Fate/Everlasting Shine 作:かってぃー
その軍は、まさしく『死』そのものであった。まるで平原に流れ込んだ濁流の如く犇めき合いながら行軍をするそれは、仮に上空から見ればこの時期に緑一色である平原が悉く黒に染まって見えたことだろう。だが本当に驚くべきはそこではない。
その軍は軍でありながら、人間はひとりもいなかった。総数1万にすら及ぶ規模の軍でありながら、しかしそこに尋常な生命はひとつもない。それは或いは
しかし人間がひとりもいないからと有象無象ばかりと侮る勿れ。それらはひとつひとつが超常の力を宿した神秘の産物であり、人間の兵など百どころか千の数が迫ってきても打倒し薄るだけの力を備えている。
それが、1万。数も質も、先日ローマに襲来した勝利の女王軍に勝るとも劣らない。疲弊した今のローマ軍が接敵すれば一瞬にして壊滅してしまうことは想像に難くない。彼らが踏んだ後には何も残らない。草木さえも踏み倒され、折り砕かれ、荒れ地と化した大地のみがそこにある。
破壊せよ。辱めよ! 蹂躙せよ‼ 此処はかの怨敵の国ではなくとも、それに比する愚かしい者どもの巣食う土地である‼ 声ならぬ声でそう己が配下にして分身たる不死の軍に命令を下すのは、その最奥を往く黒い肌に白い文様を刻んだ偉丈夫。
彼の真名は〝ダレイオスⅢ世〟。かの大帝国ペルシアを治めた王であり、九偉人のひとりたる征服王イスカンダルと幾度となく戦いを繰り広げた歴戦の古兵。しかしその生涯を王の責務の全うでもイスカンダルに敗れたのでもなく、
そして彼が率いるは彼が有する精鋭ばかりを集めた軍が後世の脚色や伝説化によって強力な不死性を獲得した宝具〝
さあ愚かにも我が目前に立ち塞がる蒙昧どもよ、打ち震えるがいい。自らの無力さを思い知り、絶望に滂沱しながら命乞いをするがいい。そしてこのダレイオスの偉大さを思い知り、尊名をその魂を刻みながら果てるがいい‼
或いはダレイオスが少しでも理性を残していれば、その霊基に満ちる異常なまでも強壮感にそう口走っていたかも知れない。劣勢となれば我先にと戦場から逃げ出した臆病を忘れ、ひとりの愚かな戦士として叫んでいたかも知れない。
だが実際に彼の口から放たれるのは言葉ではなく、知性と理性の欠片もない咆哮のみ。なぜなら彼は『
ダレイオス自身に自覚はないが、彼の霊基はその殆どが聖杯の泥によって犯されて元の容から大きく逸脱してしまっていた。にも関わらずこうして捨て石同然に放たれたのは、彼はレフにとってあくまでも実験試料でしかないからだ。
その在り方は最早人類史に名を遺した英雄、
そんないっそ憐れとも言える身の上を一切知ることもなく、ダレイオスはどこからか湧き出てくる抗い難い破壊衝動のままに進軍していく。行先は知らない。知らずとも勝手に身体は動く。そういうように動かされている。露骨に、まるでアンコウの疑似餌ででもあるかのように。そして、それをカルデアが見逃す筈もなかった。
ダレイオスが聖杯の泥でもって強化された視力により遥か先に陣取るローマ軍の姿を認め、獣じみた咆哮をあげる。鏖殺せよ! 王に歯向かうあの不遜な奴腹を殺し尽くせ‼ 配下の意志無き兵を鼓舞するそれはしかし、直後に悲鳴へと変わった。
それはダレイオスにとってはあまりに唐突な攻撃であり、カルデアにとっては既定路線通りの行動であった。大地を破壊で彩る不死の軍勢を襲ったのは黒と金の極光。アルトリアの〝
いかな不死の軍勢といえど、再生するための肉体を失ってしまえば忽ちのうちに死に絶えてしまう。そしてあくまでも戦うためだけに集められた軍勢にそれを防ぎ得るだけの防御力などある筈もなく、見る間に不死の軍はその数を減らしていく。だが、ダレイオスを襲う攻勢はそれだけでは終わらなかった。
音すらも追い越し、光にさえ迫るのではと錯覚する程の速さでローマ軍の中から飛び出してくる蒼き光。それは単身で以てダレイオスの軍に突入すると、一瞬にして不死である筈の兵を広域で消し飛ばした。続けて、跳躍。その身体は落下せず、法外な魔力の高まりを纏い空中でその得物を構えた。
ダレイオスからは丁度逆光になってよく見えない位置で、しかし確かに彼はその戦士の姿を見て取った。部厚いながらも無駄のない筋肉の鎧を全身に纏い、それを覆う青い戦装束を豪奢ながら戦闘の邪魔にならない完璧な装飾品で彩った赤枝の騎士。オ――、とダレイオスが断末魔の叫びをあげるより早く、その魔槍が解き放たれた。
「――〝
「終わったぜ、マスター。
首都ローマから少し離れ、旧勝利の女王軍の支配地であった場所。そこで宝具の一撃によって敵性サーヴァントの一軍を屠ってのけたクー・フーリンが戻ってきた愛槍を掴みながら、戦闘の疲れを一切感じさせない笑みを浮かべる。その姿は以前までのそれではなく、纏う魔力の総量も比べ物にならない程に増大している。それは昨日行った霊基再臨の結果であった。
霊基再臨とは簡単に言えば〝霊基の再定義〟である。多くの魔力を内包する特殊な素材を消費することで『座』からより情報を引き出し、霊基に上書きする。そういう意味では疑似的な再召喚と言っても良いかも知れない。
故にその伸びしろは現地での知名度に影響される。その特性はこの第二特異点においてカルデア側に大きな利益を齎した。即ち、年代的に活躍した時期が近いクー・フーリンの大幅な強化の可能性という利益を。
結果、クー・フーリンは完全体とは言えないものの少なくとも考え得る限りでは最上に近い強化を行うことができた。今まではそれぞれ異なる魔槍の使い方として宝具化されていた4種類以外に新しく〝剣〟の宝具と途轍もないスキルを獲得した。
以前のクー・フーリンには見られなかった、腰に佩いた鞘込めの剣。それが大英雄クー・フーリンの愛剣たる
だが今回の強化はメリットばかりである訳ではない。そもそもデメリットのない強化などないのである。全体的な性能上昇に伴いクー・フーリンの現界を維持するための魔力は増加し、戦闘行動のための魔力消費も大幅に増えた。まさに立香にとっては諸刃の剣であるが、立香は迷うことなくクー・フーリンの強化を選んだ。戦力強化のためでもあるが、より多くの命を守るためでもある。
互いの
それでも立香は少しの間のみマシュの肩を借りて呼吸を整えると、すぐに立ち上がった。未だ倦怠感はあるが、行動できないという程ではない。そうして問題ないとでも言うかのように笑ってみせる立香に、ひどく澄んだソプラノが投げかけられた。
「ふぅん。ただの人間と思っていたけれど、強いのね。貴方」
「ステンノ……」
立香の我慢強さを賞賛する言葉とは裏腹にまるで彼の痩せ我慢を愉しんでいるかのような笑みを見せる、幼い容姿ながらもどこか男を誘惑する妖艶さを纏う少女。その
元々ステンノは地中海に浮かぶ島に引き籠っていてこの特異点の騒動に関わる気はなかったのだが、このローマ全土を支配せんとしていたブーディカに追われてローマ帝国に保護されていたのである。それがこの進軍にあたって立香と契約して同行することになったのだ。
ステンノを含めゴルゴン3姉妹は〝男たちの偶像〟として生み出された女神である。故に大抵の男はその一挙手一投足に目を奪われ、魅了されてしまう。だが立香にその様子はない。ただ他のサーヴァントに向けるような視線を、ステンノにも変わらず注いでいる。
「オレは強くなんてないよ。ただちょっと見栄張りが上手いだけさ」
「そう。それでも、自分の力を誇示することしか頭にないギリシャの男よりは余程強く見えるわ」
本気か冗談か分からない声音でそう言い、クスクスと笑うステンノ。それに、立香は困ったように笑うだけだ。彼は基本的にお人好しであるが、聡明でもある。故にステンノの根底にある神霊らしい超越者然とした冷酷さと男性不信があることを見抜いていた。
神話に曰く、形なき島に幽閉されたゴルゴン3姉妹の許へは怪物と化したメドゥーサを討つために多くの勇者が訪れ、そしてメドゥーサの前に敗れたという。そういう〝強いながらも醜い男〟ばかり見ていれば、男性不信になるのも仕方のないことであろう。立香はそれを容易に見抜き、受け入れることができる男であった。
しかし同時に立香は元来あまり自己肯定がそれほど強くない、それどころか基本的に自己肯定感が弱い性格をしている。故に彼はステンノから〝戦士としては弱くとも人間としては強い男〟という評価を受けていることには気づかない。ステンノにはそれが解って、しかし続けて揶揄おうとした所でアルトリアが魔力放出による威嚇を行ったことで防がれた。
「そこまでだ。いい加減、私のマスターを玩具にするのは止めてもらおうか。性悪女神」
「あらあら。怖い顔。折角の綺麗な顔が台無しよ? まるで大切な弟を汚された姉のよう」
「……フン」
ステンノの言葉に対してつまらなそうに鼻を鳴らすアルトリア。それはこれ以上ステンノの遊戯に付き合っていても仕方ないことだと判断したためであり、特に反論するようなことでもなかったからである。
確かにアルトリアの目から見て立香はマスターであると同時にどこか手のかかる弟のような所があるのは事実だ。別な世界線においては恋愛感情を抱くこともあったのかも知れないが、少なくともこの世界線においてふたりの関係性とはそういうものであった。
何も言わずにただ険悪な雰囲気だけを滲ませて睨みあうアルトリアとステンノ。本人たちにとってはただ出方を伺っているだけなのだとしても、英霊と神霊の睨みあいなど慣れない者にとっては恐怖以外の何物でもない。そこに注意を飛ばしたのはジャンヌであった。
「おふたりとも、落ち着いてください! 今はいがみ合っている場合ではないでしょう?!」
「貴様に言われずとも落ち着いている。私はただこの駄女神がマスターに妙な目を向けているのが気に喰わんだけだ」
「あら、自分が尊大に接することしかできないからって、嫉妬かしら?」
ジャンヌの注意を受けてもなお互いを煽り合うアルトリアとステンノ。あくまでも王たらんと自らを律するアルトリアと奔放な性格のステンノでは致命的なまでに相性が悪いのだろう。
サーヴァントは使い魔であるものの、それ以前に生者と同じひとつの知性である。故に必ず誰かしらの相性が悪い相手が発生するのは自明の理であり、アルトリアとステンノにとっては互いがそれにあたるのだ。
相性が悪い、という点で言うならばそれはアルも同じである。根からの真面目気質であるアルにとって、ステンノのような気儘な手合いは嫌いではないものの苦手な部類ではあった。結局反転した所で根本的な部分は何ひとつ変わらないのである。
しかしそれは何もステンノが悪人であるだとか、そういうことではない。彼女はクー・フーリンや遥のように人間の血が混ざっている訳ではない純粋な神霊であるため、感覚がそもそも人間とは違うのである。
それが解っているからこそアルは何も言わないでいるのだ。無論、アルトリアもそれを分かっていない訳ではないが。呆れたようにため息を吐いたアルがアルトリアたちから立香に視線を移す。
「それで……マスター。本当に良かったのですか? 私たちとハルカたちで挟撃するのは、確かに策としては成り立っていますが……」
「戦力が分散する、だろう? 分かってる。相手もそれなりに策は立ててくるだろうけど……こっちにも策は、ある」
そう言う立香の顔に迷いらしき感情はない。それは決して一般人がするべき表情ではないが、しかしアルには悪いものであるようには思えなかった。それが立香自身が望んでの変化であるならば、それを否定するのは間違いだ。
連合ローマ帝国の本拠地と思われる、イベリア半島に存在する巨大な城塞と樹木を湛えた都市。便宜的に〝大樹都市〟と名付けられたそこを襲撃し連合ローマを壊滅させるという〝
これはそれぞれのマスターと契約しているサーヴァントの特徴を考えての役割分担である。立香側のサーヴァントが広域剪滅を得意とするのに対し、遥側で広域剪滅ができるのは遥とエミヤだけだ。故に先に立香たちが連合に仕掛けてそちらに敵戦力を集中させ、防備が薄くなった所で遥たちが突入する。
無論彼らは全てが上手くいくとは思っていない。何しろ立香たちは多くの敵兵を引き付けなければならず、遥たちは立香たちが敵を引き付けている間に突入から接敵までを行わなければならない。まさしく電撃作戦である。
何も情報がないが故に、何から何までもが希望的観測にすら見える中で攻略しなければならないという戦況。故の電撃作戦。故の
現状でできることは全てやった。急造品ではあるものの混戦の中でも遥と最低限の連絡はできるようなインカムをレオナルドに造ってもらい、立香の魔銃も遥が更なる
腰のホルスターに収められた魔銃を取り出し、見分する。一見するとベースとなった自動拳銃と何も違いはないが、その威力と効果は折り紙付きだ。加えて今回の作戦においては通常弾丸ではなく〝起源弾〟なる弾丸が込められ、それを立香が使うために遥の魔力が封入された宝石が組み込まれている。
今回の作戦で、立香はこれを使うことになる。根拠はないが、彼にはどうしてか確信があった。藤丸立香はきっと、人を殺す。その手を汚す。それで良い、と弱気を殺す。元よりサーヴァントに戦闘を命じた時点でその手は血で汚れている。手に掛けさせるか、手を掛けるか。それだけの違いだ。
故に覚悟する。故に戦う。生きるために。自分たちの生きる場所を守るために。自分たちの綺麗事を貫き通すために、相手の理想を
(そうだ。オレたちは生きる。だから……戦うんだ)
誰にも知られることのない少年の覚悟。それは彼の密かな成長であり、その精神が青年のそれへと変わりつつある証だった。
「――うわあぁぁぁぁぁぁっ⁉」
天気快晴にして波高し。そんなスリリングな海上行軍にはうってつけと言える天気。あの青い空を裂くように、男の絶叫が轟く。それは誰あろう、カルデアに残された最後のマスターの片割れ、人の領域を超えた半神半人である筈の遥の悲鳴だ。
ただ船に乗っているだけで悲鳴をあげるなど情けない。そう言うことができるのはきっと、今の彼らがおかれた状況を知らない者だけだ。或いは〝ネロの操舵する船に無理矢理乗せられた〟と言えばそれだけで分かるだろうか。
この時代には内燃機関のような便利なものは存在せず、船と言えば専ら帆船である。だが、それは神秘のないただの船であった場合の話である。そして良い話と言うべきか、或いは悪い話と言うべきか、今は亡き宮廷魔術師シモンが造った皇帝専用機はネロの魔力が続く限り彼女の思うがままの挙動と速度を実現するようになっている。
その様は現代的に言えば中型客船が下手な乗り手の操る水上バイクの動きをしていると言えば伝わりやすいか。いや、ことによるとそれよりも酷いかも知れない。水上バイクによる死刑執行と言われても信じてしまいそうだ。或いは何故か水上にまで出てきた粗悪なジェットコースターか。そして、遥はジェットコースターのような絶叫系マシンが大の苦手であった。
その気になればそんなものよりも速く走れるし、どんな悪路でも走れるバイクを持っておいておかしな話であるとは彼自身分かっているが、どうしても駄目なのである。〝信用のできないものに否応なく命を預けさせられている〟という感覚が。
しかし今回に限ってはダウンしているのは遥だけではなく、ネロ以外にこの船に乗っている殆ど全員が経っていることもできていない。その凄まじさたるや、あのアサシンでさえ立っていることができない程だ。
「わはははは! うむ、実に良い潮風、そして天気であるな! そうは思わんか、遥?」
「いや、こっちはアンタの操舵のせいでンなモン楽しんでる余裕すらねぇんだけど⁈」
遥の必死の猛抗議はしかし、船が海を裂くかのような轟音に掻き消されてネロの耳にまで届くことはない。ネロの声が遥に届いたのはあくまでも遥が人間の域を超えた五感を有しているからであって、普通は聞こえない。
総身を満たす悪寒と気分的なものによる吐き気の中で、遥は後悔する。本人が希望したからといって、ネロに操舵を任せるべきではなかったと。『余の華麗なる操舵
同時に立香を地上で行軍する側にしたことを英断であると確信する。恐らく立香ではどんなに彼の身体が頑強であったのだとしても酔ってしまっていただろう。遥やサーヴァントたちはそういう消耗を無視できるが、立香はそうではない。
「とはいえ、これは流石に酷いな……おい、沖田。身体は大丈夫か?」
「はい、なんとか。いくらなんでもこれで吐血するなんてコトは――こふっ⁉」
「ホラ言わんこっちゃない! 霊体化すりゃいくらかマシだろうから、霊体化していろ」
沖田を心配する遥の言葉に彼女は頷きを返すや、その姿を薄れさせて霊体となった。遥の魔力量であれば実体化していたとしても問題はないのだろうが、実体ではない方がいくらか回復も早かろう。
更に遥は自分から沖田に繋がる
そうして手早く経路の再構築を終えた時、遥は不意に妙な視線を感じてそちらを見た。そこにいたのはクシナダ。その目はジト目とでも言おうか、何とも形容し難い感情の宿る目で遥を見ている。
「……どうした、クシナダ?」
「いえ、何でもありません。ええ、何でも」
明らかに何か含む所がある返事であった。しかし遥はそれを分かっていながら、それ以上訊くことをしない。訊くまでもなく分かっている。分からされてしまっている。クシナダのそれは、嫉妬だ。
だが何故そんな感情を――などと、そんな都合の良い鈍感男のような疑問を、遥は抱かない。クシナダを召喚し、彼女から向けられる愛を
だからこそ、分かる。気づく。気づいてしまう。クシナダから向けられているものは愛で、
だが、認められない。認められる筈がない。少なくともスサノオもまた自分の側面であると受け入れられていないうちは、何を返しても不誠実だ。故に、まだ認める訳にはいかない。それが想いである、などということは。遥が自嘲的に笑う。
与えられた力。ただ自分の裡にいる
それでももう覚悟はしたのだから、後は何か
「む? あれは……連合の船か? だが、一隻だけだと……?」
『ネロ帝にも見えているようだな。だが、乗っているのは……あれは、どういうことだ?』
ネロ、エミヤ共に何か不審なものを感じているらしい声音に遥が首を傾げる。その直後、前方に現れた船から打ち出された細く小さい何かが船の甲板に突き刺さった。それは矢。但し殺傷目的のものではなく、所謂矢文というものである。
それに何かを感じたのか、船を止めるネロ。遥は念のために矢に毒など塗られていないことを確認してから矢を引き抜くと、そこに結びつけられた書状を開いた。そうしてその内容に顔を顰める。
果たしてそれは警告文、或いは救難信号であった。聊か矛盾しているようであるが、確かにそれはそういう内容であった。アサシンに視線を向けると、おおよその意図を悟ったようでキャリコを下げる。一同の中にあったのは暗黙の了解であった。
しばらくして連合のものと思しき船は攻撃のひとつもないままネロの船の横まで来ると、そこで停止して接弦した。まずは様子見をするかのように出てきたのはひとりの男。その姿を見て、遥が思わず声を漏らした。
「アンタは、グレートビックベン☆ロンドンスター⁉ 何故ここに⁉」
「なっ、誰がその名を貴様に教えた⁉ フラットか? フラットだな⁉」
呼ばれたくない渾名で呼ばれたことで憤るグレートビックベン☆ロンドンスター、もとい〝ロード・エルメロイⅡ世〟。彼をふざけた渾名で呼びつつも、遥は確かに驚愕していた。
エルメロイⅡ世は言うまでもなく英霊ではない。だというのにエルメロイⅡ世の気配はサーヴァントのそれでった。加えてマスターである遥には一応未契約サーヴァントとしてステータスが見えている。だが、デミ・サーヴァントではない。疑似サーヴァントといった所だろうか。
憤慨していたエルメロイⅡ世であるが、すぐに咳払いをして感情を切り替えた。今はその程度のことで起こっている場合ではない。何しろ彼らには時間がないのだから。矢文の意図が遥たちに伝わっていることを確認し、船の中に残っていた〝主君〟に降りてくるように伝える。
そうして降りてきた者の姿を見て、遥たちが思わず臨戦態勢を取る。目の前の相手からは敵意や殺意は伝わってこなかったものの、
幼いながらもゼウスの息子としての強壮さを滲ませる筈の肉体はその半分以上が黒泥に染め上げられ、同じように美少年然とした美貌も半ば以上が黒い無貌と化している。
遥は直感する。今このサーヴァントを犯しているのは黒化やシャドウ化のような生易しいものではない。謂わばそれは新生。英霊の霊基を喰らってその形に擬態する形ある呪いに犯されている、とでも言おうか。
呪いの焼却は遥の領分だが、仮にそれをすればこの英霊ごと焼く羽目になる。それほどまでに呪いは霊基の奥深くまで根付いている。最早自我を保っていることさえ想像を絶する苦痛だろうに、少年英霊は残った半分の顔に虚勢の笑みを張り付けてみせた。
「やあ。ネロ帝と……カルデアのマスターの片割れ一行だね? 僕は〝アレキサンダー〟。見ての通り、もう少しで人形に成り果てるサーヴァントさ」
「アレキサンダー、ね。……妙なこともあるモンだ」
エルメロイⅡ世とアレキサンダー。その姿が、遥には変異特異点αで出会ったウェイバーとライダーに重なって見えた。それはおかしな感覚ではない。世界は違えど、それらは同一の人物なのだから。
それが解っているからこそ、気づく。エルメロイⅡ世は表面上こそ冷静を装っているが、内心は気が気でないのだろう。何せ自分が忠誠を誓った主君が呪いに喰われそうになっているのだから。
訊くべきことが多すぎてまず何から訊くべきか遥たちが一瞬思案した隙に、アレキサンダーが前置きはこのくらいにして、と言って語り始める。まず第一に、エルメロイⅡ世ははぐれサーヴァント、アレキサンダーは連合のサーヴァントである。いや、後者に関してはだったと言うべきか。
連合に属するサーヴァントのマスターはカルデア側の推測通りレフ・ライノール・フラウロス。彼は元々最初に召喚した戦力だけでカルデアを倒せると考えていたらしいが、アルテラの叛逆と捕らえて反転させたブーディカの脱走があった辺りから方針を変えたらしい。残ったサーヴァントの内で彼に非協力的だったアレキサンダーと元々制御らしい制御のできないダレイオスに術を施した。反転させるのではなく、霊基を喰らって作り変える呪い、それの試作術式を。
結果、元々理性のなかったダレイオスはその霊基を完全に狂わせ、辛うじて理性の残っていたアレキサンダーは自分では叛逆できないことを悟りつつも一矢報いるべく這々の体で船を奪って逃げ、途中でエルメロイⅡ世と出会った。
それ以外にもアレキサンダーは様々なことを遥たちに語った。大樹都市やその中央にある城の内部構造だけではなく、あの樹と城塞が実はひとりのサーヴァントの宝具であること、更に細かな情報までもを。それこそがアレキサンダーが執った叛逆の一手。〝情報〟という、現状のカルデアが最も必要としていた最も原始的にして強力な武器。そして最後に、とアレキサンダーが視線をネロに移す。
「心して聞くんだ、ネロ・クラウディウス。レフ・ライノールが用意した最後の駒……今はもう彼の一部になってしまった英霊はローマの始祖……〝ロムルス〟だ」
「神祖だと⁉」
「そうだ。けど、心配することはない。君が真にこのローマの皇帝たらんと、するならば、きっと……‼」
言葉を言い切るより早くにアレキサンダーは苦悶を顔に浮かべ、その場に倒れ込んだ。見れば、呪いの浸食が先程よりも明らかに進んでいる。恐らく接触を図ってきた時点で既に限界だったのだろう。
それでもその紅い目は真っ直ぐにネロを捉え、言葉にせずとも彼女に覚悟を問うている。果たして堕ちたものであったのだとしても己が身命を捧げるローマの始祖を打倒できるのか、と。それにネロは毅然とした態度で答えを返した。
「余は……余はッ……迷わんッ‼ たとえ相手が神祖なのだとしても、余は余のローマを守る! それがローマ帝国第五代皇帝たるネロ・クラウディウスの責務である‼」
「ははっ、それでいい。その覚悟さえあれば、君は覇王にも、魔王にもなれるだろうさ。……さて、悔しい、けど、僕も、そろそろ本当に、限界らしい……」
今にも絶えて呪いに染め上げられそうな意識を必死で繋ぎ止めながら、アレキサンダーが遥を見る。その視線だけで、遥はアレキサンダーの意図を察して片膝を突き、その手で呪いに浸食されたアレキサンダーの霊基に触れた。
同時に遥までもを浸食しようと流れてくる呪いを、煉獄の焔で押し返す。やがてその焔はアレキサンダーの霊基にまでも入り込み、その呪いを全て無に帰した。だがそれはアレキサンダーの終わりを意味する。最早呪いに浸食された霊基では現界を維持できないのだ。
端から魔力光に還り、消滅していくアレキサンダーの身体。それをエルメロイⅡ世は感情の読みにくい瞳で見つめている。あえて誰も声を掛けようとはしない。今何を言っても、それはただの同情にしかならない。そんなものを、エルメロイⅡ世は求めていない。やがてアレキサンダーが完全に消滅したのを見届けると、遥は立ち上がってエルメロイⅡ世に問うた。
「……と、いうワケだ。これからアンタはどうするんだ、プロフェッサー・カリスマ?」
「だからその名で呼ぶなと何度……ハァ、もういい。
「……そっか」
会話はそこで終わり、エルメロイⅡ世は遥たちに背を向けて船に戻っていく。やがてその姿が見えなくなると、エルメロイⅡ世の乗る船とネロの船は別々な方向に進んでいく。それでも、エルメロイⅡ世は逃げた訳ではない。
嘗てエルメロイⅡ世、もといウェイバーはかの英雄王を前にしてでも主君から命じられた在り方を守った。だがその時の彼が仇討をしなかったのは、彼に抗う力がなかったからだ。だが今の彼には戦う力があり、敵は英雄王と比べるまでもなく弱い。ならば抗おう。それが最終的には主命を守ることにもなるのだから。
対するネロの船は先程までの暴走操舵ではなく、確かな足取りで進んでいく。見据えるは彼方。イベリア半島の大樹都市。誰も何も言わないその中で、遥がひとり呟いた。
「さぁ――
この小説では孔明の依り代になっているエルメロイは遥の知り合いのエルメロイや変異特異点のウェイバーではなく、原作のエルメロイという扱いです。
活動報告にこの小説での立香の設定をあげましたので、興味のある方はどうぞ。
中間体クー・フーリンくん、剣とバケモノ化は獲得しても戦車などはまだない模様。なおクルージーンに関しては訳し方について色々あるようですが、この小説ではクラウ・ソラスを剣のカテゴリ、クルージーン・カサド・ヒャンを剣の名前とさせていただきます。