めども汲めども尽きぬ財を蔵から引き出し、無造作に投げつけるという宝具は大抵の英霊に対して有効打と成り得る。それを防ぐことができるのは特殊な投影魔術を扱うエミヤかバーサーカーのように凄まじい武錬を誇る武人だけだろう。

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)なるあの宝具の掃射は非常に脅威だが、或いは分霊と同調している状態の遥であればバーサーカーと同じことが可能かも知らない。それもかなりの賭けではあるが。正面からアーチャーを相手取るとすればエミヤの固有結界内に取り込んでの集団戦法が最も効果的だ。

 そう戦力分析はしているものの、この聖杯問答においては戦闘能力は関係がない。遥がアーチャーを論外と切って捨てたのは、要は相性の明らかな不一致だ。性格や話し方は勿論のことだが、遥は何故か本能的なところでアーチャーとは相いれないと確信していた。仮にギルガメッシュが不老不死の探求を終えた後の状態で召喚されていれば話は違ったのだろうが、少なくとも『弓兵(アーチャー)』の彼が暴君の姿であれば和睦の可能性はまずない。

 だが、それは遥から見たアーチャーの印象だ。アーチャーが遥に抱く印象はもしかしたら好意的なものであるのかも知れない。まず間違いなくアーチャーが敵に抱く好意とは敵意や殺意と同義なのであろうが。

 しかし、どちらにしても遥がこの場にいながらアーチャーの眼前に姿を晒さず、そしてそれが露見した場合に待っているのはアーチャーとの交戦だ。この場に遥の全戦力が揃っているのだから戦えないことはないのだろうが、今は桜もいる。桜を戦禍に巻き込む訳にはいかない。

 心底面倒そうな表情を浮かべ、頭を掻きながら遥が溜息を吐く。そこから遥の心情と考えを大方察したのか、オルタが揶揄うような笑みを浮かべる。

 

「大変ね、マスターってのも」

「まったくだ。……まあいい。万が一のこともある。すぐに戦闘できるようにしておいてくれ」

「言われなくても」

 

 まるで遥が言わんとしていたことを事前に察知していたかのように即答するオルタ。それができるのは、ひとえにオルタが遥のことを理解しているからだろう。元より復讐者であるふたりはそのやり方や価値観が似通っている。故にオルタには遥の考えることがなんとなく解るようになっていた。ある意味、遥のことを最も分かってくれているのはオルタであろう。

 沖田とオルタが刀の稽古に戻り、遥は桜を伴って城に戻る。心なしか、城に近づく度に肌を焼くような緊張感が増しているような気がしていた。恐らくひとつの場に強力なサーヴァントが集結していることで本能的な警戒を抱いているのだろう。

 詠唱を口には出さず、心中だけで詠唱を唱える。起動させたのは夜桜の魔術の最奥たる封印魔術。外面だけではなく事象と概念にまで作用するその魔術を自らの概念に幾重にも纏わせ、人外の血の気配を遮断する。英霊相手でも過剰なまでの防備だが、殆ど無意識に遥はそれでも足りないと感じていた。

 どれだけ魔術を用いて隠蔽しようともその概念が消える訳ではない。封印や隠蔽はあくまでも隠しているだけであって、その奥を見透かすことができる相手には何の意味も成さないのだ。そして遥が最も警戒しているアーチャーはその隠蔽を見透かすことができる相手であることは想像に難くない。

 ライダーは戦車に乗り込んだまま城に侵入したのか、城のエントランスは元の豪奢さが見る影もないほどに荒れ果てていた。昨夜の時点ではケイネスに扉を破壊されただけだったのだが、今は床が車輪の形に抉れているうえに振動で落下した装飾品の破片が散乱していた。それを嫌そうな顔でタマモが見ている。

 エントランスにいたタマモは、非戦闘時であるためか遥が買った現代風の装束に着替えていた。特徴的な耳と尻尾は呪術で隠している。タマモは遥と桜の存在に気付くと、たおやかな笑みを浮かべた。

 

「おや、遥さん。おかえりなさい。そちらが桜さんですか?」

「あぁ。……桜。ちょっとの間このお姉さんと一緒にいてくれ。この人は……まぁ、俺の姉みたいなモンだ」

「遥さんの、お姉さん……?」

「みこっ?」

 

 少し気恥ずかしそうに遥がそうタマモを紹介すると、桜が遥とタマモを見比べて首を傾げた。遥の言葉に納得が言っていないようだが、さもありなん。遥は女顔ではあるが、タマモには全く似ていない。それどころかセイバーやアルトリア等に近い顔立ちをしている。

 確かに遥とタマモの間に存在する縁は血の縁だが、ふたりの間に存在する時代の壁はあまりに大きい。外見の共通点は皆無と言っていい。加えて――遥は知らないことだが――真に遥と繋がりがあるのは()()()()()()()()()。そういう意味では遥とタマモの血の縁は遺伝子というより霊魂や魂魄の相似というのが正しいだろう。

 恥ずかしそうに顔を背ける遥にタマモは一瞬だけ複雑そうな表情になったものの、すぐに笑顔を浮かべた。遥が隠している血の詳細全てに気付いているタマモにとって、自らが遥の姉に等しい立場であるのは嬉しくもあるが複雑な思いもあった。ある種、それはタマモが一度神から人間に転生し、さらに既知の男と同じ気配を纏う者に出会ったことで得た感情であるのかも知れない。

 果たして自分は誰かの姉であるに足る存在なのか、という。天照として神の視点で物を見ていた頃の彼女であれば抱かなかった筈の迷いだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()天照(タマモ)は持っていなかった。即ち――家族を大切に想う親愛を彼女は持っていなかった。

 不意に降って湧いたその思いをタマモは無理矢理に脳裏から締め出す。例え昔はそうであったとしても、今の彼女は『天照大御神』ではなく『玉藻の前』なのだ。同じでいるようでいて違う存在だ。ならば同じに考えることはない。

 感傷的な思いが顔に出ていたのか、不意にタマモの耳朶を遥の声が叩く。

 

「タマモ? どうかしたか?」

「いえ。なんでもありません。なんでもありませんよ。……ところで、私を姉と言ってくれるとは……〝タマモ姉さん〟と呼んでくれてもいいんですよ?」

「いや、それは……とにかく! 桜のこと、頼む。俺はちょっと行ってくるから」

 

 そう言ってすぐにその場を離れる遥。離れていくその背中を見ながらタマモが微笑んだ。それとは対照的に、桜は暗い瞳にどこか驚きのような感情を宿して遥を見ている。恐らく桜にとって純粋に照れているだけの遥というのは想像ができなかったのだろう。

 桜には遥が感情らしい感情も見せず超然と任務を遂行していく、いわば軍人のようなか何かに見えていたのだろう。或いは殆どの人間が向けてきた筈の悪意や同情を全く向けなかったことでどこか他の人間をは一線を画す何かに見られていたのか。

 幼い頃に両親を喪った遥には家族というものが分からない。記憶はあるがそれを思い返そうとしないために、自分がどのように接していたかが解らない。それなのに唐突に姉と思ってくれていいと言われてもすぐに正しい対応ができる筈もない。

 湧き上がってきた奇妙な気恥ずかしさを遥は頭を振って頭の片隅に追い遣った。それは今考えるべきことではない。頭の端に追い遣った動揺を意識から切り離し、冷静さを取り戻してから遥は中庭へと続く扉を開けた。花弁を巻き込んだ冷たい外気が流れ込んでくる。だが遥はそれを全く意に介さずに外へと足を踏み出した。

 まず遥の眼に入ってきたのは花壇の中央にあるスペースで酒を酌み交わす3人の王。彼らが囲んでいる瓶に満たされている黄金の酒は恐らくアーチャーが蔵から取り出した宝物なのだろう、酒を飲んだことが無い遥ですらその価値を推し量ることができるほどにその酒は言いようのない魅力を放っていた。

 次に遥の注意を引いたのはライダーだ。見覚えのある戦支度を身に纏うセイバーとアーチャーとは対照的に、何故かライダーはTシャツとジーンズという非常に現代的な服装であった。さらにTシャツには〝アドミラブル大戦略Ⅳ〟なるゲームのロゴがプリントされている。遥自身はプレイしたことはないが、聞いたことはあるゲームだった。

 どうやら本当に戦闘をする気はないらしい、と半ば拍子抜けした思いに捕らわれる遥。その遥の耳朶を凛とした涼やかな声と邪気のない野太い声が打った。

 

「戻りましたか、ハルカ」

「おう、どこへ行っていたのだ、アヴェンジャーのマスター! ホレ、呑むか?」

 

 そう言ってライダーが黄金の酒を注いだのは何故か木製の柄杓であった。どうやら柄杓を酒器か何かと勘違いしているようだが、悲しいかなこの場には遥以外にその間違いを指摘できる人間がいない。一瞬だけひどく指摘したくてたまらなくなった遥だが、すぐに無駄だと悟ってその欲求を呑み込んだ。

 差し出された柄杓を遥は片手で押し留め、首を横に振って断った。

 

「いや、俺はいい。折角の誘いだが、酒は呑まない主義でね。……というか、俺は王じゃないだろ? 参加する資格はない筈だ」

「うむ。だが、王として民草の言葉を聞くのは不思議ではあるまい? それに、貴様からは何とも言い難い気配を感じてな。言うなれば……そこの金ピカと似た、な」

 

 ライダーが言う〝そこの金ピカ〟とは言うまでもなくアーチャー――英雄王ギルガメッシュに他ならない。半ば誘われるようにしてそちらを見た遥の視線とアーチャーの真紅の視線がぶつかり合う。

 神性を帯びた紅玉の瞳が遥を射抜く。未来を見通し、万民を睥睨し、全てのものの畏怖を植え付けるアーチャーの瞳はしかし、遥にだけはその効力を発揮しなかった。或いはその畏怖の根源となる感情が遥を見る時だけは無くなっていたというべきか。

 代わりにアーチャーの瞳に宿っていたのは興味に近い感情であった。まるでその対象に纏わりつくかのような奇妙な視線。楽園に住まう誘惑の蛇すら連想させるその瞳は遥に悪寒と警戒を抱かせるには十分過ぎる威力を伴っていた。

 ()()()()()()()。そう気付いくや、殆ど無意識に遥の拳に力が籠る。あからさまに警戒している様子の遥を嘲笑うかのように横目で遥を見ながらアーチャーが酒を呷った。

 

(オレ)と雑種を同列に見なすというのは気に食わぬが……そこな雑種。特別に我の記憶に貴様の名を刻むことを許そう。名乗るがいい」

「ありがたき幸せ……とでも言うべきなのかね、こういう時は。……俺は夜桜遥。以後お見知りおきを、ギルガメッシュ王」

「ほう。如何なる所以かは解らぬが、我の面貌を知っているか。どうやら貴様、他の蒙昧共よりは見所があるらしい」

 

 英雄王ギルガメッシュ。遥の口から語られたその名前に、近くにいたウェイバーが露骨に反応した。恐らくウェイバーはアーチャーが強力な英霊だとは分かっていても真名までは推理できていなかったのだろう。事前に遥から知らされていたアイリとセイバーまでもが眉根を寄せている。唯一ライダーだけは気楽そうであったが、それでも驚愕は隠しきれていない。

 その中にあってまるで切り離されたかのように遥とアーチャーだけが睨み合っていた。いや、それは正確ではないかも知れない。睨んでいるのは遥だけで、アーチャーはそうではない。アーチャーは未だ全てを見透かすような粘つく視線を遥に投げて寄越しているだけだ。遥にはそれがたまらなく不快だった。

 どれだけ遥が魔術で隠そうとこの英霊だけはそれらを全て見透かしてその最奥にあるものを暴き立ててくる。遥にはその確信があった。或いは、それはライダーの言う通り遥とアーチャーがある意味同類であるが故のことなのかも知れない。元より神話において『すべてをみたるひと』として語られるギルガメッシュを欺こうということ自体が不可能なのかも知れないが。

 遥と神話に語られる大英雄を同族扱いするというのは或いはアーチャーにとっては最大の不敬であるのかも知れないが、気に食わぬという言葉をは裏腹にアーチャーにはそれほどそれを気にしている様子はない。その瞳にあるのは興味と、愉悦だ。

 ただ遥の内にあるものを見透かしただけでどうして愉悦を覚えるのかは遥には分からない。遥が抱えているものなど憤怒と復讐心、そして僅かばかりの願望だけであるというのに。

 どの程度そうしていたのかは分からないが、それなりの時間遥とアーチャーは睨み合っていたようで、放っておかれたライダーが不満げに鼻を鳴らした。

 

「そういやぁ、遥。貴様、以前余が問いを投げた時に願望を答えなかったな? 良い機会だ。今度こそ訊かせてもらおうか、貴様の願望を」

「あの時にアンタらに聖杯を渡せないと言ったのは俺が聖杯を欲しいからじゃないんだけど……それに、俺に聖杯に掛けるような大それた願望はないよ。願いがない訳じゃないが、それは自分の力で叶えるべきモンだ」

「ふむ。聖杯に頼るのではなく、あくまでも自らの力で己が願望を叶えんとするか。魔術師だてらに中々見上げたヤツよな」

 

 自分の願望を聖杯に叶えてもらうのではなく自らが叶えるというのはライダーの精神性とも共通するところであった。ライダーにとって聖杯はあくまでも受肉する手段でしかない。真の野望である世界征服はライダーがライダー自身で達成するつもりでいた。

 だが、遥の願いはライダーの野望である世界征服のように大それたものではない。あくまでも自らの内から生まれ、自らに帰結するだけの些細な願いだ。魔術師であれば普通は根源への到達などを願うのだろうが、遥にとってそれはさして重要なことではない。根源など、遥にとってはその気になればすぐに行くことができる場所だ。

 けれど、どれだけ些細でも遥の夢は叶わないものでもあった。どれだけ遥が魔術師として優れていようと叶わない。遥が見ていた特撮の台詞で『夢というのは呪いと同じ。途中で挫折した者はずっと呪われたまま』というものがあるが、それに則るならば遥の夢は呪いをなることを運命づけられているも同然のものであった。

 遥の思いとは裏腹に、遥の夢はいつか破綻する。そもそもこうして剣士や魔術師として戦っている時点で遥は自らの願望に背を向けているも同然なのだ。そういう意味では遥の願望は駄々をこねる子供の我儘とさして変わらない。ただ自らのことを受け入れられていないが故のものだ。

 遥自身それが分かっているがため口にしたくはないのだが、ライダーは言葉にはしていないが遥の願いを聞こうとしている。その横では遥の願いに気付いているらしいアーチャーまでもが催促するかのような視線を投げていた。セイバーもまた真っ直ぐに遥を見ている。

 逃れ得ない状況であった。仕方なく願望を口に出そうと遥が口を開こうとする。だがその直前、遥の魔術回路に繋がった経路(パス)を通じて念話が繋がった。アサシンからだ。

 

『アサシン? どうした。何かあったのか?』

『……遥。マズいことになった。まずは現場を見てくれ。正直、これは説明するよりも見てもらった方が早い』

 

 念話によって送り込まれるアサシンの声は平時と変わらず冷静なようにも聞こえたが、しかし遥はそこに一抹の動揺を感じ取った。それだけでも、アサシンでも想定していなかったことが起きているのは明白であった。

 アサシンに言われるがままに感覚共有を行い、遥の視界が自らのそれからアサシンが見ているものへとすり替わる。そうして、そこにあったものを見て遥が息を呑んだ。遥とてそれを想定していなかった訳ではない。ただ想像していたよりも時期が早かったというだけだ。

 だがどちらにせよ、それは遥にとっては不都合極まるものであった。仮にそれが起きるのが昨日遥とエミヤが間桐邸に赴く前であればさして都合が悪くなかったのかも知れないが、少なくとも桜がいる今となってはそれは最悪の事態と言って差し支えない。

 遥が借りたアサシンの視界に映っているのは大聖杯が存在する円蔵山の麓。そして――

 

 

――そこに湧き出した、数多のシャドウ・サーヴァントたちであった。




さて、ようやくAccel Zero Order編も終盤に入ります。
今まであとがきなどに書いてきた遥のステータスを活動報告に纏めましたので、気になる方はどうぞ。

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