Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第81話 崩壊エンパイア(後編)

 消えていく。この世界の裡で気の遠くなる程の、それこそ主である彼女自身すらも摩耗し果てる程の時をかけて収集した無限にも等しい魔法少女の魂が。跡形さえも残さずに霧散して、レディはそれに抗えない。いくら抑制するための魔術を構築しようとも、既に効力を受けてしまった分は取り返せないのだ。

 

 疑い様のない現実が、どうしようもなくレディに訴えてくる。先の亡霊(エコー)は紛れもなくミラーであったのだと。でなければレディの弱点や使う魔法(まじゅつ)を熟知していることに説明が付かない。

 

 では何故ミラーがこんなことをしたのか、という疑問はレディにはない。そんな問いに意味はなく、彼女の中では答えなどとうに出ている。あの忌まわしい剣使いに唆されたのだ。そうでなければミラーがああも強硬に反対する筈がない。そう信じて、遥への殺意を募らせる。

 

 ミラーの手により内包する魂の総量を大幅に減少させられた事でレディの霊基の格は見る影もなく低下してしまっている。これが真正の獣であれば〝単独顕現〟のスキルによりビーストとしての属性を得た時点でその格を失う可能性は絶無となるが、レディは未だ不完全な獣。故にその存在は〝既にどの時空にも存在する〟と言うに足るものではなく、大幅な弱体化を圧倒的な理不尽で無効化するのは難しい。

 

 しかし、それでもレディが究極の不条理、神霊の如き理不尽の権化であるのに違いはない。身体に宿す無数の記録を利用してミラーの術式を解析し、解体。これ以上の弱体化を抑止して次いで残った泥の全てを以て彼女に歯向かう魔物を悉く溶かし殺そうと嗤い――

 

 

 ――唐突に、その身を極光が薙いだ。

 

 

「……フン」

 

 ()()()()()()。玉座の間と回廊を隔てる扉を破壊、蒸発させるほどの威力と熱量を秘めた極光に呑まれたレディはしかし、全くダメージを受けている素振りも見せずに冷ややかな視線を極光が撃ち出された方に遣っている。

 

 ネガ・マギウス。ビースト・ラーヴァとして覚醒した際にレディが獲得したスキルであり、魔法少女やその資質を有する者、或いは魔法少女に掛ける願望がある者からの害意ある攻撃によるダメージを無力化する概念的守護だ。尤も、未だ幼体(ラーヴァ)であるため全てを無効にできる訳ではないが。

 

 それでも、何の追加効果もない、馬鹿正直な攻撃であるのならたとえ星の聖剣による攻撃であろうとそのスキルを貫通するには足りない。そして、恐らくは相手もそれを分かっていて攻撃を仕掛けてきている。そう判断するやレディはステッキの戦端に大剣の如き刃を構築し、極光が消え去ると同時にそれを横薙ぎに一閃した。直後、極光の後方から迫っていた剣を捉える。

 

「無駄なコトを。アナタじゃ私は斃せないって分かっているでしょうに……ねぇ、()()()()()()()()!!」

 

 その咆哮と共にレディはステッキをもう一度振るい、襲撃者――『剣士(セイバー)』のクラスカードを夢幻召喚(インストール)したイリヤはそれを寸での所で回避する。そうして空を斬った刃はそのまま床へと突き刺さり、その衝撃で床面が砕けた。

 

 ただ剣を振るっただけで、何という威力か。瞠目するイリヤであったが、その身に宿したアルトリアの霊基が危機を告げたことで忘我から立ち直った。見れば、レディは地面に突き刺さった魔力の剣を消し、先程まで刃が映えていた箇所には術式を介さない純粋な魔力が収束している。

 

 咄嗟に防御姿勢を執るイリヤ。だが幼体とはいえビーストの魔力放出量はすさまじく、イリヤは魔力砲の直撃こそ回避したもののその余波で吹き飛ばされてしまった。それでも反射的にエクスカリバーを床に突き立てて無理矢理体勢を立て直す。続けて再び攻撃体勢に移ろうとして、瞬間、視界に移ったレディの姿にイリヤが苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべる。

 

「ッ、ミユ……」

 

 肌に感じる邪悪な魔力は、イリヤの知る美遊のそれではない。頭部から生えている一対の獣冠(つの)やツヴァイフォームを彷彿とさせる黒い装束は見たこともなく、目の色も紅色ではなかった。

 

 しかし、どうしようもなく分かってしまう。たとえその身体を動かしているのが美遊の意識でなくとも、獣の影響で肉体の形状すら変質しているのだとしても、目の前にいるのは他でもない、彼女の親友であるのだと。

 

 それを認識した途端、イリヤの心に弱気の虫が顔を出す。いくら乗っ取られているとはいえ親友の身体を攻撃しても良いのか、というのもある。けれどそれ以上に生き残れるのかという思いがイリヤにはあった。それは何も己の命に執着しているというのではない。もしもこの戦いで自分がレディに殺されれば、自らの身体がイリヤを殺してしまったと知った美遊はきっと悲しむだろう。イリヤには、それだけはどうしても嫌だった。

 

 聖剣を強く握り、その恐怖を抑えつける。仮に恐怖に負けて戦うことを止めてしまえば、その先に待つのは死のみだ。それでは本末転倒であろう。故に、乗り越える。友への思いと勇気で、敵への恐怖を。

 

「ハルカさんとクシナダさんは何処? 戦ってたんでしょ?」

「ハルカ……? あぁ、あの剣使いのコト。さて……何処でしょうね?」

 

 おどけるようにそう言いながら、レディは自身の腹をつぅと指で撫で唇を舐める。嫌に扇情的な仕草だがそれがイリヤに対し意味を為す訳もなく、レディが言わんとする所に気づいたイリヤが歯噛みする。

 

 食べられた。より正確に言えば、呑まれたのだ。イリヤは聖杯の泥についてそう多くを知ってはいないが、似たようなものは一度見ている。忘れもしない黒化ギルガメッシュ戦。泥で身体を構成した黒化ギルガメッシュに美遊が取り込まれる場面を、イリヤは目撃している。それに近い状態なのだろうと、彼女はすぐに気づいた。

 

 ならば、引きずり出すしかない。しかし、どうやって。黒化ギルガメッシュは攻撃が通用したため斃して美遊を奪還したが、レディには攻撃を叩き込んでもダメージが発生しない。或いは攻撃そのものによるダメージは入らなくとも追加効果なら無効化能力の対象外である可能性もあるが、正確な所は不明だ。そうして攻略法を考えるイリヤの耳朶を、レディの声が打つ。

 

「どうにかして助け出そう……そう考えていそうな顔ね。でも無駄よ。言ったわよね、アナタじゃ私は斃せない。逆に、アナタも救ってあげる!」

 

 狂喜と、どこか飢えを感じさせる声音だった。その直後、激烈な悪寒がイリヤの背筋を撫で反射的にその場から跳び退き、刹那の間もなく先程までイリヤがいた場所をトラバサミを思わせる形状をした泥の一撃が薙ぐ。

 

 それは、文字通り〝捕食〟であった。イリヤは知らないことだが、今のレディは多くの亡霊(エコー)を失ったために大幅に弱体化している。そのため、ひとつでも多く自らの力の源となる魔法少女の魂を取り込もうとしているのだ。

 

 もしも捕まれば命はない。それを理性だけではなく本能からイリヤは理解する。そんなイリヤを取り囲むように再び泥の触手が床面に突如湧いた泥沼から伸び、イリヤを喰らい殺さんと迫る。その様はまさに泥の牢獄か。逐一全てを叩き斬っていては回避は望めまい。

 

 それを直感したイリヤは聖剣に魔力を充填し、眼前の触手に向けて解放。そうして抉じ開けられた間隙は決して大きくはなかったがセイバーのスキル〝魔力放出〟を伴う跳躍でそこに割り込み牢から逃れた。そして着地と同時に方向を転換し、宝具に魔力を込める。

 

風王(ストライク)――鉄槌(エア)ッ!!」

 

 解き放たれる風の結界。本来は聖剣の偽装として使われるそれは攻撃に転用することで悉くを轢き潰す風の破砕槌として機能し、迫り来る泥の触手を瞬く間に粉微塵にした。それを見て、レディが舌打ちを漏らす。

 

 レディに対する殆どの攻撃をシャットアウトするという法外な能力であるネガ・マギウスだが、これはあくまでもレディ本体のみに適用される能力だ。そのため、イリヤは泥による攻撃を防御することができる。加えて『剣士』アルトリア・ペンドラゴンの高い対魔力はレディが行う魔術攻撃の大半を無効化してしまうため、レディはイリヤに対する攻撃手段を泥に頼る他ない。

 

 互いに互いの攻撃に対する特効的防御を有するという奇妙な戦況。だが本人の攻撃の戦闘能力は比べるまでもなくレディの方が格上だ。クラスカードは行使者本体に英霊の力を与えるという強力な礼装だが、本質が置換魔術であるために付与される力はオリジナルの英霊と比べて大きく劣る。レディが弱体化しているとはいえ、そんな物相手に劣る道理はない。尤も、それはクラスカードが弱いという訳ではないが。

 

 際限なく増える泥の触手。だがイリヤが宿した英霊の取り柄は戦闘力だけではなく、イリヤ自身もまた聡明だ。次第に触手攻撃に対する迎撃が最適化されていく。

 

「ちょこまかと、往生際の悪い……!」

 

 憎々し気な声でレディが呟き、その怒りに応えるように泥が蠢く。イリヤを襲う泥の触手の表面が沸騰するように泡立ち、内部から無数の逆棘が現出。同様にレディの両腕から湧き出した泥が絡みつき、逆棘を生やす。それだけではなくその先端に巨大な顎門(あぎと)が開いて中からカレイドステッキを思わせる砲門が顔を出した。

 

 まるで腕のみが人外の異形と化したかのような、その姿。直後、〝嫌な予感〟とでも言うべき不快な感覚にイリヤの心臓が跳ねた。それは夢幻召喚したセイバーの直感による未来予知じみた予感であり、レディの両腕に急速に魔力が充填されたことに対する魔力知覚の反応でもある。

 

 何か来る。確信に近い予感にイリヤが顔を強張らせ、レディがそんなイリヤを嘲るように殺意すらも感じさせる笑みを浮かべる。それに応えるようにして撃ち出されたのは天を埋め尽くさんばかりの泥の棘と星の聖剣にすら比肩しようかという魔力を内包した砲撃。それらが逃げ道を塞ぐような軌道を描いてイリヤへと殺到する。

 

 万事休すか。『剣士』アルトリアの能力を十二分に引き出しているとは言い難いイリヤでは全力で迎撃したとしても悉くを捌くのは不可能な物量に、レディが半ば勝利を確信する。だが次の瞬間、爆発的な魔力の高まりと共に放たれた()()()()()()()()()がレディの攻撃の全てを叩き伏せてしまった。

 

 完全に予想を裏切られる形となり、忌々し気な表情を浮かべるレディ。その目の前で、砂塵のようにその身を覆い隠していた泥の飛沫すらも斬り裂いたイリヤが小さく呟いた。

 

夢幻召喚(インストール)――『狂戦士(バーサーカー)』」

 

 狂戦士。本来の聖杯戦争においては英霊に狂化を施して召喚することにより理性の喪失と引き換えにして大幅なステータス上昇を得たクラスであり、クラスカードを用いた聖杯戦争においても殆ど同様の特性を有している。だがそれを宿したイリヤの瞳に狂化の気配はなく、勇気と希望の輝きを湛えている。

 

 流せば床に届こうかという程に長い銀髪を頭頂部辺りで無造作に束ね、身を護る為の最低限の装備を纏い身の丈を優に超える斧剣を携えるその姿は可憐と勇壮を完璧なバランスで両立しており、さながら本物の大英雄ですらあるかのような偉容を幼い少女に与えている。そして先に見せた神速の斬撃は、その偉容が虚仮脅しではないと示すには十分であろう。

 

 使用者に英霊の概念を置換するという常軌を逸した機能を有するクラスカードだが、根本が置換魔術であるが故の劣化は避け得ない。このバーサーカーも元は11ある代替生命(ストック)が3まで減少し、Bランク以下の攻撃を寄せ付けない筈の防御概念はCランク以下にまで弱体化している。その武芸の粋とも言える宝具は失われている始末だ。

 

 だというのに、狂戦士を夢幻召喚したイリヤはレディの目から見ても一定の脅威と確信できる異様な圧を放射していた。そう、言うなれば、英霊の霊基のみならず魂、或いは意識までもがイリヤと同化し彼女を後押ししているかのようですらある。

 

『イリヤさん、分かっていますね? このカードは……』

「狂化……でしょ? 大丈夫。分かってる」

 

 バーサーカーのクラスカードは使用者に高い戦闘能力を与えるのと引き換えにして、時間経過に伴う理性の喪失を強いる。完全喪失までの時間は使用者の精神力や英霊との親和性により異なるものの、クラスカードを作った魔術師はどれだけ長くとも10分前後と試算している。それを超えれば、余程の例外でもない限り使用者は自我を喪い戦闘機械と化す。

 

 そうなった自分の姿が一瞬イリヤの脳裏を過るが、彼女はすぐにそのヴィジョンを乗り越え斧剣を構えた。武骨な斧剣と華憐な少女の組み合わせはともすれば滑稽に堕ちるものだが、彼女のそれは驚くほど様になっている。

 

 しかし夢幻召喚しているクラスカードとセイバーからバーサーカーに切り替えたということは、セイバーの特徴である高い対魔力を放棄したということでもある。それにレディが気づかない筈もなく、イリヤを覆うようにドーム状に魔法陣が展開される。

 

「潰れなさい!!」

 

 咆哮。次いで放たれたのは棘と魔術砲の暴雨。総数が百を優に超えるその攻撃は到底並みの英霊が防御し得るものではなく、圧倒的な破壊の暴威が少女へと降り注いだ。しかしそれだけでは終わらずレディの両腕から2条の光条が迸る。そのあまりの威力に床やその下の地面が捲れ上がり、濃密な土煙が少女を覆い隠す。

 

 刹那、土煙を斬り裂く斧剣の斬撃。そうして吹き散らされた靄の中から飛び出したイリヤの身体にはひとつとして目立った外傷はなく、レディの攻撃が殆ど着弾していないのは火を見るよりも明らかだ。

 

 命中していない訳ではない。しかしイリヤは己に向けて放たれた攻撃全ての軌道を見切り、斬撃面だけではなく斧剣の刀身側面まで含めた上でどの攻撃をどのように弾けば致命傷を回避できるか一瞬で判断し、正確に実行したのだ。

 

 空恐ろしいまでの絶技。イリヤの力ではなく、バーサーカーの武練によるものだ。だが、完全に借り物の力であるのかと問われれば、それも否。それは半ば融合とすら言える程のイリヤとバーサーカーの相性により可能となった圧倒的な戦術なのである。

 

 それを目の当たりにしたレディは幻視する。イリヤを守るようにして立つ、巌の如き巨人を。人類が地球という星に生まれて幾星霜、人理の裡に発生したヒトという種の中で比喩でなく真の意味で最強無敵、剛力無双の大英雄の姿を。

 

 だが、それを目の当たりにしても悪性の獣は動じない。詠唱さえも省略してイリヤの進行方向上に展開したのは自立型の迎撃術式。更に泥の触手も操り、レディはイリヤを圧殺せんとその力を揮う。

 

 触手の表面に隙間なく生えた逆棘を銃雨の如く撃ち出す砲撃。その大元である触手そのものを鞭のように振るいイリヤの肉体を粉々にせんとする殴打と、迎撃術式が撃ち放つ魔力砲。それぞれが方向も特性も異なる攻撃だ。だがイリヤは臆せずに突っ込んでいく。

 

 真っ先に飛来した泥の棘に向けて斧剣を振るい、叩き落とすのではなく刀身の側面で流すことで方向を逸らして別方向から飛来した棘にぶつけて相殺。その間にも斧剣は一斬のうちに触手を半ばから断ち切り、強引に作り出した間隙に飛び込んで迎撃術式を破壊。雑多な攻撃は十二の試練(ゴッド・ハンド)の防御機能に任せて無視する。

 

 その様はまるで極小の嵐が押し寄せてきているようですらある。しかしレディは攻撃の殆どを防がれ次第に距離を詰められながらも一切冷静さを欠いていない。迫り来る小さき大英雄を真っ向から見据えながら、拭えぬ違和感に訝し気な表情を覗かせる。

 

(イリヤスフィール……何故態々私に接近するようなマネを? 何か策でもあるというの?)

 

 レディがイリヤに対して抱いている唯一の懸念。それがイリヤが現在進行形で使用している礼装、クラスカードの存在だ。或いは何かレディの防御概念を貫通するものがないとも限らない。

 

 しかし小手先の策など圧倒的な力の前では無意味。数々の攻撃を潜り抜けレディの前まで肉薄したイリヤは何を思ったか、或いは思考が纏まらなくなりつつあるのかそのままレディへと斧剣を振り下ろして、しかしレディの防御概念に阻まれるより早くに受け止められた。

 

 見れば、振り下ろした斧剣が両腕の泥を脱落させたレディが構えるカレイドステッキに阻まれている。負けじと続けての剣戟。だがイリヤの剣撃全てにレディは容易く対応し、打ち鳴らされる音色はヒートアップしていく。

 

 それに比例するようにしてイリヤの脳裏から思考そのものが削ぎ落されていく。視界は黒く染まり、その中で敵手だけが血のように紅い。明らかに狂化が進行している。けれど今夢幻召喚を解けば、それこそレディの思う壺だ。

 

 今この瞬間、〝退く〟という選択肢を執れなかったのは間違いなく致命的な判断ミスであり、そして、それこそがレディに付け入る好機を見出させた。突如としてイリヤの足元が緩み、それに伴って全身のバランスが崩れる。

 

 ――投影(トレース)開始(オン)

 

 彼女が宿す英霊はその程度で攻撃不能に陥るような愚を犯す武人ではない。しかしそれが人型である以上、どれだけ優れていようとも認識外からの攻撃に対してはどうしても反応が一拍遅延するのが道理。

 

 尋常なサーヴァントであれば間隙とはなり得ないような短い隙であろうとも、人類悪の幼体にとっては十分に過ぎる。足元に展開された泥やそれに対応する間に絡め取られた斧剣にも気づいて最善策を執ってみせたが、遂に片腕を拘束されてしまった。

 

 ――投影(トリガー)装填(オフ)

 

 それでもイリヤはどうにか拘束から抜け出そうとして、しかしできない。コピー元(オリジナル)のイリヤであれば多少は抵抗もできたのだろうが、今の彼女は少々特殊とはいえサーヴァントである。加えて英霊を夢幻召喚しているのもあって、聖杯の泥には極めて弱いのだ。

 

 そして皮肉か、或いは本能的な危機回避か、事ここに至りイリヤの意識は冷や水を浴びせられたかのように冷静になった。不幸中の幸いと言うべきは、それが火事場の馬鹿力的な偶然ではなく彼女とバーサーカーの極端に良い相性のなせる業と言えることか。

 

 マズい。戻ってきた理性でイリヤは己の失策を悟るも、もう遅い。確かにイリヤとバーサーカーの親和性は極めて高い。その力は最早造り手の想定した水準を超えていると言っても良いかも知れない。

 

 だが、相手が悪い。いくらレディが真正の人類悪には遠く及ばぬ存在なのだとしてもその力は尋常なサーヴァント、ましてや夢幻召喚によって劣化した英霊の力が及ぶものではないのだ。

 

 独りで敵う相手ではない。遥は戦力としてはかなりのものであったがレディはそういった条理の埒外にいる存在なのだ。無茶無謀のまま蛮勇だけを携えて戦えば、死は免れ得ない。そしてそれは、イリヤもまた例外ではない。

 

「これで終わりよ、イリヤスフィールッ!!」

 

 そう。()()()()()()()()()()()

 

「――全工程投影完了(セット)……!!」

「ッ!?」

 

 それは、あまりにも唐突な出現であった。さしものレディですらも予期し得ない、彼女自身先程イリヤに対して仕掛けた認識外からの攻撃。それも視界の外などからではなく、レディの魔力知覚が届かない遠方から一瞬で接近――いや、転移してきたのだ。

 

 弾かれたように背後に視線を遣るレディ。果たしてそこにいたのはイリヤと瓜二つな褐色肌の少女――クロエ・フォン・アインツベルン。一時的なビースト化による負荷で意識を失っていた筈の少女が、イリヤが持つものと同じ巨大な斧剣を携えてそこにいた。

 

 在り得ない。レディが瞠目する。彼女はクロエの身体を棄てる際、しばらくの間回復しないように殆どの魔力を奪っていたのだ。現在のクロエはサーヴァントである以上、行動を封じるならそれだけで十分だった。その筈だった。つまり彼女は〝遥はイリヤ、及びクロエと契約はしないだろう〟と考えていたのだ。それをしてしまえば、彼は敵対する魔女と同じ、少女らを家族や友人から引き裂いた罪を背負うことになるから。要は、彼女は敵対者らの『覚悟』を侮っていたのだ。その侮りが今、彼女に還ってきている――!!

 

是、射殺す百頭(ナインライブズ・ブレイドワークス)ッ!!」

「このォっ!! しかし……!!」

 

 神速の九連撃。人類史最強の大英雄が修得した剣技をその技術、斬撃ごと投影するという錬鉄の英雄のみに許された強権により放たれた絶技は、しかしレディに対しては意味を為さない。ネガ・マギウスの効果はクロエにも例外なく働くのだ。

 

 馬鹿め、とレディが嗤う。クロエが放った神速の連撃がもたらす必殺の威力はネガ・マギウスの効力によるものか、レディに何のダメージをもたらすこともなく不自然に歪曲されて流れていく。だがその瞬間に、気付く。クロエの狙いはレディの滅殺ではなく、彼女は連撃が全てレディに通用しないことを分かった上で、レディと挟んでクロエの逆側にいるイリヤの拘束を解くだけにこれだけ大袈裟な攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

 だが、それで終わりではない。イリヤの拘束を解くためにだけにレディの知覚外から攻撃をするのであれば、他にも方法はあった。にも関わらず態々これだけ接近してきたのは、そうしなければならない理由があったからだ。

 

 空白の左手。だがその手は完全に空白ではなく、クロエが魔力を込めるや否や実体化の直前で凍結されていた投影が再起動してとある宝具が顕現する。大きさは精々果物ナイフ程度。薄紫に輝く刀身はひどく異様な形状で、おおよそマトモな短剣としての使い方は望むべくもない。けれどそれを視界の端に捉えたその刹那、レディは初めて〝本能からの恐怖〟を覚えた。その一瞬、魔女の注意が完全にクロエに向く。それが、命取り。

 

限定展開(インクルード)……!!」

「なにぃっ……!」

 

 レディの背後、クロエの〝是、射殺す百頭〟により泥の拘束から逃れたイリヤが式句を唱える。バーサーカーを夢幻召喚している以上、在り得ない筈のそれ。しかし、イリヤの許に在るカレイドステッキはルビーだけではない。

 

 斧剣を握る手の逆側。バーサーカーの腰布の間から『魔術師(キャスター)』のクラスカードを抱えて出てきたのは、本来は美遊の相棒である筈のマジカルサファイアだ。しまった、とレディが気付いたのも束の間、サファイアが『魔術師(キャスター)』メディアの宝具――魔術破りの短剣〝破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)〟へと変化する。

 

「はああぁぁぁぁっ!!」

「やらせるかァァッ!!」

 

 泥の触手を一閃。それを跳躍して回避したイリヤはレディの頭上から落下の勢いを乗せて短剣を振り下ろして、だがその一撃は中空で阻まれる。泥の防壁では間に合わないと判断したレディが複製カレイドステッキを使って魔力障壁を作り出したのだ。術式を介さずに魔力を扱うことができるステッキの防壁は、魔術を初期化するルールブレイカーの権能を受け付けない。

 

 だが、咄嗟の展開だったからだろうか、ルールブレイカーは完全に防がれた訳ではなくその切っ先が防壁に巻き込まれるようにして突き立っていた。それを見て、イリヤが動く。最小限の魔力で足場を形成。そのうえで踏ん張りを効かせるようにして、バーサーカーの得物たる斧剣を防壁そのものではなくルールブレイカーの柄頭に向けて振り下ろした。

 

 思考が熱い。狂化のせいだろか、身体は今にも自分自身の意志から外れて暴れ出しそうで、それを精神力だけで無理矢理に抑え込んでいる。並の親和性、魔力、そして精神力でできる芸当ではない。幼いながら多くの戦いを潜り抜けてきたイリヤだからこそできる荒業だ。

 

 それでも、レディには届かない。狂戦士の膂力、その全開を以てしても障壁の亀裂はそれ以上広がらず、それどころか徐々に塞がってきているようにすら感じられる。それでもイリヤの表情には諦念など片鱗もない。己ひとりでは届かないのだとしても、誰かと手を取り合えば、きっとどれだけ強い敵にも届くと信じているから。

 

「だから……力を貸して、バーサーカー!!!」

 

 ――オオオォォォォォォッ!!

 

 その咆哮は、果たして獣の雄叫びか、或いは大英雄の鬨の声か。その直後、イリヤの身体が光に包まれ膨大な魔力の高まりと共にその姿が変化する。胸を隠すサラシに重なるように現れたのは獅子を思わせる装飾。白い身体には痣にも似た紅い神威の紋様が発現し、石斧は荘厳な戦斧へと変貌する。

 

 霊基再臨。それも何の魔術的触媒や工程を踏むこともない、完全にイリヤとバーサーカーの力に依るものだ。瞬間、少しずつ修繕されつつあった魔力障壁の亀裂が、逆により深く、大きくなっていく。

 

 圧されている。貫かせまいと魔女はより魔術回路を駆動させて、負けじとイリヤも全身に魔力を巡らせる。互いに相容れない両者の魔力は波濤となって周囲に吹き荒れ、悉くが押し流されていく。

 

「ハァァァァァァァっ……!! アアァァァァァァッ!!」

 

 気合一喝。何の道理かイリヤの身体から放出される魔力が限りなく増大し、瞬間、まるで硝子が割れるかのように呆気なくレディの魔力障壁が崩壊した。それに伴って切っ先を彷徨わせたルールブレイカーの柄を握り、がら空きになったレディの鳩尾に向けて振り落ろす。

 

 ネガ・マギウス。魔術破りの短剣で刺されたことによる直接的なダメージは、レディにはない。だがルールブレイカーによって刺されたことで発生する副次的効果はその限りではない。そもそもネガ・マギウス自体、聖杯、つまりは魔術的な手段を用いて起動させた美遊の異能によって付与されたスキルなのだから、破戒すべき全ての符は例外なく作用する。

 

 その攻撃と同時にそれまで部屋を満たしていた泥が消滅し、衝撃波めいた魔力がイリヤとクロエを吹き飛ばした。それと同時に限界を迎えた夢幻召喚が強制解除される。すわ反撃か、とレディを見れば、彼女は壊れた機械のように身体をくねらせ苦悶していた。彼女の根幹を成していた魔術的事象が初期化(リセット)されたことで、魂の統合が再び解かれようとしているのだ。そしてレディはそれに意志力のみで抗っている。それは最早、執念とすら言えるだろう。

 

 けれど、意志力のみで宝具の効力に抗いきれる筈もない。時空そのものが乱れたのではないかと錯覚する衝撃を撒き散らした直後、制御を失った魔力が魔女から溢れ始める。それでも諦めきれないとばかりに魔女は凄まじい眼光をイリヤとクロエに向け、しかしまたしても邪魔が入る。

 

 唐突にレディの身体から聖杯の泥が噴き出し、それを割るようにして一条の焔が噴きあがり水晶の城の天井を貫通、そのまま夜空へと消えていく。その光景はさながら太陽黒点の爆発か。そのあおりを受けるように泥の波からまろび出る人影。それが誰かなど考えるまでもなく分かって、イリヤは駆けよっていく。

 

「ハルカさんっ!! ……ッ!?」

 

 確かに、イリヤが思った通り泥の中から現れた人影は先にレディと戦っていた夜桜遥その人であった。だがその姿は彼女が知るそれとは大きくかけ離れていて、まさしく凄惨の一言である。

 

 未だスーツが残っている下半身は不明だが、本来右手がある筈の箇所や左手、少なくとも上半身の3分の1程度の面積が醜悪極まりない肉塊に覆われている。この様子では恐らく被害は体表だけではなく内臓にまで及んでることは想像に難くない。

 

 只の人間であればとうに死んでいてもおかしくはない病巣の大きさだ。けれど、遥はまだ息があり、心臓も動いている。それは何も、彼が『不朽』であったり半神半人であるからというだけではあるまい。彼もまたレディと同じく尋常ならざる執念、生命力で生にしがみついている。どうすれば良いか分からず戸惑うイリヤの前で、遥が目を覚ます。

 

「ハルカさん……」

「ぐ、う……イリ、ヤ……? ッ!? レディは……!?」

 

 無理に立ち上がろうとした瞬間に遥の全身を気が触れる程の激痛が襲い、思わずその場に倒れてしまう。だがそれでも、彼は確かに見た。自らの身体から吹き出した泥の沼に倒れるレディの姿を。

 

 捻じくれた獣冠や黒い装束が消滅していない所を見るに未だ美遊の身体を手放した訳ではないのだろうが、それでも相当に消耗していることに違いはない。尤も、消耗しているという点では遥も大差ないどころか度合いで言えば彼の方が酷いが。

 

 常ならば呪詛に対する防御として体内に巡らせている焔まで全て攻撃に回していたため、全身が泥の呪詛に汚染されている。呪殺されていないのは今までの人理修復の戦いの中で獲得した呪いへの抗体とでも言うべき特化した耐性があったからだろう。その耐性を以てしても半死半生といった程度ではあるが。

 

『クシナダは大丈夫か? 何か問題は……』

『私自身には大きな問題はありません。遥様が守って下さいましたから。しかし……』

『……?』

『……いえ。兎に角、戦闘に問題はありません』

 

 普段は温和かつ毅然としているクシナダらしからぬ、何かを我慢しているかのような声音であった。しかし無理もない。彼女は遥と異なり自らの身に起きた決定的であり不可逆的な変化を自覚しているうえ、(マスター)である遥が瀕死の状態でありながら彼女は見ていることしかできないという状況に立たされているのだから。

 

 彼女の宝具〝我、蛮神の妻たる者〟は彼女自身だけではなく遥との同意の下でのみ行使、及び解除が可能となる。そして両者共にレディとの継戦意志があり状況を正しく理解しているのだから、遁走という選択肢はとうにふたりの脳裏にはない。

 

 戦わなければ、生き残れない。生きたいのならば、生かしたいのならば、相手の理想を潰してでも戦い、勝利するしかないのだ。たとえどれだけ辛く苦しいのであろうとも。どれだけ傷つくのだとしても。

 

「イリヤ。どこかに俺の刀が落ちてなかったか? レディに喰われた時に落しちまってな……」

「それはコレかしら? 剣士のお兄さん……いいえ。マスター?」

 

 そう言いながら遥の許にないために輝きを失った天叢雲剣を差し出した相手を見て、遥は思わず警戒態勢を執りそうになり寸での所でそれを自制する。その相手――クロエが肉体はともかく精神的には初対面であることを考えれば相当に失礼な態度だが、致し方ないことではあろう。何せ遥はクロエの身体を乗っ取ったレディと何度か交戦しているのだから。

 

 とはいえ、勘違いしてしまったのは事実。そのことを謝罪し礼を言ってから左手のみで天叢雲剣を握ると、担い手の許に戻ったことで刀身が輝きを取り戻した。その横で、明らかに遥が戦闘を継続するつもりだと悟ったイリヤが口を開く。

 

「まだ……戦うの? でも、身体が……」

「左手一本あれば戦える……と言うのは、見栄を張りすぎだな。ちと手荒な方法にはなるが……」

 

 自嘲するかのような声音でそう言うや、遥は叢雲の刃を右手の肘から少し先の辺りに押し当てた。それが何を示すのか分からないイリヤとクロエではなく彼を止めようとして、しかし遥は制止されるより早くに自らの右手、その汚染部位を斬り離してしまう。

 

 腕を喪った痛みにスパークする視界。急激な出血に朦朧とする意識。だが再生を阻害する部位を丸ごと切除したため、少なくとも右腕はある程度の時間が経てば元の形を取り戻すだろう。他の部位はそう簡単にもいかないだろうが、最悪、両腕が揃えば最低限剣術を揮うには困らない。

 

 あまりにも力技かつ自分自身へのダメージを度外視している遥の対処に絶句を禁じ得ない魔法少女ふたり。対して遥は意識が明瞭ではないというのもあるのだろうが、右手の負傷などもう気にしていないかのように左手だけで叢雲を構えている。その視線の先にいるのはゆっくりと泥の中から立ち上がるレディがいた。

 

 ミラーの捨て身の攻撃やイリヤに突き刺された破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)の効力により、レディの霊基はビースト・ラーヴァ覚醒直後に比べて見る影もない程に格が落ちている。その霊基規模は最早美遊の身体の支配権を喪うどころか不完全なビーストとしての属性を喪っていてもおかしくはない。

 

 それなのに未だレディは若干損壊しながらもビースト・ラーヴァの霊基を維持し、美遊の身体を支配している。その目は強烈な意志の光を湛え、覇気に翳りはなく、魔女の理想は潰えていない。そしてそれを単独で撃破するだけの力が、今の遥にはない。

 

「イリヤ。クロエ。みっともない話をするようで悪いが、今、俺にはヤツをひとりで斃せるだけの力がない。だから……」

 

 言葉を区切る。これから遥が口にするのは、ある意味では途轍もない責任放棄だ。たとえこの特異点が本来、遥は関わり合いにならなかった筈のものなのだとしても、現実として遥はもう関わってしまった。であれば、彼にはこの特異点を修正する責任がある。

 

 関わり合いになった、という点で言うのならイリヤらもまた同じだが、彼女らはまだ子供だ。本来なら戦いの痛みも、悪意の醜さも知らず、幸福に生きるただの子供なのだ。そんな子供にこのようなともすれば終末に至るような騒動の責任を、一端ですら問えるものか。

 

 故に遥は大人として、総ての責を果たさなければならなかった。事の発端がただ巻き込まれただけだとか、彼自身が戦う必要性はなかっただとか、そんなことは関係ない。胸中に巣食う罪悪感に、ひと時だけ蓋をする。

 

「……協力してくれ。頼む」

「……うん。戦うよ、一緒に!」

「ホントならわたし達が頼まなきゃいけない立場な気もするけど……でも、ミユを助けたいのはわたしも同じ。やってやるわよ!」

 

 ステッキと双剣。それぞれの得物を構え、魔法少女が立つ。対する魔女もまた、追い詰められてもなお己の理想を叶えんがため最後に残った力を総動員して怨敵を迎え撃つ。

 

 崩壊しつつある幻想の楽園。その中央でひっそりと、人類史の存亡をかけた決戦が幕を開けた。




 キリ様がいい人すぎて辛い。

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