Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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以前から読んでくださっている方は分かっていると思いますが、タマモは断じてヒロインではありませんので悪しからず。強いて言えば保護者です。


第47話 少年は、冠位を有する者と出会う

 気づいた時には既に、遥は夢を見ていた。夢を夢と自覚できるというのも奇妙な話であるが、遥はそれを契約下にあるサーヴァントの記憶を覗き見るという形で一度だけ体験しているが故に比較的容易に自覚できたのである。尤も、それがそれまでのそれと聊か異なることに気づいたのは少し後のことであったが。

 前回エミヤの記憶を垣間見た際はその直前の記憶が欠落していたが、それは意識を失う前の遥の行動が原因だ。故に遥が気づいたのは直前の記憶の有無ではない。今回のそれは記憶の主と遥の視点が同一化しているうえ、そもそも遥と契約しているサーヴァントの記憶ではなかった。

 或いはそれは、アルテラとの戦闘の最後に分霊との同調を限界以上に引き上げたためのものかも知れない。遥が見ているものは遥かな太古であり、天叢雲剣に宿る記憶であり、遥自身の記憶でもあった。肉体と同化する分霊の記憶を遥のものと定義するのは聊か語弊があるかも知れないが、その性質上、それは遥の記憶でもあるのだ。

 ――この世に生まれ、自己というものを認識したその時から『彼』は己の在り方に疑問を持っていた。それは何も己が生まれたことを憂いているのではない。ただ『そう在れ』と望まれたカタチを受容することを善しとしなかったのだ。

 だが彼がそれを明確な言葉として表すことができなかった。だからと言って周囲に打ち明けるような相手もいない。彼には父の他に姉と兄がいたが、彼以外に自分自身の在り方に疑問を持っていなかったのである。彼らを観察したところで、分かることなど自分が周囲とは致命的なまでにズレているということだけだ。

 だからこそ、ただ彼は考えた。幸いと言うべきか、彼が統治を任された場所に人間たちは住んでいない。故に彼には考えるための時間だけは豊富にあったのである。己の定義を再考するための思索に、有り余る時を費やす。それは彼にとっては非常に重要なことだった。尤も、彼にとっては重要でも他者にとってはそうではないのだが。

 何を下らぬコトを、と彼を最初に嗤ったのは彼の兄だった。彼は初めはそれに憤ったものの、考えてみれば当然のことなのだ。兄を含め彼の同族は皆、自らが今のように在ることに何の疑問も持っていないのだから、彼の思いを理解できないのも自明だ。思えば、彼と兄の確執はそこから始まったのかも知れない。

 しばらく考えて分かったことは結局、考えても答えは出ないということだった。彼の中にある違和感は思索によって解き明かされることはない。それでも諦めきれなかった彼は次に、己に欠如しているものを探すことにし、初めに見つけたのは母の存在だった。

 彼ら姉弟には父はいても母がいなかった。早くに死んだのではない。彼らの母は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのため、彼は母の名は知っていても顔も声も知らなかったのだ。そして、彼は彼の行動を怠慢と断じて諫めに来た父に言う。

 

 ──父上。母上に、合わせて頂けませんか?

 

 己が父に向けた願いと言うにはあまりに他人行儀な声音であった。しかしそれも致し方ないことではある。父は彼に家族としての情を向けたことがなかったのだから、自然、彼の態度もそうなってしまう。

 家族を恋しく思う感情は遥にも覚えがある。記憶の主と少し境遇は異なるが、遥もまた両親を早くに亡くした身の上である。今は姉と見なす者はいるが、それまでは本当に天涯孤独だったのだ。そういうものと諦観するまでは、何度亡き両親を思って泣いたか知れない。

 遥と記憶の主の眼前で、父なる者は驚愕に目を見開いている。父も彼がどこかおかしいとは分かっていたが、よもや死した者に会いたいと言い出すとは思っていなかったのだろう。

 しかし死者に会うことも神代においては不可能ではないのだ。この時代の日本は未だ黄泉の国と繋がっている。神代日本における冥界たる黄泉の国にさえ行けば、生者だろうが死者と会うことができる。黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)さえ犯さなければ戻ってくることもできるのだ。

 それでも父は首を縦に振ろうとしない。訝しむようにしばらく彼を見つめ、そして口を開き――その瞬間、豪放な声が遥の意識を現実に引き戻した。

 

「――うむ。いかにも、余こそがローマ帝国第五代皇帝たるネロ・クラウディウスである!」

「……ん?」

 

 遥が目覚めたのはまたしてもタマモの膝の上であった。初めはそれに戸惑ったものの、二度目ともなれば多少は慣れるものだ。そもそもタマモが遥にそう接するのは弟たる遥を大切に思い、けれど距離を測りかねているが故の結果なのである。それを恥ずかしがることはない。

 取りあえずはタマモの膝から頭を離して周囲の様子を確認する。今、遥たちがいるのはローマ軍の軍勢後方を走る戦車(クアトリガ)の御者台の上。周りにいるのはタマモと立香、そしてネロだけで、他のサーヴァントたちはローマ兵たちと共に哨戒に当たっている。

 急に叩き起こされたためか意識にまとわりつく粘つくような不快感を、遥は頭を掻いて払い落とした。タマモは不意の大声に叩き起こされた遥の様子に苦笑していたものの、すぐに居住まいを正す。そんな彼らの前で、ネロが口を開いた。

 

「む? 起きたか、剣士よ」

「アンタは……ネロ帝か。えっと……今、どんな状況なんだ?」

 

 周囲の様子から現在の状況を推理することはできても、流石にそこに至るまでの経緯全てを類推できる訳ではない。さしもの遥といえど一を聞いてもいないのに十を知ることはできないのだ。その問いに答えたのはネロや立香ではなく、タマモであった。

 タマモ曰く、軍神の剣(フォトン・レイ)の真名解放とそれに匹敵する天叢雲剣の魔力解放の余波を受けた遥はその衝撃を受け、それまでのダメージもあって限界を迎え気絶。対してアルテラは全身血濡れになりながらも意識を保っており、遥に止めを刺そうとしたのだが、それを沖田たちが食い止めたことで不利を悟り撤退。意識を失った遥は立香たちとの合流時にローマ軍に回収され今に至る。

 話を聞いてふと身に纏うロングコートに視線を遣れば、至る所に穴が空いていた。夜桜の魔術によって礼装として機能しているためにその程度で済んでいるが、ただの服であれば今頃は丸裸になっていただろう。

 そうなってしまった自分の姿を想像して遥が場違いにも薄い笑みを浮かべた時、遥は不意に背中に重みを感じて視線をそちらに遣った。そこにいたのはタマモ。その細腕は遥の胴に回され、微かな体温が伝わってくる。

 

「もう、本当に無茶して……あまりお姉ちゃんを心配させないで下さいね……?」

「……あぁ。ごめん、姉さん」

 

 そう言葉を返し、遥はタマモの手を握る。その胸中を占めるのは或いはその思いに応えられないかも知れないという後ろめたさと以前にも感じて強烈な罪悪感。それらは自身の裡から湧き出たものであり、同時に遥と同化する分霊から押し付けられたものでもあった。

 ある意味では倍増しになっているとも言える強烈な感情に晒されながら、遥は思う。恐らくは遥の肉体に宿る者は相当な姉至上主義者(シスコン)だったのだろう。遥に押し付けられる感情は絶対に恋慕ではなく、むしろ崇拝や畏怖に近い。無論家族愛も相当なものだが。

 遥の裡にいる者はタマモの内に別な、けれどタマモ自身でもある者を見ている。タマモもまた、遥を通じて遥自身でありながら同時に遥ではない者を見ている。真正の家族と言うにはあまりに歪な在り方だ。互いが互いを見ていながら、同時に別な者を見ているのだから。

 それでも遥はその関係性が嫌いではなかった。互いに別人を重ねていても、決して互いを見ていない訳ではないのだから。確かに両者を見て大切に思っているのなら、それで十分なのである。

 何も言わず、遥とタマモは互いの手を握る。直接触れ合う手から伝わる体温がこの上なくタマモの存在を遥に意識させ、諦観と憤怒に凍り付いた遥の心を溶かしていく。どれほどそうしていたのか、その空気を打ち破ったのはネロの咳払いであった。

 

「其方ら……姉弟仲が良いのは良きことだが、周りのことも考えて欲しいものだな」

「うっ……まさかネロさんに注意される日が来ようとは……このタマモ、一生の不覚です……」

 

 呆れ顔のネロに対し、本当に悔しそうな表情でタマモが小さく呟く。その言葉の真意は遥には分からないものの、少なくともタマモにはネロに対して少なからぬ因縁があることは理解できた。

 実際のところ、タマモは〝月の聖杯戦争〟での出来事の委細を覚えている訳ではない。それらはあくまでもカルデアの召喚システムが内包する不完全性が齎す残滓のようなものであって、本来は引き継がれるものではないのだから。それ以前に今この場にいる彼女らはムーンセルに召喚された彼女らとは同一人物の別人なのだ。故に、本来ならその面影を重ねるのは間違っているのだろう。

 しかし、致し方ないことでもある。朧気であるとはいえムーンセルでのことを覚えている以上、タマモにとっては大切な思い出であるのだから。引きずられてしまうのも当然の話だ。

 一種の郷愁にも似た思いをタマモが抱いているとは露ほども思わず、しかしネロはタマモに対して奇妙な感覚を覚えていた。色々と気が合う筈なのに、何かひとつが致命的に噛み合わない相手のような。その感覚を振り払い、ネロの表情が皇帝としての威厳あるそれに立ち戻る。

 

「オホン……剣士よ、まずは先の働き、大儀であったぞ。誉めて遣わそう」

「在り難き幸せ……とでも言っておけば良いのか? 悪いな、誰かに褒められるのって慣れてなくて」

 

 そう言う遥は本当に照れ臭そうで、それを紛らわすように遥は無造作に頭を掻いた。基本的に遥は少々人間不信のきらいがあるが、彼は聡明であるが故にネロの賛辞が嘘ではないとすぐに分かったのである。

 遥は大体のことなら人並み以上にできる、所謂天才の類に属する男だ。そのうえ遥は凡人でさえ天才を凌駕し得るだけの努力を重ねてきた。要は元から天才でありながら同時に常軌を逸した努力家であるのが遥なのだ。

 だがそれだけの能力を持っていながら、遥は両親を喪ってからは常に独りであったために誰かに褒められたことが殆どない。精々小中高の教員から勉学の出来を褒められたくらいか。ある意味ではそれが遥の努力に拍車を掛けたとも言えるだろう。誉められることがないため、遥の努力には果てがいつまでも来ないのだ。

 とはいえ、褒められたからと言って遥の努力に果てが来るのかと問われれば、それは否だ。褒められたらそれはそれでやる気を出してしまうのが遥だ。要は理屈云々は抜きにして、自分自身を追い込むのが好きなだけなのだ。

 

「して、其方の名は何という?」

「俺の名は夜桜遥。ただの剣士であり、魔術師だよ。ネロ皇帝陛下。あぁ、でも、人間ではないけどな」

「なんと……! 何かただならぬ気配を纏っているとは思っていたが、そういうコトか……!」

 

 少々大仰で芝居がかった口調でそう言いながら、ネロは遥をまじまじと見ている。関心と興味に翠緑の瞳を爛々と輝かせながら遥に近づくネロ。前かがみになったことでただでさえ大きく露出した胸がより強調され、反射的に遥が距離を取る。

 本能的に吸い寄せられてしまいそうな視線を感情で必死に抑えつけながら、遥の理性は全く別の方向を向いていた。関心を抱いたものに何の警戒も持たず、相手との距離を急速に縮めようとする。まるで子犬だ、と遥は思う。相手との距離の詰め方が極端に速い、遥が苦手とするタイプだった。

 しかしその手の人間に対しては珍しく、遥はネロに悪い印象を持っていなかった。恐らくはネロが持つ天性のカリスマ故だろう。ネロは自儘な行動をしてはいるが、相手の踏み込んではならない領域を知っているのだ。

 それは分かっていても、遥のそれは性分であるから仕方がないことだ。遥は魔術師としては異常なほど初心であり、あまり女性と関わりを持とうとしない。そして初対面から遠慮なしに距離を詰めてくるのはネロが初めてのことであったために遥がどうしたら良いか分からずにいると、タマモが遥からネロを遠ざけた。それと殆ど同時に遥の許に念話が飛ぶ。

 

『マスター、聞こえているか?』

『アサシン。どうした、敵襲か?』

『あぁ。恐らくバーサーカーのサーヴァントだろう。一直線に本隊に向かっている。僕単独では十分に足止めできるか分からない。誰かひとり寄越してくれ』

『了解。じゃあ俺が――』

 

 行く、と続く筈だった遥の言葉が唐突に止まる。喉につっかえたその言葉は出てくることなく、そのまま飲み下されて胸の中で霧散してしまう。代わりに出てきたのは、沖田を向かわせる、という一言だけ。

 遥の脳内で反響するタマモの言葉。あまり無茶はしないで、というそれを遥はごく自然に反故にしようとしてしまった。仲間たちに任せるという発想に至らず、自ら打って出ようとしたのだ。

 非道い奴だ、と遥が自嘲する。同時に感じたのは圧倒的な閉塞感。それが齎す強烈な息苦しさはさらに寒気を呼び込み、遥は思わず軽く自分の身体を抱いた。

 

「……遥?」

「何でもない。……あぁ、何でもないんだ」

 

 立香の呼びかけに答える声もどこか上の空で、その変化を感じ取ったタマモとネロもまた遥に視線を遣る。しかし遥はそれにも気づかず、自嘲的な笑みを浮かべたまま蒼穹を見上げている。

 アサシンに応援を求められた時、無意識的に自分が出ようとした遥の行動。それは何も遥が戦いたいがためのものではなく、半ば反射的な無自覚の行動だった。そしてそれは無自覚の行動であるが故に、遥の本心を表しているとも言える。

 つまるところ、遥は仲間たちを完全には信頼していないのだ。だからこそ〝他の誰かに任せるよりは自分がやった方が確実だ〟と判断してしまう。口ではどんなことを言おうと、顔にどんな表情を浮かべようと、心の底では常に相手を疑っている。それを事ここに至り、遥はようやく自覚した。いや、違う。自覚していて、今までは気づいていない振りをしてきただけなのだ。自分さえも騙して。

 平然とそんなことができる自分に嫌気が差す。自覚していながら目を逸らしていた自分に腹が立つ。だが何を遥が思おうと、遥が〝嘘を吐いた〟という事実に変わりはない。

 そんな遥の内心などお構いなしに、軍は一路首都ローマへと帰っていく。その中で、今代の尊厳なる者(アウグストゥス)だけが何かを悟ったかのように遥を見ていた。

 

 

 

 全ての道はローマに通ず、という言葉がある。これは17世紀を生きたフランスの詩人ラ・フォンティーヌの言葉であり、厳密に言えば古代ローマの栄華を讃えたものではない。しかし遥たちが見た首都ローマはその言葉を思わずローマの栄華を讃えたものと勘違いするほど華やかな都市であった。

 相手は正しく国家ではないにせよ仮にも戦争中であるのに人々はそれをものともしない活気に満ち溢れ、この時代の世界の中心都市であるだけあって様々なものが流れてきている。これで同時代の日本では古墳すらもできていないというのだから、ひどい文明格差もあったものである。

 やはり何より驚くべきはその建築技術であろう。ヨーロッパと言えば石材建築のイメージがあるがそれは中世からの話であり、この時代のローマ帝国においては〝ローマン・コンクリート〟というコンクリート建築が主流であった。実際、王宮までの道のりにはローマン・コンクリートによるものと思しき建物がいくつもあった。

 そしてもうひとつ遥たちを驚かせたのは、あまりのネロの人気ぶりであった。街路を通りがかる度に民衆から向けられる歓声と畏敬は皇帝らしくもあり、同時にアイドルのようでもあった。

 そうして王宮にまで案内された遥たちは各々部屋を与えられた上に立香は『総督』としての地位を、遥は『傭兵隊長』としての地位を与えられた。ひとえに指揮能力の差と戦闘での在り方の違いによる判断である。元より指揮能力は立香の方が上であることに加え、敵と真正面から戦う遥ではどうしても視野が狭くなる。故により強い権限は立香に与えた方が有効に働くのである。

 そしてカルデア実働部隊の歓迎の宴の準備が終わるまでの数時間の自由時間。遥は衛兵に案内されてローマ王宮の厨房へと向かっていた。というのも、この王宮まで戻る間にネロが気に入った林檎があり、それに興味を持った遥が皇帝への献上品を作るという名目で厨房を使わせてもらえることになったのだ。

 

(それにしても、料理長に話を通しておくって言った時のネロ、妙にニヤニヤしてけど何かあるのか……?)

 

 先程厨房を使うための許可を貰おうとした際の妙なネロの笑みを思い出し、遥が首を傾げる。そもそも皇帝自身が料理長に話を通すということ自体が妙なのだ。皇帝と料理長が対等である要因として考えられるのは、その料理長がサーヴァントであることくらいか。

 首都ローマに到着してから判明したことだが、既にローマ軍には聖杯によって召喚されたカウンター・サーヴァントが数騎、客将として集結していた。そのサーヴァントが料理長であれば、対等であることもあるだろう。

 英霊が料理長というのも奇妙な話だが、遥はエミヤやタマモといった料理を得意とするサーヴァントを知っている。彼らほどの腕前を持つサーヴァントであれば、料理長に任命されてもおかしくはない。遥がそんなことを考えているうちに厨房に着いたらしく、衛士の足が止まる。

 

「着きました。ここが厨房です、傭兵隊長殿」

「あぁ。ありがとう」

「いえ。陛下からのご命令ですので、礼を言われるようなことはありません。では」

 

 それだけ言って、衛士は遥の許から去っていく。その声音に剣呑な響きがあるのは、恐らくカルデアへの好待遇に抱く不満のためだ。故にこそ、遥は何も言わない。いくら味方を助けた相手とはいえ、得体の知れない異邦人を疎ましく思うのは当然のことだ。加えて〝傭兵隊長〟などという怪しい肩書付きなのだから。

 とはいえ、それを気にしていても何も始まらない。こういう時、立香ならどうするのだろうか、という疑問も遥には何の益も与えない。異邦人を嫌うのは人間の本能のようなものだ。その嫌悪感に理由などない。遥は一度ため息を吐き、自分の両頬を叩いて意識を切り替える。

 今、厨房ではカルデア実働隊を歓迎するための宴の準備が進められているだろう。そのため遥が使えるのはほんの一角のみだが、遥はそれだけで十分だった。何故なら、遥の真の目的は林檎スイーツを作ることよりも古代ローマの料理人からその技術を盗むことにあるのだから。

 そう。これは好機(チャンス)なのだ。古代ローマの料理人からそのレシピと技術を盗み取り、その知識を元に現代にてその料理を再現するための。そうやって気を取り直し、厨房に足を踏み入れ――遥は、奇妙なナマモノを見た。

 

「――!? 何だ今の」

 

 反射的に廊下と厨房を隔てる壁に身を隠しながら、遥が呟く。眉間を摘まんで目を強く瞑るがしかし、別に目が疲れている訳ではないからか涙は出ない。そうして遥は何度か深呼吸をして、しかし先手を打たれてしまう。

 

「何をしているのだ?」

「わひっ!? 2Pカラー!?」

 

 果たしてそこにいたのは遥が契約している玉藻の前とよく似た、しかし決定的に色々と異なるサーヴァントであった。まず両手に猫の肉球を模した手袋をしている。髪型はタマモのツインテールと違ってポニーテール。着物の色は赤だ。遥が2Pカラーと言った由縁である。

 だが何より遥、というよりも遥に宿る分霊が戸惑っているのはそのサーヴァントが纏う気配がタマモのそれと殆ど同一であることだった。その違いと言えば、こちらの方が少々野性的な気配がすることくらいか。

 遥を見上げるその瞳に理性の色合いはなく、しかし正統なバーサーカーのような狂った獣性は感じられない。あくまでもこのサーヴァントの野性的な気配は狂化によるものではなく自身の裡から湧き出たものであるらしい。

 冷静なのか否か自分でも分からないまま、遥は眼前のナマモノを分析している。対してそのナマモノは感情の読めない瞳で遥を見つめていたと思いきや、急に遥の胸倉を掴みあげた。

 

「えっ……」

「おまえから主人格(オリジナル)のニオイがするっ! よぉし、サインを貰ってくるか。……その後で血祭にする。本当の酒池肉林をお見せしようっ……!」

「はあっ!? ストップ、ストップ!」

 

 意味の分からないことを叫んだと思えばどこかへと走り去っていきそうなナマモノ。それに即座に対応して咄嗟に帯を掴んで止めることができたのは、流石の反射神経と言えるだろう。どこか使い道を間違えているような気がしなくもないが。

 主人格(オリジナル)という発言、そしてこの容姿。遥自身、考えていなかった訳ではないがどうやら本当にこのナマモノは『玉藻の前』であるらしい。だがタマモの逸話にこのようなふざけた一面があるなどとは聞いたことがない。

 凄まじい力で引っ張られる身体を魔術で強引にその場に固定し、踏ん張る遥。だが不意にその手に掛かる力が弱まる。驚いてナマモノを見れば、着物が開けて見えてはいけない所まで露出しているのを、着物の腕部で隠していた。

 

「なっ、なぁっ――!」

「このようなやり口で強引に脱がせるとは……なかなか大胆なのだな、我が弟よ。まぁ今は直接的な血縁があるワケでなし、応じてやるのも吝かではないが……」

「ンなワケあるかッ!! 俺にその手の趣味はねぇ!!」

 

 最早ノリが違い過ぎて何を突っ込んで良いのか分からなくなっている遥。どちらにせよ遥には女性経験などというものは皆無であるため、ノリがあったとしても適切な突っ込みができる筈もないのだが。

 ナマモノの調子に呑まれているからか、或いは遥自身も本能的に感じ取っているのか、ナマモノが〝我が弟〟と遥を称しても遥は何も言わない。分霊が同化するどころか浸食している遥にとって、タマモ及び同じ霊基のサーヴァントは長姉であるという認識は当然のものとなっていた。

 だが、理性では未だに納得できていない部分もあった。それはそうだろう。タマモの逸話をどう解釈すれば、どういった角度から見れば、手に肉球付きの手袋をした獣性全開の状態となるのか。こめかみに手を遣って顔を顰めながら、遥が問う。

 

「で、アンタの真名は? てか、本当に『玉藻の前』なのか?」

「応さ。アタシは野性の獣〝タマモキャット〟! よろしくな。……それで、ソチラの今生の名は?」

「――今生……ね」

 

 厳密に言えば、遥は彼の肉体に宿る分霊の転生体ではない。ナマモノ、もといキャットの問いに遥が戸惑いと自嘲の笑みを見せたのはそれが原因だった。今生と言われても、キャットの言う前世は遥のものではないのだ。

 しかし完全にそれそのものでないかと言えば、それも違う。元より遥は人間の血が混じった状態で分霊の本体(オリジナル)に近づくように調整されているうえ、その人間の血も徐々にその特性を上書きされつつあるのだから。

 

「……まあいい。俺の名は夜桜遥。よろしく、キャット姉さん」

「応ともさ」

 

 快いその返事と共にキャットが遥に向けて手を差し出す。一瞬その意図を判じかねた遥であったが、すぐにそれを了解してキャットの手を握り返した。その接触によってふたりの間に契約が結ばれ、経路(パス)が繋がる。

 遥から繋がったふたりの〝玉藻の前〟への魔力のパス。それを逆流して伝わってくる思いは決して不愉快なものでなない。むしろ嘗ての遥が狂いそうなほどに焦がれ、そして諦めてしまったものだ。それが今、確かな実感としてある。

 だというのにどうしてかそれに罪悪感を覚え、遥は少しだけ顔を顰めた。

 

 

 

「――ん……? ここ、どこだ……?」

 

 遥がバーサーカー〝タマモキャット〟と出会い、契約を交わしたのと殆ど同刻のことである。気づいた時には覚えのない場所に立っていた立香は、周囲を見渡してそう言葉を漏らした。

 その場所は一面の花畑であった。名前も知らない、それどころか見たことさえもない可憐な花々が咲き乱れ、花弁がそよ風に乗って世界に満ちている。現状、立香が身を置いているローマの乱世とはおおよそ懸け離れた、謂わばそこは〝理想郷〟であった。

 しかし立香は一切警戒を怠ることはなかった。いくら見た目には平和であるとはいえ、実際はそうとは限らない。この光景も幻術で見せられているだけ、という可能性も否定はできないのだ。全身の魔術回路に魔力を回し、腰に帯びたファイブセブンの銃把に指を絡ませ感覚を研ぎ澄ませる。

 或いは、気づかないうちに立香自身がこの場に来ていた可能性――絶対にない、と立香は判断する。立香はこの場所を知らないし、何より直前まで立香は自身にあてがわれた部屋で眠っていた筈なのだ。よもや唐突に夢遊病を発症し、誰にも気づかれないままローマを出て知らない場所に辿り着くなど有り得まい。

 何も分からない状況の中でひとり、立香は立っている。そして、不意に孤独感と心細さを押し殺して周囲を警戒する立香の耳朶を知らない男の声が打った。

 

「おや、本当にいた。私の方から干渉してもいないのにここに来るとは、何て運だ! いや、悪運と言うべきかな?」

「ッ――!?」

 

 声が聞こえてきたのは立香の背後、それもすぐ近くであった。周囲を警戒していたにも関わらず一切の気配もないままに接近してきたその相手に対し慣れない動作でファイブセブンを抜こうとして、立香は更なる驚愕に見舞われる。

 ファイブセブンがない。先程までは確かにホルスターに収まっていた筈のそれが、いつの間にか忽然と消えていた。サーヴァントがいない状況下では最後の生命線である装備の消失に、立香が息を呑む。

 けれどそれで立香は生存を諦めるほどヤワな男ではない。この状況でも立香の脳は高速で回転して生存のための一手を見出そうとして、その直前で、その男が愉快そうに見ていることに気づいた。

 

「……え?」

「ん? もう良いのかい? 私としては、もっとキミの様子を観察しても良かったんだけど」

 

 奇妙な出で立ちの男であった。白と青が混在する流麗な髪は地面に着きそうなほどに伸びており、顔には表情には感情の読みにくい笑みが浮かんでいる。身に纏うのは純白のローブ。手に執る魔杖からは素人の立香でさえ知覚できるほどの魔力が放たれている。

 悪人ではない。直感的に立香は悟る。けれど善人でもない。男の薄い笑みは端正な顔をした穏やかな人間が浮かべる平均的なそれであったが、そこにはおおよそ全ての笑みにある筈の人間性というものが完全に抜け落ちていた。

 そもそもこの男は純粋な人間なのか。遥やクー・フーリンのような半人の存在を知るが故に、立香は自然とそういうものへの嗅覚を身に着けていた。その感覚が立香にこの男が人間ではないと告げている。そのまましばらく立香がそうしていると、先に男が口を開いた。

 

「そんなに警戒しないでくれたまえ。何しろここに人がくるのなんて滅多にないものでね。性に合わず、はしゃいでしまった」

「はぁ。それで……此処は何処なんですか? 貴方がオレをここに?」

「そんな同時に聞かれても、一度には答えられないよ。だから順番に答えていくとしよう。

 まず、ここは〝アヴァロン〟。人理から隔絶された妖精郷さ」

 

 アヴァロン。その単語を聞き、立香は眼前の人物が誰であるかにようやく気が付いた。アヴァロンとは即ち、アーサー王伝説においてアーサー王が死後に招かれるとされていた理想郷の名だ。だが現実にはアルトリアは世界と契約を交わして英霊となり、理想郷には未だ至っていない。

 アルトリア不在のアヴァロンに存在し得るアーサー王伝説の登場人物となれば、ひとりしかいない。アルトリアを王として仕立て上げた張本人にして、彼女を導いた宮廷魔術師。世界有数のキング・メイカーである半人半夢魔の男〝アンブローズ・マーリン〟。

 マーリンは立香が彼の正体に気づいたことを知ってか知らずか、相も変わらず感情の読みにくい笑みを湛えている。それでもはしゃいでいるのは本当なのか、心なしか楽しそうではあった。

 

「次にふたつめの質問に答えよう。確かに私はキミたちのファンだが、直接招いてまで会おうとは思わない。きちんとマナーとモラルを守るファンだからね、私は」

「ファン……?」

 

 マーリンの言葉に混じる違和感。立香はマーリンとは面識もなければ、一緒に行動したこともない。だというのにマーリンの口ぶりには、まるで立香たちの道程を見てきたかのような響きがあった。

 いや、事実見ていたのだろう。人類史における最高位の魔術師であるマーリンは〝現在〟を悉く見渡す千里眼を持っているという。それが人類史の白紙化という例外的事項の影響で過去の出来事である特異点まで見渡すことができるようになったのだろう。

 そこまで分かっても、肝心の立香がここへ来た原因が分からない。しかしマーリンには心当たりがあるようで、少々納得していない様子ながらそれを口にする。

 

「恐らくキミがここに現れた原因のひとつはキミの体内にある鞘だろう。……時にマスター君。夢を通して別な場所に来た経験はあるかい?」

「いえ……ないです」

「そうか。じゃあこれが初めてというワケだね」

 

 マーリンが言うところはつまり、立香には未だ判明していない〝夢を通して意図しないままどこかに現れる〟という能力或いは体質があり、それが立香の体内にある〝全て遠き理想郷(アヴァロン)〟という縁を通じて立香をこの場所に導いた、ということである。

 何の根拠もない、仮定に基づく推測だ。しかしその推論には不思議と説得力があった。そもそも、この状況を可能な限り納得できるように説明するためにはそうとでも考える他ないというのもある。

 魔眼に特異体質にと人理修復が始まってからというもの、立香は自分自身ですら分かっていなかった秘密が次々と判明している。自分のことさえ全て把握できていなかったという事実は薄ら寒くはあるものの、今まで知らなかった世界に入り込んだばかりの立香にとっては大した話ではないように思えた。対照的にマーリンはその仮説を非常に重く見ていたが、それは今気にしても仕方のないことではある。

 

「それで、貴方はマーリン……ですよね?」

「うん、そうだよ。私は〝花の魔術師〟マーリン。私の方から名乗ってもいないのに、よく分かったね?」

「だって、アヴァロンに人がいるとすればひとりしかあり得ないじゃないですか」

 

 立香がそう即答すると、何が面白いのかマーリンは巨大な笑声をあげた。立香が目を白黒させる前で、マーリンはやはり違和感のある笑みを見せて「そうだった! 私としたことが、忘れていた!」などと言っている。

 アヴァロンは人理より隔絶された異世界である。或いは立香が生きる世界のどこかに出入り口があるのかも知れないと立香は思ったが、先のマーリンの口ぶりからするにそれもないらしい。つまり元からこの世界に住む妖精を除けば、この世界にはマーリンしかいない筈なのだ。

 爆笑するマーリンを呆れ顔で見上げる立香。だが不意に、その身体が淡い光を放ち始めた。同時に急速に全身の感覚が遠ざかっていく。その様子を見咎めるや、マーリンが言う。

 

「おや、もうお目覚めかな? まあいい。これでキミと私の縁は繋がった。気まぐれで私が夢に訪れた時はよろしく。……そうだなぁ、その時は――」

 

 そこでマーリンは一端言葉を区切ると、少し考えこむような仕草をしてから魔眼殺し越しに立香の目に手を翳した。そして立香の意識が妖精郷から引き戻される瞬間、言葉の続きを口にする。

 

「――その〝眼〟の使い方でも教えてあげよう。なに、安心するといい。なんたって、私は英雄作成のプロだからね」




次回は多分風呂(テルマエ)回です。男衆の。

この小説での立香の設定をまだ書いていなかったので、この場を借りて。若干本編に関係ない設定もありますが、そこはこの小説での立香の個性ということで。

藤丸 立香
年齢:18歳 身長:172㎝ 体重:59㎏
特技:対人関係構築、楽器演奏、作戦立案、忍耐
好きなもの:カルデア料理班(遥、エミヤ、タマモ)の作る料理、アニメ、読書(主にライトノベル)、音楽
嫌いなもの:特になし
天敵:人理焼却の首謀者
特徴:魔眼
文理選択:文系。但し割とどちらもできる。得意教科は英語。
装備:FN Five-seveN・カスタム。本人はあまり使いたくない模様。

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