Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第48話 星空の下、剣士は皇帝の皇帝たるを知る

 現代日本において最も有名な古代ローマの文化を挙げるとするならば、やはり何をおいてもまずはテルマエやバルネアと呼ばれる公衆浴場であろう。古代ローマ人にとってそこはただの浴場ではなく社会生活の中心であり、非常に重要な場であったのだ。

 現代においてヨーロッパに入浴という文化がああり残っておらず日本特有の文化と見做されているのは、ひとえに6世紀から7世紀にかけての東ローマ帝国への異民族の侵入とイスラム系帝国の侵略によってテルマエが破壊されてしまったことが一因としてある。年代的には日本に入浴の文化ができたのはテルマエができた後なのだから、日本の方が後発ということになろう。

 とはいえ、どちらにしても浴場がその文化圏に住む人々にとって憩いの場であることに変わりはなかろう。そこに文化の後発や先発という違いは関係ない。特に日中に激しい戦闘を終えた遥たちにとって、風呂は何よりも有難いものであった。

 

「おぉ、すげぇなこりゃ。薔薇浮いてるぞ、これ。香水でも入ってるんじゃねぇの?」

「ドムス・アウレアではないんだぞ、ここは。まぁ、はしゃぐ気持ちも分からなくはないが……」

 

 そんな会話をしながら浴場に入ってきたのは遥と立香、さらにエミヤとクー・フーリンであった。徹底して無駄を排除しているアサシンはサーヴァントに入浴は必要ないと言って銃器の整備をしている。

 この時代、石鹸は未だ超が付くほど高価な代物であるが、遥たちがいるのは王宮の浴場であるため例え高級品でも置いてある。遥たちは容赦なくそれを使って身体を洗うと、浴槽に身体を鎮めた。

 疲労が蓄積した身体に湯の温かさが染み渡り、遥は思わず深いため息を漏らした。やはり薔薇の香水でも入っているのか、強いながら不快でない程度の香りが遥の鼻腔を突く。

 カルデアにも相当な広さの大浴場があるが、テルマエの湯舟はそれとはまた違った趣がある。天井はカルデアのそれよりもかなり高く、かなりの解放感があった。その天井を見上げるように、半ば湯に浮きながら遥が四肢を伸ばす。

 

「はぁ、極楽……これで風呂上りに牛乳とかあれば、最高なんだけどなぁ」

「確かに。……というか、遥? それ、行儀悪いよ?」

「良いじゃねぇか。どうせ俺たちしかいねぇんだしよ」

 

 口ではそう言いつつも遥は一度湯舟の中に完全に身体を鎮めると、すぐに浮き上がって湯舟の淵に背中を預けた。湯舟に入ってきた立香はそのすぐ近くに腰を下ろし、至福のため息を吐く。

 湯舟に身体を鎮めると、まるで身体に蓄積した疲労が湯の中に溶け出していくかのような感覚を覚える。それに身を委ねるように、遥は更に身体を鎮めていく。

 遥は起源である『不朽』が強く表れているためにどれだけ疲労が蓄積しようが身体機能に影響が出ることはない。だが影響は出ずとも感じない訳ではないのだ。直接サーヴァントを相手取っている分、その疲労は計り知れないものがある。それ以前に、生身の生命である遥にとって入浴の重要性は相当なものだ。

 

「アサシンも来ればよかったのに」

「仕方ねぇだろ。アイツは徹底した合理主義者だからな。俺たちがこうしている間にも、アイツは俺たちのために色々やってくれてんだろ。それに、本来サーヴァントに入浴の必要性はないからな」

「だからと言って入ってはならないことはないがね」

 

 そう言いながら湯舟に入ってきたのはエミヤであった。その後からクー・フーリンも入ってくる。ふたりはサーヴァントであるため入浴には何の利益や不利益もないが、だからと言って入ってはならないなどという規則はどこにもない。

 テルマエの中には4人の他には誰もおらず、身体を流す人や会話が一旦途絶えたためにテルマエの中に響くのはテルマエから溢れた湯が静かに流れていく音のみだ。しばらく誰も何も言わぬままでいる中、不意に立香が口を開く。

 

「なんだかこうして誰かと入ってるとさ、修学旅行みたいだよね」

「あー、そんなのもあったなぁ。高校時代とか誰も友達いなかったから、忘れてた」

 

 そう言う遥の声音に懐古の色合いはない。ただ昔の記憶を思い返し、その事実を淡々と述べているだけといった様子である。実際、遥はその過去については特に何も思っていなかった。

 遥が独りだったのは何も、遥の対人能力が低いからだけではない。仮にそうであったのなら、遥は適当に似たような仲間を見つけてつるんでいたいただろう。それができなかったのは、周囲が無意識に遥を避けていたからだ。

 人間とはとかく危険を遠ざけたがる生き物である。君子危うきに近寄らず、という訳ではないが、周囲にとって遥はその〝危険〟であったのだ。全国模試成績は常に1位。そのうえ運動もでき、加えてそれを鼻にかける様子もない。学園ラブコメであればこの上ない最優良物件だが、現実にはそんなものは化け物としてしか映らない。向けられるのは恋慕などではなく徹底した無関心や恐怖、謂れのない憤怒。

 そして駄目押しに夜桜の血である。その血に混じった人外の血はあまりに強く、それ故に一般人であっても本能的に遥を脅威だと判断できてしまう。それで近づく者などいまい。事実、いなかったのだが。

 だからこそ、遥にとってカルデアは安息の地だった。マスター候補生は誰も彼も神秘を行使し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして人理修復が始まってみれば、相棒は無意識に危険を認識していながらも近づいてくる人間ときている。尤も、そんなことは口が裂けても言わないが。言えば最後、遥が恥ずかしさでおかしくなってしまう。

 何となく立香は遥の言いたいことを察したのか、それ以上は何も言わない。代わりの話題を探し、彼の口を突いて出たのはこのローマについてのことだった。

 

「それにしても……ローマの状況、思ってたより悪かったね。まだ首都が残ってるだけマシなのかもだけど……」

「残ってるだけ、とも言えるけどな」

 

 1時間程度前まで王宮の大広間で行われていたカルデア歓迎の宴だが、その実態は宴というよりもむしろ作戦会議に近いものであった。しかし遥たちにそれを残念に思う気持ちはなく、むしろ有難いことだった。

 元は地中海世界の覇者として君臨していたローマ帝国だが、連合ローマ帝国と勝利の女王軍の登場と略取にとって今やユーラシア大陸側の領土は元の半分以下にまでその面積を減じていた。

 現在、ネロ率いるローマ帝国の領土はアフリカ大陸の北端地域とイタリア半島以東となっており、属州ブリタニアとガリアを勝利の女王軍に、イベリア半島を連合ローマ帝国に奪われている。そんな中でも幸いと言えるのは、東国との交易路が絶たれていないことだろう。この戦争が始まってすぐに交易路の終端を首都ローマに纏めたネロの差配、その面目躍如である。

 戦時において最も恐ろしいのは国の孤立化である。領土面であれ、交易面であれ、孤立化してしまっては一方的に侵攻されて終わりだ。その点で言えば、首都ローマを絶対防衛線として交易路を一点に集約したネロの判断は正しい。首都を堕とされては国は終わってしまうのだから。

 

「サーヴァントの数は恐らくこちらが上だが、向こうには聖杯がある。おまけに兵力もあるときた。さて、どうしたものか」

「聖杯ならカルデアにもあるよね? オレたちが回収したやつ。アレは使えないの?」

「あー、アレか。多分、使ったところでそう変わらねぇぞ。あくまでもサーヴァントは俺たちと契約してるんであって、その俺たちは自前の魔術回路の出力以上は一度に使えないからな」

 

 敵側に召喚されているサーヴァントとカルデアに召喚されているサーヴァントの最大の違いはそこだ。カルデアのサーヴァントにはマスターという枷が存在するのに対し、敵側のサーヴァントは聖杯から直接的な魔力供給を受けている。

 立香の瞬間的な魔力生成量を15程度とするなら、現在の遥が5000程度。これは埋葬機関に所属するとある代行者と同等程度だが、遥は混血の能力解放による身体の負担を無視して極短時間という制限こそあれど10000程度までならば上昇させる事もできる。対して聖杯は貯蔵量・出力量共に限りなく無限大に近い。どれだけ優秀だろうが未だ半人の域を脱していない遥と凡人の域を脱していない立香では超抜級の魔力炉心には勝てないのである。そもそも、魔力出力量で聖杯に勝るものなど神霊くらいのものであろうが。

 或いは分霊に浸食されきった遥ならば聖杯に並ぶこともできるのかも知れないが、今はそんなことを論じても仕方がない。なおも立香と遥が何か言おうとした時、それより先にクー・フーリンが口を開いた。

 

「どうだって良いだろ、そんなコトは。どれだけ兵力差があろうが、オレの槍が貫く。有象無象なんざ、オレたちの敵じゃねぇよ」

「そうだね。それは疑ってないよ、信頼してるから。……でも、相手のサーヴァントが判明しきってないから立てられる対策は立てておかないと」

 

 立香は現代に生きる人間には珍しいほど純真な男だが、同時に責任感が非常に強い男でもある。数合わせの一般人やら、偶然巻き込まれた素人やら、そんな方便で怠惰を受容することは立香にとっては有り得ないことだった。

 世辞を入れたとしても、立香はカルデア実働部隊の中で最も戦闘力が低い。それは揺るがない事実だ。しかし立香は〝統率者(マスター)〟である。その役目は戦闘だけではなく、そして立香には他方の役目を果たし得るだけの能力があった。

 敵の全容は未だに不明であるものの、一国を相手に戦争ができるだけの兵力があることは分かっている。そこに自分たちの戦力を当てはめ、策を考える。しかしそれが成るより前に、遥の声が立香の耳朶を打つ。

 

「気負うなよ、立香。折角のテルマエなんだ、今くらいはリラックスしても良いと思うぞ。ま、気を抜きすぎるのも良くねぇけどさ」

「……それもそうだね」

 

 そう言うと立香は一旦思考を中断し、身体から力を抜いた。強張った筋肉が一瞬で弛緩し、淵に背を預けて肩まで浸かると筋肉に籠っていた余計な力が溶けだしていくような感覚が全身を満たす。

 思えば、今までの人理修復の道程は立香の人生の内でも一、二を争うほどに忙しない時間であった。命の危機の度合いで言えば間違いなく一番だろう。カルデアに来るまでは普通の生活を送っていたのだから、命の危機に瀕したことがあろう筈もない。

 その生活で蓄積していた疲労は立香自身の想像よりも大きかったようで、認識した途端に強烈な眠気が立香の意識に靄をかける。それに誘われるままに立香の意識が断線しかけたのと殆ど同時、残念そうなクー・フーリンの声がテルマエに反響した。

 

「……ダメだ! どう頑張っても嬢ちゃんたちのキャッキャやってる声が聞こえねぇ! 覗けねぇならせめてと思ったんだがなぁ……」

「何をしているのかね、ランサー……」

「流石、性豪揃いのケルト随一の大英雄。頼もしいコト言ったきりなにも言わねぇと思ったら、そんなコトしてやがったのか……」

 

 半ば、と言うより完全に呆れた様子のエミヤと遥。立香は何も言わなかったが、流石に擁護しきれないとばかりに苦笑いを浮かべている。それが不満なようで、クー・フーリンが不貞腐れたように身体を伸ばす。

 

「ンだよ。オレなんてフェルグスの叔父貴に比べりゃまだまだだぜ? それにお前ら、見たくねぇのかよ?!」

「私は必要ない。サーヴァントに性欲に従う理由はないからな」

「俺もいいよ」

 

 即答だった。エミヤだけではなく、遥までもである。エミヤの理論に従えば生者である遥には性欲に従う理由がある筈だが、それを一切伺わせない完全な即答である。

 確かに遥は生者であるから、多少なりとも性欲がない訳ではない。しかし容易く我慢できることに加え、仮に女風呂を覗いてしまったが最後、最悪遥の人理修復が終わってしまうことも考えられる。何も益がないのだ。

 クー・フーリンは戦士であるがためにその判断に一定の理解を示すが、しかし未だ少々不満げであった。少しの間彷徨ったクー・フーリンの視線が立香を捉える。

 

「マスターはどうだ? マシュの嬢ちゃんの裸、見たくねぇの?」

「マシュの?」

 

 クー・フーリンの言葉にそう返すや、半ば反射的に立香の思考回路がクー・フーリンの言った通りのものを描き出す。それに理解が追いついた瞬間、立香は自分が何を考えていたのかに気づいて顔を赤くした。

 遥以上に初心な反応におや、と呟いたのは遥自身であった。エミヤは何も言わないが、何か微笑ましいものを見たかのような表情をしている。直後、クー・フーリンが遥の肩を叩き立香に聞こえないように耳打ちをする。

 

「なぁ。これってつまり……そういうことか?」

「さぁな。立香の方は分からねぇが、少なくともマシュの方はお前の想像通りだと思う」

「マジか。かーっ!! 青いねぇ!」

 

 天を仰ぎ、揶揄うようにそう言うクー・フーリン。だがその声音に立香たちを嘲るような気配はなく、むしろそこには自らの後に続く人間を見守る先人としての姿があった。

 大英雄クー・フーリン。青春などとは縁遠い時代に生きた彼が現代における青春に理解を示すのは、ひとえに彼に別世界での現代に召喚された記憶があるからだろう。或いは単純に兄貴肌なだけなのかも知れないが。

 何にせよ、仲間内に色恋の気配があるのは決して悪いことではない。立香とマシュの幸せを望む遥としても、その気配は眼福である。妙な満足感を遥が覚えていると、エミヤが遥に問うた。

 

「君はいないのか? そういう相手は」

「俺? 俺はいないよ。だって……」

「だって?」

「……いや、何でもない」

 

 何か言いかけて口を噤み、無理に笑ってみせる遥。だがエミヤとクー・フーリンというふたりの英雄の目を誤魔化すだけの演技力は遥にはなかった。無理な笑みを浮かべた遥の目には光がなかったのである。

 それに気づいてはいても彼らは遥にその理由を問うことはしなかった。それの源泉が遥に内在するある種のトラウマであることは分かったうえ、言わんとすることは察することができる。ただ思うのは、遥が難儀な性格をしているということだけだ。

 遥をただの好青年と見るのなら、それは彼を知らぬだけのこと。よく見るか少し彼と共にいるかすれば、遥の内にあるものが決して綺麗なものではないと分かるだろう。遥は心の内に何か闇のようなものを隠している。ある意味では遥の許に反英霊か反英霊的側面を持つ英霊しかいないのは、そういうこともあるのだろう。

 その心の闇を自覚しているからか、遥は他人を一歩引いたところで見ている節がある。沖田やオルタに対して平気で誑し込むような真似ができるのはそのためだ。つまるところ、遥は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だが仮に遥が抱えている心の闇ごと彼を許容する愛があるのなら。エミヤはそれを想像しようとして、止めた。そんなことは考えるまでもない。代わりに、エミヤは別の言葉を吐き出した。

 

「そろそろ出よう。のぼせるぞ?」

 

 

 

 空を見上げれば、明るく輝く月と天球に散りばめられた星々の輝きが見える。遥たちが生きる時代とは比較にならないほど空気が澄んでいるうえに人々の生活圏に強い光源がないためか、その星空は遥が見てきたどんな星空よりも美しい。王宮の中庭に吹くそよ風めいた空風が心地よい。

 テルマエからあがって2時間と少し。正確な時刻は分からないものの、現代のグリニッジ標準時を示す腕の通信装置のディスプレイには23時と表示されている。そんな時刻になっても、遥は未だ眠らずにいた。何も意図があってのことではない。ただ身体が睡眠を欲していないのである。

 明らかに異常な状態であった。いくら遥が只人の域にはいないとはいえ、確かに半分は人間である筈なのだ。故に遥とて人間の三大欲求に引っ張られてしまう。その筈が、今はそれがない。加えて例え長い期間睡眠がなくとも十全に活動できるという確信が遥にはあった。

 冬木以降は目に見えた変化はないが、それは確かに遥が人間でなくなりつつある証左であった。人間が人間である以上逃れられない根源的な欲求が徐々に薄くなっている。今のところ睡眠欲の軽薄化以外は分からないものの、他にも表れてはいるのだろう。

 少しずつ、だが確実に自分が得体の知れないモノへと変貌していく。それは遥にとっては生まれた時から定められたことであり、覚悟していたことだ。だがいざその兆候が見えると、嫌が王にも怖気にも似た感覚を覚えてしまう。とうに覚悟し、受け入れていたにも関わらず。

 顔に手を遣り、天を仰ぎながら遥は自身に向けて冷笑を飛ばす。夜桜の血はともすれば神話に語られる英雄の域にすら手が届く血。そして遥にはその資質がある。だがその精神性は英雄には程遠く、それどころか悪人にすら劣る。善に成りきれず、悪にも堕ちきれない。積み上げてきた強さも、果たして何のために積み上げてきたのかすら不明だ。

 人理修復のため、というのは結果論だ。カルデアに来る以前、遥はただ漠然とした使命感で世界を旅しながら悪徳を滅ぼしてきた。そんな中で積み上げた強さに明確な方向性がある訳もない。結局のところ、遥はただ何かに流されるばかりだ。その大いなる流れの中で、自分自身の意思は風に流される木の葉程度のものでしかないように思えて、遥は冷笑に嘲笑を重ねる。その時、不意に背後に気配を感じて遥は振り返った。そして視線の先にいた姿を見て、遥は疑問の声を漏らす。

 

「ネロ帝? 何故ここに? というか、寝てないのか?」

「皇帝というのは忙しいのだ。それにだな、ここは余の屋敷だぞ? そのどこに余がいてもおかしくはあるまい」

 

 正論だった。確かに王宮はネロの住居であるのだから、それのどこにネロがいてもおかしな話ではない。故に遥は何も言わずに空に向き直った。するとネロは何を思ったのか隣に立ち、遥を見上げる。その視線に耐え切れず、遥が明後日の方を向く。

 ネロの翠緑の瞳には子供のような好奇心の気配がありながら、同時に人の内側を全て見透かすかの如き知性の光があった。それから逃げるように、遥が顔をさらに背ける。

 しかし、それだけでネロの視線から逃げることができる筈もない。ネロの視線は果断なく遥に注がれている。そうしてしばらく、ネロが口を開いた。

 

「……悩んでいるな? どれ、許す。余に話してみよ」

「アンタに話してどうなる。無意味だよ」

「む。なかなか面倒な奴だな、貴様。皇帝の命令だぞ? それに、何も解決せずとも誰かに話して楽になることもあろう」

 

 そういうものか、と遥が逡巡する。基本的に1人で生きてきた遥には周囲の他人に悩みを打ち明けるという経験があまりなかった。精々故郷の商店街の大人たちに相談したことがある程度か。それも大したことではないが。

 しかし考えてみれば、元より悩みとは自身だけで解決しないからこその悩みなのだ。それを他人に話すことに意味を見出す試みも虚しい。その意味は実際に話してみるまで分からない。遥は一度周囲を確認してカルデア実働部隊の面々がいないことを認めると、少しずつ語り始めた。

 まず遥、ひいては夜桜の血に混じる人外の血の正体から始まり、遥が〝叢雲の呪い〟と呼ぶ天叢雲剣の概念上書き能力。そこに遥自身の思いは混じらず、しかしネロは全て悟っているかのような目で遥を見上げている。対して、遥は妙な感覚に囚われていた。

 或いはそれは、ネロの天性のカリスマが齎すものであったのかも知れない。意図しないまま、気づいた時には遥は己の内心までネロに吐露していた。感情のない表情でありながら、声音だけに感情が乗っている。しばらく黙って遥の話を聞いていたネロだが、遥の言葉が一旦止まった時に自分の言葉を割り込ませた。

 

「成る程。つまり、貴様は世界が嫌いなのだな?」

「……あぁ。そうなんだろうな。身勝手で、イキり倒してるガキみてぇだが、俺はこの世界が嫌いだ」

「そうか。余は大好きだがな!」

 

 胸を張ってそう言うネロの姿に、遥は思わず笑ってしまう。ネロの宣言はともすれば遥への痛烈な批判ともなり得るものだが、遥は不快には感じなかった。ネロにその意思がないことがすぐに分かったからだろう。

 遥はこの世界が嫌いだ。だからこそ、立香やマシュに遥は人として惹かれたのだろう。あまりに彼らの在り方が遥が理想とする『人』に近いが故に。遥を嫌う者たちとはあまりにも違うが故に。

 

「ならばハルカ。何故貴様は世界を救わんとする?」

「決まってる。俺の目の前で死んでいった人々の死を無駄にしないためだ。()()()()()()()()()()()()()()()()。……それと、アレだ。俺は俺が愛した人たちに生きていて欲しい。そのために、世界には滅んでもらっちゃ困るんだよ」

 

 その声音はあくまでも真っ直ぐで、遥が嘘を言っていないことは疑うまでもない。先に行ったことと矛盾するようだが、遥が嫌いなのは世界(じんるい)という総体であって個人を見れば別なのだ。ある意味、マーリンとは真逆である。

 立香が戦う理由が『生きたい』という欲望であるならば、遥の戦う理由は『生きて、生き続けて、そしてその果てに死んで欲しい』というものだ。それだけは他の何者も関与しない、遥だけの願いだ。つまりは遥にとって、〝世界を救う〟というのは目的ではなく、願いを叶えるための手段でしかない。そんな目的は遥には荷が勝ちすぎる。精々目的らしい目的と言えば、〝人理焼却の首謀者を一発殴ってやること〟くらいか。

 遥のそれは一見すると利他のようにも思えるが、遥にとってはこの上ない利己だった。何せ他人に対して遥の願いのためだけに生を強要しているのだから。

 

「己が愛する者たちのため、己の目前で死んだ者のため、か。……だがハルカ、弁えているか? 己を捨てた献身など偽善でしかないというコトを」

「献身なんかじゃねぇよ。俺は俺のためにやってるんだから。……浅ましい願いだってのは分かってるさ。でも、俺にはそれしかないんだよ」

 

 少なくともそう信じている間だけは遥は自分の意志で生きていると感じることができる。人外の力を躊躇わずに使うこともできる。例えそれが自身が向き合うべきものから目を背けているだけなのだとしても。

 そんなことはネロに見通されているだろう。しかいネロは毅然とした表情で遥を見つめたまま、何も言わない。それでも遥にはネロが言いたいことが分かって、直視できずに視線を外した。

 責めるようなネロの視線を、直視できない。それこそが遥が自らの動機に後ろめたさを抱いている何よりの証左。たかだかそんなもので皇帝たるネロの目を誤魔化すことはできない。

 

「自分の願いを言い訳にするな。貴様の願いは確かにそれなのだろうが、それを言い訳にするのは運命と戦うことを放棄した蒙昧の戯言でしかないぞ」

「運命と……?」

「うむ。貴様の血を持たぬ余には、貴様の苦悩の程はてんで分からぬ。だが、貴様が逃げていることは、まぁ、考えるまでもない。

 そも、貴様の言う血の定めとは何だ? 魔術師としての使命か? それとも、ただ流されていくことを受け入れるための方便か? だとしたら、甘い。貴様の目はそんなもの、一片も受け入れてはいないと言っているぞ?」

 

 正直な所、ネロには遥が分からなかった。一方で方便を弄して諦念に囚われておきながら、片一方では諦めていない様子を見せている。自らの願望を利己と言いながら、自らのことを一切顧みることもなく最前線で戦っている。明らかに矛盾していながらどちらも本意なのだから余計に性質が悪い。

 或いはそれこそが遥の持つ二重性が齎すものであるのかも知れないが、それこそが遥の意志そのものが遥に同化している分霊の影響を受けていることの証明に他ならない。完全に打ち消されている訳ではないにせよ。

 だが、それは遥の意志が弱いという訳ではない。むしろ並の現代人が同じ状態で生まれれば、自分の意志すら持てないままに流されていただろう。しかし神話の同族のように強大な個として君臨している訳でもない。要は半端なのだ。言い換えれば、半端であるが故に染まり切らないということでもある。遥が強大な個となり得れば、分霊を捻じ伏せて完全に自らの力とすることも可能ということだ。

 

「良いか、ハルカ。貴様の(ソレ)は畏れるものでも、流されるべきものでもない。人の(かいな)で支配すべきものだ。それができた時、貴様は真に英雄の資質を持つ者として己の運命と向き合えるであろう」

 

 逆に言えば遥は英雄に匹敵する肉体と精神を持つ者にならなければ打ち勝つことができないほどの運命を抱えているということだ。だが、できない話ではない。他の同族にできて、遥にできない筈はない。

 遥の内心は察していてもその根源が齎すものを体感していないネロがこれほど遥の内側を見抜き、そこに届く言葉を紡ぐことができたのは、ひとえにネロが皇帝であるからだろう。皇帝として多くの者を見てきたが故に、ネロの人を見抜く目は最早超常のそれである。

 ネロの言葉を受けても、遥の懊悩が完全に消失した訳ではない。むしろ今までの在り方を否定され、壊され、足元が全て消え去ったかのようでさえあった。だが、それで良い。間違えて積み上げ続けたものを正すには、一度全て壊してしまう他ないのである。

 しかし、手がかりは与えられた。ただ足元を崩されただけでは惑うばかりだが、目指すべき場所に至るための一縷の光明はある。尤も、そこに至るまでの道が分からないのだが、そこは迷ってこそのものだろう。誰かに答えを示され、そのレールにただ従って生まれるのは英雄ではなく愚図でしかないのだから。

 何も言わず押し黙る遥の前で、ネロはひとつ欠伸を漏らして伸びをする。

 

「ではな。余はもう眠い。……精々足掻き、励み、惑え、若人。貴様の旅はまだ始まったばかりなのだろう? ならば問題はあるまい。何物も、初めから完璧ではないのだから」

 

 ――そこから自分の部屋に戻るまでのことを、遥はよく思い出せない。恐らくは熟考したまま無意識に戻っていたのだろう。『不朽』の起源をもつ遥が思い出せないとなると、それくらいしか考えられない。

 気づいた時には遥は寝具の上に座り、茫然と天井を見上げたまま考え続けていた。遥の血に混じる人外の血を、人の力で捻じ伏せる。果たしてどのようにすればそんなことができるのか分からない。手掛かりを与えられても、それが少なすぎるのだ。

 遥にできることは戦って、戦って、戦い続けることだけ。その闘争の中にのみ答えがあるというのなら、遥は喜んで戦い続けるだろう。だが本当にそうなのか、という思いがあるのもまた事実。

 そもそも遥の認識とネロの真意に若干のズレがあるような予感も遥は抱いていた。だとしたら太刀打ちのしようがない。遥は遥であって、ネロではない。故に遥には〝ネロの認識(せかい)〟を知覚することはできないし、その逆もまた然り。人間だろうが何だろうが、1個の知性は他の知性にはなることができないのだ。

 無目的に積み上げた強さ。利己であり利他である願望。血の影響を受けた自我。それらをネロは是とせず、しかし否ともしなかった。その真意が分からずに、遥がため息を吐く。その時、ノックもなしに不意に扉が開いた。入っていたのは私服姿のオルタ。何故オルタがここにいるのか。唐突な突撃に遥が何も言えずにいると、オルタが遥の胸倉を掴み上げた。

 

「……アンタ、あの皇帝サマと何話してたのよ」

「見てたのか。どこから?」

「よく聞こえなかったから分からないけど、アンタが皇帝サマに何も言い返せなかったのは見えたわ」

 

 オルタが遥とネロが話しているところを見たのは全くの偶然であった。遅くまで沖田に付き合ってもらって剣術の特訓をしていたオルタは特訓後に沖田よりも少しだけ長くテルマエに入っており、その帰り道にふたりを見かけたのである。遥がそれに気づかなかったのは、単純に周囲への注意を怠っていたからに過ぎない。

 口ぶりから察するに、オルタが目撃したのはかなり終盤であるようだった。つまり、遥が最も無様に醜態を晒していた時である。遥自身が最も見られたくない場面を見られたことに、遥が自嘲的で空虚な笑みを浮かべる。

 そんな無様な場面、仲間に見られたくはなかった。だがこうなってしまった以上、最早逃げることなどできまい。遥は観念してひとつ大きく息を零すと、先に起きたことを語り始めた。そうして全て話し終えた後、冷笑を放つ。

 

「可笑しいよなぁ。会って数時間の相手にここまで見抜かれて、何も言い返せないんだぜ?」

「えぇ。……本当にね」

 

 感情の読めない声色であった。その直後、遥の全身が温かい熱に包まれた。身体を包むのは数瞬前までの寒気ではなく、オルタの体温。気づけば、遥はオルタに抱き締められていた。

 いつもの遥であれば、一瞬で顔を赤くして慌てふためいていたのだろうが、今、遥にそれだけの余裕はなかった。遥はただ驚きに目を見開くばかりで、硬直している。

 硬直する遥を、オルタはただ抱き締めている。悲壮な面持ちは復讐者(アヴェンジャー)としてのそれではなく、1人の人間としての顔。遥が初めて見る、オルタの表情であった。その表情が遥の心に突き刺さる。仲間になってくれた人にそんな顔をさせたくなかったのに、今オルタは遥のせいでそうなってしまっている。遥が間違ったばかりに。

 

「ごめん、オルタ」

「なに謝ってんのよ。アンタらしくもない」

「だって……俺はそんな顔、して欲しくなかった。それなのに……」

 

 たとえ運命から目を背けるための言い訳にしていたのだとしても、遥の願望は紛れもない本物なのだ。だからこそより性質が悪いのだが、それに間違いはない。

 今思い返せば、冬木でギルガメッシュが遥を目の敵にしていたのは遥の存在そのものはなく願いを言い訳にしているその姿勢であったのかも知れない。ローマの一皇帝でさえすぐに見抜くことができるのだから、原初の英雄王の全能の前には一瞬で詳らかとなろう。

 〝自分が愛した人々に生きていて欲しい〟と言う遥だが、それは何もただ生きていれば良いと言っているのではない。遥は、少なくとも悲しい顔をして欲しくなどなかった。尤も、それは遥が在り方を間違えたばかりに叶わなかったのだが。

 そうして目を伏せる遥だが、不意にオルタに両頬を挟まれて無理矢理に視線を彼女に固定された。その距離の近さに遥が息を呑む。最早オルタの長い睫毛の一本一本を判別することさえできるだろう。思わずあらぬ方向へ視線を遣りそうになるが、遥を見つめる金色の瞳がそれを許さない。

 

「ふざけたこと言わないでよ。少なくとも人形だった私は、アンタがいたから人間になれたのよ。だから、そんなに今の自分を否定しないでよ。それとも、アンタ、私を人形でいられなくした自分も否定する気?」

「ッ……!」

 

 オルタの言う通りであった。遥が今の自分を否定するということはつまり、遥が今まで歩んできた道程を全て否定することに等しい。それは遥が成したことを悉く間違いだったと断じるのと同義だ。

 だが、それは遥が関わってきた全てを無に帰す行為である。世界を旅する間に成した人助けも、桜を助けたことも、オルタを人形でいられなくしたことも、遥の行為の結果であり、責任だ。それを放棄するのは何より遥の信条に反してしまう。それは許容できないことであった筈だ。

 無理に変わる必要性はない。運命と戦うということは、そういうことではない。今の自分を否定せず、受け入れ、それでもなお自らの行く末に抗うこと。自らの意志で運命を掴み取ること。それが運命と戦うということだ。

 自分の頬に添えられたオルタの手に、遥が手を重ねる。まさか遥がそんな行動に出るとは思っていなかったのか、急に顔を赤くするオルタ。少し余裕が出てきたからか内側から湧いてきた嗜虐心のままにオルタを抱き寄せた。

 

「ありがとな、オルタ。まだ答えは見えないけど……でも、頑張るから。だから……その、隣で見ててくれると助かる。また俺が間違えないように」

「当然じゃない。アンタが嫌と言っても着いていくわよ。だって私は、そのためにアンタの求めに応じたんだから」

 

 遥の背中に返されるオルタの腕。全身から伝わるオルタの熱が、諦観と絶望に塗れた遥の心を溶かしていく。そう。遥は無理に変わる必要はないのだ。ヒトでなく、人外でなく、しかして人の力で人外の力を捻じ伏せ、己を人でも人外でもないものへと昇華させる。それが遥の成すべきことである。

 生半可なことではない。それはつまり、神代から現代まで一度も例もない、人類史に前例のない存在にならなければならないということなのだから。それでも他に道がないというのなら、遥はその道を進むだろう。たとえ、それが茨の道だったのだとしても。

 心の中のしこりが解消されたからか、遥はそのまま眠ってしまった。それに誘われるようにしてオルタは眠っている遥の隣に身体を滑り込ませ、眠る遥の横顔を見つめる。

 睡眠欲を殆ど失ったとはいえ、一度眠ってしまえば大人しいものでオルタが近づいても目覚めることはない。その瞬間、自らの鼓動が速くなったのをオルタは自覚した。

 オルタは理性で自らが踏み越えてはならない一線を規定している。だがそれとは裏腹に、感情は素直なもので理性が規定した一線を超えたいと叫んでいる。そしてオルタは頬を紅く染めながらも遥の頬に軽く口づけを落とした。

 

「私のマスター。きっと私、貴方に恋をしています。……と言っても、アンタは信じてくれないんでしょうけど」

 

 その言葉は遥に届くことはなく、ただ虚空に溶けていった。




拙者ツンデレの女性キャラが相手が聞いていない場でデレるシーン大好き侍。

ところでこの小説を読んでくださっている方々にちょっとドロっとした話が好きな方はどれほどいらっしゃるのでしょう。僕は大好きですけどね。書くかは別にしても。

※立香と遥の魔力量の比較を月姫Rのシエルの描写を基準にしたものに修正しました(2021/10/13)。要は48話時点での通常状態の遥が身体的負担なく安定して生成できる魔力量はシエルと同等、立香が一般魔術師より少なめと思っていただければ。
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