Fate/Everlasting Shine 作:かってぃー
それは、まさしく御伽の城だった。まるでかのヴェルサイユ宮殿にあるという鏡の間もかくやといった巨大なガラス窓が並び、そこから見えているのは一面が雪に覆われて空には星が輝く幻想的な景色。天井は高く、全てが水晶のような蒼い鉱石でできている。
だがその中に在って似つかわしくないものがひとつ。それはオブジェか、或いは処刑台か。天井や壁から伸びた黒いレースに彩られたリボンが拘束しているのは、幼いひとりの少女であった。
伸ばせば背中の半ばほどまではある艶のある黒髪をポニーテールに纏めている。その下で輝く琥珀色の瞳には理知的な光が宿り、しかし将来の美貌を感じさせる端整な顔は苦悶に歪んでいた。
さもありなん。少女――〝美遊・エーデルフェルト〟もとい〝朔月美遊〟を拘束するリボンは見た目通りの黒いリボンなどではない。それは彼女を捕らえた存在が造り出した礼装であり、彼女の魔術回路に深く食い込んでその魔力の殆どを奪っていた。
何故彼女がそのようなことになっているのか。話は至極単純だ。彼女はイリヤと共にこの世界に迷い込んで囚われた後、その下手人の拠点であるこの城に連行され、このように拘束されたのである。
時折美遊はその拘束を外そうと身じろぎするものの、リボンはその華奢な見た目に反して頑丈であり転身もしていない少女ひとりの膂力では千切れる気配さえも見せることはない。それどころかリボンはゆっくりと美遊を締め上げる力を強め、美遊の精神にストレスを加えていく。
そんな中で不幸中の幸いと言えるのは――あくまでも使い魔たちの慌てようからの推測だが――敵の監視を隙を突いてサファイアを逃がすことができたことだろう。その引き換えとして美遊の転身は解けて拘束の影響をより受けるようになってしまったが、どこかにいるイリヤに情報が伝わるのならばそれで良い。
そうしてサファイアがうまくイリヤと合流できればこの世界の情報が伝わり、更にイリヤの戦力の増強にも繋がる。そうなれば彼女らをこの世界に招いた黒幕を斃してしまうことも――と考えて、はたと思い留まる。
果たして黒幕を斃した所で、その後に何があるというのか。黒幕からこの世界についての真実を告げられた美遊には分かる。もしも黒幕を斃すことができたとして、
「――やってくれたわね」
聞き覚えのある、しかし決して美遊の知るそれとは異なる声であった。常は友好と少しの敵対心に彩られているというのに、今のそれはどこまでも黒い、まるで底の見えない洞のような無感動のみがあった。
その声がする方を見れば、そこにいたのは美遊の友人でありある意味ではイリヤとは双子の姉妹のような存在である〝クロエ・フォン・アインツベルン〟であった。しかし明らかに様子がおかしい。姿形はクロエ――クロと同一であるものの、目が違う。普段は銀色に輝くクロの目は、まるで何かに取り憑かれたかのように紫色に変色している。
そう。彼女はクロであってクロではない。霊基はクロのそれそのものであるものの、中身は全くの別人である。彼女の名は〝ファースト・レディ〟。全ての並行世界における〝最初の魔法少女〟だった者であり、今は〝最低最悪の魔女〟となった者である。
「貴女のステッキ……サファイアだったかしら? 賢いのね。私の使い魔たちの監視も超えて逃げてしまったわ。まぁ既に解析して模造品は作ったから用済みではあったのだけど……オイタをした娘には、オシオキしなくちゃね?」
「な――」
無邪気な笑みにすら見える邪悪な微笑を浮かべ、そう言い放つレディ。その直後、美遊の腹部を極めて不快な感覚が貫いた。しかし腹を裂かれ、内臓を傷つけられたのではない。
一見すると美遊の体内に埋まっているかのようにも見えるレディの手。だがそれは美遊の体内ではなく、彼女の身体を構成する霊基を抉るものであった。彼女の意識を灼く不快感は、謂わば霊核を掻き混ぜられるが故の痛みだ。
まるで心臓を直接握り潰されるかのような、強烈な不快感が美遊を襲う。その感覚に苦悶する美遊を見下ろすレディの顔は心底楽しげな少女の笑みめいていて、それがよりレディの狂気を美遊に実感させる。
レディはこの固有結界の持ち主だ。故にこの固有結界内でのみ作用する法則を、レディは意のままにすることができる。結界内に召喚した女性サーヴァントに対して魔法少女としての特性を付与し、とある
そして、その例外というのが他でもない美遊とイリヤなのだ。だからこそレディは態々このように美遊を拘束して、時折戯れに拷問紛いの暴力を加えている。それを受けて苦しむ美遊を見て笑っているのは、最早魔女というよりも悪鬼か何かのようにすら見える。
「ホラ、苦しいでしょう? 私を受け入れれば、この苦痛からも解放されるんだけどなぁ」
「ッ――あァ――い、嫌ッ、絶対に……!!」
「……強情な娘ね」
その言葉と同時に強まる不快感。美遊の霊基に侵入したレディの手は美遊の霊核にまで届き、レディはそれを手で弄んでいた。握って、転がして、圧し潰される寸前にまで力を込めて、けれど決して殺さない。それは美遊がレディの計画達成に必要な要素だからだ。
レディは美遊の身体を乗っ取ろうとしている。今クロの身体を使っているのはあくまでも仮の身体、美遊に対して物理的干渉を可能にするための手段に過ぎない。美遊の身体を乗っ取ることができれば、すぐにでも捨てられることだろう。
結界内の魔法少女を自由にできるレディが美遊の身体を乗っ取ることができないのは、美遊が純然たるサーヴァントではないからだ。今の美遊はサーヴァントではあるが、人間としての性質も持つ。それ故にレディでも完全に自由にすることはできない。
故にレディはこうして美遊に拷問を加えることで美遊の精神に孔を空け、それに付け入って美遊の身体を乗っ取る算段でいるようだった。だからこそ美遊は明らかな痩せ我慢をしてでも耐える。今ここで美遊が折れれば、全てが終わってしまうから。やがてレディは興味を失ったかのように美遊の霊基から腕を引き抜いて、ため息を吐く。
「まぁいいわ。まだ
極めて純粋な少女のような屈託のない笑みを浮かべながら、その実放つのは邪悪極まりない言葉。まるで統一感のないちぐはぐな印象を受けるそれらの所作は、レディがもうどうにもならない程壊れていることの証左であった。レディによってリボン型礼装で拘束され、無理矢理彼女の魔術回路と繋げられている彼女にはそれが分かる。
レディが魔法少女から魔女に堕ちてしまったのは、何も彼女に悪の素養があったからなどではない。彼女には悪の素養などなかった。彼女は悪には染まらないまま、自分のしていることを正義だと疑わぬまま悪を執行している。それの根源は、矛先を失ってもなお溢れんばかりの独善的な人類愛。
つまりはレディの姿は夢破れ、理想に裏切られた魔法少女の成れの果てなのだ。最早叶うことのない理想を掲げ続けて、擦り切れ、摩耗し、自分が何故そんな理想を掲げていたのかさえも定かではないまま、まるで自動機械のように自らに定めた目標だけを遂行せんとしている。どんな魔法少女にでもあり得る、最悪の終わり。もうレディにはイリヤや美遊のような魔法少女の輝きでさえ一片も届くまい。
そのようになる可能性はイリヤや美遊にもある。だが美遊には同情する気などはなかった。同情などしてしまえばその瞬間に乗っ取られてしまうし、それ以前に美遊は同じ魔法少女であっても全てを救いたいと願ったことはない。
レディは斃さなければならない。だが彼女が呼び招いた魔法少女では、決して彼女には勝てない。彼女に勝とうと思うなら、この固有結界の効果に縛られない存在が必要だ。例えば〝この世界の影響を撥ね退けるだけの固有結界を持つ、魔法少女を魔法少女でなくひとりの少女として相対することができる人間〟などか。更に前提条件として、この世界に突入し得る手段を持っていなければならない。その条件に合致する人間の、何と少ないことだろうか。
「イリヤ……」
小さくか細い声で、美遊は親友の名を呼ぶ。だがその声は城の中で虚しく反響するのみであった。
「……ミユ?」
所変わってこの世界の中央に存在する未知領域を囲うように存在する平原の中。遥の運転する
しかしどこを見てもイリヤと遥以外に近くに誰かいる訳でもなく、そもそもとして今誰かが話しかけてきたとしても装甲騎兵の内燃機関が放つ駆動音で掻き消されてしまいイリヤにまでは届くまい。その事実に気づいて寂し気に顔を俯かせるイリヤの様子に気づいても、遥にはイリヤに掛けてやることができる言葉はない。その感情はイリヤだけのもので、遥に理解できるものではないのだ。
今遥が装甲騎兵を走らせているのは何も当てもなく行き当たりばったりの旅をしているのではなく、彼とイリヤが遭遇した場所から見えた唯一の建造物、形からして恐らくは城と目されるものがある地点であった。果たしてそこにいるのが友好的な魔法少女か、或いは敵対的な魔法少女かは依然として不明なものの、今の彼らにはそのどちらであっても接触しないという選択肢はないのである。
そうして装甲騎兵を走らせること十数分。目標地点まで数キロという距離になりバイザーの望遠機能でもその街の偉容が僅かにが見て取れるようになった頃、その街をセンサの探知圏内に捉えた装甲騎兵がバイザーにその観測結果を表示させた。かなりの数の魔力反応がある。
「誰かいるな。接触するが……もしかしたら敵性体かも知れない。万が一のために転身できるようにしておいてくれ」
「う、うん。分かった!」
遥の忠告を受けてステッキ形態になったルビーを握るイリヤ。遥は装甲騎兵のハンドルを切り、不測の事態のために魔力反応ができる限り少ない場所を探しながらその魔力反応が人間のそれではないことを確認する。
元々がただの大型バイクだった装甲騎兵だが、オルテナウスとの連動のために改造を施された
そうしてしばらく装甲騎兵を走らせて、見えてきたのはまるで〝ヘンゼルとグレーテル〟に登場する、魔女が住むお菓子の家のような建物が並んだ街。それだけならばメルヘンチックなだけだが、それの周りに〝腐った菓子の怪物〟とでも言うべきものが闊歩しているとなれば話は別だ。
「どうやら穏便に話を……とはいかねぇみたいだぞ、イリヤ」
「ふぇ?」
遥はあくまでもバイザーに搭載されている望遠機能を遠見の魔術と併用しているから見えているが、転身していない状態のイリヤではまだ先の様子は見えまい。だが遥の言葉から戦闘が避けられないらしいことを悟り、魔法少女姿に転身する。
未だ接触はしていないため確定的ではないが、恐らく菓子の怪物たちは友好的な存在ではあるまい。腐っているという見た目の問題はあるが、それ以前にその目に宿る光だ。まるでこの世に生きとし生きるもの全てを呪うかのような敵意の光は、決して友好的な存在が放っていて良いものではない。
となれば彼らを支配しているであろうサーヴァントも決して友好的な相手ではあるまい。恐らくふたりが突入していけば、これを斃すために迎撃してくるだろう。そうなれば遥たちには敵を斃す他ない。元より敵対してくる相手を斃すことに遥は躊躇いはないものの、遥の中にはひとつだけ〝嫌な予感〟とでも言うべきものがあった。
それを意識しないように意図的に抑圧して、遥は装甲騎兵のスロットルを全開にした。猛然と、まるで駿馬の嘶きのような駆動音をあげて装甲騎兵が乗り手の意志に応え、その車体が尋常なバイクでは不可能な速度で草原を駆ける。
あまりの速度に短く悲鳴をあげるイリヤ。だが遥はそれを聞く余裕すらもなく、今にも浮き上がりそうな車体を精妙な魔力放出の調整で以て無理矢理地上に抑えつける。更にそれは車体を抑えつけるのみならず後方で爆裂してより加速を生み、装甲騎兵を地上を往く戦闘機もかくやといった領域にまで押し上げる。
そうして、接敵まで残り数百メートルにまでなった頃になってようやく怪物たちの目がふたりを捉えた。メルヘンとグロテスクが共存するその異様な体躯の頭蓋で、まるで飢えた獣のような眼光が輝く。
「魔法、少女と、人間……!」
「魔法少女、殺す……! 人間、喰う……!」
まるで譫言のように何事かを言う怪物だが、それは魔力放出と内燃機関の生み出す轟音に掻き消されてイリヤと遥に届くことはない。だがより強くなった殺気に遥が気づかない筈もなく、怪物たちを睥睨してタイミングを計る。
自ら迫ってくる馬鹿な獲物を殺すべく駆け出してくる怪物たち。だが遥はそれに突っ込んでいくようなことはせず、怪物の軍勢に突入する寸前で車体の直下で魔力放出によるジェット噴射を行った。
その威力を直に受けて飛び上がる装甲騎兵。眼下では菓子でできた街並みの中を、同じ素材でできた怪物たちが埋め尽くし、その悉くが物欲しげで攻撃的な目で遥とイリヤを見ていた。それは菓子でできた地獄というよりもむしろ、ホラーゲームなどに登場する怪物に襲われた街を無理にメルヘンチックにしたかのようなちぐはぐさがある。
このままでは遥たちはその中に落下し、喰われるだろう。怪物たちはそれを分かっていて、餌が自ら飛び込んでくる瞬間を待って大口を開けている。だが彼らがそれを甘んじて受け入れる筈もない。
怪物に対して空から降り注ぐ桃色の魔力散弾。イリヤが放ったそれは怪物たちを蹴散らす程の威力はなかったが、怯ませることはできる。そうして動きが止まった怪物に喰らわせられるのは巨大な力学的エネルギー。装甲騎兵である。それは直下にいた怪物を圧し潰し、タイヤの回転がその身体を粉々に粉砕する。
続けて左手をハンドルから離し、腰に帯びた叢雲を抜刀。一瞬で限界までそれに魔力を充填し、魔力放出と絶妙なハンドリングで車体を横方向に一回転させながら刀身に込められた魔力を金色の魔力斬撃として放出。怪物らはそれに呑まれ、焼き菓子を通り越して黒く炭化する。
それで彼らの首位にいた怪物らは一掃されたものの、それもごく一部でしかない。実際彼らの視線の先では様々な場所から無数の怪物が現れている。それを前にして、遥が舌打ちを漏らした。
「クソッ、このままじゃジリ貧だな……仕方ない。イリヤ。後ろから来る敵の迎撃、頼めるか?」
「わ、わかった! でも、どうするの?」
「このまま本丸に突入する!」
ええっ!? と驚愕を露わにするイリヤに応えず遥は再び装甲騎兵のスロットルを全開にした。轟音をあげる装甲騎兵。更に遥は魔力放出で無理矢理前輪を弾きあげてウィリー状態にすると、またしても魔力放出で進行方向を変えた。
その進行方向上で次々と現れる新たな魔法怪物たち。その飢えた目は遥とイリヤのみに向けられ、粉砕された同族の残骸に向けられることはない。本来なら人間に食べられる筈の菓子の見た目をした怪物が、人を食べようとしている。それは一種の倒錯のようですらあった。
だがそれらは装甲騎兵い触れることさえもなく、イリヤの放つ魔力弾の一撃で撃滅されていく。恐らくはメイヴの使役する怪物兵士よりも弱いのだろう。粉砕された後の残骸はまるで最初からそうであったかのように、ただの菓子として散乱している。
そうして見えてきたのは他の建物よりも幾らか高い、まるで〝お菓子の城〟とでも言うべきであるかのような建物。それと殆ど同時にバイザーのモニタにはその城の内部にサーヴァントの反応を捉えたという表示が現れる。つまりその城が本丸。だが奇妙なことに、街中には怪物の魔力反応が犇めいているというのに、城中には殆ど魔力反応がない。それに何か嫌な胸騒ぎを覚えるも、しかし行く先などほかにはないために遥はその迷いを振り払った。
その目の前で次に召喚されたのは先程までのようなお菓子の怪物ではなく、槍を持ったトランプの兵隊。まるで御伽噺〝不思議の国のアリス〟から抜け出してきたかのようなそれらはふたりの行く手を阻むように立ち塞がり、しかし後方からはお菓子の怪物が迫ってきている。つまり、挟み撃ちだ。
「物量でごり押しの挟み撃ちとか、魔法少女がやって良いコトじゃねぇだろ……口惜しいが、バイクでフィーバータイムはもう終わりだ。突破するぞ、イリヤ!」
「うん!」
このまま装甲騎兵で突っ込んでも先の怪物と違って得物を持っているトランプ兵相手では串刺しにされて壊されるだけ。そう判断した遥は装甲騎兵を降りてイリヤに号令を出すと、自身もまた腰の鞘から叢雲を抜刀した。更に装甲騎兵の左ハンドルのロックを外して思い切り引き抜き、車体に隠された日本刀の刃と合体させた。
その日本刀に銘はない。ただ失った乞食清光の代わりに沖田に貸している無銘正宗の空いた穴を埋めるため、レオナルドが製作した日本刀であった。流石天才の作品であるだけあって、名工のそれには及ばないものの切れ味だけに目を向ければ一級品だ。
使い魔の要領での遠隔操作によって装甲騎兵が全速力でお菓子の怪物に突進してそれを粉砕する轟音を背後に、遥は二刀を構えて猛然とトランプ兵に向けて突貫していく。迎え撃つように突き出された槍を長刀で弾きあげ、叢雲で胴を裂く。続けて後方から繰り出された槍撃を直感のみで回避し、すかさず長刀を逆手に持ち替えて突き刺してそのまま斬り上げ、絶命させた。
一対多の圧倒的物量差を前にしてでも遥は一瞬も怯むことなく、オルテナウスを精妙に操り敵を斃していく。そしてイリヤもまた再度使用可能になった『
それだけではない。遥は叢雲と長刀の刀身に固有結界から引き出した焔と雷を纏わせ、それを焔撃と雷撃として放出することで敵を殲滅すると共にその周囲にいたトランプ兵を発火させ、消滅させる。
だが、何かがおかしい。それに遥が気づいたのは、斃したトランプ兵の数が3桁にまで届こうかという時であった。どれだけ敵を斃しても一向に敵総数が減らない。それどころか斃した筈の敵がまるで記録していた映像を逆再生するかのように元に戻っているのだ。
(まさか……時間逆行!?)
本来時間遡行や時間跳躍といった類のものは第五魔法に属する現象であるため、それの使い手である蒼崎家当主以外に使うことはできない。だがこの世界は通常世界ではなく固有結界の中であり、外の常識では在り得ないことも起こり得ることは想像に難くない。
今考えるべきはそれではなく、無限に再生する敵に対してどのように対処すべきかということだ。つまり、遥が遥自身を相手にするという状況を想定すれば良い。半ば矛盾に近い仮定だが、遥はすぐにそれに対する解を導き出した。
叢雲の刀身に一瞬で限界まで魔力を充填し、左手の長刀には固有結界内部から引き出した雷を纏わせる。対してその近くではイリヤが限定展開するクラスカードを『
「ハァッ!!」
「〝
気合と真名解放の声に合わせて放たれる雷撃を纏った魔力斬撃と朱槍。それらを進行方向上にいるトランプ兵は何とか阻もうとするも、シャドウ・サーヴァントにすら満たない力しか持たない彼らにそれを止めることができる筈もない。薙ぎ払われた領域が焦土と化す。
だがそれも一瞬のことで、焼き払われたそれらは何らかの要因によって時間が巻き戻されるかのようにして再生していく。だがイリヤと遥はそれを待つような愚は犯さず、再生しつつあるトランプ兵を時に踏み潰しながら城に向けて駆けていく。
無限に再生して斃すことができない敵であるのなら、一度消滅させてから再生するまえに離脱すれば良い。つまりは逃走とも言えるが、そもそも斃せない相手に勝つまで戦うという方が莫迦らしい。
そうして走りながら遥が城内をオルテナウスに搭載されたセンサでスキャンすると、何か不可解な反応が返ってきた。内部の構造が定まらない。まるで城内のみの空間座標が定まらないかのような、或いは
「いくよ、ハルカさん!」
「イリヤ!? ッ、少しは警戒しろよ!」
遥の忠告を聞いているのか、それとも聞いていないのか、イリヤは全力の魔力弾を城の入り口である扉に向けて放って破壊する。どうやらそれも菓子でできているようで、巻きあがった粉末の中にイリヤは飛び込んでいく。そのあまりの焦りように遥はため息を吐いてから、イリヤを追いかけた。
――結論から言えば、その時点でのイリヤはあまりにも冷静ではなかったと言えよう。いかな子供といえどそれなりに戦いを経験してきた彼女は、常であれば敵地への突入に際して警戒を怠るような愚は犯さなかった筈なのだ。だが今回、友の手がかりを見つけようと逸るあまりにそれを忘れた。
イリヤを追って菓子の粉塵に飛び込む遥。ひどく甘い香りに包まれながら城の内部に突入した瞬間、彼は異様な感覚を覚えた。それは、そう。言うなれば固有結界を展開した時のような。その感覚から、遥は己の失策を悟った。
たとえどれだけイリヤに反対されようと、本気で敵を斃そうと思うのなら有無を言わさず城ごと天叢雲剣の真名解放で消し飛ばしてしまうべきだったのだ。それが、美遊に居場所の手がかりを掴んでいるかも知れないという希望的観測の下に最善を行わなかった。
城内に突入した遥の目に飛び込んできたのは外観通りの菓子の城などではなく、一言で言えば『森』だった。まるで御伽噺の挿絵に描かれた森をひどく醜く歪ませたかのような、瘴気の立ち込める毒の森だ。
しかし体内に悪しきものを浄化する作用を持つ固有結界を内包する遥に生中な毒は通用しない。加えて既に聖杯の泥とヒュドラの神毒を同時に食らったことのある遥にとって、それは最早ないも同然であった。そうして周りを見てみれば、そこにイリヤの姿はない。恐らくこの森――外のそれとは別の敵性固有結界に取り込まれた時点で別々の座標に配置されてしまったのだろう。
「クソ……迂闊だった」
いくら後方から不死の軍勢が迫ってきていたとはいえ、突入の前に遥ができることはあった筈だ。それが遥はそれをすることなく、結果としてイリヤと分断されてしまった。この状況は遥の責任だ。
だが今は自分を責めているような暇はない。遥がすべきことは一刻も早くイリヤと合流し、敵魔法少女を斃すこと。そう考えて歩を進めようとした遥は、しかしその瞬間に強烈な悪寒を感じてその場から飛び退いた。
直後、遥がいた場所を何か巨大なものが薙いだ。続けて遥は連続のバックステップで繰り出される致命の連撃を回避する。それらは術理や、それどころかマトモな理性さえも感じさせないものであったがそれでもなお遥を殺し得るだけの力があった。
しかし遥が一方的に攻撃されているだけの状況を許す筈もない。攻撃を回避しながらパターンを読み、叢雲を一閃。理性なき襲撃者の丸太のような腕を、その刃は容易く断ち切った。切り離された腕が地面に落ち――しかし、消滅するより早くに時間を巻き戻すかのように元に戻る。
「オイオイ、何の冗談だこれは……? あの程度の雑魚ならいざ知らず、とんでもねぇバケモノまで再生能付きかよ……!」
そう言って奥歯を噛みしめる遥の目前。そこにいたのはまさしく文字通りの化け物化生。血のように紅い体表には奇妙な紋様が描かれ、背中からは悪魔の羽のようなものが生えている。
もしもこの固有結界が遥の予想通り不思議の国のアリスをなどを元にしているのであれば、その化生は差し詰め〝ジャバウォックの詩〟に登場する怪物〝ジャバウォック〟といった所か。であればヴォーパルの剣があれば簡単に斃すこともできようが、遥の手に在るのは天叢雲剣と無銘刀だけだ。
しかし既にジャバウォックは遥を獲物として狙いを定めている。逃げることはできない。遥の残された道はもう、この化生と戦って打ち克つ他には残されていないのだ。加えて道らしきものは化生の背後に続いているときている。
「そこを、退け。俺が歩く道だ!!」
固有結界への突入によって怪物ジャバウォックの前に放り出された遥とは対照的に、イリヤが放り出されたのは禍々しいこと以外には何もおかしな点はない森の中であった。周囲には特に敵性体の姿はない。不自然な程に。
しかし何時何処から敵が出現するかは分からない以上、転身を解くことはできない。遥と同じように自らの失策を認めたうえでそう冷静に判断できる力が、イリヤにはあった。いかな小学生とはいえ、イリヤは聡明な方なのである。
そうしてどれほど歩いただろうか。最早この世界に入り込んで歩いた時間も距離も忘れてしまいそうであった。それが何故かは分からない。いや、イリヤはそれを
それは何も、イリヤが忘れっぽいということではない。そもそもとして彼女がいるそこは固有結界の内部であり、通常世界の法則は意味を為さない。そう、それはたとえ忘却という現象でさえも。
その事実に気付かないままイリヤとルビーはあてもなく歩き回って、そして明らかに人工的に作られたとしか思えない程に開けた場所に出た。立ち込める霧の為に全体を見ることはできないが、しかしイリヤがそこに立ち入ろうとした瞬間、予想だにしていなかった事が起きた。
「あら? ……まぁ! まぁまぁまぁ! ねぇ、そこの貴女! 貴女、魔法少女ね?」
「えっ?」
少女の声。それもこの世界の中に在ってはむしろ異常に思えるような、あまりに普通の幼い少女めいた無邪気な声音であった。しかしそれはイリヤの警戒を解く結果にはならず、むしろ強烈な違和感にイリヤはより警戒を強める。
そうして現れた少女は、まるで絵本の中から飛び出してきたかのような姿であった。黒いゴシックロリータ調の服を纏う、銀色の髪とアメジスト色の瞳を持つ少女。だがそんな可憐な容姿とは裏腹に腕や足に見える球体関節が人工物めいた印象を与える。
〝まるで人形のような〟ではなく〝まるで人間のような〟という表現が適切であるようにも思える少女はその言葉からするに魔法少女なのだろう。興味深そうにイリヤを覗き込むように見た後、くるくると回ってからスカートの裾を掴み、礼をしてみせる。
「なら自己紹介しなくっちゃ! あたしは〝
「……わたしは――――わたし、は……!?」
答えようとして、はたと気づく。名前。自分の名前。己を己として規定し、己たらしめる記号たる、親から生まれて初めて与えられるもの。それが、思い出せない。どれだけ記憶を掘り起こしても、それだけが欠落している。ルビーはそんな契約者の名前を呼ぼうとして、自分もまたその名を忘れていることに気づいた。
自身の名を忘れ、仲間を忘れ、半ば錯乱状態に陥るイリヤ。そんなイリヤの様子を見て、アリスが笑みを見せる。イリヤが自身の記憶を次々と欠落させているのは他でもない、彼女の固有結界の効力故のことであった。
とある並行世界での出会いが英霊の座に強く影響したことで得た〝アリス〟という霊基。その霊基で召喚された彼女が持つ〝
これがこの世界に召喚されてファースト・レディによって魔女としての使命――とある妖術師の言を借りれば『宿業』に近いものを埋め込まれ『物語の魔女』として新生したアリスのやり方。彼女に戦う必要はない。彼女はただ、彼女を斃そうとする敵がこの世界に飛び込んでくるのを待っていればそれで良いのだ。それだけで、敵は抵抗もできずに消える。
「貴女たちに名前なんて必要ないの。お話の登場人物の名前は、書いた人が決めるでしょう? だからあたしが名付けてあげる。貴女はいずれ
「そんなコト、させない……!」
「うふふ!! ふふふふふ!! あたしがみんなを幸せにしてあげる! みーんな、終わりのない
そう言って、物語の魔女は笑う。この上なく無邪気に、この上なく残虐に。それはイリヤをして最早この少女と分かり合うのは不可能だと確信させるには十分で、己の名を忘れた少女は得物たるステッキを構えて魔力弾を放った。
何か色々と通常のナーサリー・ライムの宝具とは異なる効果を示しているものがありますが、仕様です。これも全て、ファースト・レディって奴の仕業なんだ。