Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第82話 回帰フューネラル

 何なの、こいつらは。今にも崩壊して美遊の霊基(からだ)から脱落してしまいそうな霊基(いしき)を意地と妄執のみで支えつつ、救済を邪魔立てする敵手を撃滅すべく魔術(まほう)を編みあげながらレディは思う。

 

 確かに度重なる弱体化によりレディの霊基は元の神霊級のそれから大幅にランクダウンし、最早見る影もない。もしも今――レディは真正のビーストではないため万に一つも起こり得ないが――『冠位(グランド)』のサーヴァントが現界すれば抵抗もできずに消されるだろうが、それでもたかが未完の半神と魔法少女ふたりに後れを取る筈がない。

 

 加えてその半神、自らの危機を脱するため美遊(せいはい)が招き寄せレディの計画を台無しにした忌まわしき剣士はその全身を人類悪の泥に犯された事で生体機能や再生能力、魔術回路の殆どの働きを阻害され、半死半生といった有様だ。

 

 それなのに、戦っている。いかに人間よりも圧倒的に生命力が強く頑丈な半神とはいえとうに生命維持だけで精一杯の状態でありながら、未だ諦めずに戦っている。その目に輝く光は自棄ではなく、強烈な戦意と決意のそれだ。

 

 そしてふたりの魔法少女もまた同じ。彼女らは遥のようなダメージを負っていないが、基礎性能そのものが通常のサーヴァントに大きく劣る。それは彼女らをこの世界に召喚(コピー)した際に確認しているのだから、今更になって測り間違えていた、ということは在り得ない。だというのに彼女らは食らいついてきて、遂にはレディに半ば致命に近い一撃を与えるに至った。

 

 驚嘆すべき執念だ。イリヤも、クロエも、遥も、勝ち筋など無かった筈の戦いに臆する色はなく、逃げもせずに挑み今こうしてレディの喉元にまで迫っている。それはレディが彼らを侮っていたというのも原因としてあろうが、それ以上に彼らの心が、己よりも強大な敵との無数の死からひとつの生存を拾い上げるような戦いにも逃げずに立ち向かう精神力が活路を開いたのだ。

 

 だが、彼らのその在り方がレディにはとても腹立たしいものに見える。それはまるで、頭を固定された状態でストロボめいた電球の光を見せられているような。拭い様のない、本能的な嫌悪感だ。

 

「このッ……目障りなのよ! 消えなさい!」

 

 拒絶にも似た憤怒の咆哮。殺意以外の切迫した思いを覗かせるそれの直後、中天を飛ぶレディの背後に無数の魔法陣が展開された。霊基が崩壊しつつある状態でありながら脅威的な術式の構築速度だ。しかし魔力量そのものが減少しているうえに延命にリソースを裂いているためか、陣の数や複雑さは以前のそれとは比べるべくもない。

 

 乱舞する光条。先の魔力砲よりも出力が落ちた攻撃など常の遥にとっては大した脅威とはなり得ないが、今は話が別だ。右手が再生しきっておらず使えるのは左手のみ、その左手の膂力も呪詛の影響で落ちている今、どんなに単純な攻撃でも十分に致命傷と成り得る。

 

 そして当然、レディが放った攻撃の殆どは遥に集中する。彼女が有するスキルは魔法少女からの攻撃を無力化する――副次的効果は貫通するが――という力を持つ。更に破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)を用いた戦法を一度見たのだから、彼女が対応しない筈はない。であれば今度こそ彼女を打倒できるのは遥だけだ。逆に言えば、レディにとっては遥さえ殺すことができれば勝利も同然なのである。

 

 遥の命脈を絶たんと魔力砲が飛来する。それを目前にして遥は最期に残った令呪一角を使って無理に右手を再生させてでも捌こうとして、しかしそれが実行されることはなかった。彼の後方から撃ち出された剣弾と魔弾がレディの放った攻撃を相殺したのである。エミヤと同質の力を持つクロエと『魔術師(キャスター)』を夢幻召喚(インストール)したイリヤによるものだ。その援護の直後、クロエの声が遥の耳朶を打った。

 

「貴方は本体に集中して! 攻撃は私達が何とかするわ!」

「っ……させるか!」

 

 いくらレディが遥らよりも格の高い霊基を保有しているとはいえ、現在の弱体化した状態では一度に展開し得る魔力砲台の数には限度がある。加えて当然の事ながら一撃の威力を重視すれば限界数は減少し、数を増やせば威力は落ちる。

 

 もしも魔法少女の攻撃で相殺されないように威力を上げれば砲撃の密度は低下し回避が容易になってしまう。だが回避されないように魔力砲の数を増やせば手数に優れたイリヤとクロエがそれらを相殺し、遥の接近を許してしまうだろう。ルールブレイカーの一撃を受ける前ならばそれをカバーし得るだけの泥を操ることが出来たが、今はそれほど潤沢な泥の量はない。

 

 元は圧倒的に有利な状態であったというのにそれを覆され、今では一方的な勝利すらもままならないまでに追い込まれている。全ては己の油断が招いた事態であると、レディは確かにそう認めていて、けれど許せない。彼女が目指す救済の邪魔を、その存在から容認できない。

 

 対する遥は右手が再生しきっておらず身体も思うように動かない中ででもレディを美遊の霊基から滅するべく神刀を握り魔女へと挑みかかる。その姿は己の力量を弁えず死地に赴く愚者か、或いは誰かのために己を犠牲にしてでも戦う勇者か。どちらであろうともレディにとっては神経を逆撫でしてくる天敵でしかない。

 

 憎々し気な表情を浮かべ、レディがステッキを振るう。そのモーションを見て反射的に神刀を構える遥だが、動きがあったのは砲台ではなく彼の後方だ。突如として床面から湧き出した聖杯の泥から、無貌の人型――魔法少女の泥人形が這い出してくる。恐らくはカルデアに飛ばしていたものを戻したのだろう。

 

「行きなさい、魔法少女の軍団(プリズマ・コーズ)! 邪魔な魔物を圧し潰すのよ!」

 

 号令一下、魔法少女擬きの残骸兵らの姿に変化が起きる。ある者は背部の肉が隆起し空を飛ぶための翼が生え、またある者は肉体と同じく泥で構成された魔杖が剣や戦斧、槍などの武具に変化。より攻撃的な姿になり、イリヤとクロエに向けて襲い掛かる。

 

 二度の弱体化に伴い内包する魂の総量も減少しているためかその総数はカルデア襲撃時のそれと比べると明らかに少ないが、そんな事は彼らには知る由もない。そもそもとして戦力の絶対数が遥らとカルデアとでは異なるのだから、比較するのは間違いであろう。

 

 圧倒的な戦力差。それを目の当たりにした遥は思わずイリヤらを助力しようとして、しかしレディはそれを許さない。遥の背筋を撫でる、強烈な悪寒。その直感に従い彼は迷いなく回避行動を執るがダメージを負った身体が十全に動く筈もなく、躱し損ねた魔力砲が遥の左肩口を擦過した。

 

 激痛に明滅する意識。噴き出す鮮血。泥を供給元とする攻撃であるためかそれと同質の呪詛を内包しているようで、呪いが傷口の細胞を犯そうと暴れる。これ以上の汚染を防ぐため左肩ごと燃やすような火力で焔を操り呪詛を浄化して、遥が舌打ちを漏らした。

 

 明らかに身体能力(ステータス)が低下している。呪詛の影響だけではない。今までの戦闘で負ったダメージの蓄積や数時間にも及ぶ神核の解放による反動等複数の要因が重なり、遥から戦闘力を奪っているのだ。弱体化しているのは、何もレディだけに限った話ではない。

 

 だが、それで勝利を諦めるくらいならば此処まで来ていない。遥も、レディも、何もかも諦められないから今此処にいて、互いに譲れないから戦っている。たとえ己の身を犠牲にしようとも、為すべきと信じることを為すために。

 

『……クシナダ。宝具の出力をもっと上げてくれ!』

『なっ……!? しかし、それでは遥様の身体が、もう……!』

『分かってる! でも、やるしかない。()()()()()()()

 

 そう。遥は託された。ディルムッドとミラーから、彼らの心を。魔法少女としての使命に囚われ、歪み堕ち果てたレディを終わらせてやるという思いを。ならば、為さねばならない。義務ではなく、タスクでもなく、己が剣に掛けた誓いとして。

 

 それだけではない。今、この場にいる者でレディを完全に打倒し得るのは遥だけなのだ。詰まる所、それは彼の双肩に全人類の命が掛かっていると言って良い。その中には遥が守るべき仲間の命も例外なく含まれている。

 

 ならば、遥が戦う理由としては十分に過ぎる。彼は決して誰かの為に戦うとは言わないけれど、他人を守るという行為を己の為として戦える男だ。素直ではない、と言ってしまえばそれだけだが、それが彼なのだ。

 

 そして、クシナダはそれを理解している。それでも遥に辛い思いをして欲しくない、これ以上傷ついて欲しくないとは思うけれど、彼にとっては己が戦って傷つくよりも自分が大切に思う誰かが傷つく方が辛いから。故に、彼女も彼に力を貸すのだ。それで彼が傷つくのは、とても辛いけれど。

 

『だから……責任、取って(必ず生き抜いて)下さいね?』

『……善処するよ』

 

 遥が微笑みながらそう返すや、彼の身体が火を注がれたかのように熱くなり強壮感が満ちる。まるで、神核だけではなく彼の身体そのものが励起されているかのように。――いや、〝ように〟ではない。紛れもなく、神核や霊基だけではなく肉体そのものが賦活されている。

 

 だがその原因を探る暇もなく、レディが放った魔力砲が遥へと迫る。超高出力の光条が何本も降り注ぐその光景は、さながら致命の豪雨と言うべきか。だがその軌跡はあくまでも直線的で、先の歪曲する砲撃に比べれば回避は容易だ。そして、限界を無視して身体を強化した遥にはそれができる。無論、いつまでもそんな無茶ができる訳ではないけれど。彼が限界を超えて戦えるのは今だけだ。

 

 右手も再生しつつこそあるものの、未だ刀を握ることができる状態ではない。故に現在使用できる回路で捻出可能な魔力全てを以て左手に強化を施し、続けて固有結界から取り出した焔と雷霆を刀身に這わせる。

 

 そうして神刀を揮ったのは砲撃の正中線ではなく、その端。一見するとまるで意味のない斬撃のようだが、それは違う。もしもそれを行ったのが遥ではなく、得物も神刀ではなかったのなら刀身が折れる結果しか齎さなかっただろうが、殊遥と神刀の組み合わせならば別の結果を発生させる。

 

 それはまるで鉄砲水が巨岩にぶつかって進路を変えるかのように。遥の煉獄が宿す〝魔力の浄化・吸収〟という特性の影響により指向性を乱され、僅かに軌道が逸れる。その一瞬の間隙に身体を滑り込ませ、紙一重で砲撃を躱す。

 

 続く第二撃は初撃の回避動作から繋げて刀身に込めた魔力や焔を斬撃として飛ばし、それを傘とするかのように斬撃の下にできた空間に身を躍らせ、回避する。それはまさしく力技ではない完全な技術。己の状態を把握し、敵の力を計り、最も生存に適した選択肢を最短で選び取る、という歴戦の勇士ならば誰しも備える基本的な能力だ。

 

 だが、たとえ基礎でも、いや、基礎だからこそ極限状況下においては生存への最適解となる。全ての攻撃を最短・最小の動作、多くを封じられた今できる最大限の手段で以て防御し、肉薄する。しかしさせじと、レディがステッキをもう一振り。

 

 先の攻撃を鉄砲水とするのなら、今度のそれは綺羅星、或いは流星雨か。視界全てを覆い尽くすような、微細な魔弾の群れ。広域破壊兵器めいたそれは、最早遥ひとりで対処できる限界を超えている。万全な状態であるのならばともかく、今のようにダメージを受けている状態では。

 

 一度の攻撃のうちに行使される魔力量は、さながら都市ひとつを軽く焼き払う爆弾の如く。二度の反抗によってかなりの力を削がれていながら、マトモに直撃を受ければ極端に生命力が強い遥でも即死を免れ得ない。

 

 これがビースト。――否、ビーストとしてすら正しく成立していない、『人類悪』という霊基そのものの幼生ですらこれだ。この上に更に真にビーストとして覚醒した幼生と完全体も存在するというのだから、恐ろしい話だ。

 

 そんな存在に抱いた恐怖を、遥は認めよう。彼は確かにファースト・レディ、及び真名()も顔も知らぬ真なる獣を恐怖した。だが恐怖すれどそれを顕すことはなく、身が竦むこともない。恐怖を知り、是を認め、踏破する。その覚悟なら、とうにできている。

 

「敵わぬ相手にすら挑む気概……それは蛮勇というものよ、剣士!!」

()()()()()!!」

「――っ!!」

 

 また、この感覚。レディが内心で呟く。人。ヒト。単騎では人類悪の獣に対する抵抗すらままならない、憐れなる生命。吹けば飛ぶような、だからこそどのような手段を以てしてでも救済しなければならない生物。――己を、友を棄てた愚昧共。だからこそ、その愚昧や悲嘆から人類を悉く滅ぼしてでも救うためにこの力を得た。その規模が〝多少強い程度〟の3騎が協力した程度で太刀打ちできるものではない事は、とうに彼らも理解している筈だ。

 

 だが、それでも、と。たとえ相手がどれだけ強大な存在であろうとも、退く理由には、戦いを放棄する理由にはならないと彼らは言うのだ。何度も、何度も圧し潰そうとして、それなのにいつまでもその輝きは消えない。魔法少女ふたりの希望の光と、剣士の希望とはまた異なる異様な光は。

 

 遥に迫る光弾の群集。その数はいかに空位に達した剣士といえど全てを撃墜できるものではなく、光弾の密度は彼の身体を瞬く間に無意味な挽肉に変えて余りある。常ならば最悪脳と心臓さえ残っていれば死に至らないため多少の無茶はできようが、回復阻害を受けている今は間違いなく即死だろう。

 

 ()った。半ばレディが確信する。いかに意志力の強い者でろうとも、この世界には無理無茶無謀の精神論では突破できない障害というものがあるのだ。けれどレディはそれが自らもまた例外ではないと、これまでの戦いで学習している。油断すれば、必ず足元を掬われるだろう。

 

 駄目押しとばかりに遥の背後で泥が伸びあがり、その表面を内部から迫り出した逆棘が覆う。イリヤとの戦闘においても用いた攻撃だが、今回のそれは内包する質量が異なる。レディが操る泥は質量・体積共に不定であり、魔女の意志によって自在に変化する。詰まる所、その触手はある種の質量兵器なのだ。

 

 それが、一対。鞭のように撓りながら遥を文字通り粉微塵に変えるべく背後から迫る。だが遥はそれを全く無視し、叢雲を握る左腕を引き絞り、現在一度に行使し得る全魔力を充填。そうしてそれを神速の刺突と同時に解放し、激流の魔力放出により嵐の如き大槍と化して弾幕に突き刺さる。

 

 しかし、それだけでは弾幕に間隙を作るには至らない。面の攻撃に対し点の攻撃を放つのでは意味がないのだ。それを遥が理解していない筈もなく、彼は激流の大槍を基点として固有結界内の雷撃を放出し、浄化の雷霆はまるで避雷針に吸い寄せられるかのように魔弾を渡り、全てではないものの広範囲のそれを消滅せしめる。

 

 だが、そうしている間に泥の触手は遥の真後ろにまで迫っている。それでも彼は反応する素振りを見せず、しかし事態は彼が関与しない形で動いた。突如として彼の身体を覆うように満ちた彼のものではない魔力から異形の使い魔――竜牙兵が現れ、触手へと突貫。そうして一瞬動きが鈍った瞬間に中空から降り注いだ無数の剣が触手を貫き地面に縫い留めてしまった。

 

 残骸兵らによって足止めされている筈のイリヤとクロエによる援護。突破された訳ではない。さりとて、ふたりは自らを犠牲にして遥を助けたのでも、また彼が強制したのでもない。遥はふたりの能力に信を置いて助力してくれると信じ、ふたりはそれに応えた。それだけだ。それだけなのだ。そんな、共闘するうえでならば当然のことであるのに、レディは何故かひどく神経が逆撫でされたかのような感覚を覚えた。

 

 頭がひどく痛む。それに伴ってレディの脳裏を過ったのはノイズ塗れの、しかし確かに鮮やかな色彩を宿した記憶。笑顔、信頼、友愛、希望――それらレディが失った筈の、忘れた筈のモノが何の因果か遅効性の毒のように悪性の獣を蝕む。或いはそれは、彼女が捨て去った過去からの業果か。それとも現在からの報復か。

 

「どちらでも構わない。だって、私は……!!」

 

 己の内から染み出す辛苦を吐き出すかのような、悲痛な呟き。次いで彼女の背、毒々しいマーブル模様を呈する邪な魔力の翼の間から伸びたのは先のそれと比べるとあまりにも細い、鎖にも似た触手。その表面に生えているのは棘ではなく、刃だ。接触した対象の内を抉り傷つける事に特化した、レディの〝拒絶〟の具現だ。その泥はレディを害する外敵を排除するための鉾であり、同時に彼女を守る盾なのだ。

 

 今、確実のレディの精神は揺らいでいる。これまでであれば決して在り得ない事であったが、恐らくはミラーが干渉した際の影響で忘却した記憶の一部が戻りつつあるのだ。だがそれがレディが獣にまで身を堕とした理由、現在の信念とは相容れないが故に動揺している。

 

 相手が尋常な存在であれば、遥は一時攻撃を止めただろう。敵手の動揺に付け入るのは卑怯である、というのもあるがそれ以上に精神が揺らいでいる相手を下手に刺激するのは悪手だからだ。

 

 だが今回の敵はビースト、幼体も幼体、人間で言えば受精卵にも満たない段階であるとはいえ、圧倒的に高位の存在であることに違いはない。であれば、どうして攻撃の手を止められようか。様子見などに走れば、忽ちのうちに死んでしまうだろう。

 

 遥の魔術回路が蠢く。体内に満ちる煉獄の焔を回路へと集中させ回路を犯す呪詛を強引に浄化しようとして、その影響か全身を刀で串刺しにされたかの如き耐え難い痛みが襲う。それを歯を食いしばって耐え、詠唱を飛ばす。

 

「我が躰は、焔……!!」

 

 総身が燃える。その焔の間を縫うように奔る紫電は、彼が内包する海神の神核によるものか。だが全身の殆どを醜悪な肉塊に犯されながら尋常ならざる焔と雷霆を纏い、隻腕と化しながらも剣を握り立ち向かうその姿は神というよりも鬼種か何かのようにすら見える。

 

 限界を超えて活性化した固有結界が五体に張り巡らされ、その浄化作用が泥によって汚染された細胞と食い合う。想像を絶する苦痛に、まるで無理矢理に肉体の内と外を逆転して引き裂かれたかのような感覚を抱く。

 

 それを軽減する方法はない。神経伝達物質の分泌を魔術を用いて停止させれば皆無とはなるが、それでは他の感覚までなくなってしまう。故にその痛みへの処方など、歯を喰い縛って耐える他ない。それだけでも気が狂ってしまいそうな程だというのに、遥は尚も辛苦の果てへと追い込んでいく。

 

加速開始(イグニッション)ッ……!!」

 

 式句を唱えると同時、固有結界によって外界から隔離された遥の体内時間が数倍まで加速する。常でさえ法外な再生能力に任せ痛みを無視しながら行使しているというのに、今の状態で使って平気である筈がない。

 

 戦闘で負う傷だけではなく己の種々の行動にすら元より痛みを伴う遥でも経験した事がない程の激痛だ。その規模ときたら、最早遥自身が痛みを感じているのではなく痛覚という概念に遥というゴミが付着しているのではないかという錯覚を抱く程だ。

 

 だが体内が焔で満たされたためか残留していた泥が消滅し、浸食が多少遅延する。只人であれば固有時制御を使った所で――そもそも固有結界を使える者自体が稀有だが――レディの攻撃は到底見切れないだろうが、レディ自体が弱体化している今なら加速状態の遥程度の者でも辛うじて視認が可能だ。だが加速の無理のせいか全身の至る所で血管が弾け、骨が砕ける。申し訳程度に機能している再生能力がそれを修復するが、間に合わない。尤も、そんな彼の弱みはレディにとって付け入る隙でしかないが。

 

『来ますッ!!』

『ッ――!!』

 

 その感覚は、ある種の天啓のように。遥の魂と同期しているクシナダから、彼女の思考がダイレクトに叩きつけられる。その内容とはレディが操る攻性触手の軌道予測。それに従い、彼の身体は動いた。

 

 油断せず前方へ走り続けながら、しかし上半身から左腕にかけては関節の可動限界まで曲げ、短く深い呼吸で五体の隅々まで酸素を巡らせる。そうして最大限まで高まった捻れを筋肉の稼働を乗せつつ解放するようにして、叢雲を振るう。

 

 〝天剱・華天の牢〟。空位に開眼した遥の振るう超々神速の斬撃はその一閃のみで魔法に近しい超常を引き起こし、現れた多重の斬撃はまるで結界のように彼を守る。振るうだけでも刀身に相当な負荷が掛かるこの技は、まさしく毀れず折れない不朽の刀である叢雲でのみ可能な絶技と言えよう。

 

 ()()()()()()。焔と雷を纏う高密度の斬撃結界は触手の大半を斬り裂いたものの、うち数本が他の触手を盾にするようにして結界を抜けて遥に突き刺さる。それも、的確に細胞汚染が治癒している箇所を狙って。

 

『遥様!!』

「ぐ、う……!! だが……!!」

 

 遥がそう漏らした刹那、彼の体内でチェーンソーのように循環していた刃が停止する。レディの意志ではない。彼が魔術を用いて創傷箇所周辺の筋肉を一気に収縮・硬直させたのだ。

 

 レディが遥に突き込んだ攻性触手はその表面に生えた刃を循環させて彼の身体を効率的に傷つけるだけではなく、その刃先から泥を注入し回復を阻害する細胞汚染を引き起こすようになっている。つまりは硬化した泥と純粋な泥の二重構造になっているのだ。

 

 確かにこの方法であれば肉体を一撃で消し飛ばしたり心臓と脳を破壊せずとも遥を殺せるだろう。考えようによっては最も効率的な殺し方だ。だが、この方法にはひとつだけ弱点がある。それは触手を構成する泥そのものに宿る穢れた魔力だ。

 

「燃えろ。但し、中身だけなッ!」

 

 貫かれてからその判断を下すまでの時間は、尋常な反射行動よりも早く。遥が固有時制御を使うために指先に至るまで固有結界を張り巡らせていたのもあって、触手に着火するのは極僅かな、須臾にも満たぬ時間で済んだ。

 

 レディはそれに気づいて咄嗟に触手を切り離そうとするも、遅い。遥の内から触手へと燃え移った焔は一瞬にして大元であるレディにまで伝播し、その霊基が焔に包まれた。尤も、燃えているのは肉体そのものでなくその内に宿る魔女の霊核と堕ちた魔法少女らの魂だが。

 

 間違いなく効いている。人類悪の獣にとって、その根幹を成す悪性に対して直接作用する遥の焔は劇毒なのだ。だがそれは遥にとってのレディの泥も同様であり、刺傷を受けた辺りの細胞が汚染され、遥が血を吐き出した。

 

 それでも、進む。切り離され、消えていく泥を足蹴にして。彼を襲う攻撃のうち大半を撃ち落とすのは、その後方から飛来する魔弾剣弾だ。彼の方を注視していないのに正確な援護ができるのは、契約を通じての感覚共有というマスターとサーヴァント故の強みがあるからだ。だが彼女らが十全に戦えるだけの魔力を供給するために、遥は残存魔力の殆ど全てを回している。彼自身が扱える魔力は固有時制御を残り数秒維持する程度しかない。

 

 だが、それでもだ。遥にとって、魔力切れなどは撤退する理由にならない。たとえ切れたとしても最悪、肉体の負担は度外視して鞘、正確にはその材料であるヒヒイロカネから真エーテルの供給を受けることで宝具は行使でき、そうでなくとも意志だけで五体を駆動させる。どれだけ辛く苦しくても、もう覚悟した事だ。

 

 痛みを意識の内から追い出す。余計な思考を削ぎ落し、畏れを蹴散らす。そうして凪いだ精神は完成された無我、明鏡止水と言うべきもので、けれど戦意、闘志、そういった彼を戦いに駆り立てるものだけが静かに、かつ激しく燃えている。しかし、遥はそれを極自然に受け入れている。彼は空位に到達した剣士であるが故に。

 

 だが、それで終わりではない。己よりも圧倒的に格上の敵手との戦闘、()()りの鬩ぎ合いの中で、自らが錬磨されていくのが、彼には手に取るように分かった。空位への到達とは終着などではなく、通過点でしかないのだ。そしてこの幾度となく生死が交錯する状況こそが、遥を急速に成長させている。

 

 残骸兵らの間を縫い、或いはその身体を貫通して殺到したイリヤとクロエの援護がレディの攻撃に突き刺さる。けれどレディも負けじと立て続けに魔力砲を放ち、千切れた触手が枝分かれして襲い来る。それらすべてを回避してのけるというのが不可能であるという事は、先の一撃が証明している。いくら遥の直感が並外れて鋭くとも追いつかないのだ。ならば、どうするか。

 

 ――感覚の切り替え。それは例えるなら水流がその時々にとって最も流れやすいルートを辿るように、或いは技術者がスイッチによって電流の流れを操作するように、その時々によって己の在り様を切り替えるというもの。今の状況であれば直感を閉じ、代わりに心眼を開くといった具合か。要は己の持つリソースの再分配だ。だが、それは容易い事ではない。一か八かの賭けとすら言えるだろう。

 

(できる、できないじゃねぇ。やるんだ! やれ! できなきゃ……死ぬ!!)

 

 先天的な素養ではなく、後天的に得た経験などによって開く真なる心眼。遥は直感が度外れに優れているためそちらに頼りがちになりどうしても心眼の素養は低くなってしまっているが、無我の領域に至った今なら刹那に限りできるという確信があった。

 

 しかしただ開くだけでは彼のキャパシティを超えてしまい、全くの逆効果となる。故に、代わりに別の能力を閉じるのだ。そうすることで入力される情報を制限、更にリソースの拡散を抑え、己の力量の内で治めることができる。

 

 ――その回避行動は苦し紛れの特攻ではなく、恰も演舞の如く。刀による受け流しから身体の運びまでが完璧な一連の動作に収められたそれはそれほど流麗で、動作主である遥自身でも初めて感じる強烈な手応えがあった。

 

 お世辞にも完成された技術とは言えないが、足りない分は他の技術で補えば良い。半ば捏ち上げじみているが、己よりも格上の相手から生存を勝ち取るという事はそういう事なのだ。

 

 駆ける。中空より降り注ぐ具現化した死の雨の中を、仲間の援護と自らの全力を以て。並行して彼と鞘の間に結ばれている魔力経路の封印を解除し、鞘の素材であるヒヒイロカネが産生する真エーテルを体内に取り込む。その作用で肉体が発する苦痛は我慢し、供給された真エーテルを全て足に充填した。次いで固有結界の展開位置を体内から叢雲の内に遷移し、刀身が煉獄を纏う。

 

 しかしいくら遥が半神とはいえ、間違いなく半分は真エーテルに耐性のない人間なのだ。それも変質してしまっているのだとしても真エーテルに対する完全な耐性を得られる訳もなく、現界を超えた量を充填された足の内で筋線維や血管が何度も弾け、その度に再生。その繰り返しによる足が千切れたかと錯覚する程の不快感に耐え、その両足に激流が宿る。

 

 そして、解放。極地さえ可能とする強靭な脚力とジェット噴射めいた激流の魔力放出が合一した踏み込みはただでさえ破壊し尽くされた床面をより崩壊させる程に踏み砕き、遥の身体が焔と激流を帯びながら砲弾の如き速度で飛び出した。その眼は真っ直ぐに、敵手たるファースト・レディ、その霊核を視ている。内部に煉獄を宿しているからだろうか、確かに実体をもつ筈の黄金の刀身はひどく揺らぎ、まるで陽炎のようですらある。

 

 対するレディは先と同じ失敗を繰り返す筈もなく、その口が異界の言語にて詠唱を紡ぐ。そうして彼女を守るように展開されたのは、複層型の防御結界。全くの未知であるが故に最上級の神秘を宿したそれを、遥は魔力を喰う煉獄と叢雲の神秘、そして膨大な運動エネルギーを以て突き抜け、結界が硝子のように割れていく。

 

 だが、現実とは無情だ。元は超神速であった遥の刺突も、結界を破る度にその速度を喪い、遂にはあと1歩でレディに切っ先が届こうかという距離で最後の結界によってその猛進を阻まれてしまった。

 

 あと1歩踏み込めば容易に届くその距離が恨めしい。遥がもう少しダメージを受けていなければ、或いはもっと強かったのなら、届く距離なのに。だが彼の思いとは裏腹に身体は運動エネルギーを失って、重力に従って落ちていこうとする。その直下では落下する彼を待ち受けるかのように、泥が蠢いている。

 

 そんな、まさに危機という言葉をそのまま表したかのような状況だからだろうか。遥の主観が引き延ばされ、この状況を打開すべく思考が高速で巡る。だが、不可能だ。封印の魔術で足場を作るにも、魔力放出を使うにも、レディの防壁を破るに足る加速を生み出すには要素が足りない。それでもなお足掻こうとする遥の耳朶に、イリヤの声。

 

「ハルカさんッ!!」

「――っ!?」

 

 瞬間、彼の後方で閃光が瞬く。それは紛れもない死の光。裏切りの魔女を夢幻召喚しているイリヤがその膨大な魔力量を以て幾条もの魔力砲撃を撃ち放ったのである。それらは射線上にいる残骸兵らを蹴散らし、遥へと迫る。

 

 それだけを見れば、イリヤが裏切ったとも捉えることができよう。しかし、遥は正しくイリヤの意図する所を理解した。魔力放出によって体勢を変え、障壁を蹴って自ら砲撃に接近。そうして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、跳躍。遥の全力の踏み込みに加え魔力砲による加速を得たその身体は一瞬で先のそれに匹敵する程の速度にまで達した。自らの固有結界が発する焔を纏い飛翔するや、溢れた魔力が暴風のように吹き荒れ瓦礫を吹き飛ばし、魔女の居城を破壊の渦に沈めていく。だがそんなものは彼らの意識の端にも留まりはしない。彼らは互いに互いしか見えず、片やその霊核を貫かんと、片やさせじと吼える。

 

「ぐうっ……こ、のォォッ!!」

「ハアァァァァァァッ……ォオォォォアァァッ!!」

 

 己の総てを吐き出すかのような、渾身の咆哮。その刹那、遥の握る叢雲の刀身が防御陣の隙間に潜り込み、それによるある種の逆説によってその存在を維持できなくなったのか巨大な音を立てながら崩壊した。術式を壊され砕け散り無意味な破片と化した魔力の中を、剣士が馳せる。

 

 そこまで接近すれば、そこからはもう遥の距離だ。それでもなお阻止せんとレディは魔力を巡らせ、しかし先んじて叢雲の刃がレディの鳩尾に突き刺さる。だが勢いは止まらず、そのままふたりは城の壁に叩きつけられ神刀が突き刺さった箇所から蜘蛛の巣状に罅が広がった。

 

 そうして速度を失った遥の身体は重力に従って落下し、それに伴ってレディから叢雲が抜ける。だがその刺傷箇所から吹き出したのは鮮血ではなく、呪いの汚泥。見ればレディの外殻である美遊の霊基そのものに傷はなく、泥だけが鳩尾から吹き出していた。そして、遥の手には確かに魔女の霊核を断った感触が残っている。

 

 遥の突貫は、半ば賭けであった。接近の最中でも己の生存を勝ち取るというということではなく、美遊を傷つけずにレディの霊核を断ち切れるか否か、ということも。イリヤが破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)によって術式を無力化したことで発生した霊基の〝綻び〟とでも言うべきものの間隙を突き、形あるものでなく明確な形のないものを斬る――間違いなく、この世界にレイシフトする前の『空』に開眼していない彼では不可能だった芸当だ。

 

 最早指先ひとつを動かすのでさえもひどく辛い身体を駆動させ、更には禁忌に近い真エーテルまで使い、遥はレディの霊核を断った。確かに、断ったのだ。嗚呼――それなのに。それなのに!

 

「コイツ、()()()()()――」

 

 ()()()()。そう続く筈だった言葉はなく、代わりとばかりにぞぶり、という異音が彼の脳裏に響く。それは落下していた彼の身体を、床面から伸びた触手が貫いたことによるものだ。それに気づくより早く彼は血を吐き、触手はその身体を地に叩きつける。

 

 そのまま倒れ伏し、動かなくなる遥。絶命したか、気絶したか、或いは限界を超えた疲労で動けなくなっているだけか。それを態々確認しているような余裕はレディにはなかった。彼女は未だ美遊の霊基を支配してこそいるものの、間違いなく霊核は断たれているのだから。それ故か、その身体の内側から湧き出るようにして霊子の光が漏れている。

 

 文字通り死に体と言うべき有様である。そんな状態でありながらレディが生命を保っているのは、皮肉と言うべきか美遊のもつ聖杯としての機能であった。魔女の尋常ならざる執念、そして消滅せずに残っている魂の意志をあくまでも機械的なものでしかない聖杯は愚直にも汲み上げ、結果的にレディを延命させている。まさに理論と過程を省略し結果だけを現出させる聖杯だからこその荒業と言えよう。

 

 だが、それが通用しなくなるのも時間の問題だ。いくら聖杯を掌握しその機能で延命しているといえど、霊核を喪失した時点でレディはもう長くない。彼女に残った魔力では、十全な獣としての霊核を再構築できないのだ。故に、彼女が次に執る行動は決まっている。

 

 レディがステッキを振るう。直後、彼女の後方に広がっている泥沼から更に残骸兵が這い出し、それに伴ってレディから漏れる霊子が増加する。先の十全な状態とは異なり、今の彼女にあるリソースは限られている。その大半を残骸兵の召喚・使役に割いたのだから当然だろう。

 

 だがそうまでして召喚された残骸兵は元の数と比較すれば見る影もない程に減少してしまったとはいえたかが2人に差し向けるにしては異常な数だ。半壊した玉座の間を満たさんばかりに出現した残骸兵を前にして、クロエが憎々し気に呟いた。

 

「ッ……多過ぎなのよ! もう形振り構っていられないっての!?」

「でも、戦わないと……!」

 

 最早退路はない。いや、仮に退路があったとしても、ふたりは逃走という選択をすることはなかっただろう。彼女らがこの戦いから逃げてしまえば、多くの人々が犠牲になる。その中には当然、彼女らの家族や友人、そして大元(オリジナル)の自らも含まれている。それを看過できるような精神構造を、彼女らのそれはしていない。

 

 だが、その愚直なまでの善性は彼女らの美徳であると同時に敵にとっては付け入るための好機とも成り得る。何せ策謀を巡らせずとも戦力をぶつけるだけで良いのだから、手負いの敵にとってはこれほど好都合な相手はいない。

 

 虚空の次々と咲く爆炎の華。それを齎す魔弾剣弾は正確に残骸兵を撃ち抜き只の汚泥へと還すも、一向に数が減る様子はない。それどころか黒泥からはイリヤらが残骸兵を撃墜するペースを上回る速さで新たな戦力が再生産され、その度にレディはより消滅に近づいていく。この攻撃、否、捕食は彼女にとっても重要なことなのだ。

 

 それだけではない。イリヤらに迫る残骸兵は一見すると無策無謀で彼女らに向けて突っ込んできているように見るが、注視してみれば攻撃から身を守るために他の残骸兵を盾にして自らを守り、弾幕を潜り抜けている。そうして盾となり失われた側も次の瞬間には再生産されているのだから、実質的にレディ側の戦力減少は皆無に等しい。リソースの分割で消滅に近づいていくレディ只1人を除いて。

 

 だが手負いの獣が土壇場で思わぬ力を発揮し危機を回避するのと同じように、死に体の人類悪が目前まで迫った死を撥ね退けるべく限界を超えた力を揮うのは半ば自然なコトであろう。そしてその悲痛なまでの攻撃を前にして、魔法少女らは少しずつ追い込まれていく。

 

 その状況を打開するべくイリヤが取り出したのは1枚のクラスカード。彼女と最も相性の良い『狂戦士(バーサーカー)』ではなく、強力な対軍宝具を有する『騎兵(ライダー)』。だがそれを夢幻召喚(インストール)するため攻撃が止んだその一瞬、クロエが叫んだ。

 

「――ッ!? イリヤ!!」

 

 果たしてそれを、誰が責められるのだろうか。彼女らは今残骸兵の軍勢を前にして魔力切れも起こさず戦闘こそ成立できているが、精神力や集中力は長時間に渡る戦闘で消耗しきり、現界に近い状況なのだ。

 

 それ故か『騎兵』の夢幻召喚を実行するために意識がそちらに向けられ、イリヤの注意が己の視界外から迫ってくる残骸兵への索敵から逸れた。それをカバーするためにクロエはイリヤの背後から接近してきた残骸兵を撃ち落とそうと弓を引き絞る。

 

 クロエが放った剣弾を受け、その身を四散させる残骸兵。しかし一度決壊した川が容易には止まらないように、隙を突いた攻勢は簡単に押し戻せるものではない。散った残骸兵の抜け殻を足蹴にするようにしてその後方から複数の残骸兵が現れ、攻撃するのではなくクロエの胴に組み付いた。

 

 咄嗟にクロエは黒弓を消し投影した双剣を組み付いてきた相手に突き立てるも、残骸兵は消滅する気配すらも見せず、逆に双剣ごと取り込むように盛り上がった泥の肉に腕が呑まれてしまった。彼女を助けようとしたイリヤもまた残骸兵に獅噛みつかれ、動きを制限されてしまう。

 

 更に彼女らに絡みつき拘束具と化した残骸兵に重なるように複数個体が溶け合い、ある種の摂食器のように変化する。その先に広がっているのは顎門(あぎと)のように開いた泥と、深淵の如き暗闇だ。それを目の当たりにしたふたりの脳裏に最悪の、しかしこのままでは当然起こり得る光景が過り、思わず目を瞑った。

 

 直後、大気を裂くような轟音。同時に彼女らの身体を圧迫していた泥の感覚が消え去り、代わりに奇妙な温かさが包んだ。それはまるで、優しく腕に抱かれているかのように。恐る恐る目を開いてみれば彼女らを守るように渦巻く焔が、ふたりを捕らえていた泥を焼き、無に還したのである。そして、そんな焔を扱える者はこの場でひとりしかいない。

 

 その存在を察知し反撃に出た泥の顎門を斬り裂く焔を伴った魔力斬撃。そうして散り散りになった泥は焔に呑まれて消滅する。尤も、そうして散った泥に内包されていた残骸の魂はレディの許へと還るだけだ。そちらへ割いていた力を強制的に戻されたレディが闖入者――遥に向けて嫌悪の表情を向ける。

 

「余計な真似を……そのまま気を失っていればよかったものを、剣使い!!」

「そういうワケには……いかねぇな。子供(ガキ)が頑張って、戦って……苦しんでるのに、大人の俺が安穏と眠ってられるかってんだ。……あぁ、大分情けない所を見せちまったが、子供(ガキ)守んのが、大人ってモンだろう?」

 

 そう臆面もなく宣う声音に、嘘の色合いはない。レディの攻撃に全身の至る所を貫かれ、呪いの汚泥に犯されて回復もままならない文字通りの満身創痍の有様であるというのに、まだ戦うつもりなのだ、遥は。出会って大した時間も経っていないイリヤとクロエ、そしてカルデアの仲間達を守るために。

 

 ある種の献身、痛ましいまでの自己犠牲。遥がしている事は形だけを見れば、彼の行動はそう形容する他ない。だが、彼は己を犠牲にするつもりで戦っているのではない。彼はただ、彼自身の意志と責任において自らその決断をしているのだ。であれば、その行為は自己犠牲などではあるまい。イリヤらを守るのも、カルデアを守るのも、それは彼にとっては誰かのために行う行為ではなく個人の内で終始する欲、つまりは自分自身のためなのだ。

 

 ――いや、今は聊か違うだろうか。確かに、少し前までの遥ならば利他的なようで利己的な意志のみの下に動いていただろう。しかし、今、彼の内に在るのは彼自身だけの思いではない。その事実を、彼は素直に認めよう。故にこそ、その言葉は正しく宣誓であった。

 

「あまりこういうのは柄ではないが、敢えて言わせてもらおう。――ファースト・レディ、嘗ては始まりの魔法少女と呼ばれた者。おまえは俺が止める。ミラーとディルムッドから託された遺志を、俺が為す」

「ッ……!」

 

 瞬間。遥は確かにレディの憤怒が彼女の限界を超過したのを感じ取った。さもありなん。ただでさえ遥は彼女にとっては計画を乱しあまつさえその霊基が崩壊寸前にまで追い込まれる原因を作った下手人であるというのに、それだけでは飽き足らずに止めるとまで宣ったのだから。それも、それがミラーの遺志だとまで言って。

 

 それだけではない。最早霊基の崩壊が取り返しのつかない領域にまで入ってしまったせいか、或いはミラーの介入によって引き剥がされた自己欺瞞が限界に達したのか、事ここに至りレディの脳裏には忘却した筈の記憶が嵐天の濁流のように止め処なく氾濫していた。

 

 そこに在る魔法少女――世の為人の為、そして何よりも己の願いの為に戦う者の姿はまさしくレディと戦うイリヤやクロエの姿そのもので。では、彼女自身は? 考えるまでもない。人類の為、友の為などと言いながらその実、全てを滅ぼすなどという身勝手な理想を振り翳す彼女は、紛れもなく嘗て彼女自身も戦っていた筈の〝魔女〟の姿そのもので――

 

「違う……違う違う違う! 違うッ!!」

 

 そう。違う。そうであってはならないのだ、と彼女は叫ぶ。たとえ彼女の理論がどれだけ酷い独善であっても、独善ですらない悪であったのだとしても、彼女は魔女ではなく魔法少女でなくてはならないのだ。何故なら彼女は魔法少女なのだから。

 

 支離滅裂。堂々巡り。袋小路。そうとしか形容のできない思考は、あくまでも本質は肉体のない意識体でしかない彼女の霊基がもう留めようのない程にまで崩壊している事の証左だ。それでも妄執は消えず、身体は動き、壊れた思考は巡る。だがそんな有様で導き出される解答が、正常である筈もない。

 

 消さなければ。殺さなければ。その思考に辿り着いたその瞬間、レディの意識はそこで固定された。それだけならば今までと何ら変わらないようにも思えるが、今度のそれには先がない。その意志はただ殺すことだけが目的で、救済など、ない。

 

 玉座の間に飛び散っていた泥が霧散し、同時にレディの背に在った双翼が爆発的な魔力の高まりと共に再生する。そうして、空中へと転移。その間に行使された魔力量は、いかな獣とはいえ死に体の霊基により出力されるものとはとても思えない。その様は、自爆という表現が最も正しかろう。

 

 恐らく彼女に残された魔法少女の魂だけではなく自らの霊基までもを全て集積し、圧搾し、魔力を捻出しているのだろう。たとえ死に体であるのだとしても、レディの霊基そのものを魔力とすれば相当な魔力量になる。尋常なサーヴァントですら、7騎の魂を集めれば世界に孔を穿つ程になるのだから。

 

 そうして収束した魔力の規模たるや、単純に解放するだけでも容易に都市ひとつを消し飛ばして余りある程度の破壊を齎すだろう。それに耐えきれなくなったのか、或いはレディの霊基が崩れつつあるからか、周囲の世界がまるで絵画に黒絵具をぶちまけたかのように崩壊していく。特異点が崩壊しつつあるのだ。その速度は非常に遅々としてはいるが、万が一にも放り出されれば待っているのは抗い様のない死だけだ。

 

 しかし、遥は動じない。動じるだけの余裕がないのもあるが恐怖や焦燥は剣を鈍らせる余計なものであり、『空』と体得した彼の一斬にそれは全くの不要だ。ただ斬り、ただ殺す――どれだけ聞こえの良い言葉で飾ろうと、剣士のすべき事はそれだけだ。余計なものは必要ない。

 

 腰に帯びた鞘との間に結ばれた経路(パス)を完全に解放する。それによって鞘の一部として使われているヒヒイロカネが産生する真エーテルを抑制する機構が悉く解除され、大半が損傷している遥の魔術回路へと瀑布の如く流れ込んだ。本来なら現代には存在し得ない魔力が、際限なく。

 

 短絡。断線。常人であれば魔術回路が壊れ果て五体が爆裂していてもおかしくはない中で遥は己に宿る神と再生能力により強引に第五真説要素を屈服させ、その全てを天叢雲剣へと叩き込んだ。輝きを増す神刀。起動したそれが空間中の空間魔力(マナ)を喰らいつくし、一帯が魔力枯渇状態へと陥った。その空白を埋めるように、遥の足元から黄金の光が噴きあがる。

 

 頭上に掲げた天叢雲剣から立ち昇る加速魔力の刃はまるで天を支える光の柱が如く。その力によるものだろうか、レディを中心として引き起こされた世界の崩壊、その顕れである孔が光に縫われるようにいて閉じていく。崩壊と再生が鬩ぎ合うその光景は、さながら御伽噺の挿絵をそのまま抜き出したかのようですらあった。

 

 だがその崩壊と再生の螺旋は非常にも担い手の優劣を映し、世界はゆっくりと、かつ確実に壊れていく。神の血を受け入れ天叢雲剣の第二拘束を解除した遥でも、手負いの獣の幼体にさえ及ばない。それでも、剣士は臆さずに獣に挑む。

 

「――この輝きは天の光。現世を渡り、幽世を羽撃く、救世の剣!!」

 

 祝詞は厳かに、かつ祈りのように。それに応えるようにして神剣はよりその出力を上げ、遥の身体を経て流れていく真エーテルの瞬間的な量が激増する。それにより担い手である遥自身への負担が大きく増すのは言うまでもない。その辛苦は、まさに魂を焼き切らんばかりだ。

 

 崩壊する水晶の城。落下した天井の瓦礫は地上に届く前に世界に開いた孔から覗く無に吸い寄せられ、砕かれ、消えていく。いくら天叢雲剣が世界の崩壊を食い止める力を有しているのだとしても、元々がレディの固有結界であるこの特異点へと干渉力が彼女より劣るのは自明であろう。

 

 1歩、片足を前へ。たったそれだけの単純な動作でも遥の全神経が悲鳴をあげ、視界が白く染まる。だがそれも束の間、彼の視界のうち左側が闇に包まれた。恐らく聖杯の泥による汚染や真エーテル行使の反動で負ったばかりのダメージの蓄積が、彼の再生能力を上回ってしまったのだろう。それだけではない。全身の至る所で再生が追いつかなくなった機能が停止していくのが、彼には嫌に鮮明に知覚できていた。

 

 だが、構うものか。内心でそう呟き、遥は残された右目、その霞みつつある視界で天空に座す魔女を見据える。五感の喪失、呪詛による浸食、大抵の負傷は彼にとって生きてさえいれば治るものに過ぎない。いや、たとえそうでなかったのだとしても、やはり彼は同じ選択をしただろう。獣の打倒を為せるのは自分だけで、逃げれば自らが愛した人々が望まぬ死を迎える羽目になる。なれば、自分がやるしかない。彼が命を懸ける理由に、それ以上は要らないのだ。

 

 遥も、レディも、それぞれ異なる信念の下に己の命、全存在すら差し出して眼前の敵を屠らんとしている。それに伴って放出される魔力の波濤が大地を薙ぎ、崩壊と再生の繰り返しによる天変地異が世界を焦がす。その中心で、獣と剣士が吼えた。

 

 

 

「夢幻の果てに消えなさい。

 ──〝無限の幻想(アンリミテッド・プリズマ・コーズ)〟!!」

 

「第二拘束、解放。

 ──〝全天を照らせ、救世の神剣(アマノムラクモノツルギ)〟!!」

 

 

 

 宝具、開帳。奇しくも全く同時に行われた真名解放により繰り出されたのは、紫や黒、赤の禍々しいマーブルの極彩色を呈する巨大な魔力砲撃と黄金に輝く魔力斬撃。それらが中空でぶつかり合い、あたかもその接触面が事象の地平面であるかの如く世界が捻じれていく。

 

 異常な魔力量と最早魔術や魔法といった領域を逸脱した純粋な神秘の具現とも言える現象をカルデアでも観測したのか、辛うじて壊れずに残っていた通信装置にカルデアからの通信が開き、ロマニの声が流れる。しかし、遥には聞こえない。ただでさえ今までのダメージで五感が薄れているうえ、宝具解放による轟音で音声は殆ど掻き消されてしまっているのだから致し方ないことであろう。

 

 血を吐く。感覚が薄れていく。限界を超えて肉体を酷使しているが故の、自らの命が急速に擦り切れていく実感だけが、嫌に鮮明だ。それでもそれを歯を食い縛って耐え、猛毒にも等しい真エーテルを高速で巡らせ極光を放ち続ける。しかし。

 

(っ……押される……!)

 

 僅かに後退する遥の身体。極光の斬撃によって発生する反作用を打ち消し彼を固定するための力が、レディの宝具から受ける力に負けている。つまり、遥の極光がレディが放つ滅びの光に押されつつあるのだ。

 

 既に霊核を失っているというのに、何という魔力量か。その威力はレディが彼女に残された魔力を全てこの攻撃に動員している証左であり、同時にこの魔力量を以てしても再生が叶わないビーストが如何に規格外に強大な存在であるのか、という事でもある。

 

 前方からの圧力でぶれる切っ先を正中に抑えるべく柄により握力を込める。しかし秒読みで擦り切れていく身体では満足な膂力が出ず、尚も押されていく。それでも意志は未だ折れず、それなのに全身が言う事を聞かない。感覚は遠く、腕や足は疲労やダメージの影響で痺れが酷くなり始めている。

 

 やがて最後まで残ったその意志ですらも瞬きのような断線を繰り返すようになったのは、決して不自然な事ではないだろう。むしろ彼の意識はとうに維持できている方が不自然な程で、それを今まで無理矢理繋いでいた彼の精神力が異常であったのだ。けれど、最早万事休すか。そんな諦念を他ならぬ遥が抱きそうになったその瞬間、その背に何かが触れた。とても細く、非力で、それなのに無条件で信頼できる――そんな、何かが。

 

「頑張って、ハルカさん!」

「こんな所で倒れるタマじゃないでしょ、マスター!」

 

 果たしてその少女らの声は、摩耗した遥の聴覚に届いたのか否か。だがその直後、苦痛に歪み続けていた遥の口角が僅かに上がったのは、決して彼女らの見間違いではなかっただろう。尤も、それが彼女らの鼓舞によるものか、或いは契約を逆流するようにして流れててきた微弱な聖杯の加護によるものかは、誰にも分からないが。

 

 イリヤとクロエ、比喩でも何でもなく2人1対の聖杯の少女らが無意識に遥に与えた加護は、そう大したものではない。極僅かな肉体の再生、それだけだ。この状況にあって聊か心許なくも思えるが、遥にとっては望外の支援であった。

 

 四肢の痺れが消失する。耳鳴りが遠退き、聴覚野を轟音が埋め尽くす。殆どは闇に閉ざされようとしていた視覚が朧げながらも再び開く。その中で、遥は見た。彼の背後から伸びた細腕が、彼を後押しするかの如くその両腕に添えられた光景を。ふと視線を横に遣れば、慈愛を湛えた紅い瞳と目が合った。

 

 それは実像ではなく虚像。遥の視界にのみ映った幻影だ。何故なら彼女は今、宝具と化して遥の魂と同調しているのだから。だがそれは同時に幻影が彼の妄想ではなく、彼女が確かに彼の事を後押ししている証左でもある。

 

 支えられている。疑い様のない明瞭な事実として、遥はそれを感じていた。そして、その事実を前にして、彼は。

 

「あぁ────ハハ。ハハハ、ハハハハッ!!」

 

 ──笑う。この上なく勇猛に。この上なく壮絶に。そして、この上なく空虚に。笑声をあげながら同時に血を吐くその姿はともすれば破れかぶれの自棄になっているようにすら思えるが、しかし束の間の大笑の後、彼の顔にあったのは先のそれよりも強力な『覚悟』の表情であった。次いでそれを宣誓するかのような、咆哮。

 

「こんだけ支えられて、託されたんだ。なら――死んでも負けるワケにはいかねぇな!!」

 

 瞬間、天叢雲剣から放出される極光の出力が爆発的に上昇し、遥の側に押されつつあった斬撃と砲撃の接触面がレディの方へと押し戻される。在り得べからざるその現象を確認し、レディもまた出力を上げようとするが、最早己自身の霊基の大半を消費した彼女ではこれ以上の出力上昇は望めない。

 

 神剣の唐突な出力上昇。その最大の要因がイリヤとクロエが有する小聖杯の権能による理外の回復であることは疑い様がない事実だ。その回復した分を使い潰すようにして限界超過の真エーテルを回路に押し込んでいる。であれば極光の瞬間的な出力量が増加するのは道理だ。だが、それだけではない。

 

 彼が宿す神核が齎すスキルのひとつ〝清廉なる誓約(うけい)〟。己の行いが正道であると認めた時にのみ発動するが故に彼個人では発動が難しいこのスキルが、この状況にあってようやく稼働した。その効果により彼のステータスに僅かな上方補正が掛かり、その差とイリヤらの支援が相まって極光の威力を上昇させたのだ。

 

 滅びの光が、星の息吹によって押し流されていく。禍々しい極彩色が黄金によって塗りつぶされる。それは紛れもなく魔女の劣勢を表すもので、しかし不思議と暴虐めいてはいない。それはまるで、滅殺の光の本質である魔法少女の嘆きを星の、そして人々の祈りが癒し、溶かしていくようですらある。

 

 或いはそれは、必定の結末だったのか。人を救うと謳いながら人を憎み、招き集めた魔法少女と手を取り合うのではなく彼女らを壊し取り込むことでたった独りでの救済を志した魔女と、己を人外の魔であると認めながらも他者から託された希望を為すべく死に体となってでも立ち上がり仲間と手を取り合った剣士。共に窮地にあるのなら、その差は埋め難いものとなろう。

 

 極光が眼前にまで迫っている事によるものか、それとも魔力切れと霊基損耗による消滅が彼女の自我にまで及んだのか、レディの視界が次第に白く染まっていく。そうして完全にホワイトアウトする直前、彼女が見たのは担い手の魔力切れにより霧散した光の背後から朧に輝く炎刀を構え迫る遥の姿で――

 

「嗚呼、私は――」

 


 

 ――世界が崩壊していく。この特異点の根幹であった固有結界の主たるファースト・レディ、否、今となっては名もなき少女が消滅したことでその存在を維持できなくなり、テクスチャである心象が虚空に溶け始めているのだ。

 

 その終焉が、遥には嫌に遠く感じられる。それはカルデアからのレイシフトにより既に彼らの退去が始まっているのもあろうが、それ以上に遥自身が酷く消耗している所に拠るものが大きい。五感すら判然としないためか宝具状態から戻ったクシナダや転身を解いたイリヤが何を言っているのかも分からず、辛うじて分かるのは彼が自らの流した血溜まりに倒れているという事だけだ。

 

 レディとの戦闘で負ったダメージだけではない。神核と霊基の外部制御装置である桜花零式を纏わず無理な出力で力を行使し続けた反動が今になって返ってきたのだ。それらが只の負傷であれば『不朽』である遥には何の問題もないが、神核由来のダメージと再生阻害による病巣はどうしようもないのである。そんな有様で美遊に契約を繋げることができたのは、半ば奇跡とすら言えよう。

 

 呼吸が浅くなっていく。意識が遠くなっていく。それに従ってただでさえ薄れていた感覚がさらに希薄化していく。身を包む浮遊感は実際に感じているものではなく感覚の喪失による錯覚だろう。

 

 次第に狭窄していく視界の中で瞬く光は未だ意識を失ったままの美遊の中から脱離していくレディの霊基の残滓だろうか。全くの無秩序に浮かんでは消えていくそれはまるで泡沫のようで、しかし遥はその中に異質なものを見た。それは言うなれば、1対の蝶か。ひらひらと、共に寄り添うようにして昇っていくその姿に、彼は思わず笑みを覗かせて――

 

(あぁ……逢えたのか……よかった)

 

 そして、彼の意識が闇へと落ちた。




 変異特異点γ〝夢幻魔女帝国プリズマ・コーズ〟修正完了(Order Complete)
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