あの白衣を着た青年が贈ったであろう刺客、まるで西洋騎士のようなものを連想させる恰好をした傭兵セルゲイを倒したフェル。だがその状態は芳しくなかった。
そもそも今のフェルの状態は少しばかり危ないのだ。部屋から脱出するためだったとはいえ、手を犠牲にして鋼鉄の扉を打ち破り、大量の出血をするはめにあった。失った血液がたった数十分ほどで回復するほどフェルの身体は人間離れしてはいない。
いくら化物じみた怪力があったところで、所詮は十にも満たない年端もいかない少女であるフェルにとってそれは痛手すぎた。さらに傭兵として玄人な戦士セルゲイとの戦い。これもまたフェルには重すぎた事。
半ば無理矢理に近い形で初めて全力で魔力を放出したフェルの身体は限界に近かったのだ。
「もうヘトヘトだよ~……」
意識を失って倒れたセルゲイと倒れるようにその場に座り込むフェルを“運ぶ”部屋。どうやらこの部屋は内部は少しただ広い部屋のように見えるがエレベータでもあるようで、セルゲイが倒れて少してから急に動き出したのだ。
ぜえはあと顔色を蒼くさせながら息をするフェルはこれの行き先が不安でしたかなかった。行きつく先はきっと
そこに待ち受けると予想させるあの
「戦いに夢中で忘れてたけど、あれに会うのだけは勘弁してほしいわ~……」
あれは怖い。まともではない。人間ではない。会えば途端に少女は恐怖で動けなくなるのだろう。例え全快の状態でも会うのだけははっきりといって拒否したいところであるが今のこの状況でそれは難しいのだろう。
例え宇宙がひっくり返ろうが青年の
「なんとかしないと……」
そうは言うがなにも案でないのもまた事実であった。
1
大きな音を鳴らしながら部屋の動きが止まった。この広い空間で上に上がっていくという奇妙な浮遊感がフェルの体調に拍車をかけていた。調子は悪くなっていく一方。だが嘆く暇も用意されていないという鬼畜仕様である。
部屋が昇っている間はずっと座っていたために消費された体力と気力は幾分かと回復はしたがそれも焼け石に水にすぎない状態。
セルゲイほどとまではいわないが敵が迫ればすぐに捕縛されてしまうのだろう。
「なにここ?」
部屋の扉を開けた先は誰もいなかった。待ち伏せしてるであろうと踏んでいた青年も、敵も、誰も、だ。そこに広がるのは人間の子供程度なら収まっていしまいそうな培容器(カプセル)と、電源が切られて画面が真っ暗なパソコンと思わしきものが数代。
床に散らばるはなにか重要そうな書類だがフェルがそれを手にとって見てみようがあいにくこの世界の字が読めずになにが書いてあるのかがわかることができない。
「誰も……いないの?」
今だ電気がついてることから少し前までは人がいたのだろう。投げ出されたように置かれてる回転する椅子や床に散らばる書類を踏み荒らした後からもそれが窺える。だとしたらここにいた人たちはどこに消えたのか。
答えはでることがない。ただ言えるのはこの部屋にいたところでわかることもわからないということだけである。だから意を決してフェルは今だ異様な空気を孕んだこの部屋から出ることにした。ただ単になんとなくこの部屋からでていきたいという理由もあったのだが。
「誰も……いない」
一通り中を探索はしたがどこも似たような状況のまま放置されていた。フェルが最初に出た部屋のような場所が何か所かあり、そこも書類が散乱して、パソコンの電源は落とされている。
明らかにおかしかった。どうして誰もいないのだろうか。こうまで誰もいないと逆に不安になってしまうものだ。自分を捕えると豪語までしていたあの青年すらいないというのもおかしなことだ。
ここはいないとわかってほっと安心するところではあるのだが、こう不安な事態にまでなってくると逆に不気味なだけであり。
「いったいなんなのよ……」
逆に恐怖が募るものだ。
「まあいいや。さっさとここから出よっと」
「どこに行くのかな?」
それは不意打ちに近かった。最も危惧していたことだというのにフェルは油断していた。全体を調べたことにより決めつけてしまったのだ。
「ふふふ。本体で会うのは初めてだね?フェル・アフシル」
つい前に聞いたこの声。フェルの顔に嫌な汗がジワリジワリと流れ落ち、フェルは後ろに振りかえった。
「まさか彼(セルゲイ)を倒すなんて思いもしなかったよ。だけどそれこそ僕も君を調べがいがあるってものだ。喜ぶといいよ?僕の君への興味は一段と上がったのだから!」
相も変わらずニコニコと気味の悪い笑顔で話す青年にフェルは舌うちしたい気分である。フェルにとって青年に興味を持たれたところでただたんに最悪としか言いようのない出来事。
「なんであんただけがここにいるのよ……」
本当に最悪としか言いようがなかった。誰もいないこの通路の真ん中で青年(へんたい)に出会ってしまった自身の不幸を呪ってしまいたいほどに。
「いやいや、まさかだったんだよー」
そう話す青年はなにか楽しげだった。
「まさか誰もが君が彼を倒すなんて思ってなかったんだろうね。この僕もすこし驚いてしまったからね。この研究所に置いてあった手札は彼のみ。彼が倒れたとなるとこんな野蛮で危険な場所でおちおちよ研究すらできないから、ここは破棄されることが決まったんだよ」
至極簡単なことだったのだろう。しかしこう立派とは言わないが重要そうに見える研究所に用心棒が一人だけと言うのもなにか変な感じはするが、セルゲイがそれほど優秀であったという証拠でもあるのだ。それを隙をついたとはいえフェルは打ち負かしたのだ。
「だから今回は君を回収できそうにないというのが僕にとっては非常に残念だ。本当ならね。本当なら今すぐにでも君の両手両足を縛って連れていきたいところだけど僕はセルゲイを回収しないといけないからね」
ほっとする。青年のその言葉にフェルは安心したが同時に本当にその目的だけでこの青年がこの場にいるのかが信じられなかった。
「本当だよ?僕の内方魔力量は少ないからね~。そう一日に何度も次元転送魔法は使えないんだよね~」
残念だというふうに青年は言う。次元転送魔法とやらがフェルにはなにかわからなかったが青年がみせる表情からは“今”ここでフェルを連れていくことができないことが事実なのはわかったのだ。
だがそれは
「まあでもさ……」
青年の手が少女フェルへと伸びて行く。それにびくりと身体を震わしたフェルは即座にその魔の手から逃れようと飛びのいたが、それでもまるでついてくるような悪寒。後ろの首筋に誰かが触れたような感触に気付き、背後に振りかえれば
「え……?」
紫色の色の三角形型の魔法陣から出た一本の腕。
「だからと言って僕が君をすんなりとここで逃がすわけがあると思うかな?」
フェルはその奇妙な光景に呆気にとられた。少女の目の前にあるのは一本の腕だ。その先にはなにもない、しいて言えば紫色の魔法陣があるだけでそれ以外にはなにもない。例えこの世界に魔法というものが存在していて、つい先ほどその力を盛大に振るって戦った騎士のような傭兵はいたが、それでもこれはまだ少女にはきついことだ。
それは“理解できない”。まるでロボットがよくあるようにロケットパンチを怪獣に撃つように、そんな軽々と自身の腕をまるでそうであることがあたりまえかのように離されたら、そこに浮かぶのは未知への恐怖というものだ。
「うん?……ああ。これが不思議なのかい?なに、簡単なことだといいたいところなんだけど、これは少し企業秘密でね。多分……僕以外は使い手というか、これの術式構成を理解できる人はいないと思うのだけどね」
青年の独白は続く。フェルがなにも答えようが、答えなくても。
「まあ僕の話はいいから、まあ先に言った通りに僕は今君を連れていくことはできないんだよ。ほんとに残念なことにだよ?だけどそれだと君は僕から逃げようとしてきっといろいろな手を尽くして隠れるだろうね。だから保険をかけるんだ。なに、ただ印を君に付けるだけだよ。君がどこにいようと、どの世界にいようと、僕から逃げられないようにするための印をね」
言われてからのフェルの行動は早かった。今にでも身体に振れそうな青年の腕から離れるために今、自身に残ったなけなしの魔力を使って床を蹴る。
「速いね。一瞬だけどセルゲイを翻弄せしめただけはあるね……でも」
遅いとでも青年は言いたかったのだろうか。残像を掴んだ腕を即座に元に戻し、青年はフェルを追う。確かにフェルを掴むことはできかったが、それでも青年はフェルを見失ったわけでもなかった。
「そこだね」
虚空を掴むように腕を伸ばした。伸ばした腕は紫色の三角形に包まれて消えた。ばたりと誰かが倒れる音がが聞こえ、同時に青年は自身の腕が何かを掴んだ感触を得ており、彼はそのまま腕を引く。
ズルズルとなにか引きずるような音とともに青年の腕は徐々に元通りになっていく、手首が見えたあたりで合わせて小柄な足首が虚空から現れた。そこからさらにズルズルとでてくるのは少女の身体。青年の手に足首を掴まれ宙づりとなったフェルがそこにいた。
2
「あっさりと捕まったわたしが言うのもあれだけど、いたいけな少女を宙づりにするってなはあれじゃない?そこは男としてどうなのかな
はらりと重力に引かれて落ちそうになる布切れを押さえながら少女は青年を見上げて言う。
「僕は子供を愛でる趣味なんてないんだけどね。実験体を愛でる趣味はあるけど」
にやりとフェルを見る青年につまりそれは結構やばいのではないかと少女は思った。この青年は実験体であればなんでもいいのだ。幼児だろうが、少年であろうが少女であろうが、大人であろうが……あげていったらキリがなくなるのだろう。結論的にいえば青年は
「印を付けるわけだけど、なに。痛くないよ?」
「そこはかとなく疑問形なのが怪しいんですが?まあと言っても今のわたしに拒否権はないのでしょう?」
「そうだねー……あったとしても言葉だけのそれでどうやって僕を止めれると思う?そもそも君がここに来た時から、そんなのものはないに等しいわけなんだけどさ」
ぶらりぶらりと釣りあげられて揺れる身体を止めてフェルは自分の足を掴む青年の右腕を見る。真っ白なゴム手袋を付けたそれは実に滑りが悪そうで、握力がなくなる以外で青年が手を離すことがないように思える。
掴まれている足と逆の足を使ってどうにかできないものかと考えたが、残った足でできることといえば、隙を見て青年の身体を蹴るぐらいしかできないのだろう。手は論外と言える。離せば見えてしまう。元が男だったとしてもフェルは今は女だ。女性だ。少女だ。いくら子供のものといえど、異性に
「さて、では事を行うとしようかな」
青年の左手から紫色の光が燈る。魔法陣こそ展開されていないが、それの意図はフェルもわかった。彼はただ魔力をフェルに埋め込むだけ。それだけ。だがそれだけでフェルはこの青年から逃げれなくなる。魔力は発信機。この世に幾重と生まれてくる人間にただ一人たりと、同じ性質を持った魔力を持つ者はいない。|魔力さえフェルに埋め込んでおけば青年がどこへいこうが、フェルがどこへ逃げようが何年経とうが、青年がフェルを見失うことはない。
ぐいっとフェルの身体がさらに上へと持ち上げられた。逆様になったフェルの目線と青年の目線が対となって重なり、毒を纏ったような紫色の毒々しい青年の左手がフェルの胸元へと打ち込まれた。
「っあぐぅ!?」
「ああ、ごめんよ。痛かったかい?でもこれで安心だ。種は埋め込まれた。君はもう僕からは逃げれないんだ、永遠に。そうだね……逃げ伸びる手段を一つ上げるとすれば、それは僕を……ふふふ。まあそんなことは賢い君には言わなくてもわかるのだろうね」
青年は掴んでいた足を離し痛みに苦しむフェルを一瞥すると、楽しそうに笑った。嗤った。哂った。楽しそうに、愉しそうに。そこに他人を心配するなど敬うなどといった感情はない。ただ、彼は自分がよければいい。自分だけがよければいい。
焼けるように痛む身体に悶えながら青年を見てたフェルはそう思った。胸元が熱かった。入りこんできた異物に身体がなんとか排除しようと動くが、どうにもできそうになかった。
「そうだ、教えとくね。僕の名前はベルフェゴーレ。科学者ベルフェゴーレ」
「ベル、フェ……ゴーレ」
痛みに悶えながら息絶え絶えに言うフェルに満足がいったのかベルフェゴーレは少女に笑みを浮かべて続けた。
「そう。天才科学者ベルフェゴーレさ。いや、本当に残念だ。君を次の機会に回さないといけないことが、でも。その時は君を捕まえてホルマリン漬けにしてばらして、解剖して、薬物を投入して、色々してあげるのだから楽しみに待っていてよ。なに、君はもう僕からは逃げれない。逃げられない。それが
倒れるフェルを尻目にベルフェゴーレは鍔を返して歩きだす。痛みに意識毛頭としてきていた彼女はベルフェゴーレが完全に見えなくなる前に事切れた。
◇
「起きた?」
眼を覚ませばそこに少し前に見た顔ぶれがあった。短く切りそろえられた黒髪の少女がリリがフェルの真上から覗くように見ていた。
「ここは……?」
身体を起き上がらせ、かかっていた白地の掛け布団がパサリと落ちてく。周りを見渡せばそこにはリリだけではなく地下にいた子供たちが集まっており、起きたフェルに気付いて皆がフェルに注目した。
「……あれ?なんでわたしこんなとこに……」
意識が途絶えたのは廊下のど真ん中。去っていく科学者ベルフェゴーレを見ながらフェルは気を失ったはずなのだが、今この場は廊下ではなく見たところ仮眠室なようなところ。置かれた数個のベットの内の一つにフェルはいた。
「なんでってそれは倒れているあんたを見て、わたし達が運んだのよ」
すぐ隣のベットに腰掛けながらリリは言う。
「あの部屋から地上まで上がって来たらそこには誰もいないし、とにかくなにかないか探していたら通路のど真ん中にあんたが倒れてるは、見つけた時には驚いたわよ……」
呆れたように言う彼女に少し苦笑しながらフェルは一言ありがとうとお礼を言いたいとこだが、その前に確認したいことがフェルにはあった。
「それで……誰かいた?」
「全然。人っ子一人も見当たらなかったわ。あんた以外」
どうやらリリがフェルを見つけたころにはベルフェゴーレはセルゲイを連れて立ち去っていたのだろう。地上へ上がる道があのエレベータだけならば、確実にセルゲイには会っていたはずだったのだから。あれば別の話になるのだが、そこはもういいだろう。あれこれ言う前にフェルはリリにただ一言言わなければ。
「ありがとう」
「別に。それにわたしだけじゃないわよあんたを運んだのわ」
「そうだね。その子たちにもお礼いわないと」
その後は……