Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第79話 嘲弄バタフライ

 それを見た時、遥が真っ先に思い出したのは幼い頃に見かけた螳螂の交尾であった。全てがそうなるという訳ではないが、螳螂というのは交尾を終えた後に雌が雄を食べてしまうことがあるという。そちらの方がより確実に産卵に必要な栄養素を得ることができるからなのだそうだ。

 無論、本当に遥の目の前で性交が行われた訳でも、共食いが為された訳でもない。しかしある意味でそれらに近い行為ではあっただろう。尤も、目の当たりにしても遥の胸中に湧き上がったものは只管な嫌悪と悪寒のみだが。

 ファースト・レディの固有結界の真の姿である雪原と水晶の国、その中央に存在する城の最奥である玉座の間にて、それは起きた。遥の目の前に広がった聖杯の泥から黒い靄のような魔力の塊が出てきて、それを美遊、もといその霊基(からだ)を乗っ取ったファースト・レディが捕食する。そうして己の霊基がより強固になったのを感じ取り、レディが恍惚の笑みを浮かべながら唇を舐める。

 

「本当に来たのね、魔物さん? 力の差は理解できているでしょうに」

 

 挑発するようなレディの言葉に、遥は何も返さない。ただ口を真一文字に引き結び、殺意の視線をレディに注ぐだけだ。しかしレディにとって、それは何よりも雄弁に遥の答えを物語っている。

 確かにレディに言う通り、遥はレディの間に横たわる根本的な力の差を理解している。いくらクシナダの力で強化されているとはいえ、遥はただ高位神格をもつだけの半神半人。対して相手は人類総てを抹殺して余りある、通常のサーヴァントとは比較にもならない力を秘めた獣だ。その時点で考えるまでもなく彼我の力量差など理解できよう。

 しかし、力の差を理解しているからとて戦わずして負けを認めるような軟弱極まる精神構造をしているのなら、遥はこの場に至る前に死んでいただろう。たとえ己よりも相手の方が強いのであれ、必ず勝利するという意志とそれに無理矢理身体を追従させる精神力。つまりは全くの精神論。一般的な魔術師が聞けば鼻で笑いそうなものだが、弱者が強者に食らいつくにはそれしかないのだ。

 神刀を構え、あくまでも戦う姿勢を崩さない遥。そんな遥を嘲笑うかのように息を漏らし、レディが玉座から立ち上がる。そうしてその背中から広がった魔力はまるで蝶の翅のような形を取り、暴虐の魔力が一帯を薙いだ。そうして、嗤う。この上無く淫靡に。この上無く陰惨に。

 

「あぁ、本当に愚かで、愚かで……いっそ可哀想なくらいだわ。私を斃すことが人類を救うことになると、本気で思っているの?」

「……?」

「理解できないって顔ね。でも、そうでしょう? 無限の並行世界には無限の危機があって、斃すべき敵とそれに苦しめられる人々がいるわ。私も昔は敵を斃せば皆を救えると思っていた。

 でも、違った。違ったのよ。私が救った筈の人類は皆、醜く変わってしまった。幸せになりたいと思っていた人々が、他人を不幸にし始めたのよ。だから、気付いたの。人が生きている限り、人は救えないと」

 

 初めは美しかった筈のものが、いつの間にか醜く変わってしまう。幸福の席というのは最初から数が限られていて、人間はそこに自分が座るために他人を蹴落とそうと闘争を繰り返して無限の不幸を生み出すのである。誰もが救われたいと願っていながら、誰ひとりとして本当に他者を救おうともしない。それが人間だと、レディは言う。

 故に彼女は人類を終わらせるのだ。このまま無意味に人類が続き、それに伴って不幸が無限に繰り返されて際限のない悲嘆が生まれるくらいならば、いっそ全てを終わらせてしまえば誰も不幸にならず幸せだろうと、彼女は本気でそう信じている。

 なんと巨大で、歪んだ人類愛だろうか。レディ自身はあくまでも人類を愛していて、だからこそあらゆる並行世界の人類を滅ぼそうとしている。歪んだまま膨れあがった人類愛が、やがて人類悪と化す。これが獣。これがビースト。善意を端に発する思いが悪意に変貌し、己を悪と認識しないまま肥大化した化生。だがそんな怪物を前にしても遥の剣気は揺らがず、聊かの翳りもない殺意をレディに向けて毅然と言い放った。

 

「さっきから黙って聞いていればゴチャゴチャと……どうでもいいわ、おまえの諦念なんて。俺はおまえを殺すために来たんだ。おまえの説教なんて聞く気はないし、俺自身もする気はない」

 

 遥が見ているものとレディが見ているものは決定的に異なる。遥にとって世界を救うというのはあくまでも手段、己の目的を果たすために必要だから人類史を守るのであって、最終的な目的ではない。

 対してレディにとってどういった形であれ世界を救うというのは最終目標である。だからこそどうあっても叶えようとするし、それを阻もうとする遥を殺してでも排除しようとするだろう。

 遥とレディでは見ているものが違えば、信じているものも全く異なる。故にふたりが相互理解を果たすことなど全く不可能で、元より両者にそのつもりは一切なかった。片や世界が続いて欲しいと願い、片や世界を滅ぼそうとしている。成さんとする所業が対極に在るのなら、片方が消える他ない。

 レディの手にカレイドライナーのそれと酷似した魔杖が顕現し、解放された悪性の魔力が遥を総毛立たせる。最後の魔法紳士を取り込んだことでまた一歩完全覚醒に近づいた最低最悪の魔女の姿はまさしく一羽の蝶の如く。過去を忘れ、友を忘れ、約束を忘れ、独善と妄執の果てに堕ち果てた一匹の獣は今、遍く世界に向けて手を伸ばす。

 

 

 

 ──ADVENT BEAST.

 

 

 ──人類悪、変態。

 

 

 

「さぁ、動きなさい。美遊(わたし)の身体。世界を救うために」

 

 何事かレディが呟くや否や、その霊基から放出される魔力が更に増加する。その規模たるや、特異点を形成するために設置される聖杯の3倍から4倍程度に匹敵、或いは凌駕するだろう。途轍もない出力の魔力炉だ。

 その魔力炉の正体は美遊の身体を得たレディの宝具である〝我が願いを受け入れよ、堕ちたる朔月(ほしにねがいを)〟だ。この宝具はビースト化に際して強制起動させた美遊の有する聖杯の機能をその法外な耐久力に任せて出力を引き上げ、本来の魔力生産力を超えて無限に魔力を作り出しているのだ。

 それと相対する遥はその圧倒的な力を前にしてでも戦意を失うこともなく、意識と呼吸を戦闘時のそれに切り替える。同時に彼の意識を万象を見通すかのような感覚が包み、感情が凪ぐ。一度空位に達し真理を体得した以上、遥がそれを忘れることはない。

 だが空位に達したことで直感的に最適解を理解できるようになった遥をして、彼とクシナダの力のみでレディを打倒する活路は見えない。より正確に言えば活路と成り得る筋道は見えているのだが、どれも確実とは言えないのだ。それだけ、ビーストとは圧倒的な存在なのである。

 ただ斃すだけならばまだ良い。それならば無理矢理にでも力技で霊核を断てば、いかなビーストでもそれで終わりだ。しかしレディ相手となると話が違ってくる。レディが使っているのは美遊の身体であって、レディ自身のものではない。それ故に美遊を生かしレディのみを斃そうと思うのなら、その内にあるレディの霊核のみを破壊するしかない。

 そんな事、普通は不可能だ。サーヴァントにとっての霊核とは生者で言う所の心臓や脳、つまり基本的に不可分のものであり、霊核のみを狙うということはできないのである。だが、遥の異能を鑑みれば、レディ相手に限ってそれができる可能性はある。

 遥の固有結界は遍く悪性を祓う煉獄であり、その浄化能力の対象にはビーストも含まれることはユスティーツァ戦にて確認済みだ。であれば、その能力による攻撃であれば美遊へのダメ―ジを最小限にしつつレディを斃すことも可能だろう。尤も、そんな生易しい攻撃をレディが許す筈もないが。

 

「喜びなさい! 不本意だけれど、アナタが一番に救われるのだから!」

「誰がッ……!」

 

 遥への嘲弄が滲む声音でレディが吠え、その背後に無数の魔法陣が展開する。現代に存在する大半の魔術ならば見れば分かる遥だが、その陣は遥の知識にはない。恐らく現代においては既に失われてしまった魔術か、或いはレディの生まれた世界には存在するが遥らの世界にはない魔術なのだろう。だが知識にはなくとも、遥の心眼と直感は未来予知もかくやといったヴィジョンを齎し、考えるまでもなく彼の身体は動いた。

 空間を奔る幾条もの閃光。一条一条が人ひとりを抹殺するに余りある魔力を内包したそれらの軌道を見切り、遥が躍動する。音を彼方へと追い越した極地の挙動。それによって狙いを外れた魔力砲はそのまま床に着弾してクレーターめいた陥没を形成するが、驚くべきことに直進するばかりである筈の魔力砲の一部はその進行方向を変えて再び遥へと猛進し始めた。それを目の当たりにして、遥が舌打ちを漏らす。

 通常、魔力砲とは単純に指向性をもたせて放出された魔力の塊である。その原理故に魔力砲は直進しかできないのだが、レディのそれは魔法陣から放出される際に無数の細い魔力砲を別の魔術で束ねて1本の魔力砲とし、その間で反発・収束を調整することで軌道を歪曲させることを可能としているのである。

 だが、そんな原理など遥には関係ない事だ。彼にとって重要であるのは、レディの魔力砲が実質的に回避不可能であるというその一点。一瞬面食らったものの即座に煉獄の焔を叢雲の刀身に纏わせ、その身に迫る光条へと振るった。神刀で相殺しようというのではない。煉獄の焔が有する浄化作用で魔力砲を構成する魔力の統合を乱すのである。

 果たしてその目論見は成功し、正常な制御を失った魔力砲があらぬ方向に飛んで壁を穿った。連続して飛来する魔力砲を悉く防ぐ様はまさしく剣の結界。難なく、とはいかないまでも無傷で攻撃に対応されているというその状況にあって、しかしレディの表情から余裕は消えていない。

 それはそうだろう。先の攻撃でさえレディにとっては小手先の戯れでしかない。要はレディは今、遥を使って遊んでいるのだ。人類悪として霊基を得たことにより神霊の領域にすら手を掛ける程の力を獲得したレディにとって、遥は全力で叩き潰す程度の存在でもないということなのだろう。

 ナメてくれたな、と内心で呟く遥。だが侮っていてもレディは遥の力を過小評価している訳ではないのだろう。もしも過小に評価しているのなら相応に隙がある筈だが、レディは遥を見下しつつも彼が容易には反撃できないようにしている。故にこそ、それは遊びなのだ。

 連続して撃ち放たれる魔力砲を叢雲で打ち払い続ける遥。その刃は魔力砲の中心を捉えてその大半を堕とすも、時折打ち漏らしが生まれ、続けて放たれたそれと共に遥へと襲い掛かる。

 しかしいつまでもそんなものを前にして梃子摺り続ける遥ではない。攻撃を捌きつつ並行して自らの側に存在する戦力から現状を打開し得るものを拾い上げ、構築した対抗策を即座に実行する。

 クシナダが宝具〝我、蛮神の妻たる者〟で変化した櫛を遥が装着している今、ふたりはある種の重ね合わせ、或いは融合状態にある。故にクシナダと遥は根底の部分で繋がっており、両者の意識は常に共有されている。その繋がりを通じてクシナダの霊基情報から彼女の武装である邪竜の弓を引っ張り出し、実体化させた。

 瞬間、それまでは通常の宝具程度でしかなかった神弓の魔力が爆発的な上昇を見せた。その魔力量たるや、天叢雲剣やエクスカリバーのような特級の神造兵装に勝るとも劣るまい。

 そのカラクリは至極単純。その弓の本来の担い手は遥、ひいては彼に宿るスサノオであり、クシナダでは完全な形で扱うことができないのである。それが現在の正当な担い手である遥の手に渡ったことで完全な形を取り戻したのだ。つまり、その弓は遥とクシナダが合一することで宝具としての格を取り戻すのである。

 同時に遥を強烈な苦痛が襲うが、彼はそれを完全に無視した。そんなものに逐一反応していては命がいくつあっても足りないし、何より神核を解放し、クシナダと融合して強制的に身体能力を引き上げている彼は常に負荷が掛かっているのだから、一瞬だけそれが増した所で大した違いではない。

 叢雲を納刀し、空いた手を通じて邪龍の髭で出来た強靭な弦に魔力を込める。すると込めた魔力に呼応して半実体の矢が生成され、それを弦に番えて引き絞る。だがその鏃が向けられているのはレディではなく、何もない虚空。遥の視界に訝しむレディが映るも、彼は生存のために一瞬だけそれを無視した。

 

「墜ちろ」

 

 凝縮された殺意の言霊と共に、引き絞っていた弦を解放する。そうして何もない中天に向けて撃ち出されそのまま天井に衝突するかに思われた矢はその直前で爆裂して幾条かの矢に分裂し、遥へと迫っていた魔力砲の全てを相殺した。

 神霊スサノオによって討ち斃された八岐大蛇。その遺骸を彼と従者である神代の武器職人が加工して造り出した神弓〝大蛇之弓〟はただの神威を宿す強弓ではない。この弓の最大の特徴は魔力を込めることで半実体の矢が生成され、撃ち出した跡もその矢は担い手の意志に応じて動き続けることができるという点だ。たとえば死せる書架の国においてクシナダがレディの矢を相殺できたのは、撃ち放った矢にそう命じたからに他ならない。

 加えて遥という正式な担い手の許に渡り本来の格を取り戻した今、神弓から放たれる矢には邪龍の思惟が取り憑いている。それにより半実体、半霊体の矢を最大8本まで分裂させることができるのだ。当然1本あたりの威力や魔力量は8分の1まで落ちるが、遥が矢を撃った目的はレディの打倒ではなく魔力砲の撃墜であるのだから問題はない。

 そして、レディは一度神弓を見ているがその際に射の瞬間は見えていなかった。爆炎で視界が塞がれていたのだから当然だ。更に神弓が本来の格を取り戻したのはつい先程であり、その攻撃はレディにとって全くの初見である。

 再び魔術を起動するために詠唱を紡ぐレディ。だが遥はそれが完成するより早くに動き、神弓に魔力と焔を込めて射った。そうして放たれた矢はレディが展開した魔法陣に喰らいついて内包した焔を叩きつけ、その術式を破壊する。

 すかさずもう一度弓を引き絞り、魔力と共に煉獄の焔と神威の雷霆を充填。生成された矢は遥の異能を受けたことにより遍く悪性を祓う破魔の矢と化して、射と同時に聖剣の極光が如き奔流となり虚空を駆ける。その圧倒的な魔力量により大気が鳴動し、大地が激震。半神たる遥と彼の支配下にある邪龍の力を宿した一射が齎すその光景は、まるで天変地異のようだ。――尤も。それ程の威力を内包する一撃であっても人類悪に対しては全くの無意味だが。

 常世ならざる異界の言語にて一瞬で紡がれた詠唱の直後、レディの前に複層型の防御結界が現れる。それは獣の魔力により構築された術式を元にしているため遥の異能の特効範囲にこそ入っているものの、腐っても魔女の扱う魔術だ。そう易々と突破できる筈もなく極光の矢は次第にその勢いを減じて、遂には十全な状態であれば難なく浄化できる聖杯の泥を浄化しきれずに逆に呑み込まれてしまった。

 それを前に、遥が再び舌打ちを零す。先の一撃は真名解放を行っていないため最大出力でこそなかったものの、それでも真名解放抜きでの最高火力ではあったのだ。それを、レディは苦も無く防いだ。今更な話だが、改めてレディが尋常なサーヴァントよりも圧倒的に高位の存在なのだと思い知る。

 レディには全力の攻撃以外は通用せず、それどころか今の射のように現状で講じることができることができる手の中で最上級の火力をぶつけても防がれることもあろう。しかし仮に直撃したとしても、下手なことをすれば美遊の霊基へのダメージが大きくなる可能性がある。つまりレディは斃さねばならないが美遊を殺してはならないという何処か矛盾した制約に考えを巡らせる遥に、彼を高みから見下ろし嘲笑を浮かべながらレディが口を開く。

 

「……私に矢を届かせる強さもない。現実を直視する勇気もない。力の差を受け入れる能もない。あぁ、本当に何もないのね、アナタ。そのクセ自信と理想だけは一丁前だから、できもしないコトばかり口にするんだわ。

 アナタはきっと〝私の理想を阻むことが世界を救うことになる〟とか考えているのでしょうけれど……それが間違いだと、どうして気づけないのかしら?」

「このッ……勝手なコトばかりネチネチと……!」

「勝手なコト……ね。それは、アナタが言えた事ではないわ」

 

 遥の側から見れば、レディの〝人は誰しもいずれ醜く変わる。そうして果てなく続く絶望の歴史が人類史なのだから、終わらせることが救いである〟という理想は、確かに彼女の勝手な妄言だ。

 しかしレディの立場からすれば、遥の言こそ現実を何も知らない青二才の戯言である。彼女の理想は、源泉である彼女の精神自体が歪み果てた先に生まれたものなのだとしても紛れもなく彼女の辿った生の中から発生したのである。それを真っ向から否定されるというのは彼女にとって、己の生全てを否定されているに等しく、故にこそ遥に対して一片の理解や共感を抱くことはない。

 共に人ならざる者、人外である彼らだが、人類との向き合い方はあまりにも異なる。レディは人類総てと相対し、愛し、衆生を救済へと導かんとしているのに対して、遥は衆生を愛してなどいない。むしろ忌み嫌ってすらいる。だからこそ、彼の嫌う(ヒト)の悪性を知りながらもそちらの堕ちない個人を愛し、守らんとすることができる。そもそもとして、彼らの人間観は根底からして理論を異にしているのであるから、そこに相互理解など生まれる筈もない。元々人間は美しいと語るレディと半分だけが人間である自らも含め人間など元々醜悪な獣畜生だと信じる遥。両者は、永久に相容れない。水と油、とでも言うべきか。

 その数瞬、彼らの間に言葉はなかったもののレディは一切の迷いがない遥の双眸から彼の心中を悟ったのか、レディから遥へと向けられる視線に激烈な侮蔑が混ざった。

 

「オイオイ、その目……仮にも魔法少女を名乗る奴が、人を見下すとかしていいのか?」

「よく言うわね。アナタ、一度も私を魔法少女だと思ったことがないでしょうに」

「はっ……当たり前だろうがッ!!」

 

 その咆哮と同時に大蛇之弓を霊体化させ、叢雲を抜刀して地を蹴る。剣者としての極みに達した遥の挙動はいかな人類悪の獣たるレディであっても視認できる域になく、しかしレディに動揺はない。

 何故なら、既に彼女はそれを()っているからだ。この戦闘の直前にディルムッドの霊基を呑み込んだレディは、ディルムッドが積み上げた遥との交戦記録をそのまま継いでいる。つまり、彼女は魔法少女や魔法紳士らの知識や経験からあらゆる状況に対応できるのだ。

 ――それはまるで、世界そのものが塗り替わるかのように。これまでのように何らかの前触れがある訳でもなく極めて唐突に、玉座の間を泥で構成された魔法少女の残骸が埋め尽くした。彼女らの手に在るのは絶大な魔力を内包した魔杖、魔剣、魔槍など千差万別。それらが全て、既に攻撃体勢に入っている。

 

『遥様!!』

「解ってる!!」

 

 クシナダの言葉にそう返し、迷いなく遥が叢雲を構え直す。完全に前兆のない敵性体の大量出現など全く予想外の状況であるが、遥は慌てない。焦りは感覚を鈍らせ、無用な隙を作る。焦る時間があるのなら、たとえ僅かな時間でも対抗策を練る方が圧倒的に有意義だ。

 そして、空位に開眼し剣者の真理に辿り着いた遥にとって、状況に対応するにはその程度の時間でも十分だ。たとえ〝櫻花爛熳(おうからんまん)〟を以てしても一度では斬り尽くせない数に、攻撃体勢に入っている敵。ならば、一旦は攻撃を度外視するしかあるまい。

 下手をすれば上半身と下半身が泣き別れしてしまうのではないかという程に身体を捻る遥。剣技の初動としては明らかに異質なその形に、しかし残骸らは訝しむ素振りすらも見せない。それぞれに握った得物から致命の一撃を放ち、瞬間、遥が動いた。

 その斬撃は、さながら遥を守り覆い隠す花の牢獄か。その剣撃は抜刀術でこそないものの身体の捻りを発条(バネ)に加速された剣速は超神速の領域にあり、放たれた斬撃が幾重もの防壁となって残骸らの攻撃を無に還した。

 その剣技に名前をつけるならば、〝華天の牢〟といった所だろうか。咄嗟の機転で残骸らの攻撃を潜り抜けた遥はそのままレディに肉薄しようとして、次の瞬間、在り得ない感覚に襲われた。

 再び、世界が塗り替わる。そうして遥の未来予知じみた直感が主に危機を告げるも、もう遅い。今度こそ防御行動を執る余裕すらもなく遥の身体を衝撃と激痛が襲い、全身の肉が抉れ、鮮血が噴き出した。左脚の膝から先も消し飛ばされ立っていることができず、遥が倒れる。

 

「――、――――ッ!! 何なんだ、今の……!!」

「さぁ、何でしょうね? でも、固有結界が使用者以外に対してどれだけ理不尽なものかは、アナタも知っているでしょう?」

 

 レディの言葉に、遥は己の失念を悟る。この世界は特異点ではあるが、それ以前にレディの固有結界なのだ。であれば、レディにとって何か都合の良い、或いは敵手にとっては暴虐の如き性質を有していたとしても不思議ではない。遥の固有結界も聖杯の呪いでさえ浄化する程の強制力をもっているのだから、ビーストであるレディの固有結界がそれに比する力をもっていない筈がない。

 現在までに見られた〝願望の改竄〟と〝配下の召喚〟、〝予備動作のない攻撃〟などという点から予想される性質としては、結界内の概念の上書きや事象の改変だろうか。恰も妖精種の空想具現化(マーブル・ファンタズム)のような性質である。そうだと仮定すると直接遥に手出ししてこなかったことに説明が付かないが、自らの構成要素にしか効力を発揮しないか別の理とも言える別種の固有結界を宿す相手に通用しないか、そのどちらかだろう。

 だが、何であろうと今この瞬間に遥がレディに対してあまりにも大きすぎる隙を晒していることに違いはない。そんな窮地にあって遥は逡巡の間を取らず、自身の魔術回路が損傷するのも構わず令呪の一角を解放してサーヴァントではなく自分自身に魔力を充填。その魔力の一部で回復を促進して全身を雑に修復し、残りを全て固有結界の活性化に回すことで煉獄の焔を総身から迸らせた。その焔を浴びた残骸は瞬く間に無意味な魔力へと還る。

 

「グ、オオォォアァァッ!!」

 

 咆哮。令呪の膨大な魔力により無理に再生したためか欠損していた部位は()()()()という状態だが、遥はその部位全てに強化魔術を掛けてその場凌ぎの応急処置を施し、地を踏み込む。

 しかし、遅い。それでも一応は神速と言える速度だが、常の遥と比較するとあまりにも遅い。当然だ。今の彼は低下した身体機能を強化魔術という補助装置で駆動させているに過ぎない。詰まる所、それは半ば彼自身の力ではなく、感覚が僅かでも異なれば平時の調子が出ないのは道理だ。

 幸いにして腕は失っていなかったため正確無比な剣技の冴えは健在だったっものの、失った足が左脚のみだったのが悪かった。右脚と左脚の感覚が同一でなく片側のみ機能が落ちていたため、結果として全身の感覚が狂っていた。

 それを自らで把握していながら、遥は攻撃を仕掛けた。それは、焦り故か? 否。彼の判断は正しい。レディが分離・召喚した魔法少女の残骸が予備動作を省略して攻撃してくるこの戦場にあって、同じ場に留まっているのは自殺行為だ。だからこそ出来損ないの応急処置でも施して飛び出していかなくてはならなかった。遥の判断は正しかったのだ、この上なく。

 だが、そうした結果が()()だ。鈍った剣速、体幹のズレにより補正の利かなくなった太刀筋、そして空位に開眼しているが故のあまりにも理想的な遊びのない攻撃。噛み合っているようでまるで噛み合っていないそれらを複合したためにレディに剣を見切られ、刀を直接掴み取られてしまった――!!

 

「私が刀を使った剣術を知らないとでも思った? お生憎様、刀を使う魔法少女だっているのよ? それを取り込んだ私が、剣術を知らない筈がないでしょう? それに、この突き……完全にこの身体を傷つける気だったわね。まさか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? うふ、ふ……ふふふっ! 本当に愚かね! アナタに私を殺せる筈ないじゃない!!」

 

 嘲笑と侮蔑の入り混じる罵詈。その直後、またしても何の前触れもなく放たれた無数の魔力砲が遥の身体を穿った。次いで、カレイドステッキの模造品を使った顎下からの殴打で打ち上げられると同時に下顎を砕き割られ、上方から再び魔力砲が飛来する。それは叢雲で防ぐことで軌道を逸らし直撃こそ回避したものの、遥の身体はそのまま床に叩きつけられてしまった。

 それだけでは飽き足らず、遥の落下と同時に床から湧き出した泥が彼の身体に絡みついて動きを完全に封じた。遥は己の固有結界を極限まで活性化させることでそれを全て浄化せんと試みるも、無際限に生まれる泥を滅し尽くすのはいかな遥の煉獄とて不可能だ。固有結界を展開すれば話は別だが。

 更に遥に滅されずにいた残骸らが泥の拘束から逃れようと藻掻く彼の四肢を抑え込んでしまう。そうして未だ回復しきっていない傷口から次々と呪いの汚泥が流れ込んでは、彼の中で不快な断末魔をあげながら煉獄に()かれていく。

 

「ぐ――があぁぁぁぁぁぁァァァァッ!? あぁぁァァぁァッ!! こ、のォッ……!!」

 

 常人ならば1秒と()たずに発狂し、サーヴァントであっても黒化を免れない黒泥。しかし遥、及び彼と同調しているクシナダはそれを浄化する煉獄の作用によりそのどちらも免れている。加えて近い性質の呪いを何度も浴び続けたことにより、遥は自らも知らぬ内に聖杯の呪いへの耐性を獲得しつつあった。

 それは生物が体内に入り込んだ病魔や毒物に対して作用させる免疫反応にも似ている。成体が己を蝕む外的から生命を守るために造り出す抗体、それと似たものが、遥に発現しつつある。但しそれは抗体のように形あるものではなく、精神の内にある不可視のものだ。即ち、〝悪意〟に耐えるための、極めて強い耐性である。

 だが抗体があろうと生体が病魔や毒素に負けて死んでしまうことがあるように、際限のない泥の前に遥が発現させた悪意への抗体など塵芥にも等しい。侵して、犯して、壊して、崩して、呪う。聖杯の泥は、それだけのために動く。耐性があるのなら、その許容量を上回る呪いで押し流せば良いだけのこと。

 

(……!? 何だ、視界が狭く……まさか、これは……!!)

「気づいたようね。でも、遅いわ」

 

 沈んでいく。全身が、泥の海に。泥の浸食でかなり遅延していた再生が完了し万全となった五体を駆動させて遥は脱出を試みるが、四肢を拘束する残骸もまた共に沈み込んでいく上に泥の粘度が高く満足に動くことができない。

 であれば、固有結界はどうか。これも駄目だ。煉獄が呪いを浄化する速度が体内に泥が入り込んでくる速度と拮抗していて、身体を呑み込もうとしてくる泥にまで出力を回す余裕がない。

 そうやって遥が何が何でも脱出しょうと足掻いている間に、残骸のひとりが彼が唯一纏っているズボンのポケットからあるものを取り出した。宝石だ。たったひとつだけ遥が回収していた、メディアが宿していたものである。

 残骸からそれを受け取り、レディが嗤う。その勝ち誇った目が言っている。悔しいか? 無様だな、と。己がビーストとして完成するために必要な最後の要素を揃えたことで、レディは勝ちを確信したのだ。そして最後の宝石を呑み込んだレディはこれ見よがしに遥を一瞥して、気付く。

 

 

 

 ――何だ。

 

 ――何故だ。

 

 ――何故この男、この状況にあって、()()()()()……!?

 

 

 

「く、ははっ……!! やっとだ。掛かったな、魔女サマよォッ……!!」

 

 その言葉を最後に、遥は完全に泥に沈んで――

 

 ――レディの霊基を、激甚な悪寒が薙いだ。




 14日の午前10時にバレンタイン短編のクシナダ編が公開となります。なお、この話と並行してた短編を書き進めていたので他サーヴァントの話が全く書けていなかったり……
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