Fate/Everlasting Shine 作:かってぃー
第88話 守りたるは、人の
──夢中から現実へと意識が浮上し、少年が最初に認めたのは己の涙であった。相当に長い時間泣き続けていたのだろうか、頬には未だ水滴が付着していて、枕はひどく湿っている。そんな己の有様に少年、在りし日の夜桜遥は思わず弱々しく自嘲的な笑みを浮かべた。
眠っている間まで泣いていた原因は分かっている。そもそもここ最近は連日に渡って同じように泣きっぱなしで、思い当たる要因もひとつしかないというのだから原因など考えるまでもあるまい。夢の内容はまるで覚えていないが、間違いなく両親の事を夢に見ているのだろう。
遥の両親はもう、この世にはいない。今よりおよそ2か月ほど前、2004年2月に死んだ。それも自己や病気などが原因で死んだのではなく、殺されたのだ。人間としての原型を半ば留めないまでの破壊を齎す圧倒的な暴力によって。
下手人は分からない。一応、一度は殺人事件として扱われ捜査が入ったものの犯人を示す証拠らしい証拠はひとつとして見つからず、その捜査も不自然なまでに簡単に打ち切られてしまった。所謂迷宮入りというものだが、それも致し方あるまい。遥の推測が正しければ、彼の両親の死には何らかの大規模魔術儀式が絡んでいる。それも魔術協会か、或いは聖堂教会が関わる程の相当な規模のものだ。でなければこれ程不自然な顛末に説明がつかない。
遥はまだ幼いが、それでも一般的なそれとは比べ物にならない程優秀な魔術師である。そのうえ完全な人間ではなくその身の半分以上は現代に在り得べからざる神秘の存在、神霊、ないしは半神への先祖返りとでも言うべき身の上、そのため魔力的事象に対する知覚力は極めて鋭敏である。それ故、彼は感じていたのだ。年明けから2月末辺りまで続いていた、円蔵山を中心とする異質な魔力の気配や連日連夜轟く神秘の怒濤、そしてそれに彼の両親が関与しているという予感を。
だが、そこまで推測ができていても彼は今更両親を殺害した下手人について調べるつもりはなかった。何しろ調査するとしても相手が相手であるし、調査している中で口封じのために殺される可能性もある。何より、自分達が生きている世界はそういう世界なのだと彼は知っている。両親は此処で死ぬ運命で、遥は此処で両親を喪う定めだった。ただそれだけなのだと受け入れるだけの覚悟はしてきたのである。
それでも、悲しいものは悲しい。いや、悲しいなどという言葉では表しきれないまでの激情が遥の裡で渦巻いているのは疑うまでもない事実である。覚悟はしていた。それでも遥は両親を■■ていて、両親も遥を■■ていた。激情に浸る理由など、それだけで十分だろう。
「寒いなぁ……」
ぽつりと呟く。両親が殺害された頃ならばともかく今は4月で、早朝の気温も相応に高くなってきている。少なくとも余程の寒がりでもなければ寒さなど感じない程には温かく、加えて彼はその身体に煉獄の固有結界を宿している――この頃はまだ自在に扱えてはいなかったが――のだから基本的に寒さなどとは無縁だ。
であれば、彼が感じているそれは大気の温度に由来する身体的な寒さなどではなく、心因性のそれなのだろう。いくらその出自のために幾らか大人びているとはいえ幼い少年の心に両親の死はあまりにも辛くて、故に自分を守るため、少年の心はゆっくりと凍り付いてその下に両親との思い出を彼らから与えられた■を諸共にして沈めようとしている。
深く、深く、温かい思い出も気持ちも全てを魂の奥底に仕舞い込んで――少年は、その記憶さえも抑圧してしまった。
藤丸立香には、最近よく考える事がある。その内容というのは彼らカルデアが戦っている相手、7つの特異点を生み出し人理を焼却した黒幕についてだが、彼自身、己のそれが推理などではなく根拠のない妄想である事は分かっている。しかし彼にとって、自らが出した仮説は妄言だと一蹴できるものでもないような、そんな予感がしたのだ。
変異特異点γにて遥らが相対した敵手、ファースト・レディ。遥曰く、彼女のクラスは立香らが知る通常クラスやエクストラクラスではなく、人理の裡より生まれ出でる人理の自殺機構、〝人類が滅ぼす悪〟たる〝
そしてそのクラス特性に違わず、レディの目的は遍く並行世界の人理を終焉に導くことで全ての嘆きを終わらせ、滅びを以て人類を救済するというものだった。そのために彼女は多くの魔法少女を利用し、その魂を蒐集する事で人類悪そのものの幼生と化したというのがカルデアの知り得る経緯であるが、立香はその内容に僅かな違和感を覚えたのだ。確かに彼女は悪意と化す程に歪んだ人類愛を抱き、膨大な魔力を集め、美遊という聖杯も手中に収めていたが、果たしてそれだけで人理ひとつを滅ぼすような外法の魔に成れるのか、という違和感を。
だが現状、立香の知り得る限り人理を滅ぼそうとした、或いはしている存在は、レディだけではない。変異特異点αにて限界したユスティーツァと、件の黒幕。そう、黒幕の目的はレディやユスティーツァのそれと非常に近しいのだ。であれば
これらから立香が考えた仮説、それは『或いは自分たちの世界にはある時点でビーストが生まれる因果が成立していて、その適性をもつ存在がビーストと化しているのではないか』という、聊か突飛とも思えるものだ。無論、断定はできない。その仮説の論拠というのも結局は推論で、不確かな推論に推論を重ねたものは最早妄想とでも言うべき胡乱なのだから。だが同様に彼の仮説が間違いだと示す事実も、何もない。
そしてもしも立香の仮説が正しいものであるならば、ビーストは今後も生まれる可能性がある、という事になる。それこそ、彼らが人理修復を為さんとしている間に会敵するというのも、ない話ではないのだ。
「もし、そうだとして……勝てるのか、オレ達は」
特異点に赴くための準備を整え、クローゼットの扉を閉めながら立香が呟く。彼は何も、仲間達の力を信じていないのではない。しかし彼は自分と仲間達であれば必ず打倒できると迷わず信じられるような愚かな理想論者でもないつもりであった。
立香が知る限り、遥は強い。その力はトップサーヴァントには及ばずとも、サーヴァントと比してもそれなりの部類にはなるだろう。それだけではなく彼には対人類悪特効としても機能する固有結界もあるのだ。そんな彼をしてビーストクラスそのものの前段階でしかない個体を相手にして、一旦は殆ど危篤と言って良い状態にまで追い込まれている。であれば完全な個体はどれほどの力を持つのか、想像もできない。
今まずやらなければならないのが特異点攻略である事も、勝手に推測して勝手に危機感を覚えているのが愚者の行いである事も、立香は分かっている。だが立香らが赴く次なる特異点に、ビースト、或いはそれに準ずる存在がいないとも限らないのだ。弱気の虫が顔を出すのも仕方のない事だろう。しかし彼は自分の頬を挟むように叩いてそれを追い出した。
「いや……成せば成る、だ。今から弱気でどうする……!」
黒幕の正体――立香と遥はソロモン王ではないかと推理しているが――が何であれ、全特異点を修正した後に邂逅するのはまず間違いない。であれば立香がするべきであるのは来るべき時のためにマスターとして少しでも準備を整えておく事だ。
そもそもとしてその黒幕の許へ行くにも残り5つの特異点を踏破しなければならないのだ。その道のりが決して楽なものではない事は、今までの道程から分かっている。有り体に言ってしまえば明日をも知れぬ命なのだ、彼らは。
それでも、生きる。生きたい。故にこそ、戦わなければならない。たとえその思いが誰かの正義とは相容れない思いであったのだとしても、彼はその思いだけは曲げるつもりはない。できる、できないの問題ではない。
「……よし」
装備の最終チェック。身に纏う礼装はカルデア制服と、更に夜桜の魔術を再現した上着。腰のホルスターに収められた魔銃ファイブセブンには限界まで弾薬が込められており、替えの弾薬、及び遥の起源弾も携帯している。
体調面は問題なし。日課である魔術回路の再構築も既に済ませており、十全に駆動する事はとうに確認している。これから特異点の攻略を行うにあたって済ませておくべき事項を、欠かすような立香ではない。
そうして最後に心の奥底に残った憂いを吐き出すかのように、大きなため息をひとつ。覚悟の表情のまま自室を後にしようとして、しかしそれより早くにドアがノックされた。どうぞ、と立香。そのいらえに応じてドアが開かれ、まず初めに彼の視界に飛び込んできたのはリス、或いは猫のような白い小動物――フォウ。次いでフォウが顔面から肩に移動して、マシュが挨拶と共に笑みを投げた。
「こんにちは、先輩。間も無く集合予定時刻ですよ」
「分かってる。行こう。……マシュ」
「……? なんでしょうか」
ただマシュの名を呼んだだけではない、呼び止めるような響きを伴った声に、彼女は首を傾げる。だがその直後、マシュは眼前に立つ敬愛する
変質ではない。外見だけで論ずるならば確かに今の立香はマシュと出会った頃と比べると魔術回路の酷使の影響で髪には白髪が混じるようになり、肌は少々褐色を帯びて虹彩の色素も薄くなっている。しかし、それで彼が『藤丸立香』たる本質が変わった訳ではなく、それ故に彼女が気付いたのは内面的な事だ。
非人間的になったのではない。もしもそうなのであれば、マシュは半ば本能的、直感的にそうだと知れた筈だ。けれど確かに、立香は出会った頃のままの彼ではない。その翡翠の瞳が放つ眼光に宿るのは、覚悟の色。少なくともローマにいる時の彼には見られなかった気配がそこにはあった。少なくともそれは、ただ英霊達に守られてばかりで命の遣り取りをする決意もない少年の姿では、ない。
「必ず……生きて帰ろう」
「……はい! 先輩は、私が守ります!」
「うん。頼りにしてるよ、マシュ」
藤丸立香は弱い。強力な魔眼はあれどその能力は極端に扱いが難しく、かつ長時間に渡って使用すれば彼自身を傷つけるまさに諸刃の剣と言うべきものだ。他には不死に近い再生能力もあるが、それも
或いは心無い者がそれを見れば、立香の事を嘲笑するのかも知れない。英霊や自分より年下の少女の後ろに隠れて正義面をしているだけの粋がりだと。それを不服だと、立香は思わない。何故なら、言い方はともかくとしてそれは紛れもない事実であるから。
だが、それを恥じるつもりも、立香にはない。いや、彼としては粋がっているつもりは少しもないのだが、客観的に見てそう捉えられなくもない事は分かっている。それでも、体面などどうでも良い。そんな物で、生存は勝ち取れない。
立香は戦士ではなく司令官だ。その役目は敵手と直接戦うのではなく、彼らがより確実に勝てるように盤面を作り上げる事。尤も、彼はまだそんな大層な策が立てられる程、指揮者として大成してはいない。
だからこそ、賭け金はより多く。そう――己の全存在すら盤上に乗せて、彼は生存を勝ち取るのだ。
神速にて放たれた黄金の剣閃が呵責なく、かつ過たずに真っ向からシャドウ・サーヴァントの霊核を貫く。尋常なサーヴァントならばその状態からでも超常的な意志力により暫くの間動き続けたのだろうが、所詮は霊基の残滓、その再現体である。一撃を受けた直後に脱力し、全身から黒い霊子を吹き出し始める。
だが剣士はそれだけでは終わらせず、剣を心臓から引き抜くや否や刃を返して頽れるシャドウ・サーヴァントの首へ向けて一閃。何の抵抗もなく首と胴が泣き別れ、その瞬間に爆散するかの如くシャドウ・サーヴァントの身体が霧散した。
しかしそうして帯び散った血のような霊子を満身に浴びる遥の顔に達成感などは欠片もなく、ただ淡泊な真顔がそこにはあった。遥にとってカルデアのシミュレーターで再現されるシャドウ・サーヴァント、その最低レベルなど物の数ではなく、そんな敵を相手にしていたのはひとえに己の回復の確認と新たにレオナルドが作成した漆黒の鎧――オルテナウス〝櫻華零式・改〟の慣熟訓練のためであった。
変異特異点γでの戦闘にて破壊された原型機に代わり建造された本装備は基本的な設計思想こそ原型機と変わらないものの、ビースト・ラーヴァとの戦闘中に得られたデータをもとにして神核との同調安定化などの様々な改良が加えられている。それにより遥は全開で戦う事はできずとも、オルテナウスの基礎性能向上もあって以前よりも高出力で神核の力を揮う事ができるようになっている。
「ホント、レオナルドには頭が上がらねぇな……」
運転が停止し元の姿を取り戻していくシミュレーションルームの中で遥が言葉を漏らす。その声音は誰もいないにも関わらずまるでおどけているようで、しかし同時に強い自嘲の響きを含んでいた。
作成者であるレオナルドが言うには、
だがいくら趣味であるとはいえ、レオナルドに余計な手間を掛けさせているという事実に違いはない。それに元よりこのオルテナウスという装備そのものが、遥が神核を完全に制御できていれば不必要なものである。つまり、櫻華零式は遥の未熟さの証でもあるのだ。
生まれながらにして持ち得ながら借り物でしかなく、しかし戦いの最中に己の原型である神を受け入れ自身の物とした力。だが彼は未だ、その力を十全に揮える程になっていない。何の補助もなしに全力を出せばどうなるかは、先日改めて実感したばかりだ。
自分が独りで戦っている訳ではないという事は、遥もとうに理解している。彼は仲間と共に戦っていて、だからこそ己の力不足が許せないのだ。彼は仲間に支えられて戦えているのに、彼はその仲間を支えられていない。サーヴァントが過去の英雄、既に戦士として完成されている人理の影法師であることは知っているけれど、それでも、ただ支えられているだけの自分というものが、彼には情けなくて仕方がないのだ。
「まぁ、考えても仕方がない事か……研鑽あるのみ、だ」
そう言葉を漏らして思考を切り上げる遥。結局、彼の悩みは考えていた所で何が解決する訳ではないのだ。いや、正しく力の使い方を捉え、かつその責任を認識し十全に背負うためには思考を止めてはならないのは間違いないが、まず使いこなすには彼自身がより強くならなければならないのだから、考えているだけでは全くの徒労というものだ。
右手に握る叢雲を納刀せずに掲げ、刀身が放つ光が遥を照らす。彼が秘める力について言うのならば、この神剣もそうだ。ビースト・ラーヴァとの戦闘において彼は神剣の第二拘束まで解除できるようになったが、第三拘束を解放し神剣の真体を解放するには至っていない。そもそもその解放条件すら、担い手である遥自身でも分かっていないのである。神造兵装としての成立時期から考えてこの神剣の真体が日本刀ではなく
前途多難と言うべきか。人理焼却についてもそうだが、自分自身について解決すべき問題が、彼の前にはある。いくら仲間がいるとはいえ、彼らに甘えたままで生き残れるほど人理修復は甘くはあるまい。それに、新たな決意もある。
溜息をひとつ。叢雲を鞘へと戻し、操作パネルを呼び出してシミュレーターの電源を落とす。そうして現在時刻を確認すると、そろそろ集合予定時刻という頃合であった。備品の確認などは事前に済ませているため急ぐ必要性はなかろうが、少し早すぎるくらいに到着していても悪くはなかろう。そう考えてシミュレーションルームを後にする。
だが、そうしてレイシフトルームに向かう途中、角を曲がろうとした所で思わぬ光景を目撃し、半ば反射的に数歩後退って身を隠した。見つかると都合が悪いから隠れたのではない。ただ、邪魔をしたくなかっただけなのだ。けれど同時に様子を伺ってみたくもあり、完全な好奇心から僅かに顔を出す。前世代機であればバイザーがあったため不可能だっただろうが、新型はバイザーではなく特殊なAR機能を搭載しているため邪魔な物品はない。
果たして、その視線の先にいるのはエミヤ、そしてイリヤ、クロエ、美遊の魔法少女3人であった。それなりに距離があるため何を話しているかは遥でも聞き取れないが、表情を見るに少なくとも険悪な様子ではないのである。いや、エミヤの表情には何らかの含みがあるようにも見えるが、それもイリヤらに対する悪感情ではない。悪感情など、ある訳がない。
それから少し経って、3人はエミヤの許から離れていく。それを確認して角から出て行こうとする遥であったが、しかしエミヤが明らかに此方を見ている事に気づいてまるで投降するかのように両手を挙げた。
「覗き見とは趣味が悪いな、遥」
「
はぐらかすような声音での遥の答えに、首を傾げるエミヤ。その様子を見るに、どうやらエミヤは遥がクロエから相談――半ば無理に聞き出したうえにマトモな答えも提示できていないものをそう表現して良いかは疑問だが――を受けていた事については知り得ていないようである。
しかし、だから何だというのだろうか。結局の所、無関係ではないというのも殆ど詭弁だ。クロエから彼女とエミヤ、ひいては他の衛宮家の間に横たわっている問題について聞き及んでいたとしても、彼らのマスターなのだとしても、極論、他人と他人の間にある問題に遥が介在する余地はない。全ての干渉はお節介だとか余計なお世話だとか、そう詰られても仕方のない事だ。
それでも遥とて気になるものは気になるし、仲間である相手に対して全くの無関心不干渉である事はできない。一般的な魔術師であれば彼らをあくまでも使い魔として割り切ってしまえるのかも知れないが、少なくとも遥はそう在れない。
そうして両手を挙げたままでエミヤの許まで近づき、彼の方を軽く叩く遥。その瞬間、エミヤは遥の明らかな異常に気付いた。視点が近いのである。それだけならただ背が伸びただけとも言えるだろうが、少なくとも一週間程前、遥が変異特異点γに迷い込む前よりも間違いなく近い。とうに成長期を過ぎた年頃の人間がたかが数日で3~4㎝以上の顕著な身体的成長を示すなど、明確な異常と捉えても問題はあるまい。
原因として考えられる事項としては、やはり遥の血だろう。その血が齎す遥の
「聖杯を回収して、特異点を修正する。……やるべきことはいつもと変わらない。行こうぜ。俺は……俺達は皆の未来を守らなくちゃいけねぇ」
「あ、あぁ……」
エミヤは正当なサーヴァントではなく、アラヤとの契約により英霊としての格を得た抑止の守護者である。その出自を鑑みるならば、彼は遥の言葉に対して一も二もなく頷くべきだったのだろう。それなのに一瞬の動揺を見せたのは、遥の言葉は意外だったためだ。
エミヤとしてはあまり言葉にして言うつもりはないが、彼は遥に対して基本的に単独行動に走りがちだという印象を抱いている。故に、先の言葉の〝俺達〟という言い回し、更にはその言葉に嘘やおべっかの気配がない事が、彼にとっては意外であったのだ。
如何なる心境の変化であろうか。遥の様子からして、何か思い直したという訳ではなく、半ば無意識の変容であろう。であれば、原因として考えられるのはビースト・ラーヴァとの交戦であろうか。どうあっても単独では打倒できず、イリヤらとクシナダ――否、ミコトとの協力があって初めて斃すに至ったその経験が、遥の在り方に何らかの変質を齎したのだろう。その結果として、遥は己独りで戦うだけではない、誰かと手を取り合うという考えを自然と行えるようになったのだ。
その変化を、好ましいものだとエミヤは思う。たとえそれが原因で新たな自己嫌悪が生まれたり過程が健全ではなかったとしても、他者と手を取り合うという行為は人間が生きる上において最も基本的な事だ。以前はそれすらできずに独り走り続け、死に急ぐような真似を繰り返すしか遥には能がなかったことを考えれば、良い変化だというのは間違いない。
(だが――)
エミヤは知っている。遥にとっての〝他者と手を取り合う〟という行いは、彼の相棒たる藤丸立香が自然と行っているそれとはまるで意味合いが異なるという事を。或いはその差異は、両者の人生の間に横たわる埋め難い隔絶が齎すものであるのかも知れない。
藤丸立香は、指揮者である。彼には神秘や怪異と戦うだけの力がないため戦闘時こそ皆の後ろにいるが、精神的な在り様としてはむしろ皆の中心にいる。対して、遥は先導者だ。精神的にはまだ未熟であったとしても、皆を引っ張っていく姿勢に関しては立香よりも強い。
故に、危うい。誰かと手を取り合う事を覚えたのだとしても、遥が死地に飛び込みやすい事に違いはない。頭が悪い訳ではないのに、頭に血が昇りやすい性格とその過去の影響故に〝誰かを守るためならば〟と簡単に己の命を投げ出すような行動に出てしまうのだから。そういうように造られたから、と言われてしまばそれまでだが、それでもエミヤは遥から何処か自分に近いものを感じているのだ。そこに〝正義の味方〟という理想の有無はあるにせよ。
だが、いや、だからこそ見守らなければならない、とも思う。その命が道半ばで失われないように、というのもあるが、何よりも遥が己の道を走り抜けて振り返った時、その道が間違いだったと思う事のないように。酷い回り道を繰り返し迷い果て、その先にようやく答えを得るのは自分だけで良いと、己の主には嘗ての己のようになって欲しくないと、エミヤはそう思うのである。
ひとつ小さく息を吐く。そうして一拍置いてから、エミヤが口を開いた。
「あぁ、そうだな。
そう答えたエミヤの目前で、刹那の間だけ遥が虚を衝かれたかのように瞠目したのを、エミヤは見逃さなかった。そこに込められている感情は予想外、それどころか考えてすらいなかった、といった所だろうか。
だからとて何も、遥がこの戦いの中で死ぬつもりだという訳ではないのだろう。そもそもそのつもりであれば彼の心はとうに折れ、今までの戦いの何処かで死んでいた事だろう。
しかし遥には将来の展望がない。人理修復を終え、自身の未来を取り戻したとして、その未来をどう生きるかというヴィジョンが定まっていないのである。それ故に〝おまえの未来を守る〟と言われても、即座にその意味する所を理解できなかったのである。フン、を鼻を鳴らすエミヤ。
「……その、なんだ。君にはないのかね、自身の展望……夢というのは」
「それ、ちょっと前にク……ミコトにも訊かれたよ。だから、考えもした。……でも、駄目なんだ。夢、やりたい事……そう言われても、具体的なイメージが浮かばねぇ」
そう言い、自嘲的な笑みを浮かべる遥。だがそれは何も、彼の想像力が貧困だからだとか、己の将来について考えようともしない刹那主義者だからだとか、そういう事ではないのだろうと、エミヤは考える。
だが、たとえ夢を見るだけの素養があったとしても、夢を見れない環境にいたのならその素養は無意味なものとなろう。遥がいたのは、詰まる所そういう環境であった。幼くして両親を亡くし、成長した後も血腥い戦場に身を置き続けていたのだから、仕方ないと言えば仕方がない。それでも戦い続けられる、というのなら無理に持つ必要はないのかも知れない。
らしくない事を考えている、という自覚は彼にもある。だが己の未来や命についてあまりにも無頓着な遥の姿を見ていると、どうしても思ってしまうのだ。或いはそれは、正義の味方という夢があったエミヤだからこそなのかも知れないが。
渋面を作るエミヤ。その目前で遥はそれでも、と言葉を続ける。
「考えてるうち、こうも思ったんだ。……俺は今まで、俺が愛した人達に生きて欲しいっていう俺自身のエゴのために戦ってきた。なら……皆の夢を守るためにも戦えるかも知れない。所詮、それも俺のエゴに過ぎないしな。
……あぁ、確かに、俺には夢がない。でも、夢を守る事ならできる。そうやって、いつか未来が見えたなら、俺も夢を見られるんじゃないか……ってさ。都合が良すぎるかな?」
己の命を懸けてまで遥が戦う動機。それは彼が言う通り、愛した人々に生きて欲しいというものである。その事に嘘はない。そして遥の認識の上において、それは彼自身のエゴに他ならない。
ならば、そのエゴに後付けで戦う動機を増やしたとしても何も問題はないだろう、と遥は思う。それがどんなものであれ〝己のエゴのために戦っている〟というその一点は変わらないのだから。
人理修復は人類の未来を取り戻すための戦いである。そうして取り戻した未来で、人は何をするのだろうか。なりたい自分になるために頑張るか、就きたい職のために努力するか、或いは愛する人と結ばれるために邁進するか。それとも、日々を怠惰の内に沈めて何もせずに生きるのかも知れない。それの善し悪しは別にして、遥は否定しない。何故なら、そんな構想すら彼にはないのだから、否定できる筈もない。
無論、全人類の夢を守るつもりなど、遥には全くない。人理修復を為す事が結果的にそれに繋がるのだとしても、彼の知った事ではない。彼は彼自身の手が届く範囲にいる人々の未来を、命を、夢を守る。他でもない、エゴのために。
(以前から似ているとは思っていたが……)
改めて思う。同時に、まるで違う、とも。無論、その比較対象とは昔日のエミヤ――衛宮士郎である。
両者の共通点とは〝己の身を犠牲としてでも他者を守る〟という事。衛宮士郎はその致命的なまでに破綻した人間性と正義の味方という夢のために。遥は己自身のために。半ば自己犠牲的な在り方を善しとし、選択している。
そして相違点。これは〝人を守る〟という在り方そのものの違いだ。衛宮士郎は正義の味方であるが故にできたかは別として全ての人を守る事を命題にしているのに対し、遥は正義の味方など、全ての人の守護などまるで考えていない。
遥はただ、自分の手が届く範囲にあるものを守ろうとしているだけだ。たとえ今は以前のように独りで抱えるのではなく他者と手を取り合う事を覚えたのだとしても、それは変わらない。要は守りたいものを守り、それを脅かすものを斬る。そんなものが、正義の味方であるものか。
遥とエミヤはきっと似ていて、しかし決定的に異なる。それは術者自身の心象たる固有結界の詠唱が酷似していながら性質がまるで異なる事からも分かるだろう。だが、だからこそ見守り甲斐がある。己と似て非なる男がその道を走り続け、その果てにどんな
「あぁ、都合が良すぎるな。だが、悪くない。
うむ。ならば、私は全力で君を守ろう。無理無茶無謀に無策のまま平気で突っ込む我がマスターの事だ、見ていなければ、いつ死んでしまうか分かったものではないからな」
「言ってくれる。……改めて、よろしく頼むぜ、俺のサーヴァント。俺が答えを得るまで、傍で見ていてくれ」
言いながら、遥は拳を掲げる。一瞬それが何を意図しての行動か分からなかったエミヤであるが、急かすような遥の様子からその意味する所に気づいて、己の拳を打ち付けるのであった。
通路上で長々と会話をしていたせいだろうか、遥とエミヤが共にレイシフトルームに入室した時には、既に彼ら以外のメンバーが集合している状態であった。或いは遅刻か、と冷や汗を流した彼らであったが、時計を見てみれば予定時刻前。どうやらただ皆が予定時刻前に集合していただけであるらしかった。
とはいえ他のメンバーを少なからず待たせてしまった事に違いはない。軽く謝辞を述べてから所定の位置に着くと、全員の集合を認めたロマニが改めて攻略対象である特異点についての情報の確認を始める。尤も、その内容に以前のそれと大きな差異はない。スタッフらの尽力も虚しく、次の特異点である第三特異点についての情報は発見時に得られた以上に取得できなかったのである。
だが、それに態々文句を付けるような慮外者はこの場に存在しない。情報が多ければそれに越した事はないというのは確かだが、カルデアのスタッフらのようなプロフェッショナルが不可能だというのなら、それを受け入れるのみだ。何を言っても無理なものは無理なのである。
それから出撃前のブリーフィングが終了し、マスターふたり、そしてマシュがそれぞれのコフィンの前に立つ。レイシフトの間彼らの生命を守る、異界との懸け橋となる装置だ。スタッフらの操作でそのハッチが開き、遥がその内へと身を収める直前、立香が口を開いた。
「遥」
「どうした、立香」
「……今回もよろしく。一緒に戦おう。また……皆で笑い合えるように」
その言葉はまるで、宣誓のようですらあった。皮膚や毛髪と同じように回路の変質による影響を受けて色素の薄まった翡翠色の瞳に宿る光は強い覚悟のそれで、遥が思わず口の端に笑みを浮かべる。
見た目はともかく中身の問題として、立香を『藤丸立香』たらしめる本質は何も変わっていない。彼はあくまでもただの人間のままで、けれどこうして自ら戦おうとしている。生きたいがために戦うというのは聊か矛盾しているようにも思えるが、何もおかしな事はない。彼は善人だ。善人であるが故に自分が生きたいからと後方に引き籠っている事を善しとしない。
それでいい、と遥は思う。
だからこそ、遥は守らねばならないと感じる。立香が守護を必要としているか否かなど関係ない。ただ遥自身がこの男の命をここで終わらせたくないと感じている。遥が立香を守る理由など、それだけで十分だ。実際にはそれだけではないのだが。
「応。戦おう。俺達の未来を、守るためにもな」
――アンサモンプログラム、スタート。
霊子変換を開始します。
レイシフト開始まで、3、2、1……
全行程
グランドオーダー、実証を開始します。