Fate/Everlasting Shine 作:かってぃー
ビースト。またの名を人類悪と呼ばれるそれは、いわば人類という総体のの中に生じるガン細胞のようなものである。人類が人類である限り持ち続ける悪性そのものであり、肥大化して宿主である人類を殺し尽くす。その力は人間はおろかサーヴァントですら太刀打ちできないほどであり、まさしく滅びを体現するものという表現が適切であろう。
遥たちの目前に現れたものはその定義からは少々外れている。それはそうだろう。ビーストの本質が狂うほどに膨れ上がった人類愛であるのに対し、『
しかし、それでも目前に立つものは遥たちよりも強い。それを遥たちは理性や観察眼ではなく本能で悟った。いくら偽物、借物の獣性とはいえ、そこにいるのは全人類の悪性を寄せ集めた性悪説の具現のようなもの。それがどれだけ強大な存在であるのかは推して知るべし、といったところであろう。
英霊5騎分の魔力によって目覚めた偽りの人類悪――ユスティーツァが全身から放つ魔力は比類なき禍々しさと醜悪さを含んで大聖杯を満たしている。その総量は尋常なホムンクルスやサーヴァントのそれを遥かに凌駕し、溢れだすそれはこの世全ての悪の性質故に周囲を黒い影となって浸食していく。
完成され過ぎているために見ている者に違和感を抱くことさえも許さないほどの美貌に浮かぶ邪悪な笑みは最早優美を越えて淫靡ですらあった。大聖杯の内より出でたユスティーツァが歩を進める度に足元の闇が広がり、血が沸騰し逆流するかのような遥の苦痛はその度合いを増していく。
異様な感覚だった。普段は封印している筈の肉体と同化している分霊との間に結ばれた
アインツベルン製のホムンクルスに共通している筈の紅い瞳は反転の影響によるものか鈍い金色に変わっている。その瞳が遥たちを射抜き、本能的な悪寒が遥の背を撫でる。その直後、遥の左腕に装着された通信装置の電源が勝手に入った。
『なんだ、この異常な魔力増幅……! 遥君、そっちで一体何――』
「――喧しい」
カルデアから繋がった強制通信によって聞こえてきたのは明らかな驚愕と狼狽を含んだロマニの声。報告している間もなかったため数日聞いていなかった声に遥が安堵したのも束の間、ユスティーツァの言葉と共に通信が切れる。
先程まで大聖杯が放射する魔力とマナによって満たされていた筈の大空洞は今、その全ての領域がユスティーツァの魔力に染め上げられていた。その魔力の密度は最早英霊5騎の魂によって齎されたそれを遥かに凌駕していた。
遥は大聖杯の術式については全く知識がないが、それでも人理を修復せんとするカルデアのマスターであるため聖杯についてはそれなりに知識がある。そのために遥はユスティーツァが貯蔵している魔力を大きく上回る魔力を内包している絡繰りに気付いた。
ユスティーツァの異常な魔力量はビーストの容を借りているが故の膨大な魔力生産量に加えて、直結した大聖杯を純粋な魔力炉として使用しているのが原因だ。大聖杯は特異点の原因となっている聖杯に比べて願望器としての能力に特化しているが、魔力炉心としての能力が劣っている訳ではない。
恐らく、今この世界にユスティーツァを純粋な魔力量で越えるものなどあるまい。だが、魔力量だけが勝敗を決める絶対条件ではない。現時点でもユスティーツァは遥たちを越える力を有しているが、それでも今の彼女は人間にすれば『赤子』のような状態。いわば純粋悪の幼生だ。その状態ならばまだ勝機はある。
そう自らに言い聞かせて叢雲を構える遥の前で、まるでそれを嘲笑うかのようにユスティーツァがさらに笑みを深くする。その仕草だけで遥の
「聞き知った声に叩き起こされた故、こうして出てきたが……私を呼び出しておいてこの程度の供物しか用意しておらぬとは。饗応の支度すらせぬままに呼び起こされるなど、私も舐められたものよなぁ。
まぁよいわ。未だ我が器は満たされぬが……それは貴様らを供物として満たすことにしよう……!」
「――ッ!?」
邪悪な笑みがさらに深まると同時、遥たちの背を強烈な悪寒が撫でた。反射的に遥は桜を、セイバーはアイリを抱えながらその場から跳躍する。果たして次の瞬間、彼らが経っていた場所を黒い影の触手が掠めた。
先程までユスティーツァの足元だけに留まっていた筈の黒い影は既に大空洞の大半を占拠するにまで至っていた。『この世全ての悪』の一部であるその影に触れれば純正のサーヴァントは一瞬にして呑み込まれる。幸い、遥が契約しているサーヴァントは全員反英雄かそれに近しい属性を持っているため影に触れても抵抗する時間はあるが、それでも最終的に呑まれるという結果は変わらない。
加えてユスティーツァの足元から湧き出す泥である。ある種『この世全ての悪』そのものとも言えるそれは影のように触れただけでサーヴァントを取り込むような力はないが、触れた対象を『この世全ての悪』で汚染するという性質がある。それは所謂〝黒化〟という現象だが、遥の知っているそれとは僅かに異なる。今や人類悪の模倣と化したそれに触れれば自由意志を剥奪され、ただの人形に成り下がってしまう。
本来は知らない筈の知識がどこからか湧いて出てくることに、遥は何の疑問も抱かなかった。最早そんなことは遥にとってどうでも良いことだ。目先に迫った滅亡の危機に比べれば、そんなことは些末な問題でしかない。十分にユスティーツァから距離を取って桜を降ろすと、遥はアイリに桜を預けた。
「桜はアイリさんと一緒にどっかに隠れてろ。アイツの相手は俺たちでする。……ごめんな、最後の最後まで怖がらせて」
「遥さん……!」
走り去る遥を引き留めるように桜が手を伸ばすも、もう遥は振り返ることはない。アイリは桜のその様子に胸の奥に何かがつっかえるような感覚がするも、それを押し殺して大空洞から洞窟へと駆けた。
この場に残ったのは遥と彼が契約するサーヴァント5騎、さらにセイバーの計6騎と1人。数だけを見れば聖杯戦争に参加するサーヴァントの大半が集っているのと同じだが、それでもユスティーツァに勝つことができるかは怪しい。
理も罪業もない偽物の人類悪であるが、ユスティーツァは強大だ。だが本物の人類悪ではないがために『
人外の血は未だ騒ぎ続けているが、もう苦痛はない。血を封印している状態の限界値を越えた魔力が魔術回路に流れていても回路は一切損傷することはなく、身体機能も通常時のそれを大きく上回る。総合ステータスは上位のサーヴァントにも劣るまい。
「セイバー。俺と仮契約を。微々たる差だろうが、魔力供給源は近くにいた方がいい」
遥の提案にセイバーは逡巡することなく頷きを返すと、差し出された手に自らの手を打ち合わせた。その一瞬のうちに遥とセイバーの間に魔力のパスが通り、遥から持ち出される魔力量が若干増える。遥と仮契約は結んでも、セイバーのマスターはアイリだ。遥の魔力は謂わば補助動力のようなものでしかない。
とはいえ、遥は既に6騎のサーヴァントと契約を結んでいるということになる。カルデアからのバックアップを含めても並みの魔術師であればそれぞれに宝具を使わせれば魔力が枯渇するほどの数だが、遥の魔力はそれでも半分以上が残る。異常な魔力量だが、今はそれが有難かった。
それぞれの獲物を構え、サーヴァントたちと遥が意識を戦闘態勢に移行する。更に遥の中で固有結界が活性化し、その全身から焔が吹きあがった。普通の人間であれば失神してしまうほどの敵意と殺意を向けられてもなお、ユスティーツァは平然としていた。なおもユスティーツァの足元から広がり続ける泥と影。不意にそれが蠢く。
「出でよ、我が傀儡。奴らを喰らえ」
その言葉と同時に足元に広がる影と泥から無数の何か黒い人型のものが現れた。それは言うなれば影の巨人。大聖杯に満たされる魔力から作り出されたそれらは容だけ人類悪であるユスティーツァが従える眷属のようなものであった。
遥たちは知らないことだが、人類悪として成立しているものは皆様々な形で傀儡を従えている。ユスティーツァの場合はそれが『この世全ての悪』から生み出される影の巨人たちなのである。ただの眷属と侮ること勿れ。意思はなくともそれらはひとつひとつが1騎のサーヴァントにすら匹敵する力を持っている。
生み出された影の巨人は主であるユスティーツァの命じるままに遥たちをその内に呑み込むために迫ってくる。その直後、折り重なるようにして迫る影の巨人の一番槍の腹で巨大ば爆発が起きる。それはエミヤが叩き込んだ宝具による
しかし影の巨人はそれをものともしない。例え至近距離で爆発を受けようとも『この世全ての悪』からの魔力供給がある限り再生する。無論、霊核を破壊すれば消滅するが。目の前で再生する影の巨人を見て、エミヤが舌打ちを漏らす。
「これはまた、厄介な相手が出てきたものだな……」
「無駄口はいい。やるぞ」
そう言いながらアサシンがキャレコの引き金を引き、銃口にマズルフラッシュが瞬く。英霊の武装と化したことで元となった火器とは比べるまでもない威力を得ているアサシンのキャレコだが、その弾丸は影の巨人を穿つことはない。元より牽制として放った攻撃のため慌てることはないが、それでも自らの主兵装が通じないという現実にアサシンが舌打ちを漏らす。
だがアサシンの牽制は全くの無意味ではなかった。雨のように打ち付ける銃弾を受け止めるべく影の巨人たちが動きを停めている隙に遥たちはそれまでの密集形態から散開した。影の巨人はあまりに数が多い。一か所に密集していたのではいかな遥たちとて袋叩きだ。英霊クラスの力を持ったものに袋叩きにされてはいかな遥たちとて対応できる筈がない。
それでいながら遥たちの距離は互いの危機を察知すればすぐにでも対応できるような絶妙な距離に保たれていた。言葉もなしにそれだけのことをやってのけるのは、彼らが歴戦の猛者である証だろう。或いはそれは戦士の本能のようなものであったのかも知れない。背中を預けたいか否かではなく、背中を預けなければならないという直感がそうさせた。
さらに遥は腰のベルトから鞘を外すと、鐺に付けられている覆いを外した。そうして現れたのは鞘の本体と同じく神代日本にのみ存在した伝説の金属〝
遥から噴き出した鮮血は物理法則を無視した挙動で鞘の一部である邪龍の革に引き寄せられ、吸収される。それによって鞘に秘められた宝具としての機能が起動し、遥を中心にして
「第一拘束解除……! 其は総てを喰らう邪龍。我が身を喰らえ――!!
――
真名解放。鞘の能力によって招来された邪龍の魂が遥の肉体に入り込み、その存在に合わせて呪術によって遥の肉体が書き換えられる。全身の皮膚から鱗が浮き上がり、眼が爬虫類のそれに変貌する。鱗の内側にある体構造は幻想種のそれへと組み変わり、遥の身体から人間の要素が排除される。
それだけならば以前に使った際の変身と同じだが、今回のそれは些か異なる。以前は施したままであった封印を解除してから使用したことで遥の肉体はさらに変容していく。呪術の効力は礼装である服飾にまで及び、それらは遥の身体に合わせて変形する。尾骶骨が変異して龍の尻尾が伸び、肉体はさらに幻想種に上書きされる。
ただ分霊と同調しているだけならばその時点で遥の意識は吹き飛ばされて邪龍の魂に乗っ取られてただ暴れ狂うだけの存在と化しているだろう。だが今は偽りの人類悪を前にして異様なほどの同調が強まっているためか、邪龍の魂はまるで遥に屈服しているかのように大人しい。そうして変身が完了した時、そこにいたのは数秒前の遥とは大きく姿を異にしていた。
全身の皮膚は鱗に覆われ、尻からは巨大な尻尾が生えている。気配と体構造は人間のものから幻想種のそれへ。全身の魔術回路に流れる魔力は通常のそれと、肉体に同化された鞘に生成される神代のそれ、現代の人間であれば取り込んだ時点で内側から爆発四散する筈の魔力――〝第五真説要素〟が混じり合っている。それでも煉獄の固有結界は健在であり、鱗の間からは焔が噴き出している。そうして遥は肺に大気を最大限にまで取り込むと、見えない天に向けて咆哮をあげた。
――オオォォォォォォォォォォッ!!!
悪龍咆哮。
大空洞そのものを震わせるその咆哮は邪龍の威圧を伴って響き渡り、遥と敵対するもの全てに否応なく遥への畏怖を植え付ける。それは理性なき影の巨人だろうが、偽りの人類悪であるユスティーツァであろうが変わらない。思わずユスティーツァは驚愕の表情を浮かべ、直後にその事実を認識して舌打ちを漏らした。
宝具によって遥は宿したのは生物の中でも頂点に位置する幻想種というカテゴリの中でも頂点に位置する邪龍であり、星そのものが造り出した最強の邪龍でもある。それが最大限の威圧を以て放つ咆哮はありとあらゆる生命の本能に働きかけ、無意識の畏怖を与える。少なくとも神代以降に生まれたものにそれを回避する術はない。
一瞬は遥の咆哮に怯んだ影の巨人たちだが、すぐにユスティーツァの怒りを顕すようにして遥に向けて突進してくる。振り上げられた巨腕は人ひとり程度を容易く捻り潰す程度の威力を備え、ある筈のない殺気が遥を射抜く。人間では到底避けられないほどの密度で影の巨人が折り重なり、ユスティーツァが薄い笑みを浮かべる。だが。
「舐めんな、この程度の障害など……!」
一瞬で虚空に奔る幾条もの剣閃。英霊たちですら視認もできないほどの速度で振るわれた神剣は一切過つことなく迫りくる巨人の霊核を切り裂いた。遥に向けて振り下ろされる筈だった巨腕は彼の身体に触れることすらもなくけんもほろろに消え去ってしまう。
だが、たかだか数騎が消滅した程度で影の巨人の脅威が消え去る訳ではない。それどころか影の巨人たちは彼らに敵対する者たちの中で最も遥を危険視したのか、
現在の遥は前回とは違い暴走の危険性こそないものの、邪龍が遥の精神に影響していない訳ではない。今の遥は平時の冷静さと邪龍に齎された獣性が混在した状態となっているが故、いつもなら強大に感じて危機感を覚える相手に歓喜めいた感覚を覚えていた。
しかし唐突に冷静に戻り、頭を振ってその興奮を払い落とす。普通の興奮ならばいざ知らず、獣性が齎す興奮は危険だ。それに身を任せて行動すれば動きは正確さを失い、一瞬にして遥は物言わぬ骸と化す。どれだけ強い力を得ようと、人類悪はそれを上回ってくる。
なおも遥に肉薄してくる何体もの影の巨人。それを前にしても遥は怯まなかった。正確に自らに肉薄する影の巨人の数を正確に把握し、その中で立ち回る動きをシミュレートする。自らのものではない筈の戦闘経験を、遥は何の疑いもなく十全に利用していた。
「
無数の乱杭歯が覗く口から紡ぎ出されたのは固有時制御の詠唱。その詠唱によって遥の体内に展開された固有結界が外界の時間軸から切り離され、独自の時空の中へと追い遣られる。通常時であれば精々4倍程度までが限界のその加速倍率は幻想種化したことで大幅に引き上げられていた。
対照的に遥に襲い掛からんとしている影の巨人たちは明らかにその勢いを減じている。それは何もそれらが内包する魔力が減じただとかそういう訳ではなく、単純に外部からの干渉であった。それは幻想種化した遥の眼――〝邪視〟と呼称される魔眼の効力であった。
邪視という魔眼において最も有名であるのはケルト神話において登場する単眼神バロールであろう。その眼の効力は〝視界に入った対象に死の呪いをかける〟と魔眼としては他に比べると単純なものだが、それ故に強力だ。相手が高位の存在であれば減衰されるのは否めないものの、多少動きを縛る程度のことはできる。
動きが鈍くなった影の巨人たちの間を遥が駆ける。巨人たちは邪視によって動きを縛られた中でも遥を叩き潰さんと巨腕を振るうが、それは遥が受け止めると同時に煉獄の焔に巻かれ、その存在を無意味な魔力の断片へと還す。その不可思議にも思える現象を、だが遥は疑問には思わなかった。
考えてみれば当然の話ではある。遥の固有結界は遍く悪を浄化する究極の煉獄。『この世全ての悪』だろうが、人類悪だろうが、『悪』と『生命』という概念を同時に有している時点で遥の固有結界にとっては格好の餌食である。煉獄とは死者の罪を祓う場所。それが生命と悪の存在を許す筈もない。
だがそれも、度を越さなければの話ではあるが。遥の煉獄は悪を消失させるのではなく浄化し、清めるもの。それには浄化する限界の速度が存在し、それを越える速度で浸食された場合は抗い様がない。そういう意味では純粋悪で構成されるものの木っ端な眷属である影の巨人たちは遥にとって一方的に蹂躙できる餌食のようなものであった。
しかし本体であるユスティーツァは別だ。〝ただ悪であれ〟と願われて生み出され、駄目押しで偽りの人類悪化した人類の悪性総体など浄化にどれだけかかるか分からない。固有結界内に取り込んだところで浸食速度と拮抗できるか否か、といったところである。影の巨人たちを相手取る中で、不意にユスティーツァが視界に入る。その瞬間、遥は驚愕に見舞われた。
――あいつ、俺の動きが見えてる……!?
影の巨人たちの合間から見えているユスティーツァの眼は明らかに遥の動きを追っていた。邪龍と一体となったうえでその動きを十数倍に加速している、音速すらも凌駕して衝撃波を撒き散らす遥の動きをユスティーツァは未だ嘲笑うかのような顔で見ていたのだ。
ユスティーツァに邪視は効かない。大元となったただの最高傑作ホムンクルスであるユスティーツァならば十分に効くのだろうが、今の彼女は『この世全ての悪』の依り代でありそのものでもある偽りの人類悪。たかだか宝石級の魔眼など息を吸うように
邪視や悪龍咆哮などはあくまでの邪龍の魂に付随した力でしかない。大小様々な精神的影響を除けば意思を捻じ伏せられている邪龍にそれらを扱うだけの力はない。あくまでも後押しするだけ。ユスティーツァが向けてくる視られる力に対処するのは遥自身だ。幻想種化したことで遥の魔術師としての階位は神代の魔女と比しても何ら変わりないほどにまで引き上げられている。対処するだけならば問題はない。
遥の視線からユスティーツァは見られていることに気付いたのか、さらに邪悪な笑みを深くする。ユスティーツァの足元に蟠る影と泥が影の巨人を蹴って空中を跳躍する遥の足元にまで浸食する。次に何が起きるのか、解らない遥ではない。
「ホラ、精々うまく避けてみせよ、人間」
「この、クソがッ……!」
遥の眼下で影が蠢き、続いて遥に向けて影の触手が伸ばされた。まるでリボンのように細い触手でありながら、そのあまりに膨大な数故に視界全てが黒で埋め尽くされる。足場と成り得る影の巨人は足が届く範囲から後退しており、遥はただ落下するままだ。
けれど遥がそれを甘んじて受け入れる筈もない。全身に満ちる魔力の一部を魔術刻印に通し、そこに記録された魔術を起動させる。夜桜に伝わる神代の封印魔術。それによって空間の一部を固定化することで足場とし、体勢を整える。見据えるのは影から突き上げてくる影の触手。体内に展開した煉獄から漏れ出す焔を左手に収束させる。さらに鱗の隙間から漏れ出すのは赤熱するマグマ。
生半な悪属性の反英霊であれば触れるだけで致命傷になる火傷を負うであろうその焔を、遥は影の触手に向けて放った。同時に爆発が起き、大空洞を内側から崩落させかねないほどの衝撃が撒き散らされる。けれど影の触手はその先端が駆けるばかりで、燃え上がりながらも空中にいる遥へと追いついた。
「な――ッ!!」
驚愕に遥が声を漏らす。遥とて本体から伸びる触手を一度の攻撃で消滅させることなど期待していなかったが、よもや殆ど効果がないとは思っていなかった。たった一度の瞬間火力では遥の煉獄でも『この世全ての悪』を消失させるには至らないのである。――拮抗するには、やはり煉獄そのものしかない。
遥にまで至った触手は遥の足に絡みつき、その身体を引きずり落とす。周囲のサーヴァントたちはそれぞれに遥を助けようと動くが、それらは遥の許から去って散開した影の巨人によって阻まれる。さらに触手は魔術回路から遥の身体に侵入し、遥は体内に直接手を突っ込まれたかのような激痛を覚えた。
あまりの激痛に遥の意識が明滅する。しかし体内に蓄積した魔力を急激に引っ張り出される感覚で意識を保つと、全身に対流する焔の火力を何倍にも増加させた。その焔は侵入してきた泥と影だけではなく遥までも焼いてしまうが、それでも侵入してくる泥と影をある程度排除することには成功した。
けれどなおも遥に浸食しようする『この世全ての悪』は遥の精神と魂に直接激痛を齎し、視界が明滅する。それでも、純正のサーヴァントであれば一瞬のうちに呑み込まれ人間でも発狂死する泥の中にあって、遥は正気を保っていた。
「ほう。我が呪いに抗うとは、人間の割になかなかどうして頑強よなぁ」
「―――、―――ほざけよ、こんなモン……!」
轟、という音をあげて魔力が遥から噴き出す。その魔力は遥の身体から出た瞬間に水の激流となって周囲の泥を押し流し、遥を泥から守る。加えて足元の影は煉獄の焔が晴らす。激流と焔という相反する属性を持つ魔力が遥を中心にして渦を巻き、脅威を遠ざけた。
煉獄の焔は遥の固有結界から噴き出した純粋に遥自身の力であるが、激流の魔力放出はそうではない。それは遥が取り込んだ八岐大蛇の霊が齎す技能であった。八岐大蛇は洪水の化身であり、その身体から放出される魔力もまたその属性を帯びている。それと同化している遥がその能力を行使できない筈はない。
それは謂わば〝魔力放出(激流)〟とでも言うべきものであった。泥を追い遣った激流は遥の手足に纏わりつき、遥は左腰に叢雲を構える。八岐大蛇を繋ぎ止める触媒となる概念武装として肉体に埋め込まれたため鞘はないものの、それは遥の抜刀術の構えであった。地を蹴る音はまさに爆音の如く。神速すら超える速度で遥がユスティーツァに肉薄する。
放たれる剣閃は魔剣でこそないものの、それでもそれに迫る剣速であった。上位の英霊でも視認すら難しいほどの速さで振るわれた黄金の閃光は一切過たずユスティーツァの首を狙っている。――だが、その刃はユスティーツァには届かない。その寸前でユスティーツァが
「ハッ。鈍い鈍い。貴様、よもやこの程度で私を仕留めることができると思っていたのか? だとしたら心外よな。
貴様にはどうやら『この世全ての悪』が通じぬようだが……それでも貴様は私には届かん。分を弁えよ、人間!!」
神造兵装である叢雲の刃を素手で掴んだまま、ユスティーツァは最大限の嘲りを込めた言葉を遥に叩きつける。それと同時、再びユスティーツァの足元から染み出した泥が吹きあがり、巨大な腕として顕現した。それは遥の身体を下方から強かに殴りつけ、宙へと吹き飛ばす。
幻想種の頂点たる邪龍の鱗を以てしてもその衝撃は遥の内臓にまで到達。損傷した内臓が出血し、遥が口から血を吐き出した。いかな傷が際限なく修復する遥とて、傷を受けない訳ではない。折れた肋骨が内臓に突き刺さり、鈍い痛みを訴える。
その痛みを無視して体勢を整えようとする遥。けれど反撃に繋がるその動きをユスティーツァが許す筈もなく、泥から先程遥を殴りつけた腕が何本も顕現する。それらの拳撃を遥は刀で受け止めたものの空中であるが故に衝撃を殺すことまではできず、そのまま吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
そこに殺到する影の巨人。巨人たちは壁に叩きつけられた衝撃で遥が怯んだ一瞬の隙に幾度も拳を叩きつけた。幸いなことに影の巨人は遥を殴った個体から焔に巻かれて消滅したが、それでも遥へのダメージは相当なものであった。殴られ続けて身体が奇妙な方向に曲がったまま、遥が地面に落ちる。
「―――、――ぐ――」
「遥ッ!!」
「ハルさんッ!!」
大地に俯せになった遥の身体は至る所で骨が折れ、まるで軽くスクラップにかけられたかのような有様となっていた。だが幻想種化したことによる強靭な生命力故か、或いは起源故かまだ息はある。それどころか聞き苦しい音を立てながら修復しているほどであった。
粉砕された骨や潰された内臓が時間を逆再生するような動きで再生する。不幸中の幸いとでも言うべきか、未だ脳と心臓は残っている。ならばどのような状態からであろうと身体は再生する。それだけ苦しかろうと起源が遥を死なせない。無理な修復に伴う遥の苦痛など度外視で身体が元通りになっていく。
不自然な再生をしながら地面に倒れ伏す遥に、大空洞内に泥と影を広げながら歩み寄るユスティーツァ。最早残っているのは遥が倒れる場所の周囲のみで、無数の影の巨人と戦っていたサーヴァントたちもまたそこまで追いつめられていた。万事休す。その時点で勝利を確信したのか、偽りの人類悪はゆっくりと彼らを追いたてる。
俯せに倒れたまま、戻ってきた視界で遥はユスティーツァを見る。身体は未だ異様な再生を続けており、不快感で胃の中のものが戻ってきてしまいそうだ。だが遥はその不快感を認識を彼方へと押し遣るほどの激情に囚われていた。
もしもこの場で遥たちが破れれば、次に殺されるのはアイリと桜だ。さらにユスティーツァが進撃を進めればウェイバーとライダーも殺され、その先に待っているのは全人類の破滅。この世界の崩壊。瞬く間に人類は自らが生み出した〝理想の悪〟によって絶滅し、人理は崩壊する。
それを許す訳にはいかない。拳を強く握り、遥はほとんど再生した自分の身体に力を込めた。未だ完全な再生はなされていないため全身の至る所が激痛を訴えるが、そんなものに構っている余裕はない。宝具行使を解除し人間の姿に戻って立ち上がった遥に、ユスティーツァは最大限の侮蔑をぶつける。
「まだ立ち上がるか、小僧。往生際の悪い……いい加減諦めて私に殺されれば良いものを」
「――当然だろ。どれだけ追い詰められてても、まだ誰も死んでない。俺もまだ生きてる。なら……まだ戦える。
それにな……俺たちはまだ俺たちの世界を取り戻さなきゃいけねぇんだ。その前に、たかだかひとつふたつの世界も救えずに、何がマスターだッ……!!」
そう啖呵を切る遥を嘲笑うかのように、ユスティーツァが腹の底から哄笑を迸らせる。たかだか一介の混血風情がよくもここまで吼えるものだ、と。それは己が勝利を確信した者のみに許される笑声だった。
しかしそれと対峙する遥たちは未だ敗北の機運と呑んではいなかった。中でも遥と、そしてオルタだけはこの戦況を或いは覆すことができる一手を知っている。その使用を決断した遥が唾液を呑み込んだ時、背後を一瞥したオルタと目が合った。
それだけで両者は確信する。遥はオルタがどういう訳か彼の固有結界の特性を把握していることを。オルタは遥が固有結界を行使する気でいることを。刹那にすら及ばない一瞥でそれだけの意思確認ができるのは、彼らが互いに信頼を置いているからか。
『やるのね?』と問うオルタの眼に遥は『勿論』と返す。彼らにとってはそれだけが遣り取りであり、それだけで十分だった。
「……アンタたち。少しの間でいい。全力で遥を守りなさい。自分がどれだけ危なくなってでも……それこそ、命を棄てる覚悟でね」
「元よりそのつもりだが。……その言い様だと、この詰みに近い状況でまだ何か策があるようだな。であれば、オレはお前に賭けよう、遥」
遥に対する最大限の信任を込めたエミヤの言葉に沖田たちは無言で頷く。そうして遥は大きく溜息を吐くと、未だ残っていた弱気な心を追い出した。
或いは冷静な者がこの状況を見ていればそれを最初から使っていれば良かったものを、と思うだろう。元より遥は自らの固有結界をこの場で使うつもりでいたのだから、正面切って戦闘をする必要は確かになかった。事が遥の想定通りに進んでいたのなら、だが。
仮にこの場で間桐臓硯の邪魔が入らず、アンリマユがただのアヴェンジャーとして顕現していたのなら遥は躊躇うことなく固有結界を行使していた。アンリマユが〝全人類を呪い殺す宝具を有したサーヴァント〟として新生しようが、それだけなら遥の固有結界で対応しきれる範囲だ。
だがそれは叶わず、アンリマユは間桐臓硯の手により偽りの人類悪としてユスティーツァを依り代に顕現した。故に使うことができなかった。仮に心象世界を具現化したところで、
右手を空中に差し出し、左手で右手首を握る。全力で魔術回路を動かし、暴れ狂う魔力を制御する。溢れだす魔力は焔となって、周囲に広がった。
「──
「む──!?」
眼前で起きる異変にユスティーツァが気が付き、同時に本能的にそれが今までにない脅威だと察知する。未だ出し惜しんでいたものがあったのか、影の巨人の数がさらに増えた。けれど遥はそれに頓着しない。それらはオルタたちに任せればいい。
「
目の前でアサシンが吹き飛ばされた。けれど死んだ訳ではない。さらに詠唱を続ける。
「
その詠唱は遥だけのものでありながら、どこか錬鉄の英霊と似たものであった。或いはそれは、彼らの精神性や生き様が似通っていることの証左であるのだろうか。
「
それは告白だった。人の血と人ならざる者の血を受け継いで生まれ、常にたったひとりで生きてきた青年は今ようやく、その孤独を吐露する。
「
そして────世界が、燃えた。
次回、Accel zero order編最終話。