Fate/Everlasting Shine 作:かってぃー
それは、夢だった。普通夢とはそれを見ている間はそうとは知れないものであろうが、どういう訳か遥にはそれが分かった。感覚としては所謂明晰夢というものに近い。意識も記憶もはっきりとしていて、けれど記憶があるのは叢雲の真名解放をした時点で止まっている。
『不朽』である遥に忘却という現象はあり得ない。忘却とはすなわち記憶の欠損であり、遥の起源の前ではそれすらも劣化に含まれる。人よりも遥かに高位の存在の記憶を叩きつけられて遥が自己認識を喪失しないのはそれが理由でもある。遥の起源は決して彼に崩壊という安寧を許さない。
そんな遥が思い出せないというのだから、それはまず記憶すらできていないほどの異常事態ということなのだろう。恐らくはこの世のものとは思えないほどの強烈な苦痛を感じていたのであろう時間に代わりに記憶されているのは断片的な誰かの記憶だった。
元が元であるだけにまるで人間ひとりの生涯を圧縮して魂に焼き付けられたような感覚だった。今の遥にとっては大海魔との戦闘でさえ数十年前の出来事のようであるし、同時に数秒前の出来事であるような気もする。今ある自己は確かなものであるのに、時間の感覚だけがあやふやだった。
だがそれでも遥の魂は朽ちることはない。それは遥が『不朽』であるからということ以前に、魂というものが物質界において唯一永劫不滅のものであるからだ。中でも遥のそれは特別製である。人間のものではない魂が混じっているうえ起源によって補強されているのだから、それも当然だ。
――鉄を
不意に夢の内容が変わる。まるで録画したテレビ番組を何倍にも加速した早回しで見ているように夢の内容は刻一刻と変わっていく。その速度では現実の知覚では遥ですら追いつけまい。だというのに、遥ははっきりとその内容を知覚することができていた。
それは誰かの記憶だった。しかし視界に入ってくる人々はその全てが現代的な恰好をしており、遥の焼きつけられた記憶の再生ではないことはすぐに解った。視点は遥よりも数センチメートルほど高く、小さくにだが絶え間なく鉄を鍛つ音が響いている。
考えるまでもなく、それは遥が契約を結んでいる『
遥が見ている記憶はその全てが人助けの記録だった。中学入学以降の長期休みと高校を卒業してからカルデアに来るまでの一年間だけを海外で過ごした遥とは違い、エミヤはその生涯の大半を他人のために費やしたらしい。それが何故かまでは分からないが、その行動を遥は疑問には思わなかった。
様々なことがエミヤとは違えど、遥もまたある程度人助けをしたことのある者だ。しかしその動機はエミヤのように純然たる利他主義であったのかと問われると、それは否と言わざるを得ない。遥の人助けはあくまでも成り行きと偽善である。対してエミヤのそれは理想を追い求めた果てにある善だった。
多くの人を助けた。その裏で、多くの人を殺めようとする人を殺した。そうしてエミヤ――もとい■■■■は多くの人間を幸福にした。けれど彼自身は幸せなど掴むことはなく、それどころか幸せにした筈の人間に裏切られた。何度も裏切られ、何度も見放された男は最後に争いの首謀者の烙印を押されて果てた。
だが男に死後の安らぎなどは訪れなかった。そんなものはとうに売り払っている。人間としては回避できなかった悲劇でも霊長の抑止力としてならば回避できると信じて。そうして、■■は英霊エミヤとなった。
――鉄を鍛つ音が強まる。
守護者としてならば多くの人々を救うことができると信じていたエミヤはしかし、すぐにその理想にすら裏切られる羽目になる。霊長の抑止力、すなわち守護者というのは結局は名ばかりで、その本質はただの掃除屋だったのだ。
多くの人々を救うために、いずれ幸福という席から零れ落ちる定めの少数には死んでもらう。エミヤが生前行っていたことを繰り返すどころかそれよりもなお非道な行為を拒否権すらもなく繰り返させられる。だが、それはまさしく『正義』だ。
『正義』であれ、『悪』であれ、元を辿れば最終的には『暴力』に行きつく。正義と悪などというのは所詮は思想の違いであって、世相によって容易に移り変わるものだ。けれどその本質が暴力であることだけはいつの時代でも、どこの世界でも変わらない。
それはどんなお為ごかしの理論で取り繕おうと変わらない事実だ。そんなことはたった19年ほどしか生きていない遥でさえ知っている。けれどエミヤはあまりに純粋に正義ばかりを追い求めたが故に守護者となるまでそれに気付かなかった。故に、最後に理想にさえ裏切られた。
あらゆるものに利用され、裏切られ、最後の最後で唯一信じていた理想にも裏切られる。その時のエミヤの心中はどのようなものであったのか、遥には分からない。エミヤの人生はエミヤだけのものであり、理想もまたエミヤだけのものだ。理想に至るために積み上げたものがエミヤだけのものならば、それが崩れ去った時の感覚は彼にしか分からない。
エミヤが理想に絶望し、後悔に囚われてもなおアラヤは彼を利用し続ける。使い潰されることさえ許されない最低最悪の時間。無限に続く責め苦。その中で、エミヤはとある戦場に
――彼の者は、尚も鉄を鍛つ。
それは恐らくエミヤが潜り抜けてきた無限の戦場のうちたったひとつでしかないのだろう。或いは似た世界は無限に存在するのかも知れないが、遥がそれを覗き見ることになったのはそれがエミヤにとって重大な意味を持つ出来事であったからなのだろう。
その戦場はエミヤが生前経験したものであった。つまりその戦場には過去のエミヤ、未だ絶望を知らず愚直に理想を追い求めていた頃の彼がいたのだ。エミヤはそれを好機と考え過去の自分を殺すと決意した。そんなことは何の意味もないと分かっていながら。
自分を召喚した主を裏切り、そうして寝返った相手も裏切って至った過去の自分との対峙。負ける道理などなかった。それはそうだろう。戦闘技能も魔術も、無限に戦場を潜ってきたエミヤの方が圧倒的に練度が高い。その時は魔力供給源がなかったために平時の1割程度の力しか出せなかったのだとしても、過去の彼を殺すには十分に過ぎた。
それでも、エミヤは敗北した。それは過去の彼に敗北したというよりは、過去の彼を認めてしまったという方が正しい。その対峙を経てエミヤは悟ったのだ。エミヤの理想――正義の味方というのは決して間違ってはいなかったのだと。
何の因果かその記憶を持ったまま召喚されたからこそ、エミヤは遥を見ても忠告する程度に留めているのだろう。でなけれは遥の過去の一端を聞いた時点で遥とエミヤの間には埋めがたい隔絶が生まれていた筈だ。ある意味、遥は生前のエミヤの道程をなぞっているとも言えるのだから。
いつの間にかエミヤの記憶の再生は終わり、鉄を鍛つ音も止んでいた。それでもなお夢を見ているという意識の中で、遥は自嘲的に笑う。遥が見たエミヤの記憶。理想を追い求め、利用され、裏切られ、絶望し、けれどその果てに報われたその道程。普通の人間ならば同情や共感はしても憧れることはないその道行を、遥は――
――羨ましい、と思ってしまった。
「ん……」
唐突に遥の意識は夢から醒め、現実へと引き戻された。初めに感じたのはまるで舗装もされていない山道を碌な整備もされていないままアクセルを全開にしたバギーで走り抜けているかのような激しい振動。けれど身体はともかく頭はその振動源に直接触れていないようだった。
目覚めた直後はぼやけていた視界がピントを取り戻し、すぐに見えたのはタマモの顔。それとほとんど同時に戻ってきた触覚は丁度後頭部あたりで何か温かく柔らかい感触を捉えていた。すぐに何をされているか察した遥は反射的に身体を起こそうとして、身体に奔った痛みに顔を歪める。
満足に身体を動かすこともできずにタマモになされるがままの現状に遥が顔をこれまでにないほど赤くする。あからさまな遥の反応に、タマモがまるで悪戯に成功した子供のような表情を浮かべた。
「えーと……姉さん? なんで、膝枕?」
「お嫌でしたか?」
「いや、別に嫌ってワケじゃないけど……」
言いながら、遥は今度こそ身体を起こした。大海魔戦からどれほどの時間が経っているかは不明だが、未だに遥の身体には叢雲を真名解放した際の反動が残っているらしい。或いは変質していく身体に人間側が追いついていないのかも知れない。
だがその痛みを無視して遥は周囲を見渡した。遥が先程まで寝かされていたのはライダーの戦車の御車台。遥とタマモ以外に御車台に乗っているのはアイリとウェイバー、そして桜。戦車を追随する
車通りと光の絶えた公道を走っているところを見るに、大海魔戦からさして時間は経っていないらしい。エミヤがいないのは戦闘が終わった後に遥をタマモたちに任せてシャドウ・サーヴァントの殲滅に出たからなのだろう。ライダーが全速力を出していないのは遥の回復を考えてのことか。
御車台の端に背中を預け、遥が大きく溜息を吐く。桜はおずおずと遥に近づくと、その顔を覗き込んだ。
「遥さん、大丈夫……?」
「大丈夫……とは言い難いけど、まぁ身体を動かすだけならなんとか。心配してくれてありがとう、桜」
そう答えて遥は桜の頭を撫でた。すると一瞬だけ桜は身体を強張らせたものの、すぐに安心したように微笑んだ。まるで機械のようだった出会った頃を比べると大層な変化である。その変化は遥には嬉しいものである反面、現状への憂いを齎すものでもあった。
恐らく一行が向かっているのは円蔵山、ひいてはそこに存在する大聖杯の下だろう。恐らくはそこに臓硯やバーサーカーもいる筈で、それはつまりこの特異点における最終決戦の幕開けを意味する。それを生き残ることができればこの世界が特異点化している原因は取り除かれ、遥たちはカルデアに戻ることになる。
そして、遥がその結末に至るまでの間に桜をどうするか決めているだけの余裕はない。つまり遥は桜を危険に晒した状態のまま決戦に臨み、そうして桜を置いてこの特異点を去らなくてはならなくなる可能性がある、ということだ。
そんなことを考えた自分にふざけるな、と遥は内心で叫んだ。桜を間桐の地獄から助け出したのはエミヤの願いであると同時に遥の我儘だ。それを貫き通したのなら、遥はその責任を果たす義務がある。それを投げ捨てて、あまつさえ桜を放り出して自分だけのうのうとカルデアに戻ることなど許されない。
とはいえ、遥に最早考えが残っていないのかと問われればそれは否だ。遥個人の感情としてはあまり使いたくはない手段ではあったが、しかしこの状況における最善手でもある。そしてこのまま状況が進めば、遥はその手段を取らざるを得なくなるだろう。
今のうちに考えておくべきことはそれだけではない。遥は思考を切り替えると、アイリに声を投げた。
「なぁ、アイリさん。ちょっといいか?」
「? ……どうしたの?」
そう返すアイリの声はいつも通りのように聞こえる。けれど遥はエミヤから小聖杯の特性を聞いているが故に現在のアイリがどのような状況に置かれているのかを知っていた。現在脱落しているサーヴァントは4騎。それだけの数の英霊の魂にアイリは内部から圧迫されている。
そのアイリが今でも人間としての機能を保っていることができるのは〝
だが同情や共感は許されない。その苦痛はアイリだけのものであって、それに同情や共感が許されるほど遥はアイリのことを知っている訳ではない。思わず口を突いて出そうになった言葉を飲み下し、吐き出したのは別な言葉。
「今更だけど……アイリさんはさ、この聖杯戦争が終わったらどうするつもりなんだ? こうなっちまったら、アインツベルンに戻ろうにも多分戻れないだろ? ……まぁ、俺の所為なんだけど」
「そうねぇ……ごめんなさい、考えてなかったわ。でも、確かにそうよね……」
遥としても同盟交渉から今までセイバー陣営とは特に目立った問題もなく円滑に同盟関係を維持できているため忘れがちであったが、アイリがしていることは彼女の生みの親であるアインツベルンへの裏切りに等しい。アインツベルンの当主であるユーブスタクハイトは聖杯を完成させれば世界が滅ぶことを承知のうえでアイリをこの冬木に赴かせたのだから、アイリが聖杯の廃棄を選択したことを知れば彼女を勘当することは目に見えている。
仕方のないことだったとはいえ、それもまた遥の責任である。或いはセイバー陣営に協力を求めずとも解決する方があったのかも知れないのに遥はそれをしなかった。やむを得ない状況であったとはいえ、大聖杯の現状を明かしてアイリにアインツベルンを裏切らせたのは他でもない遥なのだから。
だが、桜の問題とは違ってこちらの問題は比較的容易に片が付くものではあった。だが、それはアイリにとっては初めて自らの意思で人生を選ぶ決断になるだろう。果たしてそんな決断をアイリに迫るだけの権利が遥にあるのかどうか。それは分からない遥であったが、どちらにせよアイリに問わねばならないことであるのに変わりはない。
「アイリさんさえ良ければ、聖杯戦争が終わったらカルデアに来ないか? 俺たちの任務は聖杯の回収及び破壊……ならその対象には小聖杯であるアンタも含まれる筈だ」
「それは願ってもない提案だけれど……本当にそんなことができるの? それって、もう第二魔法の領域なんじゃ……」
「普通はな。それにカルデアでもその時代に住む人間やらホムンクルスを節操なく移動できる訳じゃない。けど、完成された小聖杯であるアンタならなんとかなる」
そう言いながら卑怯な問いだと遥が内心で自嘲する。遥がアイリへと投げかけた問いは言葉だけを見ればアイリの行く末を案じているようにも見えるが、その実脅迫に近いものであった。死にたくなければカルデアに来い、という。
アイリがこの世界に残ればアインツベルンに戻れないことは既に決定した未来だ。よしんばアイリがこの世界で生きていく手立てを得たとしても、今度は完成された小聖杯を狙って魔術協会の刺客に捕まり、封印指定をされて標本になるのが目に見えている。
仮にアイリが遥の提案を蹴った場合、彼女に待っているのは詰みだ。或いはこの世界は特異点であるのだから大聖杯に巣食う
突飛な仮説だった。平行世界間の移動など、それこそアイリが言ったように第二魔法の領域である。だがカルデアのシステムそのものに何かきな臭いものを感じている遥はそれを真っ向から否定し得るだけの材料がない。
変異特異点ならぬ変異した特殊な平行世界、またはそれに近い存在。この異様な特異点を遥はそう定義していた。脳内で展開される益体のない思考をそこで振り払い、遥はアイリの答えを待つ。初めは戸惑うだけだったアイリだがその聡明さ故にすぐに自らの状況を受け入れ、そうしてアイリは答えを出した。
「……どうせ寄る辺のない身だもの。こんな私でもいられる場所があって、誘いをかけてくれているのだから乗らなきゃ損よね。……えぇ。お言葉に甘えて、私は貴方に付いて行きましょう」
「そっか。――よかった」
アイリの返答に遥が安心した表情を浮かべつつそう呟く。アイリに対して脅迫めいた問いを投げた遥ではあったが、それは裏を返せばアイリに生きていて欲しいが故のものでもあった。それは何も遥がアイリを好きだとか、そういうことでは断じてない。
遥はただ単純に自身と同族とも言える存在であるアイリに生きることを諦めて欲しくなかったのだ。いかなホムンクルスであれ、アイリは紛れもなく生きている。それなりに生きたならばともかく、生まれたばかりで死を望む生命などいまい。そしてアイリはその生まれたばかりの生命に類する。それが望まない死を迎えようとしているのを見過ごせるほど、遥は薄情ではなかった。
だがその思いが自己満足めいているのもまた事実だ。いくら人間に近い生命であるとはいえ、ホムンクルスの寿命は極端に短い。アイリの場合はこの聖杯戦争で聖杯として果てる予定であったのだから、身体の耐久年数もその程度に設定されている筈だ。遥の見立てではカルデアで保護したところで、アイリは1、2年生きられれば良い方だ。
遥はそれを承知のうえでアイリに問うたのだ。たとえ自己満足であろうと、生きてくれるのならばそれでいいと。どれだけ責任を背負うことになろうと、それが自分の選択によるものであるのなら遥に文句はなかった。それは自分の意思が齎したものであるのだから。
しかしその安心も束の間、その場にいる全員の魔術回路を巨大な魔力の波動が打った。正常に流れていた魔力が乱され、魔術回路が不快な蠕動をする。反射的に見たのは前方。変わらず冷静に前方を見据えるライダーをウェイバーが見上げる。
「ライダー、今の……」
「うむ。
そう言ってライダーが指した方向を見ようとウェイバーが眼球に簡単な強化魔術を掛けようとする。だがその直前、その方向で視力を強化せずとも見えるほどの巨大な爆炎の華が咲いた。あまりに唐突なことにウェイバーは一瞬面食らうも、すぐに冷静さを取り戻して視力を強化する。
果たして、その先にあったのは海であった。死した英霊の骸を劣化複製して作り上げたシャドウ・サーヴァントたちによって作り上げられた黒い海。大聖杯が安置されている円蔵山へと続く山道を守るようにして無数の骸たちが犇めいている。
それを前にして戦っているのは4騎のサーヴァントたち。大聖杯によって量産化されたシャドウ・サーヴァントらはあまりに劣化しすぎているが故に通常のサーヴァントには遠く及ばない。遥と契約したサーヴァントたちは瞬く間に数えきれないほど多くのシャドウ・サーヴァントを屠ってのけている。
だがシャドウ・サーヴァントが真に脅威であるのは戦力としての質ではなくその数だ。どれだけ沖田たちがシャドウ・サーヴァントを斃そうが、大聖杯に還った魔力はまた新たなシャドウ・サーヴァントを生み出すための糧になる。一進一退というより、暖簾に腕押しという言葉が正しかろう。
どれだけ斃せど無限に湧き出してくる敵。それも雑魚であるのは英霊基準であって、人間と比して見ればそれぞれが大量殺戮さえ可能なほどの力を秘めた軍勢を前に、ウェイバーが薄い笑みを浮かべた。その様子を見てライダーが口を開く。
「怖いか、坊主?」
「あぁ、怖いね。でも、なんでかな……不思議と、脅威には見えない。オマエならなんとかできるんだろ、アレを」
そのウェイバーの言葉を受け、ライダーが目を丸くする。けれどライダーは決してその言葉が不快ではなく、むしろ嬉しいものであった。今までどこか臆病風を吹かせていた己が
であるならば、それに応えずして何が征服王か! ライダーはその顔に獰猛かつ勇猛な表情を浮かべると、その全身に膨大な魔力を巡らせた。唐突にライダーが持っていく魔力が増えたことに驚愕するウェイバーであるが、しかしすぐにライダーの意図を察して全力で回路を励起させ始める。
ライダーの総身から迸る強烈な魔力は前方で戦う沖田たちにも届き、彼女らはそれだけでライダーが次に取る行動を悟りその場から飛び退いた。しかし死せども死せども復活するシャドウ・サーヴァントたちはそれに気付かない。今、前方にいるのは無数に転がる骸のみとなった。その状況の中で、征服王は高らかに叫ぶ。
「さぁ! 征服王たる余の進撃を阻まんとする不埒者に、今こそ目に物見せてくれようぞ!!! ――いざ
ついに解き放たれた真名。それと同時に戦車を引く2頭の神牛が猛然と嘶きをあげ、迸る雷電が世界を染め上げた。その威力たるや、倉庫街にてバーサーカーを轢いた時の比ではない。その疾走で一国の軍隊すらも蹂躙して余りあるだけの尋常ではない威力であった。
理性なきシャドウ・サーヴァントたちは身の程も知らずに彼らの全力を以て征服王の進撃を阻まんとするも、ただの残骸如きに九偉人のひとりたる大英雄の全力を受け止めることができる筈もない。ある者は真っ向から轢き潰され、またある者は雷電によって消滅せしめられる。
戦車の車輪が駆け抜けた後には征服王の道行を阻んでいた筈の敵の姿はどこにもなく、ただ衝撃に耐えきれずに破壊されたアスファルトの残骸ばかりが積み上がっていた。戦車の進撃から逃れるべく離れていた沖田たちはこれを好機と捉え、瞬く間に骸によって埋め尽くされていくその道を駆け抜ける。
まさしく征服という言葉を現象として具現化したとでも言うべき光景に、遥たちが驚嘆の溜息を洩らした。ライダーのその宝具は分類では対軍宝具に収まるものであるが、内包した威力は聖剣の一撃と比してもそう違いはない。『
骸たちの海を抜けた後もライダーの進撃が留まることはなく、戦車はそのまま円蔵山の森を木々を薙ぎ倒しながら進んでいく。そこら一帯に張り巡らされていた対霊体の結界はあまりに強大な神秘の前に効力を発揮せず、ようやくライダーがその進撃を停止させたのは柳洞寺の本堂前であった。
「ハルさん、お怪我はありませんか!? 天叢雲剣の光が見えたから、私、気が気でなくて……」
「それは……ごめんな。心配かけちまった」
遥が叢雲の真名解放を行った際の反動を初めて見たエミヤやタマモ、そしてどんな反動があるのかを知らないオルタとは違い、唯一沖田だけは以前に遥が叢雲を真名解放した場面を見たことがあった。故に沖田は叢雲の真名解放の反動を知っている。
遥はそのことが分かっているために沖田に対しては取り繕うことをせず、申し訳ないという顔で謝辞を述べる。それに対し沖田はなおも何か言い募ろうとしたが、しかし何度か口を開きかけて結局は何も言う事はなかった。代わりに抗議の思いを込めるように、遥に回した腕に力を込める。
無論、沖田には遥に言いたいことがあった。けれどそれを言ったところで遥が変わらないことも、最も付き合いが長いサーヴァントであるが故に沖田はよく理解していた。事実、遥は沖田の言いたいことを察していながらあえて気付いていない素振りをしている。それでも頭を撫でられているだけで不満が萎んでいってしまうのは、沖田さえも与り知らぬ感情によるものか。
それからどれほどそうしていたのか。誰も何も言わない状況の中で、ライダーが遥に声を投げた。
「そろそろあの骸共が昇ってくる頃合いか。……剣士よ、骸共の相手は余と坊主がする。貴様らは先に行け」
円蔵山の周囲に配置されたシャドウ・サーヴァントたちは彼らを生み出している大聖杯、ひいてはその内側に巣食うこの世全ての悪を守護する目的で配置されたものである。その故、彼らは包囲網を突破して大空洞へと迫る遥たちを追いかけていた。
それを放置して全員で大聖杯へと向かったのでは、恐らく大空洞内で待ち構えている臓硯やバーサーカー、そして『
そのため、誰かがこの場に残ってシャドウ・サーヴァントたちの足止めをするのは必須事項であった。そして、その役目を負うのに最適なのがライダー陣営であることは疑い様もない。遥は来る戦闘における戦力のひとつであり、アイリは小聖杯であるために共に大聖杯の下まで行く必要があるのだから。
初めはライダーの提案に答えることに躊躇いを見せた遥であるが、すぐにその事実を受け入れると何も言わずに頷いた。そうしてウェイバーとも目を見合わせて頷き合うと、その場にいる全員を見回し、ライダーとウェイバーを置いて大空洞に向けて駆けていく。
ライダーとウェイバーは前方を見据えたまま何も言わない。聞こえてくるのは無数の骸たちが境内に続く狭い階段を登ってくる音。それはまるで一筋の蜘蛛の糸に群がる亡者のように、迷いなく彼らの許に迫ってきていた。
「さて、坊主。こうして余たちが殿を務めることとなった訳だが……まだついて来れるな?」
「何当たり前のこと言ってるんだよ、オマエ。オマエは暴れたいだけ暴れればいい。ボクはそれを全力でバックアップする」
ウェイバーがそう言うと同時、彼の手に刻まれていた3角の令呪が全て弾けた。そうして解放された魔力は命令を伴わない純粋な魔力――否、ウェイバーがライダーに向ける最大限の信任を伴った魔力としてライダーへと流れ込む。
1角だけでもサーヴァントを最大限に強化して余りある魔力が3角一斉に解き放たれたことでそれまでとは比較にならないほどライダーの総身に魔力が充溢する。加えてそれは無属性ではなくウェイバーの思いが乗せられた魔力だ。それに応えようとするライダーの身体は魔力量では測れないほどに強化されている。
骸の軍勢が階段から現れ、初めに視界に入ったライダーを斃すべく展開する。戦力比は一対数万にすら及ぶだろう。だがそれを前にしてもなお、ライダーの顔から余裕の笑みが消えることはない。何故なら、ライダーは
唐突に吹き始めた乾いた暴風はライダーに充溢した魔力によるものではない。その風はどこからか飛んできた砂を伴いライダーを守るようにして吹きすさび、ライダーはその中で獰猛な笑みを浮かべる。
「遠征は終わらん。我が胸に彼方への野心ある限り。
そして、世界が塗り替わった。
遥が汚染された大聖杯を見るのは、これが2度目のことであった。1度目は特異点Fにてバーサーカーを下し、今は亡きオルガマリーの悲鳴を聞きつけて駆け付けた時。だが遥たちの眼前に聳え立つ大聖杯はその時とは比較にならないほどに悍ましい魔力を放っていた。
或いは特異点Fに存在した大聖杯もまたこの世全ての悪によって汚染されたものであったのかも知れないが、今回のそれは前回のそれとは比較にならないほどに肥大化しているようにも見える。遥としてはできればすぐにでも破壊してしまいたいところであった。
だが、それはできない。世界が滅びるか否かという瀬戸際にありながら、遥たちの前にはそれを歓迎するかの如く彼らを阻まんとする者たちがいる。ひとりは脆弱なマスターである雁夜から解放されて心なしか生き生きとしているようにも見えるバーサーカー。しかし、真に遥が注意を向けているのは狂戦士ではなかった。
バーサーカーを侍らせるようにして立つ矮躯の老人。一見するとその老人は少々不健康なだけのただの老人のようにも見えるが、事実はそうではない。その老人はまず人ではなく、その身体は他人から奪った血肉と穢れた蟲でできている。他者の辛苦を悦とし、それを糧として500年もの時を生きた本物の妖怪。それが
遥からしてみれば初対面の相手ではあったが、それ以上に遥は臓硯を斃さなければならない怨敵と認識していた。大聖杯の完成を目論んでいることだけではない。遥はそれよりも桜をあのような地獄に放り込んだことが許せなかった。それはエミヤも同じようで、彼らしからぬ激情が籠った眼で臓硯を睨み付けている。
一般人であれば恐怖で竦みあがるほどの殺意と敵意を向けられていながら、臓硯はその顔に邪悪な笑みを浮かべている。それを前に遥が更に怒りを募らせるが、臓硯はそれさえも可笑しいと言わんばかりの声音で遥を嘲笑した。
「呵々々々々ッ。ワシを殺したくて仕方がないといった様子じゃのう、神剣使い。ワシの調教が余程気に食わなかったと見える。ならば殺せば良い。尤も、やれるものならだがのぅ」
そう言って臓硯はさらに遥を嘲笑する。己の天敵とも言える魔術を扱う遥を前にして一見すると余裕を残しているようにも見える臓硯であるが、遥はその言葉の節々に隠し切れない怒りが籠められているのを感じ取った。さもありなん。臓硯の身体は現在進行形で崩壊しつつあった。
自らが支配する蟲たちを利用して人ならざる延命を繰り返してきた臓硯であるが、そんな魔術に限界が来ない筈はない。延命を繰り返す度に作り替えた身体の寿命は短くなっていく。現在はその速度が急激に速くなりつつあるものの、それでも最近作り替えた身体は半年は保つ筈だったのだ。
だというのに臓硯の身体は今もなお崩壊を続けている。それの原因となったのは桜を救出した際に遥が放った焔にあった。遥は与り知らぬことだが、蟲蔵に蔓延っていた蟲たちを焼き殺した煉獄の焔は彼らから臓硯に繋がった
最早臓硯の身体の寿命は数時間もない。こうしている間にもその身体を構成している肉は凄まじい速度で壊れつつある。臓硯がまるで幼子に語り聞かせるようにそう言った時、遥は不意に違和感を感じた。臓硯の言が真実であるとすれば、桜の救出から1日が経過した今では臓硯は消滅していなければおかしい。だというのに今、臓硯の身体が完全に壊れるまでにはまだ僅かな余裕があるように見えた。
「侮るでないぞ、神剣使い。いくら身体が壊れようと、ワシの贄となる人間ならばこの世界にごまんとおるわ」
「それにしては随分と辛そうじゃねぇか、蟲爺。なんなら俺が燃やしてやろうか。苦痛も感じる余裕もないほど一瞬で、この世から消し去ってやる……!」
これ以上ないほどの憎悪と憤怒が滲む声でそう言い、遥が全身に焔を対流させる。それは遥の激情を顕すかのようにその身体から溢れ出し、灼熱を辺りに撒き散らす。いつもの遥では考えられないような発言に、隣に立っていた沖田が僅かに目を見開いた。
だがそれは転じて、どれだけ遥が臓硯を嫌っているかを表すものでもある。口調こそ激しくなってはいるものの、遥は極めて冷静だった。冷静でありながらその感情は激情に染め上げられ、焔は激しく燃え盛っている。
魔術世界における正道を歩んでいるのは遥ではなく臓硯である。この世界に生きる大半の魔術師であれば遥の憎悪よりも臓硯の妄執に共感を示すであろう。だが遥に正道などを説いたところで何も意味はない。遥はそういうものが心底嫌いだった。故に正道にいる臓硯は相容れない。
加えて他人の辛苦を悦とする外道ときている。そこまでくれば最早遥の取る選択肢に対話の二文字は消え去ってしまう。遥が総身から滾らせる魔力と焔は何よりも確かに臓硯に宣戦の意思を告げている。そして、臓硯は確実に遥には勝てない。現在の身体の状況云々以前に穢れた蟲を使役する臓硯では遥とは相性が悪すぎる。それなのに臓硯は未だ笑みを崩さない。
「おお、怖い怖い。ワシも長い時を生きてきたが、よもやこれだけ容易にワシを殺し得るバケモノが現れるとは予想しておらなんだわ。うぬにとってはワシなど文字通り羽虫も同然なのであろうなぁ。
だがまだ青いな。激情に囚われて既に我が術中に嵌っていることに気付かぬとは」
「何……――!?」
嘲るような臓硯の言葉の直後、大空洞の中に満たされていた濃密な魔力が一瞬だけ膨れ上がる。それは何も周囲に満ちる
だが、それは彼が得意とする支配魔術によるものではない。大規模な儀式魔術にすら匹敵するほどの規模の術式を以て臓硯が行ったのは大聖杯への干渉であった。遥がそれに気付いた時には時すでに遅し。急激な脱力感を感じ、アイリが地面に崩れ落ちる。
魔術による大聖杯への干渉。並みの魔術師には到底真似できない芸当であろうが、しかし大聖杯の建造に携わったためにその構造を子細に把握している臓硯にとってそれは赤子の手をひねるように容易いことであった。アイリから奪い取った4騎の英霊の魂が大聖杯にくべられ、中央より放たれる悍ましい輝きが増す。
そこまでくれば次に臓硯が何をしようとするのかなどは考えるまでもなく解るというものであろう。遥は舌打ちを漏らすと叢雲を抜刀し、バーサーカーからの攻撃の危険性すらも顧みずに地を蹴った。その速度はまさに神速。けれど、遅い。既に臓硯の右手に刻まれた赤い聖痕は解放される寸前であった。
「最後の令呪を以て命ず。自害せよ、バーサーカー」
直後、大空洞に響き渡る肉を断つ音。それはひとつだけではなく、全く同時にふたつの箇所から響き渡った。ひとつは遥の握った神剣が臓硯の肉を断った音であり、そして、もうひとつは強制的に顕現したバーサーカーの長剣が彼自身の胸を貫いた音であった。自らの霊核を破壊したことでバーサーカーの全身から力が抜け、仰向けに倒れる。
そうして地面に倒れた拍子に外れた兜から覗いた端整な顔。それが嘗て己に仕えた忠臣であり盟友でもあった騎士のものであると気付いたセイバーが駆け寄ってその名を呼びかけるも、霊核を喪ったバーサーカーは既に五感の全てが喪失していた。呼び続けるセイバーの声もむなしく、現界を維持することができなくなったバーサーカーの身体が魔力光となって霧散する。
消滅したバーサーカーの魂は小聖杯であるアイリを経由することなく、臓硯の行使した術式に従って直接大聖杯にくべられる。これで、敗退したサーヴァントは5騎となった。そしてそれは、大聖杯の起動が可能なだけの英霊の魂が揃ったということでもある。
遥自身、最初からそれを望んでいた身ではある。元より遥たちが立てていた方針はあえて大聖杯を起動させることで中から這い出てきたこの世全ての悪を斃すというものであったのだから。だが考え得る限りにおいて、これは最悪の状況でもあった。それに対応すべく高速で思考を巡らせる遥の前で、残った蟲たちが蟠る。
「呵々々々々々々々ッ!!! 迂闊だったのう、神剣使い! この勝負、どうやらワシの勝ちであったようだなァ。
最早この身体では
―――ワシと道連れにしてくれようぞ!!!
臓硯がそう高らかに叫んだ直後、彼の本体を内包していた蟲の塊を煉獄の焔が焼き尽くした。それによって本体の蟲に格納されていた臓硯の霊体は完膚なきまでに焼却せしめられ、臓硯の意識はこの世から消失する。
しかしそれは完全に遅きに失した。臓硯の叫びは既に大聖杯へと届き、歪んだ願望器たる大聖杯はそれを願望として受理した。そうして大聖杯――もといこの世全ての悪は量子コンピュータもかくやといった速度でその願いを叶えるべく演算を開始する。
臓硯が聖杯に告げた願いは〝世界、ひいては人類の滅亡〟。それは最早願いを曲解する余地すらもなくこの世全ての悪にそれ自身が望んだ容を与えるものであった。そうしてこの世全ての悪は無数の演算の結果、臓硯の願いを叶えるのに最も適した容を見つけ出す。
或いはその結果は必然であったのかも知れない。元より大聖杯とは魔術という人類の文明から生まれ出でたものであり、この世全ての悪もまた人類から生み出されたもの。特に後者は誰かを犠牲にすることで人類が
であれば、至る結果などは決まっている。人類より生まれ、その果てに人類を殺すもの。つまりは人類が作り出した自業自得の
その結果がこの世に顕現すると同時、大聖杯より膨大な魔力が溢れ出る。比類ないほど醜悪な気配を内包した魔力が大空洞を満たし、遥の身体を撫でた途端、遥は総身に奔った激痛に苦悶の呻きをあげた。
「ガ――アァ――グ――何、故――グァ――ァア―――ッ!!!」
「ハルさん!?」
あまりに激烈な不快感に遥が呻き声を漏らす。それは記憶の流入こそないものの、未遠川にて叢雲の真名解放をした際とほとんど同質の痛みであった。全身の神経という神経が痛みを訴え、血が沸騰しているかのように全身が熱い。
ほとんど倒れ込むようにして遥は地面に座り込み、魔術によって異常に猛った血を抑え込もうとするも、無理矢理に同調が強まった影響か魔術回路が正常に動作しない。激痛のあまり感覚を認識するのが遅れ、視界にノイズがはしる。けれどそんな中でも、不思議と『それ』だけははっきりと見えた。
大空洞に鎮座する大聖杯。誰もいなかった筈のそこに、いつの間にか何者かが立っていた。纏うドレスは一見すると豪奢でありながら、禍々しいまでの黒一色に染め上げられている。血の気が失せた肌のうえでは黒い刺繍のようなものがのたうちまわり、王冠の中央には黒い太陽が鎮座している。
何よりも目を惹くのは流麗な銀髪から覗く
それの名前は黒聖杯、もとい〝ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルン〟。だが一同の中にあって遥だけが、それの正体、というよりもそれに限りなく近いものを知っていた。
それは模倣であるが故に完全ではなく、力もオリジナルのそれには遠く及ばない。けれどこの世全ての悪の依り代となって変性したそれはそれでも、人類を呪い殺すには十分過ぎる力を有していた。それを前にして遥は呆然と、知らない筈のその名を呟く。
「――ビースト……?」
――
――
遥君、なんと魔神柱に遭遇するより先にビースト(偽物)に会敵。なお、偽物でもこの世全ての悪を元にしているため必要以上強い模様。
なお、形はどうあれ人類の悪意の塊であるこの世全ての悪が元になっているので……?