Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第68話 背信デタミネーション

 怪物ジャバウォック。それはルイス・キャロル作〝鏡の国のアリス〟という童話に登場するジャバウォックの詩という物語に書かれているという化生の名であり、現実にそんな名前の幻想種は存在しない。

 故に()()をジャバウォックであるとしたのは遥の直感であり、確定情報ではない。しかし固有結界外のトランプ兵や酷くメルヘンチックかつグロテスクな結界内部からしてルイス・キャロルの童話をモデルとして改悪しているのが明らかな以上、()()はジャバウォックと呼称するしかあるまい。

 人間の身の丈を大きく超えた体躯に、サーヴァントすらも大きく上回る魔力量。理性こそ皆無であるものの、それ故に高すぎるステータスをセーブすることもない。ジャバウォックはサーヴァントではないため遥のマスターとしてのステータス透視特権は通用しないが、恐らくは全ステータスが測定不能、つまりはEXランクと見て間違いあるまい。

 そして、何より驚異的であるのはその再生能力だ。いくらステータスが高くとも理性のない攻撃ならば回避に集中しさえすれば躱して反撃できるが、それが即座に無効化されてしまうのでは意味がない。再生能力自体は遥も持っているが、彼のそれが脳と心臓を破壊されてしまえば発動しないのに対してジャバウォックを含めた敵性体のそれはどれだけダメージを受けても作動する。

 まさしく無尽蔵、まさしく不死身。年若いながら今まで相当数の化生を狩ってきた遥だが、ここまで完成された不死性を持つ化生を相手にするのは初めてのことであった。だが遥の再生能力に欠陥があるように、完全な不死などある筈がない。つまり、殺せば死ぬ。

 問題はその殺すための手段が見つからないということだ。原典のジャバウォックの性質をそのまま反映しているのならヴォーパルの剣さえあれば殺すこともできようが、生憎とそんなものは手元にない。故に、遥は他にジャバウォックを斃す方法を探さなければならない。

 

「■■■■■ッ!!」

「チィッ!!」

 

 まるで猛獣のような、いや、猛獣さえも恐れおののいて失神してしまう程の威圧感を伴う咆哮。しかし周囲の世界はそれを称えるかのように不快な音を立てる。同時に放たれた拳撃が空気を叩き、銃声のような爆音が鳴り響いた。

 対する遥はそれを迎え討つようなことはせず、直感で軌跡を先読みすることでそれを回避。続けて放たれた逆側の腕での薙ぎ払いを咄嗟に脚部バーニアを吹かせることで無理矢理に距離を取って避けた。

 しかしそれで逃げることを許すようなジャバウォックではない。自らの攻撃が遥に回避されたと分かるや、その巨体からは想像も付かないような、常人が見れば怪物ではなく壁が迫ってきているようにも感じられる速度で遥に肉薄し、組んだ両手をハンマーのように振り下ろした。

 喰らえば再生能力を持つ遥でさえ物言わぬ挽肉へと姿を変えてしまうような致死の威力を内包した一撃。遥はそれを一歩後方へ飛び退くことで躱し、あまりの衝撃で地面に陥没した両手を足場にして空中に跳躍。そのまま落下の勢いを利用してジャバウォックの脳天から股下までを叢雲の刃を以て斬り裂いた。

 普通のサーヴァントであれば、人間であれば、魔獣であれば確実に致命となるダメージ。しかし唐竹割にされた筈のジャバウォックは次の瞬間には時間を逆行するかのような挙動で再生を始め、瞬きをする程度の時間もかけずに元の姿を取り戻した。その事実を前にして、遥が舌打ちする。

 半ば既に分かり切っていたことではあるが、どうやらジャバウォックは脳や心臓を破壊されても問題なく再生する。この固有結界の効力によるものか、或いは他の何か別の要因、何らかの宝具によるものかは分からないが、この際そんなことはどうでも良い。

 攻撃が失敗したと悟り、遥が次に行ったのは敵の間合いからの離脱。自らの攻撃が通用しないと判明したのにも関わらず敵に攻撃を許すなど、悪手中の悪手だ。限界にまで脚の筋肉と装甲に強化を施し、思いきり地面を後ろに蹴り抜く。

 だが遥の身体が完全にジャバウォックの間合いから脱する寸前にジャバウォックが放った拳がオルテナウスの足部装甲を擦過。その程度の接触でも遥の身体は高空にまで打ち上げられ、そのまま地上へと落下した。

 しかしジャバウォックは追撃するでもなくゆっくりと歩み寄ってくる。その様は、さながら瀕死の獲物を前にした肉食獣か。理性も感情もないが故の、簡単に相手を見下す行動を前にして遥は苛立ちも露わな詠唱を飛ばした。

 

「我が躰は焔――加速開始(イグニッション)!!」

 

 その詠唱によって遥の体内で固有結界が活性化し、外界たる敵性固有結界からの影響を遮断。更に体内時間が数倍にまで加速し、固有結界の作動を感知したオルテナウスのメインシステムが排熱・冷却機構を作動させる。

 続けて遥が放ったのは焔ではなく、スサノオの神核を継承した結果として行使できるようになった雷撃。海と嵐の神の力が固有結界に齎した、ある種の権能に近しいそれがジャバウォックに突き刺さる。瞬間、今までどんな攻撃を受けてもダメージを受けなかったジャバウォックが初めて膝を突いた。

 効いている。遥が驚愕と共に確信する。だが、何が効いているのか。恐らく雷そのものが内包する威力ではあるまい。であればジャバウォックが雷のような電気的属性に弱いか、或いは遥の固有結界が持つ〝魔力を奪い、浄化して遥に還元する〟という特性が特効的作用を齎しているのか。そのどちらかだ。

 仮に後者であるとするなら、この怪物は召喚者からの魔力供給を受けることなく召喚時に与えられた魔力のみで動いているということになる。それはそれでどのようにしてEXランクにすら匹敵する魔力総量を捻出しているのかという疑問は生まれるが、それは置いておこう。

 重要であるのは〝魔力を全て奪えば消滅する可能性〟があるというその一点。それさえも時間逆行で回復されてしまう可能性は否定しきれないが、今の遥には打開策らしい打開策が他にないのもまた事実。ならば、それに賭けるしかない。

 

「■■■■■────ッ!!」

 

 一方で先の雷撃で痛撃を与えたことでジャバウォックも遥を明らかな脅威と認めたのか、その目に敵意と殺意の光が宿る。今になって、ようやくジャバウォックの中でこの戦闘の意味合いが狩りから闘争へと変わったのだ。

 ジャバウォックが動く。通常の数倍にまで加速している筈の遥の認識時間内でさえそれまでと比べて一切遅くなっているようには見えない挙動は、流石は英霊の宝具による被造物といった所か。

 対して遥は短く息を吐き、意識を動から静へと、攻から見へと切り替える。そうして肉薄してきたジャバウォックが繰り出す拳撃は、まさしく致命の嵐。一撃でも喰らえば死なずともオルテナウスは壊れ、巻き込まれた身体は満足に再生しなくなるだろう。

 だがあろうことか、遥が走り出したのは後方ではなく前方。つまり自ら攻撃を仕掛けてくるジャバウォックの間合いに入り込もうとしているのだ。気が狂ったかのようにも思える暴挙。けれど、遥は何も破れかぶれになってそんな行動に出た訳ではない。

 ジャバウォックに接近してその拳が遥の身体を吹き飛ばそうかというその瞬間、遥は一気に加速倍率を引き上げた。無理な加速によって悲鳴をあげる全身。しかしその激痛を無視して彼はジャバウォックの連撃を回避し、その懐へと潜り込んだ。間髪入れずに、叢雲を突き立てる。

 

「燃えろ、デカブツ」

 

 冷酷な宣告。同時に遥は叢雲を通して煉獄の焔をジャバウォックの体内に叩き込み、怪物の総身が燃え上がる。更に焔はジャバウォックの身体から魔力を引きずり出し、浄化して遥に還元していく。

 だがそのまま消滅することを受け入れるような怪物ではない。その身体に刃を突き立てる遥を暴れまわることで振り払おうとして、しかしそれは叶わない。ジャバウォックの攻撃を察知した遥がそれに先んじて雷撃を纏う拳をぶつけ、ジャバウォックがよろめく。

 弱体化している。恐らくこの怪物に作用している時間逆行はダメージはなかったことにできても魔力の減少までを無かったことにはできる訳ではないのだろう。考えてみれば当然だ。魔力を使って行使する宝具の効果で魔力が戻ってくるというのは等価交換の原則に反する。

 ならば、魔力を全て奪おう。正攻法ではないが、正攻法では斃せないのだから邪道に走るしかあるまい。再び距離を取った遥に反撃せんとするジャバウォック。遥は魔術回路を通して脚部装甲に指示を出すと、それの格納スペースから飛び出してきた黒鍵2本をジャバウォックの足元に向けて投げ放った。それらは怪物の足を貫き、動きを縫い留める。

 その隙を逃すことなく、地を蹴る遥。焔と雷を纏う二刀。蒼と紅の軌跡を描いて遥はジャバウォックに迫り、せめてもの抵抗として振るわれた剛腕を斬り飛ばして二刀をジャバウォックに突き刺した。怪物の体内を焼き、魔力を奪う雷と焔。それで全ての魔力が奪われたのか、ジャバウォックの身体が霊子の光をあげることもなく虚空に溶けるようにして消える。

 怪物が消滅したことにより静寂が戻る御伽の森。遥の固有結界も活性を減じたことでオルテナウスが元の容に戻り、焔も漏れ出すことはなくなった。しかし遥の戦闘がまだ終わった訳ではない。遥にはまだ斃さねばならない相手がいる。助けなければならない相手がいる。

 

「イリヤ……!!」

 

 ジャバウォックに殴られて破損した足部装甲を直す暇もなく、遥は駆けだす。胸中を占める、悪寒に急かされるようにして。

 


 

 乱舞する桃色の閃光。イリヤが放った魔力砲撃が大地を抉り、貫かれた毒の霧が燃えるような音を立てて消滅する。更に着弾した箇所から巻きあがった土煙は魔力砲撃を受け、一瞬で紅く赤熱してから蒸発する。

 常のイリヤであれば滅多に使うことがない、聖杯の嬰児たる彼女の半身が分離してもなお膨大な魔力出力量が齎す攻撃力を戦闘経験から来る技術の後押しによってブーストした猛攻。普段なら敵にさえ優しさを見せるイリヤにそこまでさせるのは自らの名を喪った焦り、そして本能的に感じる敵の脅威であった。

 高空より降り注ぐ魔力砲の雨。流石にサーヴァントを一撃で屠るような威力はないものの、痛撃となる筈のそれをしかしアリスは避けなかった。それどころか雨の中で濡れながら遊ぶ子供のように無邪気に笑いながらイリヤの魔力砲を受けている。

 

「うふふふふ! あはははは! 楽しいわ! とっても楽しいわ! もっと遊びましょう!?」

 

 言葉の内容だけを見ればそれは楽しく遊ぶ子供にしか見えなかったことであろう。だが敵の攻撃を自ら受けながら『楽しい』などと。その光景はまさに不気味さもここに極まれりといったもので、イリヤが顔に恐怖を浮かばせる。

 止まる砲撃。少しずつ晴れていく土煙。果たしてその中から現れたアリスの様は、さながら不出来な人体模型のようである。魔力砲の一撃が擦過した顔面は半ば焼け爛れて表情筋が露出し、そちらの眼球は飛び出て辛うじて神経で身体と繋がっているような有様である。左腕も半ばから千切れ、その先は数本の筋線維、或いは植物繊維で本体と繋がってぶら下がっている。

 そんな今にも死んでいておかしくない姿でありながら、アリスはケタケタと笑い続けている。それどころか最早治りようもない程に損傷している筈のアリスの身体は、生々しい音を立てながら再生しつつある。

 今時(たち)の悪いスプラッター映画でも登場しないようなグロテスク極まりない姿にイリヤが顔を青ざめさせる。だがアリスはそれを恐怖とは捉えなかったのか、それとも元より正常な理性など残されてはいないのか、満面の笑みを浮かべたままでいる。

 アリスが再生しているのはトランプ兵やジャバウォックのように彼女の宝具である〝永久機関・少女帝国(クイーンズ・グラスゲーム)〟の時間逆行によるものではない。この宝具はあくまでもアリスの召喚物にのみ適用されるものであり、アリス自身や外界に作用するものではない。

 アリスに限りなく不死に近い再生能力を与えているのは他でもない、ファースト・レディによって埋め込まれた魔女としての使命たる『宿業』。それを埋め込まれたことでアリスの霊核は脳でも心臓でもなく宿業となり、それを破壊されない限りは再生し続ける。レディによって用済みと判断されるまでは。

 しかしその代償として元々あった〝アリス〟としての自我は増幅された負の感情と宿業に呑み込まれ、壊れてしまっている。その様はとても純正のサーヴァントとは言えず、むしろ〝屍〟と言った方が良いか。サーヴァントの屍が、意志を持って動いているのだ。

 くるくると楽し気に回りながら自らの身に起きたことをイリヤに語るアリス。だがイリヤにとってその事実は即ち、アリスは最早救うこともできず、それどころか斃すこともできないと告げられるに等しい。

 

「だったら――……」

 

 だったら、何だと言うのか。数瞬前には思い出すことができた筈なのに、今のイリヤにはそれを思い出すことができない。それどころかイリヤは既に多くの記憶を忘れたことすら忘れ、殆ど白痴も同然の状態となっていた。残っているのは常に意識していた、敵を撃退するための戦い方のみ。

 だがそれももう維持していることすらできなくて、遂に飛び方を忘れてイリヤが地に堕ちた。同時に転身も溶けてしまい、ルビーが傍らに転がる。常であれば姦しく喋る声も、聞こえない。

 それでもなおイリヤは立ち上がろうとして、その直前に立ち上がり方を忘れた。筋肉の使い方を忘れた。思い出を忘れた。感情を忘れた。日本語を忘れた。次第に意識さえ薄くなって、そんなイリヤをアリスは満面の笑みで見ている。そうして否応なく意識を手放して、その存在が薄くなって――

 

()()()()!!」

 

 ――それを阻むように、鋭い声が少女の耳朶を打った。イリヤ。イリヤスフィール。その声が聴覚神経を通じて少女の脳に届き、まるで電撃でも喰らったかのような衝撃を幻覚する。そうして少女は理解した。それは、自分の名前だと。

 嘗て、或いは今よりも未来の話だが、イリヤと同じように名無しの森によって名前を奪われたとある魔術師(ウィザード)は予め自分の手に名前を書いておき、それを利用して自分の名を取り戻した。つまり名無しの森の中であろうと何らかの要因があれば名前を思い出すことが可能なのだ。今回はたまたまそれが遥の声だっただけの話。

 そうして記憶を取り戻したイリヤは、しかし転身が解けたことで周囲に立ち込める毒霧の影響を防ぐものがなくなってしまい、それに身体を犯されて動くことができない。そのまま地に伏せるイリヤの身体を、駆け寄った遥が抱き起した。

 

「イリヤ……済まない。俺の注意が足りなかったばかりに辛い目に遭わせちまった」

「ううん……遥さんが謝るコトじゃ、ないよ……元はわたしが、勝手に飛び込んだのが悪いんだもん……」

 

 全身を毒の霧の犯されているせいか、ひどく消え入りそうな声でイリヤは言う。このような毒と記憶忘却という二重苦に責められる状況でありながら、イリヤはその責任を他人に転嫁することなく、それどころか他人に思いやりまで見せた。その善性がどこか相棒に似ていて、彼は奥歯が砕けそうな程に強く噛みしめた。

 たとえどれだけ付き合いが短くとも、たかが数時間前の出会いであるのだとしても、関わった以上遥はイリヤを助けなければならない。何故なら、それが夜桜遥を夜桜遥たらしめる信条であるのだから。何であろうと、子供は助けなければならない、という。

 いくらイリヤが遥のせいではないと言っても、この状況を作った原因に遥がいることは変わりない。故に、遥はその責任を果たさなければならない。そのことに不満はない。――しかし、これはあまりに悪辣な趣向と言わざるを得ない。

 

「素敵素敵! まるでお姫様を助けに来た騎士様みたいなのだわ!」

 

 嗚呼――やはり全ての救済を為す神などこの世にはいないのだと、或いはいたとしても人間ではない遥には牙を剥くことしかないのだと、改めて遥は確信する。でなければ、こんなあくどい運命がある筈がない。

 ひとりの子供を助けようとして、そのために殺さなければならないのもまた子供。いくらサーヴァントであるとはいえ、その精神はあくまでも霊基の外見年齢に引っ張られる。つまりはこの少女もまた、子供であることに違いはない。

 つまり遥は『己の信条を曲げてでも子供(イリヤ)を助ける』か『自分の信条を守って子供(アリス)を捨て置く』かのどちらかを選択しなければならないのだ。たとえどちらを選択しても、遥は一度だけ、己の正義を踏みにじらなければならない。

 そんな遥の内心を知ってか知らずか、イリヤは遥に先のアリスから告げられたことを伝える。あのアリスには宿業なるものが埋め込まれ、それを壊さない限りは斃せないということ。そして、今のアリスはアリスそのものではなく、その屍を別の誰かが動かしているようなものであるということを。

 それは比喩でも何でもなく〝魔女〟だ。魔に操られ、魔に呑まれ、魔を広げる少女。いや、少女の姿をしているだけでその実態は魔物にも等しい。少女の心に巣食う闇を増幅し、大本さえも飲み込んで完成した魔物だ。

 一度大きく深呼吸をしてからイリヤに治癒魔術を掛けてから付近の木に背中を預けさせ、アリスに向き直る。胸中で渦巻く多くの感情を決意と顔の大半を覆い隠すバイザーで押し殺した真顔の遥とは対照的に、アリスの笑みはそこにある筈の感情が悉く欠落している。

 

「不思議ね……貴方は魔法少女じゃないのに、どうしてここにいるの?」

「さぁな。それは俺にも分からん。気づいたらここにいたんだ」

「そうなのね……でも安心して! 貴方もすぐにあたしの御伽噺に加えてあげるわ! そうしたら、寂しくなくなるもの! ありす(あたし)もきっと喜ぶわ!」

 

 その言葉を受けて、遥が息を詰まらせる。きっとアリスに悪気はない。彼女はただ、この世界にはいる筈のない己の半身を求めているだけなのだ。ずっと孤独だった少女のための優しい御伽噺を持って再会したいだけなのだ。

 適切な例えではないかも知れないが、古代ギリシアにおいて人は太古にゼウスによって分かたれた己が半身を求めて恋をするという。詰まる所、それは共依存、たったふたりだけで完結した世界だ。愛であれ恋であれ、人は己の掛けた部分を補うことができる相手を強く求める。アリスはきっと他の世界でそういう存在に出会って、けれどこの世界では会えなかった。その寂しさを、この世界の主に利用された。アリスは、被害者でもあるのだ。

 けれどアリスはもうここにはいない。いるのは、アリスの屍をそれらしく動かしている極めてアリスに近いだけの何者かだ。その悲嘆も、渇望も、既に終わったものを無理に動かされ続けているに過ぎない。

 終わった渇望は癒せない。終わった嘆きは救えない。終わった命は戻せない。そんな力は、遥にはない。この世の摂理を押し曲げてでも何かを為す力など、その手にはない。あるのは何かを終わらせる力と、その代価として何かを生かす力だけ。

 

 

 

 ――『総てを、皆を救う力』など、それこそ趣味の悪い御伽噺だ。

 

 

「だから、せめて、苦しまないように一撃で終わらせてやる」

 

 ひどく冷酷な声音であった。感情が欠落しているのではない。今も湧き上がってくる感情を抑圧し、切り捨て、それでもなお自力では隠しきれないものをバイザーで隠して何とか保っている冷酷。そんな偽りの感情でも、身体はよどみなく動く。

 抜刀される天叢雲剣。燦然と輝く神剣の光を見るや、今までの張り付いたような笑みがたちまちに恐怖へと変わった。

 

「あぁ……! 駄目! ()()()()()()()()()()()!」

 

 今までの狂気を孕んだ喜悦を含む声音とは裏腹に、その声音は偽りのない恐怖に塗れていた。遥が手に執る天叢雲剣を凝視しながら、顔を恐怖に引き攣らせて。イリヤの猛攻を受けても笑顔であり続けたアリスが、叢雲を見ただけで恐怖を隠しきれずにいる。

 その恐怖の理由はアリスにも分かっていない。けれど、彼女には確信があった。あれは自分を終わらせることができてしまうものだ、と。理屈ではなく本能で、それが終わりを齎すものだと理解した。

 さもありなん。これはアリスはおろか遥も知らないことだが、天叢雲剣はかの刀匠〝千子村正〟が目指した〝縁を切り、定めを切り、業を切る究極の一刀〟たる草薙剣、そのオリジナルである。故にそれには草薙剣よりも確実に宿業を断つ力がある。宿業によって生かされているアリスはそれを本能で悟った。悟ってしまった。

 遥を近づかせまいと彼に向けて氷の魔術を発動するアリス。しかし遥は悠然にすら見える動作でアリスに歩み寄り、飛来した氷塊を左手の長刀の一閃で破壊した。続けて放たれた炎と風の魔術も魔術刻印から呼び出した夜桜の封印魔術を以て防御し、アリスに近づいていく。

 遥のしようとしていることは、大衆の正義から見れば間違いなく正義だ。人類史を破壊しかねない領域である特異点を守る敵、それを斃すのだから。そして遥自身の正義においても〝この先の未来がある〟イリヤと〝全て終わって先がない〟アリスでは、犠牲になるのは後者であるべきだ。

 それは分かっていても、納得できない自分がいる。それを押し殺して、遥はアリスを追い詰めていく。アリスの放つ魔術を切り裂き、魔術で退路を塞ぎ、そして、その小さな身体を間合いに捉えた瞬間に叢雲を逆手に持ち替えて迷いなく振り落とした。

 黄金の軌跡を描き、アリスの鎖骨の辺りから彼女の身体に侵入する切っ先。そして一瞬で叢雲はその身体を貫通し、逆側の脇腹から血に濡れた切っ先が顔を出した。その刃は霊基の彼方に隠されたアリスの霊核にまで届き、それを断ち切る。形のない、概念としての霊核の筈が、遥には確かにその感覚があった。

 

「ひどいわ……あたしは、ただ、ありすに会いたくて……ずっと、ずっと独りぼっち、に、してたから、その分いっぱい遊びたかった、だけなのに……」

 

 それがアリスの最期の言葉だった。次の瞬間にはアリスの身体は魔力の光をあげながら消滅し、主を喪った固有結界もまた溶けるようにして消えて代わりに菓子の城の内装と思わしき空間と小さい宝石のような石が現れる。

 しかしその宝石は勝者である遥の手には収まらず、ひとりでに明後日の方向に飛んでいったかと思うと、いつの間にかそこにいた少女の手に収まった。その姿を見て反射的に遥が叢雲を構え、イリヤが声を漏らす。

 果たして、そこにいたのは色以外はイリヤと瓜二つの少女であった。だが同時に、その褐色の肌や紅い聖骸布、黒いボディアーマーなどはどこか遥と契約している弓兵、エミヤを彷彿とさせる。警戒する遥、茫然とするイリヤ。その目の前で少女は妖艶に微笑む。

 

「何か妙なコトになっていると思ってきてみれば……どうして彼ら以外に男がいるのかしら? しかも、その様子じゃ魔法紳士にもなっていないようだし……」

「クロ……そんな、クロなの……!?」

『いや、違います、イリヤさん! あのロリッ娘、クロさんであってクロさんではありません!!』

 

 どういうこと!? とルビーに問いを返すイリヤの前で、少女はイリヤを嘲るように笑う。そうして腰布を摘まんで淑やかな所作で礼をすると、少女――最低最悪の魔女は名乗りをあげた。

 

 

 

「初めまして。希望に溢れた憐れな魔法少女に、迷い込んだ可哀そうなヒト……私は〝ファースト・レディ〟。この世界の主にして、総ての救済を為す最高最善の魔法少女よ」

 




 別に最低最悪だの最高最善だのと言っていても昔のファースト・レディが出てきたりはしません。あと何気に初めて文字のフォントを一部変えてみたり。

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