Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第54話 充満する死の中、少年は熱を渇望する

 戦争における戦死者の死因として主たるものは何か、という問いに対して人々はまず何を思うのだろうか。最も多いのは敵兵士の攻撃を受けて死んでしまった、というものだろう。確かにそれは間違いではない。近代の戦争においては間違いなく主たる要因はそれだ。

 

 では、この問いに〝中世、或いはそれ以前の戦争〟という制限を付与した場合はどうなるだろうか。こうなると話は違ってくる。敵勢力や味方の誤射といった理不尽な暴力と肩を並べる別な死因が入ってくるのだ。

 

 

 戦病死、という言葉がある。

 

 

 戦争に溢れる暴力によって死ぬのではなく、何らかの病気による死。これは近代以前の戦争において非常に大きな問題であった。何せ時と場合によっては戦死者の数が戦病死者の数を下回るということもあった程なのだから。よく知られている例で言えば、近代の戦争ではあるが第一次世界大戦における〝スペイン風邪〟もそのひとつだ。

 

 そもそも戦争に設置される野戦病院における衛生状況など近代以前では高が知れている。クリミア戦争中にナイチンゲールが統計学を用いて衛生状況と戦病死者の関連を説明付けるまでは衛生状況など見向きもされなかったのだから、疫病が流行するのも当然というものであろう。

 

 餓死や凍死、破傷風や壊疽等、例をあげればきりがない。主たる戦病死の原因は現代でこそ容易に治せるものが多いが、近代以前はそうではない。そもそも中世など医術は未熟で、かつ唯一根本的な解決となる魔術はその性質故に大衆に使えないときている。

 

 特に破傷風は紀元前の書物にもその存在が確認されたり、チャールズ・ベルなどによって絵画に残されたりとかなり有名である。致死率は通常で50%ほどで、衛生環境によってはより高くなる。これの有効な治療法は1890年に北里柴三郎が抗血清を作り出すまで発見されていない。それ以外にも治療法は近代になってから確率されたものが多い。

 

 詰まる所、近代以前は戦病死に対する有効な対策は存在せず、それは第二特異点であるこの西暦60年においても例外ではない。たとえカルデアの勢力が協力したとしても、絶対数が多すぎるのだ。

 

 ブーディカら勝利の女王軍による首都ローマ襲撃から3日の時が過ぎた。首都ローマ内に設置された野戦病院では宮廷魔術師やカルデアからレイシフトしたアイリが何とか負傷者達を回復させようと尽力しているものの、犠牲者の数は増え続けている。

 

 カルデアには医薬品の備蓄はかなりあるが、それを使うのは許されない。いくら特異点は修正すればある程度のことは無かったことになるとはいえ、どれほどまでならば干渉して良いのか全く未知数なのだ。故に下手に現代医学を持ち出すのは厳禁である。

 

 自分たちには或いは救えるかも知れない力があるというのに使えず、目の前で多くの人々が死んでいく。その無力感の何と凄まじいことか。加えて自分自身は身体的に何の問題もないというのがさらに無力感と罪悪感を増幅させる。

 

 だが、医術も魔術も知らない立香にできることなど何もない。それでも何もしないのは我慢できなくて、立香は首都ローマの外に急造された慰霊碑の前に立っていた。その下には地下墓地(カタコンベ)には収容しきれなかった兵士たちの亡骸が埋まっている。正統、連合関わらずにだ。

 

 備えるための花はない。ネロの趣味で王宮には赤い薔薇は大量にあるが、死者に備えるものではなかろう。赤い薔薇の花言葉は愛情や情熱。死者にはそれを抱くことさえ許されていないのだから。

 

 ロマニやレオナルドの言葉を信じるのなら、ここで死んだ人々も特異点を修正すればその死はなかったことになるという。だが今の立香にはそれが正しいとは思えなかった。人の命がそんなに軽いものであるのなら、死がこんなにも悲しい筈がない。こんなにも重い筈がない。───喪ったものは戻らない。ならば、特異点で死んだ人々はきっと、人理修復を成したとしても戻らない。

 

 ローマの作法には合わないかも知れないが、立香は手を合わせ黙祷を捧げ、死者の冥福を祈る。けれど、それも気休めだ。立香の胸中に巣食う無力感と罪悪感はそんなことで消えはしない。

 人の死という意味ではオルレアンも相当なものだったが、その時とは訳が違う。何せ既に人が殺されていた現場を見たオルレアンと違い、このローマでは目の前で殺されていく。目の前で死んでいく。その精神的負荷は少し前までただの一般人でしかなかった立香には計り知れない。

 

 思えば、カルデアに来る前に立香の目の前に現れた死にはいつも尊厳があった。立香とて人が死ぬことを知らない訳ではない。だが、それは常に自然な流れとしてあるものだった。それが今はただ物が壊されるように、人が死んでいく。胸中に蟠る言いようのない感覚に立香が俯いていると、その耳朶に触れる足音があった。

 

「ここにいたのか。立香」

「遥……」

 

 そこにいたのは立香と同じく人類最後のマスター達の片割れである遥だった。遥もまた花などは持っていないが、慰霊碑の前で手を合わせて黙祷を捧げた。

 

 3日前の戦闘で遥は更に分霊の浸食が進んでしまったのか、髪が完全に白く変わるだけでなく全身くまなく褐色に変わり、目も紅くなっている。顔は造作以外殆ど立香と出会った頃の面影を残してはいなかった。それだけではなく、纏う魔力の密度も明らかに増している。

 

 黙祷を捧げた後も、遥は慰霊碑を見つめたまま動かない。その紅い瞳に宿る感情が何であるのか、立香には分からなかった。常の他人の感情の機微に敏い立香の気性は、この状況の中に在ってその機能を減じていた。代わりに出てきたのは問いだ。

 

「……遥は、こんなのを何度も見てきたの?」

「そうだな。見てきたよ。……正直、首がない腕がないってのは、まだマシな方だ」

 

 四肢を切り取られた末に臓物を食い散らかされて死んだ男性がいた。胎を裂かれ、胎児を殺された後に死んだ女性がいた。幼くして凌辱され、口封じのために殺された少女がいた。男娼として買われ、反抗して殺された少年がいた。

 

 魔術師の実験に使われ、性別どころか人であったことすら判然としないモノがあった。死徒に慰み物にされ、人っ子ひとり残らない村があった。理性を失った悪魔憑きに殺され、残骸と化した死体があった。

 

 思い出そうとすれば不必要な程に思い出すことができる、遥の前に現れた死の数々。それに比べれば、ただ殺されただけというのはまだ救いがある。それでも人ひとりの命が失われたという事実に変わりはない。

 

「でも殺したヤツを責める権利は俺にはない。だって……俺も殺したからな。両手じゃ数えきれないくらい」

 

 魔術師や死徒、悪魔憑きだけではない。今回の戦闘において、遥は何人もの連合ローマ兵を手に掛けた。そのことに後悔はない。彼らは兵士だ。己が仕える者のためにその命を捧げ、他者の命を奪う覚悟を決めた者たちだ。戦いの中で命を散らす覚悟もできていただろう。

 

 それでも考えてしまう。彼らにも家庭があって、夫であり、父であったのかも知れない。兵士はともかく魔術師は人々にとっては絶対的な悪であっても、妻にとっては良き夫で、子にとっては良き父であったのかも知れない。

 

 ではその命を奪った遥は彼らにとって紛れもなく悪だろう。たとえそれがただ絶対的な悪を排除しただけだったのだとしても、納得できる筈がない。急造の慰霊碑を見つめながら、尚も遥は言葉を続ける。

 

「俺は確かに多くの人を助けたよ。それは間違いない。でもそれは同時に誰かを不幸にしたことの裏返しなんだよ」

「不幸に……」

 

 その言葉を受けて立香の脳裏を過ったのはローマに来て最初の戦闘においてクー・フーリンに宝具を使わせた時の光景。あの一撃で立香はクー・フーリンに多くの人々を殺させた。それは紛れもない事実だ。

 

 誰かを殺させることは誰かを殺すことと同義。誰かを救うことは、誰かを救わないということ。この短い間で立香は多くのことを学び、もう無知な一般人ではいられなくなった。一般人は誰かを手に掛けることなどあるまい。

 

 遥の言葉に、思いつめたような表情を見せる立香。それを見て、遥は慰霊碑から立香の方に向き直った。その顔は真剣そのもので、常の飄々としている彼のそれとは明確に異なる。

 

「立香。他人の死を辛いと思って悼むことができるなら、大丈夫、お前はちゃんと人間だよ。俺はもう悼むことも、その権利もない。できるのは、精々目の前で死んでいった人の死を背負って生きるくらいだ」

「そんなことは――」

「ある。だって俺はそういう生き方しかできにないように生み出された。……自分で言うのもなんだが、人間の在り方じゃねぇ。英雄の在り方でしか、生きられない」

 

 そう断言する遥の声音はあくまでも真剣で、立香に二の句を継ぐことを許さない。遥の過去を、立香は知らない。故に立香は遥について何も語ることができないのだ。あまりに生きている世界が違い過ぎた。

 

 遥は運命に抗うことを決意した。だが、それは同時に英雄としての在り方を受け入れたということでもある。遥の運命は人間では抗うには重すぎる。抗おうとしても、そのうちに精神を壊してしまうのが落ちだ。

 

 だからこそ、立香やマシュのようにあくまでも普通の人間でしかない在り方が遥には尊く見えるのだ。それが失われそうになるのなら、遥はいくらでも元の道に戻そう。代わりに自分が道を外すことになろうとも。

 

 立香はあくまでも人間でしかなく、それ以上になる必要性もない。ただ普通に生きて、笑って、泣いて、恋をして、誰かと一緒にしか生きられない、単なる人間で良いのだ。その思いを込めて、遥は立香の癖毛を雑に撫でた。妙な気恥ずかしさに立香が顔を紅くする。

 

「……何してんの?」

「いや、人生の先輩として辛そうな弟分を慰めてやろうと思ってな。……辛かったら泣け。その方が気が晴れる。誰もお前が泣くのを責めたりしねぇよ」

「でも……」

「良いんだ。誰かのことを思って流す涙を咎めるようなヤツ、誰もいねぇよ」

 

 それは先程までのように真面目な声音でこそなかったものの、そこには立香を思う心があった。それは同僚としてのものか、相棒としてのものか、或いはそれとは別の何かか。そんなことは立香にとってはどうでも良かった。気にしている余裕もなかった。

 

 遥の言葉が立香に届いた瞬間、立香の中で必死になって押し留めていた何かが崩れた。そのとたんに胸の中に抑えきれない感情が湧き出て、涙となって零れる。それは決して無力感によるものでも、己を恥じてのものでもない。

 

 それは純粋に他人のために、名も知らぬ誰かのために流す涙だった。遥には決して流すことのできない、ひとりの人間としての涙だった。遥は何も言えない。言った所で、立香には聞こえないだろう。

 

 嗚咽する相棒を傍らに、遥は思う。きっと自分の力とはこういう何でもない人間を守るためにあるのだろう、と。けれど遥は人類が嫌いだ。その全てを守るつもりなどないし、そもそもそれだけの力があると思いあがってもいない。

 

 それでも、せめて自分が愛した人々だけは。立香やマシュ、カルデアの職員たちは守り通してみせよう。遥はそう誓う。最早元々あった願いは叶わない。それでも代わりに得た力が新たな願いを叶えるために使えるのなら、遥は躊躇いなくその力を使うだろう。

 

 ――たとえ、その先にあるものが己の破滅だったとしても。

 


 

 アイリスフィール・フォン・アインツベルンという人造生命(ホムンクルス)にとって、今まで戦争とはどこか遠い世界の話であった。同じく戦争という名は付いていても聖杯戦争とは決定的に異なる、本物の戦争。それはアイリにとって、ある種の御伽噺のようですらあった。

 

 だがそれも無理からぬことであろう。生まれてからの多くの時間を雪に閉ざされた冬の城で過ごし、つい最近になって外の世界に出てきたばかりの彼女は良く言えば純粋であり、悪く言えば無知な箱入り娘。いくらユスティーツァから連綿と続くアインツベルンの記録を有していても、それは彼女自身のものではない。

 

 その御伽噺めいた世界が今、現実として彼女の目の前にある。傷ついた兵士たちが満足な治療もされずに苦しみ、病に喘ぐ。中には既に半死半生という者までいるような、凡そ地獄と言って差し支えない光景がそこにあった。

 

 本来はカルデアで待機している筈の彼女がこうしてレイシフトしているのは他でもない、兵士の治療のためだ。現代の医療技術が使えず、しかし現地の医術も高が知れている今、最大の恃みはアイリの、と言うよりもその内在霊基の宝具である〝白き聖杯よ、謳え(ソング・オブ・グレイル)〟なのだ。

 

 サーヴァントであれば霊基の欠片さえあれば治療可能なこの宝具の効力は人間相手でも例外なく作用する。流石に生身である人間の霊体のサーヴァントと同じように完全回復することはできないものの、容体を回復するくらいのことはできる。

 

 だがそれにも限界はある。彼女の宝具でサーヴァントが完全に治癒するのは、有り体に言えばサーヴァントの肉体が人間よりも便()()だからだ。霊体である彼らに比べ、人間の治癒はそう簡単な話ではない。仮に肉体が十全でも食物や水がなければ死ぬし、精神が壊れれば肉体は動かない。その辺りは彼女の宝具効力の範疇外だ。加えてアイリ自身の魔力量の問題もある。連続して使用することはできない。

 

 無論、高い性能を誇るアインツベルンのホムンクルスであるだけにアイリには治癒魔術の心得もある。しかしアインツベルンの治癒魔術は錬金術の応用であり、被術者に大きな負担が伴う。下手に消耗した人間に施せば、それだけで体力を奪いかねない。

 

「……――」

 

 ひとりの兵士の治療を終えて立ち上がった瞬間、強い立ち眩みに襲われてアイリがよろめく。だがその細い身体が床面に激突するようなことはなく、すぐに何者かが片手で抱き留めた。

 

 ホムンクルスであるが故の頑丈さのためか、すぐに意識を立ち直らせるアイリ。そうしてすぐに視界に映ったのは、褐色の肌に銀の目をしたフードの男。即ちアサシンであった。半ば反射のように少し顔を紅くしてアサシンからアイリが離れる。

 

「……気を付けろ。君が倒れたら一体誰が重病者の治療をするんだ?」

 

 突き放すような冷たい声音だった。しかし何故かアイリにはその裏にある思いやりのようなものが分かる気がした。アサシンは言い方こそ確かに冷徹であるものの、アイリの身を案じている。

 

 それは恐らくアイリの内にある天の衣の霊基が影響しているからなのだろう。同じ半英霊(デミ・サーヴァント)でもアイリとマシュでは訳が違う。アイリは天の衣であり、天の衣はアイリなのだ。それは最早同調などという言葉で片付けることさえ足りない。身体の一部も同然だ。

 

 それ故か、アイリは夢という形以外でも稀に天の衣の記憶を見ることがある。それはマスターとサーヴァントよりも、遥とその内に宿る分霊の関係性に近い。その記憶の中にはいつも、生前のアサシンと思しき男がいる。尤も、その様子はアサシンとは全く異なるのだが。

 

「御免なさい。でも……」

「……ハァ。言わなければ分からないか? 軽症者にまで君が力を使う必要はない。幸い、休憩に出ていたマスターも戻ってきた。次は君が休め。魔力も消耗しているだろう」

 

 そう言いつつアサシンはアイリの手からカルデアからの支給品である医療キット――薬は無理でも応急手当程度ならば問題ないという判断である――をひったくると、近くにいた軽症者の手当てを始めた。

 

 生前も今と違わず一介の暗殺者であったアサシンだが、その職業上多少の医療知識はある。特に彼は殺すことが目的でなく、それによって多くの人を救うことが目的だったのだ。他の暗殺者よりはそういったことに慣れている。

 

 そうして手当をしながら、アサシンは不可解な自分の内心を分析していた。アサシンとしてはアイリに休憩を勧めたのは後々の治療まで見据えてより効率の良い手段を執っただけのつもりなのだが、客観的に見てそこに余計な気遣いがあることは明らかだった。

 

 アサシンは己を機械と定義している。彼にとって己の霊基や精神のコンディションを整えることは、武器の整備をするのと同じ次元の話として扱われる。そこに例外はない。その筈だ。その筈だった。

 

 それがこのホムンクルスの前では揺らいでしまう。それはアサシンにとって、己の内に発生した致命的な不具合(バグ)であった。不具合は時に機械そのものを壊す。早急に対応しなければならない。だがアサシンにはその不具合への適当な対処がまるで見えなかった。思案しながらもアサシンの手は淀みなく動き、兵士に手当をしていく。内心に不具合はあっても、機能に問題はない。

 

「ねぇ。貴方は、どうして多くの人々を救おうとするの?」

「……僕の行動の何処がそう見えたのかは知らない。興味もない。でもその問いにはこう答えよう。……元々、僕はそういうようにできているんだよ」

 

 アサシンにとって人を救うということは、そのまま人を殺すという意味となる。彼の人生において、誰かを殺さずして誰かを救ったことなどなかった。それを恨んだことはない。むしろ望んですらいた。

 

 彼の師は幼き日の彼に言った。才能というものは度が過ぎれば本人の意志など無視して生き方を決めてしまう、と。その最たる例が衛宮切嗣(アサシン)だ。彼の意志に関わらず、運命は常に彼に対して天秤の担い手であることを求めた。それは死後に英霊となっても変わらない。アサシンがそれを受け入れた事実もだ。

 

 故にアサシンが兵士の手当をしているのは、その天秤の片方、生き残った人間の数を減らさないようにするため。それだけだ。そう自分に言い聞かせても、客観的に見ている自分がそれを嗤う。そんな訳がないだろう、と。

 

「消耗したヤツがいても邪魔なだけだ。さっさと休め。君にしてもらいたいことはまだあるんだから」

「……えぇ、そうするわ。ありがとう、()()

 

 小さな声でそう呼ばれ、アサシンが息を呑む。けれど何故その名を知っているのかアサシンが問うより先にアイリは部屋を出ていて、アサシンの疑問が晴れることはなかった。ひとりに処置を終え、次の負傷者に移る。

 

 ――そう。アサシンがアイリに休憩を勧めたのはそれがより多くの人を救う結果を齎すと思ったからだ。謂わばオーバーヒートしかけた機械を休ませるようなもの。

 

(――そうだ。たったそれだけの話だろう)

 

 まるで自己暗示のような呟き。けれどアサシンの胸中に蟠る何かは一切消える様子もなく、彼の内に居座り続けている。その不具合をアサシンは修正しようとしているのに、一向に消える気配がない。

 

 まるで掴み所の見当たらない感情であった。アサシンがどうにか定義づけしようとしても彼の感情のサンプルに同じものはなくて、掴み所がないが故に手掛かりもない。アサシンには見えない。

 

 曰く、天の衣が生きた世界線において衛宮切嗣は羊水槽越しにその紅い瞳を初めて見たその瞬間に魅入られたのだという。であれば、それと同じことが起きないとどうして言えようか。

 

 そんな懊悩を抱えてはいても、心と身体を切り離すことに最大の才能を示すアサシンの作業に滞りはない。誰にもそれを打ち明けられないまま、アサシンの時間は過ぎていく。

 


 

 結局、先日の戦闘で発生した負傷者の治療が大方終了したのは戦闘から3日が経った深夜のことであった。遥や立香たちカルデアの人間の尽力により死者数はこの時代としては驚異的な程に少ないものの、全員が救われた訳ではない。

 

 軽症者の治療が終わり、治療が難しい重傷者のみとなった時点で立香は部屋に返されていた。魔術師でなく医療知識もない立香には重傷者に施せるものなどない。それは妥当な判断であった。

 

 しかし部屋に戻ってようやく落ち着いた空気に晒されても、立香は眠ることができなかった。既に左腕の時計は午前1時程を示しているものの、一向に眠気が襲ってくる気配がない。そもそも彼の性格上、今も苦しんでいる人がいるのに安穏と眠ることはできなかった。

 

 とはいえカルデアと違い特に何もないこの時代の私室では、特にすることも見当たらない。精々レイシフト時に持ってきた遥が作った教本を読むくらいか。けれど頭の隅に重傷者のことが引っ掛かって集中できない。開いては閉じ、開いては閉じて。そうしているうち、ドアがノックされた。

 

「先輩。マシュ・キリエライトです。……起きていらっしゃいますか?」

「マシュ? どうぞ、入って良いよ」

 

 立香の返答を受け、マシュが一礼してから部屋に入ってくる。その恰好はいつものカルデアの制服ではなく、病院の入院服を彷彿とさせる寝間着。どうやらテルマエに入ってさして経っていないらしく、髪は乾ききっておらず頬も上気している。

 

 聊か扇情的なその姿に、立香が顔を紅くする。それも仕方のないことであろう。人間性や三大欲求が薄れつつある遥と違って、立香はあくまでも普通の人減である。いくら底抜けの善人であっても異性に興味がない訳ではない。

 

 しかし今はそれよりも立香の胸に来るものがあった。その感情はより小さな気恥ずかしさを喰らいつくして肥大化していく。彼の脳裏に過るのは戦争の惨状や死体の腐臭。それがそこにある命の尊さを強く意識させる。

 

「……先輩?」

「えっ? あぁ、ゴメン。ボーっとしてた。立ってるのも疲れるだろうし、どこか座りなよ」

 

 言ってから、気づく。この部屋に座れそうな場所などベッド――正確にはベッドのような寝具しかない。つまり必然的にマシュが座る場所は立香の隣しかない訳で。だが気づいた時には遅く、マシュは何か決意したようにふんすと鼻息を鳴らして立香の隣に座る。

 

 立香は近年稀にみる社交性の持ち主だが、女性とそれほど親密な関係を構築するような男ではなかった。故にこのような状況(シチュエーション)など経験したことがない。それでも立香が冷静でいられるのは、熱くなりそうな思考を冷ます冷却材があるからだった。

 

 隣に座ったマシュの手を握る。唐突なその行動にマシュは面食らって赤面するも、立香の表情を見てすぐに落ち着きを取り戻した。真顔であるのに何故かひどく泣きそうなその顔を。

 

「……マシュは、温かいね」

 

 死体はもっと冷たかった。鮮血はもっと生暖かった。だが触れ合う手から伝わる熱は違う。それは命の熱だ。確かにマシュがそこにいると、マシュが生きているのだと立香に認識させる。同時に、立香もまた生きているのだとも。

 

 それにひどく安心すると同時に、そうやって安心を得ようとする自分の浅ましさにひどく腹が立つ。人間としてある種の本能とも言えるその感覚は、立香の感性においては後ろめたいことであった。

 

 或いはそれは少し過敏になっているだけなのかも知れない。一度に多くの死者を見たから、まるで生きていることを確かめるのが罪のように感じてしまう。記憶に焼き付いた死体の窪んだ眼窩から無い筈の瞳が覗き、言うのだ。お前もこっちに来い、と。

 

 遥に諭されてその目の前で泣いても、立香の心の中にはまだ後悔が残っていた。自分がもっとうまくやればここまで人が死ぬことはなかったのではないか。そんな自分に、人の熱を求める資格などあるのか。

 

 そんなことを考えているうちに、不意に立香の身体が傾いた。次いで服越しに伝わってくる人肌の熱。マシュに抱きしめられていると気づくまで、そう時間はかからなかった。

 

「大丈夫です。私はここにいます。先輩も、ここにいます」

「――ッ!」

 

 耳元で聞こえるマシュの言葉に息を呑む立香。そうして立香は恐る恐るといった様子でマシュの背中に手を回し、抱き押せた。まるで壊れ物を扱うかのように優しく、そっと。心の中ではひどくその熱を求めているというのに。

 

 そして、立香は自覚する。それだけで満たされている自分がどこかにいることを。たとえどれだけの人が死んでいようとも、マシュが生きているだけで聊か安心を覚えてしまう浅ましい自分がいることを。

 

 けれど、その思いを誰が責められるだろうか。全ての人が救われなければ安心できないなど余程傲慢な人間か、頭の狂った聖人気取りだけだろう。だが、誰にでもその気持ちを抱く訳ではない。

 

――藤丸立香はマシュ・キリエライトに恋をしている。

 

 その事実を、彼は確かに認めていた。

 


 

 深夜。立香が熱い渇望の中でマシュへの想いを自覚したのよりも少し後、遥は首都ローマの中央である王宮の一室にいた。その目の前に設置されているのはマシュの武装である大盾。召喚サークルである。

 

 この特異点において最も霊的な格の高い霊脈の所在地は首都ローマから遠く離れたエトナ火山であり、本来ならばそちらに設置しておくのが良いのだろう。だがエトナ火山ではその距離故に不便に過ぎるのだ。戦略中の要衝を遠方に放置するなど、下策である。

 

 物資や戦力の補給路は何よりもまず優先して守りやすい場所に置いておくべきものだ。そのため遥たちカルデア実働部隊は多少霊格は低くともすぐに使用することができるように召喚サークルを王宮に設置したのだ。

 

 たったひとりでその場に来て遥がサークルに並べたのは3つの聖晶石。つまり遥は新たにサーヴァントを召喚しようとしているのである。それはひとえにオルタが欠けた穴を埋めるためであった。

 

 現在、遥が契約しているサーヴァントは普通の契約を結んでいるサーヴァントが4騎、仮契約が2騎の計6騎だが、戦力は多い方が良い。加えて現在オルタが運用きない以上、新たにサーヴァントを召喚するというのは安全マージンを確保する意味では急務である。

 

 だが、まるでオルタを捨て駒にするかのような策に躊躇いを覚える自分がいることも遥は自覚していた。それはまるで彼女をひとりの人間ではなくモノとして見ているようで。

 

 しかし、死んでしまっては元も子もない。それに、オルタとの約束もある。遥は一度大きく息を吐いて弱気な自分を追い出すと、大盾の前に立って魔術回路の出力を上げた。システムが遥の存在を認識し、盾から放射される魔力が増す。

 

 恐らく、この人理修復において遥が召喚するサーヴァントはこれが最後になるだろう。術式の詠唱を進めながら、遥が思う。遥の魔力量を考えればまだ余裕はあるが、マスターに求められるのは魔力量だけではない。有り体に言えばサーヴァントを統べる統率力が足りないのだ。

 

 術式の進行に合わせて聖晶石が砕け、吹き出すエーテルが盾を中心にして渦を巻く。その色は冬木で沖田を召喚した時と同じ虹色だ。かなり高位のサーヴァントが召喚される前兆である。

 

「――抑止の輪より来たれ。天秤の守り手よ!!」

 

 詠唱が終わる。同時に一際高まった魔力とエーテルが閃光となって視界を白一色に染め上げ、瞬間、遥は()()()()()()()()()を感じた。記憶にはない。しかし、身体が覚えている。

 

 だが、有り得ない。カルデアの召喚システムでは、()()は喚べない筈なのに――と、遥が考えているうち、軽い衝撃を彼は身体に感じた。同時に唇に柔らかく温かい感触。接吻(キス)された、と気づいたのは光が収まった後だった。

 

 或いはそれは遥という端末を介しての地球(ガイア)の差し金であったのだろうか。訳が分からず沸騰する意識の中で、遥は漠然とそんなことを考える。そのうちにふたりの口が銀の糸を引いて離れる。俺、初めてだったんだけどなぁ、とそんな淡泊すぎる感想を残して。

 

 果たしてそこにいたのは小柄な少女であった。髪の色は日本の神霊とは思えない銀色で、神性を表す深紅の瞳には理知的な気配がある。纏うのは紅白というオーソドックスな色合いながら動きやすいように改造された巫女服。

 

 その姿が、在りし日の記憶と重なる。(じぶん)が生まれるよりもずっと、ずっと昔――神代の記憶と。

 

「サーヴァント、キャスター。貴方の呼び声に応じて参上致しました。……あぁ、ずっとお会いしとう御座いました……!!」

「ッ……()()は……」

 

 遥が何か言い終えるより早く、少女――キャスターがもう一度遥に唇を押し付ける。そこを通じて流れてくるものは少しだけ、盲目的な味がした。




 だっ、誰だ!? 主人公のファーストキスというヒロインにとって一番美味しい所を召喚された直後に持って行ったこいつは、いったい誰なんだァ――ッ!(真名隠す気なし)

 この話を半分くらい書いた時点で一回データが消えて萎えかけました。

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