継承の鋼   作:アザロフ

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「第一章 臼杵(うすき)鎮守府」

 死んでいるな。

 目の前の流れ行く景色を眺めつつ、木曾は単純ながらにもそう思った。

 隻眼に映るのはかつて人が住んでいた場所。そして今は誰一人とて住んでいない町。

 幾つもの瓦礫の山が形成され、撤去する余裕もないのか放置されている。

 街路樹として機能していたであろう枯れ木は、半分から先が折れ、地面に横たわっていた。

 人の気配など、隣でジープを運転している提督くらいなもの。

 いや、それどころか犬猫といったものさえ見かけない。

 精々雀が数羽飛んでいったのが、目に見える生命であった。

 

「っとすまん。木曾、大丈夫か」

 

 道路の凹みにタイヤが落ちたのだろう。一つ大きく上下に揺さぶられた。

 窓枠に頬杖をついていたが、誘導性艤装装甲(インダクティブアーマー)が発動したのか、痛みは特にない。

 

「いや、大丈夫だ、問題ない。それにこの道じゃしょうがない」

 

「まぁそれもそうか」

 

 現在走っている道は、片側一車線の道路だった通り。

 だが現在はその影は殆ど無い。

 アスファルトはヒビ割れ砕け、そう遠くない間隔で爆発物でも使ったかのような後が無数に存在した。

 更には手入れするものがいないために雑草が無遠慮に伸びており、時折タイヤが踏み潰す音が聞こえてくる。

 

「よくもまぁここまで放置できたもんだな」

 

 頬杖を止めて、提督へと頭ごと向けた。

 

「そういうな。瓦礫が転がってないだけマシだ」

 

 白い帽子と軍服を纏いながら苦笑いを浮かべる男は、艦娘を纏める提督、名を池上剣造(いけがみけんぞう)という。

 木曾は彼のもとに来て日が浅いため詳しくは知らないが、なんでも艦娘が来る前から深海棲艦を相手に戦っていたそうだ。

 正直正気の沙汰とは思えなかったが、この町の状況を見れば、それも致し方のないことなのだと言うことが手に取るようにわかった。

 世界情勢にしてもそうだ。

 最初に提督に説明されたときは、話を盛っているのだと思っていたが、どうやら考えを改めなければならないらしい。

 つまり世界中の沿岸部にある町が、全てこのような惨状になっていると。

 六〇億はいた人類の三〇%が滅ぼされ、内陸地への移住を余儀なくされたのだと。

 ただ木曾としては驚きも一つあった。

 自分が元軍艦だっただけに、艦砲射撃の威力というのは嫌というほど知っている。

 艦娘だろうと深海棲艦だろうと、かつてこの世に存在した兵器の性能をそのままに、人間サイズでも扱えるように縮小、変化されたものを保有している。

 しかも装甲は艦の時よりも頑丈になっている始末。

 人間の歩兵装備ではもはや満足に傷付けることさえできないはずなのに、人はちゃんとまだ生きている。

 ジープは現在トレーラーを牽引しているが、その中身は内地で生きている者たちが作った物で埋まっている。

 売買している時も笑顔で対応してくれたのは、記憶に新しい。

 

「この町にも人が戻ってこれるといいな」

 

 だからこそ言葉を飾らず、本音を漏らした。

 提督も「そうだな」と小さく頷き、緩やかに車を止めた。

 

「着いたぞ。荷物を降ろしたら今日の仕事は終わりだ」

 

 一人先に降りてトレーラーへと向かう提督に遅れぬよう、木曾もシートベルトを外して地に足を降ろす。

 先程までの荒廃した町と違って、程よい長さに刈られた青い芝生が靴底を迎えた。

 小気味よい音が足の下から聞こえてくるのを確認するように、片足だけもう一度踏んでみる。

 頷きながら、自分がよく知る世界に小さな安堵覚えた。

 ここは木曾達が拠点としている場所。

 日本海軍所属、臼杵鎮守府の敷地内であった。

 町中とは一転し、見える範囲で荒れた大地や瓦礫の山などは存在しない。

 木曾はこの鎮守府でほんの数日前に創られたために、今日まで外を知らなかった。

 この箱庭の中が一番整えられていることに。

 

「さ、て。まずは樽から降ろすか」

 

 後ろに回ると、提督がトレーラーの扉を開き、鉄製の樽に手を伸ばしたところで、何かが飛来してきた。

 気配に気づいた木曾は即座に提督をかばう形で前に立つのと同時に、影が五メートル手前に着弾。否、着地した。

 

――敵襲! 深海棲艦が直接乗り込んでいたのか!?

 

 武装解除していた木曾は即座に艦装(かんそう)する。

 今までセーラー服とトレードマークの眼帯だけだった外見に、鋼鉄の塊が追加された。

 かつて木曾という艦だったときに存在した煙突が背後に出現し、船体から伸びるアームには砲が付いており、着地したものに照準を合わせる。

 

「オレたちの本拠地に強襲する度胸は褒めてや、る?」

 

 まだ実戦経験のない木曾ではあるが、かつて軍艦だった頃の登場者の名残があったのか、躊躇いもなく砲を放つ。はずだったが、止めた。

 

「待て待て。そいつは仲間だ。同じ艦娘だよ」

 

 提督にも肩を掴まれ、呼び止められる。

 よく見れば確かに艦娘である。

 この鎮守府に来て間もない木曾でも全員と既に顔は合わせているため、見覚えもあった。

 伊勢型戦艦一番艦、航空戦艦伊勢である。

 

「おい剣造、買ってきたか!」

 

 立ち上がった伊勢はポニーテールを揺らしながら自分には目もくれず、提督へとズンズン歩いて行く。

 

「慌てるな、こいつだろ」

 

 フィルムと紙は外してあると言いながら投げたものを横目で追うと、それは間違いなく煙草の箱であった。

 伊勢は左手に刀を持っていることから右手で受け取り、片手で器用に一本だけ煙草を出して咥える。

 ポケットにライターを忍ばせていたのか、煙草の箱を仕舞うのと入れ替わる形で金色のジッポライターを取り出し、火をつけた。

 ジッポもなおすと、最初の一口は味を楽しみたいのか、ゆっくり大きく吸い込み、緩やかに息とともに紫煙を吐き出した。

 

「あー美味い! やっぱこれがないと生きていけないわ」

 

 あまりの淀みない一連の流れに、木曾は何も言えずただぼーっと見てしまっていた。

 

「んじゃアタシは昼寝に戻るから頑張って~」

 

 用が済んだのか、木曾には一瞥もくれず、上機嫌にその場を去ろうとする。

 

「おいおい、お前の言うとおり三十カートンも買ってきたのに手伝う気はないのか」

 

「冗談。そんなのアタシの仕事じゃないだろ」

 

 提督の言い分に顔だけ振り向いて伊勢は、さよならだと言いたげに手を振りながら歩みを続けた。しかし、

 

「そうですか。では暫くビールはお預けですね」

 

「なんですと?」

 

 聞き捨てならなかったのか、歩く姿勢のまま静止する。

 そこへ新たに現れた人物は言葉を続けた。

 

「豚キムチも、お刺身も、当然お出しできません」

 

「いやいやいや間宮さん、それはないでしょ?」

 

 伊勢が勢い良く振り返る。木曾や提督の更に後ろへ目を向けながら。

 背後から現れたのは給糧艦間宮。

 この鎮守府の台所を預かる艦娘である。

 

「私が冗談を口にしたことって、ありました?」

 

「でもアタシは……」

 

「私との約束、しましたよね?」

 

「あ、それ、は……はい」

 

 何かしら約束事をしていたのか先程までの上機嫌とは打って変わって、意気消沈するかのように項垂れる。

 正直言って木曾は全くついていけていなかった。

 伊勢とはこれまでまともに会話をしたことがないため、どう対応したら良いのかわからないのもそうだが、自由奔放な感じにやや気後れしてしまっているのが本音だった。

 そんな木曾の内心を知らずに会話は続く。

 

「いつも樽を置いているところに今段ボールがあるので、まずはそちらから片付けてもららいますね」

 

 間宮は言い終えると、居酒屋風に改装している食堂、『マミヤ』へと戻っていった。

 姿が見えなくなるのを見計らってか、甘えるように項垂れたまま提督を見上げる。

 

「なぁ剣造ぉ」

 

「約束事なんだろ? だったら守らないとな」

 

「この薄情者が~」

 

 恨めしそうに提督をジト目で睨み、そこで初めて木曾と目があった。

 その瞬間、まるで周囲に星でも出ているかのような満面の笑みを浮かべ、にじり寄ってくる。

 

「なぁお前さん新入りだったよな? 先輩艦がこう今困っているんだがどうだ。変わってやろうという気持ちが湧き出ないか?」

 

 唐突に話題を振られ、咥え煙草のまま顔を寄せられたことから、思わず頷きそうになる。

 こうも無邪気に言われると根負けしそうになるが、目をそらしながら懸命に堪える。

 するとそれが功を奏したのか、間宮が戻ってきていた。

 

「伊勢さん?」

 

 太陽の角度からか頭から目元にかけて影が降りており、割烹着の白さも相まって笑顔ながらその表情は、向けられていない木曾でも思わず寒気が走るほどだった。

 それは伊勢も例外ではなかったのか、顔が少しばかり引きつっており、あれほど楽しんでいた煙草が口元からこぼれ落ちる。

 

「今……行きます」

 

「はい、お待ちしてます。あ。煙草はちゃんと灰皿に捨ててくださいね」

 

 にこやかに再度奥へと消えた間宮へ向けて、伊勢は一度大きくため息を吐き、片手で頭を掻きむしる。

言われた通り煙草を拾い、提督の差し出したポケット灰皿へと捨てた。

 

「頑張ってこい」

 

「はいはい」

 

 煙草を手に入れたばかりの時に比べ力なく手を振るいながらマミヤへと吸い込まれるように入っていった。

 伊勢がいなくなり、気持ちに余裕ができたのか、今まで閉じていた口が自然と開く。

 

「なぁ提督」

 

「なんだ?」

 

「この間うちには戦艦は伊勢のみって言っていたよな?」

 

「あぁ言った。そしてあいつがそうだ」

 

「マジかよ……」

 

 戦艦は砲撃の威力もそうだが、自慢の装甲からくる耐久力も軽巡洋艦である木曾よりはるかに高い。故に戦場では重宝される。

 そして何より提督から聞いていたのは、

 

――本当にあれでこの鎮守府最強の艦娘なのかよ。

 

 他の追随を許さないほどの戦力を持つということだったが、あぁも情けない姿を見ると肩透かしを食らうというものだった。

 

「安心しろ。陸ではあんな感じだが、一度戦場に出れば変わる」

 

 本当かよとため息混じりに吐き出しそうになったが、喉元で押しとどめた。

 中の整理が終わったのか伊勢が戻ってきたからだ。

 

「ここに全部降ろしとくから後は頼んだぞ」

 

「まだいるとか嫌がらせ?」

 

「好きなように捉えろ」

 

 慣れているのか、提督がマミヤに必要な物をテキパキと降ろしていく。

 荷降ろしは自分の仕事でもあるため、提督を手伝いながらマミヤの前に並べていく。

 段積みになっていくのを目の前に、伊勢が乾いた笑いをしていたが無視を決め込み、全て出したところで提督と二人でジープに乗り込み、その場を後にした。

 

「後重たいものといえば土と肥料くらいなものか」

 

 トレーラーの中身を思い出しながら呟く。

 大半が食料品関係だったため、トレーラーの中はもう半分もない。

 残すは雑貨やら本やら日曜大工に使いそうなもの程度だった。

 

「にしても肥料って。家庭菜園でもやるつもりか?」

 

 買い出しに出かけた時も疑問に思ったが改めて口にした。

 

「アホ。花壇だ花壇。うちにあるだろ」

 

「あぁそういえばあったな。あれ提督がやってたのか。顔に似合わないな」

 

 つり目で真一文字の口。おまけに無愛想とくれば子供が泣きかねない顔だ。

 しかも戦場を経験していることから、醸し出す雰囲気は常人のそれではない。

 買い出し先の人間は慣れているからかある程度仲良くやっていたが、初対面ならば間違いなく警戒されているだろう。

 そんな人間が花壇の手入れなど、木曾には想像もつかなかった。

 

「顔に似合わないのは百も承知だ」

 

 提督自身も似合わないと思っているようだ。が、しかしと言葉が続く。

 

「お前たちばかり戦場に行かせ、提督、司令官等と言われている俺はここにいるだけだ。何かお前たちにできないかと思ってな」

 

 走らせていた車が車庫に付くも、提督は降りる気配を見せないため、木曾も座ったまま耳を傾ける。

 先程伊勢が吸っていた煙草と同じ銘柄、PEACE(ピース)を咥えて火をつける。

 煙草の先が燃えていく音を聞き、紫煙を吐き出したところで続いた。

 

「おかげでわりと好評だよ。電、綾波、神通と。礼まで言われちまった。礼を言うのはこっちだってのにな」

 

 提督は自嘲気味に苦笑いを浮かべてからもう一度煙草を吸う。

 

「ふ~……伊勢も何だかんだ言っては来るが気に入っているのはわかる。あいつは素直じゃないところがあるからな」

 

 木曾を除いたこの鎮守府が保有している艦娘の名を連ねながら、再度煙を吸い、降りようとする。

 これは提督の本音なのだろう。

 だからこそ冗談など混ぜずに問いかけた。

 

「なんでオレにそのことを」

 

「さぁな。誰にも言ったことはなかったから誰かに知ってほしかったからか。新造艦であるお前には言いやすかったからか。理由は好きにしろ。所詮後付だ」

 

 言ってしまった事実は変わりないと断じ、トレーラーへと向かった。

 その後姿を追いかけるように木曾も車を降り、本音を語った。宣言するように。

 

「だったらオレだけは覚えておいてやるよ。提督の努力をさ」

 

 胸を張った言い放った言葉に、提督はというと、

 

「そういうことはせめて明日の初陣を生き残ってから言え」

 

 胸を打たれるどころか、少しばかり呆れた表情をしながら木曾の頭を叩いた。

 本気で言ったのだが伝わったようには思えず、今のは照れ隠しなのだと思うようにし、今日の業務を遂行した。

 提督の言った通り明日が木曾の初陣であり、今行っている雑務などではなく、実戦であり本番。

 できるだけ良い戦果を報告できるようにするのだと胸のうちに秘め、本日の仕事を終えるのだった。

 

 

  ==========

 

 

 明くる日、木曾たちは皆防波堤の前で待機をしていた。

 とはいっても、鎮守府と言うものは全て海に隣接するように創られているため、わざわざ車等で移動する必要などない。

 この臼杵鎮守府も例外ではなく、玄関口から海まで約三〇メートルしか離れていないことから、敷地内では必ず潮を香りがしている。

 今は目の前にあるため、一際強い匂いが鼻の中を駆け巡っている。

 風も髪を軽く撫でていく程度で、温かい機構も相まって大変気持ちのいい日ではあった。

 あったのだが……

 

――出撃前に昼寝ってどうなんだよ。

 

 花壇の近くで提督が腰をおろして何かの資料を見つめている。それは問題ない。提督ならば木曾の知らない業務の三つ四つあったところでおかしくないからだ。

 現在目を通している資料も何かの作戦に必要な可能性もあるため、特に言うことはない。

 問題なのはその隣のベンチで横になって眠りこけている存在だ。

 航空戦艦伊勢である。

 真上を少し過ぎた太陽光など物ともせず、のんきに熟睡を決め込んでいた。

 何故提督は注意しないのか激しく疑問に思う光景である。

 それこそ今神通が零式水上偵察機で索敵を行っているが、航空戦艦である伊勢ならば瑞雲といった更に偵察が優れている艦載機を飛ばせるはずなのだが、どうも本人にやる気もなければ、提督もやらせる気がないようだ。

 一言文句でも言ってやろうかと、ベンチへ足を向かわせようとしたところで声がかかった。

 

「木曾ちゃん大丈夫ですか?」

 

「何がだ?」

 

 視線を声の方へと動かすと、そこには暁型四番艦、駆逐艦電がこちらを上目遣いで見ていた。

 

「今日初陣なのに今険しい顔したてから……」

 

 服装は木曾と同じ名称のセーラー服ではあるが、木曾の海兵隊が着るタイプとは違い、女学生が着用するものである。

 本人の控えめな性格と低身長も相まって、これから遠足でも行くのではと錯覚してしまう。しまうのだが、これでも池上剣造を提督にさせた存在。つまりこの鎮守府における最初の艦娘である。

 

「あーいや、それは初陣とは関係ないから気にするな、電さん」

 

 艦娘は自分よりも先に建造された者へは一部の例外を除き、名前を呼ぶ際は敬称である《さん》付けで呼ぶようになっている。

 当然新造艦である木曾は一番下であるため、眼の前にいる存在が幼く見えても必ず敬称だけはつけていた。

 

「そうなんですか? でも眉間の皺凄いですよ。何かありましたら綾波にも相談してくださいね」

 

 自分では気付かなかったが、余程苛ついた表情をしていたのか、近くにいた綾波と神通も顔を覗き込んできた。

 

「確かに……目付きが鋭いですね……」

 

 おずおずとながらも神通にまで言われ、さすがにこのままいるわけにもいかず、一度気持ちを切り替えるためため息混じりの息を吐き出す。

 伊勢の自由気ままな行動に気が行き過ぎていたが、この鎮守府には気の小さい者の方が多いことを思い出し、気持ちを切り替える。

 

「綾波さんに神通さんもすまないな。ちょっとばかしピリピリしていた」

 

「でも初陣のことじゃないんですよね?」

 

 苛立ちの原因が気になるのか、綾波がサイドテールを揺らしながら問いてくる。

 出陣前に個人的不満をあげて、士気を下げるのはどうかと思い言葉を濁そうとする。

 だが、そこでふと気になった。他の者たちは伊勢の行動に対してどう思っているのかを。

 提督が何も言っていないことを含め、今後のためにも聞いておくことにした。

 

「なぁ一つ良いか」

 

 一つ間を置き、未だ眠りこけている伊勢の方へちらりと目線をやってから、元秘書艦であった電に目を向ける。

 

「伊勢さんのことなんだがアンタたちはあれ、気にならないのか」

 

「お昼寝のことです?」

 

「そうだ、どう考えてもおかしいだろ。今水上機による偵察中。つまり作戦行動中だ。あんな風にだらけていていい状況じゃない」

 

 一度本音が漏れると後は堰を切ったかのように溢れてくる。

 

「そもそも嗜好品などオレたち艦娘には必要ないし、睡眠だって必要最低限さえ取っておけば戦闘に問題はない。なのに何なんだあれは」

 

 しまいには語気が強まり、指をさしてまで口にしていた。

 だからだろう、神通がオロオロしながらも宥めてくる。

 

「お、おぉ、落ち着いてください」

 

「オレは別にっ――――」

 

 そこまで口にして噤む。確かに荒っぽい態度になっていたと自覚できたからだ。

 目をつむりながら再度意識して呼吸を吐き出し、電を隻眼に映す。

 

「……電さんなら知っているんじゃないのか?」

 

「はい。あれも伊勢さんに必要な行為なので司令官さんも何も言わないんです」

 

 書類を見つめている提督へと顔を向けてから、穏やかな顔でこちらを見る。

 

「多分、今私達が何かを言っても信じてもらえないかもなので、今日の海戦が終わるまでその答えを言うのは待ってもらっても、いいですか?」

 

「綾波もそれが良いと思います。伊勢さんは特別ですから」

 

「そう、ですね。確かにあれは私達ではできませんし」

 

「なんだよそれは……」

 

 口々に抽象的な物言いをされるだけで、何一つ納得の行く答えは返ってこなかった。

 ただ苦笑を浮かべているさまは憧れと、諦めのようなものが混ざっているようにも見え、取り敢えずは保留という形でしめることにした。

 

「はぁ~、わかったよ。初陣が終わった後ならちゃんと説明、してくれるんだな」

 

「なのです」

 

 落とし所として妥協しただけなのだが、電の笑顔を見ると全て許せてしまいそうになり、顔を海へと反らしながら頭をかくと、小さな影が視界内に飛び込んできた。

 

「帰ってきたようですね」

 

 神通が手を差し出し、偵察機を迎え入れる準備をしていると、今まで書類に目を落としていた提督が立ち上がっ た。

 

「状況は」

 

 質実剛健とでもいえる物言いに、神通は水上機を収納し、得た情報を語る。

 

「ここから南南東一八〇〇〇メートル先に深海棲艦を確認。数は駆逐艦四、軽巡一、重巡一、戦艦二。報告にあった艦隊だと思われます」

 

「よし、全艦出撃準備」

 

「「「「了解!」」」」

 

 伊勢以外の者は即座に艤装を出現、艦装をすませる。

 さすがの提督も敵の存在がわかってからは放置するつもりはないようで、未だ居眠りを続けている伊勢の鼻をつまんでみせた。

 暫くは耐えただろうか。

 しかしそれとていつまでも続かず、背中にバネが付いていたかのように跳ね起きた。

 

「なにするんだ剣造! せっかく人が気持ちよ~く昼寝してたってのに」

 

「アホ。出撃だ」

 

「え? あ、あぁもう見つかったんだ」

 

「お前……今日はオフじゃないって散々言ったろうが」

 

「はいはい行きます行きますぅ」

 

 子供が不貞腐れたかのようなやり取りをしながら日本刀を手に、やっと重い腰をベンチから上げた。

 出撃直前でありながら欠伸を隠そうともせず、大きく背伸びをしてみせる。

 それが木曾の気分を逆撫でし、初陣でありながら思わず電を煽ってしまった。

 

「電さん、敵艦の位置もわかったんだしもう行こうぜ」

 

「は、はい。では司令官さん、行って来ますね」

 

「あぁ、伊勢がいるとはいえ気は抜くんじゃないぞ」

 

「了解、なのです」

 

 電を先頭に防波堤の階段を降りていく。

 潮の満ち引きによって海に出やすくするためのものである。

 まず先に電が海上に足をつけ、続いて綾波、神通と続く。

 遅れて木曾も足を海面に降ろし、スケートのように体を前へとスライドさせる。

 

――陸も嫌いじゃないが、やっぱ海はいいな。

 

 この瞬間だけは伊勢のことが頭から抜け落ち、海原へと足を置けたことに心安らげた。ほんの僅かの間だけだが。

 木曾が海面を滑るのと同時に、伊勢が防波堤から飛び降り、着水してみせたのは良いが、木曾には思いっきり波飛沫がかかり思わず頬が引きつる。

 そんなことは知らないとばかりに暢気に煙草を取り出し、昨日と同じく片手で火をつけ吸い始めた。

 これは対して木曾はさすがに我慢ができず、先輩である伊勢に申し立てた。

 

「伊勢さん。これからオレら戦場に行くんだが、その煙草はなんだ」

 

「なんだ新入り説教か?」

 

 面倒くさいと顔に書いていると錯覚してしまうほどの態度で顔だけ向けてくる。

 

「まぁ多少は先輩として教えてやるけど、戦場で煙草も吸えないやつは死ぬぞ~」

 

 怠さと眠気を綯い交ぜにした声と態度が鼻につく。

 自分のこめかみがピクピクと震えるのを感じ取りながらも、奥歯を噛み締めて二つ目の文句を堪え、ご忠告どうもと短く返して、待っていた電たちのもとへ向かう。

 

「陣形を単縦陣に。伊勢さん、ゆっくりは良いですけど先行しすぎないようお願いしますね」

 

 最前列に躍り出た伊勢に電が忠告を出すと、あからさまに嫌そうな顔を浮かべる。

 

「あーそうだよねー……アーマー使ってひとっ飛びは――――」

 

「明石さんがもうお魚釣ってこないと言ってたのです」

 

「さぁ地道に行こうか」

 

 余程刺し身が食べられなくなるのが嫌なのか、何かをやろうとしていたのを取りやめた。

 しょうもないやり取りに木曾は呆れつつ、艦隊と速度を合わせながら南南東へと真っ直ぐ進んでいった。

 それから二七分経過したころ、水平線の向こうに黒い物体が見え隠れした。

 艦娘としての機能の一つである望遠を最大まで伸ばし確認すると、その姿がハッキリと目に映る。

 

「前方敵艦隊発見」

 

 深海棲艦だ。

 綾波の声に体が震えるのがわかった。

 口角が僅かに上がり、心臓が小さく跳ねたのも。

 武者震いである。

 初陣でありながら。初の戦場でありながらそこへ立てていることに興奮を覚えている。

 そして今まさに、戦場へと自ら進んで一歩を踏み出そうとした――――ところで冷水を浴びせさせられた。

 

「それじゃあ行ってくるけどあまり近づくんじゃないよー。それから常にアーマーを使えるように。特に魚雷は危ないからね」

 

「了解なのです。それではお気を付けて」

 

「ま、サクッと終わらせてくる」

 

 唐突のことに思考がついていかず、目が点となる。

 

「え? オレの、うい、じん……?」

 

 一人で先へ進む伊勢の背に手を伸ばすように手が挙がるが掴めるものはそこにはない。ただ空を切るだけで終わった。

 その瞬間思考が戻ってきた。

 

「電さんなんで!」

 

 素早く電の隣に回り込み、問いただす。

 納得がいかない。

 これは、今日は自分の初めての戦場だ。

 敵へ打って出ても挙げられる戦果など高々しれているかもしれないが、それでも自分のため、提督のために頑張ろうと決めていたのだ。しかし、

 

「今日は私達、後方で待機なのです」

 

 あっさりと切り捨てられた。

 一瞬何を言われたのか理解できなかった。

 

――たい、き? せんじょう、で?

 

 言葉を間違えたのではというのが先に思い当たったが、電の顔がそうでないことを示している。

 だからこそ頭の血管が切れそうなことも無視して電に掴みかかろうとし、電の手が挙がる。

 殴られるのかと警戒して一歩を踏みとどまると、違うことに気付く。

 指をさしていた。

 紫煙を揺らし、艦装もしていない伊勢の背中に向けて。

 

「見ていてください。この人こそ、臼杵鎮守府で一番強い艦娘です」

 

 歌うように言われたことで麻痺でもしたのか、望遠が自然と解除され、吸い込まれるように伊勢の背に顔ごと向けていた。

 そこに来てようやく気付く。伊勢が無造作に左手で持っていた刀が太刀ではなく、野太刀、大太刀と言われる類の長刀であることに。

 しかしあの長さの刀を抜けるのか木曾には疑問が浮かぶが、すぐにそれが杞憂であることを見せつけられる。

 伊勢は親指で刀を押し上げ緩やかに鯉口を切ると、再度握り直し今度は勢い良く親指を弾いた。すると刀身が飛び出るように空へと舞い上がり、回転しながら落下しているのを右手で無造作に掴み取る。

 左手に握っていた鞘は邪魔だったのか腰紐に通し、合わせるように大きく一歩足を踏み出した。

 次の瞬間、伊勢のいた場所に高波が発生すると同時に、敵艦からの砲撃が始まった。

 連続して放たれる砲撃は、初めこそ伊勢と木曾たちどちらも狙うような放物線を描いていたものの、木曾たちへのものは直ぐに止んだ。

 それもそのはず。高波を発生させた伊勢はその後も複数の波を作りながら深海棲艦へと高速に突き進んでおり、既に距離は半分を切っていた。

 自然と木曾は望遠機能を使用し、ジグザグ走行、いやジグザグに跳躍している伊勢の背中を懸命に追いかけていた。

 遠すぎればよく見えず、かといって近すぎれば影さえも残さない俊敏さに、やきもきしながらも喉を鳴らしただ見つめる。

 

――あれは……艦娘がやっていい動き、なのか……?

 

 鳴り止まぬ敵からの艦砲射撃は一つたりとも伊勢に掠ることさえなく、ただ空を切って水柱を上げるだけ。だが、それを下手くそなどと言えるはずもない。

 それだけ伊勢の移動速度が別次元なのだから。

 ただ敵艦隊から見れば恐怖の対象でしかないだろう。当たるどころか止まることなく高速で迫りくる存在に、明らかな焦りを見せている。しかし何ができるというわけでもなく、ひたすらに砲弾を放ち続けた。

 伊勢が深海棲艦との距離を詰め、回避行動とともに一つ大きめに右へ跳躍した。それによって敵艦隊との距離を目測でき、どれだけ伊勢が接近したのか理解する。

 凡そ八〇メートル。

 艦娘は人型故に回避行動は艦の時とは段違いだ。小回りも効くし自分の判断と思考だけで動くため被弾率は更に下がる。

 しかしだ、砲弾の初速は第二次世界大戦時のものとなんらかわりはない。それは艦娘であろうと深海棲艦側であろうと、その当時の物を基準とし生まれた存在であるため違いはなく、故に弾速は音の壁を超えている。

 それが大量に放たれたにも関わらず、無傷であの位置までたどり着いただけでも異常なのだ。その上で更に伊勢は木曾の想像の先へと突き進んだ。

 伊勢は右に跳んでから今までで一番大きな踏み込みをする。腰を落とすほどの一歩を。

 次の瞬間、足元の海を刳(えぐ)り、消えた。

 

――どこに行った!?

 

 望遠の倍率を上げすぎたつもりはなかった。伊勢が早すぎるからこそしっかりと全体が見える程度の距離を保っていたのだが、今の跳躍は視認することさえ適わない。

 至近にいた深海棲艦ならばそれ以上だったのだろう。前に配置されていた駆逐艦四隻の内三隻が両断され、崩壊を初めていた。

 そこでやっと左手に着地の飛沫を上げている伊勢の姿を見つけられたが、再び消失。

 見つけたのがまるで幻かのような機動力で、ひたすらに敵艦隊を翻弄する。

 二度目の攻撃は軽巡と残った駆逐艦を一隻ずつ撃破。

 伊勢の動きについていけない敵艦隊も残るは戦艦二隻と重巡一隻のみ。砲塔が追いかけようと懸命に動くがついていかず、今やまともに砲撃を行うこともできていない。

 そんな敵艦をあざ笑うかのように三度目の跳躍で、敵艦隊の目の前に着水した。木曾たちに正面を向く形で。

 そのため必然的に敵艦へ無防備の背後を見せていることとなる。にも関わらず、何をするかと思えば左手に刀を持ち替え、スカートのポケットから携帯灰皿を取り出すと、燃え尽きたのか千切れたのかわからない物を捨て、新たに煙草を取り出し吸い始めた。

 深海棲艦に今の行動がどのように映ったのか木曾にはわからないが、少なくとも背後を見せている以上チャンスには思ったのだろう。三隻は全砲門一斉射を実行する。

 

――っ何やってるんだあの馬鹿!

 

 撃沈されたのではと思わず息を呑む。

 いくら戦艦の艤装が頑丈であろうと、至近弾に耐えられるほどのものではない。それは艦だった時であろうと艦娘であろうと同じである、はずだった。

 しかし、背後を撃たれたはずの伊勢は硝煙が海風に消された後も顕在し、煙草を美味しそうに吐き出していた。

 そして口が動く。

 

――――もう思い残すことはないだろ?

 

 と。

 刹那、海上を銀線が走る。

 風さえ切り裂くであろう斬撃は、問答無用で敵艦を両断。切り口からヒビ割れが走り、頭、艤装の先端、足先と伸びきると一斉に砕け、液体となって海中へと没した。

 残されたのは煙草を吹かしている伊勢のみ。

 もう戦闘は終わりだと言わんばかりに刀を空に放り投げ、鞘で受け止める。

 聞こえないはずの納刀音が耳に届いた気がし、それが合図であったかのように体が震えだした。

 今日は木曾の初陣だった。そうであるはずだった。

 なのに何もせずに此度の海戦は終結を迎えている。

 

――あれが……

 

 だが今の木曾としてはその程度瑣末なこと。

 

――あれがこの艦隊最強の艦娘……

 

 目の前で行われた戦いは、胸を打ち、心を震わせるには十分過ぎる。

 戦闘が始まる前までの不愉快さなど最早欠片も存在しない。

 他の者に伊勢の特別性を問う必要もない。

 ただただ憧れた。

 

「決めた。オレ、あの人に弟子入りする」

 

 戦闘を好む木曾として必然とも言える結論を口にする。

 

「えぇ! 正気ですか木曾ちゃんっ」

 

「ああ。本気だ」

 

 電の言葉を聞き間違えていることにも気付かず、頷く。一つの決め事をしながら。

 

――オレも、あの人のようになる。

 

 小さく、それでいて力強く心に染み込ませる思い。

 開戦前の鼓動を超えるほどの動悸を抑えるように胸を握り、悠々と戻ってくる伊勢をただ見つめ続けた。

 

 

  ==========

 

 

 空を見上げると無数と言えるほどの星が瞬いている。

 鎮守府内には室内以外の照明はないため、そして町明かりなど存在しないため邪魔するものがなく、満天の星空がそこにはあった。

 粗雑な性格ながらも、それでもその星空が綺麗だと思う感性は、伊勢にもあった。

 ただ今は、綺麗だと思う前に夜であることを確認するために見上げている。

 

「あーやってしまったな」

 

 昼の海戦を終え、お気に入りの場所に引っ掛けたハンモックで眠っていたのだが、どうやら爆睡を決め込んだらしい。

 記憶を辿るも、一五時前には帰り着いて、その後新入りの軽巡に何か言われたのまでは思い出せたが、ハンモックに揺られ夢心地になったところでなくなっている。

 生憎と時計のたぐいは持ち合わせておらず、月も見えないことから時刻はわからないが、少なくとも五月現在で夕日さえ見えないとなると、夕食時は完全に過ぎているようだ。

 夕食時を逃したから何があるわけではなく、明日からまた忙しくなることが確定しているのに、ただ寝て時間を消費したことに少しばかり後悔する。が、

 

「ま~別にいいか。多少呑む時間が減った程度だし」

 

 声とともに後悔を捨て去った。

 剣造にはざっくばらんな性格をしていると評されたが、確かにその通りだなと改めて内心頷きながらも、スカートのポケットに手を突っ込む。しかし、手にある感触がおかしいことに気付き引っ張り出してみると、金色のジッポライターに携帯灰皿、そして握りつぶされた煙草の箱が手の平に乗っているだけ。

 そこで思い出す。寝る前に一服しようとして空になっていたことを。

 自室には剣造に買わせたものが大量にあるのだが、取りに行くのが面倒で寝てしまったという事実を。

 軽く舌打ちをし、口寂しさを感じつつも、致し方ないとばかりに手の平にあったものを乱暴にポケットへ戻し、近くに立てかけておいた刀を掴んでから歩み出す。

 目指す場所は食堂マミヤ。

 鎮守府の建屋から前方七メートルほど離れた位置にあるマミヤは、食堂とは名ばかりの居酒屋である。外も中もいかにもな風に改装しているため、あまり食堂といった造りはしていない。

 

――頼んだアタシが言うのも何だけど、明石さんも良い腕してるよなぁ。

 

 伊勢の注文通りに作られたすりガラス状の扉を音を立てながらスライドさせ、暖簾を押しのけて入店する。

 

「ばんはー間宮さん。いつもの~」

 

 入るやいなや注文を通す。

 店内は四名席用のテーブルが二つと、L字のカウンター七席分があるこぢんまりとした配置となっているのだが、既に先客がいたようで、カウンターに二名、鎮座していた。

 

「おぅ、遅かったな」

 

「やっほー。先に始めちゃってるよ~」

 

 提督である池上剣造と、工作艦明石であった。

 二人はカウンターのほぼ中央に並んで座っていたため、手前の提督の隣に腰を下ろす。

 

「それ、相変わらず持ち歩いてるんだ」

 

 カウンターに立てかけるように置いた刀を目にしながら明石が呟く。

 

「明石さんにせっかく作ってもらった物だから。自慢の愛刀ってやつ」

 

 柄頭を叩きながら返す。実際この刀は伊勢のお気に入りであった。

 艦娘は生まれた際に持っていたものか、改造された時に新たに付与される以外、近接武器など持ちはしない。砲といったものならば換装することは可能だが、改造はするタイミングを自分で選べても改造自体は妖精によって行われるため、望みどおりの武装を追加することは不可能だ。

 そのため、この手の本来装備できない艤装は、明石に特注で作ってもらうこととなる。

 ただ欠点は、艤装でありながら他と違い、虚数への出し入れができない点である。

 例外を一つ入れるならば、伊勢は元々日本刀を持っているため本来ならば艤装として出し入れできるのだが、改造しすぎたために不可能となっていることだ。

 

「お待たせしました。お先に生ビールです。お刺身は今から切ってくるのでちょっと待っていて下さいね」

 

「ありがとう間宮さん」

 

「これが私のお仕事ですから」

 

 笑顔で言い残し、後ろで結った髪を揺らしながら、魚を捌きに奥の調理場へと消えていく。

 そんな間宮を尻目に、伊勢はジョッキに入ったビールを掲げた。

 遅れて提督と明石も飲み物を手に、同じ言葉を発する。

 

「「「乾杯」」」

 

ジョッキとグラスが打ち鳴らされ、マミヤの中で小さくこだまする。

 三人は音の余韻に浸ることなく持っているものを口へと運んだ。

 伊勢と提督は黄金色のスーパードライを、明石は山吹色のジャックダニエルを口腔へと流し込む。

 寝起きで少しばかり喉が乾いていた伊勢は、中ジョッキに入ったビールを一気に飲み干してしまった。舌で味わわず、喉で苦味と酸味を受け止め、胃へと送り込んだ。

 

「くぅ~美味い!」

 

 ジョッキをテーブルに打ち付けるように置く。

 胃に送られたビールが全身へと染み渡るのを感じ、更に気分が高揚する。

 

「よくもまぁそんなものを戦場で振り回すな」

 

 付き出しのひじきの煮物に箸を伸ばすと、剣造がしみじみと言い出し、手が止まる。

 

「何を今更。今日だって誘導性艤装装甲(インダクティブアーマー)の使ってる様を見せろって言ったの剣造だろ」

 

「そうは言うが、お前それ、六〇キロもあるだろ」

 

 剣造の言っていることは正しかった。

 事実として伊勢の扱う野太刀は重量にして六〇キロもある。注文で明石に限界まで硬くしてもらった代償だった。

 これほどの重量は人間ならば一振りくらいならばできる者もいるだろうが、振り回せるほどの膂力は存在しない。

 

「艦装状態に比べりゃ軽い軽い。それに剣造だってこれくらい持てるじゃん」

 

 元々艦娘は重量物である艦の部分を扱うため、艤装装着時は人間を超える膂力を持つ。駆逐艦ならば平均八〇キロ。戦艦ともなれば一七〇キロほどの重量物を背負うこととなる。

 その状態でなお体幹、体肢を崩すことなく、人間よりも動き回れるのが艦娘という存在だ。

 

「持てるが扱えなければ意味がない」

 

「それもそうだ」

 

 止めていた箸を動かし、ひじきを摘む。

 醤油の香りと砂糖の甘み。天然ものであるため抜け切れていない潮の味が口の中に広がり、小さく頬が緩む。

 ジョッキに手をかけビールを呑もうとして、空っぽになっていることに気付く。

 魚を捌きにいった間宮はまだ戻ってくる気配はない。自分で注ぎに行こうかとも思ったが、以前何度目かの無断使用で間宮に半泣きで怒られたことを思い出し、自粛することに。

 

――皆本当、真面目だねぇ。

 

 もう一度ひじきを口に入れたから、剣造がテーブルに出していた煙草へ手を伸ばす。

 

「一本貰うよ」

 

「構わんが、お前用の渡してるんだから今後はそっちを吸え」

 

「今度から気をつける気をつける」

 

「伊勢は相変わらずだね」

 

 シガリロを吹かしている明石にまたかと笑われるも、気にすることなく火をつけた。

 息を吸い込むと、煙草の先が小さな音を立てながら燃えていくのを聞きつつ、肺へと煙を送り込む。

 肺の中を一巡するのを待ってから緩やかに木造の天井に向かって吐き出す。

 

「あー落ち着く~」

 

「同感。お酒と煙草とおつまみさえあれば生きていけそう」

 

「さすがにそれは不摂生すぎるぞ」

 

 剣造の空気の読めない生真面目な発言に思わず半眼になるも、即座に消えた。

 

「お待たせしました。はい、鯖の活き造りです」

 

「待ってました! 間宮さん、ビール。ビールのおかわりもお願い!」

 

「もう飲み干されたんですね」

 

 間宮が冷蔵庫にあるジョッキを取り出している間に煙草を灰皿に置き、遠ざける。続いて九州方面特有のドロッとしたさしみ醤油を小皿にたらす。そこへおろされたばかりのわさびを溶かし、一切れ箸に挟んでからわざび醤油に漬け、口へと運んだ。

 新鮮な磯の香りと脂身のある肉質は、わさび醤油の香りと味が合わさり、得も言えぬものへと昇華する。陸の肉とは違い歯を立てれば抵抗も弱く、程よい弾力の後に割けるように身が別れていく。咀嚼されるたびに舌の上を踊り、最後には細かくなって喉の奥へと消えていった。

 

「おかわりお持ちしました」

 

 嚥下した直後、まるで図ってたかのようなタイミングで生ビールを目の前に置かれ、喰らいつくようにつかみ取り、三度ほど喉を鳴らす。

 冷えたジョッキが左手と唇にハッキリと伝わり、それがよりビールの美味さを加速させる。

 

「あーもー最っ高! 美味しすぎるよ間宮さん」

 

「お礼なら明石に。私は艤装の生け簀に入れておいただけですから」

 

「明石さんありがとう。お礼にピース一カートン上げる」

 

「私はシガリロ以外吸わないの知ってるでしょ」

 

 自分でもはしゃいでしまっているのがわかるが、抑えなどここならばする必要などない。数日前まで激務だったのだ。多少騒いだところで何も言わないだろう。

 だが一つ個人的に思い出してしまったことがあるため、敢えて仕事のことを口にした。

 

「そぉだ剣造。この間九州一周した時、また敵の数が違ったぞ」

 

「む、そうなのか?」

 

「何を間違えたら八〇〇が二〇〇〇以上に増えるんだ」

 

 伊勢は他の艦娘と違い、基本一人で戦場に向かう。それも一日で複数の。

 それこそ木曾が来た直後のことだ。

 その日は福岡、佐賀、熊本、鹿児島が手薄になっているため周辺海域の敵艦隊を沈めてほしいと、大分海軍施設から直々に要請があった。普通ならばありえないことだが、自分の強さを考えれば妥当な判断ではあるが、本音は『面倒くさい』である。

 しかし遠征、多数の深海棲艦撃沈、他県の海軍施設の補助ともなればそれ相応の金額が支払われる。

 提督に、だが。

 それでも自分に還元されるため不満はない。

 あるのは向かう県だ。

 海軍施設は海に面した県ならば全てに存在する。その中でも第二次世界大戦時にも鎮守府が存在した県には艦娘が多く集まるようになっている。つまり長崎には必然的に艦娘が多く集まるのだが、それだけ深海棲艦にも襲われやすい。

 それが大変面倒くさい理由である。

 宮崎は近いため無理して行かなくとも大概沈めてしまってはいるが、航路上前を通過したほうが早く帰れるため、結果として九州一周する羽目となったのも気持ち的に面倒臭さを助長させる原因の一つだ。

 

「二〇〇〇以上ってことはそれ以上いたんだ」

 

「そう。数えるのが面倒になって長崎から先は数えてない。多分その倍はいた」

 

「伊勢の無双っぷりは相変わらずね」

 

「明石さんだってできるくらいには鍛えたつもりだけど?」

 

「ないない。精々百分の一が精々よ」

 

 苦笑いを浮かべながらロックグラスを傾ける。

 

「なるほどな。今後は索敵をより正確に行うよう各鎮守府に打診しておく」

 

「そうして」

 

 刺し身とつまを一緒に醤油に漬け、口に放り込む。

 大根が瑞々しい音を奏でながら、鯖の脂身を程よく洗いつつも旨味を消さず、味と食感を楽しませてくれる。

 再度ビールに手を伸ばし、ふと気づく。

 

「間宮さんは呑まないの?」

 

 カウンター越しにニコニコと刺し身を食べている自分を見ているだけで、彼女本人は何も口にしていなかった。

 

「これが私のお仕事ですから」

 

 ビールを提供した時と同じ言葉を繰り返す。

 確かに彼女の受け持つ業務の一環ではあるが、もう時間も時間だ。出すものも出してあるし、もう良いのではなかろうかと剣造へ目をやる。

 視線に察したのか、懐中時計を取り出し時間を見てから、軽快な音を鳴らして閉じた。

 

「そうだな、時間も時間だ。間宮。酒に煙草と自由にしてくれ」

 

「宜しいんですか?」

 

「この鎮守府の責任者は誰だ?」

 

「――ふふっそうですね。わかりました。お言葉に甘えさせていただきます」

 

 嬉しそうに背後にあった升(ます)とグラスの一つを手に取り、一度艦装してから船体より一升瓶を取り出した。

 給糧艦である間宮の艤装には食材や調味料といったものを保管することができる。他の艦娘では虚数に送ることができないが、彼女は例外である。冷蔵冷凍は勿論のこと、人の服の洗濯も行うことができるそうだ。

 グラスを升の中に入れ、取り出した日本酒、久保田千寿を注ぐ。

 グラスの縁(ふち)まで注がれたものを升ごと手に取り、カウンター越しながら四名は再度言葉を重ねた。

 

「「「「乾杯」」」」

 

 伊勢は一口だけ呑み、間宮を眺めていると、コクコクと升の傾けて呑む姿はどこか色っぽかった。

 

――アタシが男だったら間宮さんみたいな人を嫁に貰いたいねぇ。

 

 ありえもしないことを考えながら刺し身を摘んでいると、間宮が今度は煙管を取り出し、マッチで火をつける。

 直ぐには火がつかなかったのか、二度ほど吸う仕草をしてから、三度目に煙を吐き出した。

 

「煙管って何度見ても渋いよねぇ」

 

「シガリロなんぞ吸ってるお前が言うか?」

 

 明石の感想に即座に突っ込む剣造だが、フィルターの存在しない煙草を吸っている時点で、あまり人のこと言えないのではと素朴に思ったが、口にせず、自分も一口煙を吸い込んだ。

 複数の酒の香りと紫煙が揺れる。

 誰が口を開くでもなく、氷が傾く音、橋を持つ音、足を組み替える音、グラスやジョッキがテーブルにぶつかる音、火のつく音を耳にしながら時間だけが過ぎていく。

 この中だけが時間が流れているかのような錯覚に陥りそうな緩やかな空気。

 静かな時の中を楽しんでいると、不意に誰かが口を開いた。

 

「そういえば伊勢的に木曾はどうだった?」

 

「何、藪から棒に」

 

 発言をしたのは明石だった。

 唐突なことに初めは何を言っているのか思考が追いつかなかったが、一人新しく建造された艦娘を思い出す。

 

「あー、木曾ってあの新入り? あれがどうかした」

 

「ちょっと気になってね。天才の伊勢の直感に。どう、才能ありそう?」

 

 余程気になることなのか少し乗り出すように問いてくる。剣造に間宮も気になるのか、視線をこちらへと向けている。

 改めて顔を思い出し、腕を組みながら記憶を掘り返す。

 伊勢は相手の顔を見れば大体どれくらいの才能を持っているかなんとなくわかる。鎮守府からあまり離れる訳にはいかない明石と間宮が、皆が留守の間でも鎮守府を守れるように鍛えてほしいと言われた時も、才能があると思ったからしたことだ。

 そして現に二人は、この鎮守府内において伊勢に次いで誘導性艤装装甲の扱いに秀でている。

 ハッキリ言ってしまえば、二番目に強い艦娘である。

 その事実を知っているからか、妙に期待の満ちた目で見られていた。

 

「そう、だな」

 

 一つ前置きをしてから、正直に答えた。

 

「面倒くさい、かな。あれは」

 

「面倒くさい?」

 

 自分でも妙な言い方だとは思ったが、やはり聞いている側としてもそうなのか、剣造が鸚鵡返しをしてきた。

 

「そう。なんていうのか……雑草? 根は強いけど体がひょろい感じ」

 

「つまり強くなる見込みがない?」

 

「ん~ちょっと違う気がする」

 

 明石の言っていることは近いのだが、なんとなく違うのだと思い否定する。

 

「え~っと。まだ弱いけれど鍛えれば少しずつだけど強くなる?」

 

「ん? ん~、それ、かな? 多分それだと思う」

 

 まだ少し違う気もするが、然程外してはいないようなので頷くことに。しかし剣造にはお見通しなのか、率直な意見が飛んでくる。

 

「お前にしては煮え切らない物言いだな」

 

「アタシが感覚派なの知ってるだろ」

 

「そうはいうがお前、綾波には才能がある。神通も遠慮さえなくなれば一気に伸びる。電は変な枷さえ外せば化けるとかなんとか言っていただろ」

 

 過去に評価したことを一々覚えていたのか、並べ立ててくる。

 伊勢としても言った記憶があるだけに悪い気もするが、それでも曖昧になってしまう不明瞭さが新入りにはあった。

 

「まぁいい。才能がないとは言わないなら鍛えればモノになるんだろ」

 

「それは間違いない」

 

「ならば問題ない。明日から鍛えるようにせねばな」

 

 酒の場でも提督としての職務だけは忘れていないのか、剣造は思案に耽りだした。

 明日伊勢は静岡まで足を伸ばさないといけないため、関係ないとばかりにジョッキを空にする。

 

「間宮さん」

 

「はい、新しいの」

 

 飲み干すのがわかっていたのか、泡の零れそうなジョッキを渡される。

 早朝より激務が決まっている伊勢としては、今だけはただ楽しく呑むようにと心がけた。

 日付の変わるその時間まで。

 そして後に気付く。

 豚キムチを食べるのを忘れていたことに。

 

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