Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第85話 friends/orphan

 およそ1週間に及ぶ昏睡から目覚めた遥であるが、当然と言うべきかその身体は万全とは程遠い有様であった。肉体に蓄積したダメージはその多くが未だ残り続けており、魔術回路もその1割強が機能停止に陥っている。起源を『不朽』とする遥であるから通常は治らない回路も修復の見込みはあるが、どちらにせよ無視できるものではない。

 カルデアにおいても普通に生活している分には支障は出ないが、マスターとしての任務は暫く禁止。無論、戦闘行動などは以ての外。それが、遥の覚醒後に行われた諸々の検査の結果からロマニが下した判断であった。加えて、数日は経過観察のために入院するように、とも。

 その判断を不服と思う程、遥は阿呆でも愚鈍でもないつもりではある。任務に参加できないのは心苦しくはあるけれど、それよりも無理を押してまで戦って周囲の足を引っ張ってしまう方が、遥は嫌だった。

 

「――と、いうワケだ。悪いな、立香」

 

 カルデアの病室区画、その一般病室に鎮座する患者用ベッドに座り、遥が申し訳なさそうに言う。その姿はいつもの黒装束ではなく入院着で、戦いの影響で多少やつれた体躯も相まって何処か弱々しくも見える。

 いや、見えるだけではないのだろう、と見舞いに来た立香は思う。先に見舞いに来ていたサーヴァント達から遥の様子は聞いていたが、こうして実際に対面してみると嫌でも分かる。

 今の遥はひどく消耗している。それでも身体能力等は立香の及ぶ所ではないのだろうが、少なくともマトモに戦えるようにはとても思えなかった。それどころか目覚めたばかりで、こうして起きているのでさえ辛いのだろう。それでも気丈に振る舞っているのは、立香を心配させまいとしての事だろうか。

 

「うん。任務はオレ達に任せて、遥は身体を治すのに集中して。オレは遥みたいには戦えないけど、これでもちょっとは鍛えてるんだからさ!」

 

 むん! というオノマトペが見えてきそうなポーズで意気込む立香。そんな彼の仕草に、遥が笑みを零す。

 

「あぁ、知ってるよ。他の誰よりな」

 

 このカルデアにおいて、立香の訓練に付き合っているのは他ならぬ遥だ。その訓練の内容も、立香当人や主治医であるロマニと相談してはいるが主に決定しているのも彼である。そういう意味でも、遥の応答は間違いではない。

 だがそれ以上に、その言葉は同じマスターという立場であるが故のものと言えよう。彼のマスターとしての在り方は聊かどころかかなり特殊ではあるが、それでも立香が就いている任務が一般人が行うには過酷なもので、それを遂行している立香の苦労がどれほどのものか想像できない彼ではない。

 その中で生き残るために立香が行っている訓練も、それ相応に厳しいものだ。例えば、毎日行っている魔術回路の再構築。これは繰り返し回路を構築することで回路そのものの強靭性を高める目的で設定しているものだが、これは言ってみれば毎日一度全身に何本もの針金を通す行為とも言える。それも、制御を誤れば身体が内側から爆散するような危険行動で、尋常な魔術師ならまず避ける。相当な胆力がなければできない事だ。その点において、遥は立香に尊敬の念さえ抱いていた。

 

「そんな言い方されると、なんか恥ずかしいな……兎に角、元気……ではないけど、それなりには回復したようで良かったよ」

「あぁ……ま、どっかの誰かさんにあんだけの大見得切っておいて、勝手に死ぬワケにもいかねぇからな」

 

 大見得。一瞬それが何を示しているのか分からなかった立香だが、すぐに合点がいったようでうれしそうな、或いは気恥ずかしそうな、そんな何処か年相応の少年らしい笑みを見せる。

 遥が言う大見得というのは第二特異点での最終決戦、その最中に遥が発した言葉だろう。立香が相棒だと信じてくれているならば何度でも立ち上がると、ニュアンスとしてはそんな所か。

 しかし冷静に考えてみればそれに相当に恥ずかしい発言のような気もして、ふたりが羞恥のために押し黙る。それでもいつまでも黙っている訳にもいかず、遥が話題を変える。いや、彼にとってはそれこそが本題だったのかも知れないが。

 

「……なぁ、美遊とクシナダは、どうしてる?」

「美遊はイリヤ達と一緒にシミュレーションルームで戦闘訓練中だよ。クシナダさんはダヴィンチちゃんの所で検査中。通常の医療機器じゃ精密な検査ができないんだって。それで、ダヴィンチちゃんが」

 

 それはそうだろう、と遥が頷く。いくらクシナダが泥の影響で零落し人間に近い状態で受肉しているとはいえ、存在が人間と完全に同一になった訳ではない。神秘の塊のままだ。神秘が文明によって解明されていないものである事を考えれば、医療機器ではなく『魔術師(キャスター)』であるレオナルドに白羽の矢が立つのも当然だ。

 不幸中の幸いと言うべきは、受肉したクシナダが抑止力の排斥対象にならなかったことか。通常、神霊クラスの受肉はガイアとアラヤ双方から排除されるが、カルデアのシステム上受肉したサーヴァントの記録はバックアップ不能になってしまう。それはつまり、クシナダが排斥されていた場合、召喚されてから今までの記憶が全て無になっていたということである。

 いや、もうその〝クシナダヒメ〟という呼称も、厳密には正しくなかろう。人間に近い領域まで零落し、1個の命として独立した彼女は最早〝クシナダヒメという神霊を由来とする同一人物かつ別存在〟とでも言うべきものになっている。そう考えて遥が口を開きかけて、しかし立香がそれに先んじる。

 

「『俺の責任だ』って、そう言いたげな顔だね」

「……なんで分かった?」

「さぁね。ただ、君は自分で思っているよりずっと分かりやすいって事さ」

 

 つまり超分かりやすいって事じゃねぇか、と遥が呟く。確かに彼は飄々としているように見えてもその実、行動原理さえ分かってしまえば考えている事は非常に分かりやすい。よく言えば信念に忠実、悪く言えば極めて単純なのだ。

 言おうとした事を先回りされ、髪を無造作に掻く遥。その表情はいかにも沈鬱なそれで、彼が何を考えているかこの上なく雄弁に物語っている。それまであえて先回りする程立香は野暮でも意地悪でもないが、笑い飛ばせるような男ではない。

 思った通りだ、と立香が内心で呟く。先日、彼は美遊に言った。遥が怒っているとすれば、それは何より己自身の無力さに対してだろう、と。奇しくもそれが今、目の前で証明されたのだ。

 立香にとって、遥は友人であり相棒である。しかしそれは、無条件で彼を全肯定しているということではない。責任感が強いのは良い事だが、そのせいで自罰的に過ぎるのは完全に短所だろう。尤も、友人というのはそういった短所長所纏めて友誼を感じられる相手を言うのだろうが。

 それきり会話の絶える病室。だが立香は無理に話題を見つけようとはせず、ただ様子を見ていた。それから暫くして彼の耳朶を打ったのは、病室に近づいてくる足音。次いで、椅子から立ち上がる。

 

「……後はオレの出る幕ではないかな。じゃあ、今日の所は帰るよ。またね」

「……? あぁ、また」

 

 何か意図する所があるような気配に首を傾げる遥だが、立香は何も言わずにただ笑みを投げかけて踵を返すのみだ。彼らしからぬ行動に遥はより疑念を深くするも立香はそれを知ってか知らずか、扉を開けて病室を出て行く。それから次の来訪者に笑みを見せると、まるで道を譲るかのように扉を開けたままその場を離れていった。

 そうして遠ざかっていく立香の足音に混じって聞こえてくる、別な人物の足音。常であればその気配や魔力から凡そ察知できる遥だが、魔術回路の機能が低下している今はそれができない。それ故、彼にできるのは開け放たれたままの出入り口を見ている事だけで、次いで視界に飛び込んできた者の姿に息を呑んだ。

 その人物は遥が今最も会いたい人で、けれど矛盾するようではあるが会いたくない人でもあった。その源泉は責任感か、罪悪感か、或いは彼自身でも自覚し得ていない別の感情によるものか。考える余裕もないまま、遥が茫然と呟く。

 

「クシナダ……」

「お目覚めになったのですね、遥様……! 良かった……!!」

 

 そう言って、クシナダヒメ、或いは、それを由来とする同一人物にして別存在の少女は、泣き笑いのような表情を浮かべるのであった。

 


 

 カルデアのとある一室。描きかけの絵画や作りかけの美術品、はたまた余人には一目ではまるで用途の分からない道具などが散乱し辛うじて足の踏み場だけがあるような部屋。それがかの大天才レオナルド・ダ・ヴィンチの現在の工房であり、そんな在り様の中でレオナルドは神妙な表情でそれなりの厚みがある紙の束と向き合っていた。

 最早言うまでもない事ではあるが、カルデアという組織は魔術だけではなく科学技術においても現代の最先端にある。それ故情報の管理はその殆どがデジタルで行われるのであり、紙媒体で行われる事があるとすれば、それは余程の例外的事態があるという事だ。例えば、外部に漏らしてはならない最大級の超機密事項(トップ・シークレット)が発生した場合など。今回の場合は、まさしくそれであった。

 レオナルドが目を通している書類に記載されているのはとある人物の身体についての詳細極まりない情報の数々。詰まる所カルテであり、それが2人分。彼女(かれ)がそれらに一通り目を通してひとつ大きなため息を吐いた時、出入り口の自動ドアが開いた。そこから姿を現したのは医療チームのリーダー兼所長代理である男、ロマニ・アーキマン。

 

「うわぁ……またこんなに散らかして……そろそろ片付けた方がいいんじゃないかい、ダヴィンチちゃん?」

「うるさいなぁ、キミは私のお母さんか? 何が何処にあるかは把握してるからいいのさ、これで。それより……所望の物はコレだろう?」

 

 得意げな顔でカルテを掲げるレオナルド。部屋を散らかったままにしている事については全く反省していない彼女(かれ)の様子にロマニはため息をひとつ零すと、床に転がっている物品を踏みつけないように慎重に歩を進めていく。

 そうしてレオナルドからカルテを受け取って内容の確認をするロマニの表情は平時のゆるふわなそれではなく、ひとりの医者としての、至って真面目なそれだ。或いは、内容――受肉したふたりの検査結果であることを考えれば、当然の反応かも知れないが。

 本来なら、カルデアにおける医療行為はロマニら医療チームの管轄である。しかし、美遊とクシナダ、このふたりについては、とある事情からロマニはレオナルドにその全てを任せていた。無論、立香に話したことも嘘ではないが、全てではないのである。

 

「……内容に不備は?」

「ないよ。流石はダヴィンチちゃんだ」

「フフン、当然だね。……それにしても、キミもあくどい事を考える。まさか、記録を完全にでっちあげようだなんてね」

 

 揶揄うようなレオナルドの物言いに、苦笑を漏らすロマニ。だが、彼女(かれ)の言っている事は何も間違いではない。確かにロマニは今回レオナルドに検査を任せた両名について、電子的な記録を全て擬装しようとしているのだから。真のカルテを態々紙媒体にしたのも、完全に抹消する際に消滅させるのが容易く、ネットワークの何処にも痕跡(ログ)を残さないようにするためだ。代わりとなる偽造電子カルテの作成及び諸々の改竄も忘れてはいない。

 その行動だけを見れば、まるで何処かの秘密組織であるかのようである。或いは悪の組織と言われても信じてしまいそうだ。たったひとつ、それらが彼らの私利私欲のためにおこなわれた訳ではないという点を除けば。

 カルデアというのは書類上は国連機関のひとつだが、その実態は魔術協会の下部組織である。それ故、人理修復を終えた後は協会からの使者が大勢押し寄せるであろう事は想像に難くない。その際に様々な記録を調べられるのも、少し考えれば分かるだろう。

 では、もしも両名が受肉したサーヴァントで、受肉後も只の人間とは言えない存在であると全て馬鹿正直に記録に残していて、それが協会に知れてしまったとしたら。結果など見えていよう。間違いなく封印指定となる。美遊に関しては、その管理権限を巡って協会内で抗争が起きるかも知れない。何せ、ともすれば根源への到達が叶うかも知れないのだから。

 だが、それはカルデアに属する面々が望む所ではない。当然だ。共に戦っている仲間である彼女らが何も知らぬ、ただ旨味のあるものだけを掻っ攫っていこうとする協会に引き渡され慰み物にされるなど断じて許容できない。できる筈がない。

 故にこそ、擬装する。仲間を守るためという理由があれどそれが良くない行いであるとは承知しているが、魔術世界に法律や倫理などあってないようなものだ。であれば改竄だろうが捏造だろうが罪ではあるまいと、ロマニが冗談めかして言う。

 

「いいのか? バレれば責任問題……いや、それ以上になるぜ?」

「その時はその時だよ。何とかするさ」

 

 半ば投げ遣りにも聞こえるロマニの言葉。しかしそれとは裏腹に、彼の目には確かな意志、決意がある。その視線が向けられているのは手元のカルテ、そこから滑るようにして、工房の奥へと。そこに安置されているのは全身鎧を思わせる、組み立て途中の装甲服――霊基外骨骼(オルテナウス)だ。

 以前に開発されたそれは変異特異点γにおいて完全に破壊されている。故にそれは修理されているのではなく、開発中の完全な新造品であり、転じて遥が再び戦うための新たな力でもある。よく見れば、細部の形状が異なっているのがロマニにも分かった。

 遥が戦場に戻るための力。だが、それはロマニらが押し付けたものではなく、遥自身が望んだものだ。そして、戦っているのは遥だけではなく立香やサーヴァントらも同じ。彼らは常に命を懸けて、生きるために戦っている。

 

「ボクは彼らのようには戦えないけど、でも、ボクだからこそできる事もある。だからそれを、全力でやらないとね。……まぁ、これについても、ひとつだけボクにはどうにもならない事があるけど」

「……? なんだい、それは?」

「名前だよ」

 

 即答するロマニと、虚を衝かれたかのような表情をするレオナルド。だがすぐに合点がいったようで、小さく吹き出した。

 

「ふ、はは……名前、名前ね。確かに大事だ。データを偽造するうえでも、美遊ちゃんはともかくクシナダちゃんが真名のままでは不都合だし……何より、ね?」

 

 そう言い、レオナルドがロマニに含みのある視線を向け、それを受けたロマニが微笑を浮かべる。そこに、明確な言葉はない。けれどふたりの間にある空気は漠然としたそれではなく、余人には分からない〝何か〟があった。

 名前。その一単語だけでレオナルドが何を言わんとしているのか、たとえその場に第三者がいたとすれば何ひとつとして分かるまい。だが、ロマニだけは例外だ。レオナルドの言葉は、ロマニの過去に起因するものであったのだから。

 その過去はロマニにとってあまり思い出したいものではないが、レオナルドは別に揶揄するつもりではないのだから態々反発するような事でもあるまい。一拍置いて、ロマニが言葉を返す。

 

「あぁ、そうだね……さて、そろそろボクは仕事に戻るよ」

 

 そうして、ロマニは再び足の踏み場を探しながらレオナルドの工房を後にした。

 


 

「……すまない」

 

 それが、病室を訪れたクシナダに対して遥が放った第一声であった。その声音に嘘やおべっかの色合いは一切なく、僅かに下げられた頭、クシナダから見えない位置にある唇は真一文字に引き結ばれている。強く噛みしめられた奥歯は今にも砕けてしまいそうだ。

 たった一言だけの謝罪。しかしそこに投げ遣りな気配は一切なく、むしろ様々な事を言おうとして、しかし適切な言葉が見つからずに一言だけになってしまったようであった。その声音も単純な罪悪感だけではなく様々な感情が入り混じったそれである。

 その言葉に、クシナダはすぐには何も言わない。無視しているのではない。ただ、遥の言葉が悲しくなる程に彼女の予想通りであったから。ある意味で遥が生まれる前から彼の事を知っている彼女だからこその思いが、そこにはあった。

 胸中に巣食う罪悪感や無力感に打ちひしがれ、俯く遥。クシナダはそんな彼に歩み寄りそっとベッドに腰掛けると、両手を彼の頬に伸ばした。予想だにしていなかった感覚に、遥は僅かに顔を上げる。

 触れ合った肌から伝わってくるのは、クシナダの体温。それは現象としてはただの代謝産物であるけれど、今の遥にはそれ以上の意味を伴って届いた。まるで、彼女の心が触れ合った所から流れて身体に染み入ってくるかのような、そんな錯覚さえ抱く。

 そうして、遥は気づいた。きっと、彼女も同じなのだろうと。彼女もまた、遥と同じく己の無力が嫌で、それなのにそんな素振りを見せずこうして彼に寄り添ってくれている。相手の気持ちも知らぬまま勝手に自分自身を責めてしまうのが彼の欠点だと解っていて、それを肯定するのでも、或いは否定するのでもなく。彼の良い所も、悪い所も、全て知っていて、それでもなおこうして『彼』の隣に在り続けようとするのだ、彼女は。

 

「遥様……やっぱり、ひどい人です、貴方は」

 

 言葉とは対照的にクシナダの表情は何処か悲哀、或いは慈愛すら感じさせるそれで、故に彼女は遥を罵る意図で言った訳ではないのは明白であった。けれど、非難ではあるのだろう。それとも、叱っているのだろうか。

 遥のそれは責任感が強いと言えば聞こえは良いが、ともすれば独善に堕ちる。今回はまさしくそれであろう。彼はその罪悪感の源泉である者らの思いも知らぬまま、独りで己自身が悪いと決めつけているのだから。それで生まれるものなど、悲しみしかないというのに。

 彼の頬に添えられた手がその輪郭をなぞるようにして首、肩へ。そのまま軽くクシナダの方に引っ張られて、しかし彼はマトモな抵抗もせず彼女に抱き寄せられた。何と情けないと言いながらも、彼はその熱に抗えない。その熱は、彼がずっと昔に失って、思い出さないように心の奥底に封じながらも無意識に渇望していたものと同義であるから。

 

「確かに私はもう『(クシナダヒメ)』ではなくなったのかも知れません。神性は削がれ、権能はなく、最早神とは言えなくなってしまった。……それでも、私は構わないのです。だって、私が私として貴方と共に在れる事に、違いはないでしょう?」

 

 そう言いながら遥が見せたのは、弱々しいながらも確かな笑み。そう、今、彼の目の前にいる女性はそういう人だったと、改めて認識した。例え遥が大元(スサノオ)とは異なる名、容貌、存在なのだとしても、その魂と在り方を愛していると言ってのけた彼女だ。故に、彼はその言葉が嘘ではないと信じられる。

 彼女は何も、遥の抱く罪悪感を完全に否定している訳ではないのだろう。しかし、肯定もしない。彼女は遥の長所も短所も分かっていて、それでも隣にいてくれる。支えてくれている。自ら冷え固まろうとする心を、溶かしてくれる。

 温かい、と遥は思う。身体ではなく、心が。それは彼が久しく忘れていた感覚で、何処か望郷にも似ていた。ひどい懐旧の感覚に、思わず泣きそうになる。それでも堪えることができたのは、これ以上弱い部分を見せまいとする少々子供じみた意地のためだろうか。

 それから会話が絶えて、どれほどそのままでいただろうか。遥が僅かに身じろぎすると、それを合図とするかのようにしてクシナダが離れた。或いは無言の間に互いに自身の行動を客観的に見ることができたのか、両者共に顔が紅い。胸中に生まれた気恥ずかしさを振り払うように、遥が先に口を開いた。

 

「ごめん……情けない所見せちまったな」

「……ホントですよ……でも、少し嬉しいです。やっと、頼っていただけたのですから」

 

 そう言い、笑い合うふたり。だがクシナダはすぐに躊躇うような表情を見せると、おずおずと言葉を紡ぐ。

 

「あの、遥様……ひとつ、お願いしてもよろしいですか?」

「ん? 何だ?」

 

 そう遥が問い返し、一拍。その間に込められているのは、ある種の覚悟であろうか。遥にとってその願いがどんな意味を持ち、何を彼に求めているのかを全て解っていて、それえもクシナダヒメ、いや、その同一人物にして別存在の少女は、願いを告げる。

 

「――名を、戴けませんか?

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