Fate/Everlasting Shine   作:かってぃー

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第87話 show-off/immature

 変異特異点γ、妄念に囚われて堕ち果てた魔法少女の心象世界であり魔法少女の煉獄でもある特異点にて繰り広げられた戦闘は遥に長期間に渡る昏睡を強いる程のダメージを与えるなど彼に対して少なくない影響を与えたが、決して悪影響ばかりがあった訳ではなく、むしろ遥にとって大いなる成長の機会でもあった。

 その中でも最も大きな要素として挙げられるのは他もない、遥の空位への到達であろう。空位とは簡単に言えば剣者が到達する最高の位であり、この位に開眼した時点で彼の剣技は一定の完成を見たと言っても過言ではない。戦いの最中に彼が編み出した剣術〝天剱〟も、空位への開眼が影響して作られたと言えるだろう。そう、ビースト・ラーヴァとの闘いで、遥は剣士として大きく飛躍を遂げたのだ。

 しかし、である。いかに空位に開眼し半ば完成された剣士となったといえど、遥自身の総合的な力は上位のサーヴァントらには遠く及ばない。総身を襲う激痛とこの上なく張り詰めた緊張の中で、改めて遥はそう実感した。

 雲一つない夜空に浮かぶ星々と、その明かりに照らされている鬱蒼とした森。嘗て変異特異点αにおいて遥らが訪れた冬木のアインツベルン領地を再現したシミュレーションルーム。本来ならば静寂に包まれている筈のその場所で、爆音めいた轟音と共に土煙が高く舞う。それに紛れて聞こえてくる破砕音は、木が薙ぎ倒される音だろうか。

 そして、それらを彼方へと追い遣るかのように何度も打ち鳴らされる金属音。それに吹き散らされ霧散した土煙の中から現れたのは黄金と深紅の閃光であり、それの担い手である剣士と槍兵の姿であった。

 

「ゼェェェアッ!!」

「ッ!!」

 

 獣の咆哮が如き気合と共に繰り出される赤槍。音の壁を追い越し衝撃波を撒き散らしながら遥へと迫るその穂先は不治の呪いの存在もあって命中すれば遥を致命へと至らしめるに十分な威力を内包しており、しかし甘んじてそれを受けるような遥ではない。連続で迫り来る槍の軌道を超常の動体視力と直感で以て察知し、天叢雲剣で往なす。

 その動きに続けるように遥は愛刀で魔槍の軌道を逸らしつつ、槍兵――クー・フーリンの懐へと潜り込まんと身を躍らせる。その動きには一切の無駄がなく、かつ速い。身体を低く屈め、剣先を後方へ向けたままの叢雲を強く引き寄せる。

 言うまでもない事ではあるが、得物のリーチという点において、日本刀は槍よりも短い。だが槍の攻撃とは基本的に穂先を使って行うものであり、それ故に剣士は槍使いの懐へ入り込もうとするのが常道だ。その間合いにさえ持ち込めば剣士は槍兵に対し有利を取ることができる。

 だがそれを歴戦の騎士たるクー・フーリンが承知していない筈はなく、対応など考えるまでもなく身体が覚えている。抜剣の動作を省略し、唐突にその左手に顕現する光輝剣クルージーン。魔力で編まれた刀身がクー・フーリンの胴に向けて振るわれた叢雲を阻み、そうして生まれた間隙に合わせてクー・フーリンが蹴撃を放つ。

 顎を掬い上げるようなそれに対し、遥が執った行動は後退。膝蹴りを回避せんと背中を逸らした勢いのままバク転の要領で後方へ小さく跳躍し、地に手を突くと同時にその接触面に固有結界由来の爆発を生じさせて追撃を妨害、ランサーから距離を取った。叢雲を構え直し、大きく息を吐く。

 

「オイオイ、威勢よく模擬戦の相手を頼んできた割に、随分と弱腰じゃねぇか。本調子じゃねぇなら、手加減してやってもいいんだぜ?」

「ハッ……冗談!」

 

 挑発するようなクー・フーリンの言葉に、好戦的な表情でそう返す遥。或いはランサーの初めから遥がそう答えると解っていたのか、愛槍を構え、獰猛な獣を思わせる笑みで応える。

 クー・フーリンの言う通り、遥は未だ本調子ではない。そもそもこの模擬戦自体、長期間の昏睡により鈍った身体を強制的に叩き起こすためのものなのだから当然と言えば当然だ。しかしそれを理由に敵手に情けを掛けてもらうなど剣士の名折れであり、言語道断である。戦うならば全力で。本物の死合いであろうと、そうでなかろうと、そんな事は関係ない。

 もう一度息を吐き出し、逸る闘争心を意識外へと追い遣る。しかしそれは闘争心を棄てるのではなく、さながらロケットのブースターに燃料を注入するかのように。激しい反応性を有する物質を、無理矢理押し込めているに近しい。そうして再起するのは、ファースト・レディとの決戦において至った極限の感覚だ。それが為されるや否や、遥が纏う剣気と神気が増大する。

 それに当てられたのだろうか、クー・フーリンは己に流れる太陽神の血がいつにも増して激しく戦闘を求めているのを自覚する。流石にその昂りのまま闘争形態へ移行しないだけの理性は残しているものの、それでも気を抜けばマスターの魔力供給を度外視してその枷を解き放ってしまいそうな程に彼はこの戦いに没頭していた。

 

「――シャアッ!!」

「――ゼェァッ!!」

 

 気合。踏み込みは全く同時であった。蹴り込まれた大地は両者の度外れた脚力により捲れ上がり、砲弾のような速度でふたりが疾駆する。轟いた銃声めいた音は、音の限界を彼方へと置き去りにした事に対して大気があげた悲鳴か。

 夜闇を斬り裂く閃光。それらがぶつかり合う度に火花が散り、闇の中に戦士の姿を浮かび上がらせる。交錯する深紅の瞳が捉えているのは互いの姿のみで、それ以外の全ては些事だ。

 恰もその内に宿す化生の呪を解放したかと錯覚する程の神速で続々と繰り出される深紅の槍を、遥もまたそれに迫る剣速を以て弾く。だがそれでもランサーの攻撃は止まず、高く跳躍したのに続けて槍を遥に向けて振り下ろした。

 無論、それをマトモに受けるような遥ではない。振り下ろされた槍の口金辺りを叢雲で受け止め、持ち上げるようにして返す。けれどランサーはすかさず空中で身を捻り遥へと槍撃の雨を降らせていく。まるで物理法則を無視しているかのようにすら見えるそれは、まさしく魔人の挙動と形容する他あるまい。

 更に追撃とばかりにクー・フーリンは地に突き立てた槍を支点として旋転し、渾身の蹴撃を放つ。先の連撃を辛くも防いでいた遥だがいよいよ防御の間隙を突かれ、腹に突き刺さった威力のまま吹き飛ばされて細い木を何本か倒しながら数十メートル先の大木に叩きつけられた。

 

「ぐっ……ッ!?」

 

 悪寒。そして、殺気。直感的にそれを察知し遥は未だ身体が訴え続ける痛みを無視し、回避行動へと移った。刹那、数瞬前に遥がいた場所を赤槍の穂先が薙ぐ。その威力によるものか、根本が砕け散った大木が自重を支えられず折れて倒れ始めた。

 それを視認するや、即座に遥は己の固有結界を起動。彼の身体から漏れ出した焔は付近を漂っていた木屑に引火し、そのまま連鎖的に他の木屑へと瞬間的に燃え移っていく。粉塵爆発。その爆風により、クー・フーリンが後退を強いられる。ただの炎ならそうはいなかっただろうが、遥が宿す煉獄の焔は固有結界由来の異界常識であるため、サーヴァントに対しても十分に効果を発揮するのだ。

 恐らくはその焔によるものだろう、少なからず残る熱傷の感覚に舌打ちを漏らすランサー。だがルーンによる治癒はしない。そんな余裕を与える程、遥は弱い剣士ではない。それを彼は知っていた。

 その確信を裏切らず、ランサーの目前に一瞬で現れる遥。歴戦の戦士たるクー・フーリンですらその動きを一切捉えきれないそれは、まるで空間跳躍を行使したかの如く。その鋭い眼光を放つ目が飢えた獣のそれならば、極限まで引き絞られた叢雲はさながら獣の牙、或いは爪か。

 咄嗟に身を捻って回避せんとするランサーだが、遥の刃は彼を逃さず頬を浅く斬り裂かれる。そのままランサーの後方へと抜けていく遥だが、追い打ちをするかのように後ろ蹴りを放ち、それを防御したランサーの赤槍を足場にして小さく着地。間髪入れずに第二撃へと移行する。

 その間隙に挟み込むように遥がロングコートの裏から取り出したのは、本来なら代行者の武器である黒鍵。それを4本。全てに過剰なまでの魔力を流し、肥大化した刃が伸長するや否やクー・フーリンへと投擲する。

 だが、そんな単純な攻撃がランサーに通用する筈もなく、光輝剣の一閃を以て弾かれる。あらぬ方向へ散り散りになって飛んでいく黒鍵。そのままランサーは遥への攻撃に移ろうとして、しかしその先にいる遥に攻撃が防がれた事への焦燥はなかった。

 

「戻れ」

 

 短い命令。直後、ランサーは己の背後で強烈な魔力が行使されたのを察知する。それは錯覚などではなく、確かに彼の後方では先に弾かれた筈の黒鍵が旋転しながら持ち主である遥へと戻ろうとしていた。無論、その軌道上にはランサーがいる。

 そして、それに合わせて遥が地を蹴る。前方からは叢雲を構えた遥が、後方からは逃げ道を塞ぐような軌道で黒鍵が飛来する構図に、ランサーがはたと気づく。この技は遥のものではない。遥の契約サーヴァントであり、ランサーとは腐れ縁の弓兵の技だ。それを、遥は彼なりに再現してのけたのである。

 だが――甘い。ランサーが獣のように笑む。確かに遥が放ったそれはエミヤのそれをよく再現している。けれど、何の芸もない他人の猿真似などクランの猛犬には通用しない。

 轟、と何の前触れもなく吹き荒れる颶風。それに当てられるや、まるで遥の魔術行使など初めからなかったかのように黒鍵が地に落ちた。矢避けの加護か。否。そのスキルは遠距離攻撃への対応力を示すものであって、無差別の自動迎撃ではない。ランサーはただ、無造作に魔力を解放しただけで魔術に後押しされた攻撃を全て無に帰したのである。

 ランサーの攻撃はそれでは終わらない。肉薄する遥の目前で、ランサーの身体に装束越しでも分かる程の魔力の光が灯る。原初のルーンによる身体強化。ただでさえ全英霊中最強クラスのステータスに加えそれを上乗せしたランサーに遥の連撃はまるで通用せず、得物を交わし競り合う中で紅玉の瞳同士がかち合う。

 

「――重く、鋭く、速い、良い剣だ。これ程の使い手は、オレの時代でもそうはいねぇ。弛まず研鑽を積めば、いつかはフェルディアの野郎にも追いつけるかもな。だが――!!」

 

 脈動するルーン。その刹那、遥は何が起きたのか理解する暇さえも与えられないまま腹に強い衝撃を受けた。激痛に明滅する意識。肋骨が砕ける異音。抵抗すら許されずに地面を転がり、遥が血を吐く。

 

「――だからこそ解せねぇ。テメェの本気はこの程度じゃあねぇ筈だ。獣に負わされたダメージ? 神核の反動? 知った事か。死力を尽くせよ、遥。テメェの本気を、オレに味わわせてみろッ!!」

「ッ……言われ、なくても……!!」

 

 攻撃の威力で挽肉寸前になった内臓と肋骨が急速に再生していく不快感に耐え、遥が立つ。口内に満ちる粘性の液体を吐き出せば、地面が小さく赤黒に染め上げられた。嗅覚を支配する不快な鉄臭さ。だがその匂いに、遥が思わず口角を上げる。

 血の味。それは確かに不快ではあるけれど、同時に遥にとってはある種の〝生〟の実感であった。無論、再生能力があるとはいえ痛いものは痛く、別に彼は痛めつけられるのが好きな訳ではない。それでも〝生きている〟という実感を戦いの中で得てしまえるのが彼であった。

 叢雲を正中に構え、深呼吸をひとつ。それを合図とするかのように遥の顔から妙な憂いなどが全て立ち消え、纏う闘気や剣気、魔力が更に増大した。それに応えてか、神刀がより赫と輝く。その様に、クー・フーリンがより獰猛な笑みを深くし、赤槍を構え直した。まるで好敵手からの挑戦を待ち受けるかのように。

 静寂を取り戻す森。だがその有様は平穏とは程遠く、極限まで張り詰めた空気は数瞬後の惨状を予感させるには十分だ。その中で剣士はその身体から闘争心を可視化さえたかのような焔を迸らせ、そして――

 

「――オオオォォォオオッ!!」

 

 ――黄金の剣閃を、深紅が迎え撃った。

 


 

「――ん。は――さ――」

 

 心地よい闇に包まれた意識の中、その闇に割り込むようにして聞こえてくる途切れ途切れの声。模擬戦で疲れてるせいかひどく激しく意識を縛り付けてくる微睡もその声の前には無力で、少しずつ遥の思考が眠りから覚めていく。

 けれど目覚め切っていない頭では常の明晰さを発揮できず、それでもその声の主には心当たりがあった。再び微睡に落ちていきたいという欲求を堪え、ゆっくりと目蓋を上げていく。

 そんな中で半ば無意識に発したのは『姉さん……?』という呼びかけ、或いは彼らしからぬ甘えめいた言葉。だがその言葉に対するいらえはなく、代わりに返ってきたのは笑いを堪えきれぬといった具合の吐息。次いで完全に機能を取り戻した遥の視界いっぱいに映ったのは、悪戯っ子のような笑みを浮かべた褐色肌の少女――クロエの顔であった。

 

「はーい、お姉ちゃんでーす! んふふ、引っ掛かったわね、マスター?」

「マジか、クロエ……完全に騙された……」

「騙されたって、人聞きの悪い。幼気な女の子のカワイイ悪戯じゃない」

 

 全く悪びれる様子のないクロエ。そんな彼女に半ば呆れめいた溜息を零しながら、遥は横になっていた状態から上体のみを起こした。見れば先程まで遥が寝ていたのは廊下の端にあるベンチで、横には鞘込めの天叢雲剣が立てかけてある。

 何故このような場所に、こんな有様で寝ていたのか。未だ少々寝ぼけているのかと咄嗟に思い出す事ができなかった遥だが、少し経って合点がいった。彼は眠る少し前までシミュレーションルームでクー・フーリンに相手を頼んで模擬戦をしていて、その帰りに疲れてベンチに腰掛けたまま気づかぬうちに眠ってしまっていたのだ。

 つまり今、遥はそれなりの量の汗や血飛沫が付着したままシャワーも浴びずにいるという相応に不潔な状態にある。それに気づくや否や遥は部屋に戻ろうとして、しかしクロエが隣に座ったことでそれを断念した。代替案として魔術で身体に残るそれらを全て除去する。あまり気持ちの良い手段ではないが、齎す結果は同じだ。

 

「それにしても、よく寝てたわね。呼びかけても全然起きないんだもの。おまけに廊下なのに。カルデアじゃなかったら、起きた時には一文無しね」

「いや、返す言葉もない……不用心だった。起こしてくれてありがとな。悪戯は余計だったけど……」

「いーじゃない。お蔭で貴重なマスターの寝ぼけ顔と照れ顔が見られたわ。カメラ持っておけばよかった」

「やめてくれ……」

 

 なおも揶揄ってくるクロエに対し本気で恥ずかしそうな赤面を見せる遥。しかし、それも致し方あるまい。何せ自分よりも圧倒的に幼い少女に情けない呆け顔を見せてしまったうえ、姉と勘違いしてしまったのだから。いくら声紋まで一緒なのではないかと思う程に声が似ているとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 しかし自分も随分と不用心になったものだと遥は自省する。いくらひどく疲れ、肉体の再生も必要であったとはいえ、以前の彼なら廊下で居眠りをするなど考えられなかった。カルデアに来て以降ならともかく、それ以前、世界を旅していた頃の彼にとって、絶対的安全圏以外での睡眠は即ち死を意味していたのだから。

 とはいえ、その変化は悪い事ではないだろう。流石に自室外で眠るのは不用心ではあるが、それは転じて用心を忘れてしまう程にカルデアの人々を信用しているという事でもあるのだから。

 

「それで、何でこんな所で寝てたのよ。それに、身体もボロボロだし」

「あぁ、ちょっとクー・フーリンと模擬戦をしてたんだ。防戦一方……とまではいかないけど、全く歯が立たなくて。最後には首筋に槍を突きつけられて、俺の降参負けだった。ホント、強すぎるよ。流石はケルトの大英雄。あれで生前の半分も力が出せないってんだからなぁ……」

 

 クロエに心配させまいと笑いながら、しかし語気の端々に隠しきれない悔しさを滲ませて遥が言う。或いはその姿はひとりの剣士というよりもまるで先人への憧憬を抱いて邁進する少年のようで、クロエが思わず笑みを覗かせる。

 同時に、何処か似ているとも思う。他でもない、遥とイリヤが、である。時にはこうして普通の人間めいた一面を見せて、それなのに戦いとなると他者のために己を擲ってでも敵手と相対する。そんなある種の矛盾、真人間の一面と自己犠牲への抵抗がない一面の同居が似ていると感じたのだ。

 だからこそ、変異特異点γの戦闘でもクロエは彼の事が放っておけなかったのであろう。利害の一致という動機ではあったが彼の中にイリヤと近い危うさを見たから、クロエは出会って間もない遥を信用し共に戦った。加えてそれ以前、レディに乗っ取られていた彼女を助けようとしていた事を覚えていたというのもある。

 総じて〝信用に足る、けれど何処か危うい大人〟というのが遥に対するクロエの評価であった。尤もそんな事を彼が知る由もなく、背中を壁面に預けて脱力しながら、クロエに問うた。

 

「そういや、クロエひとりなんて珍しいな。いつも3人でいるように思ってたけど」

「別に四六時中一緒ってワケじゃないわよ。それに、イリヤとミユは食堂の手伝い中だしね」

「へぇ……クロエはやらないのか?」

「わたしは……そうね。ちょっと……」

 

 クロエにしては珍しい、歯切れの悪い答えであった。そんな彼女の様子に首を傾げる遥であったが、すぐに合点する。それ故に次いで遥が発した問いは半ば意地悪めいていて、しかし彼はあくまでも真面目であった。

 

「エミヤと何かあったか?」

「っ! ……そういうの、気づいても黙っておくのが正解なんじゃない?」

「悪いな。けど、俺はこんなんでもマスターなんでね。自分の契約サーヴァント同士に不和が起きそうなら、対応する義務がある」

 

 極めて真っ当な、けれど普段はあまりマスターとして振舞わない遥が言うとひどく白々しくも聞こえる答えである。それは彼自身も自覚しているのだろう、笑みは自嘲的で、同時にクロエを心配する心を伺わせていた。

 確かに、遥が言っている事は正しい。普通の聖杯戦争ならば考えられない事だがカルデアにおいて所属サーヴァントとは共に人理修復を為す同胞であり、マスターはその主導者だ。故にこそ契約サーヴァントの行動にマスターは責任を負わねばならず、不和が起きたならばこれを解決するのも立派な仕事のひとつである。

 だが、必ずしもサーヴァントはその仕事に対し協力的である必要性はない。先の問いに対しても答えたくないのなら黙秘を決め込んでも構わないのだ。マスターの仕事や義務など、極端に言えばサーヴァントには何の関係もないのだから。それでも仕事だ何だという言葉とは裏腹に遥の表情は純粋にクロエを思うもので、それを無下にするにはクロエはあまりにも善良であった。

 

「……わたしとあのアーチャーさんの関係、マスターは知ってるの?」

「詳しくは知らない。でも、ある程度の推測はできるな」

 

 その言葉は殆ど嘘とも言えよう。遥は以前、夢という形でエミヤの生前の記憶を見ている。エミヤ自身も長い期間の中で記憶を摩耗させているため完全な状態ではなかったが、それでも彼の(あね)について知り得るには十分であった。つまり、彼はエミヤ――否、衛宮士郎とイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの関係について、エミヤが覚えている限りを殆ど全て知っているのだ。

 それとこのカルデアにいるイリヤ、及びクロエについての情報があれば、後の推測は容易い。彼女らが生きていた年代的にふたりにとって衛宮士郎は本当に義兄で、エミヤはその同一人物なのである。他にもアイリと切嗣(アサシン)もいるのだから、その事を知った時の衝撃はすさまじいものであっただろう。

 だがエミヤらはクロエ達の家族と同一人物であると同時に何の関係もない赤の他人とも言える。何しろ、同一人物とはいえ並行世界の人間で、そこにいるのは自分が知っているその人と同じ名と存在を持ってはいても全く異なる人生を歩んだ人間であるのだから。

 遥が語った推測は全てが当たっている訳ではないけれど、クロエが話を続ける上では何の支障もない程度には正解であった。遥がエミヤの記憶を覗き見た事を知らない彼女からすればそれは奇妙にも映って、けれど深堀りはせず更に話を続ける。

 

「それで……訊いたのよ。アナタは衛宮士郎なんでしょって。そしたら、凄い頑なに否定されて、それで、わたしもちょっとムキになっちゃって……」

「アハハ……まぁ、アイツらしいな」

 

 クロエとエミヤの間で起きた問答について、彼女は深く語る訳ではない。けれどどうしてか遥にはその光景が目に浮かぶようで、失礼とは分かっていても苦笑を禁じ得なかった。その反応にクロエが唇を尖らせる。

 恐らくエミヤは〝イリヤらの世界に生きる衛宮士郎〟について、特別悪感情を抱いている訳ではないのだろう。嘗ての自分と同じように『正義の味方』を志す衛宮士郎ならともかく、イリヤらの義兄はそういう訳でもなく魔術の存在すら知らないただの人間であるのだから。

 そして、だからこそエミヤはクロエの義兄と同一人物であることを頑なに否定したのだ。彼女の義兄はあくまでも何でもないただの人間で、しかしエミヤは守護者でありその戦いの中で幾度となくその手を血で汚している。そんな人間が彼女の義兄と同じであると肯定するのは、彼女らにもその義兄としての衛宮士郎にも侮辱に等しいと、そう考えているのだと遥は思う。

 それを考えすぎとは、遥は思わない。そもそも前提として遥はカルデアに来る以前のエミヤとは関わりがなく、その時間を由来とする彼自身の判断について良し悪しを論じる権利を一片も持たないのである。ましてや説教など、そんなものは論外中の論外、マスター失格とすら言える下の下の行為だ。

 けれど、だからとてクロエに諦めろと言うのもまた、それはそれで論外である。それだけは絶対にしてはならない。クロエら3人をこちらの世界に招き入れ、家族と永遠に引き離してしまった者として、遥にはそれ相応に果たさなければならない責任があるのだから。

 ともあれ、遥がどう振る舞うにしてもクロエ自身の思いを知っておかねば何も始まるまい。勝手に思い込んで、勝手に決めつけて、勝手に判断して、というのはあまりにも独り善がりだ。それは避けねばなるまい。

 

「それで、クロエはどうしたいんだ? 教えてくれよ」

「わたしは……」

 

 そこまで考え、押し黙る。答えたくないのではない。ただ、納得しているかは別にしてもクロエもまたエミヤの内心には気づいていて、だからこそそれを口にしてしまうのは彼への冒涜なのではないか、と。けれど己の思いを無視する事もできず、クロエが言葉を零す。

 

「お兄ちゃんって呼びたい訳じゃない。でも……あの人は間違いなく衛宮士郎で、そんな人にあんな辛い顔をして欲しくなんてなかったのよ」

「そっか。……優しいな、クロエは」

 

 エミヤの記憶を覗き見てしまった遥は知っている。彼と、その血の繋がらない(あね)の顛末を。それは恐らく『英霊エミヤ』となった彼が辿り得る全てではないけれど、それでも彼の内心を察するには余りある。

 それでも、である。遥にはこの少女の思いを無下にする事はできなかった。それは彼が子供には甘いという性格的な事もあるが、エミヤの事を思ってでもある。それは或いは御節介、余計なお世話というものであるのかも知れない。それでもだ。仲間には笑っていて欲しいというのが、彼の内心であった。

 或いは今までもそうしてきたかのように、自然な動作でクロエの頭を撫でる遥。いきなり何を、と赤面して動揺するクロエであったが、すぐに遥の気配が何ら下心がある訳でもなく、癖だからなどという薄気味悪いものでもない、例えるなら学校の教師や保育士のような、子供と相対する大人のそれである事に気づいて不服そうな表情を見せた。

 

「……子供扱いしないで」

「おっと、これは失敬。……それで、接し方に悩んでいるのは、何もエミヤに対してだけじゃないんだろ? 気まずいのはアイツだけかもだけど」

「……分かるの?」

「何となく。伊達に何度も子供(ガキ)の面倒見てきたワケじゃねぇさ」

 

 また子供扱いして、と頬を膨らませるクロエと、そんなクロエの様子に悪戯っぽく笑う遥。クロエに子ども扱いするなと言われているのにそれでもなお止めない遥はともすれば嫌われてしまいそうではあるが、不思議とクロエは不快とは感じなかった。それは或いは、遥が纏う奇妙な雰囲気のせいか。

 遥がクロエの心情に気付いたのは、何も特別な推理があった訳ではない。クロエにとって〝家族と同一人物の他人〟とは何もエミヤだけではなく、アイリとアサシンも同様なのだ。加えてふたりとも中々に複雑な事情を抱えている。多感な、或いは多感になり始める年頃の少女にとって、今まで通りの接し方を躊躇わせるには十分だ。

 仮に立香やイリヤのように尋常でなく高いコミュニケーション能力があればその辺りを軽く飛び越えてしまうのかも知れないが、遥の目から見てクロエはそういった手合いではない。決して対人能力が低くはないしむしろ高い方ではあるが、異常に高くはない。それこそ、家族に近しい人との接し方に悩む程には。

 ――正直な所、遥には家族との適切な接し方というものがまだよく分からない。当然だろう。彼は並行世界の家族に出会うどころか、まず自分の家族すら早くに亡くしてしまったのだから。故にそれは、自らの経験則からの言葉ではなく半ば懺悔であった。

 

「思い続ける、しかないな」

「……? 思い続ける?」

「あぁ。言葉にするにしても、思い続けなければ相手に気持ちは伝わらない。けど、思い続けて、少しずつでも関われるようにすれば、いつかは伝わるさ。……俺にも、姉さんがそうしてくれたからな」

 

 姉さん。遥がそう言う相手は彼が契約しているサーヴァントの1騎たる玉藻の前であることを、クロエは知っている。しかし彼女は今の今まで遥が何故タマモをそう呼ぶのかについてを知らなかった。遥がスサノオの生まれ変わり――厳密には少々異なるが、広義では間違っていまい――である事については事情はともかく薄々察してはいたが、タマモがアマテラスの分け御霊である事までは、タマモとの関わりが薄い彼女は知る機会自体がなかったのである。

 遥の推測が正しければ、タマモはカルデアに来て然程経たないうちから彼女と遥の間にある縁に気づいていた。けれどすぐにそう言わなかったのは、彼女自身も悩んでいたからだったのだろう。それでも思い続けてくれたから、遥は今彼女を姉として見る事ができている。

 そういう意味では、遥とクロエは似ているのかも知れない。思われていた側か思い続ける側かという違いはあれど、家族というにはあまりにも曖昧な関わりを少しでもそれらしいものにしようとしている点では同じだ。

 もしかしたら人はそれを家族ごっこと嗤うのかも知れない。それでも遥は良かった。たとえ余人から見ればごっこ遊びめいた低俗で幼稚であっても、思い、思われ、繋がり合おうとする気持ちは決して悪ではないと信じたいのだ。

 たとえ真似事、形だけを借りた贋物でも、いつかは真に迫るものにはなれるだろうと、遥はそう言う。それを受けたクロエは暫し考え込むように黙って、次いで訥々と言葉を漏らす。

 

「でも、わたしたちには時間がないわ。いつかは、キャスターさん……こっちの世界のママと、ミユを置いて、皆退去してしまうかも知れない」

「そうだな。その辺りは俺に任せろ……と言えたらよかったんだが、無責任な事は言わない主義でな。方法がない訳じゃないが、それは俺の裁量で決められる事じゃない」

 

 遥が言う方法とは、間違いなく聖杯の事だろう。現時点でカルデアが回収した聖杯は第一特異点と第二特異点、変異特異点βを作り出していたものの計3つ。クロエの望みを叶えるには、恐らく十分すぎる数だ。

 だが、遥はたとえクロエに頼まれたとしても首を縦には振れない。それを成したことで人理修復後に起こるであろう魔術協会との政治抗争を厭うているのではない。そんなもの、必要となれば遥は躊躇いさえもせずにいくらでもするだろう。彼が言っているのはクロエが思いを向ける矛先、その個人の意思の問題だ。

 

「それでも……思い続けていいのかしら」

「良いも悪いもない。行動はともかく、思いだけは個人の自由だ。それに、一念岩をも通すってな。粘り強く思い続けていれば、いつかは頑固なアイツも折れるかもだぜ? そもそもアイツ、口では何だかんだと言いつつ、クロエ達の事をよく見てると思うし」

「そう……ところでその諺、何か使い方違わない?」

 

 クロエの指摘に、かもな、と言って遥が笑う。少年のようなその笑みにクロエもつられて笑って、少しの間笑い続けてそれが止んだ後にあった表情は先のように憂いを帯びたものではなく幾らか晴れやかなものであった。

 クロエの抱く全ての問題と悩みが解決した訳ではない。むしろ遥の言う通りにするのでもこの先には問題が山積していて、全てが望む通りにいくとは限らない。むしろ全て思い通りにならない確率の方が高いだろう。

 それでも、道のひとつは示された。それが絶対的な正解という訳ではないとはいえ、何も分からないよりは何倍も良いだろう。ほう、とひとつ息を吐き、クロエがベンチから立ち上がる。

 

「ありがとね、マスター。話聞いてくれて。少しは気が楽になったわ」

「そりゃよかった。サーヴァントのためになれたなら、マスター冥利に尽きるってモンだ」

 

 おどけた声音でそう言う遥にクロエは笑みを投げかけて、その場から戻っていく。その姿が見えなくなった頃に遥は一度大きく息を吐いて、再び背中を壁に預けた。そうして、両手で視界を覆う。目の前に広がるのは、闇。

 クロエに対して述べた言葉に、殆ど嘘はない。あるとすればエミヤの過去について知り得た経緯のみで、他は真実だ。だが、だからこそ内心不安ではあったのだ。果たして、自分はクロエの相談について正しく答えることができているのか、と。

 それでも、最後にクロエが見せた笑みは決して社交辞令的なものではないだろう。故に先のため息は、緊張から解き放たれて代わりに胸中に生まれた安心によるものであったのかも知れない。手を目から離し、視界に飛び込んでくる人工の光。それを見上げながら、呟く。

 

「やっぱりまだまだだな、俺……」

 

 剣士としても、大人としても、まだまだ何もなっていない。日本の法律的にはまだ成人にはなっていないだとか、そういう事ではないのだ。自分の行為に責任を持ち、たとえ少しだけだとしても自分よりも若い者を導く者として、遥は大人であらねばならない。それに、出生地の法律的な意味でも彼は後数か月もすれば成人の扱いである。

 だが、蓋を開けてみればこれだ。空位に達しても戦士としては遥かな先人の足元にも及ばず、人間としても少し気を抜くだけで脆弱さが露呈しそうになる。『出来た大人』などとは程遠く、むしろカルデアに所属する職員やサーヴァントの平均年齢――サーヴァントに関しては全盛期の年齢という意味だが――を考えれば彼自身もまだまだひよっこの青二才、子供として扱われる事の方が多い。

 どちらにせよ、まだまだ精進しなければならないのだろう。完成した、などを驕る事があってはならない。もしもそう思うなら、その時点で遥は気づかぬうちに立ち止まってしまい後は腐っていく一方になるだろう。そうなってしまえば戦士である以前に人として終わりだ。

 思考を一端棚上げして立ち上がる。それなりに長い間堅いベンチの上で眠っていたからだろうか、たったそれだけの動作で体中から筋肉の緊張が解ける音がして、遥は思わず苦笑を漏らした。我ながらよくこんな場所で眠っていたな、と。以前彼は立香がカルデアに来た日に廊下で倒れる形で眠っていたと聞いて笑ってしまった事があったのだが、これでは立香の事を言えまい。

 ベンチの傍らに立てかけていた天叢雲剣を手に取り、ベルトに鞘を固定する。そうして遥はこれからの行動を思案して、まだシャワーを浴びていない事を思い出した。日本人としては湯舟一杯に張った湯に肩まで浸かりたいという欲求がないといえば嘘になってしまうのだろうが、今のカルデアでは水も貴重品だ。我儘を言ってもいられない。

 加えて服も至る所が損傷している。いくら強力な防御魔術を掛けた特級の礼装とはいえ、トップサーヴァント相手に戦っていたのだから、そうなるのも当然と言えば当然だ。サーヴァントの装束ならば魔力さえあれば修復できるが、遥のように生身の人間の場合はそうもいかない。今後の事を考えるなら、早めに修繕しておかねばなるまい。

 何はともあれ、まずは自室に戻らねば何も始められない。そう考えて歩き出した遥の耳朶を、カルデアの館内放送、その発信者であるレオナルドの声が打った。

 

『あー、あー、テステス。……遥くん、至急私の工房まで来るように。キミ用の新しいオルテナウスができたから、最終調整をするよー』

「まったく……忙しいな」

 

 そう呟いて、駆け出す。言葉とは裏腹に、その顔には笑みが浮かんでいた。




 とある事情から急遽入れることになったクロエコミュ回。

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