Fate/Everlasting Shine 作:かってぃー
第43話 ローマ、危急
気が付いた時には既に、沖田は知らない場所にいた。それは何もレイシフト中の事故で未知の場所に飛ばされてしまっただとか、そういう訳ではない。そもそも沖田たちはつい先日に特異点の修復を終えたばかりであり、本日は休みだった。故にレイシフトの事故というのはあり得ない。
記憶を辿ってみても、最も直近の記憶は自室のベッドに入ってようやく慣れてきた寝具で眠りに就いた時点で途切れている。つまり沖田が見ているものは夢ということになるが、それは夢にしてはあまりに現実味を帯びていた。だが、沖田はその場所を知らない。
一言でいえば、そこは豪邸であった。恐らくは玄関から続くエントランスなのだろうが、床は一面紅い絨毯で覆われ、1階から2階に続く2本の階段は緩くカーブを描いている。手摺には金鍍金が施されており、まさに絵に描いたような金持ちの家だった。
けれど何故かその家にはそれに見合うだけの生活感というものがなかった。家というものはどんなものであれ、そこに人間が住んでいるという空気があるものである。だがその家はただ広いばかりで、生活感が薄い。
そんな空間の中で何をすべきか分からず、ただひとりで立つ沖田。しかし少しして、不意に沖田の耳朶を何処かの扉が開かれる音が叩いた。反射的にそちらを見て、沖田が小さく呟く。
「ハルさん……?」
沖田の言う通り、そこに現れたのは彼女のマスターである夜桜遥その人であった。ただしその姿は沖田が知っているものではない。けれど沖田は不思議と、そこにいる少年が遥であると何の疑いもなく受け入れていた。
年の頃は恐らく10歳程度であろう。今では182センチメートルというそれなりに高い身長である遥だがその頃は少し大きいだけだったようで、沖田と同じ程度かそれよりも幾分か小さい。加えて髪も伸ばしていなかったらしく、その立ち姿からは遥の生真面目さが見て取れた。
その姿を認めると同時、沖田は自身が見ている夢の正体を悟った。契約状態にあるマスターとサーヴァントが稀に互いの記憶を夢という形で見ることがあるという。つまりは今、沖田は遥の記憶を夢という形で見ているということなのだろう。
起きたばかりなのか寝間着姿のままの遥の後ろを着いて行く沖田。そうして少しばかり歩いてから遥が座ったのは、この洋館の中にあって非常に異彩を放つ仏壇の前であった。手慣れた動作で線香に火を点ける遥の背後で沖田は何かを見つめている。その視線の先でにあったのは1対の男女が穏やかな笑みを浮かべている写真。すなわち、遥の両親の遺影であった。
遥の両親が既に他界しているということ自体は沖田は遥から聞いたことがあった。だが、こうして改めてそれを現実として目の当たりにしてみると聞いただけでは分からない奇妙な思いが沸き上がり、沖田は半ば無意識に手を合わせて黙祷を捧げた。そうして顔をあげて沖田が目を開けた時、周囲の景色はそれまでのものとは全く異なるものとなっていた。
焼けた家々と転がる無数の死体。それもその死体はただの死体ではなく、あるものは原型すらもなく、またあるものは形こそあるものの臓物を引きずり出された激痛と絶望の表情のままで固まっているものもあった。運よく生き残った人々は崩壊した家や家族の死体に縋りついて泣いている。
その中に遥がいた。皆激情に囚われている中で、一際血を浴びていながら表情のない遥だけがひどく異質である。その手に握られているのは叢雲とはまた別の、けれどどこか宝具に近い神秘を内包する長刀。そしてその眼前には上半身と下半身が分かたれた異形の死体が転がっている。それこそがこの村に災厄を齎した存在――悪魔憑きと呼称されるものであった。
遥がその村を見付けたのは全くの偶然であった。特にこれといった目的もなく世界を放浪しているうちに偶然見つけた村のひとつで悪魔憑きと遭遇してしまうというのはかなりの悪運の強さであるが、遥にとってはさして珍しいことでもない。だが、その時はあまりにタイミングが悪かった。
遥がその村を見付けた時には既にその村はほとんど壊滅状態であった。異形と化して理性を失った悪魔憑きによって住民のほとんどが殺され、村も村としての機能を失っていたのだ。そんな時に悪魔憑きを打倒できる魔術師が現れたのはむしろ僥倖ですらある。それでも、多くの人が死んでしまったという事実は変わらないのだが。
沖田の視線の先にいる遥はもう一度周囲を見回し、そうして無力感に唇を噛み締める。それからどれほどそうしていたか。不意に遥はコートの裾を引っ張られたのを感じて顔をあげた。そこにいたのはひとりの幼い少女。年の頃で言えば変異特異点αにいた桜と同じくらいであろう。名も知らぬ少女の瞳が遥を見上げている。そして、少女はあくまでも邪気のない声音で遥に問いかけた。
『――ねぇ、なんでもっと早く来てくれなかったの?』
日本語ではない言葉だったが、その言葉は記憶の主である遥が理解できているためか沖田の耳には日本語としての響きをを伴って届いた。
それはあまりに惨酷な問いだった。遥とて好き好んでこのタイミングで来たのではない。この村が滅ぶことは半ば運命であり、不可抗力だったのだ。けれど少女はそれを理解するにはあまりに無垢に過ぎた。抗えぬ運命などまだ知らない、罪な程の純粋さだった。故にそれへの処方を遥は知らない。気づけば少女だけではなく、周囲の人々の視線までもが遥に注がれていた。それらに込められているのは全て怒り。間に合わなかった遥への怒りだ。
理不尽極まる怒りだった。けれど当然の怒りでもある。本来その怒りを向けられるべき筈の悪魔憑きが死んだことで矛先を失った感情は次なる標的として助けた人間を選ぶ。どうしてもっと早く来なかったのか、と。どうして間に合わなかったのか、と。人々が遥に向けるそれはすぐに投石や悪罵という形を取って遥の前に現出した。
投げつけられた石が額に突き刺さり、流れた血が視界の半分を紅く染め上げる。けれど遥の起源はそんな些細な傷さえも存在を許さず、瞬く間に起源の力によって修復し、すぐに塞がった。
遥の身体を叩く無数の憎悪。しかし、遥は未だ無感動な瞳で見つめ返すばかりで人々には何も返すことをしなかった。助けた筈の人々に憎悪を向けられているその光景を前に、沖田が言葉を漏らす。
「もう止めて……止めてくださいっ……!」
だが沖田が何を言おうと遥の記憶の内容は変えようがない。そもそも、仮にその場に沖田がいたとしても村人たちは止まらなかっただろう。それこそ殺しでもしない限り。人間とはそういうものだ。
『あんたがもっと早くに来てれば、俺の家族は助かってた筈なんだ!』
『ヒーローにでもなれると思ったか、この疫病神め!』
『村から出ていけ、バケモノが!』
いっそのこと彼らが話しているままに異国の言葉として沖田の耳に届いていたのなら、多少は救いはあったのだろう。だがなまじ遥がその言葉を理解できるが故、沖田にも村人たちの悪意が降ってくる。遥によって助けられた筈の命が、遥が来なければ死んでいた筈の人々が遥に悪意を向ける。
沖田とて人々から悪意が向けられたことがない訳ではない。むしろ壬生浪と呼ばれて忌み嫌われていた新撰組にいた沖田にとって、その程度の悪意は見慣れたものである筈だった。けれどそれが遥に向けられているものなると、途端に胸を抉るような幻痛が沖田を襲う。その感情の源泉を沖田は知らない。考えている余裕すらない。
遥に向けて飛来する石と悪罵。しかしある時、それが唐突に止まった。沖田が顔を上げて村人たちを見れば、彼らは皆一様に戸惑ったような表情をして固まっていた。その視線の先にいるのは無論、遥である。けれどそこにいる遥が浮かべているのは沖田も見たことがないものであった。
それは全くの無表情であった。助けた筈の人々に裏切られたことへの悲しみや怒りもない、ただ無感動な顔。その眼はまるで底のない洞のようにひどく暗い。おおよそ今の遥のような状況に置かれている人間にはありえない表情。誰も何も言わない中で、その顔のままで遥が言う。
『あぁ、でも、少しでも助けられたならよかった』
その言葉を最後に、沖田の視界が暗転した。ふいに感じた瞼の重みに目を開けてみれば、見えたのはカルデアの天井。夢の内容が内容であっただけに全く眠った気がしない沖田であったが、しかし彼女はサーヴァントだ。本来眠らなくとも行動できるため、それでも何ら支障が出ることはない。
ベッドから出て寝間着を脱ぎ捨て、変異特異点αで遥に買ってもらった私服に着替えると沖田は自室を出た。そうして沖田の足は自然と食堂の方に向いていた。遥やエミヤ、タマモが作る料理の大半は沖田には物珍しいものばかりであったがどれも非常に美味であり、彼女にとって食事は毎日の楽しみのひとつでもあった。しかしその道中、ちょうど英霊召喚システムが敷設されている部屋の前でふと気になるものを発見した。
まず初めに見つけたのは無数の傷が刻まれたアーマーと赤いフード――今は降ろしているが――を着用した褐色肌と白髪が目立つ長身の男。それが冬木にて抑止力によって召喚されていたアサシンであることは疑うまでもなかった。そのアサシンが数人のスタッフたちによる人だかりの隙間から部屋の中を覗き込んでいる。
「アサシンさん! どうしてここに? それに何ですか、この人だかりは?」
「あぁ、君か。いや、僕はついさっき遥……マスターに召喚されたんだ。で、この人だかりだが……何なのか知りたいなら自分で見てみるのが一番早いと思う」
どこか苦虫を噛み潰したような表情でアサシンは含みのある言葉を放つ。それは不快というよりはむしろ困惑であるようで、沖田にはそれが如何なる感情に由来するのか分からなかった。
アサシンは優秀な暗殺者である。高いランクで気配遮断スキルを保持することや身体の限界を無視して使用することができる固有時制御の宝具もそうだが、アサシンの優秀さを何よりも保証するのは感情に左右されない判断力だ。それは冬木で共闘した沖田もよく知っている。
故に沖田にはアサシンが困惑しているということ自体が不思議であった。沖田はなおも何か言いたげな視線をアサシンに向けていたが、アサシンは何も言わない。そうして沖田は一礼してからアサシンの許を離れ、召喚部屋に入っていった。
その部屋に蟠っていた数人のスタッフは沖田に道を譲るとそれを機会にその場を去り、それぞれの持ち場に戻っていく。続いて沖田はその視界に遥の姿を認めて先の夢がフラッシュバックしそうになるも、その直前でさらに衝撃な光景が飛び込んできたことでそれが妨げられた。
「は……?
「いや、俺もよく分かんないんだけど……なんか、アイリさんが召喚システムを使ったら、アイリさんが出てきた」
全く沖田の問いへの答えとなっていない遥の言葉であったが、しかし目の前で召喚を見届けていた遥自身もまた何が何だかよく分かっていないようであった。対してふたりのアイリ――アイリスフィールと天の衣だけは全てを了解したかのように微笑みあっている。
事は数十分前にまで遡る。聖杯を回収するという名目の許でカルデアに保護されることとなったアイリであるが、だからといって身の安全が完全に確保された訳ではない。いつか邪な欲望のために周囲を犠牲にしてでも聖杯を手に入れようとする英霊が召喚された場合、真っ先に狙われるのは特異点で回収された聖杯が保管されているレオナルドの工房か小聖杯であるアイリだ。
加えて言えば、レオナルドは英霊であるため抵抗できるのに対し、アイリはただのホムンクルス。英霊に狙われれば抵抗することもできず、場合によっては人質にされる可能性もある。その最悪の事態を防ぐべく、カルデアはアイリのマスター適性を利用して彼女を予備のマスターとして登録し、護衛として英霊をひとり付かせることにしたのだ。しかし実際に召喚してみれば、こうして別な世界線のアイリが
だが、考えようによってはそれも当然のことではある。英霊召喚とは特に目立った触媒がない限り召喚者本人の精神性に近いサーヴァントが召喚される。その点で言えば本人なのだからこれ以上ない精神性の近似だろう。或いは、アイリ自身が触媒となってアイリ自身を呼び寄せたのかもしれない。
何にせよ、召喚者が別世界線とはいえ召喚者自身を召喚するというのは数多の神秘を目の当たりにしてきた遥をして完全に予想の斜め上を行く事態であった。しかしアイリたちは特に気にしていないようである。
「別に何も問題は起きてないんだし、良いんじゃないかしら。ねぇ、私?」
「そうねぇ。あぁでも、名前を呼ばれた時にどっちか分からなくなるんじゃない?」
違う、そうじゃない。声を大にしてそう言いたい衝動に駆られる遥であったが、言ったところで恐らくアイリたちは聞くまい。それよりも問題であるのは、何故英霊どころか幻霊ですらないアイリが召喚されたのかということだ。
実のところ、カルデアの英霊召喚システムについてはそれを扱っている遥たちでさえ熟知している訳ではない。この世界における聖杯戦争の召喚システムを基礎にしていることくらいは知っているが、逆に言えばそれだけだ。或いはそのブラックボックスの中に英霊ではないものを召喚するシステムがあるのかも知れない。
当惑する遥たちの前で召喚された側のアイリ――天の衣が不意に真剣な表情を浮かべ、アイリの手を握る。
「ねぇ、
「え……?」
天の衣の問いに困惑した表情を見せるアイリ。だがそれも当然だろう。天の衣の問いはあまりに唐突で、そしてアイリの想像を超えていた。雪の城で鋳造され、聖杯戦争を生き抜いた。これまでのアイリの人生はたったそれだけで表すことができるほどに簡単だ。
故に、アイリには誰かを大切に思うということがわからない。アイリと天の衣は別世界の同一人物ではあるが、それが最大の違いであった。天の衣はたった9年の生の中で誰かを愛するということを知り、最期まで母として、ヒトとして生きた。
流れた時間は同じでも、アイリと天の衣では積み上げた時の密度が違う。悪い言い方をすれば第四次聖杯戦争まではアインツベルンという概念に流されて生きてきたアイリとは違い、天の衣はアインツベルンに居ながらにして自らの意思に因って生きた。であれば、積み上げた時の濃密さの違いは推して知るべしであろう。
天の衣の問いに困惑するアイリであるが、天の衣の眼は優し気ではあっても真剣であった。その眼はアイリに問いから逃れることを許さず、答えを導き出すためにアイリは懸命に思考回路を駆動させる。そうして彷徨わせた視線は遥と沖田、そして僅かに顔を覗かせるアサシンに向けられて止まった。
変異特異点αにて戦っていた彼らをアイリはただ後ろから見ているだけであった。このカルデアにはいないが、セイバーにもアイリは守られてばかりであった。それでアイリを疎ましく思う彼らではないが、それでもアイリには思うところがあった。ただ守られてばかりの存在だった自分が、少しでも彼らの助けとなることができるのなら。その思いが芽生えた刹那に、アイリの回答は決定した。
戸惑いはある。けれど、それ以上にアイリには覚悟があった。未だ知らぬ筈の感情を根拠とするその感情は、果たしてそれを知る並行世界の自分自身との邂逅によるものか。或いは自覚がないだけで既に彼女も持っているのか。どちらにせよ、それがアイリスフィール・フォン・アインツベルンというホムンクルスが『ヒト』として下した初めての決断だった。その答えに安心したかのような表情で天の衣は頷く。
「そう……よかった。私はもう死んだ身。でも貴女はまだ生きてる。私も貴女にはまだ生きていてほしいもの。
じゃあ、手を出して。そして私の手を握ってイメージするの。
「……わかったわ」
アイリは天の衣の真意を測りかねたものの、言われた通り天の衣が差し出した手に自分の手を重ねた。対して黙って事の成り行きを見ている遥はアイリとは対称的にこれから起きるであろうことを全て承知したうえで見守っている。
これから起ころうとしていることは、ある意味ではカルデアへの叛逆のようなものだ。とは言っても何ら規則に反する訳でも、死者を出す訳でもない。それはカルデアの歴史への叛逆だ。嘗てのカルデアが多数の犠牲者を出してたったひとりだけしか成功例を作り出せなかったものを、彼女らはいとも簡単に実行しようとしているのだから。
アイリと天の衣の手が重なり合い、アイリが瞑目する。その瞬間、ふたりを中心として閃光が溢れた。その場にいる全員が無意識のうちに腕で眼を隠す。放出された魔力が遥のロングコートの裾を揺らした。そうして閃光が収まり、一同が目を開く。
果たして、そこにいたのはアイリのみであった。数秒前にまでいた筈の天の衣の姿は何処にもない。しかしアイリはそれで狼狽するようなことはなく、何かを確かめるように何度か手を握る。姿がなくなったとはいえ、天の衣が消え去った訳ではない。
天の衣がいるのはアイリの中だ。完成された小聖杯は魔力さえあれば望んだ結末を現実に具現化するという力を有する。ふたりはその能力を以て天の衣の霊核をアイリに移し、ふたりを合一化――つまり
アイリの体内に移された霊核が彼女の意思によって解放され、アイリの姿が一瞬にして変貌する。目に見えて高価な白いコートは豪奢にして流麗なる〝
「――と、いうワケで……キャスターのデミ・サーヴァント、アイリスフィール。改めてよろしくね?」
――ハルカ。模擬戦をしましょう。
そう言って休暇を利用して積みゲーを消化している遥の許を訪れたのは変異特異点βにて立香と遭遇し、その縁を以て新たに立香のサーヴァントとなった『
変異特異点αにレイシフトしていた遥は立香とは共に行動していなかったため月下美人であった頃のアルと戦った訳ではないが、既に記録映像でその戦いは見ていた。自身の身の丈ほどもある大剣を軽々と振るい、迫る5騎のサーヴァントを圧倒するアルの姿はまさしく圧巻とでも言うべきものであった。その時点での扱いで言えば、敵ながら天晴れというところである。
無論その時の異常なまでの強さは体内に取り込んだ聖杯のバックアップに因るところが大きいが、それでもアル自身は非常に強力な英霊だ。仮に弱い英霊であれば、聖杯を取り込んだところで強くなりはすまい。元が強力な英霊であったからこその聖杯による強さなのである。マスターに与えられるステータス透視能力によると幸運を除くステータスは全てA以上。間違いなくAランクサーヴァントの1騎である。
そんな英霊があくまでも英雄ですらない遥に興味を持つ理由が分からず、遥はすぐには答えを返さずに遊んでいたRPGをセーブし、ゲーム機の電源を切った。そうしてベッドから立ち上がり、アルを見る。アルはアルトリアより少しは身長が高いのか、見上げてくる瞳は少しばかり近い。
「……ほとんど初対面で模擬戦をしよう、とは。流石に驚いたな。まぁ、俺としてはいっこうに構わないんだけど……どうしてまた?」
「あぁ、すみません。聊か唐突でした。……実は、リツカから貴方は腕の立つ剣士だと聞きまして、居ても立ってもいられず……」
申し訳なさそうにそう言うアルの前で遥がふむ、と唸る。遥がよく知るアルトリアは冷酷なようでいて、その実常に自らを騎士王として律している――戦闘スタイルはともかく――が、アルは多少感情に従って行動するきらいがあるらしい。
だが、だからといってアルが自制心がないのかと言えばそれは否だ。要はサーヴァントとなったアルはアルトリアより『王』としての自分よりも『騎士』としての自分を強く自覚しているということなのだろう。故に遥が優れた剣士であると聞き、好奇心が沸いたのだ。
遥としても立香から優れた剣士として紹介されたのは素直に嬉しいところではあった。遥は自身を魔術師である以前に剣士として規定している。故に己の剣腕にも一定の自身を置いているし、事実として遥は素の状態でも上位の英霊に匹敵するだけの剣腕を備えている。英雄の基準から見ても遥は十分に強い。
特異点での戦闘では率先して前線に立ちサーヴァントと戦う遥ではあるが、彼らと戦うことができているのは肉体と同化している分霊の存在があればこそだ。だが、それも本来の使い方ではない。遥が自らの血に施した封印が解ければ遥は己の力だけで英雄を相手取ることさえ可能だろう。遥の血は西暦以後でこそ相当な
とはいえ、そんなことは今は関係がない。関係があるのはアルが遥に剣士として関心を抱いたという一点のみである。英雄に匹敵し得るだけの剣腕を備えたただの剣士と本物の英雄では格が違いすぎるが、それ以前にひとりの剣士として誘われたのならば遥に断る気は微塵も起きなかった。
無言のままでアルの前を離れると、遥はクローゼットを開けた。そこに収められている無数の武器弾薬や魔術道具の中から遥が取り出したのは、整然と並べられた武具の中でひと際丁寧に仕舞われ、鞘に納められた一振りの長刀。遥は与り知らぬことだが、それは沖田が夢に見た遥の記憶にて遥が振るっていた刀であった。
「それは?」
「天叢雲剣とは別に俺の家に継承されてる予備の刀だよ。特異点では叢雲しか使わないから失念しそうになるけど、叢雲は誰にでも使う訳じゃないからな。不用意に秘匿してる神秘を露呈する訳にもいかないし」
そう言いながら遥は鞘から僅かに刀を抜いた。部屋の明かりを受けて白刃が煌めき、それだけでアルが息を呑む。遥が予備の刀と言って取り出したその長刀は宝具でこそないものの、それに極めて近しい魔力と神秘を放っていた。
それもその筈である。天叢雲剣を使うに値しない場面で夜桜家の当主が使用し続けてきたその刀は長い間神代の魔術の加護を与えられたことで半ば神剣や聖剣、魔剣に近しい性質を持つに至っている。加えて元来持つ刀としての格自体も宝具になんら劣るものではない。
その刀に銘はない。だが俗世的な呼び名ならば存在する。その刀は歴史には語られず、而して確かに存在して夜桜家を支える一因を担ってきた。何代も前の、具体的に言えば鎌倉時代の夜桜家当主が当時の名工に依頼し、魔術的な支援を施して完成させた刀。――一般名詞的に言うならば、それの名前は〝正宗〟という。
仮にカルデアに刀剣オタクがいれば卒倒するかどんな大金をはたいてでも買い取ろうとするほどの価値がある日本刀だった。あまりに書物に記述されていないために明治時代には実在さえ疑われた名工の作品は、確かに現代でもこうして優れた剣士の手で脈動していた。
それを前にアルは確信する。遥は模擬戦だからうっかり殺したら不味いという理由で叢雲よりも格が低い正宗を持ち出したが、正宗は正宗で英霊を一撃で屠りうるだけの力がある。正宗は宝具ではない。聖剣でも魔剣でもない。けれどその刀はおよそ
正宗を見たまま何か言いたげな顔をしているアルを見て、遥が苦笑する。
「勿体ない……って思うだろ? 俺もそう思う。でもさ、俺に流れる血が言うんだよ。
「神剣の担い手……ですか」
「そ。ただ『使う』だけなら俺以前の夜桜家当主でもできたさ。同じ血が流れてるからな。でも『使いこなす』のはできなかった。それができるのは俺と……星の邪龍を斃した俺のご先祖様だけだ」
その言葉は明言こそしていないものの、遥の正体をアルに悟らせるには十分に過ぎた。けれど遥が明言を避けている以上はアルも無理に問うことはしない。代わりにアルは口には出さず、その血について考える。
アルの考えが正しいのなら、夜桜の血に含まれている人外の血は混血としてはおおよそ現代に残るものの中では最上級のものだ。本来ならば現代にまで残っている筈のないものではあるが、それは何かしらの魔術を使っていると見るべきだろう。それはいい。だが遥は魔術で多少血を封じているというが、果たしてそれは魔術で封印することができるものなのか。
だが遥に流れる人外の血に含まれる神秘は大半の魔術を凌駕する。今は封印できているのだとしても、いずれその封印が破られる時が来るだろう。命の危険を感じるか、理性を全て投げ出してでも身を窶したくなる激甚な憤怒によって限界にまで血が励起した時、遥に施された封印は意味を為さなくなるだろう。その時、遥は夜桜の血の本懐を取り戻す。
いや、既に遥はそれを取り戻しつつあるのかも知れない。担い手であるということもあるが、普通人間には神剣は扱えない。神剣は聖剣や魔剣とは格そのものの桁が違う。神剣とはその名の通り神の剣。その格は神の領域にあり、それ故に神剣は聖剣などとは一線を画す存在なのだ。仮にただの人間が振るおうものなら神剣の宿す神秘に耐えきれずに死ぬだろう。
それを遥が使いこなすこと自体は何ら反動はなくできている。それは遥が記録映像からアルのことを知っていたように、アルもまたそれを知っていた。礼装のひとつであるロングコートを着るなどして準備していた遥はアルが何やら黙考している様子であることに気づくと、自嘲するような笑みを見せた。
「……気づいた?」
「ええ。まあ。……すみません。邪推するつもりはなかったのですが……」
「構わねぇよ。この血があるからこそ今の俺があるんだから。……あぁ、そうだよな。俺は人間じゃないんだよ」
「え……?」
半ば独白めいた遥の言葉にアルは反射的にそう言葉を返した。けれど遥はそれには答えず、茫洋とした視線で何処かを見つめている。その目に映っているのはこの遥の部屋ではなく、どこか別の場所であるようでもあった。
ありえない筈の血。在り得べからざる血。如何なる方法によるものか、それを維持し続けた一族の出であることを普通の魔術師であれば誇りにし、驕り高ぶるのだろう。そうして協会に目を付けられ、数多の犠牲を出した果てに封印指定となるのだ。
遥がそうならないのは遥自身が協会とは利用し利用される関係にあるからでもあるが、何より遥の後見人の権力によるものである。両親の死後、何のつもりか縁も所縁もない遥の後見人になったのはかの
とはいえ、その宝石翁の恩恵も遥にとっては有難迷惑であるのかもしれない。いっそのこと協会から狙われ、世界各地で連日連夜封印指定執行者と戦闘を繰り広げる日々にあった方が良かったのかもしれない。それの方がまだ簡単に諦めが付いた。自分は人間ではないのだと。自分は決して人間の世界にはいられないのだと。それができなかったから、遥は『
遥は知らぬことだが、とある魔術師の妻はこう言う。『魔術師の家庭に俗世で言う幸せを望んではならない』と。それは尤もだ。ある意味、遥はそれを体現している魔術師であるとも言える。遥は生まれてから両親が殺されてからの数年間に感じた『幸福』を心の底に押し込めている。そんなもの、覚えていたところで辛いだけだ、と。故に遥は世にいう幸せというものを知らない。知ってはいてもそれを幸せと認識しない。それは遥は今の己を否定することになる。
仮に遥がかつての己を振り返り、そこにあった幸せを思って両親を悼む日が来るとすればそれは遥自身が家庭を持った時だけだろう。尤も、遥はそんな望み、とうに棄てているのだが。――その独白を最後まで黙って聞いていたアルは、最後に大きなため息を吐いた。
「……ハルカ。それは私ではなく、沖田や黒いジャンヌに言った方がいい。貴方は内心を吐露する相手を間違えている。それは誰にでも言っても良いものではありません」
「え? 沖田かオルタ……? なんで?」
遥は純粋な疑問を宿した表情でアルを見ている。それにアルは失望も呆れもしなかった。彼女の内心にあるのは、遥が他の魔術師然とした魔術師とはいささか毛色の異なる魔術師であるという評価だけだ。
アルが沖田とオルタを例に出したのは何ということはない、ただ彼女らが遥に対してある程度の好感を抱いているのが分かるからだ。ふたりとアルは話したことはないが、映像を見ているだけでも分かる。それは愛だとか恋と言うにはかなり足りないものではあるが、十分それらになり得る類の感情ではあった。
生前、アルの周囲にいた男たちは皆好色だった。ランスロットやトリスタンは言わずもがな、ガウェインもそうであったきらいがある。恐らくあまりそういうことに走らなかったのは真面目なベディヴィエールやそもそも女嫌いのアグラヴェインくらいだろう。故にアルにはわずかに優れた剣士にはどこか好色の気があると思っている節があった。そうでなくても遥は魔術師である。サーヴァントをただの使い魔と見なす魔術師であれば、サーヴァントを性欲の捌け口に使う者もいるだろう。
アルは内心で密かに遥に対する評価を上方修正した。立香が凄い剣士だだの相棒だのと言っていたからある程度の信頼が置ける人物だとは思っていたが、アル自身の目で見て彼女は遥に対して一定の信頼を持つに至っていた。
「……まあいいでしょう。それよりも……私との立ち合い、受けてもらいますよ」
「あぁ、本題それだっけ。いいぜ、やろう。俺も、この頃溜まった鬱憤を晴らしたいんだ」
そう言葉を交わしてふたりは笑みを覗かせる。それは或いは戦友となり得る者にのみ向ける剣士の笑みであった。
「――――フゥ……」
数十分もの間絶え間なく続いていた報告が途切れた間に古代ローマ帝国第五代皇帝たるネロ・クラウディウスは大きなため息を零し、こめかみを抑えて玉座に座り込んだ。普段は皇帝として気丈に振舞っているが、今だけはそんなネロをして平時の気丈さを失うほどに疲弊していた。
ここは西暦60年の古代ローマ帝国、その首都であるローマに聳える王城の王の間である。本来の歴史であればネロ自身による基督教徒への迫害などローマ帝国内部で湧き出る問題以外はこれといった問題のない〝
その問題の大きさたるや、ネロの持病である頭痛がさらに悪化するほどである。その問題とは唐突にこの時代に蘇った歴代ローマ皇帝らによる〝連合ローマ帝国〟の出現とそれによるローマ帝国の侵略――だけではない。それも重大な問題であるが、ネロの目先に迫っているのはそれだけではなかった。
連合ローマ首都と目される土地に屹立する
不幸中の幸いと言うべきはローマに迫るその勢力がローマ近くにまで来ていた連合ローマの勢力を一掃してくれたことか。無論何も安心できることではないのだが、ふたつの勢力が手を結ぶことはなかったのは数少ない安心材料ではあった。
連合ローマと同じく、その勢力は最近になって唐突に表れた。加えてどれだけ斃しても一向に数が減らないときている。摩訶不思議とはまさにこのことであろう。加えてそれの首魁が死んだと聞かされていた者であるのだから、異様もここに極まれりだ。
ローマに現れた〝第三勢力〟とでも言うべきそれらはローマ人以外の数多の部族によって構成された蛮族の軍。しかし蛮族であるというのに奇妙なほどに統制が取れており、連合ローマ軍・ローマ軍共に手を焼いている状況であった。だが考えようによってはその事態を引き起こしたのはネロ自身の不徳の致すところでもある。
ネロは高飛車で傲慢かつナルシストであるが、他人と自分の違いを明確に分かる、所謂天才とされる人間でもある。そんなネロをして留められなかった現地総督による
そうしてさらに渋面を深くするネロの脳裏を過るのはローマを蹂躙する蛮族の主の姿。恩讐の呪いを撒き散らし、黒衣を纏う
「――ブーディカ……」
一応弁明致しますと、遥は鈍感ではないんですよ。ただ自分が幸せになるということとそれに付随する事項を諦めきってるだけで。