Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第80話 崩壊エンパイア(前編)

 引き切り無しに職員らの怒号にも似た報告と指示が飛び交い、爆発の如き轟音と共に施設全体が激震する。その様はさながら、弾丸が飛び悲鳴が響き屍山血河が顕現する戦場のようですらある。尤も、そんな惨状になっていなくとも戦場という表現に違いはないだろう。

 

 文字通り人類史存続最後の砦たる人理継続保障機関フィニス・カルデアは今、設立以来最大の危機を迎えていた。特異点、それも人理焼却とは関係のないそれからの敵性体の大量流入。加えてその数に限りがないというのだから、それがどれほどの危機なのかは推して知るべし、といった所である。

 

 まさに無尽蔵という言葉を具現化したかのような敵戦力に対し、カルデアの戦力は有限だ。マシュを始めとして立香と契約している5騎のサーヴァントと、クシナダを除く遥と契約している5騎の、計10騎。拠点防衛用の戦力としてはあまりにも心許ない。

 

 しかし、戦力の質を比べるのならカルデアの方が圧倒的に勝っている。敵の戦力が理性も自我もなくただ本能にのみ従って動く泥人形でしかないのに対し、サーヴァントは生前よりも弱体化しているとはいえ一騎当千の武人である。更に職員らの尽力やレオナルドの奔走、何より()()()()()()()()()()()()()()()()なまでに高度な立香の作戦立案もあって、カルデアはその戦闘を優位に進めていた。それでも、カルデアが優位に立っていてもこの場合は拮抗にまで持ち込むことしかできない。そして、カルデア側には解決しようもない問題がもうひとつ。

 

 ――視界が狭窄する。無理にでも魔力を捻出しようと代謝速度が限界以上に上昇しているからか体温が異常に高く、心拍も非常に速まっている。全身から噴き出した脂汗で肌着が張り付き、気持ちが悪い。既に身体は思うように動かず、立香はアルによって横抱きにされたまま危険個所近くの退避場所まで運ばれていた。

 

「ここなら問題ないでしょう。……お身体に問題はありませんか、マスター」

「大丈、夫だ、よ……ありがと、う。アル」

 

 一目で虚勢を張っていると分かる立香の笑みに、アルが顔を顰める。だが、彼女は己が主に追及することはしない。主が心配させまいと努めているのだから、それを殊更に責め立てるのはある意味で背信と言える。あくまでも己を立香の従者と規定しているが故に、彼女は強く出ることができないのだ。

 

 現状、完全装備状態の場合立香の契約サーヴァントの内で最も魔力を喰うのはアルだ。彼女は『剣士(セイバー)』というただでさえ魔力消費の多いクラスである上に素のステータスも高く、かつ多くの宝具を有している。それだけならばいざ知らず、内3つが神造兵装だ。立香のような魔術師としては低格の者が使役するのは元より負担の大きい英霊なのだ。

 

 故に今、アルはエクスカリバーとウィガールのみを装備した、最も魔力消費量を抑えた状態で実体化している。それでも契約した英霊が全騎活動状態にある以上微々たる差でしかないのは現状が示しているけれど。

 

「アル……腰のポーチに、宝石が、入ってるんだけど……取ってもらっていい、かな? 手足が思う、ように動かなくてさ……」

「宝石……?」

 

 立香の言葉を訝しく思いながらもアルは彼が腰に装備したポーチを開けて、息を呑んだ。確かに立香の言の通り、彼のポーチには宝石が入っている。しかしそれに充填されているのは立香の魔力ではなく、遥の魔力だ。アルは英霊であるから魔力知覚は人間よりも優れているし、遥は半分以上が人間ではないからその魔力はすぐに判る。

 

 何故遥の魔力が、とアルは一瞬考えたものの、考えてみれば当然の事だ。宝石に魔力を移して固定化するには転換の魔術が必要だが、立香にそんな魔術が使える筈もない。対して遥は人外であることを込みにしても凄腕の魔術師なのだから、転換魔術が使えても何も不思議ではなかろう。

 

 その中からひとつを取り出し、検分する。確かに魔術師の用いる宝石らしく極めて純度の高い宝石だが、充填されている魔力量は貯蔵限界量の十分の一にもなるまい。アルは魔術師ではないが、大魔術師マーリンに教えを受けた身だ。魔術の行使はできずとも知識は並の魔術師以上に蓄えている。

 

「マスター、この宝石は……なるべく使うなと言われているのではないですか」

 

 アルの問いに立香は言葉を返さず、しかし投げかけられた笑みは肯定のそれだ。遥は人間ではなく半神、或いは現人神なのだから、その魔力が人間のそれと異なるのは自明だ。そして、神性を帯びた魔力を人間が取り込むというのはそれだけで大きな負担を伴う。レオナルドが作成した遥から立香への経路(パス)を繋ぐ礼装はカルデアを中継することでその問題を解決しているが、宝石にはそれがない。

 

 魔力とは即ち生命力だ。神性を含む生命力を摂取するというのは、一時的とはいえその身に神を取り込むとも言って良い。あくまでも物理法則に縛られた人間がその埒外にいる神性を取り込む。――正常な判断のできる人間なら、思いついたとしても実行には移すまい。

 だが、立香はそれを行おうとしている。数か月前までは魔術の存在すらも知らない一般人だった筈の立香が、だ。その覚悟が如何程かは、彼と異なり生まれながらにして異常の側に属していたアルには理解できる筈もない。

 

 アルが宝石を口の前に差し出し、立香は動こうとしない身体を気力のみで動かしてそれを口に含む。そうして、嚥下。胃の中まで到達した宝石は内包する魔力の影響で溶けて、直後、立香が苦悶を浮かべた。

 

「うっ――ぐ」

「マスター!!」

 

 一瞬立香の身体から感じる気配が大きく歪み、すぐに正常な人間のそれに戻る。だが何もかもが元通りになった訳ではなく、以前から少しずつ進行していた肉体の変色がさらに進行してしまっていた。カルデアの制服から覗く両腕は僅かに黒ずみ、髪も目に見えて白く変わっている。目は元の蒼さを失ってこそいないものの、変質の影響は少なからず受けているのだろう。

 

 それでも、依然として立香は人間だ。只人の肉体、只人の精神のまま、只人であれば決して執り得ないであろう判断を下している。ただ『生きるため』という目的の下、自分自身すらも賭けの場に出して生存を勝ち取るために動いているのだ。

 

 ともあれ、魔力が回復したことに違いはない。そうして動くようになった身体を確認し、なけなしの魔力で魔術回路と令呪を接続すると三角全てを一度に解き放った。解放された魔力は全てサーヴァント達が戦うために出力する。下手に宝具を使わなければ、立香の魔力が完全に回復するまでの時間は十分に確保できるだろう。そうして、立香が口を開く。

 

「これで、しばらくは()つ。……面倒かけてごめんね、アル」

「いえ、サーヴァントならば当然の事です。……しかし、貴方は――」

 

 果たしてその言葉の続きは、どのようなものだったのか。アルが問いを発するより早くにその場に響いた電子音は、立香が左手首に装着している通信機から発せられたものだ。それに気付くや否や、ふたりが押し黙る。

 

 味方陣営内での情報共有は戦闘においての鉄則、基本事項である。故にこの戦闘においても何度も通信は入ってきていて、それなのにふたりはその瞬間、異様な感覚に襲われたのだ。その感覚は謂うなれば悪い予感、といった所か。

 

 通信機のスイッチを押す。そうして虚空に投影されたホログラムに映るロマニの顔は平時の通り至って平静にこそ見えるものの、そこには焦りや疲労、その他様々な感情が透けている。それだけで先にふたりが感じた予感が的中してしまったと悟るには十分で、けれどロマニから告げられた報告は、彼らの予想を完全に超えていた。

 

 ――唐突に遥の存在証明が極めて不安定になり、更には彼の契約サーヴァントへの魔力供給が完全に途絶した。

 

 それはつまり、遥の生命がこれまでにない程の危機に瀕しているということであり、同時に、彼が意味消失の瀬戸際にいるということでもあった。

 


 

 人類悪の幼体、最低最悪の魔女たるファースト・レディ。それに対抗するべく彼女を知るという亡霊(エコー)〝ミラー〟から提案された方策の中で自身が果たすべき役割を、遥は半ばまでは完璧に果たしたと言って良い。

 

 幼体とはいえビーストであるが故に、レディの強さは並のサーヴァントではとても太刀打ちできるものではない。ましてや、強化されてはいてもトップ・サーヴァントに及ばぬ身体能力(ステータス)程度しか発揮できない遥では、万が一に勝ち筋を見つけることができたとしても即座に対応され反撃されるのが関の山だ。

 

 故に、レディを打倒するにはどうしても彼女を大幅に弱体化させる必要があった。荒唐無稽な話かも知れないが、少なくとも霊基の格を神霊に匹敵する程度から通常サーヴァント程度まで落とさねば彼に勝ち目はない。

 

 それを実現するためにミラーが遥に提案したのは、彼女自身をレディの内側に入り込ませる、というもの。元が魔法少女ではなく魔女である彼女だが、亡霊(エコー)であることに違いはないのだから宝石さえあればレディの内に潜り込むのは容易い。

 

 だが、それは賭けだ。少しでも怪しい態度を見せればレディは警戒して宝石を取り込もうとはしなかっただろう。故に遥は演技でもなく本気で自ら斃すつもりでレディと戦って、けれど打倒することができなかった。反面、彼の殺意が本物だったからこそレディが警戒しなかったというのは皮肉と言う外ない。

 

 しかし、彼はレディに宝石を取り込まれるのと引き換えにして自らもまたレディの内側、そこに渦巻く呪詛と化すほどまでに醸成された悪意の具現たる泥に呑まれてしまった。或いは何も知らぬ心無い者がそれを見れば、彼のミスによるものと言うかも知れない。しかしそれはあまりにもレディと遥の間にある力の差を理解せぬ愚昧と言えよう。己よりも圧倒的に強い存在を相手に、そう都合よく全ての攻撃を回避できる筈もない。

 

 其処には、苦悶があった。絶望があった。悲嘆があった。怨嗟があった。嘲弄があった。死があった。〝人間〟という生命に顕現し得る不幸や悪意、そういった負の側面の凡そ全てが渦を巻く。その様はさながら無間地獄の只中か、或いは罪人を責める釜の中か。

 

 その規模たるや、かの悪神の名を冠した特級の反英霊〝この世全ての悪(アンリマユ)〟に勝るとも劣るまい。それを構成する魂の全てが己の運命や人間に絶望し堕ち果て魔女に変生した元魔法少女であることを考えれば、悪性の純度だけならばアンリマユすらも凌駕しよう。加えて言うならば、それはアンリマユとは異なり〝悪とは斯く在るべし〟や〝あれこそが悪である〟といった人から望まれた悪の形ではなく、人間や知性の裡に宿る悪性の結実――即ち、人類悪である。その内部に、遥は放り込まれた。

 

 絶叫。悲鳴。断末魔。苦悶の海に溺れ自らもまた喉が張り裂けんばかりに絶叫しながら、遥は落ちていく。あまりに強烈な呪詛に晒されているからか自己の輪郭さえも曖昧で、魂に直接響く声のどれが自分のものであるかも分からない。肉体ごと泥に溶けて消化されていないのが不思議な程だ。

 

 故に、彼がクシナダの魂に流れる筈の泥を全て無理矢理に肩代わりしているのは完全に無意識の事だ。彼女は今、霊基ごと遥と同化しているため同じく呪いに晒されてはいるが、魂は別個だ。そちらを襲おうとする呪詛を、遥は強引に自分に引き寄せている。つまり遥を苛むのは2人分の呪いで、そのため煉獄の固有結界を宿す彼でも浄化しきれずに苦しんでいる。

 

 泥を排除しようと遥の煉獄が彼自身ごと燃えて、しかし燃やしきれずに魂が()ける。だが未だ遥の魂は変質しない。自己の輪郭を近くできず、絶叫する他なくなってもなお彼は最期に残った意地だけで獣の権能に抗い続けている。

 

 しかしそれは相手が獣としては()()()()()()()存在だからこそできるのであり、そういう意味で言えば遥はむしろ幸運ですらある。もしもレディが真正の獣として覚醒していたのなら、彼はとうに死ぬかレディに支配されるか、兎に角正気でいられなかったことは確かだ。

 

 だが、そう、たとえ泥そのものの呪いは獣としては脆弱なものなのだとしても、こと遥に対してならばレディの泥はこの上なく強力な精神への拷問として作用する。何故なら、レディの内包する泥とは何百何千、或いは何億という魔法少女らの死霊の結集であり、遥が宿すのは海原を支配する海神であると同時に黄泉を司る冥府神の神核であるのだから。かの神がもたらす異能は無情なまでに平等に、死霊を裁定する。

 

 視える。見せられる。いっそ罪であるとさえ感じられる程に無垢で無知な希望に満ち満ちて、しかし絶大な力を有した魔法少女らとそれに救われ感謝する人々。だがそうして救われ続けた人々はいつしかその救済の手を当然のものと思い始め、増長していく。自ら考える事を止め、行動せず、只管に受動的になり、醜く変貌していく。やがては救いの手である魔法少女すらも食い潰すのだ。尤も、被害者であった筈の彼女ら自身もまたレディの固有結界に囚われ相戦い合う中で醜く変わり果てるのだが。

 

 悪罵、絶望、苦痛、憎悪――高潔と希望に満ちた少女らの魂を悉く堕とし犯し汚し尽くして余りある悪感情の奔流が遥を襲う。元より生まれながらの半神、更には今までの旅の中で大元の神性すらも喰らったことで魂の規模を規格外の領域にまで拡大させていた彼だが、いくら魂の規格(スケール)が巨大であろうとその奔流から逃れることはできないのだから、彼が浴び続ける辛苦の程は言わずとも知れるというものだろう。

 

 内包する冥府の異能を通して、数えきれない記憶が流れ込んでくる。その記憶はどれも満足な人の一生と言うにはあまりにも短いものばかりであったが、悲劇に彩られた生はどれも度し難い妄執と悲しくなるような憐憫、そしてあまりにも歪み果てた人類愛で彩られ、人間の獣性を剥きだしにするには十分に過ぎる。そんな生が、億を超える集合体になって遥の意識に訴えかけてくる。

 

 目を閉じても、耳を塞いでもそれは止まらない。想像を絶する苦痛のために壊れ果てた時間感覚の中では本来一瞬である筈の冥府の審判が本当に他者の生涯を追体験しているかのようにさえも感じられる。ひとつひとつは20年にも満たない程度の長さではあるが、それが群れを成してやってくるのだ。その体感的な総時間は『不朽』の遥でなければそれだけで死んでいてもおかしくはあるまい。

 

 或いは遥に罪ある魂へと沙汰を下す力があればそれらの魂を皆須らく冥府へと送ることができたのかも知れないが、今の彼にそこまで神核の権能を引き出す力はない。彼にできるのは否応なく死せる魂に同調し、その生涯に無意味な審判を下すことだけだ。尤も、獣の一部となった時点でその魂は情状酌量の余地なく罪人の扱いだが。

 

 だがその半端な力のために本来罪人の魂を裁き地獄へと送る側の者が逆に地獄を見ているというのは何とも皮肉な話であろう。そうして本当に無間地獄の底にさえ辿り着くのではないかと錯覚するような体感時間を経て、遥は()()を見た。

 

 ――本来なら世界から放逐された時点で終わっている筈の命を無理に延命させ、想像を絶する長い時を生きてきたが故に摩耗し果て、虫食いだらけになった部分を噎せ返るような人間の悪意で埋め尽くしたそれ。失った羽を他の個体から奪った継ぎ接ぎで取り繕った蝶の記憶だ。

 

 だが不意にそれがブレて、別の記憶が流れ込んでくる。まるで先の記憶の欠落を埋めるかのようなそれに満ちているのは同情ではなく、ましてや憐憫などではなく、愛だ。自身の事を忘れ、挙句獣にまで堕ちた少女に向けら得た、褪せることのない友愛だ。

 

 気づけば遥に流れてくる記憶の像はひどくまだらでのっぺりとしたものに代わり、その中に浮かぶようにしてふたりの少女がいた。彼が初めてミラーと相対した時と同じだ。容姿も輪郭も何もかもが判然とせず、しかし少女だと解る。

 

『何、このイメージは……!? 知らない……こんな記憶は知らないのに、何故……!?』

 

 これ程までに、胸が痛むというのか。レディの欠落を生めるように侵入してくるヴィジョンはその〝侵入〟或いは〝浸食〟という言葉が宿す悪辣なイメージとは裏腹に、人の笑顔や感謝、愛といった暖かな光、ヒトという種の善性に満ち溢れていた。

 

 それがもしもただ人の善性を内包するだけのものであるのなら、レディは取り合うこともなく一蹴していただろう。しかしそのヴィジョンはまるで元からレディのものであったかのように彼女に残る記憶と符合し、その一致がレディに無視することを許さない。

 

 彼女は既にその記憶を忘れた事さえも忘れているが、何もかも消え去った訳ではないのだろう。彼女の魂の奥底に沈められたその残滓が浸食してきたヴィジョンに呼応するように弱々しいながらも確かな声をあげている。或いはそれは、デジャヴと言うべきであろうか。

 

 だが、今の彼女はその胸の痛みを自らを犯す苦しみとしてしか捉えることができない。それを正しく捉えることができるのだとしたら、彼女は初めからビーストになどならなかっただろう。ヒトの善性は、悪性によって堕とされた魔女にはあまりにも眩しすぎる。だが目を逸らさせまいとするかのように、レディに落される視線。

 

『人の中に、土足でッ……! そもそもどうして私の中で自我を保っていられるのよ、アナタ……!!』

『さあ、どうしてでしょうね。私が魔法少女でなく本物の魔女だから。私もとうに正しい自我なんてなくなっているから……理由は色々あるかも知れないけれど、一番は貴女よ。――』

 

 ミラーは今、何と口にしたのか。泥の浸食によって五感にかかったノイズの影響で聞き取ることができなかったが、恐らくは〝ファースト・レディ〟ではない彼女の真名なのだろう。ファースト・レディとはあくまでも自らの名を忘れた彼女が名乗る二つ名。本当の名前は別にあるのだ。

 

 そして今、この状況においてレディの真名を知り得る存在はひとりしかいない。いくら思い出せないといえど、自らの名に聞き覚えがない筈はない。それが自らの根底にもなっている友に呼ばれたものであるのならば猶更だ。

 

 あくまでも神核の力で死霊と交感しているだけに過ぎないためか遥からはレディとミラーの姿を明確に認識することはできないが、レディが驚愕しているのは気配だけでも明らかであった。そうしてそれが動揺へと変わり、次いで様々な感情がない交ぜになった混沌となる。

 

『ま、さか……ミラー……? ミラーなの……!? でも、そんな筈は……』

『ミラーは魔女に堕ちて、討たれて死んだのだからここにいる筈がない……そういうコトでしょう? でも、私は私よ。貴女と同じ魔界に生まれ、共に魔法少女として戦い……そして魔女として討たれた、正真正銘のミラーよ』

 

 レディの固有結界はあらゆる世界から死せる魔法少女の魂を収集する、魔法少女の墓標である。その事に間違いはない。だからこそレディは魔女と化して死んだミラーはこの世界に招かれていないと考えていた。或いはただ記憶が摩耗していたが故にそう思い込もうとしていただけなのかも知れないが。

 

 しかし、現実ミラーは今此処にいる。レディが忘却し、過去の彼方に置き去りにされた足跡が、目に見える形として現れたのだ。それはレディにとっては全く慮外の再会で、けれど彼女はその再会が示す真の意味の気づかない。

 

 その事を遥は憐れにも感じなければ、同情もしない。レディは遥にとって斃すべき敵でこそあるが、それでも彼女が彼女の正義で理想を為そうとしているに違いはなのだから。同情や憐憫はレディへの冒涜であり、それを止めようとするミラーへの侮辱でもある。そも、そんな情を抱いていられるような余裕は、今の彼にはないが。

 

『ミラー……あぁ、ミラー……!! 本当にアナタなのね……! まさか、こんな時の果てでまた出会えるなんて……』

 

 レディの声はまるで本当に友との再会を純粋に喜ぶ少女のようで、そこに人類悪にまで堕ち果てた魔女の気配はない。それは遥にとって意外ではあったけれど、考えてみれば自然な事でもある。レディがこうなってしまった最大の原因はミラーとの死別である。なれば、再会は魔女の心が過去に回帰する一時となろう。

 

 そして、レディの声音にミラーの人となりを忘却していたという自覚の色合いはなく、忘却した事すらも忘却したまま、欠落した記憶でミラーと相対しているのは火を見るよりも明らかだ。恐らくはミラーもそれには気づいていて、遥もまた、苦悶に溺れながらもそれを朧気に悟っている。

 

 だから、だろうか。予期せぬ再会に歓喜の抱擁をするレディとは対照的にミラーに歓びの色はない。さりとて、それは彼女がこの再会を喜んでいないと示すものではない。ミラーはきっと喜んでいて、けれどそれ以上に悲しく、腹立たしいのだ。堕ちた友の姿よりも、己の力不足が。

 

 聖杯の泥に呑まれ、幾億の生を追体験させられた末にレディとミラーの生涯を見せられた遥には分かる。彼女らはきっと、あまりにも無垢で、真面目で、そして潔癖に過ぎたのだ。だからこそ人間の悪性とそれが齎す悲劇が許せなかった。魔法少女に救われているうちに増長し、その救いを当然のものと思うようになっていく事が受け入れられなかった。初めから人間を悪性の獣と断じていた遥では信じられなかった〝希望〟を信じられたからこそ彼女らは戦うことができて、だからこそ裏切られて、堕ちた。

 

 そういう意味では彼女らもまた被害者と言えるかも知れない。だが、遥はそれを認めない。認められない。レディの行いは彼女にとって報復でも復讐でもなく、救済だ。であればそれは人間の因果応報などではない。仮に復讐や報復のつもりだったとしても簡単に受け入れる気はないが。

 

 最後にミラーの頬を涙が伝ったように見えたのは、遥が見た幻であるのか否か。密着しているレディにすら聞こえるかも分からぬ程の声量でごめんなさい、と呟いて、直後――幻想の肉を貫く異常な音が、一帯に響いた。

 

『――え? ミ、ラー……?』

 

 いったい何が起きたのか理解ができないとでも言うかのようなレディの声音。それもその筈だ。先の異音は何らかの術式を伴ったミラーの手刀がレディの鳩尾を貫いた音であり、レディはそれを全く予期していなかったのだから。彼女らの姿が魂の可視化であることを考えれば、この瞬間、レディの魂は大きく損傷した。

 

 同時に遥を襲う悪意の奔流が大きく脈動する。それはまるで、急所に刃物を刺された蛇のように。致命の一撃を叩き込んできた相手に抵抗しようとして、激しくのたうっている。その様子を見るに、恐らくミラーが行使したのはレディが無数の魂を統合するために行使している力へのアンチテーゼとなる術。共に戦い続けた相棒だからこその、レディの使う術を知り尽くした反抗策だ。

 

 それが効果を示しているのかは遥の魂を拘束する呪いの濁流が弱まったことからも明らかだ。だが、まだだ。いくら弱まったといえど、それは精々今までままならなかった思考を途切れ途切れでできるようになった程度。呪いの牢から彼が脱するには、足りない。

 

『あ、あぁあ……ああぁっ!? ミラー……何故、どうして……!?』

『ごめんなさい、――。いえ、()()()()()()()()()。魔女に堕ちた私が言える事ではないけれど、貴女がした所業は許される事じゃない。でも、貴女がそうなったのは私のせいだから。私も、貴女と、此処で死ぬ!!』

 

 或いはそれは、神風のような自爆特攻。ミラーが手刀に込めた術式は何も、魂の統合を乱すものだけではない。ミラーが行使した術式はもうひとつ。尋常ならざる執念で現世に張り付く怨念を破壊する術が含まれている。その対象はミラー自身もまた例外ではない。

 

 崩れていく。ミラーの術によってレディの支配から外れた魂が消滅していく。木霊する不快な金切り声は成仏しないまま消えていく魂らの断末魔か。だが、何かがおかしい。違和感を覚え、ミラーが眉根を寄せる。確かにレディが取り込んだ魔法少女らは消えつつある。それは間違いなく事実だ。

 

 しかし、ミラーが術式を行使した対象はあくまでも本体であるレディなのだ。だというのにレディそのものの像に変化はない。ミラーの腕が胸部に突き立ったまま、不気味なまでに沈黙して動かない。そうして、どれほど経ったか。唐突に、レディが笑声を漏らす。

 

『う、ふふ……そう。そういうコト。可哀想なミラー……』

『え――なッ……!?』

 

 狂ったような笑みだった。明解な像として表情が見えずとも手に取るようにそれが分かるのは、レディの声音が、気配が、彼女の全てがあまりにも狂気的な凄みに溢れていたからだ。

 

 同時に、それまで十全に効力を発揮していたミラーの魔術が急激にその力を減じ始める。ミラーが手を抜いているのではない。むしろ彼女は己の消滅が早まるのも厭わずにより魔力を回しているが、その術の対象になり大幅に弱体化している筈のレディがミラーの術を無効化する術式を構築したことで思うように効果が出ないのである。

 

 尋常でない対応速度。だが、自然な事でもある。レディとミラーが使う魔術――彼女らからすれば魔法だが――は同じ世界のそれであり、かつ彼女らは長く共に戦ってきたが故に互いの魔術を熟知している。だからこそミラーはレディを弱体化させる術を、レディはその術への対策を用意することができる。

 

 そして共に加速度的に消滅しつつあるとはいえ人類悪の幼体であるレディと亡霊であるミラーの存在規模(スケール)が同等である訳がない。次第にミラーの存在は希薄化してきて、対してレディは見る影もない程に弱体化してはいても消滅する兆候はない。

 

 そんな現実を目前にして、ミラーが歯噛みする。彼女は初めから、自らの手でレディを滅することができるとは思っていない。それでも、自らの命――亡霊に命と表現するのも妙な話だが――を掛けても友ひとり救えない、というのはひどく無力感を煽られる。そんなミラーの内心を知ってか知らずか、レディは笑みを崩さない。

 

『アナタなら私の救済を理解してくれると思っていた……でも、違った。アナタをそんな風にしたのは、あの男でしょう? あの男に何か吹き込まれたんでしょう? でも安心して。私が代わりに、あの男を殺してあげるから……!!』

『ぐ……違、あぁっ……!!』

 

 最早ミラーに魔力は殆ど残されていない。魔力とは即ち生命力であり、聖杯は勿論のこと自由になる肉体もないミラーは最期に残った彼女自身の魂すらも変換して魔術を維持していたのだが、それももう限界に達しようといているのだ。

 

 それでも何とかミラーは存在を維持しようとして、しかしその努力も虚しく彼女は無意味な霊子の断片となって消えていく。それを認めた遥は強烈な苦痛に霞む自我を意地のみで駆動させようとするも、あくまでも〝覗き見〟しているだけの彼ではどうすることもできはしない。それでも諦めることなどできなくて、彼は足掻く。

 

 動け! 動け! 掠れた意識の中で遥は叫ぶ。今まであまりにも長すぎる時をミラーは独りで耐えてきたのだ。なのに報われないまま消滅しようとしている。その現実を前にして、遥がただ見ているだけという状況に甘んじていられる筈はない。

 

 けれど、動けない。どうしようもないのだ。現実の人間はどうあっても架空の世界に入り込めないように、努力や勇気ではどうにもならない事がある。これは、要はそういった類だ。

 

 故に彼はどう足掻こうがレディとミラーの遣り取りに介入できはしない。目の前で人が報われぬまま死のうとしているのに、何もできない。どれだけ強い力を持っていても抗えない現実がある。届かない手がある。次第に遥の心に広がっていく無力感。それでも何とか動こうとして、不意に彼はない筈の身体が強く押されるかのような感覚に襲われた。

 

 どうやらそれは錯覚ではないようで、見る間にレディとミラーの姿が遠ざかっていく。しかし、何故。状況に抗う力のない遥ではすぐには理解できず、直後に全てを理解した。

 

 その存在の殆どを無秩序な霊子に還し、魂すらもこの世界から消滅させようとしているミラー。しかし、遥はその瞬間、確かに見た。端整な顔に悲し気な笑みを浮かべ、けれどその瞳には強い覚悟と凄みの光を湛えている。その少女を彼は一度も見たことはないけれど、直感的にその少女がミラーであると悟った。それは実像か、或いは遥の見た幻か。それすらもすぐに消え始めて、その中で少女は口を開く。

 

 

 ──残念だけれど、私の声はあの娘には届かなかった。あの娘の歪みは……もう、言葉程度で正せるものではなかったのね。

 

 

 ミラーのその呟きに返す言葉を、遥は持たない。魔女と獣という方向性の違いはあれど共に魔へと堕ちた彼女らの生はあまりにも彼のそれとはかけ離れていて、その相違の前にはどんな言葉であれ陳腐になってしまうだろう。

 

 仮に何かを口にしたとして、それは何の慰めにもなりはしない。それどころか、それは何も知らぬ愚昧の戯言となろう。故に遥は何も言う事ができずに押し黙って、そんな彼にミラーは苦笑を漏らす。

 

 だが、それは呆れではなかろう。敢えて言うのであれば、自嘲か。ミラーが生前に魔女となったのは世界よりもレディの笑顔のためで、それなのに今、彼女はファースト・レディとしてビーストの幼体と化している。酷い擦れ違いだ。けれどミラーの声音に諦念はない。一度瞑目し、次いでミラーの表情に浮かんだのは決意であった。

 

 

 ──私はもう消える。でも、あの娘も力の大半を失った筈よ。私にできるのはそれくらいだったけれど……後の事は、貴方に任せるわ。あの娘を、頼むわね。

 

 

「……! 待っ──!!」

 

 遥の声は、果たしてミラーへと届いたのか否か。判然としないまま彼女は今度こそ完全に消滅し、同時に遥はまたしてもどこかへと放り出されたかのような感覚を覚えた。恐らくはこれはミラーが最後に行使した力。遥を泥から逃がし、戦場に戻すための魔術だ。

 

 その流れに晒されながら、遥は思う。何故自分なのだ、と。ミラーと遥は出会ってから然程時が経っておらず、協力していたのもあくまで利害の一致とでも言うべき理由だ。信用される理由など、信頼される理由など、どこにもありはしない筈なのだ。

 

 しかし、それが何だというのか。ミラーがどのような理由で遥に後を任せたのかは分からないが、彼は託されたのだ。ならば信用されているのか、信頼されているのか、或いは利用されているだけなのか――そんな事は、些末な問題だ。

 

(そうだ。俺は託されたんだ。なら……それに応える事以外、考えるなッ!!)

 

 その咆哮と共に悉く雑念を振り払い、代わりに決意と戦意で心を満たす。そうして強くイメージするのは己自身の輪郭。肉体そのものの輪郭だけではない。肉体から魂まで、己の在り方という輪郭をイメージし、死の濁流によって押し流された感覚を手繰り寄せる。

 

 そうして何かが()()()()感覚があったのと同時、遥の自我にまで押し寄せる呪いが何倍にも増す。それは圧倒的な圧力で以て彼の自我を轢き潰さんばかりに襲い掛かってきて、それでも彼は意地のみで耐える。仮に現の肉体で同じことをすれば、奥歯が軒並み砕けていただろう。

 

 死ね、死んでくれ、と。救われて欲しいと怨念たちが絶叫する。彼女らは既に自分が何者だったかさえも忘れているのだろう。けれどその魂の根底に染み付いた信念と欲求は消えず、それ故に生前の執着に縛られている。ある意味ではこれ以上なく正しく亡霊としての在り方を貫いていると言えよう。尤も、それはつまり生者にとって害でしかないと示すも同然だが。

 

 耳障りな絶叫が木霊する。穢れきった呪詛が吹き荒れる。一瞬でも気を抜けば発狂するような、そんな凄まじい辛苦を遥は繋がりを手放すまいと耐えて耐えて耐え抜いて、その果て、何か壁を突き破るかのような衝撃の後に五感全ての焦点が戻った。強烈な怨嗟の叫びと共に。同時に意識も回復し、それは同調しているクシナダにも伝わる。

 

『遥──()ま! ──()識が戻ら──(れた)のですか!?』

(……? クシナダからの念話が、よく聞こえない。泥のせいか……?)

 

 本来クシナダの魂と霊基を汚染する筈の泥を肩代わりしているのは彼が意図しての事ではなく、気絶している間に行った反射的行動。つまりは全く無意識下での判断であったが、彼は即座に己の行動を了解した。

 

 一応は本能的な防衛行動としてサーヴァントらへの魔力供給を断ち切り──これは遥から繋がるパスを通して泥が流入しないようにするためだ──全身に固有結界の焔を巡らせていたものの、浸食は食い止められずに回路のかなりの割合を汚染されている。悠長にしていては脱出してから浄化することもできなくなってしまうだろう。

 

 早急に脱出しなければならない。しかし天叢雲剣は泥に呑まれる直前に全身を穿たれた際、千切れた右手首から先と共に飛ばされて此処にはない。加えてその右手を含む損壊した部分も上手く回復できず、醜い肉塊が患部で隆起していた。恐らく彼の魔術特性からすぐには汚染しきれないと判断した泥が回復阻害を行った結果だろう。放置したままでは外に出られたとしても再生は不可能だ。

 

 これらの状況だけを見れば異能への干渉から脱せたのだとしても絶望的な窮地に変わりはないようにも見える。だがミラーが行った捨て身の作戦によって集積された魂が格段に減少したため、呪詛の効力も幾分か落ちているようだった。それでも凄まじいのに違いはないが。

 

 どうする。遥が高速で思考を巡らせる。この戦況において最優先されるのは泥からの脱出だ。この泥の海から脱出できないことにはレディとの対峙すらも叶わない。それどころかいずれ汚染され、消化され、戦わずして敗北してしまうだろう。それだけは避けなければならない。

 

「イチかバチか……賭け、だっ!! この場所から、脱出するっ!!」

『し──(かし)、どうするの──(です)か? 此処には、天──(叢雲)剣はないのですよ?!』

「あぁ、そうだ。だが──!!」

 

 言葉を区切り、息を呑む。今から遥がしようとしているのは、文字通り賭けだ。成功したとしても脱出できる保障はないが、失敗すれば試行するまでもなく存在の悉くを呪詛に犯されて死ぬ。あまりにも分が悪すぎるが、やるしかないのだ。

 

 呪詛からの防御のために巡らせていた焔の流れを変える。瞬間、それまでは浄化されつつ流れ込んできていた呪いがそのまま入り込んでくるようになり急速に穢れていく。何もかもが焼け付くように熱く、けれど遥は己の五体を以て駆動させる。

 

 重要なのはイメージだ。たとえば魔術においては詠唱というのは術行使に必要なイメージを喚起するためのものであるし、回路の起動においても魔術師個々人によって異なるイメージを設定する。

 

 そうして一度小さく吐息を漏らすや否や、遥は自らの左手を胸の辺りに突き立てた。強化されたその手刀によって刻まれた傷は深く、心臓にまで達しようかという程である。しかしその傷から吹き出したのは鮮血ではなく、焔。煉獄の業火だ。

 

「叢雲はなくても、刃なら──」

 

 イメージするのは無限の煉獄。彼が生まれた時より共に在り、常に彼を内側から灼き続けてきた心象世界。それが内包する焔ではなく世界そのものを収束し、集約し、収斂する──!!

 

「──剣なら、(此処)にあるッ!!」

 

 それはまるで、剣士が心に宿す誇りを具現化したかの如く。胸から引き抜かれた左手には一瞬、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を幻視し、撃ち出された煉獄が雷鳴のような轟音を響かせながら邪なる天の杯へと突き立てられた。

 




 なんて、そんな簡単に脱出させる訳もないのですけれど。
 予定していた内容を1話に纏めると3万字程度になってしまうので、前後編に分割させていただきました。そのためちょっと、というかかなりキリが悪くなっていますがご容赦頂ければ幸甚に存じます。
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