Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第42話 我、聖杯に願う

 そこは、まさしく地獄だった。

 ひび割れた大地からはマグマが噴き出し、何も火種はない筈の場所で絶えることなく焔が燃え続けている。空は立ち昇る黒煙によって全てが覆い尽くされ、陽光はその悉くが遮られて大地には届かない。それどころかその世界には陽光が存在しているかさえも怪しい。

 現実には決して存在し得ない世界。けれど人間たちはその世界を何というのかを知っていた。死した罪人たちをその内に引き込み、灼熱の業火を以てその罪を祓う場所。善人たちが招かれるという天界でも、大罪人が墜とされて無限にして永遠の辛苦を受け続ける地獄でもない半端な領域。すなわち、煉獄である。

 けれどその世界は見た目こそ煉獄のそれと同一であるが、性質は尋常なそれとは全く異なる世界であった。或いは普通の地獄の方が罪人にとっては幾分か楽であるかも知れない。その世界の焔が燃やすのは人の罪だけではない。全てのものが抱く『悪』というものの悉くを業火は焼き祓う。

 常世に存在するいかなる地獄の概念よりも容赦がなく、過激かつ苛烈に悉くを燃やし尽くす究極の煉獄。それこそが遥を生まれてから今まで内側から苛み続ける彼の心象。遍く悪を許容することのない最低最悪の焔の丘。

 

 固有結界(リアリティ・マーブル)不朽の業火(エヴァーラスティング・インフェルノ)』。

 それが遥が内に秘める心象(せかい)の名であった。

 

 その丘の頂上に突き立てられた叢雲を引き抜き、その切っ先をユスティーツァへと向ける遥。その頭上では伝承通りに下手をすれば大嵐を巻き起こしそうな厚い雲が渦巻いている。この世界にいるのは遥とユスティーツァのふたりのみ。まさしく一騎打ちとでも言うべき状態であった。

 

「ようやくふたりきりだな、人類悪(ビースト)モドキ。さぁ、決死の殺し合い(ランデブー)といこうぜ……!」

「ハッ。心象世界を具現化したところで、一介の混血風情がこの私の勝てるとでも? さんざん間抜けだとは思っていたが、よもやそこまでとはな。良い、今度こそ格の違いを思い知らせて──ッ!?」

 

 遥の挑発に乗りつつも自らの調子を崩さないまま、恃みである聖杯の泥と影を排出するユスティーツァ。けれどその余裕の笑みは次の瞬間には凍り付き、そして狼狽へと変わった。意趣返しが成功し、遥が不敵な笑みを浮かべる。

『この世全ての悪』と臓硯の願いの影響を受けて不完全な人類悪として存在しているユスティーツァはいわば『この世全ての悪』の依り代であり、またそれそのものであるため、聖杯の泥を扱うことができる。さらにその泥はあらゆるものを浸食し汚染するという力を持つが故に大空洞ではユスティーツァは地の利という面で遥たちよりも優位に立つことができたのだ。

 そしてその浸食と汚染という性質を受けるのは固有結界も例外ではない。そもそも固有結界とは術者の心象を世界として具現化する魔術であり、それはつまり術者そのものでもあるということだ。ユスティーツァにとっては恰好の餌食であろう。故にユスティーツァは泥によって固有結界から遥を侵そうとしたのだろう。

 だがそれが間違いであった。ユスティーツァが足元から発生させた泥は遥の世界を侵すよりも早くに焔に巻かれて干からび、バラバラに霧散してしまったのである。無論影の巨人たちを顕現させようと同じ事。それらは一瞬にして断末魔の雄叫びをあげて消失する。そうしてユスティーツァはようやく、この世界の何たるかを悟った。

 遥の心象世界は常世に存在する遍く悪を祓い、浄化する究極の煉獄。それの前では悪に一切の区別などなく、それ故に必要悪だろうが、絶対悪だろうが、人類悪だろうが、浄化されて無に還る他ない。或いは発端を人類愛とする本来のビーストであれば抗うこともできるのかも知れないが、仮初の人類悪であるユスティーツァはこの煉獄の中にあって現実世界での優位を完全に失っていた。

 それだけではない。ユスティーツァは泥と影を完全に無効化されただけではなく、その体内に貯蔵した魔力を急激に奪われつつあった。奪われた魔力はこの世界を満たす焔に浄化され、世界の主たる遥に還元される。半端なものではあるが、煉獄とは地獄であり、そして地獄はあらゆる生命の存在を否定する。魔力とはすなわち生命力であるため、煉獄は内部に取り込んだものから無差別に魔力を吸い上げ、供物として遥に献上する。

 自身が悪そのものであるが故にユスティーツァはすぐにそのことに気付き、遥を睨み付けて奥歯を砕けそうなほどに強く噛み締めた。だが殺意に塗れたその視線を真正面から受けてもなお遥は怯むことなくユスティーツァを睥睨している。それが更にユスティーツァの神経を逆撫でし、怒りのままにユスティーツァが吼えた。

 

「この……調子に乗るなッ!!」

 

 その咆哮に応えるようにユスティーツァが放出する魔力が増大する。同時にユスティーツァの優美な銀髪から何本かひとりでに髪が抜けて形を変え、猛禽や剣の形を取る。ユスティーツァの鋳造元であるアインツベルンの秘術を攻撃用に転用したものであろう。

 だがただの錬金術として侮ること勿れ。魔術において女性の髪とは重要な意味を持つ。それに『この世全ての悪』に由来する膨大な魔力を込めたことでその切れ味は鋼鉄を切り裂くことすらも容易いほどにまで高められていた。ユスティーツァの声に合わせ、それらが遥に向けて飛翔する。一撃でも喰らえば致命と成り得る攻撃。だが遥は怯まなかった。

 虚空に閃く黄金の閃光。先の一撃とは違い、偽りの人類悪と化したことでありとあらゆるサーヴァントを圧倒するだけの力を得たユスティーツァですらも全く見切ることができないほどの剣速を以て振るわれた叢雲は正確に全ての攻撃を破壊せしめた。寸断された髪が大地に落ち、瞬く間に灰と化す。まさに神業とでも言うべき剣技であった。しかし遥はそれを誇る素振りすらもなく、無表情のまま再び切っ先を敵に向ける。

 

()()()()()()()()()?」

 

 明らかな挑発の意思を滲ませた声音。そうと分かっていながら今度は乗せられたユスティーツァが激昂して怒りをはきだそうとする。しかし遥がそれを待つ筈もなく、ユスティーツァが口を開きかけたのと同時に遥の姿が掻き消える。直後、悪寒を感じて反射的に飛び退いたユスティーツァを叢雲の刃が掠めた。

 遥の固有結界が有するのは何も煉獄としての特性だけではない。遥の内に在るもの全てを曝け出した世界であるその煉獄はその原理故か、遥の秘めたる才能の一端を引き出す力を持っていた。その力は縮地を越えた空間跳躍にすら等しい究極の歩法〝極地〟を可能とし、遥に絶大な機動力を与えていた。

 攻撃を回避した瞬間の隙に遥を呑み込まんとするユスティーツァ。しかし魔力の塊である聖杯の泥が吹きあがった時には既にそこに遥の姿はなく、泥は虚しく焔によって浄化せしめられる。それでもなお遥の動きを追いかけようとするがしかし、直後に背後からの衝撃を受けて吹き飛んだ。火炎を纏った遥の脚撃が直撃したのである。そのまま追撃せんとする遥であったが、その直前で顔を顰めて動きを止める。

 

「──ッ……! クソがッ……!」

 

 いくら遥の煉獄が全ての悪を浄化する究極の煉獄であるとはいえ、相手は『この世全ての悪』により変性した存在。加えて大聖杯の力で現代に住む人間の悪性を更に吸い込み肥大化しているが故にその強大さは元となった怨霊の比ではない。そして神霊クラスにまで膨れ上がった悪性を内包しておいて無害などという都合の良い話があろう筈もない。遥の体内では流入してくるまでに浄化が済まなかった汚染魔力が少しずつ蓄積しつつあった。それもすぐに浄化されるものの、その時にはまた新たな汚染魔力が流入する。まさしく鼬ごっこであった。

 普通の人間ならば少しでも流入した時点で発狂して死んでいるものを受けてもなお十全に動き続けていることができる。遥にその異常な耐久性を齎しているものは煉獄そのものか、或いは起源や人の悪性を許容できるだけの精神の歪みか。遥にはどうでも良いことだった。何であれ身体は動く。ならば戦える。遥にとってはそれで十分だった。

 遥が動きを止めた隙にユスティーツァが放った針金の鳥を切り裂き、叢雲を構え直す。深呼吸をひとつ吐いて意識から余計な情報を締め出す。そうして蹴りだした身体は一息で音速を追い越し、可視の領域をも飛び越えた。あまりの速さに大気が悲鳴をあげ、不可視の膜が遥を中心として広がる。遥はそれをものともせず、叢雲を構えてユスティーツァへと肉迫した。

 幾度も虚空を奔る黄金の剣閃。それは多重次元屈折現象と見紛うばかりの速度を以て振るわれ、ユスティーツァの身体をまるで豆腐か何かのように切り裂いた。ユスティーツァの身体に刻まれた傷から鮮血が噴き出す。だがその傷は瞬く間に泥に覆われ、癒着してしまう。それでもダメージをなかったことはできないらしく、ユスティーツァが更なる憤怒に顔を染める。

 

「チイッ……この、人間風情がッ!」

 

 怒りのままにユスティーツァが吼え、それに呼応した泥が噴きあがる。先程とは違い、泥の直上にいる遥。だが遥は全く動じることなく対応してのけた。躊躇うこともなく足元で爆発を起こし、衝撃に耐えきれなかった泥が散り散りになる。

 地面より噴き出し、天を裂くほどに立ち昇るマグマ。だがそんなものを浴びせられてもなお遥は消し炭となることなく、それどころか全身に焔を纏ってそこに立っていた。その姿を前に、殆ど無意識にユスティーツァが後退る。

 そもそもこの煉獄は遥の心象なのだから、暴走もしていないのに遥がそれによって死んでしまうことがある筈もない。この煉獄は遥と共に生まれ、そして遥と共に消えるもの。それが遥を焼き殺してしまったら本末転倒というものである。

 自らの内より噴き出す火炎とマグマを纏う遥。その眼は強く真紅に輝き、その立ち姿はいっそ神々しさすらあった。だが敵にそんなものを認める『この世全ての悪』ではなく、遥の姿を前にユスティーツァは更に怒りを募らせていく。

 その憤怒の視線は邪視の如き力を以て遥を射抜く。けれどその力は遥が纏う浄化の焔によって打ち消され、その身体まで届くことはない、それによってユスティーツァが舌打ちを漏らしたのを知ってか知らずか、遥が叢雲を鞘に戻した。そうして鞘を腰から外して左手で保持しつつ腰だめに構える。先祖より受け継いだ我流の剣術を振るうが故に決まった型を殆ど持たない遥が持つ構えのひとつ。抜刀術の構えである。

 見据えるは眼前に立つユスティーツァ。そのユスティーツァも遥が何かを仕掛けてこようとしているのを悟ったらしく、不用意に仕掛けようとはしてこない。それを前に、遥は自らの内へと意識を沈めた。意識を引き裂くほどの激痛を無視して無理矢理に叢雲から力を引き出し、そして遥は一息で大地を蹴り飛ばした。大気を裂く轟音はまさしく物理法則があげる悲鳴。ユスティーツァが認識した時には既に、遥は叢雲の柄に手を掛けていた。

 刹那と須臾を追い越した抜刀。それと共に遥はその剣技の名前を口にした。

 

「秘剣───〝狂濤一閃〟!!」

 

 真名解放めいた咆哮と共に遥が叢雲を抜刀する。神速という表現ですら事足りぬほどの剣速を以て振るわれる刀。ユスティーツァはそれを見切ることすらできずに真正面から食らい、瞬間、斬撃を喰らったその部分が初めからなかったかのように消失した。

 先祖の記憶から引き出し、遥が行使した抜刀術〝狂濤一閃〟。それはただの抜刀術ではなく、怒濤八閃と同等の剣技、すなわち魔剣であった。本来は〝対獣魔剣〟に属する怒涛八閃を対人用に変えたこの魔剣は多重次元屈折によって発生する一の太刀から八の太刀までを一刀に集約することで接触部に局所的事象崩壊を引き起こすという特性を有する防御不可の一撃。斬撃を受けたユスティーツァの左腕が消失したのはそのためだ。

 しかしユスティーツァとて成り損ないではあるが人類悪のひとつである。消し飛ばされた左肩から湧き出したのは鮮血ではなく聖杯の泥。それは消し飛んだ左腕の位置で蟠ると、巨人の腕と見紛うばかりの巨腕を作り上げて一瞬で硬化した。

 

「この私を……舐めるなッ!!」

 

 飛来する土塊。もしも喰らえば抵抗することもできずに身体が粉微塵になるほどの威力を内包したそれを前にして、遥は一切動じなかった。遥の意思に応えるように煉獄の焔が遥へと集い、収束する。

 振り上げたのは叢雲を握っていない左腕。振りかざしたそれに遥はあまりの魔力量で内側から弾けそうなほどに魔術で強化を施した。ほとんど同時に振るわれた拳は両者の真ん中で打ち合わされ、その瞬間に遥の拳が秘めた威力と焔の力に耐えきれなくなった土塊が内側から崩壊した。

 それはそれまでならば絶対にありえない事態であった。たかだか混血風情と見下していた筈の魔術師が偽りの人類悪と真正面から力勝負を行い、あまつさえ勝利したのである。それにはさしものユスティーツァも驚愕の色を見せる。

 だがそれとは対照的に遥にはそのことへの歓喜などはなく、ただ冷静にユスティーツァを再び蹴り飛ばした。焔に巻かれて少しずつ弱体化していたためかユスティーツァはそれを受けきることができず、大きく吹っ飛ぶ。そうして、遥が再び叢雲を構えた。

 

「──次で、終わらせる」

 

 その言葉と同時に輝きを増す神剣。さらに刀身から噴き出す焔が勢いを増し、天を突きあげるほどの火柱が立ち上った。それに呼応するようにして煉獄そのものが鳴動し、焔が叢雲に収束していく。

 この煉獄は遥が有する剣士としての才能を一時的に現状以上に引き出す力を持つ。それは言いかえれば、遥がいずれ至る未来を先取りするということでもある。この煉獄の内においてのみ、遥はいずれ自分が至る力を前借することができるのだ。極地もそのひとつである。

 煉獄の焔を帯びる叢雲を鞘に戻し、我流抜刀術の構えを取ると同時に遥──というよりもその鞘から異質な魔力が迸る。それは先の戦いで幻想種化していた遥の全身を満たしていたものと同じ魔力。つまりは現代には存在しない筈の魔力である第五真説要素〝真エーテル〟である。

 神秘の薄い現代に生きる人間であれば吸い込んだ瞬間に濃度に耐え切れずに身体が内側から爆発四散するその魔力を、しかし遥は尋常ではない激痛に見舞われながらも制御してのけている。明らかに異常な現象であった。

 対するユスティーツァは生まれて初めて感じた本能的な恐怖感に身を震わせた。それをユスティーツァが自覚した直後、彼女の胸にまるでこの世に存在する全ての災厄を凝縮したかのような輝きが現れた。それはユスティーツァの核となるもの。すなわち『この世全ての悪』と呪い、さらには死の概念が聖杯として顕現したものであった。

 片や神代の魔力を帯びた煉獄の焔。片や全てに死を齎す呪いの具現。共に尋常な宝具の核を圧倒的に超越したもの。それを解き放つのは僅かにユスティーツァの方が先であった。

 ユスティーツァの身体から放出される魔力が更に増えるのと同時に輝きを増す黒い聖杯。自身の分け御魂とでも言うべきそれの名を、ユスティーツァは歓喜と共に謳いあげた。

 

「──〝死の聖杯よ、現世に出でよ(ソング・オブ・グレイル)〟!!!」

 

 その言葉が放たれると同時に死の概念そのものを内包した輝きが一際強まり、究極の煉獄を以てしても一瞬では浄化しきれないほどの泥が溢れて遥の心象世界を波濤となって押し流し始めた。

 それらは煉獄を通してそれの主である遥の身体にも流れ込み、遥の身体に死斑のような黒い斑点が浮かび上がる。死ね、死ねとまるで無念の内に死んだ亡者が生者を地獄に引きずり込もうとしているかのような声が遥の魂を叩く。だが遥はそれを封殺し、焔によって掻き消した。

 鞘から溢れだす焔。吹き出す真エーテル。死が飽和した汚泥はなおも広がり続け、煉獄を黒く染め上げる。そうしてその泥が遥の身体を呑み込まんとするその瞬間、遥が動いた。

 狙うは一点。鞘より発生した真エーテルをの全てを身体を通して限界まで叢雲に叩き込み、鞘から黄金の光が漏れ出した。続けて地を蹴って跳躍。世界を満たす汚泥の波濤を飛び越え、遥が叢雲を抜刀。握った右腕を引き絞る。

 

「これで終わりだ。消えろ、『この世全ての悪(アンリマユ)』!!! 

 ──穿て、〝天剱(てんけん)都牟刈之大刀(つむかりのたち)〟!!!」

 

 瞬間、神刀から世界を全て染め上げるほどの極光が焔を伴って放たれた。それは煉獄を満たし乗っ取らんばかりに広がっていた泥を消滅せしめる。不浄を祓う聖なる極焔は怒濤の如く押し寄せる死の概念を押し流し、無へと還してしまう。

 高速で全身を駆け巡る真エーテルが齎す想像を絶する激痛に遥が顔を歪める。いかな混血とはいえ、幻想種化しておらず半身が人間のままの遥には第五真説要素は猛毒も同然だ。加えて急速に身体がそれに順応しようとして人外の血を強めることで魂が軋む。

 そうして限界を超えて遥の魂と同調した分霊はまるで根を張るかのように遥に浸食し、消えた死斑の代わりに褐色の斑点が浮かび、髪が白く変色する。それに伴う痛みを意識の端に押し遣って、遥はなおも極焔を放つ。

 死の概念を内包した泥は遥の焔の前ではあまりに無力で、焔は泥の壁を押し割ってその最奥へと到達した。

 泥の壁を食い破った焔がその中心である死の聖杯に喰らいつき、浄化の焔に耐えきれなかったそれが粉々に砕け散った。最早ユスティーツァに成す術などなく、彼女の運命は遂に死へと至った。最後にユスティーツァが見たのは泥を割って迫る極焔。そして次の瞬間にはもう、ユスティーツァの意識はこの世にはなかった。

 

 

 

 

 遥が自らの心象世界から現実へと帰還したのは、煉獄の全てを満たしていた泥を押し返した極焔が収束したのとほとんど同時であった。煉獄が消え去ったことで一時的に引き出された剣才が消失する。けれど遥にそんな実感はなく、戻ってくると同時に地面に倒れ込んだ。

 そこへ駆け寄ってきたのはサーヴァントたちといつの間にか大空洞に戻ってきていたアイリと桜。彼らの見る限りでは遥は気絶はしていないようであったが、一時的に過呼吸気味の状態になっていた。

 しばらくの間そうして荒い呼吸を続けていた遥だったが、落ち着いてくるとすぐに上体を起こして地面に座り込んだ。そうして殆ど無意識に左手で頭を掻いて、その手を見て沖田たちが息を呑む。

 

「ハルさん、それ……」

「あ……?」

 

 未だ焦点の合わない瞳で遥は沖田が指す箇所を見る。その視線の先にあるのは遥の左腕。ロングコートに隠れている手首から上は見えないが、少なくとも見えている限りが褐色に変色していた。

 それは同じような変化が起きた立香のように魔術回路の酷使によって変色したのでも、聖杯の泥に侵されて変わってしまったもでもない。いくら真エーテルを扱ったからとて変質するほど遥の魔術回路は尋常なものではなく、後者に関しては体内に入り込んだ量など遥にとっては脅威ではない。

 故に遥の変色の原因はそれらではなく、遥の内側から湧き出してきたものであった。そういう意味で言えば原因は真エーテルにあるのかも知れないが、それはあくまでも要因(トリガー)に過ぎない。原因は遥の肉体に同化している分霊だ。身体を巡った真エーテルに対応するためにその分霊が人間側に根を張り、結果として身体が変質した。

 要は変色している部分は最早人間のそれではなく、肉体に宿る分霊に近しいそれに変わっている。恐らくは人間の身体には備わっていない機能もあるのだろうが、今の遥には関係の無い話だ。遥は一瞬だけ顔を顰めたものの、すぐに平然とした表情に戻る。

 

「俺のことはいい。どうせ、いずれこうなる運命だったんだから」

「でも……」

 

 今だ何か言い募ろうとする沖田を制し、遥は更に話を続ける。

 

「それより、今後の話をしよう。

 カルデアが観測した聖杯は結局、姿を現すこともなく事態は収束した。あぁ、それは良いコトだ。良いコトなんだが……このままだと桜が独りになる」

 

 この世界は特異点Fやオルレアンのように遥たちが生きている世界線の人類史が歪められたことで発生した普通の特異点ではなく、一種の平行世界のようなものである。カルデアでそれが観測されたのは単純に冬木の聖杯が人類史崩壊の起点と成り得るからだ。

 そして普通の特異点ではないが故にこの世界は聖杯を回収、或いは破壊したところで消滅することはない。桜と同じく行き場がないアイリは聖杯であるが故にカルデアのシステムを利用してカルデアで保護することができるが、桜はあくまでも普通の人間。アイリのように保護することはできない。

 この世界が特異点化した原因であるユスティーツァは既に遥が排除した。間もなくこの世界は特異点としての性質を失い、それに伴って遥たちは世界から弾かれて強制的なレイシフトに入るだろう。それでも桜はこの世界の住人として残ってしまう。それはつまり、桜が再び孤独に戻ってしまうことを意味する。

 それだけは絶対に許容できない。しかし世界が特異点としての性質を失ったが故に、遥の身体は端から少しずつ霊子と化して消え始めていた。時間は僅かしか残されていない。遥がそう言った直後、オルタが口を挟む。

 

「じゃあ何よ。アンタ、時間がないからって桜を見捨てる気?」

「ンな訳あるか。……あまり使いたくはなかったけど、仕方ない。アレを使わせてもらおう」

 

 そう言うと遥はおもむろに立ち上がり、振り返って視線を上にあげた。そこにあるのは大空洞の空間のほぼ全てを占めるもの。すなわち大聖杯である。英霊5騎の魂をくべられ、汚染元である『この世全ての悪』を遥によって排除されたそれは元の願望器としての機能を取り戻していた。

 大聖杯の本来の使用用途は願望器としての力ではなく第三魔法の具現化と世界に孔を穿つことによる領域外への進出とそれによる『根源の渦』到達だが、5騎分の魂では明らかに不足だ。けれど願望器としてこの世界の内側を改変するだけならば、それでも十分に事足りる。

 その事実を前にすれば大抵の人間ならばその力によって自らの願望を叶えようとするだろう。あまり欲というものがない遥であるが、遥にも願望くらいはある。それは聖杯を以てしてでも叶えられない大それたものではなく、ただ目の前の聖杯に願うだけで叶うものだ。

 けれど事ここに至ってもなお遥にはその願望を叶える気は起きなかった。願望というのはあくまでも自らが果たすべき全ての義務を成した者が叶えるべきもの。自らの責任を全うしていない遥に願いを叶える権利はない。故に遥が聖杯を使う目的は完全な利他であった。

 

「コイツの中身に打ち勝ったのは俺たちだ。なら、使う権利も俺たちにある。違うか?」

 

 遥の言葉に反論する者はその場にはいなかった。そもそも遥と契約しているサーヴァントたちには聖杯に掛けるような願望などなく、唯一ここにいるサーヴァントの中で聖杯に掛ける願望を持つセイバーもまた眼前の子供を差し置いて自らの願望を叶えんとする英雄ではない。

 誰も何も言わないことを是と判断するや、遥は桜と視線を合わせた。端から消えていく遥を前に不安そうな視線を向ける桜の頭に遥は手を載せ、頭を撫でる。そうして手を離した時、桜は殆ど無意識に遥の手を掴んだ。それは桜が遥の前で初めて見せた、人間らしい感情であった。

 思えば、遥と桜は似ている。厳密に言えば桜の本来の家族は生きてはいるが、ふたりは幼くして家族と呼べる存在を失っているのだ。遥が妙に桜に入れ込んだのはそういう理由もあるのかも知れない。桜の手から伝わってくる体温が遥の胸中に未練を齎し、それが鎌首を擡げる。けれど遥はそれをすぐに断ち切った。

 最後にもう一度桜の頭を撫でてから立ち上がり、再び大聖杯に向き直る。そうしてまるで大聖杯を掴むかのように手を伸ばすと、遥はそれに命令を下した。

 

「──我、聖杯に願う。

 桜がもう苦しまなくていい世界になりますように。笑い合える友達を作って、暖かな家族と過ごして、ささやかな幸せを掴める。そんな、誰にでもある幸福を──」

 

 遥の願いはそれだけだった。あまりに俗物的でありふれていながら、遥は絶対にその光景を夢想することすらもできない願い。遥が告げたその願いに呼応し、大聖杯から巨大かつ複雑な魔法陣が浮かび上がる。続けて大聖杯にくべられた英霊の魂がその魔法陣に流れ込み、強烈な閃光を放った。

 光が飽和する世界。その直後、世界は完全な容を取り戻し、遥は自らの願望が齎した結果を見ることもなくその世界から消え去った。

 

 

 

 これでいい。世界から弾き出されたことによる強制レイシフトの感覚の中で遥はそう独り言ちた。『この世全ての悪』は遥によって消滅せしめられ、行き場のないアイリはカルデアが保護する手筈となった。唯一残った桜は遥が聖杯に掛けた願いにいって救われたと信じる他ないということはあるものの、最上に近い結果ではあるだろう。

 ケイネスなど犠牲にしてしまった人間もいるが、そもそも魔術世界とはそういう世界だ。自分の目的のためならば他者を手に掛けることすらも厭わない世界。本当の最上を目指すならば誰も犠牲にせずに解決すべきだったのかも知れないが、そんな万能性は遥にはない。少なくとも自分に近しい人間を守れたのだから、それが遥に実現し得る最上だった。

 身体は霊子と化しているが、遥の精神は任務を終えたことによる奇妙な脱力感と少しの達成感に浸っていた。しかしいつまで経ってもすぐに来る筈のカルデアに帰還した感覚はなく、代わりに遥の耳朶を何者かの声が打った。

 

「──果たして、そんなに上手くいくモンなのかねぇ」

「ッ!?」

 

 あり得ない事態だった。現在レイシフト中である遥の肉体は霊子へと分解され、形を失っている筈なのだ。しかし、気付いた時には遥は果てのないただ白くどこまでも続く空間に立っていた。

 声が聞こえてきた方向は背後。果たしてそこにいたあのは、ひとりの青年であった。容姿は遥と瓜二つでありながら上半身は裸で、身に付けているのは腰布のみ。褐色の肌の上では入れ墨のような黒い何かがのたうち回っている。

 自分自身でありながら、決して自分自身ではない何かと対峙するというのは遥でも初めての経験であった。幸いなことに遥の装備はレイシフト前そのままで、叢雲も帯刀している。

 何を目的として遥に干渉してきたか分からない相手を威嚇するように、遥が叢雲の柄に手を掛ける。腰を落として眼前の自分を睨み付けるその体勢はいつでも相手を斬り裂くことができるように。

 

「……誰だ、お前」

「おや、意外と冷静。普通は自分がもうひとり現れりゃもっと驚くと思うんだけど。

 ……まぁいいか! それじゃあお前の疑問に答えてやるとしよう。オレに名前はない。どうしても呼びたきゃ、そうだな……アンリとでも呼べ」

「アンリ……? まさか、『この世全ての悪』か」

 

 冷静なようでありながら、遥の声音は相当に驚愕しているようであった。だが考えてみればあり得ない話ではない。『この世全ての悪』とは元はただの願いと悪性の塊であり、自我を持たない存在。遥の中で遥の姿を借りていても何ら不思議はない。

 それが遥の中に侵入した原因は間違いなく固有結界内での決戦でユスティーツァが行使した宝具だろう。『この世全ての悪』としての概念の全てを解放したあの宝具は遥の煉獄を以てしてもすぐに浄化することができず、こうして未だに残った残滓が遥の精神に干渉しているのだ。

 それに気付き、遥が内心で舌打ちをする。それを知ってか知らずか、『この世全ての悪』──もといアンリは遥の様子を愉しんでいるかのように指を鳴らし、それを遥に向けた。

 

「That's right! 最弱英霊アヴェンジャー、此度はアンタの殻を被っての現界だ。……ま、アンタの中に入り込んだせいで今にも消えそうなんですケド。てか、なんだよ全ての悪を浄化する固有結界って。もうチートだろ、チート」

 

 まるでたったひとりで芸を披露する道化ででもあるかのように饒舌に言うアンリ。その身体は彼の言う通り、遥の焔によって末端から焼かれて崩れつつあった。それはユスティーツァの宝具を通して遥の中に入り込んだからか、或いは遥の殻を被ったからか。遥にとってはどうでも良いことだった。

 遥に関係があるのはアンリが如何なる目的を以て遥の精神に干渉してきたかということである。レイシフト中の干渉である以上、少なくともこの空間は現実に存在する景ではない。この空間はアンリが見せているイメージのようなものであろう。

 警戒と敵意を最大限に込めた眼で遥がアンリを睨み付ける。明らかな問いの意思も含んでいるその視線を受けても、アンリはただ不快な笑みを浮かべて遥を見つめるのみだ。遥はひとつ大きな溜息を吐き、アンリに問う。

 

「それで、その死にぞこないが俺に何の用だ。大人しく焼け死んでりゃよかったものを」

「おぉ、すげぇ辛辣ぅ……いや、オレとしては大人しく死んでても良かったんですけどね? それじゃ『この世全ての悪』の名が廃るってモンよ。ンな訳で……オレはテメェを呪いに来た」

 

 不敵な表情を浮かべ、遥を指してアンリがそう言う。けれど、それに遥は何も言葉を返さなかった。アンリの声音には絶対的な自信が伴っているものの、それが逆に遥にとっては最大限の違和感となって胸中に居座る。

 遥の固有結界が彼に齎す恩恵のひとつとしてあらゆる呪的効果の無効化というものがある。それはいかな『この世全ての悪』の呪いとはいえ例外ではない。それは先の戦闘が証明しており、遥の殻を被っているアンリには我が身のこととして感じられるだろう。故にその絶対的な自信が異様極まるのだ。

 だが遥に聞かないという選択肢は用意されていない。恐らくアンリは遥に焼き殺されるか目的を果たすまで遥の精神に対する干渉を止めないだろう。つまり遥がどう思っているにせよ、遥はアンリと相対する他ないのである。再び遥が溜息を吐き、舌打ちをする。それを了承ととったのか、アンリが大仰に手を広げた。

 

「アンタ、まさかこの終わり方が全員救われたハッピーエンドとか思っちゃいねぇだろうな?」

「ハッピーエンドではねぇだろう。けど、これが俺に成し得る最上の解決なんだ。それに、俺が斃したヤツ以外で助けられなかったヤツがいたか?」

「オイオイ、いるだろ? ちゃんと考えろよ。アンタの最上から漏れたのは他でもねぇ。()()()()()()()。夜桜遥」

 

 アンリの言葉に遥が首を傾げる。助けることができたか、救うことができたか否かという問題以前に遥は誰かからの救済を必要としていない。救済されたか否かという問いそのものが無意味なのだ。それ故、アンリの言葉は遥の理解の埒外にあった。

 だがアンリは奇妙な自信に満ち溢れた笑顔を浮かべて遥を見ている。顔の造作そのものは自身と全くの瓜二つの人間が自分は絶対に見せない表情をしているという光景を前に、遥が抱いたのは言いようのない不快感であった。

 そんな遥の胸中を知ってか知らずか、アンリは気持ちの悪い笑みを遥かに向けている。既に四肢の半ばにまで至っている遥の煉獄による浄化を全く意に介さないその様子は明らかに異常であった。

 

「ワケ分かんねぇって顔だな? まぁ無理もねぇ。復讐者を気取る正義漢には何を期待したってムダってモンだな。だからこそオレもやりがいがあるんだが。

 ……お前、まさか気付いてねぇワケじゃねぇよな? 自分がしてることが()()()()()()()()()()()()()()()ってコトによ」

 

 まるで遥を嘲笑うかのようなアンリの声音。それをぶつけられた遥が息を呑み、顔を強張らせる。だが考えてみればアンリが遥の願いを知っているのも当然のことだ。アンリは遥の殻を被っているのだから、遥については全て知っているのだろう。

 遥の願い。未だ遥が誰にも話したことが無い、遥が抱く遥自身へと返る願望。予想だにしていなかったアンリの言葉に遥が仏頂面のままで硬直する。あまりに思っていた通りに反応に、アンリはさらに嘲笑の笑みを深くする。

 背中を撫でる悪寒。速まる心拍。だが遥にこの状況から逃げる術などない。それは窮鼠猫を嚙むと言うべきか、或いは袋の鼠と言うべきか。遥を見るアンリの眼にさらに嘲笑の色が宿る。

 

「おや? なんだ自覚あんじゃねぇか。ムダなコトさせんなよな」

「……だったら何だ。そんなコト、俺の願いとは関係ない。遠ざけようと、叶えられないと決まった訳じゃない」

「へぇ……」

 

 取り付く島もない、というよりは無理に作るまいとしているような遥の声音。故に、それが遥の本心ではないことは明白だった。そうして遥がもう聞く気はないとばかりに舌打ちをした時、不意にアンリが遥の左腕を掴んで持ち上げた。そうして露出したのは変色した左腕。

 それは立香のように魔術回路の酷使によって変色したものではない。遥の身体と同化している分霊との同調を過剰に強めたこと、そして鞘が生み出す真エーテルに身体が順応しようとしたことで人外の要素の割合が急激に増加したが故のものであった。

 遥は咄嗟にそれを振り払おうとするも、アンリの力は異様に強く全く動く気配がない。動揺する遥を前にして、アンリの顔に勝ち誇った笑みが浮かぶ。

 

「失われた筈の真エーテルを生成する鞘〝八岐大蛇〟……すげぇモンだよなぁ。協会の連中に知られりゃ一発で封印指定だ。……で、そんなものを扱える奴は()()()()()()()()()()?」

 

 真エーテル、すなわち第五真説要素とは本来なら地球上からは失われた魔力である。そもそもとして神秘を多く内包した神代の人間ならともかく、現代人にとっては真エーテルは猛毒に他ならない。

 それを遥は激痛を受ける程度の反動で扱うことができる。それは明らかに人間にできることではなかった。できるとすれば神代の神秘の中で生み出された存在である真祖や精霊、神霊くらいのものだろう。

 マズい、と遥の理性が警鐘を鳴らす。けれどアンリがそれで言葉を止める筈もない。遥に対して勝ち誇った下卑た笑みを浮かべたまま、アンリはさらに遥を追い詰めるための言葉を続ける。

 

「いやはや、本当に驚きだ。人理を取り戻すための戦いにまさか人間じゃないヤツが混じってるなんてなぁ。厚顔無恥もここに極まれりってヤツじゃねぇの?」

「黙れ……」

「それに自分が救われてねぇのに満足してるとか聖人かってんだ。いやぁ、本当に人間の()()がお上手なこって」

「──黙れッ!!」

 

 唐突な怒号と同時に虚空に黄金の光が奔り、それに次いで黒い文様がのたうち回る腕が宙を舞った。それは誰に受け止められることもなく、虚しく軌跡を描いて地面に叩きつけられ、瞬く間に焔によって灰と化す。

 見れば、アンリの言葉に耐えかねた遥が叢雲を振りぬいた姿勢のままで停止していた。対してアンリは片腕を斬り飛ばされ、身体の大半を燃やされていながらも下卑た笑みを絶やさない。

 遥が人間の真似事をしているというアンリの言葉。それは遥が抱えている歪みを真っ向から形容する言葉であった。遥はそれをはじめから自覚していながら目を背けていた。それを詳らかにされては、いかな遥とはいえ取り乱すのも無理はない。

 

「そうやって都合が悪くなると無理矢理黙らせようとする。ヒデェモンだよなぁ。……それとも、それも人間の真似事か? いやはや、名俳優並みだな。喜劇王でも目指したらどうだ?」

「うるさい……それ以上口を、開くなッ!!」

 

 激昂の言葉と共に振りぬかれる遥の拳。遥の感情を表すかのような激しい焔を纏った拳は真正面からアンリの顔面にめり込み、直後、アンリの首から嫌な音が鳴った。それはアンリの首の骨、そして肉が千切れた音であった。

 千切れた頭は遥の拳の威力のあまり彼方へと跳んでいき、頭を喪った首から下は力なく倒れて腕と同じく煉獄の焔に巻かれて灰とかして霧散する。けれどそれを見ても遥の胸中から激情が消えることはない。

 アンリの言葉は遥にとって最も分かり易い挑発であった。けれどただの挑発であれば、いかなる精神状態であろうと遥は無視できていただろう。無意味な挑発程度に取りあっていては命がいくつあっても足りたものではない。故に、アンリの挑発は遥にとっては無視し得ないものであった。

 

「──ホラ、やっぱりそうやって黙らせようとする。これはアレかねぇ。ハイ、論破! ……ってやつ。意外と簡単だったなぁ」

「お前……!」

 

 再び背後から聞こえてきた耳障りな声にそちらを振り返ってみれば、そこにあったのは首だけになったアンリであった。もう既に首から下が消失しているというのにアンリには未だ消えるはなく、遥の神経を逆撫でする言葉を吐き続けている。

 だがアンリ自身に消える気配はなくとも、『この世全ての悪』であるその存在を遥の煉獄が許す筈もない。瞬く間に頭だけになったアンリは焔に巻かれ、その頭は火達磨と化す。

 けれどアンリはそれさえも気にしていないようであった。元より遥の内に入り込んだ『この世全ての悪』の残滓であるアンリは消え去る運命。アンリはそれを承知していながら大人しく消えることを良しとせず、遥の前に現れた。であれば、焔によってその言葉が止まることはあり得ない。

 

「もうあまり時間もねぇ。だから、これが最後だ。

 ──お前は絶対に人間にはなれねぇ。人間として生きることもできない。どれだけ願っても、どれだけ嘆いても、お前はバケモノのまま久遠の時を生きる他ねぇんだよ。

 祝えよ、夜桜遥。お前はどこまでいっても独りだ。たとえ誰と絆を結ぼうと、誰を愛そうと誰から愛されようと、そんなものはまやかしでしかないんだよ。それが嫌なら、今のうちに死んでおけ。そうしなきゃ、そのうち死ぬこともできなくなるぜ?」

 

 嘲笑まじりにそう告げた直後、アンリの頭は遥の焔によって完全に消滅せしめられた。そうして遥の意識に干渉していた『この世全ての悪』の全てが消え去ったことで白い世界が崩壊を始め、まるで硝子が割れるようにして崩壊していく。

 その中で立ち尽くす遥はほとんど無意識の内に拳に力を込め、あまりに強い力を掛けたことで肌に爪が食い込んで血が流れた。けれどその傷は瞬く間に修復され、完全に元通りとなる。それがさらに遥にアンリの言葉を意識させた。

 そもそも遥の起源である『不朽』とは起源としては絶対にありえないものだ。起源とは万物が流転していく中で積み重ねられた方向性。だが『不朽』とは形があるが故の永遠であり、それが流転する筈もない。

 仮にその起源が『久遠』や『永遠』であれば起源として何も不思議はない。それらはあくまでも時間の流れのみを指すものであって、そこに形があるか否かは問わない。対して『不朽』とは観念的であれ、物質的であれ、形があることを前提とした永続性であるのだ。

 遥の血の如何以前に遥はその起源からして異常な存在だ。個人を形作る方向性自体が異常であるのに、正常なものが完成する筈がない。遥はそれを分かっていながら、あえて見ないでいた。

 

「俺は……」

 

 それに続く言葉はない。遥の口は何かを言いかけて、しかし何も発することもなく閉じられるだけだ。

 崩壊していく世界の中央で、道化はひとり立ち尽くす。その顔は一片の感情の色すらない、完全な無貌であった。




変異特異点α――特異並行世界α〝聖杯夢想都市冬木〟修復完了(Order Complete)

次回から第二特異点『虚栄絢爛皇帝アウグストゥス』編です。

不朽の業火(エヴァーラスティング・インフェルノ)
  遥の固有結界。心象風景は所謂煉獄と呼称される世界に近しいものであり、それ故に〝煉獄の固有結界〟とも呼称される。基本的に遥はこれを自身の体内にのみ展開して魔力消費を最小限に抑えつつ、内部時間を加速して固有時制御に用いている。なお、この際に用いられる魔術理論は衛宮家のそれとはまた別物であり、独自のそれである。
 この固有結界自体の性質は一言で言えば〝浄化〟。万物に宿る悪を断罪する煉獄の焔により悪性を浄化し、無色となった魔力を主である遥へと還元する。この性質は結界内に取り込んだ遥以外の全てに適用されるため味方サーヴァントを取り込むと魔力切れで消滅させる恐れがあり、必然的にこれを使用する際、遥は単騎での戦闘を迫られる。また、悪性浄化の性質のためビーストを弱体化させることもできるが、位階の高い相手には焼け石に水であろう。
 またこの悪性浄化能力は結界外に漏出した焔にも適用されるため、遥は焔を結界外に取り出して敵性サーヴァントにぶつけ、魔力を削る戦法をよく用いる。
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